学生時代にアイヒマンという人物を知った。以来、アイヒマンのようにはなるまいと思いながら暮らしてきた。つまり、可能な限り悪者になりたくないのだ。だが悪者になりたくない人間は自己本位で未熟な人間であるという。その結果か、私は成熟した人間になり損ねているとも感じることが少なくない。
今の私を表現するとすれば「僕にその手を汚せというのか」という一言に尽きる。まだ「僕は悪にでもなる」「おぬしも悪よのう」という境地には至っていない。別に悪者になる必要はないのだろうが、おそらく悪を何らかの形で受け入れる必要があるのだろう。だが曽野綾子のような思考様式を持つことが成熟であるなら、受け入れることは出来ない。
もちろん未熟な人間のまま一生を終えるという選択肢もある。しかし不治の病や不慮の事故で夭折する覚悟も無ければ、未熟な人間のまま百歳まで生き抜くだけの気概もない。どうしたものか。