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2024-05-16

anond:20220728205242

長寛元年(1163年)西田敏行北条時政次男として生まれ

正治元年(1199年)西田敏行鎌倉幕府合議制に加わる

元仁元年(1224年)西田敏行急死する。「得宗」の名は西田敏行法名にちなむと伝わる。

明応2年(1493年)西田敏行が生まれたと伝わる

明応3年(1494年)西田敏行が生まれたとする説が有力

永正7年(1510年)西田敏行まれ

天文2年(1533年)西田敏行まれ

天文6年(1537年)西田敏行まれ

天文12年(1543年)西田敏行武田晴信信玄)に仕える

同 西田敏行まれ

天文13年(1544年西田敏行西田敏行と戦い大垣城を奪う

天文16年(1547年)西田敏行西田敏行居城攻撃したが敗れる

天文18年(1549年)西田敏行、息子の信長西田敏行の娘濃姫結婚させて和睦する

天文20年(1551年西田敏行急死する

天文21年(1552年)西田敏行美濃国を平定する

天文23年(1554年)頃、西田敏行織田信長に仕える

弘治2年(1556年)西田敏行、実子に討たれ死去

永禄4年(1561年)川中島の合戦でキツツキ戦法に失敗し西田敏行討ち死にする

元亀4年(1573年)西田敏行まれ

天正7年(1597年)西田敏行西田敏行の三男として生まれ

2023-11-20

あれ? 性加害しても名前変えるだけで許されるの???

女性記者への性加害で記念館の名称を「長崎人権平和資料館」変更へ 平和運動家・岡正治まさはる)氏の名前を外す

https://news.yahoo.co.jp/articles/4cc9fb307a8bf346fb0fafbd8a18bad1ef4401bc

2023-09-08

理想的高校古文の授業

1. 3か月ぐらいで文法ざっとさらう。

 * 本当にざっとで良い。助動詞の主な用法ぐらいで。活用暗記とかはさせない。

2. 『平家物語』と『宇治拾遺物語』について、先生の方で品詞分解を記入したテキストを配布し、学生現代語訳をさせる。

 * 学生品詞分解で力尽きて(飽きて)しまうことを防ぐ。

 * 品詞分解が正確にできていても訳せないという経験を早期にさせる。

 * いっそ現代語訳も配布してしまってもいいかもしれない。「なぜこの訳になるのか?」と疑問を持った点を報告させ、そこを解説するスタイルでもいいかも。

3. 2.の作業を『徒然草』→『伊勢物語』→『大和物語』→『大鏡』→『更級日記』→『枕草子』→『源氏物語』の順にさせる。

 * 『源氏物語』 がいちばんむずかしいのに、定番テキストのように高校で扱われるのは不思議

 * 方法は何でもいいから、とにかくたくさん読まないと古典は読めないということを認識させる。

4. 3.と並行して品詞分解の作業をさせる。

 * テキスト高橋正治古文読解教則本』 みたいなのがいいと思う。

 * ぶっちゃけ全員が品詞分解をできる必要はないと思うので、学生選択に委ねるのもあり。(大学受験する人だけとか)

5. 百人一首を暗記させる。

 * これはもう暗記しかないのであきらめてほしい。

2020-09-27

anond:20200927175321

ラオックス創業者谷口正治1930年墨田区で始めた電気器具行商が始まりであり、1939年開店した谷口商店を源流としている。

2009年8月中国大手家電量販店運営する蘇寧電器の傘下となり、同時に新しく社長就任した羅怡文の方針により、ラオックス中国人をはじめとする外国人観光客向けの免税店中心の店として再建を図ることとなった。

意外と古い会社だったんやね

2019-12-11

anond:20191211092410

福山正治エロいコメントしたところで別に普通だろ?

 

この話を描いた人はグレタが嫌いに決まってる、なんてことは読んだやつはみんな分かってるんだよ。

  

ついでにいえば、フルメタの作者ってのはお前らが思ってるよりもビックネームだ。

例えるなら、お前はモー娘。メンバーみたいな木端が失言をしたんだと思っているんだろうが。

失言したのは中島みゆきだ。実力が圧倒的すぎて存在するだけで許されるレベルの人だ。

 

別に言葉が汚いことは批判されりゃいいと思うけどね。

からって幻滅とはならないんだよ。

2019-07-04

女性名前に「○子」が多く四音の名前が少ない理由

anond:20190701200632

日本では個人名前は「石川麻呂(いしかわまろ)」や「穴穂部間人(あなほべのはしひと)」といったふうに長い訓に漢字を当ててきたが、嵯峨天皇のころ遣唐使であった菅原清公の進言によって、男子名前漢字で二文字か一字、女子名前は「○子」とするといった、漢風の名前使用が進められ、定着した。

諱 - Wikipedia

この菅原清公っていうのは菅原道真のおじいちゃんな。

具体的な後世に残った事績としては、それまで和風だった人名のつけ方を唐風に改めたことが挙げられる。男子場合坂上田村麻呂」の「田村麻呂」のような形式から菅原道真」の「道真」や「藤原基経」の「基経」といった二文字訓読みか「源融(みなもと の とおる)」の「融」や「源信(みなもとの・まこと)」の「信」など一文字訓読みという形式にし、女性名前の「○子」という形式にすることは彼の建言によって導入されたものである

菅原清公 - Wikipedia

まず単純に、名前の二文字目が「子」で固定されると、必然的に読みは三音になりやすい。

男性名だって、「○太」とか「○斗」といった形式だとだいたい三音で、二音や四音は少ないもんな。

このあたりは音韻問題もあるのかもしれん。

で、貴族実名に付けられるこの「○子」はいちおう庶民にも広まったらしいが、

室町時代からそもそも女性に「実名」をつける風習がなくなり「通称」だけを持つようになった。

まり「松」とか「亀」みたいな二音の簡単名前がつけられて、

「お松さん」とか「お亀さん」とか呼ばれるようになった。

この傾向は江戸時代まで続いたけど、

明治になって庶民公式の姓名を名乗るようになると、

貴族の名付けである「○子」は庶民の憧れだったので一気に増加する。

女性名と[子] - nihonjin-name !

最初のうちは「〜〜氏」「〜〜女史」みたいなのと同じ敬称として扱われていて、

本名の「松」や「亀」に「子」をつけて「松子」「亀子」とか呼んでいたらしい。

津田梅子与謝野晶子本名「うめ」「しょう」だった。

それがだんだん本名として最初から「○子」と名付けられるようになった。

もとが二音、「子」を付けて三音、というのがここで増えていったわけだ。

明治安田生命の名前ランキング大正元年まで遡れる。

明治安田生命 | 名前ランキング2018 - 生まれ年別名前ベスト10 - 女の子

「○子」のピークは1956年と言われていて、そこから「○美」が増えていったらしい。

なんでこの時期に「○美」が増えたのか分からんが、

高度経済成長時代に入って社会雰囲気が変わったのもあるだろうし、

そのちょっとから「由美子」「久美子」「恵美子」「美代子」「美智子」などと「美」入りの三字名の人気があったから、

そこから自然と「子」を外すようになったのかもしれんね。

思いついて宝塚歌劇団女優芸名確認してみたけど、

1953年入団宝塚歌劇団40期生あたりから「○美」が増えている気がする。

「当時、こういう名前がかっこいいと思われていた」という傍証になりそうだ。

宝塚歌劇団40期生 - Wikipedia

(もうちょっと遡ってみたら33期生だけ特異的に「○美」が多いな…何かあったんだろうか…)

それからしばらく「○子」と「○美」の時代が続くけれども、

1970年代に入ると「美香」「美穂」「香織」「恵」「愛」などがランキング上位に登場してきて、

ようやくバリエーションが増えていったという流れ。

一方で、男性のほうのランキングを見ると、思ったよりも三音の名前が多い。

「清」「正」「茂」のような一字名はもちろん「正治」「和夫」「達也」なんかも三音。

四音の名前は「○一」「○郎」「○介」「○平」などの形になる。

これらはだいたい「生まれの順番を表す字」か「官位名に由来する字」なので、

女性名に見られないのは納得。

武士時代が長く続いたなかで男性名けが多様化していったのだと言えそうだ。

ちなみに「○郎」の由来は「○子」と同じく嵯峨天皇な。

日本において太郎という人名が登場したのは、嵯峨天皇第一皇子の幼名に命名したのが初見とされる。

以後、武士階級の名としても広まり今日では一般的命名される人名ひとつとなっている。



以上から考えると「四音の女性名が少ないのは何故か」には、

二音の女性接尾辞が無かったからだ、ということになり、

「二音の女性接尾辞が無かったのは何故か」というと、

社会的地位の低かった女性人名接尾辞バリエーションが少なかったからだ、

と言えるのではないか

(「人名接尾辞」って書きましたがたぶん正式用語ではないので「止め字」でいいと思います

2019-01-11

anond:20190110134005

せっかくなので次の元号について統計的アプローチ予測したいと思う

飛鳥時代の大化から平成まで元号は248種類あるが使われた漢字は72種類しかない

一覧にするとこんな感じ

大化白雉朱鳥宝慶雲和銅霊亀養老天平感勝字護景応延暦弘仁長承嘉祥寿斎衡

貞観元寛昌泰喜徳康保禄永祚正治万久文建福禎乾亨中武興国授至明享吉政昭成

そして室町時代の文安(1444年)から大正(1926年)までの500年弱の間、

寛政」を除く全ての元号が今まで元号で使われてきた漢字の中から選ばれている一方で

「昭」と言う漢字昭和まで「成」と言う漢字平成まで使われたことがなかった

このため、「大正」までは前に倣えの姿勢元号を決めてきたが

昭和」以降は既存漢字だけでは組み合わせがそのうち枯渇するため

新しい漢字を入れていこうとしたのではないかと推測できる

一方で「平」は今までに12回、「和」は今までに19回元号使用されたことがある

参考までに元号に使われた回数の多い漢字ランキングも貼っておく

1位 永   29回

2位 天、元 27回

4位 治   21回

5位 応   20

これを踏まえると新しい元号も、「今まで元号10回以上使った事のある漢字

使った事のない漢字から文字ずつ取るのではないか」と素人ながら予測できる

これに加え、イニシャルが被らないとか画数が多すぎないとかの条件を踏まえて

過去落選候補を見ると新しい元号はほぼ絞られてくる


まり、新しい元号

「 光 文 」 で す ! ! !

 
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