はてなキーワード: 学校生活とは
700万ずつぐらい稼ぐ両親の元に生まれ、荒れた公立中を避けて中高一貫の私立に進学。早めに予備校に通い始め、それなりの努力の末それなりの大学に合格。現在は私立校で教諭を務め、年収700万ぐらい。
ものすごく高学歴というわけではないし、胸を張れるほど稼いでいるわけでもないけれど、自分という枠組みの中ではよく頑張って生きているなぁと思っている。仕事は楽しいし、勉強以外に得意なことがあるわけでもないから尚更。
学歴なんてなくていい。それでも名のある大学卒ならカッコいいし、稼ぎも伴いやすい。だから勉強ができるなら勉強を、勉強が苦手ならそれ以外を伸ばして未来を切り拓くのがよい、そう信じてきた。
地頭がよく態度も真面目なのに、+αの努力を一切しない生徒。出席や点数が足りず留年が迫っているのに、まるで慌てない親子。実力より10以上偏差値の低い指定校を進学先に決めてしまう家庭。
なぜ頑張らない? なぜ焦らない? なぜ上を目指さない? 心底疑問だったが、ようやく理解した。お金があるからだ。
数億が飛び交う家の生まれなら、ニッコマでもMARCHでも関係ない。留年が決まったら別の学校、なんなら海外にでも転学させればいい。心身を削って受験勉強に励むより、今しかない学校生活を楽しませたい。自分を飾るには、学歴よりきらびやかなものがたくさんある。
ペンケースはエルメス、財布はブルガリ。毎年海外旅行に行くが、エコノミーには乗ったことがない。お手伝いさんや庭師がいて当然、医者や寿司屋は家に来るもの。
生徒の豊かさは理解していたが、この気づきは衝撃的だった。学歴はいらない。就職には困らないし、しなくたって構わない。受験戦争は自分の価値を売るしかない貧乏人のためのものなのだ。
この衝撃はマイナスなものでなく、「お寿司やサトウのごはんをパックから食べることを屈辱に感じる人がいる」というのと同種のものだ。
わざわざお皿に移すことで何が変わるの? 手間が増えるだけでは? というのが個人の意見だが、けしてお皿に移したい派の人を否定したいわけではない。むしろ価値観の多様さに感動さえする。そもそもパックの寿司やご飯なんて食べたくないという人もいるだろうし、高くて買えないという人もいるだろう。
世の中には進学はおろか生きるのが苦しい人も大勢いる。「受験戦争は一般も推薦も金持ちに有利」「東大生の親は高年収」なんて言説もよく耳にする。
だからこそ、「普通の高年収」のさらに上、「そこそこ恵まれている」自分や周りがしてきた努力が不必要な層の存在はセンセーショナルだった。今まで見えていなかっただけで、案外多くいるのだろうし。
もちろんリッチな世界にはリッチな世界の苦労があるだろう。リッチだからこそ学歴がいるんだが? という人もいるかもしれない。今回書いたのはあくまで自分が認知した範囲の話なので。
己の視野の狭さを反省し、世界の広さに感服しつつ、学歴が必要な層も不必要な層も充実した学校生活が送れるよう、日々励もうと思う。
一応自分も非モテだったので、社会の厳しさは理解してるつもりだ。
たださ、お前達こういう事って分かってたんだろ、認めてたんだろ、って言いたい。学生時代からずっとそうだったじゃないか、いわゆるリア充とかAクラスとかにカテゴライズされる奴等がキモヲタとかCクラスとかいうグループを蔑んで嘲笑してウケを取って、果ては苛めたり暴力を振るったりして、その他の連中はそんな「ガス抜き」が行われているおかげで平凡な学校生活を送る、皆学生時代ってこんなものだっただろ。
クラスに配置された人の枠組み以外、誰に強制されたわけでもない人間関係の中の小世界で、強者が弱者から不当に搾取をして咎められない、そんな世界の仕組みがいつの間にか出来て、殆どの奴等はそれを積極的に承認するか、当然と思って受け入れてきたんだろう?
学校が社会の仕組みを学ぶための小社会とするならば、それが拡大されているのが実社会なのだから、自分が被差別側になってしまったからといって文句を言うなよ。それこそ「自己責任」なんじゃないのかい。以前まで自分がAクラスの「クラスの人気者」もしくはBクラスの「普通の学校生活を送っている学生」という、Cクラスを犠牲にした「既得権益者」だったんじゃないのか。人の時は自己責任だと言い、自分の時は社会が悪い?寝言は寝て言えよw
俺、小学校から高校まで、毎日罵声と嘲笑の中で生きてきたし、持ち物が無くなったりいたずらされたりした回数は数え切れないくらいだ。中学校時代は特に酷くて、生傷が絶えることがないくらい暴力を頻繁に振るわれた。死のうと思ったことも一度や二度じゃない。
誰に訴えてみても、誰も助けてくれない。
それでも、担任も親もクラスの連中も「いじめられる側に問題がある」だよ。
よしんば俺に何か原因があったとしても、暴力が許される訳がないのにね。
そんな「格差社会・自己責任社会」を学生時代過ごして来たから、俺は大学受験と就職活動は文字通り死に物狂いで頑張ったよ。結果、給与が良く残業が少なく身分保障がしっかりしている今の職場にいるんだわ。
で、今の弱者男性問題とか見てても正直ピンとこない。女に困窮した弱者男性、あの人達の学生時代はどうだったんだろうね?クラスにいる弱者の苦しみを何の問題意識も無く眺めていたのだとすれば、現在の状況は社会の被害者でもなく、ただ単に「因果は巡る」ってだけだろ。学生時代Cクラスで、そのまま弱者男性になった人も、社会の格差構造をもっとも肌身に感じて理解できる立場にいたのだから、それで対策ができないというのは甘すぎるというほか無いんじゃないか。
「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」
俺は小学校の頃親の都合で転校したことがあって、言葉の訛りが発端になって転向後しばらくいじめられていた
悪口言われるとか無視されるとかなら別にどうということはなかったのだが、隣のクラスの多動系クズの行為がエスカレートして、そいつが休み時間のたびに物差しで頭を殴りにくるという状況になっていた
最初は怒鳴り返すくらいだったが、あまりに頭にきて一度そいつの腕をカッターで切りつけてしまった
ちょっと血が出たくらいで大怪我させたわけでもないのだが、校内で問題になって「友だちと刃物でふざけていて怪我をさせた」ということで親も呼び出され、治療費も払わされた
俺は納得がいかず「相手は友だちでもないし、遊んでいたのではなくて自分の身を守るためにやったことだ」と何度も訴えたが、聞く耳は持ってもらえなかった
まあ学年が変わると担任も話のわかる人に変わって学校生活は安定したのだが、俺はその多動クソ野郎のことは許してなかったしいつか絶対に償いをさせてやると思っていた
それが30年前の話だ
小学校粗卒業してから、そのクソ野郎とは大学生の頃一度だけ顔を合わせた
すると二人はクズ男の両親と合流して、女は彼女じゃなくて妹だということがわかった
ほっとしただけじゃなく、あの妹をめちゃくちゃに犯されたらあいつはどう感じるかなとか考えてしまった
次の日から俺は卒業アルバムからそいつの住所を調べて周辺をうろつくようになった
そいつの家は低所得者向けの市営住宅で、便所も汲取式のみすぼらしいものだった
庭では年老いた犬がいつも寝ていた
別になにかしようと思っていたわけじゃない
実際、そいつら一家と鉢合わせたことはなかったし、正月休みが終わると俺はそのまま東京へ戻ってきた
それからも実家に帰ると俺はなんだかんだと理由をつけて家を抜け出し、自転車でそいつの家の周りをぶらついた
俺は先日40歳になった
ちょうどその誕生日とかぶる日程で父親が海外に出かけることになり、見送りにいった
時が流れたんだなと思った
いい歳してあんなことはもうやめようと思った
そう固く決意して実家へ戻ったが、いつも使ってたママチャリが目に入った瞬間に決意が溶けて消えた
ただ、本当にこれで最後にしようという気はあった
いつものように何事もなく、周囲をふらついて、あいつが出てきたら殺してやるのに、妹が出てきたら犯してやるのにという呪詛を内心で唱えて、ただ帰ってくる
鉢合わせと言うか、すれ違っただけだ
妹は小さい男の子の手を引いて自宅に向かって歩いていた
喪服姿だった
俺は数十メートル走ってから自転車を停め、徒歩で背後から妹を追った
それを取り出して右手に持った
不思議なことに興奮も緊張もなかった
俺は歩調を速めながら、幼児の速度でのんびり歩く妹との距離を少しずつ詰めた
息を潜め、チェーンを握り直す
しかし俺は妹に追いつくことはなく、彼女はあのみすぼらしい長屋に入っていった
薄そうな木製の玄関ドアを俺はしばらく見つめていた
妹が残したものか、それとも家の中からなのか、線香のにおいが漂っていた
犬はまだ生きていた
薄汚れて毛並みも悪く目も濁っており、どこからどう見ても老犬だ
あまり散歩に連れて行ってもらえていないのか庭の済に放尿した跡があった
俺はチェーンを振り上げ、その一端を汚い犬の頭に振り下ろした
「あふっ」とかなんとか声を出したので、やばいと思ってもう一度、思いきり殴りつけた
急に怖くなって周囲を見回した
俺は早足で現場を離れ自転車に飛び乗り、投げるように実家に自転車を乗り捨ててタクシーで駅に向かった
新幹線で東京に向かう間、ついにやってやったぞと思うとにやけ顔が抑えられなかった
遅れて来た興奮で震えるほどだった
それが良くなると同時に犬に申し訳ないことをしたという罪の意識が俺を支配した
男子校に入ると男は本当にモテなくなって、男子校を後悔するが、女は女子校であったことがその後の人生に負に働くことはあまりない。むしろ男がいないことで逆に女同士の争いが起こりにくくなったり、あらゆる場面で男に頼るという発想がなくなり、結果さっぱりした自立した女ができあがる。今の世の中そういう女の匂いの少ない女は面倒な女が嫌いな男によくモテるという。女子校の女は大概楽しそうに学校生活を振り返る。男子校を同じように100%満足に捉えている人間を俺は見たことがない。全員、結婚適齢期になってから共学にしておけばと言うが、もうその時には遅い。我こそは男子校で良かったという奴なんているんだろうか。いたら教えてくれ。讃えてやる。
別に自分たちは行事やイベントが無くなった・小規模化したことに対しては「残念」だとは思ってるケド、自分は自分たちが経験したことだけしか知らないから比較できないから分からない。
だから自分のことを「可哀想」だとは微塵も思ってない。学校生活思い出しても普通に楽しかったし。
でも、教師とか親とか近所の人とかテレビで話してる教育評論家とか政治家とか、大勢の大人から「青春の時間を奪われて〜」とか「可哀想だね」「残念だね」とかめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ言われ続けて、これを武器に甘い対応してもらえることを学習してしまったんよ。
仮に自分たちがやらかしても「負担を強いられていたからしょうがない」「やっと羽をのばせるようになったのよね」って謎フォローしてくれる大人の出現と、謎フォローに「それもそっか」って納得してくれる大人が出現したことで、「なんだか意味わかんないけど言い訳として使えるじゃん!」ってなっちゃったんだよな。
奪われたって自覚も感覚もなんにも無いけど、ニュースで「若者代表」みたいな人もインタビューで答えているし、実際に周りもよしよししてくれるから、自分も倣って被害者ヅラしよ〜〜〜ってる人はけっこういます。
すみません、こんな金魚の糞みたいなやつに追記とかしてしまって。長いです。まじで興味ある人向け。
○大学生活
コロナに関係ないかもしれんけど、突然いなくなる学生がいるのもマジです。インターンとか実習中に突然飛んだ先輩の噂を色んな所で聞きます。
規制全盛期は全部オンライン授業になったから、ペーパーテストも無くなってレポート課題だけになったんよ。学部によるかもしれんけど。
たまにテストがある講義もあるけどオンラインで好きな時間に受けられるし、答え確認し放題。先生側も多分わかってて問題は全部簡単でしたね。
そうなると、ほとんどがテスト勉強しなくなる。授業だって友達と遊びながらカフェでパソコン開いてできるし、録画を公開するタイプの「オンデマンド授業」ってやつは好きな時間に受けられるから毎日が全休みたいな気分で最高でした。そしてオンデマンド授業は倍速再生とかできるのだ。
だから、ギリギリまで予定をいれて、課題の締め切り当日に倍速再生しながら慌ててレポート書いて滑り込みで提出する人が大多数だったイメージ。
そんな感じで「オンライン授業、自由度高いし楽だし好きだなー」って思ってたけど、対面授業が本格的に始まった今は、毎週の課題がその場で書けばいいコメントペーパーとかが増えたおかげでめちゃくちゃ楽になった。
でも自分含めみんなしっかりレポート取り組んでないから、先生いわく「書き方よくわかってない・お気持ち表明ばかり・形式もバラバラ」らしい。
だから今でも少し真面目に文献探して、提出前に2回くらい読み直したレポートを出しただけで相対評価で「秀」とか「優」をもらえる。
寝坊して間に合わない時も「喉に違和感あるから家から受けます」とか言えばオンライン参加させてくれるからめっちゃ楽。
○恋愛
今は規制もゆるゆるになってサークルも授業も自由になったからコロナ前と多分変わんないと思う。食事のときに異性の前でマスク外すのがちょっと恥ずい人がいるかもねん。
自分は高校が共学じゃなかったからよく知らんけど、大学の同期で高校の同級生とそのまま付き合ってるやつはパッと思いつくだけで5人はいるから普通に恋愛してたと思います。
高校では感染対策とか言いつつもやっぱり授業とかお昼ご飯以外(先生の目が少ないとき)は集まってはしゃぐ場面はあったし、クラスLINEで通話したりzoomでわいわいしてたから楽しかったです!
なぜか校則も緩くなったし。
ニュースでは「青春を奪われた」若者さんが悲壮感を漂わせてるから、自分の高校だけ特別に楽しいのかと思ってたんだけど、大学入ったらみんなも私と同じ感じで楽しんでたからびっくりしたよ。
でも、「辛かったでしょ」とか「我慢たくさんしたんでしょ?」とか「遊べないまま卒業したんでしょう?」とか心配されたときに悲壮感を漂わせると優しくなる(特に教師)ので、みんなでウェーブに乗じることも多いです。
ひろゆきとか成田悠輔が「朝起きれないから会社員が無理だと思った」ってよく言ってるけど、
それはこの二人には類まれなる才能があったからそれでもお金持ちになれたわけで、
一般人で朝起きれないってかなり致命的に辛いよなー。
大体中高大、社会人と、
1年目はまだ頑張れて2年目で体調が危うくなり、3年目で限界を迎える。
いつもそのパターン。
朝弱いとメイクもヘアセットも最低限だし、キラキラ女子とは程遠い。
ところで、最近ひろゆきを始め「朝起きれないんで」と堂々と公言する人がいるけど、
女性で「朝起きれないんですよね」って堂々と公言する人いなくないですか?
やはり女性の方が生活態度においては当たり前にこなせると思われてるのか、
背後にはうっすらと「将来家事育児などの主婦業がこなせないんでは?」という疑念があるのかなー。
女失格みたいな...
朝起きれないのはとにかくマジで生きづらいわ。
俺はそういう「思い描いた通りの人生の計画をきっちり進めたい」みたいな感覚自体がよくわからんわ。
逆にどういう風に育つとそういう感覚になるのか知りたい。
まあ、立派な両親に大事に育てられて学校生活も卒なくこなしたそこそこの優等生で、逆に言えば自分の身に余る領域からは無意識に足を遠ざけてきたようなタイプなんだろうなというのは想像に難くないけども。
ワールドカップのPK戦で高校部活組とユース育ち組の比較が話題となった。
その高校生カテゴリのトップリーグである「高円宮杯プレミアリーグ」で衝撃的な事件が起きた。2011年にプリンスリーグを格上げする形で作られたこのリーグは「Jクラブのユース7~8割、部活チーム2~3割」という状況が続いたが、2023年はユース11チーム、部活チーム13チームと史上初めて部活チームが多くなるという事象が起きている。特に下部となるプリンスリーグとの入れ替え戦では部活チームが全勝(部活チーム同士の対戦は除く)。
高校サッカーの世界で、ユースから部活への回帰が進んでいると言う話は数年前からあったが、それは育成のトップリーグにまで波及したことになる。
まずは練習環境面。Jクラブのユースチームは専用の練習場を持っていないことが多く(トップチームが優先的に使える公共施設を共用、と言うケースが多い)、地域内のグラウンドを他の地域クラブと取り合いになるケースが珍しくない。あるJ1強豪クラブのユースチームは練習場の件で地元と常に揉めていると言う話もあるくらいだ。一方で部活チームは、強豪ならだいたい専用グラウンドを持っている。練習段階で地元ともめることはまずない。
それと大会の注目度の違いに起因する学校生活のしやすさの違い。世間の注目度はどうしても高校サッカー選手権>>>>>越えられない壁>>>>>クラブユース選手権(ユースの全国大会)、高円宮プレミア・・・となってしまう。ユースの選手たちとは言っても日中帯は部活組と同じく普通の高校生だ。ユース組は頑張って結果出しても「ふーん、良かったね」で終わってしまうが、部活組は高校サッカー選手権で結果出したら一躍スターである。それと部活組はサッカーを通じた学校の宣伝もミッションの1つであることから学業面でもだいぶ考慮してもらえるが、ユース組にはそのような恩恵はない。
地元と揉めがちで、サッカーで活躍しても認められない、学業面でも考慮してもらえないユース組。地元に支持され、活躍したら一躍スター、学業面でも考慮してもらえる部活組、どちらが「良い」高校生活を過ごせるかは言うまでもない。
本田圭佑や中村俊輔は中学校までJクラブのジュニアユースで活動していて、ユースに昇格することが出来なかったため部活動に移行してプロになったが、近年はユース昇格を「選手側が断る」ケースが非常に増えているのだ。
部活動の地域移行が盛んに議論されているが、その思惑と真逆の事象がサッカー界で起きていることは知っておいた方が良いだろう。
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・ユース:学校の部活とは別の高校生年代のチーム。Jリーグチームはユース組織を持つことが義務付けられているため(そうでないとJ2以上に昇格できない)Jリーグチームの下部組織が多いが、三菱養和SCのようにJリーグチームとは直接関係がないチームもある。なお中学生年代のチームは「ジュニアユース」と呼ばれる
・高円宮杯プレミアリーグ:高校生年代のリーグ戦の最上位カテゴリ。その下はプリンスリーグ(1部と2部)、都道府県リーグ・・・と続く。学校の部活チームとユースチーム両方出られる。カテゴリが別々なら同一校やユースから複数チーム出すことも可能。1軍をAチームとして、D,Eチームまで作るケースも珍しくなく、中にはHチーム(9軍)まで作って公式戦に出してる学校もある。これがあるため近年の高校サッカーの部活は「補欠が試合経験を積めない」問題はだいぶ改善されている。一方でJリーグユースは1軍しかないところが大半で、あっても2軍まで。
・高校サッカー選手権:毎年冬に行われる、学校の部活チームだけが出られるトーナメント制の全国大会。前後半終了後即行われるPK戦が名物。代表は都道府県別(東京都だけ2チーム)。都道府県予選の決勝は地元TV局、全国大会も1回戦から日本テレビ系列で放送され、決勝戦はほぼ毎年4-5万人の観衆を集めるなど注目度は高い。一般人にとっては「箱根駅伝生中継後に放送される番組」のイメージが強いかも。
・クラブユース選手権:毎年秋に行われる、ユースチームだけが出られるトーナメント制の全国大会。決勝はテレビ朝日系列で生放送されるが観衆は1万人行けば良い方で(会場は高校サッカー選手権と同じことが多いので空席が目立つ)注目度は低い。
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【追記2】
ブコメより
>それ聞くとなんでユースは練習環境整えないんだ?ってなるけど。資金力とか、子供にサッカー教えた後のリターン考えると高校に比べてユースが手を抜くの変じゃない?
資金力は学校の方があることが大きい。学校なら宣伝目的でお金投入できるし、OBや地元企業からの寄付金も集められるし、浅野がいた四中工のような県立高だと県の税金も使える(これには例の共産党も反対しない)。市立船橋高のように独自にスポンサーを集めることもできる。ユースはそのいずれも難しい。あくまでもトップチームが主でありユースは従だから。
匿名で、かつパーマネントリンクのある書き込みができるという、ある種画期的なシステムの「はてな匿名ダイアリー」別名「増田」。しかし、そこには議論が追いにくいという構造上の欠陥がある。
それは何か。
それは男女間の憎悪が渦巻き社会的地位の格差から罵詈雑言が溢れているというものだ。
そこでわたしは2006年の書き込みを読んでいたのでここで紹介しておきます。
■一部のはてなダイアラーの特徴
『はてな』(はてブ、スタッフのパロディ化)やネットコミュニケーションに関する話題が好き。ダイアリーでよくネタにする。
ライトノベルやエロゲーが好き。2次元キャラクターが好き。いくばくかの恥じらいがあっても2次元が好きな自分に誇りを持っている。
知識は新聞や書籍ではなくGoogleや、はてブやブログから要領よく手に入れられるものと信じている。百歩譲っても、教養なんて新書を読めばサクっと身につくと考えている。
コンピュータ関連の技術にあこがれている。習得したい。モヒカン族になりたい。
「いまはまだその時ではないけど、このままブログを書き続けていれば、やがて誰かが自分のすごさに気づいて取り立ててくれる」とぼんやりと期待している。
実年齢は大学生から社会人(30代)ぐらいだが、精神年齢は高校生(注1。
注1)リアル高校生で精神年齢が中2だったり、リアル中2ということもあるだろう。メタ談義好きのクラスターに参加しようと、簡単なことを言うためにわざわざ小難しい表現を使って背伸びするんだけれど、テキストの端々に学校生活臭。
これを読むと2006年当時のはてな界隈が想像できるんじゃないか。
フェミや政治ネタなんて無いただ単純に技術的な話ができる場所であったようだ
。(ニワカだとしても)
念の為ある程度はボカして書いておく。
公務員浪人して市役所に入った従兄弟が精神壊して無職になった。「周りに迷惑をかけたくない」口癖のようにそういってた従兄弟は休職を選ばず、せっかく入った市役所を辞めた。
仕事を辞めたあと、たしか3年ほどニートをしていた。ずっと寝込んでいて、親戚の集まりにも出てこなかった。
リハビリとして最期まで週3の派遣で働き始めた。仕事から帰ってくるとずっと暗い顔をしてたらしい。あんまり上手く行っていなかったんだと思う。手取りは10万ほどで、自分はそこから3万だけ抜きあとは家に全部収めていた。従兄弟の親は、自分で稼いだ金は自分のために使っていいと言ったが、「ずっと迷惑かけてたし、欲しいものもない、実家ぐらしだから最低限お金使えれば困らないし、受け取ってほしい、俺にはこれしか出来ない」と言い、親からお金を無心することすらなかった。
俺が小さい頃、従兄弟は優しいお兄ちゃんだった。背の高い従兄弟は俺と話すときにいつもしゃがみながら目線を合わせてニコニコ話してくれた。年上の威圧感が怖かった幼少期の俺にとって、数少ない安らげるお兄ちゃんだった。
部屋に残されてた遺書には、親への謝罪と、学生時代から社会生活にいまいち馴染めなかった事、頭が悪くてどこに行っても迷惑を掛けてしまうこと、仕事をすると周りに迷惑をかけてしまう事が耐えられないほど辛かったこと、発達障害を疑って精神科にも行ったが知能指数に問題がなかった事、社交不安障害と診断されたが、処方薬を飲んでも眠くなるだけで余計に社会生活に支障をきたしたこと、自分ができることを探したけれども、探せば探すほど自分ができないことが増えていた事、生きていてずっと頭と視界に霞がかかっていた事、年々生きる気力が沸かなくなってきてしまった事、人と上手く喋れなくなってきた事、自分の明日が酷く怖い事。漠然とした不安で押しつぶされそうなこと。覚えてる限りだけど、そんなことがワードで打ち込んだプリント用紙に書いてあった。
俺宛にも「身内から自殺者が出るのはひどく嫌な気持ちにさせて申し訳ない。俺が言えた義理じゃないけど、増田には幸せになってほしい。心から増田の幸せを願ってる。俺に懐いてくれて本当にありがとう。」と一筆書いてあった。
もうどんだけクズでもさ、生きてりゃよかったじゃん。命あっての物種じゃん。でもそれが、従兄弟には耐えられなかったから出来なかったんだよな。
従兄弟の希望によって葬儀は行わず火葬だけで終わったが、両親の希望で自宅での焼香だけは行った。
いとこの小学校からの友人が親から従兄弟の死を聞き、又聞きで何人か焼香にきた。
数人しか来なかったが、小学校の友人以外全員女性だった。吃驚した。既婚者もいた。
少し話をしたが学生時代に従兄弟のことを好きだった人がほとんどだった。
従兄弟は学生時代本当に大人しい人だったらしいが、身長も高く色白で中性的な顔立ちだった従兄弟は容姿だけでもモテていたらしい。ガツガツした同級生の男子と違ってどんな話でも笑顔でうんうんって話を聞いてくれる本当に優しい人だったと言っていた。従兄弟は偏差値の高くない高校に通っていたが、本が好きで高校の担任と楽しそうに本の話をしていたとか、何人かに告白されても全部断ってたとか、几帳面そうで真面目そうに見えるけど極度の面倒くさがり屋で、下駄箱に靴を入れずビニールに入れて教室に持っていき、学校が終わると一人でそそくさと裏門から一番近い空き教室に行き、そこの二階の窓から飛び降りて帰っていったとか、俺の知らない従兄弟の一面が見れた。彼女を作る気配がなかった従兄弟に、男が好きなのか、校外に女がいるのかと噂が立った事。従兄弟が振った女の子の中には従兄弟のことを悪く言う子もいたが、従兄弟はその子を一切悪く言わなかった事。
従兄弟の知らない一面を見れて驚いた。いとこの両親も驚いていた。従兄弟は学校から帰ってくると軽くご飯を食べたあと12時間以上寝続けてたそうなので、両親は学校生活が上手く行っていないと思っていたらしい。
従兄弟が彼女を作らなかった理由は今だからわかる。たぶん、自分と深く関わることで仲良くしてくれる子を傷つけてしまう事が、従兄弟には堪らなく耐えられない事だったんだろう。やっぱり優しい従兄弟だったんだと思う。
従兄弟は社会生活を送れる並の能力があれば、きっと幸せに生きてこれた気がする。能力が無くてもクズだったら、ヒモにでもなって生きてこれたと思う。でも、それが出来ない優しい人だった。みんな優しい従兄弟が好きだった。従兄弟はどうすればよかったんだろう。
多分だけど、中学高校大学と学校生活でしばしば遅刻やら忘れ物やらいろいろ対人関係でトラブルを起こして、
なんで自分はみんなと同じように生きられないのだろうという苦悩があったんでしょう。
それで初めて診察を受けて知った答えがADHDだったということ。
平均的な知能はあるから、底辺の肉体労働な工場バイトはこなせる。
彼の想像した将来は、まともな会社には就職できず、一生、工場バイトで食いつないで生きてゆく未来しか見えなかった。
同級生は恋人を作り、結婚し、子供を育てて、趣味を謳歌してゆくのに、自分は死ぬまでひたすら工場で刺身にタンポポを乗せ続けるだけの人生。
その閉塞感に絶望したんだよ。
だから死ぬ前にやりたいことをやっておこうと決意して、バイク旅行した。
彼の成し遂げた偉業をもって、別の生き方もあったはずというのは、そもそも成立しない。
世の中には、ADHDであることにすら気づかず、楽しく周りに迷惑かけつつお互い様とおもって生きれる人もいれば、
ごく一部の彼みたいな人は、ADHDであるということに絶望してしまう人もいる。
ただそれだけのことなのだ。
くだんの少年革命家については声援も石も投げる気はないので全く私とは無縁な存在なのだけれども、ニュースサイトの見出しなどで『反対する人はアンチで嫉妬している』と書いてあったわけですよ。
だから文句を言ってくる、自分に反対の意見を言う人は自分を引きずり落とそうとしているのだ。そう考えている訳か。
だが、世の中で彼の行動に反感を持ち、あるいは反対する人のいくらかはどちらかといえば彼を『可哀想な子』とみてやしないか。
それで老婆心から学校に行けとかいう言葉が出るのだ。子供にはできるだけ幸福になってほしいという純粋かつ無責任な善意から。
おそらくここに互いの齟齬がある。
・
振り返って、彼があのスタイルで得たものや積んだ経験はそりゃ、素晴らしいものだろう。
だが、人生とは一筆書きで迷路を解いているようなものなので、とうぜん凡百の人々が普通に経験できたことを彼が取りこぼしたことも多かろう。
彼には普通の学校生活が与えられなかった。それがいい、悪いではない。
可哀想でも素晴らしいでもない。誰でも持つ一人だけの人生経験に貴賤もない。
学校に行って絶望する子もいれば、学校に通う生活を渇望する子もいるだろう。
・
原因は自分にあったとは思う。とても自己中心的だったし、調子こいていたから。
クラスの女子は元気なグループ(ここに所属していた)、おとなしいグループ、オタクグループとざっくりわかれていて、
元気なグループでハブられると、オタクグループに受け入れてもらう流れができていた。
今思えば本当にバカバカしい。
元気なグループで最も声が大きい(物理)のがA。面白い子だが、ハブをするのに一番積極的だった。
ハブにされると、元気なグループの子たちは必要最低限しか話してくれなくなる。
休み時間にグループに寄ろうとすると「なんか要らない人がいるんですけどー」。
判分けをするときに「これで人数ぴったりだね!」と壁を作られて入れてもらえない、とか。
朝学校に来るとわたしの椅子だけ机の上にのっていたり、首の取れた人形が置かれていたりもした。
教科書を隠されたこともあるけど、元気なグループの中で良識のある子に相談するとこっそり取り返してくれた。
親や先生に助けを求めるのは恥ずかしかったし、暴力をふるわれるとか害を被ったわけではないし
「私は傷ついてませんけど?」とできる限り涼しい顔でやり過ごすのに精いっぱいだった。
大人になった今なら、教室でひとりで過ごしたり、グループに執着せずにほかの子と居ればいいだけのことだけど
当時は教室の中がすべての世界で、どうすることもできなかった。
私と話したり一緒にいる子がいると、Aがその子を連れていったり、
私と一緒にハブられるかもしれないから、みんな私を遠巻きにしていた。
おとなしいグループの子もオタクグループの子も、私へのあたりはきつくなっていった。
話しかけようとしたら睨まれたり、「わたしたち●人組で最高だよね!」と肩を組んでブロックされたりしたwひどいなー
一番覚えているのは文化祭。
クラスの出し物は、準備も当日の運営も先生に怒られない程度に最低限手伝いをした。
当日、たまたまクラスの女の子が一人で居たから、「一緒に回ろう?」と声をかけたらダッシュで逃げられた。
「文化祭を一人で歩いている」というのを他のクラスの子や学年の人に思われるのが嫌で(誰も思わないのにね)、
演奏やステージをしている体育館の隅の隅で座り込んで文化祭が終わるのを待った。
私をハブっていたAをはじめとする元気なグループのみんなとは、ほぼ全員別のクラスになった。
もしかしたら先生も私を取り巻く環境をわかっていたんじゃないかと思う。
その後Aは、元気なグループからおとなしいグループ属性にチェンジする。
エネルギッシュでギャーギャー言っていた彼女が、急激にしおらしくなっていった。
なるべくAには関わらないようにしていたし、関わりたくなかったのだが、必要なことがあればAも私と話すようになった。
心の中では「どの面下げて話しかけてんだよ」と思う一方で、完全にトラウマとなりAを怖いと思う側面もあった。
ハブられた半年間で私は傷ついたけど、残りの学校生活は優しい友人たちと楽しく過ごした。
先日ふとAの話になり、友達が「Aって途中でカツラになったよね」と言った。
私は知らなくて驚いた。
どうやら病気なのか、体質の関係かで髪の毛が抜け落ちてしまったらしい。
「へぇー」でその話は終わったのだが、その日寝る前、私はベッドの中で色々考えた。
「女の子で思春期の多感な時期に髪の毛が抜けてしまうのはつらかっただろう」と良いヤツな私は思った。
「ざまぁwwwwwwwww私の呪いじゃwwwww」と悪いヤツな私は思った。
因果応報ってあるんだなと、初めて思った。
いまでも夜中にフラッシュバックで涙が出てきたり、ハブられていたときの癖で食事の早食いが直らない(早く食べないとみんなが私を置いてどこかにいく)。
ふとAを思い出して、憎んで、何とか復讐できないものかとGoogleやTwitterで彼女の名前を検索することもあったw
あと、なんとなく友達や他人に100%心を開くことができなくなった。
クラスで孤立しているときの心臓がスーッと地面に落ちるような、体の中が冷たくなるような感覚は忘れられない。
いまいじめをしている人がいるなら、くだらないからやめろと言いたい。
ネガティブな感情に動かされて執着するより、好きなことややりたいことに時間を割いた方いい。
一緒にいるのが嫌な人がいるなら、無理に仲良くする必要はないが、周りを巻き込んだり人格を否定してはいけない。
学校でハブやいじめにあっている人、卒業したらみんな疎遠になるし(なれるし)、
今はつらいかもしれないが、長い目でみれば学生生活なんて一瞬だ。
クラスだけが世界じゃない。学校外にも習い事やサークル、アルバイトなどいくらでもコミュニティはある。
クラスでひとりでも堂々としていればいい。
あ、暴力とか暴言とかカツアゲとか晒しとかガッツリいじめられているなら
今すぐまわりの大人に相談して。親や先生に言えなかったらホットラインとかあるし。
証拠集めて弁護士に依頼してギッタンギッタンにやっちゃってください。
わたしも証拠さえあればAを社会的にボコボコにしたかったけどなー録音とかしておけばよかった。
職場や別のところでいじめられている人は…ちょっとわからないけど
とにかくそのコミュニティから離れるのが一番。そこにいなければいけない理由ってあるの?
最後に。
正社員として働き始めてから毎週土日は出掛けてるおかげか、鬱になる暇もなくかなり心が健康になり始めた。
だけど、過去の嫌な記憶は暇さえあれば思い出して色々と考えてしまう。
だから、これを機に過去の地獄だった期間の記憶を言語化して、過去の清算をしようと思う。
この記事を完成させるのに思い出して書いてる間、精神的苦痛と元の文章力の低さ故に読みづらい文になっているかと思います。ご了承ください。
たまにここの日記見たりしてますが、ここの人達の長文書いてる人の文章力高いので、初投稿でビビってます。
だけど、今は精神状態が普通に良い社会人なんで正直にコメおなしゃす(^O^)
俺の両親は物心ついた時から既に仲は最悪だった。たぶん週1,2のペースで喧嘩していたと思う。喧嘩の内容の殆どは、父が不潔でそれに対して怒ってたと思う。問題なのは母がヒステリックな事なんだが。
母は子供に割と尽くしたりしていたが、その反面で父は無関心な方だった。(それで母がヒスってた事もあったな~)
たぶん中2くらいの時から自分が徐々に論理的に思考できる様になったり、しっかりとした考えを持つようになった。それで、母の言動がおかしいと思う様になり始めた。
今になって確信に変わったのだが、母は自分が思い通りにならないと怒ったり、言い合いでは論理性が一切通用しない人だった。自分にはめちゃくちゃ甘く、人にはクソ厳しい。おまけにADHD。
高校までの自分は考えを言語化する能力が今より乏しかったし、世界がまるで見えてなかったから、何で正しい事が分からないのかと自分もヒスな母に対抗していた。
そしてお互いが暴れていても、父は依然として無関心。
高2の記憶
もっと前かもしれないけど、たぶん高2くらいからお金の問題で毎日喧嘩する様になった。
寝る前も、勉強中も、大事なテスト期間中も、部活が終わってクタクタな時も、、、如何なる時も母が叫んでた。
こうなると拉致があかないので、昔から俺が止めに入ってた。そしてこの時も。
最初は俺も落ち着いて止めに入っていたが、次第に母がエスカレートしていった。無理矢理に父の部屋から追い出しても辞めないので、手を出すようになった。
それでも母は叫ぶ事も愚痴をずっと喋る事もやめない。
当時は気づかなかったが、今思えばその頃から次第に俺の精神は壊れていった。
それからはもうめちゃくちゃだった。
人生唯一となる殺意がここで芽生えた。ストレスを一方的に溜めさせてくるのは母なのに被害者面して、警察を何度も呼んだり。
そして、それがしばらく続いた後、自由がままに母は本当に意味もなくアパートを借りて、たまにそっちで過ごす様になった。(しかも2回。ただでさえお金が無いって発狂してるのに、本当に意味のない行動だった。俺からしたらそれも怒り所の1つだった。)
冬頃になると父は家を追い出された。
しかし、相変わらず母と同じ空間にいると一生矛先を向けてきたりして、また俺らの間で喧嘩になったりしていた。
そして不幸が重なり、家の給湯器が壊れた。母はアパートだったり近くの祖母の家でシャワーを浴びていたが、母方である身内は全員母の味方をしていて被害者である俺を責める様な姿勢だったので、シャワーを借りに行く事は出来なかった。
そして、ただでさえ忙しい学校生活の中、チャリで2,30分ほどのアパートにいったり、家でガスを使って身体を洗える分だけのお湯を貯めたりと、更に家にいてもゆっくり過ごせない状態になった。
高3の記憶
母のあんな感じのキチ●イが1年以上続き、ついに父がアパートを借りて二人暮らしする様な流れになった。
正直いって父は家事はまともにできないし、何より汚い。
だけど、母のあのキチ●イを毎日受け続ける生活より断然良いと思っていたが、割とそうでもなかった。
まず、母からは何も支援を受けず父から毎月3万を渡されるだけだった。
父は殆ど家事をしないし、勤務時間帯的にあんまり顔を会わせる事もなく、ほぼ一人暮らし生活がスタートした。
そんな高3の大事な忙しい受験期に一人暮らしみたいな生活を強いられ、まともな生活費を渡されず、裏では受験費用は愚か目の前のお金すら悩まされて、そんな日々だった。
そして毎日、死にたいと思った。そして起きている間、ずっと色んな事を考えるようになっていった。
気づいたら鬱になっていった。
小学生の時からその時に至るまで、どんな日でも真面目に学校にいっていた。そして課題も真面目にやっていた。
そんな生徒が朝は起きれないし、授業も何も頭に入ってこなくなった。
当時の俺は疲れてるから怠くなって仕様がないよな~って軽い気持ちで考えたけど、鬱の症状で朝起きれなくなるらしい。
夏の引退までは変わらない詰まったスケジュールで、その上に家事や安さを考えただけの食事。
半年以上まともに勉強していない自分は学校に通って定期テスト等をこなしていくのに精一杯だった。
なのにも関わらず、馬鹿真面目だった当時の俺は大学受験しないと人生終わるとか狭いコミュニティに属していると出てくる典型的な思考に陥ってしまっていて、周りに合わせて漠然と大学受験をしようと思っていた。
周りは徐々に成績を伸ばしていき、親のサポートも手厚くなっていったり目に見えてギャップがどんどんと見えてきた。
その頃にはプラスの感情が湧かなくなっていった。友達と笑う場面でも愛想笑いだったり、周りが楽しそうにしているとため息が出てしまっていた。
白髪も段々と増え、ため息も常にする様になり、身体的にも鬱の症状が見え始めていった。
受験間近になると、また新たな問題が増え、もう書くの面倒だから省くが、更にストレスが増えていった。
こうして、今まで真面目に通学し授業を受け課題をして勉強して積み上げてきた人生は無駄になった。
まあそんなこんなで高校生活が終わり、その後の予定なんて何も考えていなかった俺はそのままフリーターになっていった。その後のフリーター1年目の時に気づいたが、受験に落ちて良かったと本当に思っている。
もし受かっていたら、入学金やら準備やらのお金でまたストレスを抱えていた。そして、大学に入っても周りとのギャップや気持ちよく過ごせない日常で更に鬱が悪化していたかもしれない。最悪死んでたかも
何よりバイトが楽しかった。今までは報われるかも分からない課題をどんどん突破していき遠いゴールを目指していたが、バイトはその場で対価が得られる。その感覚がずっと学生だった自分にとっては、すごく気持ちがよかった。
そんな感じで職場の先輩たちにも恵まれ、1年でお金を貯めて遠い場所にいって一人暮らしを始めた。
テレビでの不幸エピやドラマでの家庭崩壊物を昔にたまに見ていたが、まさか自分たちがこうなるなんて夢にも思わなかった。
一人暮らしを始めてからは全てが軽くなって、徐々に普通に近づいていき、日々に幸せを感じる様になっていった。
完治したと言いたいところだが、何かしらの物事がトリガーになったり時々憂鬱な気分になったり、やはり鬱病の原因である母親を一生許せはしない。
未だに本人は1mmも悪いと思ってないし、昔と何も変わらない。
数年経ったら母もさすがに落ち着くだろうと思って関わってみても、やっぱり人間としてどうしようもない人は子供の頃から一生変わらないんだろうなって、母と瓜二つの祖母を見て悟った。
母が過去にしてきた事は、母が精神を追い詰められたが故と仕様がない気持ちを少し抱いてたが、これを見ると元からどうしようもない人間だったんだと笑えてくる。
母は頭が悪すぎるし嘘をついて自分が有利な立場になろうとするし親だから立場が上だと勘違いしているし、そもそも話し合いにならない。不思議と祖母と母の喧嘩は成り立ってるらしい。もちろん彼女らは問題解決をした事はないが。
IQ20以上離れていると会話が成り立たないというが、これも本当だ。
まあこんな感じだから、母たちと関わるとアレルギー反応を起こすかの様にストレスが溜まるし、今関わらなくても後々面倒そうなので、縁を切りたいと思っている。
希死念慮が消えたかと言えばそうじゃなくて、昔みたいにどうにでもなれっていう考えたけど、幸せなまま死んでしまいたいって思う事はたまにある。
でも、死なないで今を生きて、そして楽しいと思えるのが本当に生きててよかったと思う。
普通に生きていたら今の視点や視野にはたどり着けないだろうし、どっちが楽しいだろうかと考えたら、やっぱり今のルートなのかもしれない。
「ありがとう」「ごめんなさい」が言える子だった。
だが、楽しくなかった。
ただ「部活を頑張ることはいいことだ。大会に出れることはいいことだ。そう先生や親が言うから」と思って頑張っていた。
高校も同じ。勉強も部活も「頑張れば幸せになれる」と信じてやってきた。
ただ友人ができない。そもそも学校生活、いや、人生が楽しくない。
この時点で私の中で確固たる思想が出来上がった。
「社会は信用できない。人の言う通りにしていても裏切られるだけだ」と。
そこでとにかく図書館に通い、本を読み漁った。
また友人に関しては、今までの反動でコミュニケーションを頑張り、なんとか友人を多く持つことができた。
そして社会人。
悪くない会社ではあったが、自分に合わないので辞めるべきだと、反対を押し切って退職した。
そして全くの異業種に就職。
これが私の挫折。
やはり周りの意見を聞いて、辞めなければ良かったのでは、と思った。
でも、高校生まで人の言うことを聞いて上手くいかなかった、幸せになれなかったのだから、自分を信じるしかなかったのだ。
そう思った。
結局今は、うつ病が治らず、障害者となり、障害者雇用で暮らしている。
回復の見込みがない。
自分を信じた結果が、これだ。
私は弱い人間で、人の言うことを聞くことでやっと一人前になれる人間だったのだ。
まさか。
そんなことが?
そんなことってあるのか?
書いていて、涙が出てきた。
私は、私を信じたい。
まだ希望があると信じたい。
この日記に、数年後、笑って返信できるように。
そうなれると、信じたい。