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はてなキーワード: アイヒマンとは

2016-12-29

慣用句かなんかで

「実は大したものではないこと(人)なのに、人々がそれを恐れるが故に怪物として扱われる(た)ような物(人)」を

意味する言葉があったような気がするのだが思い出せない。

具体的にいえば、ナチスアイヒマンのような人。

張子の虎→この言葉は虎側をあざげっていう言葉であるが、私が言う言葉はあざけりの意味を含まない。

幽霊の正体見たり枯れ尾花ニュアンスは大体あっている、もう少し短い言葉だったように思う。

杞憂→これはこの怖がっている個人問題であり、私が言う言葉はみんな怖がっているようなこと(人)に対して使う。

夜郎自大→これは自分の力を知らないというだけ。

蟷螂の斧→これは力のない者が頑張るという話なので違う。

・眠れる獅子→確かにしっくりするが、意味ググると実力を発揮していないという意味合いなので厳密には違う

・仏の顔も三度まで→これは腹を立てる立てないという話なので違う

鶏鳴狗盗羊頭狗肉→例としてブレーメンといってしまったが、その言葉怪物側に騙そうという意図はない。

・竹箒も五百羅漢→これの神ではなく怪物バージョンであれば、意味はそのとおりなのだが。

・鵺におびえる→意味は確かにそうなのだが、私が初見だった。

・羹に懲りてあえ物を吹く→これは結果必要以上の用心をするという意味なので違う

鬼から電話アプリ名なので違う

怪物→思えば単にこれでいいのかもしれないが…。ただ、(フランケンシュタインの)怪物とかにするとそれっぽい感じにはなる。

コメントありがとうございます

その怪物はなんというか、ブレーメン音楽隊のような怪物なのだが、

それを慣用句かなんかで表す言葉欲しいがあったと思う。かっこいい言葉で。

2016-12-04

死の収容所へ 1

ヨーロッパユダヤ人絶滅の準備

 ドイツ軍ソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツ・グルッペン)によるすさまじい組的殺作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルトハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。

「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」

 この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。

ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。

 1941年12月11日日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類を連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツ戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。

 ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録ニュルンベルク国際軍事法廷証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分ゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。

総統意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方追放し、その跡地に対して行われることになった…

ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」

 ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域ユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツ占領国や同盟国とは別にイギリスソ連ヨーロッパ地域、また中立国ポルトガルスペインスウェーデンスイスアイルランドトルコといった、ドイツ占領する予定だった国も含まれていた。

 ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後証言で「ヒトラーユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所対応させる必要があった」。

 この会談の直後、アイヒマンアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。

 ガスを使った殺害ナチドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式組織として医師を擁する医療関係の諸機関大学研究所病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。

 かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。

 しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである

絶滅作戦

 絶滅作戦としての最初のガス実験は1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊パイプ排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。

 「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連ドイツ占領地域では1941年12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。

 1941年12月8日。占領ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿の中央広場で、人びとは垣根に囲まれ区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」

 「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれ場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。

 1941年11月ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議ハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人であるハイドリヒは1942年5月にチェコレジスタンス暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファーストネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツ東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者ウクライナ部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。

 ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。

 ルブリン近郊のマイダネク収容所ユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。

 強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国ポーランド南部シレジア地方建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランドオシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎敷地強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校政治犯収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍工業囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体ガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体ガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。

 アウシュヴィッツビルケナウ収容所絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所移送された。他に子ども双生児脊髄障害を持つ遺伝病患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。

 生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。

 厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓さらす、むち打ちなど懲罰の苦痛を与える−この種の非道所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人バラックから毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。

2016-06-27

ドルフ・アイヒマンだけどヒトラーがすべてだと思う

名前が「愛ヒ(トラー)」マンだしな

2015-12-12

みんないったい何を信じているのだろう

はてなをはじめネットはいわゆるデータとか根拠とか客観性を持った意見が支持を集めるけどなんでそんなに客観的に生きられるだろう

結婚墓場客観的意見本音さらすようなネットメディアでは「現実」だとして言われるけど結婚なんて超個人的問題客観でかたづけるのってものすごく無機的というか冷たすぎるというか客観的という言葉を借りた言い訳じゃないのかな

たとえば借金のある男と結婚すべきではないってまぁ普通は言われるし客観的に見ればまぁそうだよねとしか言えないけど感情という主観のほうが客観よりも上回っているのならそんなもの関係ないよね、不幸な未来が待ってるかもしれないけど今の幸せを蹴ってまで心配するべき不幸っていうのはかなり少ないし薬物とかぐらいじゃないかな

道徳とか常識とかもそうだけど客観性っていうのはものすごく怖いよ。承認欲求とタッグを組んでやってくるからね、大衆需要に合わせた一般化された意見のほうが支持を集めやすいし逆に承認欲求認知欲求にとって変わればただの炎上になるだけで

ネット右翼なんかわかりやす主観客観対立軸だね。彼らは主観的物事を見て右翼的発言ネット上にばらまいているけどそれにたいしてネトウヨ馬鹿にする人達客観性をもって否定する

けどなんでもかんでも客観性で片付けようとしてる人っていったい何のために存在してるの?手垢のついた一般化された意見なんてあなたが言わなくてもそんなことみんな知ってるしそのコメントとか言説なんかただあなた客観性という武器を使って承認されたいだけじゃないのかな

それは翻ってネトウヨ以上に何の意味もない主観的な欲求だよ

そうやっていつも何かにつけて客観的に考えてる人っていったい何を信じているの?何のために存在してるの?使い古されたような常識をより強固にするため?黒に黒を塗っても黒いままだよ

絶対悪である殺人も状況によっては是である餓死しそうになれば強盗するべきなんだよ、それは客観的な良い悪いなんかやすやすと踏み越える主観でむしろそっちのほうがはるか重要

常識偏見の塊以外の何者でもないしそんなものが本気で生きるべき糧になんか絶対にならない



100%の妄信とまでは行かなくても客観性なんてものはせいぜい頭の中に2%ぐらい残しておけばいいと思う、そうすれば少なくともアイヒマンのようにはならない

2015-11-13

「今、民主主義について考える49冊」から除外された本

書名著者
SEALDs 民主主義ってこれだ!SEALDs
時代の正体神奈川新聞時代の正体」取材班
右傾化する日本政治中野晃一
社会を変えるには小熊英二
デモいこ!TwitNoNukes
私達は"99%"だ「オキュパイガゼット編集部
革命のつくり方港千尋
デモ!オキュパイ未来のための直接行動三一書房編集部
希望政治学布施
日本人民主主義を捨てたがっているのか?想田和弘
立憲主義について佐藤幸治
ぼくらの瀕死のデモクラシー枝川公一
政治はなぜ嫌われるのかコリン・ヘイ
日本国憲法新装学術文庫編集部
法とは何か長谷部恭男
憲法とは何か長谷部恭男
読むための日本国憲法東京新聞政治部
タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか小林節
憲法は、政府に対する命令であるC.ダグラス・ラミス
国家暴走古賀茂明
検証法治国家崩壊吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司
ソフトパワージョセフ・S・ナイ
リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください井上達夫
キング牧師辻内鏡人、中條献
I Have A Dream!マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
隷属への道F.A.ハイエク
世界を動かした21の演説クリスアボット
戦争プロパガンダ10法則アンヌ・モレリ
精読アレント全体主義起源牧野雅彦
ヒトラー演説高田博行
劇画ヒットラー 復刻版水木しげる
悪あがきのすすめ辛淑玉
独裁者のためのハンドブックブルース・ブエノ・デ・メスキータアラスター・スミス
輿論世論佐藤卓己
永遠平和のために 啓蒙とは何か 他3篇カント
アメリカデモクラシー(1上下・2上下トクヴィル
国家上下プラトン
自由ミル
一九八四年[新訳版]ジョージ・オーウェル
動物農場ジョージ・オーウェル
イェルサレムアイヒマンハンナ・アーレント
人間の条件ハンナアレント

ソース

http://pbs.twimg.com/media/CSmpHEIUwAAOfO2.jpg

http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=10696

2014-02-22

悪者になりたくない

学生時代アイヒマンという人物を知った。以来、アイヒマンのようにはなるまいと思いながら暮らしてきた。つまり、可能な限り悪者になりたくないのだ。だが悪者になりたくない人間自己本位で未熟な人間であるという。その結果か、私は成熟した人間になり損ねているとも感じることが少なくない。

今の私を表現するとすれば「僕にその手を汚せというのか」という一言に尽きる。まだ「僕は悪にでもなる」「おぬしも悪よのう」という境地には至っていない。別に悪者になる必要はないのだろうが、おそらく悪を何らかの形で受け入れる必要があるのだろう。だが曽野綾子のような思考様式を持つことが成熟であるなら、受け入れることは出来ない。

もちろん未熟な人間のまま一生を終えるという選択肢もある。しかし不治の病や不慮の事故夭折する覚悟も無ければ、未熟な人間のまま百歳まで生き抜くだけの気概もない。どうしたものか。

2013-05-14

社畜大量虐殺

お前の好きなスタンレー・ミルグラムの「服従の心理」が映画化されてるぞ、という話を友人から聞いた。

あれをどうやったら映画化出来るんだ、頭おかしいんじゃねえの?と思っていたら半分マジだったようだ。エロそうだし見に行こうかな。

http://m.cinematoday.jp/page/N0052077

ミルグラムの方の服従の心理は「ミルグラム実験」について書かれたものだ。内容はかったるいのでWikiを読んで欲しいが、まあ善良な一般市民でも偉い人に命令されたら平気でひどいことしちゃう><というもの

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ミルグラム実験

ここからが本題。ミルグラム実験は別名「アイヒマンテスト」という。Wikiにも書いてあるとおり、「ユダヤ人ガス室に送りまくったアイヒマンさんは地も涙もない根っからサイコ野郎なの?それとも奥さんに花束をあげちゃう普通の人なの?」というところから始まったらしい。このアイヒマンさん、もし現代日本に生きていたらどうなっただろうか?在日特権を許さない会(笑)とかに入って楽しい活動をしてただろうか?

まず間違いなく普通日本人、つまり社畜になっていたと思う。

日々勤労し社畜性を養っている皆様には気をつけて欲しい。僕の大好きな本にこんなセリフがあった(知ってる人も多いかも)

仕事から。19世紀の夜明けのこのかた、仕事から仕方が無いという言葉が虫も殺さぬ凡庸な人間たちから、どれだけの残虐さを引き出すことに成功たか、君は知っているのかね。仕事からナチユダヤ人ガス室に送れた。仕事から東ドイツ国境線警備隊は西への脱走者を射殺することができた。仕事から仕事から兵士親衛隊である必要はない。全ての仕事は、人間良心麻痺させるために存在するんだよ。資本主義を生み出したのは、仕事に打ち込み貯蓄を良しとするプロテスタンティズムだ。つまり仕事宗教なのだよ。信仰の度合いにおいて、そこに明確な違いはない。そのことにみんな薄々気がついてはいるようだがね。誰もそれを直視したくはない」

仕事から仕方が無い」の先には大量虐殺がまっているのだ。

まりは何が言いたいかと言うと、陳腐言い回しだが、「立ち止まって自分の頭で考えない」ことは明確に罪なのだ

我々「勤勉で真面目な」日本人のこの宿痾をどうしたものだろうか。

とかではなく、働きたくないでござる。ということでござる。僕の就職に対する嫌悪感を婉曲に表現したでござる。働きたくないでござる。働きたくないでござる。

あ、あと服従の心理はめちゃくちゃ面白いのでWikiを読んでわかった気にならずに是非書店に出向いて買って欲しいでござる。内容がだいぶ違うでござる。

2012-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20121005173537

増田の大好きなウィキコピペおいとくよ。

死刑および死刑制度については、人権冤罪の可能性、倫理的問題、またその有効性、妥当性、国家としての人類尊厳など多くの観点から、全世界的な議論がなされている(詳細は死刑存廃問題を参照のこと)。議論には死刑廃止論死刑賛成論の両論が存在する。死刑制度を維持している国では在置論と呼ぶ、廃止している国では復活論と呼ぶ。もちろん死刑の廃止と復活は、世界中で史上何度も行われてきている。

近年では死刑は、前述のように凶悪事件に対して威嚇力行使による犯罪抑止、または犯罪被害者遺族の権利として存置は必要であると主張される場合がある。ただし前者は統計学および犯罪心理学的に死刑有用性が証明されたものではなく、存在意義はむしろ社会規範維持のために必要とする法哲学的色彩が強い。後者は親愛なる家族殺人被害にあったとしても、実際に死刑になる実行犯は情状酌量すべき事情のない動機かつ残虐な殺害方法で人を殺めた極少数[32] であることから菊田幸一など死刑廃止論から極限られた被害者遺族の権利を認めることに疑問があるとしている。また、いくら凶悪なる殺人行為であっても、その報復生命を奪うことが果たして倫理的に許されるかという疑問も指摘されている。

また、死刑執行を停止しているロシア当局によるチェチェン独立指導者の「殺害」などがあり、死刑制度の有無や執行の有無が、その国家人権意識の高さと直接の関係はないとの主張も存在するが、死刑制度民主国家では廃止され非民主国家で維持される傾向にある。地理的には、ヨーロッパ、そして南米の6カ国を除いた国々が、廃止している。ヨーロッパ諸国においてはベラルーシ以外死刑を行っている国は無い(ロシアにおいては制度存在するが執行は十年以上停止状態であるといわれる。チェチェンを参考のこと)。これは死刑制度ヨーロッパ連合が定めた欧州人権条約第3条に違反するとしているためである。またリヒテンシュタインでは1987年死刑が廃止されたが、最後の処刑が行われたのが1785年の事であり事実上2世紀も前に廃止されていた。またベルギー1996年死刑が廃止されたが最後に執行されたのは1950年であった。このように、死刑執行が事実上行われなくなって、長年経過した後に死刑制度も正式に廃止される場合が多い。

欧州議会欧州審議会議員会議2001年6月25日日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議によれば日本死刑の密行主義と過酷拘禁状態が指摘され、アメリカ死刑適用に対する人種経済差別と、少年犯罪者および精神障害者に対する死刑執行が行われているとして、両国行刑制度を非難するものであった。

通常犯罪における死刑が廃止されても、国家反逆罪ないし戦争犯罪によって死刑が行われる場合がある。例えばノルウェーのヴィドクン・クヴィスリング1945年5月9日連合国軍逮捕され国民連合指導者と共に大逆罪で裁判にかけられ、銃殺刑に処せられた。ノルウェーでは、この裁判のためだけに特別に銃殺刑を復活(通常犯罪死刑1905年に廃止されてはいたが)した。また同様にイスラエルナチスによるホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンを処刑するため、死刑制度がないにもかかわらず(戦争犯罪として適用除外されたともいえるが)死刑を宣告し執行した。

中東アフリカアジアにおいては総じて死刑制度が維持されている。冷戦時代は総じて民主国家が廃止、独裁国家が維持していたが、現在では冷戦崩壊後の民主化大量虐殺反省により東欧南米が廃止、アジアおよび中東アフリカの一部が民主化後も維持している状態である。またイスラム教徒が多数を占める国では、イスラーム法を名目とした死刑制度が維持されているが、トルコのようにヨーロッパ連合への加盟を目指すために廃止した国や、ブルネイのように1957年以降死刑執行が行われていないため事実上廃止の状態の国もある。

2010-08-21

松尾さんのリフレ派批判への反論についての疑問

Apemanさんをはじめ、リフレ政策の有効性を疑っていたりするわけではないのに、

> Apemanさんや、コメント欄にお書き込みの仲間のみなさんのような方々にこそ、是非拙著を読んでいただきたいと思っております。私がそこで主張しておりますのは、左翼価値観の望むことを実現するためには、不況の脱却は必要条件だということです。十分条件ではないかもしれないが、必要条件

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100820.html

みたいな反論をしても、意味がないというか、そういうことを問題にしているわけじゃないのに、「リフレ派」はそういう問題のすり替えをする、とますます問題を悪化させるような。

たぶん、Apemanさんたちの問題意識の理解は、やはりrnaさんがもっとも本質をついていて、

クルーグマンを読んで欲しいというのはその通りなんですが、今問題になってるのは「リフレ政治家クルーグマンじゃなくてアイヒマンだったら、それでも支持するの?」みたいな話です。いや、それは極端かな。。。

http://d.hatena.ne.jp/rna/20100817/p2#c1282255089

というところのはず。松尾さんはこの点には楽観的で、

> ともかく、リフレ派は組織でも派閥でもない上に、金子議員リフレ派の中でもただの一ユーザーで、リーダーでもなんでもないのですから、リフレ政策に賛同することが金子議員の主張を許容することになるわけでは全くありません。別に自ら「リフレ派」と称さなくても、失業者をなくすために、多少のインフレはむしろ望ましいものと思って、無からおカネをどんどん作る政策を要求なさるならばそれでいいのです。その経済的なメカニズムについては、是非拙著をご検討下さい。

とのことですが、理屈では「リフレ政策に賛同することが金子議員の主張を許容することになるわけでは全くありません」と言えても、リフレ政策への支持がリフレ政策を主導する議員への支持として世間的には影響を及ぼす可能性があるのだから、松尾さん、人が良すぎ、ということ。

>それなりの規模の騒ぎにはなってるにもかかわらず、結局 rnaさん以外にはただの1人も「いやなるほど、たしかにレイシズム歴史修正主義は問題だ。緊急の問題への取組みが一段落したら注意を払おう」ってリフレ派は現われてないですよね。これってあまりにも示唆的すぎると思うんですが。

http://d.hatena.ne.jp/rna/20100817/p2#c1282306601

というApemanさんの指摘に対して、リフレが成功したら少なからぬ人が反対するよ、といっても納得してもらえるわけない。それどころか、

>まあ、率直にいって、いまさら右派左派とかよく本人もわかってないような対立軸持ち出して、ある特定の経済政策を主張する人を批判する場合は、1)その主張する人が感情的に嫌、2)別な私的利益を守りたい のいずれかでほぼ間違いないと思う。そうでなければ、ただの古臭い思想ボケ

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/21626737559

なんていう人が主要なリフレ派の一人なんですから。Apemanさんたちがこれまでいろいろ積み重ねてきたものを、こんな風に踏みにじられておいて、それでもリフレ政策推進に協力すべきだなんて言われて、それはいくらなんでもひどいじゃないかと反論すれば、リフレ政策がわかっていないんじゃないかなんて。

もちろん、松尾さんがそうした主張の持ち主でないことはよくわかるけど、こういう言動を批判せず許容しておきながら、リフレ派はカルトじゃないとかいっても、白々しく聞こえて当然。

2008-08-27

奥谷禮子アイヒマン

はてなサヨクの皆様方におかれましては、かつてザ・アール奥谷禮子が放言した「過労死自己責任」、「労基署はいらない」という、典型的というよりももはやギャグになってしまったネオリベ発言は受け入れられないと思います。

では皆さん、アイヒマンについてはどう考えてますか?

彼がユダヤ人絶滅収容所への輸送計画を実行したのは自己責任ですか?

こんな所かな。

ほかにユニークな考え方があれば、トラバブクマで教えてくだされ。

2007-12-27

アイヒマン実験ミルグラム実験スタンフォード監獄実験

ミルグラム実験 - Wikipedia

情況の囚人 ― 1971年”スタンフォード監獄実験”とは

【参考1】ミルグラム実験アイヒマン実験

ミルグラム実験とは、1962年、米イエール大学心理学者、スタンリー・ミルグラムによって行われた人間の服従性を研究するための実験である

実験第二次世界大戦におけるホロコースト研究の一環として、1961年逮捕されたナチス高官のアドルフ・アイヒマン裁判を受け、

「アドルフ・アイヒマンとその多くの部下達は、単に上官の命令によって虐殺をおこなったのか。

彼等を共犯者と呼ぶことが出来るのか」という疑問に応えるべくして行われた


[同調圧力][空気の研究][馬鹿]同調圧力・空気の研究・馬鹿・いじめ

2007-12-05

[][][]同調圧力空気研究馬鹿いじめ

So-net blog:正己の異論・反論:アッシュの実験:同調しちゃう

大津留公彦のブログ2: 「朝日が右を向くと,戦争が始まる」

魚住昭「官僚とメディア」

詭弁の上手い奴が場を支配する

[集団思考]アビリーンのパラドックス

[魔女狩り]200万人とも300万人とも

[多数派][多数決][民主主義]天動説と地動説

多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ

人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。

最悪のものだという証拠は群集なのである。

セネカ

多数者の利己主義 vs 民主主義 - OhmyNews:オーマイニュース

多数者の利己主義・・五木寛之氏の引揚体験から

平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントトラック突破するときでした。

それまで何度も止められましたが、そのたびに時計万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。

それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。

 若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、

結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線が自然と集中するのです。

そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。

みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。

そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。

(中略)

 さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、

ロシア兵から悪い病気をうつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、

こっそり子どもに言う母親がいた。

本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。

戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。

私は日本人でありながら、日本人に対する幻滅が強く涌いて、いまも後遺症が消えません

文芸春秋5月号 対談 五木寛之 藤原正彦

第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発 | Japanese JoongAngIlbo | 中央日報

第2次大戦以前当時、韓国に住んでいた著者は、

日本戦争で負けて本国に帰るとき、自分が見たり経験したりした悲劇を土台に小説を書いたという。

当時11歳だった彼女韓国人たちによって

日本人たちが無惨に殺害、レイプされる場面を目撃したと、小説にはこうした内容が書かれている。

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治』トクヴィル

[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム]

ヒトラー 〜最期の12日間〜 - Wikipedia

ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯く

国民自業自得自己責任)。国民地獄を味わうのは当然の義務。

われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ。』


アメリカ合衆国憲法修正第18条 - Wikipedia

404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり

同じ仕事日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。

搾取者は日本人をクビにして中国人採用し、その際に他の会社競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。

この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。

泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。


Amazon.co.jp: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)): 山本 七平: 本

バカ・馬鹿(ばか) - 語源由来辞典

秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。

群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。


ルサンチマンな日記: 同調圧力礼賛

最近空気とかKY良く聞くが、嫌な感じだ。

例えば、ナチス政権下のドイツスターリン時代のソ連ポルポト政権下のカンボジア

空気読んで行動するってどんなことか考えてみよう。


魚住昭「官僚とメディア」

「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞責任はどうなんだ。

あのとき新聞の論調は我々が弱腰になることを許さなかった。

我々だって新聞にたたかれたくないから強気に出る。

すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」

この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、

私はそれまで新聞軍部の圧力に屈して戦争に協力させられたのだと思い込んでいたからだ。

それが事実でなかったとしたら、私たちが教えられた日本ジャーナリズム史は虚構だったということになる。


暮らし・「茶色の朝」を迎えないために

マルティン・ニーメラー - Wikipedia 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

404 Blog Not Found:臨床いじめ学の教科書

原題直訳の「いじめっ子いじめられっ子、そして傍観者」の方がインパクトも強く、また内容をよく表している。

何と言っても本書の特徴は、いじめ当事者として「傍観者」という存在に着目したことにある。

そう。いじめが成立するには、この第三の存在が欠かせないのだ。いじめに対する介入として行われる行動は、

たいていいじめる者(the bully)への制裁と、いじめられる者(the bullied)への保護補償しかなされないが、

いじめに対して最も効果があるのは、この第三の存在である傍観者(the bystander)を、

「目撃者」(the witness)へと転じさせるというのが本書が提示する数多く処方の中で最も特徴的なものであろう。

Amazon.co.jp: いじめの根を絶ち子どもを守るガイド―親と教師は暴力のサイクルをいかに断ち切るか: バーバラ コロローソ, Barbara Coloroso, 冨永 星: 本


アイヒマン実験・ミルグラム実験・スタンフォード監獄実験

情況の囚人 ― 1971年”スタンフォード監獄実験”とは

【参考1】ミルグラム実験アイヒマン実験

ミルグラム実験とは、1962年、米イエール大学心理学者、スタンリー・ミルグラムによって行われた人間の服従性を研究するための実験である。

実験第二次世界大戦におけるホロコースト研究の一環として、1961年逮捕されたナチス高官のアドルフ・アイヒマン裁判を受け、

「アドルフ・アイヒマンとその多くの部下達は、単に上官の命令によって虐殺をおこなったのか。

彼等を共犯者と呼ぶことが出来るのか」という疑問に応えるべくして行われた


はてなブックマーク - asahi.com:「通報者の責任追及を」申入書 横浜市大謝礼金問題 - 社会

2ch検索:あの子と遊んではいけません

CiNii - 徳島県における人口密度及び学校の規模といじめ・不登校の発生率との関連

いじめと同調圧力 - サムガイズの日記〜You learn something new everyday !〜

【社会】明大応援団リーダー部が廃部解散に

大学側の調査に対し、

関与した学生らは「今までやってきたことがなぜ悪いのか」などと話したため

「部の体質に改善が見られず、自力での再生は無理と判断した」としている。


ツービート「赤信号みんなで渡れば怖くない」 お笑い芸人動画サイト

2007-05-25

この間VIPで見たもの

VIPで知り合った男がウザイ」とかそんなスレタイだった。

若い女の子VIPで出会った若い男に付きまとわれて困っていた。

彼女はそれをネタにしてスレを立て、安価で男を駆逐しようとしたのだが、

安価にことごとく失敗し、元々その気ありまくりだった男を挑発、誘惑する。

そして男を自分の家に招いてしまう。

近くに住んでいて、彼女の自宅の場所も知っていたらしい男(家教えてる時点で不用心…)は喜々として直行

男のメールの内容は「楽しみだなぁ☆いっぱい気持ち良(ry」とか終始そんな感じ。

で、男が到着。ベル何度も鳴らす。

そこまでは他人事の様に淡々メールのやり取りを実況していた彼女だったが、

急にレスが落ち着かなくなる。「どうしよう」「こわい」「たすけて」。

それから唐突に「警察呼びました。」「今呼ばれたんで行ってきます、すいませんでした。」

というレスを残して消える。

その後はどうなったか知らない。

続きがあったネタなのかもしんないけど、これ本当だったらどうなのよ。

アイヒマンテスト思い出したよ。

安価で指示されたら何してもいいって訳じゃない事、本当にわかってんだろうか。

これで女の子の身に何かあったとしても自業自得だし。

こういう他人を巻き込む安価遊びって大体ネタだと信じたい。

VIPPERマジレス

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