はてなキーワード: ラッキーとは
こう思ってる男は多そうだけど、顔じゃなくて、言い方や仕草が問題。
さらに言うと、キモって思われる奴の多くは目つきと笑いの問題だと思ってる。
そういう奴はなぜか人をちゃんと見ないんだよね。
横目で見たり、視線が定まらなくてウロウロさせたりして会話しようとするから、盗み見られているような気分になり「うわこいつキモ」ってなる。
あと笑い。
会話に無駄に笑いを挟む。
「フフ…髪型…フフッ…変えたんだ…フフッ」
文字でもキモって思うだろ?
人を横目で見ながらギュフギュフ笑いを挟んでたらただの変態だからな。顔関係ないからな。
まあ人を褒めたり尊敬したりするのは面倒かもな。恥ずかしいし。
ずいぶんとありふれた人生を生きてきたな思う。
中学校では虐められ、
演技していることが耐えられなくなり、
そんな「よくある」テンプレートの人生を30歳まで送っていた。
真面目さだけが取り柄のような両親は、
に対し反抗もせず、従順にしたがった。
ただ、誘惑に弱く、努力しているように見せる以上の
根性も興味も持ちあわせていなかった僕は、
両親が期待した正解をことごとく失敗した。
そして、その度に両親を悲しませ、怒らせた。
僕が身体を壊し会社を辞めたころから、彼らは何も言わなくなった。
口うるさく僕の努力不足を否定した父は無口になり、
やかましくも心配してくれていたは母は
常に「正しい選択」を取ることを求めた両親から、
「好きに生きなさい」といわれた事に僕は打ちひしがれた。
「お前らの、どの口がそれを言うか!」と憤ったものの、
そして初めて、誰にも相談すること無く一人で行動を始めた。
30歳になる年だった。
まず、家を出た。
講師の方々は、まだまだ未熟なのを解りつつも
めちゃくちゃ褒めてくれた。
クラスの仲間は、僕が作った他愛もない作品を
すごい!すごい!と賞賛してくれた。
気づけば、そこの訓練校の生徒代表として
共著ではあるが、本も執筆した。
僕のことを、とても頼りにしてくれる。
毎回、無批判に無条件で褒め続けてくれる。
連絡を全く取るのを辞めた両親に、結婚の報告と
二人共、見たことが無いような笑顔で、
僕の現状を喜んでくれた。
その表情は、「私達の子育て間違っていなかった」と
誇っているようだった。
耳がまた聞こえづらくなってきてつらかったので耳鼻科に行ったら、急性低音障害型感音性難聴と診断されてしまった。お薬飲めば、きっと治ると思うから大丈夫だと思う。不思議とショックじゃないのよね。なんでだろう。耳聞こえなくなってもメールとかあるし、目が見えて、手が使えることができるから、まだ伝えられる手段はあると思っている。ゲームやるときに不便だけどね。
ヘッドホンとかいろいろこだわってたけど、もう気にする必要がなくなってしまったみたい。治ったらラッキーなんですけど、低音重視だったのでやっぱいいのかな。もうこだわらないことにする。
仕事辞めて2か月突入したから、ストレスなんかないよなんて思っていた。けれど、家で死にたい、死ね死ねばっか言ってる。昔のこととか思い出してすごくいやになったりして誰かに聞いてほしかったりするけど、相談の仕方がわからないし、一緒に暮らしている人はよき理解者ではない。私自身のことは私自身の中にあるままだから。それを処理してもらうだとか、そんなこと、どうやったらいいんだろうって悩んでる。私が体験したこととかは、心にしまっておくべきこと。でもそれをぜんぶ言ってすっきりしたいけど、ずっとずっと、言えないことだったりして、友だちなんかいないし、親にも、一緒に暮らしている人にも。お話しようとして、ごめん、やっぱ無理 で終わった。すっきりしたいけど、言えない。うまく伝えられない。だから言わない。
まあ、原因としてはストレスがすべてではないだろうし、ここは密閉型の部屋だし、午前中はベッドにずっと寝転んでいるからそのせいかなと思ったりしている。自分が毎日、思っていること・感情については一度ちゃんと向き合わなければならないことかもしれない。
戦後半世紀、日本が大きな戦争に参加しなかった(巻き込まれなかった)のはラッキーだったわけで。
ほんと平和で良かったね。
戦って敵やっつけてこそ軍隊ってものなのに、自衛隊は成果を挙げないことが期待されていて。
しかも実際の戦争に参加することがない。ってすごいことだよ。もっと尊敬されるべき。
戦わないことを望まれながら、起こりうる戦争のために訓練積むってことを認識すべき。
話逸れた。
だから絶対に自衛隊は必要で(もちろん在日米軍も)、ついでに集団的自衛権もさっさと認めるべき。
今のままで良いとは思えないな。
アメリカの船が攻撃受けてるのに日本が手出しできない、ってのは同盟関係としてどうなのよ?
ちょう今更だけど、ためしに1ヶ月入会してみた感想。
簡潔に言うと「どっちかというと安さを重視する人」「たくさん借りたい人」には合わないサービス内容だと思う。
最大のメリットは「いつ返してもよく延滞料がかからない」ことであり、その分が割高になるサービスだと思って間違いない。
一見、店舗で借りるのに近く損をしない価格に設定してあり、旧作借り放題と銘打っているので釣られがちだけど、
単純に「どうせいっぱい借りるからラッキー!」と思って加入すると間違いなくやけどする。笑
以下にくわしく。
◆このサービスの魅力は何か
表向き下記の1、2にあるように見える。
「DVD旧作借り放題」「新作も月8枚までOK」「2000円弱/月」
この3つの条件。一月に旧作を20枚以上、または新作を10枚以上観るのであれば、店舗で借りるよりお得っぽい。
(※近隣のTSUTAYAはどこも旧作100円・新作5枚1000円を実施しているので、それとの比較です)
【2:延滞料がない。返却も店舗まで行かずに郵送でいつでもよく、楽だ】
しかし事前にシステムを理解していなかったこともあり、これは大きな思い違いだった…。
このサービスでは、1と2は両立しない。
むしろ、「2が叶えば1を犠牲にしてもよい」という人向けのサービスになっている。
まあ、当たり前だけど、世の中にそう上手い話はないよってことですよね。ねー。(…)
◆実際に試してみた
借り放題と銘打ってはいるが、システムが特殊なので注意しなければならない。
A)オンラインで観たい映画をリストアップしたら、上から順に「郵便で」「一度に2枚ずつ」送られてくる。
B)返却も「郵便で」行う。借りたものを返したことが確認されると、「次の2枚」が送られてくる。
このA)B)のサイクルで1単位。
・届いたその日に観ないですぐ返却しても「2日」はかかった(23区内)。
つまり「届いたその日に返却する」が常に可能な人なら、理論上「最大で月30枚」借りられることになる。
・でもその上に、さらに「システムが返却を確認するタイミングに間に合わなければ翌日になる」というハードルが存在するので、
その日のうちに返却できたとしても、少しでもタイミングに遅れれば1サイクルに3日かかる計算。
1サイクルあたり3日」だと月あたりの最大枚数は「20枚」。ちょっと油断して「2枚あたり4日」だと「14枚」。
毎日細心の注意を払いながら返却サイクルをこなせば、新作8枚を含めて月に14~30枚借りられるという計算になる(理論上は)。
◆そこで、店舗と同じくらいの価格で借りたい人には、残念ながらそもそも向いていないサービスなのだといわざるをえない。
そのためには、届いたものをその日に観て(or何らかの手段で保存して)可能な限り早くポストに投函するというのを、月のノルマ枚数に到達するまでこつこつ繰り返さねばならないから。
これがチョー面倒くさくて無理だった。ていうか、普通に仕事してる人にはおよそ不可能じゃない?
なにより、皮肉なようだが、店舗で普通に借りてる時よりも返却サイクルに追いまくられることになる。
「店舗と同価格で借りたい」と考えてこのサービスに加入すると、「延滞料なし、いつでも返せてラク♪」というもう1つのメリットが完全に潰れてしまう。
「延滞料なし」、その代わりに割高。これはそういうサービス。
それをきちんと認識してないと、加入したあとにすごーく損をした気分になると思う。
◆あとこれはどうでもいい話なんだけど
そもそも返却がめんどくさいような性格の人は、ポストに行くのもめんどくさい説。
ポストに投函しようと行動できる時なら、TSUTAYAに返却しに行くくらいわけもないんですよ。
思い立つまでがハードルなのであって、歩いて5分のポストも20分のTSUTAYAも似たようなもんなのだ。
まあ、どうでもいい話なんですが。
自己啓発セミナーにハマって俺を救ってやろうと必死に勧誘してくるしつこい兄貴が送ってきたブログ記事が面白かったので訳してみた。
元ブログ記事:http://themodernsavage.com/2008/09/30/the-dilemmas-of-male-virgins/
***********************
年配の童貞男の数は日に日に増えている気がする。仮に増えていないとすれば、よりその存在が目立つようになっているのは間違いない。インターネットの匿名性と、映画「40歳の童貞男」のお陰か、童貞男が自分の事について、匿名性を保ちながら世界に発信する事が一般的になった。
インターネットは童貞男で溢れている。ここやここなんかを見れば分かる。かくいう私も去年27歳で童貞を捨てるまでは同じ境遇だった。
オタクやギーク、負け組を特集するようなリアリティ番組の多くには必ずと言っていいほど童貞を主張する男性が登場する。VH1の「The Pick Up Artist」の前回のシーズンだけ見ても、参加者の半数は童貞で、しかも最年長は45歳と来た。
男が20代後半を過ぎて童貞であり続ける正当な理由なんて存在しない。例外があるとすれば、深刻な身体的・精神的傷害を持つ場合くらいだが、それは童貞男人口の中でもごく少数で、大半はどこにでもいる普通の男性だ。しかし何故か彼らはどうやってセックスまで持ち込むのか全く検討がついていない。それだけの年月を生きていたら、ラッキーイベントの一つや二つに遭遇するだろうと思う人間も多いかもしれない。しかし、問題はそこではないのだ。
ちなみに、読者の中には結婚するまで童貞を捨てたくないという人もいるだろう。この記事は君たち宛てのものではなく、セックスしたいけど出来ない人達向けだ。そもそも性欲旺盛な男としては、一体何でセックスを我慢したいのか全く理解できないけど、それはまた別の話という事で。
最初に挙げたいのが、殆どの男性がオナニーに使っているポルノが、YouTube的なポルノサイトの普及のお陰で非常に入手しやすくなっているという事だ。これらのサイトが多くのアクセス数を稼いでいるのはAlexaトラフィックランキングを見ればすぐに分かる。YouPorn(41位)やRedTube(49位)は全ウェブサイトの中でもトップランクに入る人気で、1日で何百万ものアクセスが入る。ちなみにNYTimes.comは97位、ESPN.comは71位だ。
Alexaランキングサービスを知らない人に説明すると、順位の数字が低いサイトほど、そのサイトのトラフィックが多いという事だ。例えばGoogleは2位で、このブログは259,388位だ。下の表を見れば分かる通り、ポルノに対して高い需要がある。
http://themodernsavage.com/wp-content/uploads/2008/09/alexa_porn_chart.jpg
ポルノの何が悪いかって?それ自体が悪い訳じゃないし、私もみんなと同じようにポルノは好きだ。問題なのは、それによって男性が女性を口説く必要が無くなり、口説く気すら無くなっているという事だ。自宅で望むままに性的欲求を発散出来るのだから、誰がそんな事をわざわざするだろうか。
女性から拒絶されるような苦労も無く、楽に欲求を満足させられるとしたら、自己改善のモチベーションが著しく削がれてしまう。そして自己改善は男性が女性から好意を受けるのにキーとなる重要な要素の一つだ。
別にポルノが全て悪いと言うつもりはないが、間違いなく良い影響を与えてはいない。ポルノはテクノロジーによって生み出されている根本的問題の一部にすぎない。インターネットやビデオゲーム産業の発達により多くの娯楽が生まれ、少年が校内で女の子を追い掛け回す時間が無くなっていった。代わりに誕生したのが、12時間テレビの前でララ・クロフトをオカズにオナニーするジョニーくんという訳だ。
いわゆる「オタク」というステレオタイプが童貞と結び付けられる事には理由があるのではないか。パソコンを持ち、最先端のインターネットポルノにアクセス出来るのはいつだってオタクだ。これははたして偶然なのだろうか?答えはみんなに委ねよう。
童貞が長期間童貞であり続けるほど、童貞卒業が難しくなる傾向にある気がする。下記の残酷なグラフがそれを表している。
http://themodernsavage.com/wp-content/uploads/2008/09/age-vs-virginity.jpg
私の持論では、童貞男が年を取れば取るほど、自分のセックス出来る能力に疑問を抱き、自信低下の下方スパイラルに陥ってしまう。そして「自信」は女性から好意を抱かれるために必要なメイン要素だという、どうしようもない矛盾がある。
若い内はセックスできない理由を運の無さだと言い切る事が出来るが、時が経つにつれ、男性は自意識過剰になり、自分のルックスに疑問を抱き、自分の欠陥を社会のせいだと言うようになり、やがて自尊心は地に落ちる事になる。自分の置かれた状況にあまりにも絶望し、すっぱり諦めてしまう可能性もある。40歳になり、ルックスはそこそこいいのに、心の奥では女性に対して隠れた憤りを抱いているような男になってしまう。
童貞男の中には単に悪いアドバイスを受けてしまい、女性を引きつけるための基本的スキルが欠落しているだけの者もいると思う。別にこれは理論だけの話じゃなく、どこの恋愛相談系の掲示板を見ても分かる事だ。そこの書き込みを見れば、殆どの男達(その殆どが童貞)は、自信やボディランゲージ、ナンパ、アプローチ方法、女性との会話等といった事に対してからっきしである事が分かる。
女性について何も知らない人に対して「自分らしくすればいい」と言うのは最悪だ。それは「それでうまくいった事はないけど、とりあえず同じように何度も繰り返していって、いつか運良く上手くいけばいいね」とアドバイスしているようなものだ。
彼らは駄目な所からアドバイスを受けているだけで、重要なのは魅力のいろはを学ぶという単純な事だけかもしれない。
童貞を卒業する前、こんな意味不明な思考をいつも抱いていた。当時はもっともな考えだと思っていたけど、その内容はだいたいこんな感じだ:
あの子は俺の事が好きで俺も彼女の事が好きだ。彼女は素晴らしい人で、きっと長期的な交際、しいては結婚にまで発展する運命の人かもしれない。もし告れば、今すぐにでも付き合い始められる…だけど問題がある。俺は他の女性とセックスした事がなく、もし彼女と結婚してしまったら俺が生産セックスする相手は彼女一人だけになってしまう。せめて人生の中で複数の相手とセックスしたい。だから、他の女性とセックスするまでは彼女にアプローチしない。
無茶苦茶だろう?多分人生でそういう機会が20回ほどあった気がする。これは成功に対する恐怖と、それによる自己妨害行為で、これもまた一つのどうしようもない矛盾と言える。無茶苦茶な考えだという事はもう理解していて今はもうその考えは捨てたけど、同じような考えを抱いている童貞男が他にもいるだろうというのは容易に考えられる。
最後に、30代・40代の男性の人達へアドバイス。たとえ大して好きでもない女性を口説かなくちゃいけなくても、まずその「最初のセックス」を済ませてしまう事に専念しよう(もちろん合法的に)。初体験を済ませるだけで大量の重荷から開放されるし、その初体験だけで呪いを打ち破るだけの効果はある。
http://anond.hatelabo.jp/20121107152244
私は社長の子だ。実の子だ。ただし後妻の子だ。先妻の子どもが2人いる。
幼児を2人抱えて、社長になった父は、仕事が忙しくて家庭は顧みなかった。女中を雇うより、女房をもらったほうが経済的だ。という理由で、母は嫁いできた。最初の子どもは「先妻の子を育てさせるために娶ってやったのに、自分の子が欲しいなんてぜいたくな。堕ろせ」と言われて中絶した。まだ、中絶技術とか高くなくて、母はその後3人流産する。4人目が私だ。母は珍しく「どうしても産む」と言い張って、妊娠3カ月目から入院させてもらっていたのだそうだ。祖父は「何をさぼっておるか!」と激怒して、病院のベッドから引きずり下ろそうとしたが、ベッドの柵にしがみついて、がんとして退院せず、帝王切開で私を産んだ。
ことあるごとに「上の2人は愛妻の子、お前は女中代わりにもらった女の子」と言われ続けた。
もちろん、家庭内カーストでは一番下だ。単に、末っ子というだけではなく、私に対する遠慮や気遣いといったものはまったく与えられなかった。
母は父の目を盗んで、私にお金を送り続けた。月5万円。叩き返したこともあった。送って来なかったこともあった。送って来なかったときは「ありがとう。ようやく私を一人前と認めてくれましたね」と母に手紙を送った。すると「ちょっと遅れただけだ。勘違いするな。永遠にあんたは私のものだ。私が産んだ子だ」と返事が来た。
私は父の奴隷で、母の所有物だ。
外から見れば、お金持ちのおうちのお嬢様だから、そういう風に思われる。でも、中身はまったく違うので、違和感をもたれる。
金持ちの間に入れば「仲間じゃない」と認定され、日雇いの人間の間にいても「仲間じゃない」と疎外される。
私の仲間はどこにいるんだろう? と長いこと不思議に思っていた。
親とか、金とか、礼儀とか、身分とか、仲間うちの符丁とか、そういうこととは、まったく関係ないところに仲間はいた。
すなわち。増田の面々だ。ここに居れば仲間はいる。同じ魂を持った人は、そのうち見分けられるようになるだろう。
両親からお金をもらわないことが独立なんじゃない。自分だけの交遊関係を確立したとき独立は近づく。心さえ自立できれば、親が金をくれることも「いい星の元に生まれた。ラッキーだった」ととらえられるようになる。
ただ、伊豆に(或いは日本全国他のどこかに)逃げるのが特に有効とは判断しなかったし逃げなかったよ。
どこもリスクはどっこいだと思ってたし。
誰でもアクセスできて下手したら半永久的にログが残る場所で行動指針をのたまうって、充分大層なことだと思うよ。
件のツイートを読み返してみると「数日で戻る」とも言っているし、
それ見ると何つうか、ホント小心だなって思うわ。
地震に遭ったのはアンラッキーだけど、「リスクヘッジです」って宣言して逃げて地震に遭ったら「リスクヘッジ(笑)」ってなるのは当たり前じゃん。
それはつまり関東のヤバさ(推定)にだけ捉われていて、逃げた先には本当にリスクがないかってこと確認するの怠った(っていうかありゃ無意識的にその必要性を無視したんだろうな)ってことの証明になっちゃったんだからね。
つまり恐怖に捉われて論理を放棄し感情的に行動したってことだ。
無理からぬことだと擁護するのはもちろん可能だし実際無理からぬことなんだけど、モノ論じて食ってる人間がやるにしてはあまりにも喜劇的なバカ行為過ぎて笑われてるし軽蔑されてるだけ。
私のことかと思ったよその2。
まあ私の場合、それこそ「今月こそ退職しよう」と思っていたタイミングで妊娠発覚したので、とりあえず籍は置いたまま育児休業中の身なのだけど。
この問題は、彼女が「女である」ことが深くかかわっていると思う。
一つの会社で正規職員として安定して働きたい、でも出産はしたいし、出産したら育児休暇は1年は取って、子どもが小さいうちは残業も控えめにしてもらってきちんと育児をしたい。
そう思った場合、確実な選択肢が公務員か、それに準じるような公的企業や大企業に入るしかないんだよね。
もちろん自分で起業して好きなようにやっている人もいるし、出産や育児に理解のある中小企業もあるけれど、それらはあくまで宝くじに当たったラッキーな例でしかない。
私だって民間でもっとバリバリ働きたいと思ったことは何度もある。でも、出産したい、育児ともちゃんと向き合いたい、と思ったら、他に選択肢がなかった。そういう理由で公務員になる女性はすごく多いと思う。
というか、最近は公務員でも給料どんどん下がってるし、安定性もなくなりそうだし、もはや「ちゃんと育児休業取れる」ことぐらいしか公務員のメリットなくね?
私の周りでも、若手の男性で優秀な人はどんどん辞めていってる。残っているのは、出産したいから仕方なく辞めずにいる女性ばかり。
若いうちに踏ん切りをつけられた彼女が羨ましい。既に小さい子どもを抱えた身としては、当分転職活動なんてできないし、子どもが大きくなった時は転職活動できる年齢じゃないし、一応育休の間に資格取ろうと思って勉強はしているけど、結局は今の仕事に骨をうずめるしかないんだろうなと思っている。
書こうと思ったきっかけはコレ。
http://sunikang.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html
http://d.hatena.ne.jp/hase0831/20121002
読んでいて胸が苦しくなった。
僕もそうだった。
「頑張って結果を出せば、なんとかなる。」
「少しずつは、良くなっていくはずだ。」
少なくとも僕はそう思っていた時期があった。
でも、物事は決して良くはならなかった。
そして今ならハッキリとわかるけど、そんなところにいても絶対に良くなんかならない。
絶対。
2つめのリンクの人は、”逃げること、生き延びること”を勧めている。
確かにそれは大事だ。
生きてるだけで丸儲けなんだから。
精神的にも、肉体的にも健全であれば、何度だってリトライできるんだから、
賛成。
逃げ道を確保した上で、もう一回自分のいる(いた)立場を見返してみよう。
本当に自分の成果は公平に評価されていただろうか?
不当に利用されていなかっただろうか?
誰かの純粋な悪意によって、自分は貶められてはいなかっただろうか?
頑張る事と結果を出す事は表裏一体だし、ある程度のプレッシャーは良い成果を生む事につながる。
難しいのは線引きだ。
けれど、僕は僕の拙い経験上大抵はこう言えることに気がついた。
ということ。
僕はこういう人が心底憎い。
あなたが逃げ出したとして、こういう人にはダメージゼロで”だらしない”くらいにしか思わない。
また新たなターゲットを見つけて、無理を言う。
新たなターゲットになった人は、ボロボロになるまでなるまで頑張るだろう。
でもそこには意味なんて無い。
理屈なんて通らない。
無理って理屈が無いって書くしね。
だから、戦える人は戦おう。
戦える人がハッキリとNOという事で、少しくらいは社会を変えていけるかもしれない。
僕の場合の話をする。
ある日僕は、溜まりに溜まった残業代とパワハラの慰謝料をセットにして、内容証明を社長と会社宛に送りつけた。
2年間で4000時間近く溜まった残業代は1000万円に届きそうだったし、パワハラは適当に100万円くらいにして出した。
お金にすると、はるかに悔しい思いをしたパワハラよりも、残業代の方が金額として飛び抜けているが、
証拠に対して時間的に計算がしやすい残業代に比べ、パワハラはいったいその損害がいくらかなのかという事を数値化しづらいらしい。
そういうものかと思った。
けれど、合計1000万というのは自分でもインパクトがあったし、書いてる手は震えていた。
受け取った方だって、突然だったし多少はビックリした事だろう。
パワハラの主犯である社長と、どう考えているのか直接話し合いたいと、代理の役員に何度も話した。
けれど、内容証明を受け取ったその日から、社長は忽然と姿を消し、僕が少しでもと期待していた誠意ある対応を
諦めて退社するまで二度と姿を表す事はなかった。
後から聞いた話では、長期休暇をとってヨーロッパに旅行に行っていたらしい。
もう何も思わなかった。
いや、嘘だな。
話し合いを期待していた僕は、心底下衆野郎だなって思いを再確認した。
残業代の証拠は、日報のメールとPCのシャットダウンの履歴を証拠として出した。
残業代を支払わない為に様々な手段を講じられてきたが、
それらはやはり何の意味もなく、逆に裁判官にとって会社側の心象を悪くするだけとのことだった。
裁判は現在も続いているが、残業代についてはほぼほぼこちらの言う通りになるだろう。
パワハラについては、まだまだ地道な言い合いが続く事になる。
パワハラは勝ったとしても良くて10万円くらいでしょうと弁護士に言われているが、
お金はどうでもいい。
間違っていたという事が証明できれば良い。
認められなかったとしても、残業代で数百万くらいはあるだろうからまあよしとする。
ちなみに、今はほとんど弁護士にまかせきりなので、特に苦労もしていない。
とっくに新たな道は歩んでいるし、新しい職場での仲間もできて少しは充実した日々が過ごせている。
訴えられた会社は、元同僚の話によると、僕の訴訟が始まってから急にホワイトカラーの会社へと
生まれ変わり、ほとんど全員が定時で帰っているという。
残業代は全て支払われ、過去の分も明らかな未払いは清算され、残業をしすぎると怒られるらしい。
「ラッキーだよ。」と笑う元同僚を見ると、自分のやった事は正しかったのかもしれないと少しだけ思う。
弁護士への数十万の着手金さえ用意できれば、裁判はなんて事はなかった。
だから、今も苦しんでもがき続けている人がいて、少しでもそういう人の為になればと思って書いた。
2012/10/12 0:47追記-------------------------------------------
なんと、トラックバック先の方からお返事とも言える記事をいただいた。
(非常にうれしかったです。ありがとうございます。)
http://d.hatena.ne.jp/hase0831/comment?date=20121011#c
引用-------------------------------
ただ、その行動を「他の人のためにもなった」とすり替えてしまうのは、とても危険だと思うのです。あくまで「自分のため」「自分の名誉のため」であるべきで、「残された社員のため」と言い始めた時点で、だんだん目的がズレていくのがわたしは怖いです。
-----------------------------------
僕も今回の裁判では「自分が受けた精神的・肉体的苦痛をお金で解決する、100%自分のエゴによる自分のためだけの戦い」だと自分に言い聞かせてきたつもりです。
その考えとは別に、「結果として」職場環境が改善され、それを聞いてうれしくなってしまったということを書いてしまった次第です。(言い訳になってすみません。。。)
「自分以外の誰かのため」と言ってしまう危険性は、例えば僕の場合でいうと「お金で解決」という私益のための目的を、「みんなのため」という公益にすり替えてしまうような場合にあると思います。
これでは確かに自分が嘘をついているという点で不正相手に正々堂々と戦う姿では無いと言えます。
この記事であくまでも言いたかったことは、かつての自分のように職場で右にも左にもいけず閉塞感を感じている人がもしいるとしたら、逃げることもできるし、戦うこともできるし、
思ってるほどどん詰まりって事はないですよって事でした。
思いがけずいろいろな方に見ていただいたようで、(あのphaさんがツイートしてくれてるのには感動しました。)ブコメもいただき大変感謝です。
皆さん有難うございました。