はてなキーワード: ウヨクとは
この日記の論点は2点。
1点目はなぜ現代日本ではサヨクの人の方が言論や議論を否定したレッテルばりと一方的な言説を行うのかという疑問提起
2点目は文中の疑問にサヨクの人がどう答えるのかという純粋な疑問
中学の頃からの友人で両親が高校の教員をされていて日教組に入っている(本人がどうかは僕は知らない)友人A
一時は親友と言っていい関係だったと思うけど、今は疎遠となっている。といっても2年に一度くらいは会うのだが。。。
なぜ疎遠になったかというと、普段はとてもクレイジーで面白いやつなのだが、なにかことがあると(例えば現在の原発問題や尖閣諸島問題など)、勝手に「サヨク的発言」を熱く語りだし、面倒くさいから。また、それに反論すると即座に「軍国主義的」「国にだまされている」等とレッテルばりをして悦に入る。非常に鬱陶しく、場がさめるので自然と疎遠となった。
ここで1点目の論点。なぜ現代日本ではサヨクの人の方が言論や議論を否定したレッテルばりと一方的な言説を行うのか?
議論があるところには多かれ少なかれレッテルばりがあり、「サヨク」の人からは当然「ウヨク」の人はすぐに「売国奴」といったレッテルばりをするという反論があるだろう。
ただ、これは勿論僕の印象でしかないのだが、現代日本では例えば軍備の必要性を問うた場合に即座に「軍国主義」「帝国主義」などとののしられ、議論を行うことが出来ない印象がある。逆に売国奴などとののしる「ウヨク」の人はごく少数だ。
大抵の議論の場において僕の印象では、
『XとかYとかって条件があるからどうしても沖縄に軍が必要で、、、』
『うーん。そう考えざるを得ないし、なかなか難しいけど、、、』
『うん。戦争は嫌だよね。でも、攻められたら怖いし、守る必要があるからね』
『でもまあ相手が軍を持っていて攻めてくる可能性があるからね、だからこっちとしても対抗できる力は持っていないとね』
『ああ、軍を持ちたいって思想の人なんだね』
『?いや?戦争とか軍とかないほうが良いとは思うんだけど、でもあるのはしょうがないって話をしてるんだよ?』
『だからそういうことを言い訳にしてまた軍国主義に戻したいっていうんだろ』
『?いや?そんなことは言ってないんだけど、、、』
『やっぱり軍が欲しい、戦争をしたいって人にだまされてるんだよ』
というパターンにおちいることがほとんどのような気がする。なぜサヨクの人たちはこうやってすぐに軍国主義やだまされているというキーワードを用いて議論を終了させようとするのだろうか。本来的な思想として、左翼的な思想の方が議論親和性がありそうな気がするのに、なぜこうも情緒的でレッテルばりばかり行うのだろうか、、、
で、友人Aであるが、僕もすこしイライラして一度がんばってもう少し議論してみたことがある。
『とにかく軍を持ってはだめっていうのは納得がいかないよ。何度も言うけど攻められるのは怖いよ。攻められることがないくらいには軍を維持しておきたいよ』
『非武装なら攻められないよ』
(『なんでそんなこといえるんだよ』『非武装なら普通攻めないよ』)x2
『・・・ちょっと話し変えるけど、南京大虐殺についてどう思うの?僕は少なくとも強調されすぎてることが多いと思うんだけど』
『あんな悲惨な事件はないよ。ひどいことだよ。こういったことを繰り返さないために軍を持っちゃいけないんだ』
『南京大虐殺では非武装の人を日本軍がたくさん殺した。そう言ってるって理解していい?』
『もちろん』
『それは非武装でも攻撃される可能性があるっていうことだよね。しつこいけど、僕は南京大虐殺ってやつについてちょっと疑いを持ってるけど、それは別として』
『・・・』
第2の論点はここである。友人Aはここで黙ったのでどう考えているのか分からないのだが、他のサヨクの人はこの疑問にはなんて答えるのだろうか。もちろん、僕は国家として武装していない状態と都市が占領された後に非武装民がいることについて差異が少しあることを理解している。ただ、この条件下ではほぼ差異無く扱えると考えている。非武装の人を虐殺したという例(虚偽の可能性もあるが)を持ち出し、自分たちが非武装なら攻め込まれず非武装であるべきと説くその矛盾になぜ気づかないのか。
今の日本からは改革(左派)も保守(右派)もいなくなって(最初からいなかったのかもしれないが)今では劣化コピーの出来損ないもどきにも達してないような「サヨク」と「ウヨク」が日々、言論をぶつけ合っている。
それを最も観察しやすいのはココ、ネットの世界だが、はたから見てもサヨクとウヨクがまともに議論をしている所を「ほとんど」見たことない。(あえて「全く」とは言わないでおく)
文字通り意見の「ぶつけ合い」をしているだけだ。言葉のドッヂボールという言葉はまさにサヨクとウヨクの議論(という名のプロパガンダ合戦、にすら達しないただの罵り合い)にこそ最もふさわしい言葉だろう。
じゃあなぜ議論が成立しないのかという話だが、単純な理由で「議論する気が無い」からである。
まぁそんなことはいちいち指摘するまでもないが、なぜああもぶつかり合う者同士でいまだに両者の間に少しは議論をしようという機運が見られないのかというとそれはサヨクとウヨクのメンタリティの相違に起因する。
サヨクとウヨクの間で議論が成立していないこと指摘をされるたびにどちらも「相手がバカすぎて議論にならない」的なことを言ってる当たりまったくどうにもならないくらい事態は深刻化しているが鹿児島知事選でサヨクが見せたリアクションと、先の衆議院選で自民党候補が落ちた選挙区に対するウヨクのリアクションを見る限り、まったくこの両者のメンタリティは精神的双子と言っても差し支えないほどに凄惨なまでに酷似しているのである。
ただし、ここまで酷似したメンタリティを有する両者にも異質な点はある。その一つが「自分が気に食わない意見に対するリアクション」である。
とりあえず、最初の段階ではサヨクもウヨクもとる行動は同じである。すなわち
とかくサヨクとウヨクには共通のガイドラインでも制定されているのかと疑ってしまうほど、この行動をとる。
相手の言った内容に対する批判と相手個人に対する罵倒の区別がつかないのがサヨクとウヨクがいつまでたってもまともな左派右派になりえない重大な理由の一つだが。それについては今回はあまり関係ない話である上、正直もう救いようがないと思っているのでこれ以上言及はしない。
さてひとしきり相手を罵倒しきった後で彼らがとる行動がサヨクとウヨクで全く異なってくる。
端的に言えば、サヨクの人間はもはや相手をいなかったものとして扱う(自分の気に食わない意見を相手ごと無視する態度を是としている時点でサヨクの人間に論理的態度の育成が不可能であるということは間違いない)
自らの意見に対する反論の類に対して一切触れることなく、ひたすら自らの意見を押し通すさまは、醜悪だ。仮にその意見が正しかったとしても、正しさに腰かけて意見ごと相手をいないものとする傲慢さは到底万人に受け入れられるものではない。(とはいえこの傲慢さは昨今のサヨクのマイノリティぶりを鑑みてみるとどこか滑稽ですらある。)
次にウヨクと言えば、こちらは苛烈でその意見を徹底的に叩き潰す方向に動く。
相手が「改心」するか(仮に改心したとしても、ウヨクの脳内に存在するヒエラルキーの一番下の階層から一つ上の階層に固定されるだけだが)、文字どおり消えるまで続く。
「日本から出ていけ」というのはアノニマス的に発言できるネットの場で、よく見ることが出来る文言だが。「自分の気に食わない意見」を言うならこの国から出ていけ。とはなかなか苛烈である。
仮にその人物の述べる意見が間違っていたとしても、その苛烈さはいささかも減ずることは無い。「間違った意見を述べる人間は日本から出ていけ」とは冷静に考えれば中々にエキセントリックな言説である。
サヨクは自分の意見を押し通すために、ウヨクはサヨクを排除するために、言葉を発している。
そう、サヨクとウヨクが議論にならないのは当然だ。議論は議論をする気のある人間が2人以上いなければ成立しない。
自分の意見を叫びたいだけの人間がたまたま同じ場所にいただけでは、議論になるはずもない。
先ほどはプロパガンダ合戦にすら達しないただの罵り合いと表現したが、サヨクとウヨクの自慰的な声の張り合いは、もはや罵り合いにすらなっていないのだ。
2013/5/5名古屋市教育館にて鈴木邦男氏の講演会が開催された。
新右翼一水会の最高顧問でありながら、現在は思想的にはリベラルであると自他ともに認める鈴木氏。「右からの脱原発」をテーマに講演会はこの日14時に始まった。
ゲストは地球上で唯一人封建主義者を自称する評論家、氏の過去の著作名の如く「危険な思想家」である呉智英氏だ。
彦摩呂似の司会者の合図で先ずは鈴木氏が登壇、呉氏がゲストという事で近著「真実の名古屋論」、「吉本隆明という共同幻想」を紹介し話は呉氏との過去の逸話や他の作家の話などを織り交ぜ、終盤思い出したかのように脱原発の話をして30分ほどで鈴木氏単独の公演は終了。公演は3部構成、2部は鈴木、呉両氏の対談形式で話が進められ、3部は質疑応答の時間。参加者は30~40人程度といったところか。新右翼の代表的人物である鈴木氏の公演であり、過激な発言で知られる人気作家の呉智英氏がゲストであれば会場は満員になっても何らおかしくはない。しかし、この公演に関してほとんど告知がなされていないせいか、最大収容人数200人の会場で二人はマイクを置いて地声で話していた。それほどに参加者の数は少なかった。
筆者がこの講演会を知ったきっかけは毎週欠かさずチェックしている鈴木氏のHP「鈴木邦男をぶっとばせ!」の今週の主張という毎週月曜に更新される記事によってだった。しかもこの講演に関してはその長~い記事のそれこそ最後まで目を通さねばわからないほど下の方に告知が載っているだけ。筆者は知らないが鈴木氏はTwitterをやっている為、そこでは告知をしていたのかもしれないが…。他にも一水会のHP、会場の名古屋市教育館のHPを覗いてみたが、特に告知らしきものは見当たらなかった。因みに筆者はイチ鈴木邦男ファンとして今年2月同じく名古屋の日本キリスト教団名古屋教会で催された鈴木氏による講演「いま、“愛国”について考える−排外主義への異論−」に参加したがその時は会場は満員であった。あくまでその教会のいち催し物である為に信者がほとんどであったし、一概に比較出来ないが…。何より福島原発事故から2年以上経てそれは既に風化し、もはや「反原発」というスローガンに訴求力がない事の証明であったように思う。20代の参加者はおそらく筆者1人であったし周りを見渡すと皆頭に白いものが…、中には自ら朝鮮人を名乗る者もいたし、聴講者の多くが戦後民主主義・人権主義思想に凝り固まった、言ってしまえば絶滅危惧種のサヨクだったと見える。そうなると呉智英氏の天敵が集まったことになるが…。筆者は思想的には新右翼寄りと勝手に思っている者だが、少なくとも一般聴講者の中に右派、保守系の人は見受けられなかった。新右翼の代表的論客・鈴木氏の講演であるし題目は「右からの~」だし、呉氏が来るのだからてっきり右の人がたくさんいるのだろうと思っていたのに意表をつかれた形になった。
今回の講演会のテーマは脱原発。しかし、おそらく遅れて呉氏がゲストに決まったと思われる為、急遽テーマからの脱線は止む無し、むしろ脱原発は公演の一要素に過ぎないといったところだった。2部の両氏による対談形式の講演は1部以上に話題は多岐に渡った。呉史は現在名古屋在住、名の売れた作家であるにも関わらず今は家賃7.9万のマンションに住んでいるとか、ライフワークである儒教についてや思想から政治、氏の私生活までその著作と違わぬ軽妙で鋭い語り口で会場を盛り上げていた。中でも印象的だったのは改憲についてだ。9条は戦略的に活用せよというもの。メモを忘れた為うろ覚えだが、憲法9条が現行のままである限り安全保障は続くのであるから改憲せず、これまで日本がやって来なかった謀略戦に特化しお隣りの2つの国を戦争させて漁夫の利を得よといった内容だった。もちろん危険極まりないラディカルな意見ではあるが、常々自衛隊の国軍化は必要だと考える凡人右派思考の筆者はそんな考え方もあるのかぁと目からウロコだった。もちろん本旨の脱原発についても忘れていない。呉氏は反原発派でありながら既存の脱原発デモを批判し独自の方法論を提示していた。封建主義者の面目躍如とばかりに鈴木氏の出る幕もないほど冗舌に語っていた。筆者にとって2部の二人の対談はとても勉強になったし何より刺激的でとても楽しく拝聴していた。
先に述べたとおり、参加者の多くは戦後民主主義・人権主義思想に洗脳された方々である。そんな彼等との質疑応答はまぁ無意味で退屈で不快なものだった。二人の質問者が、呉氏が講演の中で何度も口をついた「支那」という言葉を取り上げて「中国を『支那』と呼ぶことは差別でないのか?、石原慎太郎の真似でないのか?」(およそ60代の女性)続いて男が大声で「『支那』は不快!相手が不快に思うのなら中国と言うべきではないのか?」といった質問をぶつけた。呉氏はこれまで民主主義を否定し続け、ソ連解体で共産主義の崩壊とともに民主主義も終焉を迎えたと語る危険な思想家である。併せて氏は30年余り「支那」と呼ぶべき理由を、その正当性を、論理的に、何度も何度も口酸っぱく唱えてきた男である、石原なんかよりずっと前にだ!!その主張は呉氏の数々の著書に幾度も書かれている為詳細は省くが、中国を「支那」と呼ぶ事が差別であるかはともかく、氏は30年もそれを訴え続けているのである。何を今さら言うか!筆者は考える、参加者は今回の講演会に参加する限りは呉智英という男がどんな危険思想を持つ人間であるか少しでも知っておく、いや参加するには著書の2.3冊読んで予習しておく、それが無理ならさらっとウィキペディアでも覗いておく事が必要ではないのか?もちろんそれを強制するつもりはない。しかし知識人である呉氏への無理解、自身の無知を醜くさらけだし、それに気づかずにヒステリックに喚き立てる姿は憐れですらあった。他にも40代と思しき男が「反原発デモで左右連帯というが、グローバリズムを旨とする左翼が中国・韓国を非難する右翼と連帯するのは難しい、それについてどう思うか?」といった事を回りくどく長々と言い、鈴木・呉両氏を論破せんと意気込むも「じゃぁ別々にやれば良い」と冷ややかに返答されていた。当たり前だ。右翼が反原発に取り組む動機は、現在進行形で福島の大地が放射能に汚染され続けている現状を憂いての事であって最早ナショナリズムがどうとかそんな事は関係がない。サヨクの男は、今後中国・韓国を巻き込んでの反原発運動がどうたらこうたら言って、今そこにある危機を無視して下劣なイデオロギーの次元に落とし込む事を考えている。全く恐ろしい…呆れてものも言えない。右翼を非難し自分の論理を展開する事によって連帯の意味を履き違えている事を露呈し、さらには逆説的に左右連帯が不可能である事を自らが明らかにしてしまった。右翼は最初から反原発に限っては左右は関係ない、むしろ反原発の一点、そこだけ一致すればどんな思想の持ち主だって構わないという姿勢であるのに…。
そして最後の質問者の老婆は鈴木氏に対し「ウヨクってなんですかー!?全ッ然わからないんですけどー!!今日来た意味ないです!払った千円返してください!」だって。鈴木氏は最初はまともに返答しようとしたがとにかく態度と声のデカイ老婆の勢いに困ってしまい、封建主義者の呉氏がフォローを入れるという事態に。あぁそうそう、なんか8年前ぐらい前だっけ?騒音おばさんっていたじゃない、もうまさにあんな感じ…。両氏はもう顔を見合わせて苦笑い。そこでもう時間切れ、司会者が強引に中断して参加者一同二人に拍手。筆者はこれでもかってぐらい、もうババァ黙らせてやるって気持ちで拍手しまくってやった。それでも老婆は懲りずに怒声を発し続けていたけど。
今回講演会に参加して感じたことが幾つかある。先ずは主催者側の問題点を言いたい。やはり呉氏がゲストだからといってテーマは「右からの脱原発」であるからには、あくまでそこを中心に講演するべきであったように思う。脱原発の講演を期待して来場した人がほとんどのはずだから、その点で考えると参加者のほとんどが満足のいく内容でなかったはずだ。それに告知、今のご時勢ネットを活用すればもっと集客できたに違いないし、単純に参加者がもっと増えればより質の高い講演となったと思う。次に参加者について。まぁ誰が参加しても当然問題ないんだけど予備知識くらい入れてから来いよと言いたい。呉智英氏の事を少しでも知っていれば、氏が百万回くらい経験しているであろう不毛な「支那」問答に時間を取られる事も無く、参加者も不快な思いをせずに済んだのになぁ…。呉氏の思想を知っていれば来なかった人もいただろうに。まぁ本当に残念な講演会だった。最後の質疑応答さえ無ければ笑顔で帰り道を歩けたのに、あんな事になっちゃって全て台無し。参加者には文句言うまいという気持ちがあるにはあるが無知と無理解に無自覚なオソロシイ数人の人を前にして味わった事のない恐怖体験をしてしまったから、つい愚痴のひとつやふたつ言いたくなるよ。
せっかくの休日が今週の仕事準備と家事で潰れて残っている家事の山見て途方に暮れ
書きたい増田記事が溜まっているのに練って書く暇も無いのに
一日は24時間しかないのに ただ日々の生活の中の葛藤を増田に投稿したいだけなのに
他人には脅しを仄めかし黙らせようとつぶやいたりヘイトスピーチ法規制運動したりする一部の匿名disの人たち
それなんて民衆がネットで好きな事を書けない言論弾圧国家北朝鮮と何処が違うのラララ♪
どっちもどっちなことずっーと長年やってきた癖に何を今サラダ作ってる
2chがどうとか何もしない助けないとか どっちもどっちがレイシストとか
貴重な24時間を割いて味方してあげる義理やクラスタ的な繋がりは何処にもない
ちょっと気に入らないこと言うとまとめて晒しあい粘着し続けるのはウヨクだけじゃないよねー
(ゲスの極み乙女。の「ぶらっくパレード」って買った曲聴きながらそう思った)
その手の散々ネットを汚す行為を具体的な人物名をあえて晒さないのは横増田がエルンストの「百頭女」が秘密を守るくだりに
感銘を受けてるから 書かなくても度々WEB炎上している人をネット暦長い人は知ってる
例えるならガラケーの人がスマホのサービス受けられなくて、度々モンクレ化して反感かって叩かれてるのに
逆ギレして匿名ワールドまで八つ当たりで迷惑かけないでくれませんかと
どっちに文句つけて目を付けられても怖いもん 庶民は見てみぬふりするのが一番
どっちもどっちなのが目に見えてる ネット上の正義とか愛国心の定義など他人に強いられたくないね
スパム通報とか気に入らない人のTwitterをID削除させるために「拡散」とかも好きではないので協力しない
http://anond.hatelabo.jp/20130108203837
分かったよ。
そんなにこのデザイン変更など気になるなら、
はてなの運営がどう思ってしたのかを、はっきりと言ってやるよ。
はてな運営が、前からはてなサヨクに嫌悪感を抱いてきたのは、知ってるよな。
こんな分かりきったことを、わざわざ、言わせるなよ。
前々から、着々と、はてなサヨク除外を、はてなは進めてきたからな。
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20130108/1357641152
> 滞留や偏りをなくすためにアルゴリズムを変更いたしました。一定時間でコンテンツが入れ替わるよう更新性を高めています。
「偏り」とはっきりとあるな。
はてなで偏りと言えば、今まで何度も言われてきたように、はてなサヨクのこと。
運営側も、何度もはてなサヨクの偏りの異常さを指摘されて、「偏り」と明記したわけだな。
はてなに執拗に貼り付いているはてなサヨクの偏りを、少しでもなくすためのアルゴリズム変更。
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20130108/1357641152
> 今までのイメージを更新する色彩豊かなページになっています。各カテゴリの人気エントリーや新着エントリーはタイルを並べた様なデザイン
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1301/08/news128.html
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20130108/1357641152
> 今後のはてなブックマークにご期待ください
> 追って1月30日には、ブックマークのコメントが一覧表示されているページを刷新いたします。
この30日の変更では、さらに、はてなサヨク除外に勢いをかけるんで、よろしく。
この件は、はてなサヨクのコメントが一般に受け入れられないほどに偏っているので、
その偏りを改善するために、変更するわけ。
それを本気で言ってるのか?少しは考えてみろ。
「敵にまわすと恐ろしいが、味方にすると頼りない」とか言うが、
はてなサヨクは、これ以下だよ。
「はてなサヨクは味方にすると頼りなく、敵にまわしてもウザいだけ」
はてなを毀損する印象を与えて、一般ユーザーが会員になることを
さんざん除外してきたのに、はてなで我が物面をしているからな。
前も言われていたが、赤旗機関紙ばっかりをはてブのトップに押し上げてくるのは、
アメブロで二番目の被ブクマ数を誇るのが、偽善サヨクの「すくらむ」だったよな。
芸能ブログのアメブロでさえも、政治色でベッタリ貼りつけるとか。
お前、無党派層がどれだけいるのか、分かってるのか。
はてなサヨクって、twitterでも我が物面してTogetterまとめでも
仮想のウヨク敵に必死になって、はてな外にもゴミを出してきているから
あらゆる有名サイトがやっていること。
はてなだけが、はてなサヨクを我が物面させて、はてなにいつまでも放逐させて
そのままにしておくに違いない!ってアホか。
はてなの自業自得であるが、あまりにはてなサヨクが調子に乗りすぎているから、
はてなが対策しているわけだよ。
ノイズを消すのは当たり前だが、それが何か?
はてなの一番にウザいノイズの存在は、はてなサヨクだが、それが何か?
一般会員を増やしたいためにしているのであって、
はてなのノイズがデザイン変更が嫌とか言うのなら、他に行けよ。邪魔なんだよ。
ブヒブビ言っても、今まで素直にはてな様の変更に従ってきたから、
はてな運営「はてなサヨクがまた変更でブヒブヒ言ってるが、こいつらって、口先だけで何の抵抗も影響力もないから、結局、素直に従うんだよね(笑)」
右傾化というか、自民に投票しようとする者が理解できないことについてというか
明らかに破滅に向かう流れが止まらない不気味さと絶望感を覚える
それは間違っている!と言っても数の論理か理論武装で一蹴される
得体のしれない大きな集団、怪物、しかも権力の側にあり信仰されているものに対して
どうやって対抗していけばいいのか
陰謀論めいた言い方をすると
ネットがここまで大きくなる前から権力側に人々がつくように蒔かれてきた種が
最悪の形で実を結んでしまったのだ
(最初はネタだったり、単純に逆張りだったのかもしれないけれど、そのほうが自然に生まれた妖怪人間ベムみたいで怖い)
そういう意識を持つ時点でこんな状況をどうにもできないのだろうな
でもゴシップ、他人を見下して溜飲を下げることが大好きな大衆が世の中の大半を占めるわけで
一瞬の快楽さえあればいい彼らを、利用するか、発言することを奪うかのどちらかしかないのだ
当然民主主義を標榜する以上、利用して彼らに発言権があるように見せかけるしかないのだけど
それだってどうせこのまま行けば、全て奪われるに決まっている
ああ、自分もサヨクがかった考えの持ち主なんだなあ、と思うのだけど
ウヨクもサヨクも彼らを利用こそすれどうせ根本的には見下してしかいない
(だから生活保護受給を助けようとする市町村レベルの共産党はサヨクではなくて左翼だ。所謂プロ市民はサヨク)
渾然一体となって、流れというものは作られる
それに逆らって泳ぎたいが、そのことだって流れの一部でしかないのではないか
でも、ようするに死にたくないのだ
ネットで一番に偏っているはてながニコニコ動画が偏ってる!(笑
http://anond.hatelabo.jp/20121127021313
ここからだったか始まった一連のはてなサヨク騒動を見ていて、思ったんだが。
この件だけじゃなくて、はてなサヨクのことは前から言われているが、
はてなサヨクが、一般感覚から見て毛嫌いされる存在なのはなぜなのか。
そんなことをつらつらと考えると。
★阿修羅♪掲示板 すべての虚構を暴き、真実に到達しようとしている
「すべての虚構を暴き、真実に到達しようとしている」と堂々と
この阿修羅掲示板の書き込みも、偏っている。
はてなサヨクも、ネットde真実のはてなで真実とか言われているけど、
阿修羅掲示板ってそんなことを言ってる。
はてなサヨクって、何ら国政に影響力がないのに、
はてなで真実と意気込んで「虚構を暴いて、真実に到達するんだもん」
はてなサヨクよりは実行力はあるようだけどね。
仲間内からの相互批判をすることがないというのも似てるんじゃない?
ネットde真実って2ちゃんで言ったら批判するのが出てくるけど、
はてなサヨクとかって、内部批判をすることがないよなぁ。
ネットde真実って左系のほうが陥りやすいんじゃないだろうか。
そんなことになってるのかもしれないが。
真っ当な左なら、はてなサヨクを批判したほうがいい。
そこに、はてなサヨクが行ったら、すっきりするね。
正直、はてなサヨク諸君もうすうすは気付いていることだけど、
はてなの運営側も「はてなサヨクってウザイよね」と思ってるから
(気付いているよね、はてなサヨク諸君?)
これって、はてなの冠を付けて、はてなに対する印象の大いなる毀損だよね。
印象を与えているからね。
ネット全般のネットサヨクの中でも、はてなのサヨクだけ特別にトンデモだから
「他人を評価する側が『ウヨク』だの『サヨク』だの、乱暴で単純な分け方をしてるだけ」ってゲラゲラ笑い飛ばせば済むはずなのに、顔真っ赤にして言及してる時点で「ああ、この人も自分に自信がないだけなんだなぁ」ってのがよく分かってがっかりした。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20121129/hatesa_hashimoto#c
加野瀬さんが「そのぐらいのダブルスタンダードを使い分けなければ、真のはてなサヨクにはなれないのだ!」って茶化して書かれているのに対して「別に俺はダブルスタンダードじゃねーし」って各自が勝手に脳内で解決すれば良いだけの話なのに、具体的な言及を待たずわざわざ釣られに行ってる時点で相当微妙な感じがする(し、自分の言葉に対して読解力を求める一方で加野瀬さんの書かれ方に対して自己の読解力不足を認めない態度は、いわゆる『はてなサヨク』よりも質の悪い印象を持った)。
編集者:
takeruko
編集内容:
3c3 5c5,16 7,9c18,19
-はてなリング - 教育基本法改悪反対や小泉→安倍体制に疑問を持つブロガーのリングなど、「はてなサヨク」を自称する者もいる。他方、自身の主張に反する者へのレッテル張りに使われることも数多い。彼ら他称「はてなサヨク」は、厳密には保守か、あるいはせいぜいリベラル程度であることが多い。自称より他称として用いられる言葉で、指し示す範囲が使用者の主観であり、[[共産主義]]、[[アナーキズム]]、[[社会民主主義]]など、サヨクと呼ばれる者たちの思想の違いを踏まえていない発言と考えられている。
+はてなリング - 教育基本法改悪反対や小泉→安倍体制に疑問を持つブロガーのリングなど、「はてなサヨク」を自称する者もいる。他方、自身の主張に反する者へのレッテル張りに使われることも数多い。
-大学で人文・社会科学系の学問である、社会学、教育学、法学、[[女性学]]などを専攻したものに顕著に見られる特徴と分析されることもあるが、その限りではない。
+ある批判されるような行動、あるいは本来なすべきとされる行動の欠落を、日本やアメリカが行った場合、民族性や国民性に絡めてまで批判するのに対し、同種の行動を一般に左翼陣営と目される諸グループ(フェミニズム団体、朝日新聞、韓国、中国、在日朝鮮人など)が行った場合は黙殺するか、批判者を、「でも、日本やアメリカについては何も言わないんだよね」的な中立性の欠落の観点から批判する。しかし中韓と同様に、日本やアメリカについても是是非非で批判している者に対しては、「偏っているに違いない」という断定に立ち、そこから批判を行う。一方で双方向に批判をなしていない自分に対しては寛大である。
+70年以上前の歴史問題には熱心である割には、現時点での人権侵害問題である拉致事件やチベット・ウィグルなどでの人権問題には無関心である。一方で、アメリカが引き起こしているグアンタナモ基地での拷問や、劣化ウラン弾の使用の問題等については熱心である。何年もはてなダイアリーやはてなブログを用いていて、日本の過去の歴史問題や、米軍が引き起こした問題については詳細な記事がいくつもあるにも関わらず、拉致事件やチベット・ウィグルなどでの人権問題にまったく触れていないはてなサヨクは珍しくない。稀に触れていたとしても、ほとんどは「右翼」を批判する文脈から書かれている。
+はてなサヨクのもうひとつの特徴は、相手が言ってもいないことに争点を移す手法である。これは先述の、「偏っているに違いない」という断定から敷衍して、話を広げるやりかたである。
+「Aについて批判している/批判していないのはよくない」
+「そんなことを言って、Aを隠れ蓑のして本当はBっていいたいんだろう。Bが妥当だって論証してみろ」
+「Bの話なんてしていない。Aの話をしている」
+「論証も出来ないんだ、バーカバーカ」
+大抵の相手はこういう流れにうんざりして、議論をやめるがそれがまたはてなサヨクの中では勲章となるのである。
+また、はてなブックマークを使用しての罵詈雑言も特徴的である。罵詈雑言の内容はやはり言ってもいないこと、書かれてもいないことへの断罪と飛躍である。
+はてなサヨクの中でもオピニオンリーダー的な存在は、言論態度上、明らかに問題があるそうした態度はとらないが、そういう態度をとる者は制さずに別の部分では馴れ合っている。こうした態度をはてな紅衛兵と批判されるのであって、それは比喩ではあるが実態がないわけではない。
+はてなが提供するサービス、はてな匿名ダイアリーははてなサヨクにとっての主戦場のひとつになっている。揶揄でも揚げ足取りでも相手を黙らせれば勝ち、という無法がのさばっている。そうした揶揄や揚げ足取りは、保守的な意見にのみ対してなされ、はてなサヨク的価値観に合致する意見に対してはなされない。
-略して[[はてサ]]。
+以上のような理由から彼らを左翼と呼ぶのは困難である。首尾一貫性がなく、党派的な行動に偏っているからである。それは思想的な態度というよりはもっと利権的なものである。
+彼らを左翼から分離して「はてなサヨク」と扱うのは妥当である。
-これに対し、はてなのサービスを使っているウヨクは稀に「[[はてなウヨク]]([[はてウ]])」と呼ばれる。
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1396850
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%CF%A4%C6%A4%CA%A5%B5%A5%E8%A5%AF?kid=200405
なんだろう、このプレコックス感。
セックスボランティアとか、韓国の歴史。
以前そんなことを考えていたけども、これ現代にも言えるのかもなーって思った。
「性欲」を「消費という欲求」に置き換えると、だいたい同じ流れで説明できる。
いまどきの人は生まれながらにして「消費生活」という欲求を植えつけられる。
誕生日にはケーキとプレゼントが出る(出さなければならない)し、ゲームソフトやケータイはどんどん出るし。
いまどきの小学生には、ニンテンドーDSやソフトを買ってあげなければ輪に入れないっていう話もあるし。それはまた消費欲求とは別の、日本的な同調圧力の話も混ざってくる。個人が感じる快として植え付けられた消費という欲求と、消費を"みんなやってる"からやらなければならないという同調圧力とが悪循環してそれらを加速させている。
でも収入は減っていくし税金は増えていくし年金はもらえないし生活保護は減る。
ひどい。
だからレイプと等価のことがおきる。つまり売春とか。カネ欲しさに犯罪を犯す。
または、収入がなくなったり、会社をクビになったりすると死と同義であると思い込み自殺する。消費者金融が増える。
だから、これから生まれてくる子には、どうか「消費生活」なんかを植えつけないでほしい。無欲に低コストな生活を植えつけてほしい。そのためには、なにか宗教や信仰を利用するのが効率的なのかな。お坊さんのような。でもアメリカとか中国とか、消費に突き進む国と付き合ってるし、そんなの無理なのかな。
補足しておく
「欲求があるのにそれが満足できないという状況でこういうことが起きる」
ということを言いたいのがこの文章の主旨であって、
これを考えていた中でウヨクとかサヨク的な要素は一切ないです。
そこをお間違いのないよう。