はてなキーワード: 「和」とは
もはや精神病だと思う。
こう見るとやっぱ命令の令って印象が強いなぁ、和をいいつける的な。
命令とか令状とか訓令とか法令とかってイメージがあるなぁ。こりゃ、国や政治の権限が強くなりそうだな。
冷たい感じがする
俺の命令下で和せ(和さない奴は非国民)みたいに受け取るのはアベフォビアでしょうか?隷倭になりたくはないね。批判なき政治に近づいた?
俺の命令にしたがって、和やかにやってくれっていう印象を受けるのは自分だけ?
これは「(どんな無茶でも)命令は和やかに承りなさい」という意味で良いのでしょうか?
LとRがわかりづらい
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/judi/forum/forum17/17f013.htm
今のお話の中の「和風基調」ですが、実際に市街地計画課で打ち合わせをしますと、やはりより「和」を基調に、より「和」っぽくという指導をどうしても受けます。
そんな中で、少し話は変わるのですけれども、お客さんと打ち合わせする際に、やはり「京都市は「和」です」という説明は大変しやすい。やはり今京都の中で「和」は必要なんですという話はできるのですが、じゃあ「和」って何なんだというときに、じゃあ瓦なのか、格子なのか、真壁なのかという話で、どこまで押していくべきなのかという事と、コストとのバランスが、我々の場合にはどうしても出てきますので、そこがいつも悩む所なのです。
http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000146/146248/gaitorain-1216.pdf
せっかくなので次の元号について統計的なアプローチで予測したいと思う
飛鳥時代の大化から平成まで元号は248種類あるが使われた漢字は72種類しかない
一覧にするとこんな感じ
大化白雉朱鳥宝慶雲和銅霊亀養老神天平感勝字護景応延暦同弘仁長承嘉祥寿斎衡
安貞観元寛昌泰喜徳康保禄永祚正治万久文建福禎乾亨中武興国授至明享吉政昭成
そして室町時代の文安(1444年)から大正(1926年)までの500年弱の間、
「寛政」を除く全ての元号が今まで元号で使われてきた漢字の中から選ばれている一方で
「昭」と言う漢字は昭和まで「成」と言う漢字は平成まで使われたことがなかった
「昭和」以降は既存の漢字だけでは組み合わせがそのうち枯渇するため
一方で「平」は今までに12回、「和」は今までに19回元号に使用されたことがある
参考までに元号に使われた回数の多い漢字ランキングも貼っておく
1位 永 29回
2位 天、元 27回
4位 治 21回
5位 応 20回
これを踏まえると新しい元号も、「今まで元号で10回以上使った事のある漢字と
使った事のない漢字から1文字ずつ取るのではないか」と素人ながら予測できる
これに加え、イニシャルが被らないとか画数が多すぎないとかの条件を踏まえて
「 光 文 」 で す ! ! !
「聖人南面して天下を聴き、明に嚮ひて治む」というこの言葉は、過去の改元の際に江戸時代だけで8回、計10回候補として勘案されているが、通算11度目にして採用された。岩倉具視が松平慶永に命じ、菅原家から上がった佳なる勘文を籤にして、宮中賢所で天皇が自ら抽選した。聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味である。
「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨りて以て正しきは、天の道なり)から。「大正」は過去に4回候補に上がったが、5回目で採用された。
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓昭明にして、萬邦を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。なお、江戸時代に全く同一の出典で、明和の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。
新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」(明)など、外国の年号や13代成務天皇の諡号には使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。
http://mikado-bunko.jp/wp-content/uploads/2018/05/3025bcae9d232990ea364a15905396c4.pdf
安延, 安化, 安寛, 安観, 安慶, 安恒, 安治, 安長, 安徳, 安寧, 允徳, 永安, 永基, 永吉, 永光, 永康, 永錫, 永受, 永昌, 永世, 永清, 永大, 永貞, 永禎, 永同, 永寧, 永平, 永宝, 永命, 永明, 永隆, 延化, 延嘉, 延弘, 延寿, 延祥, 延仁, 延世, 延善, 延禄, 延祚, 応寛, 応観, 応久, 応元, 応平, 応宝, 応暦, 応禄, 応烋, 嘉延, 嘉享, 嘉恵, 嘉康, 嘉高, 嘉彰, 嘉仁, 嘉政, 嘉長, 嘉徳, 嘉福, 嘉文, 嘉猷, 会同, 皆安, 開成, 乾永, 乾亨, 乾綱, 乾天, 乾徳, 寛安, 寛応, 寛化, 寛久, 寛恵, 寛承, 寛寧, 寛裕, 寛禄, 漢徳, 監漢, 監徳, 観国, 観仁, 観徳, 含弘, 喜慶, 喜元, 喜文, 義同, 久応, 久化, 久治, 久承, 久長, 久徳, 久保, 久暦, 久和, 休祐, 休和, 享安, 享延, 享応, 享久, 享寿, 享正, 享長, 享封, 享宝, 享明, 協中, 協和, 恭明, 興化, 興徳, 興文, 欽永, 慶永, 慶延, 慶治, 慶仁, 慶成, 慶徳, 敬徳, 継天, 継明, 堅永, 建安, 建嘉, 建光, 建功, 建寿, 建初, 建承, 建正, 建聖, 建太, 建大, 建中, 建貞, 建定, 建福, 建文, 建平, 建万, 建明, 建禄, 建和, 顕応, 顕嘉, 顕祥, 元安, 元延, 元化, 元嘉, 元観, 元喜, 元吉, 元功, 元康, 元初, 元聖, 元長, 元貞, 元寧, 元宝, 元万, 元竜, 玄通, 光文, 功永, 広運, 康楽, 康承, 康長, 康徳, 康寧, 康文, 康豊, 康万, 弘永, 弘応, 弘建, 弘元, 弘徳, 弘文, 弘保, 弘暦, 恒久, 洪徳, 高克, 祉長, 至安, 至元, 至治, 至正, 至聖, 至平, 治延, 治応, 治建, 治昌, 治政, 治定, 治徳, 治平, 治万, 治和, 寿延, 寿考, 寿長, 寿徳, 修文, 柔嘉, 俊徳, 淳紀, 淳仁, 淳徳, 順安, 順応, 順享, 順治, 順明, 承延, 承寛, 承慶, 承天, 承統, 承寧, 承宝, 承禄, 昭応, 昭化, 昭建, 昭長, 昭徳, 祥応, 祥久, 祥見, 祥和, 章明, 紹明, 慎徳, 神化, 神和, 仁永, 仁応, 仁化, 仁興, 仁厚, 仁昭, 仁成, 仁政, 仁正, 仁長, 仁保, 仁宝, 仁豊, 仁養, 垂拱, 瑞応, 成功, 成治, 成徳, 成和, 政化, 政教, 政至, 政治, 政善, 政徳, 政平, 政和, 正永, 正化, 正観, 正吉, 正建, 正弘, 正仁, 正万, 正禄, 盛徳, 斉治, 斉泰, 斉徳, 斉万, 戴徳, 泰和, 大安, 大応, 大嘉, 大寛, 大観, 大喜, 大亀, 大亨, 大慶, 大元, 大康, 大弘, 大初, 大承, 大仁, 大政, 大中, 大長, 大寧, 大武, 大平, 大万, 大暦, 大禄, 地寧, 中興, 長育, 長永, 長応, 長嘉, 長観, 長喜, 長慶, 長寿, 長祥, 長仁, 長正, 長寧, 長平, 長万, 長養, 貞嘉, 貞吉, 貞久, 貞亨, 貞勝, 貞正, 貞徳, 定業, 定保, 廷正, 禎応, 禎祥, 天嘉, 天寛, 天観, 天亀, 天久, 天求, 天享, 天興, 天業, 天啓, 天恵, 天健, 天建, 天弘, 天受, 天寿, 天順, 天叙, 天澄, 天成, 天政, 天静, 天節, 天聡, 天大, 天秩, 天貞, 天定, 天統, 天同, 天寧, 天佑, 天悠, 天祐, 天隆, 天烋, 天祚, 同徳, 同和, 得寿, 徳安, 徳永, 徳延, 徳化, 徳嘉, 徳久, 徳建, 徳元, 徳寿, 徳仁, 徳政, 徳斉, 徳善, 徳保, 徳暦, 徳禄, 徳和, 徳祚, 寧永, 寧延, 寧治, 寧長, 寧和, 能安, 能成, 武功, 福応, 文嘉, 文寛, 文観, 文享, 文建, 文元, 文功, 文康, 文弘, 文始, 文承, 文昭, 文祥, 文仁, 文長, 文定, 文同, 文平, 文邦, 文万, 文隆, 文熙, 平康, 平章, 平泰, 平和, 保嘉, 保貞, 保徳, 保寧, 保佑, 保禄, 保和, 輔徳, 宝安, 宝観, 宝承, 宝仁, 宝文, 万安, 万永, 万応, 万喜, 万弘, 万祥, 万長, 万貞, 万徳, 万寧, 万福, 万保, 万宝, 万禄, 万和, 明安, 明化, 明享, 明教, 明建, 明順, 明政, 明徴, 明長, 明定, 明保, 明宝, 明万, 靖寛, 有治, 容徳, 用保, 陽安, 養寛, 養元, 養治, 養寿, 養仁, 養万, 立成, 立徳, 隆治, 竜徳, 令徳, 礼道, 暦久, 暦長, 暦万, 暦和, 禄永, 禄長, 和元, 和政, 和同, 和徳, 和寧, 和平, 和保, 和宝, 和万, 和暦, 咸章, 咸定, 咸寧, 咸保, 咸和, 洽和, 祟徳, 秉徳, 綏禄, 遐長, 雍和, 熙康
元号の条件とされているのは以下。
さらに
あたりは追加して良さそう。
そのうえに
といった推測ができる。
過去の落選候補をこうした条件のもとで選り分けていくと、「永」「久」「仁」「文」あたりの漢字が単純で分かりやすい感じがする。
平和志向については、「平」「和」が既に使われており、「安」がNGなので、「康」「寧」あたりを(どちらも画数が多くて「寧」なんかは特に避けられる気も)。
半角スペース区切りで検索すると二つの漢字が近い位置にある文章が出てくる。
候補をいくつか並べていく。
永康兆民
可久則賢人之徳
久しかるべきは、すなわち賢人の徳。
君子体仁足以長人
君子は仁を体すればもって人に長たるに足る
君子の心構え系。
文王康之
いまどき文王って…みたいになりそう(でも五経とかで「文」っていうとだいたい文王なんだよな)。
文王卑服,即康功田功
文王服を卑しくし、康功田功に即けり。
同じく周の文王系。
いやあ、難しくない?
どれも一長一短でピンと来るやつがないわ。
検索したのは「経典文献」カテゴリのみだけど、「史書」のほうまで検索しないと良いのはないかもしれない。
落選候補以外かつ五経以外から個人的に考えるなら、史記の「偃武行文」から「行文(ぎょうぶん)」なんてどうだろうか。
というのも、書経の「偃武修文(武を偃せて文を修む=戦争をやめて学問を修める)」から「修文」というのが「平成」と並んで候補になったんだけど、昭和と同じイニシャルだから落選してしまったという話があり、それなら同じ意味の「偃武行文」から取ればイニシャル問題は解決できるんじゃねーかなって思ったから。
まあそれはあるんだけど読みを変えればセーフということにしたい。
あと前の候補の「修文」もそのまんま「学問を修めること」だから、それが候補になったということはありなのかなって。
ここまで頑張っても「天皇の諡号となるからには『徳』は避けられる」というとこに気付けない増田であった - mahalのコメント / はてなブックマーク
「徳」は祟りそうな天皇に与える慣習があり縁起が悪いから、明治天皇が倒した徳川の「徳」だから、皇太子が「徳」仁親王だから、の三つを考えたけど、どれのことを言っているのか分からなかった。
でもいずれにせよ確かに避けそうだと思ったので「徳」は無いのかなあ。
優勝:中亀
準優勝:万化
3位:老感
4位:霊鳥
5位:王貞
6位:中吉
7位:白雲
8位:天国
9位:成吉
10位:大中
【10回以上】
「永」29回、「元」27回、「天」27回、「治」21回、「応」20回、「正」19回、「長」19回、「文」19回、「和」19回、「安」17回、「延」16回、「暦」16回、「寛」15回、「徳」15回、「保」15回、「承」14回、「仁」13回、「嘉」12回、「平」12回、「康」10回、「宝」10回
【9~2回】
「久」9回、「建」9回、「慶」9回、「享」8回、「弘」8回、「貞」8回、「明」7回、「禄」7回、「大」6回、「亀」5回、「寿」4回、「万」4回、「化」3回、「観」3回、「喜」3回、「神」3回、「政」3回、「中」3回、「養」3回、「雲」2回、「護」2回
【1回】
「乾」「感」「吉」「亨」「興」「景」「衡」「国」「斉」「至」「字」「朱」「授」「勝」「昌」「昭」「祥」「成」「泰」「鳥」「禎」「同」「銅」「白」「武」「福」「霊」「老」「祚」「雉」
なるほど。
正しい。俺はそのことを「宗教とは文化である」と一言で表現できると考えている。
文化が継承されるなかで、必然的にその一部もしくは大部分としてついてくるものが宗教。
これはちょっと違うと思う。
日本人は金を払っているのは、宗教儀式にではなく、神社仏閣にだ。
坊さんがお経を唱えてくれるからではなく、坊さんがわざわざ来てくれるから"気持ち"と称して金を払う。
なぜそうするのか。神社仏閣はコミュニティの基礎だからだ。山本七平は、日本教は神への信仰ではなく「和」を基礎とすると言った。お金を重要視しているのではなく、お金を払うことでコミュニティが保たれ、払わなければコミュニティから弾かれることを重視する。参拝は、神をたたえる儀式ではなく、皆で行ってよかったねという気持ちになるためのイベントである。
https://anond.hatelabo.jp/20171209143501
一方は、「差別」という漢字のイメージから直接受け取れるように、対象間における「差」とそこから生まれる分離による「別」という概念そのものを見ている。
この根底にあるのは、「和」であり「平」であり「統一」であって、それに対しての分離という意味合いをもつのが「差別」、という見方だ。
それ故に反差別とはすなわち、ある一定事象内(つまりは社会)におけるあらゆる偏差をなくして均一にすること、と捉える。
もちろん、これは究極の話であって、様々な不確定要素が絡む中で完璧にそう在ってそれを維持し続けることはまず不可能だが、見ている先の方向性はそういうことになる。
だからこそ、反差別を叫ぶ者に対しては、いずれは社会のすべてを管理制御してしまおうと言い出しかねない、といったような疑念が心の底で生まれてしまう。
一方は、「discrimination」という単語のイメージから直接受け取れるように、片方向による否定という「現象」に対しての否定という概念そのものを見ている。
この根底にあるのは、「義」であり「公」であり「秩序」であって、それに対しての逆乱という意味合いをもつのが「差別」、という見方だ。
それ故に反差別とはすなわち、ある一定事象内(つまりは社会)における集合の秩序を保ってそれを維持すること、と捉える。
これは、あくまで人の営みの範疇でのコントロールの話であって、人が人と人の作ったものに対して責任を持つという理念が源としてある。
だからこそ、反差別を叫ぶ者に対しては、いずれは人が築き上げてきたすべてを破壊して混沌をもたらしかねない、といったような疑念が心の底で生まれてしまう。
前者と後者の一番の違いは、一方は実際に人の集合体としての社会を見ていて、もう一方はそれこそ宇宙における森羅万象の中のちっぽけな社会という一現象を見ている。
ここまでご大層な話ではないとしても、もしも人の思考というものが、たとえこれまで取得してきた情報によってフィルタリングされていても、その人の根源的な部分から現れているのだとすれば、この視点の始点のズレはとてつもなく大きいだろう。
だから、これが正しいかどうかはともかく、これも一つの見方として包括的に捉えることができれば、少しは気分の緩和にはなるかもしれない。
http://mubou.seesaa.net/s/article/453769484.html
恐らくは誰かの二番煎じになってしまうのだろうが、どうしても言いたくなってしまったので書く。
リンク先の二文、
これらの言っていることが互いに同じ意味なのか、それとも違う意味なのか。
悩ましい。
どちらが正解かを断ずる勇気は私にはない。
同じ意味と判断する理路はリンク先で説明されているし、別段異論はないので割愛する。
まず、後者の文。
「和牛」は後に続く「牛肉」に内包されるので、「など」の使い方は明確だ。
「和食ブームを反映した日本酒や緑茶」と、「和牛が人気の牛肉」の他にも、輸出の好調なものがある。
それは、二つ続く「和」に絡んだものなのかもしれないし、まったく違うものかもしれない。
そんな意味を読み取る以外にない。
一方、前者の文。
「など」が「和食ブーム」に内包される「緑茶や日本酒」の後に来ているせいで、「など」がどこからどこまでを指すのか、いまいち判然としない。
読み取れる意味としては、少なくとも二つある。
もう一つは、「など」は「緑茶や日本酒」にのみかかっていて、「緑茶や日本酒」の他にも「和食ブーム」に乗っかって輸出が伸びたものがある、という意味。
もし今二つ目の構造を採用したならば、前者の文と後者の文は明確に、意味が違うということになる。
なぜなら、後者の文で「和食ブーム」に乗っかって輸出が伸びたのは、「日本酒や緑茶」以外にないのだから。
繰り返しになるが、どちらが正解かを断ずる勇気は、私にはない。
そういう意味では、日頃のことばに対する態度を改める、良い問題であるように、私は思う。
この問題に対する正誤だけを殊更に持ち上げて「教科書レベルの基礎的な読解力」が現代の中高生には無い、と判断するには適さないだろうが、数あるテストの問題の中で、こういう問題が一、二問あってもいいのではないか。
ことばの本質は「考える」ことにある。
私はそう信じたい。
https://anond.hatelabo.jp/20170721094355
「欲しいなんて言ってませんし、断ったのに無理矢理押し付けて来ただけじゃないですか。
しかも人が席離れてる間にどんどん数が増えてくし」
(家で晩酌しない人が若い人の机にビールを置いて行く事があります)
「捨てるくらいなら私貰うよ」
答えは出てる。
お前の会社のお中元分配の仕組みは、受け取る側の気持ちを考えていない。
持ち帰るのも嫌なおじさん達は、後輩に無断で押し付ける事で(後輩の気持ちを考えずに)解決しようとする。
それを全員が黙認する。つまりこのシステムは重大な人格否定を孕んで成り立っている。
「みんなのために」酒を分ける仕組みが、みんなの一部である後輩の人格を否定している。
もう少し突っ込んで言えば、酒が要らないおじさん達にも、後輩へ押し付けるという行為を実質的に強制している。
そこで我を通すのがそんなに大事なのかな?
その後輩にとって何が大事なのかを、お前が決めるのか?
後輩がそこまで怒っていて、それを知った上で、この分配システムを正すのではなく、後輩が配慮するべきだと考えるお前の発想こそが、なによりも一番邪悪だ。
人のためのシステムを、人そのものより優先した瞬間から腐敗は始まっている。
一般では「和」などと言い換えて、個人の想いや考えを殺すような事が蔓延している。大した和だ。
お前が適当に配ったビールは、持ち帰るのも嫌な人にも届き、それは要らないからと無断で後輩に押し付けられた。この事実を無視するな。
>ヒーローアカデミアのアニメ1~2話は良い話だったような気がしましたけど、
そういう「ナードな僕も努力したら報われました!!」みたいな話ではなくてね、
喧嘩してた太郎君と花子ちゃんが僕が仲直りのパーティ開いたら仲直りしました!!とか
腰を痛めていたおじいちゃんのための椅子を造ったら大喜びされました!!みたいな
日本人特有の和を尊ぶ精神から発生した思いやりや慈しみの心に溢れた話ってこと。
誰か悪をぶっとばしてハイ良い話、それ違う。
というか守りたい平和は調和のはずなのに何でいつの間にか己の勝利になってんのか
まあ、分析しなくても分かるんだけどね。
戦う以外にも平和を守らないといけない問題や方法は山積みなんだよ。
それは戦う以上に難しいことだったり尊いことだったり本当に必要なことだったりする。
なぜかヨイショはされてもその本質に触れる人間がいない「和」の話。
手術と悪人と戦う以外にも個人個人の心の問題も解消していってるからだ。
それぞれの人生まで治療していってるから未だにブラックジャックは多くの人に愛されていて
ドラマ化もアニメ化も何度もされるのにアトムは不人気で火の鳥も良く分からない作品扱いされてる。
三つ目が通るだって立派に面白い手塚作品なのにリメイクが少ないのも
もちろん長い目で見ればそれだけじゃないのだが。
ただそういうのは大人になって余裕ができて初めて他人を労わって別視点に立つことができる。
しかし今や大人も余裕がなくなりつつあり、子供にも勝ち組になれと他人を踏みつけろという教育が主流になった。
今の少年漫画は悪をぶっ飛ばして俺(俺ら)自己成長!の完全実利主義に帰結してるって話。
そんな漫画を正として捉えて大人になったら他人は全て悪で俺と俺らが勝てばそれでいいという目標しか立てなくなる。
全体を幸福にすることが最終的に自分の最大幸福に繋がることすら教えられずに人生を進むことになる。
ヒーローアカデミアも人助け人助けとか言いながら今のところ自分たちしか助けてないし、
能力授かる前のデクは人助けもろくにせず自分のためにノートとってばっかの精神性もナード、
今も相変わらず自分とすぐそばの人間のことしか考えられないナード精神。
能力なくても道案内とかゴミひろいみたいなボランティアで人を助けることはいくらでもできる。
今までジャンプで連載されてきた主人公の中で一番自己中でどこまでも利己的な精神と行動。
能力的な魅力がなくても、精神的な魅力・カリスマがあれば自然と味方ができる。
実際に人助けをしているオールマイトがどこをみてこいつに魅力を感じたのか理解できないご都合主義展開。
こいつの行動原理のふしぶしが弱者を救いたいという気持ちではなくて
単にオールマイトがカッコいいから真似したいっていうファン根性由来。自分がカッコつけたいだけ。
最初にオールマイトがいなければ何の価値もない正真正銘のナードってこと。
こんなのに魅力を感じるわけがない、まだサイコパス気味のルッピさんの方がカリスマ性あるだけマシ。
ヒーローアカデミアは「ナードな僕がカッコよくなれる自己犠牲マジきもちい」漫画。
共感できる人ってナードな部分に共感してるだけで自己犠牲もマジきもちいいの部分もフィクション。
全国のトルシエ信者同志よ、今こそ声を上げるべきではないのか。オフト?あの当時のレベルをちゃんと教育できたってだけでしょ?岡ちゃん?二回とも想定外の代役でしょ?
いや別にトルシエもっぺん呼んで来いと言ってんじゃないの。あの時の真剣さ、ベンゲルに何度断られてもすがりついて、
そのベンゲルが推薦した人物を一に二もなく採用、どれだけマスコミにバッシングされても(一応)(ふらふらしながらも)守り通した、あの泥臭い精神を日本サッカー協会は思い出すべきなんじゃないのかってこと。
だってクライフとかにもオファーしてたんだよ昔は。バカだね。でも成り上がり新興中堅国がお利口さんでどうするの。我々は辺境の島国なんだよ。身の丈に合った手堅いチョイス、なんて上手く出来るほどの蓄積はないんだよ。
韓国みたいにせっかく神奇監督で金字塔打ち立てたのにまた自国人監督にこだわって、なけなしの自国英雄の名に泥を塗るのを繰り返してるよりはましだが、結果的にやってることはそう変わらない。(それにこっちには古英雄がそんなにいない)
2002年からこのかた日本サッカーの「地位」は一歩も進んでいない。そりゃ世界も進歩しているが、日本は遅れながらのたのた付いてきているだけだ。これが目指していた場所だったの?W杯自国開催(共催)できればもう終わった話なの?
中堅どころの監督なんて性格に問題なければたいていただの世渡り上手だ。メディアとは上手くやっていけても肝心の腕はそれなり。なら見どころのある問題児の方がいい。むしろ正確に難のある方が日本代表監督には向いている。
以前本田圭佑が「日本のストロングポイントはチームワーク」なんてことを言っていたが、もはやはっきりした。日本のウィークポイントはチームワーク。ザックやジーコのように「選手の自主性を尊重する」監督の下では日本代表は同じ症状に落ちいる。それは「エースの顔色を伺うサッカー」だ。ボールを持ったらまず本田を探す。「本田くんこれでいいかな?」というサッカー。ミスすれば「本田くんごめん!」というサッカー。今なら本田、昔は中田。
それを打開し秩序を打ち立てられるのがトルシエや岡ちゃんのような戦術主導の監督だ。エースと言えども戦術のためにはためらわず外す。(トルシエは中田を外すことまではできなかったが)
できればトルシエのように「俺が首領だ!」と主張するタイプがいい。そうすればサッカー選手に必要なお互いの対等意識が生まれる。
日本サッカー協会はトルシエで懲りたのかもしれないが、「日本の文化に理解のある外人」など選ぶべきではない。我々は厳しい勝負の世界で「和」を尊ぶことのできる民族ではない。気遣いと嫉妬と常識と僻みと気おくれと尊大と仲間意識と階級意識にがんじがらめになる民族である。