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2024-04-30

教育評論家さん「子どもが一番よろこぶ言葉5選」

教育評論家がこんなガバガバ言葉遣いしてるようじゃ日本語未来は暗いわ。

もう一回、"一番"の意味定義し直せよ。

増田レベルなんじゃ。

2023-04-17

anond:20230417190207

子供4人全員が東大理三な

その教育プランを全部佐藤ママが立てたって事で教育評論家やってる

ホリエモンはただ子供遺伝子が良いだけ、と言っていたが遺伝子だけで4人全員理三はないだろうよ

2023-04-10

anond:20230410082812

AI東大合格は無理!とかいって急に教育評論家になった日本のおばさんがバカみたいじゃん

2023-02-18

anond:20230218080155

ぶっちゃけあれはエログロバイオレンス描写左派イデオロギー反核正当化したような作品だし

教材としてガキに読ますならマシなものいくらでもあると思うんだけど

自分の庭で載せた以上は死んでも擁護せざるを得ない

2023-01-13

anond:20230113151313

自分いま大学生ですがこれは真実です、まじで。

別に自分たちは行事イベントが無くなった・小規模化したことに対しては「残念」だとは思ってるケド、自分自分たちが経験したことだけしか知らないか比較できないから分からない。

から自分のことを「可哀想」だとは微塵も思ってない。学校生活思い出しても普通にしかったし。

でも、教師とか親とか近所の人とかテレビで話してる教育評論家とか政治家とか、大勢大人から青春時間を奪われて〜」とか「可哀想だね」「残念だね」とかめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ言われ続けて、これを武器に甘い対応してもらえることを学習してしまったんよ。

仮に自分たちがやらかしても「負担を強いられていたかしょうがない」「やっと羽をのばせるようになったのよね」って謎フォローしてくれる大人の出現と、謎フォローに「それもそっか」って納得してくれる大人が出現したことで、「なんだか意味わかんないけど言い訳として使えるじゃん!」ってなっちゃったんだよな。

奪われたって自覚感覚もなんにも無いけど、ニュースで「若者代表」みたいな人もインタビューで答えているし、実際に周りもよしよししてくれるから自分も倣って被害者ヅラしよ〜〜〜ってる人はけっこういます

迷惑をおかけしとりま



学生生活に興味ある人向けの追記

すみません、こんな金魚の糞みたいなやつに追記とかしてしまって。長いです。まじで興味ある人向け。

大学生

コロナ関係いかもしれんけど、突然いなくなる学生がいるのもマジです。インターンとか実習中に突然飛んだ先輩の噂を色んな所で聞きます

規制全盛期は全部オンライン授業になったから、ペーパーテストも無くなってレポート課題だけになったんよ。学部によるかもしれんけど。

たまにテストがある講義もあるけどオンラインで好きな時間に受けられるし、答え確認し放題。先生側も多分わかってて問題は全部簡単でしたね。

そうなると、ほとんどがテスト勉強しなくなる。授業だって友達と遊びながらカフェパソコン開いてできるし、録画を公開するタイプの「オンデマンド授業」ってやつは好きな時間に受けられるから毎日が全休みたいな気分で最高でした。そしてオンデマンド授業は倍速再生とかできるのだ。

からギリギリまで予定をいれて、課題の締め切り当日に倍速再生しながら慌ててレポート書いて滑り込みで提出する人が大多数だったイメージ

そんな感じで「オンライン授業、自由度高いし楽だし好きだなー」って思ってたけど、対面授業が本格的に始まった今は、毎週の課題がその場で書けばいいコメントペーパーとかが増えたおかげでめちゃくちゃ楽になった。

そう考えるとコロナ禍の課題生活は大変だったのかもしれない。

でも自分含めみんなしっかりレポート取り組んでないから、先生いわく「書き方よくわかってない・お気持ち表明ばかり・形式バラバラ」らしい。

から今でも少し真面目に文献探して、提出前に2回くらい読み直したレポートを出しただけで相対評価で「秀」とか「優」をもらえる。

寝坊して間に合わない時も「喉に違和感あるからから受けます」とか言えばオンライン参加させてくれるからめっちゃ楽。

恋愛

今は規制もゆるゆるになってサークルも授業も自由になったかコロナ前と多分変わんないと思う。食事ときに異性の前でマスク外すのがちょっと恥ずい人がいるかもねん。

自分高校が共学じゃなかったからよく知らんけど、大学の同期で高校同級生とそのまま付き合ってるやつはパッと思いつくだけで5人はいから普通に恋愛してたと思います

高校では感染対策とか言いつつもやっぱり授業とかお昼ご飯以外(先生の目が少ないとき)は集まってはしゃぐ場面はあったし、クラスLINE通話したりzoomでわいわいしてたから楽しかったです!

なぜか校則も緩くなったし。

ニュースでは「青春を奪われた」若者さんが悲壮感を漂わせてるから自分高校だけ特別楽しいのかと思ってたんだけど、大学入ったらみんなも私と同じ感じで楽しんでたからびっくりしたよ。

でも、「辛かったでしょ」とか「我慢たくさんしたんでしょ?」とか「遊べないまま卒業したんでしょう?」とか心配されたとき悲壮感を漂わせると優しくなる(特に教師)ので、みんなでウェーブに乗じることも多いです。

迷惑をおかけしとります。

2021-11-25

痛みを知らないで子供は何を悪いと覚えるのか。

極度な体罰は駄目なのは間違いないけど、拳骨一つすら許さない親ってのは、ちょっと異常だと思ったほうが良いと思うんだけどね。

そもそも言葉だけでは身体的な痛みはわからないでしょう。

精神的な痛みだって最初は分からないと思うけどね。

それを言い聞かせればわかるとか、体罰では何も学ばないとか言っている親がいるわけだけど、そういう親に教えてもらいたいんだけどさ、言葉身体的な痛みはわかるの?

分かるのならどのくらいの痛みなの?その痛みを経験させてくれない?

身体的な痛みは親がしつけの為に必要ものの一つだよ。

それを痛みは恐怖しか与えないとか、偽善いたこと言ってどうするの。

恐怖は与えていいんだよ。だけど、何度も言うけど過剰な体罰は駄目。恐怖の度は超えちゃいけない。

恐怖は覚えるための一つの材料なんだから

これ、公園遊戯にも言えるんだけど、遊戯が危ないとか言っている親もおかしいでしょ。

そもそも遊戯怪我をするなんてのは、子供ならありがちだし、怪我は『痛い思いをしないために注意する』ための学習だよ。

そうやって子供自分を守る術を覚えるのに、親がその機会を奪ってどうするの。

同時に周りの住民騒音だなんだと学習する機会を奪ってどうするんだと。

痛みというのは、子供学習するための一つの勉強方法なんだよ。

痛みを覚えないから人を傷つけることを躊躇わない。そういう子供を作り出してるのは、体罰を極度に反対する親と言葉で優しく言えば理解できるなんて言ってるどこかの教育評論家だよね。

んで、出来上がった子供は叩かれたら即通報して親すら警察に投げるような子供なわけだよね。

もしくは働きもせずに楽して生きようとするニートだったり、そんなん作り出してどうするのかなって話。

ま、これは極論的な例だけどね。


何度も言うけど、『過剰な体罰は許されない』

けど、痛みってのは成長に必要な一つのファクターだよ。

これを否定していたら、大事な事を知らない子供のままだよ。

いい加減、気づいてほしいんだよね。

現代の子供を見ていたら、そろそろ理解できると思うんだけど。

2021-04-15

ほとんどの人は大学に行く必要は無い

まず言っとくと、大学就職予備校ではないから、就職に不利になるとかそんなのは知らん。この反論をよこしてくる奴は、文章の一文目すら読めないアホだから無視する。

大学に行っても、ほとんどの人はそこで習うことを身に付けられないし、将来役に立つこともないから、そいつらが大学に行くのは無駄だ。

ところが、インターネット上を見ていると、大学教育必要性を説く自称知識人が驚くほどいる。いわく、「大学教養を身に付け、豊かな人生を送るために重要」だとか。

もちろん、本当に「教養」のある人がこういうことを言ってる分にはいいのだが、そうじゃない人がこんなことを言ってるのは相当恥ずかしい。童貞セックステクニックを語っているようなものだ。

専攻にもよるが、大学専門課程の内容をきちんと理解している学生は、東大京大でも上位の2〜3割程度だ。それよりもレベルの低い大学では、その割合もっと低い。

インターネット評論かましてる連中の大半は、言うまでもなく、残りの7割強の層である。こいつらはただ遊びに大学に行ってるのと変わらないし、もちろん「教養」なんて身についていない。

というより、こいつらは大学、真面目に勉強している学生企業などにとって迷惑なのだ

標準的な履修内容が理解できない人が大半であるため、大学はそれに配慮する必要が出てくる。

たとえば、授業のレベルは落とさざるを得ない。真面目な学生は授業から十分な内容を学ぶことができない。

それでもなお、再履修や留年をする馬鹿一定数おり、翌年の担当教員TA大学院生、事務員などに多大な迷惑をかけている。

大学の成績は当てにならないから、企業採用活動形骸化する。結果、多くの学生勉強するインセンティブを失い、ますます全体の学力は低下していく。

彼らがインターネット上で教育評論をするなら、

「私は大学で何も勉強してきませんでした。今では、そのことを本当に後悔しており、同級生大学職員の皆様に多大な迷惑をかけたことを申し訳なく思っております。」

くらいの前置きがあってもいい。彼らはなぜそうしないのか。要するに自分大学に行ったのは無駄だったと自覚できていないのだ。それどころか、自分大学で何か貴重な能力を得たと思い込んでいる。

インターネットでは誰でも評論家になれてしまうから、こういう自分エリートだと勘違いした底辺ウヨウヨいる。

2021-03-30

高専存在を知らない教育関係者自分無知を少しは恥じろ

教育関係者ですら、高専存在を知らない人がいる。高専という進学先があることが見えていない人がいる。理工系に関心がありそうな子供に、「高専って選択肢もあるけど、どうだ?」というアドバイス一つできない教師塾講師がいる。教育評論家でありながら、高専存在を徹底的に無視するような人もいる。(一例 https://toyokeizai.net/articles/-/394133?display=b

嘆かわしいことであると同時に、非常に由々しき問題だと思う。

工業科学技術に関心のある子供なら、誰でも高専と聞けば少なからぬ興味を持つだろう。そして、高専にするのか普通科にするのか、その違いをよく考えて、悩んだ末に自分で進路を決定することは、それ自体がよい学びの題材であり、豊かな経験である普通科に進学するにしても、何も考えずにみんなそうしているしそれしか選択肢がないと思うから普通科に行くのと、高専比較した上で普通科を選ぶのとでは全く違う。高専存在無視する教育者は、この「悩む機会」すら子供に与えないという点で、その無知職務怠慢を厳しく非難されるべきなのだ

2021-02-15

anond:20210215092517

人として、多様性社会の一員として大切なことを学べる。

インクルシブ実践は健常者にとってもメリットが大きいって教育評論家や人権作文大賞に選ばれた作文が言ってる。

2018-07-18

anond:20180717214249

教育評論家の尾木直樹氏(尾木ママ)が使う言葉の語尾に

「~かしら」がついているのは、教養があるから???

2015-04-13

東京都青少年問題協議会にブーたれる仁藤夢乃のアホっぷり。

http://ameblo.jp/colabo-yumeno/entry-12012978757.html

この記事について。まー、わりと、この人なんもわかってないよね。

要するにだ、この手の委員会意味ってのは、ほとんど事務局行政)のプランオーソライズするところにしか意味が無いってこと。ここでできることというのは、行政プランを認めるか、認めないか、ということしかない。どんな行政施策だってメリットデメリットがあり、利害関係者を100%納得させることなんて不可能である以上、どこかでえいやと決めなきゃならない。そこで、行政外部有識者を使って、その施策が正しいとオーソライズする必要があるわけだ。その意味じゃ、こういう委員会やら協議会というのは行政アリバイ工作しかない。

さらに言えば、彼女の言う通りにして、この手の委員会が活発な議論をして、きちんと意見プランをまとめ上げるというのはほぼ不可能に近い。この手の有識者というのは、その選任について利害関係者や政治家意向というのを無視できない。そうなると、この仁藤夢乃みたいなバリバリ福祉ボランティアみたいなのも選任しなきゃならないし、凝り固まった教育ママのなれの果てのようなオバサンや、ゴチゴチの右翼みたいな教育評論家を自称するオッサン、あるいは教育問題について一家言ある大学先生などなど、様々な意向のある人間を集めることになる。そして、彼らの意見を集約しようとすれば、対立の果てに結論が出ないことになるか、あるいは、妥協の果てのキメラのような歪な施策しかまれない。まさに、ラクダとは委員会デザインした馬であるということわざのとおりにしかならない。

ついでに言えば、オーソライズをするという機能を果たすためには、その委員権威性が必要であり、権威がある人というのは忙しく、高いギャラを必要とする(高いギャラそのもの権威標章なのだ)ため、実質的勉強施策プラニングするようなことは出来ないのだ。もし、ここでまともなプラニングをしようと言うならば、委員に今の100倍のギャラを与えて、スタッフを雇わせて、シンクタンク形成し、協議会プレゼンテーションの場にするぐらいしか方法はない。それでも委員報酬無駄だって言うなら、この手の委員会だか審議会だか協議会だかをやめちまえばいいんだが、やめたらやめたで施策オーソライズが出来なくなるので、事務局利害関係者の意向を汲んだキメラを作るか(今でもその傾向はあるが、さらにひどくなるだろう)、あるいはぶっ叩かれて何もできなくなるかしかない。

結局のところ、施策を展開するためには予算必要であり、予算を認めるのは議会であり、議会は様々なバックグラウンド利害関係を背負った議員構成されているんだから、単純な正義が通ると考えているのは愚かを通り越して、最早害悪しかない。

その上で、彼女自分正義を実現したいならば、委員立場を利用して事務局積極的に関与し、あるいは情報提供をしたり、逆に情報提供を受けたりして、事務局原案からいじらなきゃならないのだが、こんなブログ記事を上げた時点で腫物に触るように扱う委員の枠に入ってしまったので、そのやり方も無理だろうね。ご愁傷様なことです。

2014-04-20

入学式を欠席する担任教師に呆れてしまう理由を考えてみた

担任が「息子の入学式」で欠席、どう思う?

http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/11262/result

まず、多くの人が「教師が入学式を欠席するなんて!」と呆れたことの理由を考えてみたい。

そして、自分自身が反感を抱いた理由を考えてみたい。

 

よく、国民教育評論家というけれど、実際には一人一人異なる教育を受けてきていても、同じような教科書を使って決められたカリキュラム教育を受けたという幻想があるので、報道されない個別、具体的なさまざまの事情をついつい無視して、自分の個人的な体験に置き換えて、善し悪しならぬ悪し悪しを語ってしまうんだろうね。

公務員から職業人だから

今回の件で教師を責める理由に、公務員なのに、という理由があったけれど、少し考えればそれは理由になってない。

私立の担任教師なら入学式を欠席してもよいと思っているのだろうか?そうは思えなかった。

 

日本人一般にある仕事優先論というのも、ちょっと違いそうだ。

批判している人は「担任なのだから」と言っている人が多い。

担任教師への高いハードル

呆れた多くの人たちの中には、自分の子供の入学式のために仕事を休んだ経験がある人も多いと思う。

なのに担任教師に呆れるとはどういうことなのか。

それは、担任教師に抱いている「当然の期待」のハードルが、とてつもなく高いからだと思う。

 

そして、担任教師への期待のハードルが高すぎる理由は、親から見て学校が、我慢して子供を通わせざるをえないところであるからではないか、と思う。

学校が親に課すハードルも高いのである

 

私が思う「学校が親に課す高いハードル」とは次のようなものだ。

 

学校はこんな高いハードルを親に求めるのだから、親も担任教師に対して過大な自己犠牲を求めるのではないか。

(この高いハードルを「親は学校/先生子供人質にとられている」と感じる人もいるかもしれない)

 

家族のために計画的休みを取ることについて、これほど反対が出る職業は、たとえばシーズン中のプロスポーツ選手くらいしか思いつかない(緊急時に出動する公務員はまた別の話だ)。

からさまに生徒を二の次にすることへの反感

たとえば医師患者の死に際して「我々も手をつくした」と言わなければならない。

気をもむ乗客が「予定どおりに到着しますか?」と訊いたら、乗務員は「はい大丈夫です」と言わなければならない。

実際には、手を尽くしたと言えない場合もあるだろうし、乗り物が定時に着くかどうかはやってみないと分からない。

 

でも、正直な回答をすると、相手は「ないがしろにされた」と感じる。

たまたまこの日は、一刻を争う急患の方が多かったので……」

「今のところは定刻ですが、この先で故障が起きないとは言い切れませんので……」

 

このように「論理的には正しくないことを、言明させる/させられる風潮」が日本特有かどうかは知らない。

 

担任教師の家族危篤場合、急に学校を休んだとしても、我が子をないがしろにされたと憤る親は少ないだろう。突発事項だし、教師だって人間だもの

でも、自分の子供の入学式に出るために計画的学校を休まれると、受け持ちの生徒は二の次です、と行動でハッキリ示されたような気持ちになる人もいるだろう。

「誠意がない」と感じるのではないか。

 

「誠意」を重視する、というと、日本特有のものにも思えてくる。

 

蕎麦屋の出前」という言葉がある。

最優先の仕事が同時にやってきたときに、人間なので、順序を付けないといけない。

でも、あからさまに誰かを後回しにすることはできない。

なので、遅くなった人から苦情が来た時は「今出ました」と言う。本当はまだ出ていなくてもウソをつく。

 

そう、ウソをつくのだ。ウソ方便

ウソ方便ではなく、ただのウソに。

これまではウソ方便で良かったのだ。医者患者優先順位をつけ、優先度:低の患者が死んだら「全力を…」と言い、家族はそれで納得してくれた。

 

だが、世の中段々厳密になった。世知辛くなった。すべて記録で残すようになった。

 

そうすると、真面目ぶって「トリアージ」などと、優先順位の付け方を議論しなくてはいけなくなる。

ルールをつくって、あからさまに後回しにする人をつくることになる。

 

今回の件が、どのようにして報道される程の大事になったのかは知らないが、かつてなら誰かが担任の不在に気づいても、校長が「ちょっと貧血になって休んでいました」とか言えば済んだのかも知れない。

今はもちろんそれはできない。

ウソはもはやただのウソ、悪なのである

 

後回しにされると分かって後回しにされるのと、後回しにされたとは分からないままに後回しにされるのと、どちらがよいのか。

 

「知らぬが仏」という言葉もある。

自分自身はどうなのか。

さて、では自分自身はどうなのか。

通常、この手の話では労働者側に立つことが多いと自分では思っているのに、この件に関しては自分担任教師に高いハードルを課していて、我ながら驚いた。

 

自分の子供の入学式に出たいのは親として当然のことだし、親だって担任教師の子育てを尊重すべきだ、という意見があった。

 

担任教師が休むことそのものが、子供教育にとって良いことだ、という意見もあった。

行動を通じて労働者権利ワークライフバランスの大切さを教えることにもなる、というものだ。

 

とても論理的だ。そして、わたしは割と論理的な話が好きな方だ。

でもこの話ではなぜか感情が先に立つのだ。

 

友人とも対話した。

 

友人「公務員だって平時は私用で有給取得できるだろう。労働基準法現場無視してよいのか」

自分担任教師の職務は特別で、子どもたちにとって唯一無二だ」

 

友人「副担任や教務主任での代行ではだめなのか?」

自分体調不良家族の不幸以外は、認めがたい」

 

友人「家族の不幸とそれ以外の境目は?」

自分計画的休みかどうか。他人の子供を預かるという仕事性質上、計画的に私用を優先することはふさわしくない」

 

友人「妊娠はどうか?」

自分妊娠計画的ものではないと個人的には思っている。不幸や入院と同じ」

 

友人「教師のなり手が減るぞ」

自分「有能でも信念がないのはだめだ」

 

このような私の意見は偏っていると思う。それは喜んで認める。

そしてその理由は、高校時代に受けた教育が、親にとっても教師にとっても非常にハードルが高いものだったことによるのだと思う。

 

昨日はたまたま高校(県立)の同期会だった。そこに集まったメンバーは、自分出身校に誇りを持っている。

(誇りがあるメンバーけが集まったのかもしれない)

同時に、入学直後に受けた指導が、一種狂気じみたものだったことも認めている。

(このサイトを見つけてメンバー同大笑い。ヤフー知恵袋 ★過激な校歌指導の現状★ ~埼玉県福岡県高校受験生へ~ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n224682

 

受験できる範囲内の県立高校としては一応トップ学校入学して3日目から、まぁ右翼ヤクザのような指導を受けるわけです。

高校一年生が男女問わず軍歌のような応援歌を大声で歌わされるわけですよ。

「○せ」みたいな内容の。

希望者が入る部活でもなんでもなく、全員が。

 

親の中には子供から学校の模様を聞いて憤った人もいたかもしれない。

その後の学校から親への態度も、基本的には一方通行だった。

課外の補習授業に自主的に参加しなければならず、毎朝6時半には子供を送り出さなくてはいけない。

夏休み冬休みも補習授業がある。

一方で体育祭ともなれば、放課後強制的に応援練習に駆り出される。期間中は塾通いもできない。

 

それでも親としては、子供によい大学に進学して欲しいから学校先生が「ウチは文武両道なんです。協力してください」と言えば、なかなか否とは言い難かったと思う。

その代わり先生も、毎朝休まず7時40分から授業をするし、当然ながら行事は全て出席するし、3年生ともなると元旦返上で模試をやる。

公務員としての高校教師の職分をはるかに超えて熱心に生徒指導をしていた。だから親も納得していたのではないか。

 

こういう環境で育ったから、担任教師が入学式を欠席、と聞いた瞬間に、反射的に自分の受けた教育と結びつけて、否定的な反応を示してしまったのではないか、と思う。

そう、最初に書いたように「自分の個人的な体験に置き換えて語ってしまいました」ということなのだ。

 
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