2013-01-03

テンプレ人生から脱出

90年代00年代10年代と、承認されづらい世の中で、

ずいぶんとありふれた人生を生きてきたな思う。

中学校では虐められ、

高校では落ちこぼれ友達がいなくなり、

大学ではキャラを作って恋人ができたものの、

演技していることが耐えられなくなり、

社会人ではブラック洗脳されて、身体を壊した。

そんな「よくある」テンプレート人生を30歳まで送っていた。

真面目さだけが取り柄のような両親は、

僕の人生に対して「◯◯が良い」とか「☓☓はダメだ」

示唆してくれた。僕は、彼らが示唆してくれる

「わかりやすく、現状の判断から最も正解の可能性が高い選択」

に対し反抗もせず、従順にしたがった。


ただ、誘惑に弱く、努力しているように見せる以上の

根性も興味も持ちあわせていなかった僕は、

両親が期待した正解をことごとく失敗した。

そして、その度に両親を悲しませ、怒らせた。


僕が身体を壊し会社を辞めたころから、彼らは何も言わなくなった。

口うるさく僕の努力不足を否定した父は無口になり、

やかましくも心配してくれていたは母は

アナタの好きなように、生きなさい」としか言わなくなった。


常に「正しい選択」を取ることを求めた両親から

「好きに生きなさい」といわれた事に僕は打ちひしがれた。

「お前らの、どの口がそれを言うか!」と憤ったものの、

結局、自分が無判断に従った責任なんだなと自覚した。

そして初めて、誰にも相談すること無く一人で行動を始めた。

30歳になる年だった。


まず、家を出た。


そして、職安の訓練学校デザインを習いに行った。

たまたま僕はラッキーな事に、これがハマった。

配色、レイアウトソフトの使い方、全部が面白かった。

毎日毎日学校に入り浸って貪るように作りまくった。



講師の方々は、まだまだ未熟なのを解りつつも

めちゃくちゃ褒めてくれた。

クラスの仲間は、僕が作った他愛もない作品を

すごい!すごい!と賞賛してくれた。


気づけば、そこの訓練校の生徒代表として

職安お話をしに行ったりするようになった。

共著ではあるが、本も執筆した。


今は、講師先生経営する3人だけの小さな事務所

働いている。クライアント社長

僕のことを、とても頼りにしてくれる。


訓練校で知り合った同級生女性と今年、結婚する。

彼女は、僕の作ったもの

毎回、無批判に無条件で褒め続けてくれる。


33になった先日の誕生日

連絡を全く取るのを辞めた両親に、結婚の報告と

自分の今の仕事について話をしに行った。

二人共、見たことが無いような笑顔で、

僕の現状を喜んでくれた。

その表情は、「私達の子育て間違っていなかった」と

誇っているようだった。

  • うぜえなあ お前みたいなガキ目の前にいたら張り倒したくなるわ 親に文句があるならはっきり言えよカス ってガキじゃなくてもう33じゃねーか なんなのこういう奴 こんな奴が人の親...

  • いやー底辺職が結婚しただけなんて子育て間違ったって思うだろ普通

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