はてなキーワード: ボトムアップとは
Python vs Ruby vs PHP vs Haskell プログラミング言語バトル part1
http://anond.hatelabo.jp/20120118220204
Rubyistってなんであんな小学校の図書室で毎日読書してそうな
顔面オジサン、オバサンばっかなの?
Scalaer: 鼻持ちならない、モヒカン
Lisper: マジキチ
Rubyist: ネクラ、オタク、キモメン、いじめられっこネクラチビメガネ、色黒、キモオタ、顔面オジサン、オバサン
Rubyのブロックが便利すぎて、Pythonをやめたくなった。
いちいちtemporaryな関数を作成してから目的の関数に渡していたのがばからしくなった。
リストやジェネレータ式の内包表記が便利過ぎて
どうせ廃れる。
609
>リストやジェネレータ式の内包表記が便利過ぎて
おれもそう信じてたけど、Rubyの、メソッド呼び出しを続けて書けるほうが便利だわ。
まるでjQueryみたい。といってもjQueryのほうが後発だけど。
たとえば「xsから0以上のものを選んで、その二乗の和を求める」場合
sum([ x*x for x in xs if x > 0 ])
これだと、後ろから読まないといけないんだよね。でも
xs.select{|x| x > 0}.map{|x| x*x }.sum
これなら頭からひとつずつ読めばいいから、わかりやすいし、考えたとおりに書きやすい。
まさにスクリプトって感じがする。
Python: [[x,y] for x in xs for y in xs]
Ruby: xs.map{|x| xs.map{|y| [x,y] } }.flatten(1)
いっぽうメソッドチェーンは
orz.sage().hage().hoge().hige() タイプの問題には向いている
つまり向いている方向がちがう
(まあHaskellなら hige . hoge . hage . sage と書くだけだというのは置いといて)
強い弱いということで言うと、問題を解くのに必要な一番能力が弱い
(限定された)道具を使うという考え方があるようだよ
ベタ再帰は強い(汎用的)、がそれゆえ読むのに注意を必要とする
foldrは再帰よりは弱いが、foldrで表現可能な問題のクラス(原始再帰)はかなり
広いので、mapやfilterで済むならもちろんそのほうが望ましい
ではこの問題は弱いmapやfilterを結合させるほうがいいかというと、
俺はlist comprehensionのほうが集合表記そのもの=whatを表現していて好きだな
Pythonのlist comprehensionのsyntaxはあまり好きではないが
それは大きな問題じゃない
メソッドチェーンってバグをわかりにくくするだけだと思うなあ。もちろん性能面もあるし。linqとかは良いと思うけど。
同じメソッドチェーンでも、linqなら良いけどrubyなら悪い .....
一言で言うと「俺はRubyが大嫌いなんだぁーー」ということですな
内包表記は構文でサポートしないと難しい(マクロがあれば別だが)
メソッドチェーンが関数型の方法に比べて特に優れている点があるようには思えないが
パイプ順に書きたければ書けるし
680,663
Pythonには関数型として致命的な弱点があるから、メソッドチェーンでは簡潔なコードが書けない
たとえば「(1) Rubyは 条件判定が(文ではなく)式」だから以下のようなコードが書ける
if test
if test_1 then test_1_1 else test_1_2 end
else
if test_2 then test_2_1 else test_2_2 end
end
}
あるいは「(2) Rubyはブロック内で局所宣言が可能」だから上のコードを以下のように書き換えてもいい
cond_1 = if test_1 then test_1_1 else test_1_2 end
cond_2 = if test_2 then test_2_1 else test_2_2 end
if test then cond_1 else cond_2 end
}
関数型言語であれば「(1) 条件判定(if/case)が式」で「(2) 局所宣言(let .. in .. end)が可能」なの当たり前
ところが残念な事に、どちらもPythonには欠落しているから、上の例はストレートにコード化できない
だからPythonではメソッドチェーンは使われないし、「酸っぱい葡萄」に見える
Rubyでもリスト内包表記が言語として組み込まれてくれると嬉しい
だと思う
頭に浮かんだロジックをすばやくコード化するのはメソッドチェーンが適しているし、
じっくり腰を据えてコード設計するならリスト内包表記のほうが美しい
自分は、たぶんこのスレもRubyコアの中の人も見ているだろうから
そのうちRubyにもリスト内包表記が実装されるんじゃないかと期待しているw
メソッドチェーンは書き易い
内包表記は見た目が整ってて綺麗、最終的な型がわかり易い
いじょ。
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ボリンジャー・バンド入門 ― 相対性原理が取り明かすマーケットの仕組み (ウィザード・ブックシリーズ) - ジョン・A・ボリンジャー
いかにして問題をとくか - G. ポリア
実戦ボトムアップ・マーケティング戦略 - ジャック・トラウト
ビジネスパーソンのための契約の教科書 (文春新書 834) - 福井 健策
http://ascii.jp/elem/000/000/643/643497/index-2.html
↓はその通りだと思う。
このような日本の新陳代謝とグローバル化の遅れの背景には、日本企業の組織特性がある。日本の製造業が戦後、高度成長したときは、欧米の技術をまねて、低賃金で生産することができた。
「首相の決断」により郵政民営化も、原発の上からヘリで水を撒く事も出来た。首相レベルの決定権は今も強大なものが有ると思う。
官僚が優秀であるとはいえ、ここを縦横無尽に使いこなせるような立場にある政治家など近頃では皆無に見えてしまう。
誤解を恐れずに言えば、なぜ決定権を持つ人間が決定できなくなってしまっているのかというのが、
現状の「女性の風潮」に逆らえない
婚活に勝ち残らなければならず、
村のようなコミュニティは破壊されたので一人で子育てせざるを得ず、
旦那の給料を【未来永劫として確固としたもの】に仕上げさせなければならないプレッシャーが有り、
ご近所様からも【ちょっと上の立ち位置を築かなければならぬ】プレッシャーすら有る中で、
まだ高度経済成長期に築かれた【幻想・成功神話】を再び旦那に具現してもらわなければ困るのであり、
ゆえに日本社会的に【挑戦】してもらっては困る世界が出来上がる。
(近所やら知り合いに偉そうに出来なくなるから)
「寝た子を起こさない」発想から「協力」というコミュニケーションとして高い次元へ進まなければ
今、勝ち組でも10年後に負け組と同一の立場に置かれてしまうかもしれないという算段を持って今後の方向を検討出来る場が欲しいと思う今日この頃でした。
協会や代表の発端について言えばボトムアップだったのかもしれないけど、
Jリーグに関して言えば、プロ化の主目的は「試合レベル向上による代表強化」だったし、
クラブも元々サッカーの文化があまりない所に町おこし目的で設立した例も多いから、
どちらかといえばトップダウン的に進められてきた部分のほうが大きいと思う。
スポーツ日本代表って、そもそもはまず最初に国内各地でプレイする競技者たちがいて、地域や国内でのスポーツ活動をとりまとめる協会みたいなのが生まれて、
そこから国内にいる強い選手が選出されて代表になって、みたいなボトムアップ的なもんだと思ってたんだけど、違うのかな?
つまり、身びいき感情とか我らが代表となるチームを作るとかそういうモチベーションから成立したというよりも、
海外に行かないとプレイできないってのは競技者にとって不便だしファンも観戦しにくいので国内スポーツ界があり、その頂点たる代表があるんじゃないのかな、と
アホな家庭やアホでなくても放任しきりな家庭にゲームがあると子供は際限なく勉強もせずゲームをするし、友達が家に上がりこんで何時間もゲームってのはあるんだよね。
特にゲーム以上の娯楽を見いだせない、はてなのみなさんが差別目線を隠そうともしない「低偏差値」な層に多い。
で、ゲーム自体が有害ではなくとも、そういう親の教育なり友人関係において不全である状況ってのを放置するのはよくないことだと思う。
パチンコ中毒も似たようなもんで、時間だけ浪費する分ゲームのほうがまだマシだとは思うけど、突き詰めれば違いはそこしかないと思う。
ボトムアップ的な目線で公教育なり高等教育の重要性を主張する人ってはてな内外でそれなりに見るけど、彼らの主張って自制心ある家庭とかが前提なんだわ。
つまり彼らは端から本当に底上げすべき家庭は無視している。
で、そういう家庭を底上げしてはじめてボトムアップと言えるんだけども、彼らはそれを放棄しているからやってることは不安商売のそれと同じ。
そういう形骸化した家庭を無視して、それなりに機能している家庭にばかり「底上げは大事ですよー」なんて声かけたって聞こえるわけねーだろばーか。
というわけで、僕個人としてはバカの底上げのために娯楽は規制すべきだという立場を取ります。
エリートで、みんなが嫌がる勉強さえ好きになれたり好奇心を持って取り組めるはてなーのみなさんに置かれましては、たかがゲームパチンコ規制されたぐらいで娯楽には事欠かないでしょうから、そういう悪平等を甘受いただきたいですね。
いや、「そこまで糞な環境の家庭はもう無視して構わんよ。自業自得。甘え」という立場のみなさんにまで強制はしません。
ただ、先に挙げた家庭モデルってのは、お受験のない学校ではごく当たり前のケースだってことは理解してください。まあ数にして全世帯の半数以上でしょうか。
中学校では、
また、情報高校を新設し、
C言語やエクセルVBAを通したさらなるプログラミングの奥深さ、また、情報学など、より高度な情報分野への学習をする。
まず、IT業界というのはそれ以外では喰っていけない、職人のようなものである。
しかし、そこに多くの人材がたかだか四年程度の情報科を出て、すぐ戦力に回される事態である。
それが僅かな人材で高度なことをするエリート的なものではないのが、問題だ。エリート的な少数精鋭なら、学部教育で間に合う。
そこで、ボトムアップをしなければならない。
小中9年間の教育は大変重要であり、その9年はとてつもなく長い。
その9年で少しずつ今の高校情報レベルまで押し上げ、高校からは完全に専門的な学習へ移行させるのだ。
教員は情報教員枠として小学校から専属の、必修の社会人経験を積んだPGやSE、SIerが受け持つ。
つまり現場のノウハウをもとに実用的な教育ができるということだ。
私の提案したプログラムじゃ駄目だろうが、必要なことであることは間違いないので、ぜひここを見ているカンリョーさんは検討いただきたい
参照URLが間違っていたので返信されていたことに気づかず,
気づいてそうか納得できないかーと思っていたら,こちらですでに納得していたんですね.
これまた参照URLが間違っていたので気づかず..
すでに納得できたようなので特に返信することもないのですが,
質問の回答を書いてしまったので貼り付けておきます.
GTDについてはあんまり良く知らないのでなんとも言えませんが,
こんな風に書いているので,人生の目標をGTDで探すのは不適切なのでしょう.
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0812/31/news002.html
しかしデビッド・アレンさんはここで彼の経験に基づくアドバイスをしてくれています。それは「日々の仕事を片付けられないと、将来の目標など見えてこない」というものです。日々仕事に追われていたり、ストレスにさらされていると将来のビジョンは描きにくくなります。疲れた頭では自由に未来を創造することは難しいでしょう。日々の仕事をコントロールする術をまずは身につけることによってのみ、トップダウンのアプローチが可能になるのです。
将来の目標や価値観について考えをめぐらせることは悪いことではないですが、ボトムアップから始めたほうが結果的に自由な思考が可能になるかと思います。
やるとしたら,おそらく「人生の目標を探す」というプロジェクトを登録し,
次のアクションとして「○○を読む」「○○について考えをまとめる」とか登録するのではないかと.
具体的に将来の目標を考えるための手段としては他の方法を試すべきなのでしょう.
下記は目標達成可能性最大化を実践している知り合い(東大卒)から薦められた本です.
よく自己啓発系の本とかを読むと目標をたててそれに向かって行動することが重要だと書いてあります。成功者の本とか読んでも大体同じようなこと書いてあるし真理なんだと思うし、特に疑う余地はないと思っています。
僕も実際に中長期の目標を立てるということは以前からやっていたのだけれども、何かうまくいかないというか、なんで自分はこの目標を達成するためにがんばってるんだろうという気持ちがずっとありました。
そういったことをお皿を洗いながら考えたとき、ふとその理由を説明できるロジックにいきつきました。
それは、人が目標をたてるときに中長期の目標や、今日一日の目標、もしくは人生の指針とかも含めて色々あるけど、それらをボトムアップしていって最後にいきつくところは全部一緒なんではなかろうかということ。
結論からいうと、人の目標というのは「人生を楽しむ」というところにいきつくのではないかと思ったのです。
目標をボトムアップしていった結果これが最後にあるのではないかと。「なぜ人生を楽しみたいのか」という質問は存在しないのではないかということです(人生を楽しむことを諦めていたらそもそも目標とかたてないという見解です)。何を当たり前のことを思う方もいると思いますけど、以外とこれは気付いてなかったなと思いました。
これを説明するには、中長期の目標や願望を探してそれをボトムアップしていくとわかりやすいです。
例えば、僕は4年くらい前に社長になりたいという目標をたてました(このころは目標というよりは願望だったかもしれません)。でもそれ以上のところは何も考えてなかった。つまりなぜ社長になりたいのかという理由が説明できなかったんです。だから現実みもなくてあまりその目標に対して真摯になれなかったと思っています。
でも半年くらい前になぜそうなりたいかという理由を説明できないとダメだなということに気付いて、人生のビジョンというものを立てました。自分の人生はこうでありたいという指針です。それは中長期の目標や願望を元に考えます。僕なら、なぜ社長になりたいのかということです。もちろん願望はそれ一つではないですから、願望を洗い出して3つの人生のビジョンを立てました。
すべての目標はこれに向かってなければいけないし、行動もこれを基準にすることができます。で、さらにこれをボトムアップすると、それは「人生を楽しむ」というところにいきつくのえはないかと思ったのです。そしてそれはほとんどの人にとって同じなのではないだろうかと。何を楽しいと思うのは人それぞれ違うでしょうから、ここで例としてあげたビジョンというのは人によってかわってくると思います。
目標を持ってない人や、目標を立ててもいまいちしっくりこない人は、自分は何をもって楽しいと思うのか考えてみるといいかもしれません。僕は欲張りなので仕事もプライベートもどっちも楽しくして、さらに人から「この人はすごい!」と思われたいという願望があります。
人によっては家族が幸せであれば仕事はなんでもいいという人や、大企業の社長になって日本を牛耳りたいという願望の人もいると思います。それらのいきつく先はすべて「人生を楽しくする」ということに向かっているのがわかればすべての目標と行動を説明できるようにり、目標を達成するためのモチベーションになるのではないかと思います。
以下余談。
これを企業に当てはめるときにどうかと考えたときに、経営理念というのはここでいうビジョンに当たるのかなと思いました。例えば「よりよい製品をつくって社会を豊かにする」という経営理念があったときに、じゃあ何ために社会を豊かにしたいのか、という質問は成り立つと思うのです。その企業はなぜ活動を続けるのかという理由をもっと明確に説明できるようにならないといけないのかなと。でもそれはそれほど簡単じゃないのかな。それについては何かわかったらまたまとめたいと思います。
逆進性緩和措置付き消費税、というか最低限の生活で発生するであろう消費分の消費税相当額を還付する、というのは多分おまいさんが想像している付加価値税とは違う仕組みだけど目指すところは同じじゃないかな。
個別の品目ごとに税率を変えるのはそれはそれでありなんだけど、結構不正の温床になったりいびつになったりしやすい。どこまでが贅沢な食べ物でどこからは贅沢じゃない食べ物なのさ、とかね。この辺に細かい条項あると悪用出来ちゃって、今の日本でも益税ルールは脱税の温床になっていたりする。欧州でもこの辺色々問題もあってお役人が大変だったりお役人の目を盗み放題だったり。
で、「この品目は贅沢品、この品目は贅沢品じゃない」という決め方でもいいんだけど、全く逆の観点で、どんな用途であれ「必須な方から100万円分までの消費は贅沢品ではない」みたいな考え方でもいいんだよね。100万円までは最低限。それ以上は贅沢、みたいな。この100万って数字はとりあえず適当です。
では例えば消費税10%の時に「必須な方から100万円分に相当する消費に掛かった消費税」だけどうやって非課税にするんだって話なんだけど、これは実はすごく簡単なんだよね。ぶっちゃけてしまえば単に10万円配ればいいんだわ。そしたら「必須な方から100万円に相当する消費に掛かった消費税の10%を還付」できる。え、と思うかもしれないけどこれでちゃんと帳尻合うんだよね。爪に火をともして80万に抑えた人はちょっと得するけどそこは大した規模にはならないのでよく頑張りましたってことにして目をつぶる。
この還付というのは一昔前だと大変だった(定額給付金とか悪夢だったし、だからこそ欧州では当時無理だった)のだけど、納税者番号制度とコンピュータがあれば源泉徴収と相殺処理できるようになるのでものすごくシステム的に効率が良くなる。
上の100万という数字は結構適当で住宅費とかの非課税項目差し引いて最低限だと100万は高いだろうから、数字は統計(もしくは生活保護水準か何か)から真面目に計算する必要があるけど、イメージ的にはこういう感じ。
なもんだから、手順がトップダウンかボトムアップか的な違いはあるけど、目指してるところはおまいさんの望んでるところとそんなに変わらないと思うよ。
「消費税で取ってBIで緩和」というのが割と昔からあるネタで、この手法はその亜種というかライト版なわけだけど、なんかもー、あれだね。菅の説明が悪すぎる。いや上のようなことを言ってはいたんだが説明が長いからあっさりはしょられて変な話に。政局化するためにみんなが意図的に変に話を捻じ曲げたというのもそりゃあるけど、選挙直前の今言ったらそりゃ捻じ曲げられるだろうと小一時間……。
ルールの問題かなあ。
社会的慣習まで含んでいるならまあそうだろうけど。
アンチ社畜はまず自分が雇われの身であって立場は常に下であるって現実と向きあうことから始めればいいんじゃないかなあ。
ボトムアップなんて言うけど、トップが裁量権を持っていれば常にトップダウン式にならざるを得ないし。革命がしたいならまず仕事辞めればいい(というかボトムアップなんてのは下克上や革命以外に適用できるのかねえ)
格差是正にしろ、その生活で満足できないから湧き上がるボトムアップ的主張なわけで。でも是正するのはトップだってこと、わかってるのかなあ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100330/213728/
先端の基礎科学ってのは収益を産み出す工学のボトムアップに必要不可欠な物だと思う。
上を目指さずに裾野は広がらないし、裾野が広がらなければより上を目指すことは出来なくなる。
様々な工業技術が発達した今の世の中で、発達したが故に頂上を見極めるのが難しい。
裾野しか知らない人間からすればそんなに高い頂上は要らないと思うかも知れないが
今の頂上を目指してきて、もっと上を目指しているからこそ裾野に大きな利益が生まれているのだ。
まあ、もっと簡単に言うと金稼げないとこなんていらないっていうなら大学も文学部や理学部なんて潰して
少しでも利益の出せる分野に人回した方がいいよね?
【インタビュー】署名サイトを運営した東京大学医科学研究所病院・湯地晃一郎氏
ttp://www.yakuji.co.jp/entry17692.html
――今回、事業仕分けに端を発した一連の漢方薬保険外し問題について、どのような感想を持っていますか。
湯地 電子署名に関して言えば、歴史的な革命的事象が起こったと思っている。患者さんにとどまらず、漢方薬を服用していない10~40歳代のインターネット利用者が,危機感を共有し、自分の住所、氏名という個人情報を、自発的に善意で第三者である漢方薬の署名サイトに提供し、意見表明したという行動が、厚生労働行政に対し大きな力となったことは、今までの日本の政治史上に見られなかった動きだ。
――電子署名の約9万5000通という数字については、どう見ていますか。
湯地 約10日間という短期間で,10万通近い電子署名が集まったことは、かつてなかった事象であり、画期的な数字だと思っている。
今回の特徴として、漢方薬を服用している患者さん・ご家族に加えて、漢方薬や医療と全く関係ないと想定される一般のインターネット利用者層から,多くの署名があったことが、署名数の爆発につながったと想定される。インターネットの巨大掲示板(2ちゃんねる、まとめサイトのハムスター速報)、SNSのmixi、ミニブログのtwitterなどのメディアが大きく寄与した。
医療や漢方薬に対する市民の関心の高さ、あるいはネット利用者への情報提供が、医療や漢方薬に対する関心を高めたことを反映していると考えられる。
――その中で、最大の牽引力となったメディアは何だったと見ていますか。
湯地 起爆剤となったのはtwitterである。11月27日金曜日早朝(木曜日深夜)、午前1~3時に署名数・署名サイトアクセス数が急増したという,極めて特異な現象が生じた。漢方薬の保険外しに危機感を持った患者さんのブログをきっかけに、一気にtwitterで話題が広がり、署名の起爆剤となった。twitterの高いリアルタイム性、伝播性が遺憾なく発揮されたと考えられる。その後、掲示板やSNS、ブログ、メーリングリストでの署名呼びかけなど、様々な電子媒体が大きな推進力となって、約9万5000通の署名につながった。
なお、漢方署名運動に先立ち、twitter内で勝間和代氏がデフレ脱却署名運動を11月4日に開始していた。これは、twitterのアカウント(@anti_deflation)に賛同者のフォロー(追従)を募るものである。12月17日現在、3000人強のフォロアー(賛同追従者)を数えているが、漢方署名運動は、9万5000人という圧倒的数、そしてネット利用者が、住所・実名という個人情報を提供したという点で、質量とも全く異なる。ネット世界が、現実世界に大きな影響を与えたのである。
湯地 11月28日に某有名ブログに、漢方薬の保険外しはデマとの記事が出た。この記事が,電子署名の撤回につながるのではないかと,事務局は危機感を持った。ところが、その後にすぐ良識を持ったブロガーが反論して,デマ説を一蹴するという揺り戻しも来た。ネット上では賛否両論に意見が寄せられたが、読んでおかしいと思った人が,逆に署名してくれたという要因もあり得る。それだけ,今回の漢方問題は大きな現象になった証である。
――今回のネット市民による電子署名の盛り上がりを通じて得た教訓については,どう考えていますか。
湯地 今回事業仕分けで様々な項目が,予算の削減、廃止対象になり、多方面で反対運動が行われた。この反対運動の方法は、大きく二つに分けられると分析している。
一つは、ノーベル賞受賞者、オリンピックのメダリストなどによる有名人を動員したトップダウン式の反対運動。これはメディアで報道され、大きな世論を盛り上げる影響力がある。仕分け関連団体が単に反対声明を出し陳情を行っても、全くメディアが取り上げないため,世論への影響力は乏しい。
もう一つは、われわれが取ったボトムアップ方式である。以前から財務省が漢方薬の保険外しを狙い、そのたびに署名を集めたという歴史的な経緯もあり、民意を総集する手法を取った。その結果、わずか10日間で約27万人、3週間で約92万人という署名数を集め、厚生労働大臣宛てに提出することができた。さすがに政権与党の民主党も、これは無視できないということで、役員会で漢方薬の保険継続を正式決定し、12月17日に与党3党の予算要望の3項目に盛り込まれた。
われわれはボトムアップの手法で民意を総集したため、最終的に政権与党を動かすことが可能となった。漢方薬を保険で継続使用したいという患者さん、ご家族、一般市民の総意が政権与党、政府に伝わったが、83万人弱の書式署名に加え、インターネットという媒体を通じた約9万5000通の電子署名活動も大きく寄与したと考えられる。
――今回、改めて漢方医療のあり方がクローズアップされたわけですが、一連の署名活動を通じて、漢方医療の進展にどう生かしていったらいいとお考えですか。
湯地 民主党はそもそも,マニフェストで統合医療、漢方を推進するとうたっており、財務省の意向で保険から外すという文言が入ったが、そこから強力な押し戻しが起こり、約92万通という多くの民意が集まった。逆にこの民意が、政府が国策として漢方医療を推進する後押しとなれば幸いである。<<
天下りって、一概に悪いように言われるけどさ、
もともとは頭のいい人たちなわけ。
官僚だからさ。
一部にはクソも混じってるだろうけど。
そんな人がさ、他団体の理事について、
「ああ、○○だけど、△△君(長官)いるかね」
って電話一本かけるだけで
業務が超スムーズに進んだりするわけ。
フツーなら書類用意したりなんだりかんだり
ボトムアップで一週間はかかるようなところを
天下りの人たちもすごい存在意義がある、
業務上有難い存在でもあるわけよ。
いわばホットライン。
で、せっかくクソみたいなじじいたちが死んでいって
ようやく若手つーか、戦後生まれの人たちが
クリーンにしつつあったのに・・・・・。
木っ端微塵ですよ、これで。
役に立たないじじいに何千万も払ってる、
官僚ら許すまじと
わっかりやすい構図を描いたやつは誰なんだ??
くたたんは「フルスクラッチ指向」で、任天堂は「枯れた技術の水平思考」だ。だから、任天堂が正義だ。妊娠大勝利!ということを言いたい訳ではないのだが。
とは言え、素人が妄想するに、もし、「成功から没落への流れ」があるならば、以下のような物ではないかと思った。
(1)先端業界ではなく、"周辺"業界において、何らかの商品企画が立ち上がる。もちろん、金がないので、技術的には、チープな既存技術の組み合わせである。日本の場合、開発者の現場感覚のアイディアの妙が問われる。「枯れた技術の水平思考」。米国の場合、壮大な未来的ビジョンの中の尖兵としての立ち位置である。前者の場合、会社の上層部は大して理解も期待もしていない。後者の場合、理解も期待もある程度している。ただ、両者とも、安い掛け金を賭ける分散投資の駒の一つでしかないし、"周辺"業界なので、一癖も二癖もある屈折した人材が集まっているのは変わらないかも。
(2)日本の場合:「たまたま当たる」。当たったので、ゴテゴテと付加機能をつけて、バージョンアップしながら商品の寿命を延命する。当たらなかったら、次の商品開発に向かう。米国の場合:地道に理想に向かってバージョンアップが続けられる。ある日、追加した付加機能がユーザーから素晴らしく評価され、いきなり「歯車がかみ合う」。それでも、当初の壮大な未来的ビジョンに向かってバージョンアップしていく。いくらバージョンアップしても、ユーザーに評価されず、兵站が尽きたら、次の商品開発に向かう。
(3)日米共通だが、徐々に部分部分をフルスクラッチ化していき、他者が追いつけないようにする。
(4)日本:付加機能をつけすぎて、ゴテゴテしてくる。一般的に、日本の場合、ボトムアップ型であり、ビジョンがそもそも明確でない場合が多い。右往左往しながら進んでいく。ウリに出来るような付加機能がなくなったら商品寿命はおしまいに近い。米国:米国の場合は、トップダウン型で、当初の計画のビジョンが達成されたならば、日本と同じようにゴテゴテと余計な機能をつけ、迷走する場合が多い。逆に言えば、任天堂は、「枯れた技術の水平思考」の本家だけあって、フルスクラッチのリスクの罠からうまく逃げているように見えるし、アップルは、そのたびに新しいビジョンを提示するという逃げ方をしているように見える。細かいバージョンアップの積み重ねと比較的リスクを抑えた許容範囲内の冒険/実験をするのが大切であり、トレンドになっているような気がする。良く悪口を言われているSCEでも、ファームウェアの細かいバージョンアップは評価されているし、MSのフリーの開発環境などもかなり評価されていると思う。
(5)その商品を打倒するような「イノベーションのジレンマ」が起こり、打倒される(可能性が高い)。
はてな界隈では「はてサヨ」なる言葉があるぐらい、右翼とか左翼とかという単語はバズワードなので、
そもそもそれぞれどういう思想を指すのが適当なのかについて、整理してみた。
フランス革命政権において、非特権階級の利益を代表する勢力(=共和派・革新派)を左翼、それに対して旧体制における受益者の利益を代表する勢力(=保守派)を右翼と言ったことから(議会の座席の位置取りに由来)
持たざる者である左翼が、(平等志向の)分配を要求し、持てる者である右翼が非分配を主張するという構図が一般的。
左翼は(理想主義的な)平和志向が強く、右翼は好戦的とは限らないが、交戦権自体は主張する。
ただし、これに関しては例外は多い。
自民党のやってきたことは「右」路線なのは間違いない。(陳情によるボトムアップは正に「右」の手法)
しかし徐々にボトムアップの「ボトム」が経団連に代表される巨大企業になっていったことで、義理と人情の代表ではなくなった為、
小泉手法のような奇策に走らざるを得なくなり、そのあとは政権を失ってしまったのだと思う。
ここで重要なのは、陳情をしてくる相手が票をまとめられる存在であり続けたなら惨敗にはならなかったという事ではないかと思う。
企業トップの利益がその従業員、および取引先企業の利益と決定的にかけ離れてしまっているからこそ、自民党路線は民衆の支持を得られなくなってしまった。
また、一方で、企業の側も、(国内)政治による利益誘導がどうしてもと言うほど重要ではなくなっているからこそ、票をまとめられるような待遇と政治への要求をしなくなったのでは無いかとも思える。
もはや舞台は国内の議会政治がメインではなくなったのだと言う事で、もう議会の中での勢力争いそのものも時代遅れになっている。
民主党が「左翼政党」かと聞かれれば、微妙だと言わざるをえない。
なぜなら、左翼は最適社会の構築の為にこそ奔走するのであって、それに「友愛」が必要な筈はないからだ。
どちらかと言えば「人情」を謳う(日本的で穏健な)右翼の手法に近いが、「友愛」は外国に向けても謳われているところが違う。
推測するに、「全体」の範囲を「地球」に拡大した上での、経済的分配を伴わない「最適化」のツールとして言っているのではないか。
新種の左翼だとしても、多分200年は早い(かりに方向性があっていたとして)。
・ネトウヨが有名に。
・頻繁に誹謗中傷が飛び交う
・しかし余り極端な左翼論者が多いようには見えない
・ナチュラルに右翼な発言の人が散見される(そしてホッテントリ入り)
・個人ブログでの左翼な発言は目立ちにくい?(ホッテントリ入りはあまりしない)
http://anond.hatelabo.jp/20090920004141
官僚だけでなく族議員も目の敵にして議員立法すらさせないで党に拒否権はないとか言う人までいるわけだから、これを政治主導と称すること自体ミスリードと思う。昔の自民党が族議員が各業界各地域の要望をボトムアップで政策作ってて、大臣が名誉職的な位置づけでその分野の能力も必要とされてなかったから、大臣とか内閣からすれば、指導力を発揮しようとしても族議員の意向を受けて動いてる官僚に邪魔されて自分達の政策が骨抜きになってるのが官僚主導のように見えてただけの話で実際は議員主導といったほうが正しい。責任の所在を明確にするには内閣主導で形式的な責任者が実質的な責任者であるべきというのは正しいと思うが、トップダウンで決める弊害が気がかり。