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『さんかれあ』という漫画がある。とても面白かった。面白い物を読んだら、その面白さについて語り合いたい。だけど俺にはそんな気の利いた友達は居ないから、いつもはネットで他の人の感想文を読んで満足することにしている。だけど、『さんかれあ』については、ちょっと検索した程度では語っている人が見つからない。だから俺が書くことにした。増田に。この感想文を読んで、一人でも多くの人が、この作品を手に取ってくれたらいいな。
では早速『さんかれあ』の魅力を語って行きたいのだが、ネタバレなしで語ることはできないので、そういうのが気になる人は先に『さんかれあ』を読み終わってから続きを読んで欲しい。
などと言うだけで本当に本が売れるなら苦労はないので、まずは立ち読み感覚でこの物語を紹介をしようと思う。
主人公はゾンビが大好きな男子高校生。死んだ飼い猫を生き返らせようと、廃墟で夜な夜な怪しい書物を元に蘇生薬を調合していた。その夜も薬の調合に精を出していると、同じく人に言えない秘密を抱えたヒロインと出くわす。ヒロインは良家のお嬢様なのだが、父親の偏狭的な愛から来る過度な束縛と、性的虐待ともとれる行為に打ちひしがれ、しかし誰にも相談できずに、ただ古井戸に向かって内心を叫ぶことで心のバランスを保っていた。彼女も主人公の作っている蘇生薬に惹かれ、二人は薬を作るため深夜に密会するようになる。それを知ったヒロインの父は二人の仲を引き裂こうとするが、逆に不慮の事故から彼女を死なせてしまう。だがなんと、主人公の作った蘇生薬を飲んでいたおかげで、彼女はゾンビとして生き返ったのだった。これは人の道を外れ、やがて腐り果てる体となりながらも、ゾンビとして刹那の人生を楽しもうとするヒロインと、その期望を叶えながらも、彼女を救う道を模索する主人公が織りなす、ボーイ・ミーツ・ガールな、ちょっとラブコメで、だいたい妖艶にエロくて、けどちょっと物悲しい、そんな青春物語──
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では、以降は『さんかれあ』を読み終わったことを前提にして語っていこうか。この物語は難病系の一種である。サナトリウム文学って奴である。俺は『世界の中心で、愛をさけぶ』とか『イリヤの空、UFOの夏』とかも好きだ。我ながら分かりやすい消費傾向である。パターン一緒じゃん。けど好きなのだから仕方がない。
しかしその二つと違って、『さんかれあ』は読んで号泣してしまうような物語ではなかった。端的な表現をするならば、読めば自然に目に涙が滲んで、でも流れない。そんな物語だった。思うに、これは登場人物に感情移入できないことが理由ではないか。だって俺はゾンビっ娘に萌えないし、好きな人を食いたくなって葛藤することもないし、千紘にも礼弥にも感情移入は難しい。だから、自分事ではなく他人事として物語を眺めることになるし、きっとどこか遠い世界でこんな美しい物語があったのだろうかと思うと、憧れや寂しさが複雑に混ざり合って、心臓の裏側と背骨の間にシンシンとした冷たい痛みを感じるのである。ああ、たまらない。
ひとまずは物語の全体の流れを振り返ってみることにする。『さんかれあ』は全11巻の物語で、展開はわりとはっきりしている。序盤はヒロインの家庭関係における悩みが原動力になって物語が進み、一応の決着を得る。中盤はいよいよ難病物の顔が現れてきて、主人公たちの奔走も虚しく終盤に悲劇が訪れる。
各巻ごとにもうちょっと詳しく展開を追うと、1巻目は起承転結の起で、千紘と礼弥の出会い、礼弥のゾンビ化という物語の中核を担う事件が起こり、暗に陽に物語の今後の方向性が示される。2巻目ではこの作品におけるゾンビの設定を読者に紹介しつつ、ヒロインの父親と対決し、勝利する。3巻目ではダリンからゾンビの運命が告知される。4巻目で礼弥に症状が発症し、5巻目で奇跡的な回復から小康状態を楽しみ、呑気にラブコメなんてやって、ずっとこのままでいられるかと思わせておきながら、6巻目ではばーぶを使って、千紘に生な体験としてゾンビの宿命と礼弥の未来の姿を見せつける。7巻目から8巻目でZoMAに出向いて謎の巨大な組織との戦いを経験しつつ、新たな希望を提示して、9巻目から10巻目で残っていた謎に説明を着け、その間にも礼弥の病状は深刻化し、ついに日常は崩壊し、11巻目でバッド・エンドかと思わせながら、どんでん返しでハッピー過ぎないハッピーエンド、となっている。
俺は何かと戦う姿を書いた物語が好きである。戦うとは、今の自分の境遇を少しでも良くしようともがき苦しむことである。結果として自分も人も傷つくかもしれない。だが止めるわけにはいかない。そういう、どうしようもない衝動の事である。
『さんかれあ』には主に二種類の戦いを描いた物語である。一つは自分を取り巻く周囲の人間関係との戦い、そしてもう一つは死別という生命にとって避けられない運命との戦いである。物語の始めから終わりまで、一貫して千紘は死別と戦っている。普通の難病物では、死にゆく人を死なせないために戦うのであるが、この物語では既に死んだ人を取り戻すために戦うのが、オリジナリティであり哀愁を誘う仕掛けである。一度死んだ者に仮初の生を与え、やがて失う事の決まっている仮初を、どうにか逃すまいともがくのである。生きる者は全て死ぬ。その絶対的な運命を一度回避してしまった代償に、二度目の死別はより悲劇的で凄惨な物として描かれている。
この戦いの周囲を彩るように登場人物の様々な戦いが描かれる。礼弥は父の強すぎる愛情と戦い、わんこは恋敵と戦い、ダリンは父の気を引くために戦い、じーちゃんはあらゆる死別と戦い、戦い、戦い疲れて引退している。
面白いのはこの物語に描かれたぞれぞれの戦いは、全部バラバラに並列に起こっている戦いであり、基本的に全員が自分の戦いは自分でケリを着けているところである。千紘は他の登場人物の戦いに巻き込まれはするものの、せいぜい手を貸すといった程度で、最終的な幕引きは必ず本人が行っている。例えば序盤に大きなウェイトを占める礼弥とその父との戦いだが、千紘は父側に拉致されたために巻き込まれる形になったが、本人が積極的に散華邸に乗り込むようなことは無かった上に、父の妄執を断ち切ったのは礼弥自身である。千紘が能動的に行動するのは、自分がゾンビにしてしまったばーぶや礼弥に関してのみである。これらの戦いがその時々で出たり引っ込んだりして、作品全体の緊張感を一定に保ちながら物語は進行する。
分析してみると、俺はこういう、死別と戦う話が好きなんだなぁと改めて思った。
さて、物語の骨格を分析してみたけれど、ちょっと理屈っぽくて退屈な感じになってしまったから、今度は物語の肉にあたる部分を見ていこう。いくらご大層なテーマがあっても、作品に魅力が無ければ読まれやしない。この物語を読者に読み進めさせる魅力は、やはりヒロイン、散華礼弥がとびっきりかわいいからだ。壮絶に色気を醸している。まじやべえ。
彼女は死のメタファーである。第1話の1ページ目からして腹から腸はみ出させている。まじやべえ。次の登校中の登場シーンではありきたりな、つまらない美少女キャラかな? と思うが、千紘が蘇生薬の調合なんつー怪しい作業をしている雰囲気の中で再び現れ、傘から死んだような顔をのぞかせて、何をするのかと思えば井戸に向かって大声で愚痴を叫びだす。この落差にくらくらする。静から動の変化。死から生への変化でもある。しかも、実の父親に裸の写真を撮られているらしい。アブノーマルで背徳的で、ひたすらエロい。エロいが見た目は清純キャラだ。というか彼女はエロくない、ただの被害者だ。同情すべきだ。だがしかし、劣情をかきたてられるのは、いたしかたない。
そんで、胸チラしながら千紘と一緒に蘇生薬を作りたいとか言い出す。死体をゾンビとして生き返らせる薬なんて、イケナイ物を作る作業を、一緒にやりたいとか言うわけだ。背徳的だ。こんなの絶対に二人だけの秘密だ。美少女と誰にも言えない秘密を共有? たまらんがな。優越感と自己肯定感をかきたてられる。羨ましいな!
そしてこの短いやり取りの中に「死んで別の人間に生まれ変わりたい」「実験台になってくれよ」「私がゾンビになったら」などと不穏なセリフが散りばめられている。第1話の最後のページも、可憐な笑顔と不吉なモノローグが対比して、どえらい色気なのである。なぜだろう。スイカに塩をかけると甘くなるのと似た原理かもしれない。うん、やっぱ影のある美少女っていいよね!
もーこれだけでもノックアウトなのに、第2話もエロかわいい姿を見せてくれる。特に千紘にゾンビとして生き返らせてくれと頼む時の表情はたまらない。何かを思いつめているわけだが、一度死んでゾンビとして生き返る、なんて眉唾であまり気分の良い話じゃないものを真剣に頼む様子に、やはり死のイメージを感じる。紫陽花で作った蘇生薬をばーぶに飲ませるが、生き返らなかった。そこには静かな、ただただ静かな死が表現されている。そして夜出歩いていたのを父に見つかり、自宅での軟禁生活が決まった彼女は、その夜、涙を流しながら紫陽花の毒で自殺を試みるのだ。なんともいじらしい。
そしてついに事は起こり、彼女は崖から転落死する。そのシーンがまた凄い。彼女は落下の途中に腹部を木の枝に引き裂かれ、血まみれになりながらも立ち上がり「責任取って…下さいね…」と来るのである。言うまでもなくこれはセックスを暗示する。しかも処女喪失である。暗示されているのはセックスなのに、しかし実際に描写されているのは腸のはみ出た死体である。ここで脳の認識野が多少の混乱をきたす。この混乱の結果生まれるのが、ゾクゾクするような壮絶な色気である。今まで丁寧に積み上げられてきた描写が、この血まみれの満面の笑みに集約して、散華礼弥というキャラクターを固定する。読者は完全に恋に落ち、もはや彼女から目が離せなくなる。
こうして『さんかれあ』という作品の最大の魅力が作られたというわけである。ゾンビになった彼女はむしろ生き生きとして、短くてもいいからささやかな幸せを楽しみたいと言う。いい娘すぎる。いじらしい。かわいい。それでいて、意識の混濁したゾンビとして、欲求に素直な妖艶な姿を見せたりする。たまらない。また、この表現は楽しい時間が限られている事を否応なく読者に思い知らせ、切なさを一層かきたてる。この思いは彼女の体に、癒えることのない傷が増えていくに従って強くなる。彼女は必ず失われるのだ。ああ、悲しい。切ない。彼女と一緒にいる、今この時が尊い。
もちろん魅力的なキャラクターは彼女だけではない。千紘の幼なじみにして姉さん女房役のわんこは、生のメタファーである。ゾンビとなった礼弥とは対称的な存在である。生きた生身の女なのだから当然である。それだけでなく彼女は千紘や礼弥が落ち込んでいたり、物語の分岐点で、彼らを引っ張り上げる役割をする。死の世界から救い出してくれるのである。
ダリンは患者に病状をつきつける医者の役割をする。甘い事を一切言わない恨まれ役でもある。だが間違った事も言わない筋の通った人間である。
じーちゃんもまた、いい味を出すキャラクターである。最初に蘇生丸を調合し、全ての物語の元凶となった人物。一番最初に礼弥を見た時、彼女を貞と呼び、「わしが悪かった」と謝っているが、後になってこのような細かな伏線がきちんと回収されるのが心地よい。普段はボケているのに時折見せる鋭い視線にも魅せられる。いくつもの死別を乗り越え、傷つかなくなっているのではなく、傷を飲み込み共に生きる事を覚えた成熟した男を思わせる。最期に元妻のゾンビと一緒に逝くシーンは思わず涙ぐむ。
書ききれないが他にも魅力的なキャラクターが満載である。このキャラクター達が魅力的な物語を作っているのである。
さて、長々と語ってかなり満足した。『さんかれあ』面白いからみんな読むといいよ! ああきっと、紫陽花を見る度にこの物語思い出すんだろうなぁ。
俺たちが止めるのも聞かずに、タカピー女が某国に旅行にいってかなりひどいことをされて帰ってきた。
言わんこっちゃない。
俺もざまぁと思った。
うざかったタカピーも収まって、俺はよっぽど、よくやってくれたって気でいた。
だけどそこにネトウヨ男がつけこんだ。
傷口に塩と胡椒と一味とレモン汁を隠し味にすりこんで1時間寝かせてオーブンで焼きあげるような、
なにもそこまで言わないでも、というようなひどいことを言っていた。
こりゃーいくらなんでも、ブチキレあるなと見ていたが、何もなかった。
むしろ逆に、女の方がどんどん萎れていった。
俺の知らない所で上下関係を覆す何かが進んでいたような。
何とは言わないけれど。
けどあいつ童貞だし、そんな勇気ないから、思いすごしかもしれない。
自分を襲った不幸には意味があった(自業自得だと思うが)と信じているようだ。
洗礼を受けたとか、神の意思とか、歴史の必然とかヤバい目で言っている。
聖母マリアの処女妊娠とからめて、おかしなメンタリティになっている。
ネトウヨ男から刷り込まれた知識とからまって、どす黒いえらいことになってる。
このままほっといたら、大阪であった日本人を狙った通り魔の逆バージョンな事件でも起こしそうで怖い。
今すぐ縁を切って逃げるべきだと思う。
だけど、未然に惨劇を避けるために何かするべきだとも思う。
俺はどうしたらいいんだろうか……
なんでも、父が箱買いしたトウモロコシ茶を妹がおすそ分けしたとかで、そのお礼にわざわざ手土産をぶら提げて参上した。
たかがペットボトルのお茶程度で、家に上がりこんであいさつをする、というのはいささか大仰な気がする。おそらくY氏の本当の目的はお礼を言うことではなく、うちの両親に直接会って「娘さんとお付き合いしています」と真正面から告げることにあったんだろう。
兄である僕は29歳の真正童貞なのでその辺りの機微には疎いんだけれど、Y氏は御歳37歳で、妹とは十近く歳が離れているから、交際する上で不安や焦燥感があるんだろう。そうでなければ、交際一年未満で彼女の実家にあいさつに来るとは思えない。
自分が年上の「オジサン」であるという自覚があるからこそ、不安なのだ。いつ妹がほかの若い男になびくか知れたもんじゃないし、家族からも「そんな年配と付き合うな」と釘を刺されるかもしれない。
だから牽制としてわざわざ理由をつけて会いに来た。彼女の親に会って認められれば、家族の心証もよくなるし、彼女の方も気軽に袖にできなくなる。ゲスの勘繰りかもしれないが、アラフォーともなれば、結婚を焦ってもおかしくない。とくに妹は男をとっかえひっかえするタイプの女性なので、なおさら足元を固める方へと気が急くんだろう。
なんてことを考えるうち、だんだんY氏と顔を合わせるのが億劫になってきたので、部屋に引っ込んで顔を合わせることなくわんこを抱いてすごした。正直、家に親戚が遊びに来たときのニートみたいな気分だ。頼むから呼ばないでくれ、と思いながら、布団にくるまってぷるぷる震えてすごした。
わんこもふりたい。
わんこまみれになってもふりたい。
お迎えの車のなかでぐいぐい鼻を押しつけられたい。
車を降りたら、ぶんぶん尻尾を振って飛びついてこられて、思わずよろめきたい。
お帰りの挨拶がすんだら、そそくさとボールをくわえてきて、「ボール投げマシン、かけつけの一投をはよ」的な催促を受けたい。
抜け毛のシーズンにはブラッシングしたい。ぼそっとなったところの毛を指で抜くのは楽しいけど、それはほどほどにしとく。
今日みたいな強風のなかだって、一緒に1時間ぶらぶら散歩したい。
ちょっと気温が高くなると、途中で一休みが必要な歳になったけど、一緒にしゃがんでのんびり待ちたい。
しょっちゅうもふっているけど、健康状態も同時に見ているんだよ本当だよ。
急激に体力が落ちたときには、トイレも散歩もちゃんと面倒をみたい。
ジャンプできなくなったり、こけたりするけど、笑ったりしないよ。
ここで見守っているからねと、ぎゅっとしてあげたい。
でもできるかぎり長生きしてほしい。だからできるだけ一緒にいよう。
あーわんこもふりたい。
もふりたい。もふりたい。
寺子屋を経営する管理人。「黒わんこ」こと抑うつ神経症の治療中。
テクストと戯れずにはいられない活字狂。虚構新聞社主・日本ひよこ党選対本部近畿事務長を兼任。
【好きなもの】
まんが:金田一蓮十郎、ゴツボ×リュウジ、小田扉、犬上すくね、山名沢湖、岩岡ヒサエ、オノ・ナツメ、浅野りん、TAGRO、冬目景、おがきちか
その他:ヴィレッジ・ヴァンガード、モンティ・パイソン、無印良品、ソニー
本来、こういう趣味やパーソナリティの人が、ああいう芸風に手を出したのが間違いだったのではないかと。
もう少し心身共にタフな人でないと。
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何やら虚構新聞が話題になってるのを見かけ、ふと思い出して久しぶりにUK氏の個人サイト「楠木坂コーヒーハウス」をのぞいてみた。
http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/
まだサイト生きてたんだ…
ここでやってたエイプリルフールのネタ記事路線を煮詰めて作られた姉妹サイトが虚構新聞、という流れだったっけ。
2000年代前中半の日ハム助っ人外人の名前がネット上で表記ブレてる状況を調べる企画(http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/eche.html)とか、ドラクエの一人クリア日記(http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/dq_mokuji.html)とかわりと素朴な、いい意味でどうでもいいことやってて微笑ましい感じ。
いまは虚構新聞でどこかユーモア精神にこじれが出てきてたり商業ライターっ気を帯びてしまってたりもするけど基本のノリはこういうのなんだろうね。
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んで、けっきょくUK氏ってどんな人なんだったっけとサイトの自己紹介ページを確認。
(http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/writer.html)
■■■■以下抜粋■■■■
寺子屋を経営する管理人。「黒わんこ」こと抑うつ神経症の治療中。
テクストと戯れずにはいられない活字狂。虚構新聞社主・日本ひよこ党選対本部近畿事務長を兼任。
【好きなもの】
まんが:金田一蓮十郎、ゴツボ×リュウジ、小田扉、犬上すくね、山名沢湖、岩岡ヒサエ、オノ・ナツメ、浅野りん、TAGRO、冬目景、おがきちか
その他:ヴィレッジ・ヴァンガード、モンティ・パイソン、無印良品、ソニー
■■■■抜粋終わり■■■■
ああ、そういえば書評ではご自身の抑うつ神経症状についても引き合いに書いておられたなあとまた思い出す。
(このへん→ http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/dokusyo_05_1.html)
虚構新聞がブレイクしてからはあんまりうつについての自己言及はしてない印象だけど(ツイッターはフォローしてないのでそこでは何か言ってるのかな?)、最近の批判への反論というか愚痴の文にはちょっとピリピリしたものが漂っていて、私は氏とはまったく関係ない身ながら軽く心配にもなった。
まぁいいや。
★☆ 子なし=子孫を残していない観点 ☆★
こどもがいないという観点でいえば、結婚していても同じ。家事労働しているかどうかという点を配慮しろってことなのだろうか。いまどき男子は家事もできるし、逆に家事くらいできなくて子なんかできたら共稼ぎ=いえぐちゃぐちゃの共倒れか、単独稼ぎ=経済的に共倒れになりかねない。
だが、子のありなし=種の保存でいえば、子なしの男性も同じのはず。
ダウン症についてはよく語られるが、
「50歳を超えてから父親になった男性が自閉症の孫を持つ確率は、20代前半に父親になった人たちに比べて67-79%高く、自閉症のリスクは世代を超えて蓄積し得る」
http://blog.goo.ne.jp/kitaryunosuke/e/83fd7b4d481eba0c2c403b95106f129a
↑読みやすい対訳
なわけで、つまりだらだら結婚しないでいる男性は、自分の孫に対して無責任な行動をしているといえる。自分の子ではない分だけ、無責任にもほどがあるとすらいえる。
★☆ 仕事 ☆★
転職についても同様。50過ぎてまともな転職ができる男性っていったい日本人男性の何割だろう?
事業を起こすっていっても、それだけの信頼や体力があるのか? ってのも含めて。
大企業であれば、年功序列もまだ残っている。給料は下がらないまま定年まで行かれるかもしれない。
だが、その給料に見合う仕事をしているか、40代男性と比べてみた場合、? な人がたいていじゃないだろうか。
だとしたら給料泥棒ってことになる。大金を運ぶという意味で家庭では価値があるが、社会的には価値がない、ないというのがいいすぎなら、ぐっと落ちている。
ってなことを考えたら、子なしだから生きる価値がないというのは男女とも一緒。
この辺は住宅密集地でアパートやマンションも連なってる。きっとペットも禁止されてるだろう。
まぁうるさくもなく、臭くもなく、なら別に文句も言わないよ。
しかしその家の犬がアホかっていうくらい吠える。吠えるというか最早悲鳴。虐待を疑うレベル。
時折飼い主の怒声も聞こえる。そのあとにわんこの悲鳴とか虐待してるでしょ…って思わざるを得ない。
でも「虐待してるかも」というだけでなんの確証もなく1年ほど経った。
相変わらず毎日わんこの助けてと言わんばかりの悲鳴が聞こえる。
一回、ベランダで狂わんばかりに鳴いているわんこの首根っこ掴んで無理矢理部屋に戻した飼い主の姿も見たけれど、それを写真に収めたわけでもなく虐待しているという証拠にもならない…。
某質問サイトでの回答は「騒音として届け出るしかない」と言われたんだけど、これ飼い主が「躾です」って言ったら終わりじゃね?っていう。
さてはてどうしたものか。
取り敢えず…その飼い主は犬を飼う資格はないだろうな、と思う。
騙される人は何度でも騙されます。
運が悪かったから仕方がない。
相手が強引だったか仕方がない。
彼らに共通しているのは、それらの経験を「なかったこと」にしてしまうことです。
さて、民主党とはなんだったのか、さらに、なぜ民主党に政権をとらせてしまったのか、という総括がなされないままになっている「今」が、なんだか危ない気がします。
もちろん民主党が政権をとったことで「ほら見たことか!言わんこっちゃない」とういう状況がたくさんあった訳ですが、
その根本である「なぜ民主党に政権をとらせてしまったのか」という部分の総括が“マスメディア自身の手によって”なにひとつなされていないこの状況って、大丈夫なのか?
「なぜ民主党に政権をとらせてしまったのか」ということを苦しくても覚えておいて、民主党でもなんとか党でもいいですが、名前が新しくなっただけの似たような政党で同じ轍を踏まないようにしなくちゃいけないのに、マスメディアの「なにか」が機能しなくなっているこの状況は、自民党とか民主党とか右とか左とかウヨとかサヨいう以前に、相当にやばい。
(;´Д`)「つか、落とし先のサイトが潰れたらどうすんのよ?」
(;´Д`)「まあ、それで満足してるんなら別にいいけどさ…」
(;´Д`)「ああ、やっぱり潰れたか。って…」
【社会】集え!出会い求める男女…盛岡で1000人気規模の大型“街コン”開催(男性6500円、女性3500円)
1 : ◆SCHearTCPU @胸のときめきφ ★:2012/01/23(月) 07:29:32.93 ID:???0 ?PLT(12556)
街ぐるみで催す巨大なコンパ“街コン”が各地で花盛りとなる中、盛岡商工会議所は来月9日、
市内35の飲食店と協力し、1000人規模の街コンを企画、参加者を募集している。
イベント名は岩手名物「わんこそば」にかけて「わんこン」。沿岸被災地から男女それぞれ
30人も招待する予定で、男女定員各500人、20歳以上なら誰でも参加できる。
盛岡商工会議所は「県産、特に三陸産の食材をふんだんに使った料理でもてなし、
当日は午後7時スタート。受付後、協賛店に移動し専用の相席で県産の酒や三陸の幸が
飲み食いし放題。1店舗1時間以内の制限で、午後11時までなら何店でも回れる。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/23/kiji/K20120123002489290.html
いつも思うんですが、何で金額に差があるんでしょうか。