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はてなキーワード: ボトムアップとは

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-11-08

ボトムアップで始まっても大きくなったらスーツが来て、頭の良い人が消えてトップダウン構造になってしま

2022-10-25

anond:20221024213927

共同富裕の達成=10億総中流化があと10年かかるとして、10年後には5億人の農民は習おじに感謝してるだろう。

ワイはそれだけで立派な政治家だと思う。

なんといっても5億人の生活改善したのだから。これは並大抵の努力ではない。

テック企業を押さえつけたりしてインテリから批判されたりしているが、本人が下放されて農村生活を送ったからこその政策だと思う。

格差と腐敗をなくして民衆生活ボトムアップ、これには文革2.0のような集中権力必要だったということではないだろうか。

2022-09-24

anond:20220923235519

〉無理のないシフトを組めるだろうし、従業員の細かい改善を全員で共有できて他工程にも横展できるだろうしすごい効率的

ほんこれ。

従来の旅館仲居って、住み込みで働くのが前提にあるからか、夕方担当部屋のゲストチェックインしたらお迎えして→夕食準備・サービス・下膳→退勤22時→翌日6時半出勤で布団上げ・朝食準備・サービス・下膳→アイドルタイム→出発見送り→アイドルタイムチェックイン(以降リピート)っていう、働いてんだか休憩してんだかが混じり合った勤務体系なんだよね。調理とかもそう。朝食→アイドルタイム→夕食でしょ、一日拘束して中抜けスタイルから調理場の板さんとか中抜けしたってパチンコ行くくらいしか時間使えてなかったもん。

多能工化すれば、遅番:12時チェックアウト→清掃→チェックイン→夕食提供21時で8時間で帰れたりするし、人道的だなって思う。ていうか今どき、中抜け勤務体系なんてじゃ大卒者も採用応募してこないでしょ。ハングリー若いスタッフ多めじゃないとボトムアップの魅力増強案なんて具現化までこぎつけられないわけで、あの星野特有のこざっぱりしつつ適度にローカル感もあるサービスを維持するのに多能工化は基本だと感じる。それにチェックイン飲食接客を同じスタッフ担当すると話がはずんで嬉しいってお客さまもいる。チェックイン顧客情報把握して、夕食の長時間サービス対応中におすすめ観光情報伝えられたりとかね。(客室清掃だけは独特な作業からただ大変だった思い出、しかたなし)

から逆に、年配の女将仲居が連れ添って挨拶に来て床の間の室礼トークして心付け渡してっていうのがやりたいゲストは本当に界が向いてない!

2022-08-17

リクルートテクノロジーズにはガバナンスが無い

リクルートテクノロジーズ社長は全社員に「ガバナンスボトムアップ文化の両立が難しいと感じている」という内容のメールを送った。

ボトムアップ文化ガバナンスに一体何の関係があるのか理解に苦しむが、この考え方からリクルート系の会社ガバナンス存在しない理由が見えてくる。

お偉い様方はボトムアップ文化言い訳にして何かが起こると「下が勝手にやりました私達に責任はないです」とこういう態度なわけですね。

2022-08-02

anond:20220802104617

最低賃金が上がる→その他労働単価のバランスを取るための賃金底上げボトムアップ)が起こる、という理屈だろう。逆の発想であるトリクルダウンも起こらなかったので、ボトムアップが起こるかは知らん。

2022-07-24

社員の8割以上に対して週4日以上のテレワークを推進する企業には、社員100人につき100万円/年くらいの現金継続的に配ればいいと思うよ。これなら経済にも打撃は少ない。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4722778296529520002/comment/shields-pikes

れいいな。

これが本当の「奨励策」「上策」というかんじがする。

下限を20からかにすれば、中小零細にもテレワークは確実に普及するだろう。

勤務実態証明するためには、ってことで勤務管理ソリューション活性化して一石二鳥

で、勤務管理のムダが可視化されて、日本人生産性ボトムアップになったり。

真の「働き方改革」になるかと。

2022-07-04

増田

夏になって紫外線強くなってきたね。

皮膚癌防止のためにも男性日焼け止め塗りませんか、そして日焼け止めの代わりに化粧下地を塗りませんか。

というのもこの前男性メイクって世の中的にあり?なし?みたいなテレビがやってて、がっつりはなしだけど下地くらいなら清潔感があって良いって結果だったんだよね。

で、お散歩の時夫に自分下地日焼け止めを塗ってあげたん。

そしたら見事に清潔感ある化粧っぽくないチュルンとしたキレイおじさんが!目の前に!

これは良いと思ったよ!フェミニンな感じもなく、肌質がボトムアップされてただただ美肌になった感じ。

化粧落としなしで洗顔石鹸だけで落ちるもの最近は沢山あるし、色を選べば絶対浮かない。テカりが嫌な人はそこにミネラルパウダーベビーパウダーみたいなもん。さらさらするだけのやつ)のっければ完璧

自分は化粧してます!って男性苦手なんだけど、下地だけはすごくいいなぁって思った。

2022-06-29

[][]「選挙の話 赤松健 と 藤末健三(ふじすえけんぞう)」

2022年7月10日に「第26回参議院議員選挙」(即日開票)が行われる。

表現の自由陣営所謂オタク陣営」)の間では、「比例代表制」に様々な政党から表現の自由を守る」と主張する候補者が現れていて
「誰に投票するか悩む」となっているが、オタク陣営の皆の投票の参考になる話を書きたい。
素性を明かしたくないので匿名な場で記事として書かせて頂くが、きっと参考になると思う。

今回、私は、比例代表制では「藤末健三」に投票する。

から語るのは、その理由だ。
当主観の入った記事になるが、投票先を決める際の参考になると思う。

なお、前提として言っておくと私は藤末先生と会った事がある。

それは、昨年…2021年秋の事だった。
この頃、2019年参議院議員選挙で54万票を獲得して当選した山田太郎議員は、
日本各地の同人誌即売会赤松健先生と一緒に参加し、同人誌即売会の閉会後に
会場近くの施設フォーラムを開催するという事をしていた。
大体、同人誌即売会は15時~16時ぐらいに閉会するので、フォーラムの開会時間は16時~17時頃だ。
フォーラム…言い方を変えれば講演会と言えば良いのだろうか?
支持者に対する政治活動報告会と、今後の政治戦略の発表だ。

その中で、山田太郎議員と藤末健三議員が同じ同人誌即売会に参加し、
その後、両方ともフォーラムを開催したという出来事が2回ほどあった。

その際、藤末健三議員は、山田太郎議員フォーラムが終わる時間に開始時間をずらし、
両方に参加したい人は両方に参加できる様にと気を遣ってくれていた。
私は、その日、両方のフォーラムに参加した。

山田太郎議員フォーラムは、赤松健先生ゲストに招いての物で、聞きに来ていた人の数は
凡そ、40名前後だった。
赤松健先生ゲストという事で増えた分も有るのだろう。

その中で、参加者から山田太郎議員に対して下記の様な質問が出た。
参議院議員は、一度当選すると任期が6年と固定されています
山田太郎先生が次に参議院議員選挙に出るのは2025年の夏になります
仮に、2025年参議院議員選挙落選した場合はどうするのでしょうか?」
という質問

それに対して、山田太郎議員
2025年選挙でも当選する事を考えていますが、表現の自由を守る政策のための
戦略として、2022年夏の参議院議員選挙に、一人、僕の後継者となる候補者
立てようと考えています
候補にする人は、”今まで政治経験が無く”、”政治団体・宗教団体等といった支援団体
存在していない、党派性に縛られる事なく活動できる人”という条件に当てはまる人を考えています

その人と僕とでタッグを組んで、3年置きに交互に参議院議員選挙に出て当選し続ける仕組みを
作っていければ表現の自由関係政策は盤石になると考えています
もしそういう人で、僕に紹介したい人等が居たら自薦でも他薦でも良いので僕の事務所まで

メールを送ってください、今年(2021年)の年末ぐらいまでに何人か、条件に当てはまる人に
会って、候補者を決めたいと思います。」
と答えていた。
そして、2021年年末頃に、漫画家赤松健先生山田太郎議員の推薦で自民党から
2022年7月参議院議員選挙比例代表候補として出る予定である事が発表された。

話は、このフォーラムの日に遡る。

山田太郎議員フォーラムの後、藤末健三さんのフォーラムに行った。
藤末健三さんのフォーラムに参加していた人の数は10人に満たなかった。
フォーラム開始前、私は藤末健三さんに疑問に思った事を聞いてみた。
その際、山田太郎議員フォーラムに行っていた事も話した。

藤末先生は言った。
「実は、山田先生山田太郎議員)のフォーラムに参加させてもらえないか
山田先生に聞いてみたんですけど、断られたんですよ。」
この時は、藤末健三さんが何故断られたのかは解らなかった。

だが、藤末健三さんのフォーラムで話を聞いていて断られた理由が分かった。
藤末健三さんは2016年参議院議員選挙当選した現職(2021年秋時点)だった。
そして、前回(2016年)の参議院議員選挙の時点では、宗教団体系に近い支援団体
付いていたそうだ。
山田太郎議員が述べた、タッグを組む人の条件の
「”今まで政治経験が無く”、”政治団体・宗教団体等といった支援団体存在していない、
党派性に縛られる事なく活動できる人”」とは、つまり
「藤末健三議員2022年参議院議員選挙で改選対象になっているけれど
僕は、藤末健三議員推してタッグを組む事はしない」
という宣言だった訳だ。

そんな話がされていたとは露知らない藤末健三は、フォーラムの中で
私以外の参加者から2022年7月参議院議員選挙で、どう票を集めようと考えているかを聞かれた際
秋葉原選挙事務所を構えて、山田太郎議員が前回(2019年)に
やった様にやれればと考えています山田太郎議員から協力して貰えれば尚良いですが。」
と言っていた。
聞いていて、この藤末議員という議員ちょっと天然キャラなのではないだろうか…と思いつつ、
私は
山田太郎議員には山田太郎議員のやり方が有って、藤末議員には藤末議員のやり方があると思います
山田太郎議員と同じ事をするのではなく、藤末議員には、山田議員に無い魅力が有ると思うので
山田議員に無い、藤末議員の魅力を見せて行く方が良いと思います
意見した。

これは主観だが、山田議員フォーラムと藤末議員フォーラムの両方に行って
山田議員トップダウン型、即ち上からルールを作って表現者を守る事を政策として考えるタイプ
・藤末議員ボトムアップ型、即ち現場の状況から現場改善する政策を上に対して提案するタイプ
と、政策タイプ真逆だと感じた。

そして、山田太郎議員は、自分のやり方・政策を浸透させる上で、藤末議員をどの程度かは知らないが
快く思っていないのではないかという印象を受けた。
邪推すると、山田議員2022年7月参議院議員選挙で藤末議員落選させて、藤末議員落選した枠に
自分とタッグを組む人物議席に入れたいのではないかと感じた。

念のために言っておくが、主観で感じた話だ。

今回の選挙が始まってから2021年の冬のコミケ開催に際して、藤末議員が相当に尽力したという話が
流れてきているが、これはその通りだと思う。
コミケ再開のために現場から提案する形で動いた藤末議員は実際に最大の功労者だろう。
これは、藤末健三さんがボトムアップ型で行動する人だから出来た事だと、私は見ている。

私は、赤松健先生と藤末健三さんで、どちらに投票するかと聞かれたら、藤末健三さん一択だ。

昨年秋の、参加者数が10人といないフォーラムで話をした時から、藤末健三さんに投票する方向にしよう
と考えていたが、それが選挙期間になってより固まった。

山田議員にしてみれば、多分面白くない事だろう。
タッグパートナーとなる赤松健先生の分の票が藤末議員に持っていかれる可能性もあると危惧しているかも知れない。

Twitterで、赤松健と藤末健三で検索してそれぞれの評価や、それぞれに関するツイート数を見ると、
どうも、今回の選挙では藤末健三を好意的推している人が多い傾向が有る。
その理由には、表現の自由系のインフルエンサー推しているとツイートしている事等もある様だが、
藤末健三さんを推すツイートは、静かだが熱を持ってる系も物が多く、赤松健さんを推すツイート
表面的には熱いが、何処かお祭り騒ぎな印象の有る物が多いと感じた。

おそらく、山田太郎議員は、藤末健三を落選させて、その分の議席赤松健先生当選させたいと
考えていたのだろうが、もしかしたら、藤末健三さんの方が赤松健先生よりも得票数が多くなり
赤松健先生落選する可能性すら、今頃危惧しているのではないかと思う。

あくまで、主観的に見てだが
「今回、もしかしたら藤末健三さんは赤松健先生以上の得票数当選するのではないか」と、
私はそんな予感がしている。
その上で、私は藤末健三さんに入れる事を決めている。

他の人が赤松健先生と藤末健三さんのどちらに投票するかは知らないが、
この話が、赤松健先生と藤末健三さんのどちらかで投票を迷っている人にとって、
何らかの参考になればと思っている。

こうして、匿名記事を書いていたのは、”政治の話は面倒くさいから極力したくない”からだ。
だが、”政治の話は面倒くさくないから極力したくない”が、私は藤末健三さんに投票したいと思ったし、
この話が投票の参考になればと思って、匿名記事を書く事にした。

藤末健三さんには、私が誰かはバレているだろう。

→一度決まったことでもボトムアップで変えるプロセスがあってすごい!(なお具体的にどのようなプロセスを経て制定されたか、逆に変えられたか不明共産党に入れます!ここが自民党との違い!

→一度でも出てきた草案こそが本性!擁護必死だなwww

なぜなのか

2022-05-27

性癖という日本語の使われ方について

どうやら5chの言語板では推測を書いてはいけないというどう考えても科学の発展の妨げにしかならないような謎ルール存在するので、以下、スレに書き込もうと思っていたことをまとめてここに書く。

性癖性的な癖に言い替えられるような使い方で使っているのはネットかつオタク文化圏に集中していることは疑いようがないことだと思う。

まずツイッターのbioがそうだ。

これを言ったらツイッターのbioとオタクがどう結び付くのか分からないし視野狭窄しか思えないって言われたけど。

なので他にも例をあげていこう。

booklive

cmで有名なシーモアやめちゃコミやrentaよりも蔵書が多い電子書籍サイト

ここでは商品説明も含め全文検索ができる

とりあえず前から5作品の該当文を順にあげる

もっと抵抗してくれよ 爽やか王子の歪んだ性癖

性癖が暴かれる!? 新感覚オフィスラブ!(中略)彼女のヒミツは…「アレ」に人一倍興味があること・・・!?

性癖ヤバめなオトコに狙われました。

・彼の性癖は歪んでる。~聖母エリート悪魔的とろとろ溺愛セックス

・ひなこは今夜も鷹臣先生を困らせたい おしどり夫婦のナイショの性癖

全て性癖を「性的な癖」と置き換えても成立する文脈で使われている

1000件以上ヒットしたが5件連続でこうなのだから漠然有意性が感じられるとは思う

全部検証するのは大変骨が折れるので興味がある人がすればいい

pixiv

イラスト投稿サイトとして最大手

また似たような引用方法をしてもくどい感じもするので検索結果のリンクだけ貼っておく

https://www.pixiv.net/tags/%E6%80%A7%E7%99%96/novels

あえて小説を選んだのはより検証がしやすいからだ。

なんか最初のあたりで中国語のものが目立つが、日本語作品ではやはりそういう性癖の使い方が目立つと思う

とまあ最大級文化圏を二つも押さえば十分だろう。

以下ではなぜこのような性癖の使い方が行われるようになったか推測、かっこよくいえば仮説を書く。

動詞名詞で書けるから

「○○をする性癖がある」があるというのは、一部の国語教師面をした人間からのウザ絡みを避けられるという意味でより無難な書き方をするなら「○○をするのが好き」と言い替えられるだろう。

しかし単に「○○がすき」みたいにというふうに書くとなんか締まりがない感じがしなくはないか

なんというか名詞性癖を使うのと比べるとバシッと決まらない感じがするというか、読み手を想定してみればそういった文章は漫然と左から右へと意味内容が流れていくばかりその読み手の頭からするっと抜けてしまうような感じが俺はする。

それに比べて「性癖がある」というのは名詞的な表現だ。その言葉の前で受けている性癖の内容をバシっと捉えて概念化している。

概念化は名詞効用だと思う。動詞で終わる文章が単に事実や考えを伝えるのに比べると、文章全体ではなく、一つ名詞読み手意識が集中される。

名詞記憶のとっかかりにもなる。そういう意味でも読み手の頭により強く残る。

あとは内容が正確に伝わりやすいという効果もあると思う。

以前私は「漫画の魅力ってそれが二次元メタファーされるように」という文を書いて、ここで「そんなメタファーの使い方はしない」というふうに言われた。

しかしこうやって指摘するぐらいの人間はその言わんとすることが伝わっているからこそ、その意味用法がずれているということに気付けることが指摘の動機となっているはずなのだ

完璧に正しい用法かの確証はないがおぼろげに自分の伝えたいことにかすっている程度ぐらいの可能性でも感じるなら、少し小難しくてもそういった名詞特に術語を使うほうが、読み手は「あああのことが言いたいのね」となるのだと思う。

性癖本来は単に癖と言うのをより生硬にした表現だ。そういう日常的にあまり使われてなかった言葉をあえて使う場合日常的に使われる言葉多種多様な場面で使われるためにぱっと読み手の目に入って来てもその言葉だけでは文脈が絞り切れないという意味ではニュートラル認識されるのに比べれば、そういう言葉特定ミームというか匂いを帯びやすい。

性癖」の意味をひとたびずらして「性的な癖」という文脈で使うようになると、もうそういうミームで固定される。

からそういうミームを共有し合う人間にとっては性癖という言葉を出すだけで、みなまで言わなくても何が言いたいのかなんとなくわかるというか、そういう読解の省エネ的な効果が認められるのだと思う。

とにかく、単に何々が好きというのが読み手に「なんの意味で好きなんだろう」とその実態のより詳しい限定化を課す、すなわちボトムアップ式の理解を課すものだとすれば、性癖概念で言ってしまえばトップダウン式に何が言いたいのか理解されるという点が便利なのだ。その代償として国語教師面した人間に噛みつかれるリスクを負い得るだけで。

俺がメタファーという言葉を使ったのもそういう効果を狙ったものだ。そもそもメタファー以外に自分の伝えたいことにあてはまる表現が見当たらないって理由も大きかったはずだけども。

(アスペは会話をあまりせず書き言葉友達から難しい言葉と思われているもののほうがアスペにとっては身近というのはアスペの悪い癖だ。もちろん俺の「メタファー」は他の定型から見れば理解の浅いずれた使い方なのかもしれないけど、俺にとってはメタファー理解度という点で使うべき一番ましな言葉だったのだ。そもそも言葉の難しさとは何なのか。たかカタカナ文字言葉の難しさをどう規定できるというのか。正も凸も小学生で習う同じぐらいの画数の漢字だが習う時期が全く違う。俺はこれにも納得できないがそれは上記のことに通じる話だと思う。凸が身近な人間にとっては普通の人にとっては正の方がやさしい漢字に思えても、その人にとっては凸の方がやさしいのだ。)

名詞は特技、趣味性癖というように表とかの項目にするにも都合がいい。

これが一つだけ「性的に好きなこと」とかだったら統一感もない。

ノニムの定着に立ち会っている。

角川類語新辞典には「手癖」「尻癖」「酒癖」と○癖という言葉がたくさん載っている。

癖をへきと音読みする言葉は実はそんなに多くないが、それでも日本語、いや日本人伝統として○+癖という造語法で言葉を作っていく造語意識が背後にあることを伺うことはできる。

基本的に癖の内容を象徴し得るような漢字+癖という組み合わせて作られていることは明らかだ。

酒癖はそのままだし、尻癖は失禁する癖のことで、その現象が起こる場所を示す漢字を使っているという点でちょっとひねっているが、根本はおなじだ。

そんなわけで、もとの性癖は性も癖も似たような意味で使っている漢字を組み合わせた熟語だけども、それとは独立して性的な癖という意味での、酒癖等と同列な「性癖」が今作られるようになっていったとしても、日本人の背後にはそうおう造語意識がずっとあったわけだから、何もおかしくないわけだ。

まり両国には地名と両者の国という二つの意味が考えられるがこれらは辞書では別の言葉として別別に立項されているように、あの性癖とこの性癖辞書で別扱いするべきぐらいに全く別物の言葉なのだというのが私の仮説だ。

よって性癖性的な癖と言い替えられる文脈で使ったときに「誤用だ」とかいうのは全くずれていて、単なるシノニムとしての衝突に翻弄されているだけなのである

日本語だとちょっと突拍子なく感じる意見かもしれないが、英語ではスペリングが同じで別の概念として複数立項されている言葉は何も珍しくない(無学かつ個別の事例を覚えてられるほど記憶力よくないので例はあげられないけども)。

まり我々は新しい言葉としての「性癖」の定着過程リアルタイムに立ち会っているというわけである

2022-05-19

AppleVR/MRデバイス開発地獄だなw

https://gigazine.net/news/20220519-apple-ar-vr-headset-challenges/

トップは競合に負けたくないだけでVRに対して関心や熱意がなくて、ボトムアップ的にも良い提案ができていない感じ

でも、とりあえず競合はいるしプロジェクト自体はたたまないで飼い殺しにされるやつ

これ、地獄パターンだよね

2022-05-18

anond:20220518224230

ボトムアップで話しは上がるはず

危険すぎてまともに夜も眠れない日々を過ごしてる

2021-12-16

anond:20211214232454

文化的根付いている考え方を変えよう、特にピラミッドの下(組織構造現場からボトムアップで変えよう!って難しいよね。不可能に近い。

からこそ、経営層にそうしたテクノロジーへの理解が高い人、柔軟性がある人が入ることで、トップダウン的に思考を変えなければいけない。

これができる組織と、そうでない組織で、めちゃくちゃ意識と行動の差が生じるはずなんだけど、気付いていない大企業もいっぱいあると思う。

2021-11-22

anond:20211122201954

ソニーイメージセンサは今でも世界トップだぞ。

半導体製造装置とかもモジュールによるかもしれないけどかなり強いんじゃないか

技術力は今でもあると思うよ

ただ壊れない家電とか儲からない今となってはどうでもいい技術

先進国ITとか儲かる技術シフトして行ったけど、日本は枯れた技術しかない

https://anond.hatelabo.jp/20211122202906

こういう奴は雰囲気で言ってるだけ。

もちろん凋落したものも無数にあるけど。まあITダメだな。ボトムアップで積み上げるよりもトップダウンで「設計」するタイプの分野は全然だめだね。リーダーシップとかコンセプトメキングとか向いてないんだよ日本人。

2021-11-20

立憲民主党代表選共同会見冒頭演説書き起こし・西村智奈美候補

候補は長くなるので一人ずつ書き起こしていきます記者質疑応答に関しては各自確認を。西村さんは、最後の方で原稿確認しながら喋っていました。

https://youtu.be/aI9XmhVu3WU

候補の政見・プロフィール

https://cdp-japan.jp/leadership-election/2021/

逢坂誠二候補演説書き起こし

https://anond.hatelabo.jp/20211120003323

小川淳也候補演説書き起こし

https://anond.hatelabo.jp/20211120174745

泉健太候補演説書き起こし

https://anond.hatelabo.jp/20211120191505

西村智奈美候補演説

私は新潟の米農家で生まれ育ちました。その地元新潟では半世紀ぶりの女性の県会議員として初当選させていただいております。また、学生の頃から海外に足を運び、国際協力NGO活動を通して、日本という国、地方を内側・外側から冷静に見つめ続けて参りました。地方の声、そして女性の声、草の根の声、これをしっかりと組み上げ、そして生かしていくことができると確信をいたしております

私は今回の選挙の結果を本当に残念だと思っとおります。各地で多くの仲間の皆さんが大奮闘されました。比例の票は少々上積みされましたけども、議席を減らす結果となってしまいました。このことを敗北とみなければいけません。しかし、私たちが訴えてきた社会像、政治のあり方、これが否定されたんでしょうか?私はそうは思いません。お互いさまに支え合い、いざというとき助け合っていける社会人間誰しも躓くことがあります。誰しも人の助けを必要とする時があります。そういうときに当たり前に手を差し伸べていける社会。それを立憲民主党は目指してきたはずであり、そのことを訴えきることが叶わなかった。ボトムアップ政治再起動するために、この代表選を契機として党の立て直しをやっていきたいと決意いたしております

世の中には理不尽なことがたくさんあります。今回の新型コロナウイルス感染下で医療を受けることができずにご自宅、あるいは待機をしている中で命を失う方が多数出てしまいました。なんでこんなことになったのか、本当に悔しくてなりません。また、営業自粛、休業要請、こういったことで非正規の方々は職を失い、収入をなくし、生活困窮に陥ってしまうことが本当に多く生じてしまいました。もとより非正規の方が置かれていた状況は新型コロナ感染下だから悪くなったというのではありません。本当にギリギリのところで頑張っておられたのに、そこに追い打ちをかけたのが今回のパンデミックであったということです。経営者の方もご苦労されました。飲食業観光業、あるいは宿泊輸送の方々、頑張っておられるのにどうしてこんな理不尽なことが起きてしまうのか。私は政治の力でこうした理不尽を一つ一つ無くしていきたい。みなさんの困難に寄り添って、一緒に歩いてその問題解決していきたい。

さらにこの国は少子高齢化、あるいは気候変動、のっぴきならない問題が山積しております。いま必要なのは多様性を力に変えるということです。地方の力、女性の力、草の根の力、それを生かしていくことが日本社会にとってどれほど必要か身を持って感じております私自身、49歳で初めての出産経験し、もうすぐ5才になる子もの子育て中です。そういった生活感のある政治をやっていきたい。派手なパフォーマンス人気取り政策が横行しがちな政界ではありますが、私は私の持ち味を生かして一つ一つの課題や困難を地道に解決に導いてゆく、そういうリーダーになっていきます

重点政策としては、まずは命を守るということ。そして、一人ひとりの暮らし社会で支えるということ。自己責任から脱却し、お互いに支え合う政治を実現していきます子ども子育て若者未来をつくるために予算を倍増していきます。そして、新自由主義から脱却し、格差をなくすための経済政策、あるいは地域資源を生かすための経済政策へと転換をしていきます。人と暮らし投資をする公共事業に重点を置いていきたいと思います生き方多様性を守り、世界アジアのなかて日本の強みを活かし、理不尽を許さな政治を実行していきたい。

2021-11-01

野党共闘の総括―保守勢力を取り込めなかった立憲民主党の敗北―

これを書いているのは衆議院選挙投票が締め切られて4時間くらいに過ぎないが、自公安定多数は確保されたようなので、そろそろ総括したい。

定量的分析についてはこれから明らかになると思うので、それは別の方にお任せするとして、ここでは選挙戦報道SNSでの反応を通して、なるべく主観排除したうえで(といいつつどうせ主観は残っているんだろうが)、野党共闘について語ってみたい。

そもそも共産党空気を読めば済むだけのこと

与野党一騎打ち小選挙区を戦う、これ自体選挙戦略として間違っていない。選択肢としてわかりやすいし、なにより仲間割れ選挙になって漁夫の利とならずに済むからしかしながら、野党から視点からすると、そもそも共産党が勝てる見込みがありそうな選挙区(具体的に言えば沖縄1区くらいか)以外は出馬しなければいい話なのである。比例票を伸ばすために小選挙区で多くの候補者が討ち死にしていくわけである。今回のように取りやめをしていても、比例議席は大して減っているわけではなさそうだ。であれば、共産党がでしゃばるのではなく、敵は誰かを見据えて、空気を読んで取り下げればいいだけではないだろうか。

裏を返すと、旧民主党地盤の弱さを回復できていないということ

2009年総選挙共産党出馬していても民主党圧勝だった。無党派層投票した「風が吹いた」選挙ともいえるのではあるが、今回は共産党依存している以上、2009年と比べればそれだけ地盤が弱いとも言える。「ボトムアップ」というのであれば、そもそも地盤を固めることに徹するべきであったのに、弱者のパワーゲームに飛びついたことが、今回の負け(自公に負けた時点で負けですよ、ええ)につながったと思う。

共産党アレルギーは意外と大きい

これだけ風がそこまで吹いていないのはなぜか。それは共産党日本人マジョリティとして受け入れられないのである。個々でやっていることは是々非々あるものの、共産党とは一緒になりたくないのが多くの日本人本音なのではないだろうか。連合国民民主党がこれだけ毛嫌いしているのもうなずける。

立憲民主党はなぜ保守系議員が離れていったかを猛省せよ

旧民主党多種多様議員が揃っていたと思う。旧社会党系なリベラルな人もいれば、旧自民党系の保守系な人もいた。しかし、新しい立憲民主党では保守系の人が逃げてしまった。細野豪志氏や長島昭久氏のように自民党に「裏切る」人もいれば、自民党には行きたくないけど立憲民主党にも行きたくないとして「国民民主党」としてとどまる保守系議員もいる。なぜこうも分裂してしまたかを猛烈に猛烈に猛省してほしい。「右でも左でもない」と前回の選挙政見放送で主張した結果がただの旧日本社会党カーボンコピーしかなっていないのではないか、というのは個人的見解だ。細野氏や長島氏を失ったのは正直大きすぎるし、なにより管元首相と長島氏を選挙区で争わせたのは悲しい。今すぐにでも、枝野幸男細野氏や長島氏、さら国民民主党土下座してでも、多種多様な第二勢力として信頼を取り戻す努力をしてほしい。

2021-10-27

anond:20211027165206

90年ごろに普及に失敗した新JIS配列TRONキーボードあたりを最後メーカーアカデミックから新しいキーボード提案されることは無くなったよね。

今は個人ユーザーからボトムアップ型の提案が盛んになり始めてる。

ソフトウェアレベル配列提案00年代に盛んだったし、3,4年前からハードウェアレベル提案も増えてきている。

興味があるなら秋葉原御徒町の間にある遊舎工房って店を覗いてみたらいいんじゃないか。

2021-10-11

anond:20211011073246

なるほどねえ

そのぶん超絶実力次第な北斗の拳のような世界になるってことか

昔のようにコネ駄作を見せられるのが減ったのは良いことかな

競争主義業界全体のボトムアップにもなりそう

2021-10-01

anond:20211001115353

ある程度わかる

結局カルトに替わる「コントロール可能マイルドカルト」みたいなの構築しないと

持続可能社会にならない

ボトムアップで小さな社会構築するって案もあったけど今全然うまくいってないだろ

PTAですらみんなに押しつけあってるんだぜ

町内会みたいなの復権してトップから締めないとダメ

 

[追記」 

https://anond.hatelabo.jp/20211001115539

こっちのツリーでも似たような話してる

結局カルトがいい悪いって話ではなく

リベラリズム価値観ではカバーできない社会機能があって

それを昭和悪弊と言って全部とっぱらった結果カルトしか補填できるものがなくなったという話だと思う

2021-09-26

地方田舎公務員だけど東京都自治体の金の使い方にびびる

こちとら100万の新規予算獲得するのさえヒーヒー言っててボトムアップではまず獲得無理なのに

江東区とか中野区は街を応援というざっくばらんな目的

PayPayの還元率上乗せとかやってて金余ってんなと感じる

安易に一民間サービスに乗っかるのも疑問だけど、

雑な税金の配り方問題視されないのかね。コロナとはいえもう一年以上経ってるんだから迅速性はあんまり理由にならんのではと思うんだが

マスコミもなんも言わないもんなの

2021-07-15

anond:20210715100713

中国共産党が嫌いなだけであの仕組みが一番いいと思う。

正直王政復古幕府待ちです。

てか日本人に合うのは昔からトップダウンよ、民主主義なんていうボトムアップ日本国民に求めるのは酷

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