はてなキーワード: 認知とは
「あなたがイエスでも私がノーなら性暴力」「怖くて何も言えなかった」という内閣府の性暴力のポスターが炎上している
普段「表現に放火するな!表現の自由を守れ!」と言ってる連中が炎上させてる
「後で本当は嫌だったと言われて有罪になるぅぅぅぅぅぅぅぅ怖いよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
と騒がれてる
多分彼らは知らないのだろう、見ていないのだろう。私達が見てきた性犯罪にまつわる絶望を、恐怖を。
満員電車復活したので、痴漢の集うスレッドを見てわかったことをまとめる
https://anond.hatelabo.jp/20210408230226
元受刑者は、刑務所で知り合った性犯罪者達についてこう語っている
https://nikkan-spa.jp/1835108/amp
>柔道の某金メダリストみたいな感じでしょうか。レイプだと思っていないんですよ。『いいじゃん、いいじゃん』と言ってなし崩しにやれば許されると勘違いしている輩がいる。元暴走族にもこのタイプが多くて、しかも彼らは押しに弱い女性を見極める精度がものすごく高いんですよ。
>そして、私が接した性犯罪者のほとんどは、事後に同意があったと勘違いしていました。女性側がそれ以上の加害を恐れておとなしくしているのを、合意されているものと思って犯行に及ぶんです。前出のAは、忍び込んでレイプした後に被害者とベッドでイチャイチャしたので同意があったと思ったとか
不法侵入で強姦されるも合意だと主張され、警察にも「事件にならないかも」と言われたが、無事に起訴され、実刑懲役3年になった https://togetter.com/li/1709193
下の階にタオル落として届けられてお礼したら「アピール」だと思い込んで不法侵入のち強姦、「またしたくなったら呼んでね」と言い残し、警察でも合意を主張。そして警察にも「事件にならないかも」と言われる。
そう。不法侵入されて襲われても、相手が合意だと思っていれば事件にならない可能性があるのだ。
他にも、娘に性暴力を振るう父親達は「娘から誘ってきた」と主張するらしい。
父から娘への性暴力「向こうが誘ってきた」悪びれない父親たちの言い分
https://www.bengo4.com/c_1009/n_13449/
「妻の連れ子の15歳の娘と合意でセックスしていたのに、妊娠中絶をきっかけに発覚して強姦として訴えられている!冤罪だ助けて!」って相談に「15歳の少女は生活を握っている義父の求めに逆らえない。強姦です」って答えていたサイトもある。
監護者性交等罪ができる前は、どれだけ闇に葬られていただろう。
きっと娘に手を出そうと電車で痴漢をしようと不法侵入してレイプしようと、彼らにとっては例のポスターの上半分のように見えている
上半分の彼女は頬を染めている。
だが、これは男視点にすぎないのだ。
「性暴力に見えない」という意見があった。当然だ。男視点を描いてるのだから
上記のようなケースが多いからこのポスターも生まれ、不同意性交等罪として要件が色々変わったのに、
「彼女と合意でイチャイチャした後本当は嫌だったと言われて有罪になるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」って騒いでる奴らが本当…
ちなみに、性犯罪者未満でも、ノートのコピーを取ってあげたりレストランで相手の分のおしぼりや水を取ってくるくらいで「俺のことが好きなんだ」と勘違いする男は多いらしい
【態】勘助ホイホイだった友人
http://kansuke.doorblog.jp/archives/54484551.html
(続く)
シュナムルみたいに身バレできなくて証拠を示せない相手に"こうだろ!→違う!”の水掛け論に持ち込んで
飽和攻撃で相手をうんざりさせて撤退させて勝利宣言ってのが勝ち筋だったのに
それは分かるんだけど、現在のボリュームゾーンの中流階級とは、その「土俵に上がれない人」なので、その認識がおかしいよって話をされているんだと思う。
で、誰もが少し上を眺めて「普通」を決めることで、認知が歪んでいるから、「親のブーストなし、平民の生まれで海外で生きていく」方法として、書いてしまったわけだ。
貴方は「金持ちか帰国子女ばかり」と言う所でなければ、それ以下が「ボリュームゾーン」と勘違いしていると言うことだね。お話を聞くと、見事に、自分が属する階層の少し上を普通だと認識する、典型的なパターンだと思う。
それを指摘された今、これができない奴は知らねえ、と開き直ってはいるものの、統計的な考え方で、自分の常識を補正する事ができるようになっていないか?
結局「海外に脱出する必要が無い階層の人」しか実行する事ができないと言う矛盾をはらんだ……端的に言えば意味が無い世間知らずのネタだった、という事は……まぁ、確定してしまったわけだけど、今後は繰り返さなくて済むんじゃないだろうか。
認知ぷろふぁいりんぐ?してるんですけど?
んだけど、その理由がこの前わかった。
社内政治劇やら歴史物など、ある程度の知識がいるものではなく、ただただ爆発!!アクション!!爽快!!みたいな映画ですら
「え?今なんでこうなってるの?」
「この人前と言ってること違くないか?」
と思うことがあって、何回か見ないと理解ができなかった
アニメや漫画、小説ではこんなことはならない。ある程度理解できる。
小4の算数で躓いた人生だったので、頭悪すぎて理解できないんだろうなと思ってた。
でも映画が好きなので色々と見続けてはいた。何回も何回も繰り返し観ながら。
そしてこの前、誰が何を言ってるかを確認するために2回目映画を観ながらふと思った。
と。
思い返すと、同じような外見(例えば金髪白人)が何人かいたらもう誰が何をしているのかがわからなくなっていたことが多いのだ
印象的な特徴(1人だけ帽子を被ってる・金髪だがロン毛など)があれば、別人として認識ができるのだが、その認知がうまく働いていなかった
そのときに見ていた映画も、同じような見た目の人が複数いた。黒髪のイケメンヤンキー、バイクに乗ってる……みたいな
だから、たとえ単純なアクション映画だったとしても、誰が何を言って何をしているかが全く理解できなかったのだ
思い返せば人生、人の顔を覚えるときも何か特徴的な部分を真っ先に覚えていたわということに気づいた
しかも、何回も人の顔間違えてることもあった
ウワー!スッキリした!と本気で思った
けどなんとなく心が軽くなった気がする
まあ頭悪いのは事実なんだけど、色んな人に「そんなこともわからないの?」と言われたので
なんかそういう特性なんだなと思えば生きていける気がした
闇バイトと教員の不正は全然性質が違うのに、どう関係しているとでも?元増田信じるのであれば、あれは新任故の不可抗力だぜ?
お金目当てで強盗することと裏口入学に手をかしてしまうことがイコールなら、君の認知がおかしすぎる
元増田も読めてないのか、君は
※「推し」という言葉が好きではないので、「好きな俳優」と書く。
※当日券で観劇できるレベルの2.5次元舞台に足を運んでいた。
※最前ガッツをしたり出待ちをしたり高価なプレゼントを贈りまくっていたりしていたファンではないので、そのような記述があるとは期待しないでほしい。
※ところどころフェイクを入れている。
コロナ前は舞台後にお見送りやハイタッチ会などがあったらしいが(そして今復活しつつあるが)、別に接触に興味がなかったのでどうでもよかった。
きっかけは自分が原作を好きな作品にその俳優が出演したことで、その作品以降、他の出演舞台に足を運ぶようになった。
舞台は有給休暇を使って全通したし、地方公演にも、もちろん足を運んだ。
最速先行でチケットを取り、少なくとも3分の1は最前に座り、後ろでも3列目以内には座っていた。
3分の1は最前にいる、というとすごく大変なように思えるが、一部の大人気舞台以外では普通に最速先行でチケットを取れば、最前の席が本当に普通に取れる。驚くほど取れる。
下手すればキャパ800人近い会場が平日は300人しか埋まっていないこともある。
しかし千秋楽公演はほぼ売り切れるので、大体の人は千秋楽だけ観劇に来るのかもしれない。
それで元が取れるように設計されているのならそれはそれでいいと思う。
毎月手紙を送った。舞台の感想はもちろん、ニコニコ生放送やYouTubeの番組ゲスト出演の感想も全部細かく感想を書いて送った。
誕生日には洋服のプレゼントを贈り、SNSに載せてくれる着用写真を見てちゃんと届いたのだなと安心した。
悪しき風習と捉えられがちなランダムグッズも、SNS経由で交換してくれる人たちはみな優しく、
親切な人だと無料で自分の好きな俳優のランダムブロマイドを譲ってくれたこともあった。
同じ俳優のファンの人たちとも数人と仲良くしており、一緒に全通もしてマチソワ間はお茶したり舞台の感想を話したりしていた。
SNSはリプライアカウントしか持っていなかったので、自分本人は聞こえるところで悪口を言われたり、見えるところで悪口を書かれたりすることはなかった。
非公開アカウントではもしかしたら悪口を書かれていたかもしれないが、見えない場所では好きなようにしてくれればいいと思う。
一度最前にいたときに、後ろにいたおそらく自分とは別の俳優を好きな2人組に「出席確認とかあるのかな」と言われて笑ってしまったことはある。
出席確認とは、俳優が最前や大体前方に座っている自分のファンにチラッと目を合わせ、文字通り「出席確認」をすることである。
そんなの気のせいじゃないのか、と自分も実際に最前にいつでもいる面子になる前は思っていたが、たしかに俳優は自分のファンたちを確認していた。面白い文化だ。
舞台に通ううちにハレの日がケの日になっていた。
チケットも最速先行特典付きだと12,000円くらいする。決して安くない金額である。
特典はブロマイドや小冊子やチケットホルダーなど、大体要らないものが付いてくる。
多ステするオタクの中には普通に必要がないしゴミになるので特典を引き換えないオタクも多くいる。
12,000円×30公演だと36万だ。マルジェラの5AC ミディアムのバッグが買える金額である。
チケットが売れていないから、自分が行かないとファンが少なくて可哀想だから、と勝手に自分に義務を課していた。
ファンというのは身勝手で、自己中心的で、すべて自分の意志で行動しているのだから本当はもっと早く好きでもない舞台の観劇など辞めればよかった。
休演日で舞台の公演がない日はやっと休める、仕事に集中できる、と安心したこともあった。
そして自分は、舞台に行くよりもマルジェラのバッグが欲しいな、と思うようになった。
年収1,000万あれば舞台を全通をしながらマルジェラのバッグも買えるだろう。
しかし現実は厳しい。自分の仕事内容ではせいぜい毎月の給料が上がったとしても年収1,000万円に届くことはない。
同年代の平均年収よりは150万程度多い収入だが、舞台を全通しながらマルジェラを買えるほどの収入ではない。
また、大体の2.5次元舞台に出演するような俳優にはバースデーイベントやファンイベントというものがある。
チケット代は俳優や事務所によって6,000〜12,000円程度と幅広く、自分は勝手に集金イベントだと思っている。
イベントも回数が多い俳優だと1日3部あるのだが、自分は毎回3部とも最前に座っていた。
これも無理してチケットをたくさん取っていたのではなく、本当に普通に最速先行でチケットを取ると最前が取れるのだ。
自分が最前を取れていたのは運がいいだけかもしれないが、私が把握していたファンでは「いつでも何のイベントでも来るファン」はせいぜい私含めて5~6人だった。
書いていて少し悲しくなってきた。ファンの母数が本当に少なかった。
そしてバースデーイベントでは何かしらファンが揉める。ファンが少ないからこそ揉めるのかもしれない。
よほどの人気俳優ではない限り、1部2部3部と別の俳優がゲストに来る。
そもそもバースデーイベントの主役のファンが少ないのに、ゲスト俳優目当てでチェキだけ軽い気持ちで撮りたいオタクや、
数少ないファンの中でも大量にチケットを取り、「たくさんのお友達」を連れてきて「たくさんのお友達」に「○○ちゃんの紹介で来ました」と自己紹介させたいオタクはいる。
でもそのオタクが悪いとは思わない。チケットをたくさん買って運営にお金を落としているのだから、商売としては十分成り立っているし運営に貢献していると思う。
問題なのは会場での「お友達」の言動で、大声でイベント運営の不手際の悪口を話したり、とても褒められたような言葉遣いではなく俳優本人にも聞こえるような大声を出したりする。
自分は、知性と品性に欠けた彼女たちのお仲間でいたくないと思ってしまった。
直接彼女たちと関わりがあったわけではないが、この俳優を好きなままでいると、自分の格が下がってしまう気がした。
自分の身可愛さにファンを辞めたのだと言われればそうとしか言いようがない。
今は元々年間80本ほど足を運んでいた様々なロックバンド界隈のファンと、
大手事務所に所属し、有名なブロードウェイミュージカルの主演の仕事が来る俳優の名無しのファンとして存在している。
コロナ禍で好きだった俳優には完全に顔と名前を認知されており(ファンが少ないので当たり前といえば当たり前である)、
接触イベントで名乗ると「わかるよ、○○だよね」と言われていた。
わかるよってなんだよと思いつつ嬉しかったが、今は透明な存在に安堵している。
2年という短い間だったが、思い出はたくさんあった。
ファンサがある舞台ではピンポイントにファンサがあったし、接触イベントでは自分が話す内容に大笑いしてくれて、過去イチ笑ったわ、という言葉が聴けて嬉しかった。
一応商業絵を描いているイラストレーターのくせにちゃんと調べたことなかったのは反省している。
画像生成AIのことは、昨年midjourneyが話題になったときに認知していたけどその頃のAIの絵柄と私の絵の方向性はかけ離れたものだったから「わァ…凄い時代がきたな〜」とぼんやり思っていた程度。
ただ最近は色んなネガティブな話題をひっきりなしに聞くからマイナスなイメージの方が大きかった。
特に「著作権」という言葉にはなんだかネガティブな思考が勝手に流れ出てきてしまう。
で、先日のお寿司のアレ、流石にサインが入っていて気付かないってことある?そもそも読めないしこれって本当にサインなの?と疑問思って、
先週忙しさも一段落したから画像生成AIについて検索して調べてみたらAIの仕組みを解説する記事に到達した(「イラスト生成AIに対するよくある誤解」っていう記事)
自分が想像していた「勘違い」がまさに解説されている記事だった。
依頼内容の絵にならず悩んだとき、自分が誰かの絵や写真を見て「この絵にはグリーンがあると依頼者のイメージ通りになるな」と思って葉っぱを追加するのと、
AIが「この絵の左下にニョロっとしたものがあるともらったテキストのイメージ通りになるな」と思ってサインっぽい何かを追加するのは同じじゃない?
小学生の頃は透明な下敷きに油性ペンでジャンプマンガやゲームの攻略本のキャラクターをトレスして目の描き方、カッコいいポーズ、ドラゴンの描き方を学んだし、
それこそサインの書き方も、昔誰かの絵を見て「筆記体で書くとカッケ〜」「SNSにあげるときはID入れればいいのか〜」と思って筆記体で書いたりID入れたりするようになった。
今ではトレスはしないものの、見たものから発想を得るということは日々息をするようにやっていること。
そしてまったくトレスしたり真似たつもりはなくても、狭い業界の挿絵とかだと特に、たまたま構図とモチーフがまるまるかぶっていたりすることはある。
AIも人間も同じじゃんと思った。AIの方が超スーパー爆速なだけで。そう思ったら昔想像してた未来に触れた感じがして感動すらした。
自分のこれまでの努力でも得られなかったクオリティがとんでもないスピードで生成される虚しさはよくわかるけど、仕組みがわかると「物は使いよう」という期待感の方が上回った。
寿司サインの件のように間違った知識で否定し拡散している人がこれだけ多くいることの衝撃、
まあ、女性は弱いしいつも怖い思いしてんだから強い男の方が気を遣おうってことだ。なんも難しいことじゃないだろ?誰にだってできることだろ?
巨乳キャラをdisってるんじゃなくて「おっぱいを女性から切り離して商品として提示するのやめろ」って言ってるだけだぞ。どんだけ認知が歪んでるんだ?そしてお前チビだろ?
女性を怖がらせることには無頓着なのに男性が警戒されたことばかりを言い立てる君たち、端的に言って度量が小さいよ(あとたぶんチンコも)。立派な大人の男ってのはそういう気遣いができないとダメ
散々に語られ尽くしていたように思ってたけど、まだまだ似たような議論が絶えない雰囲気なので、論点整理をしてみたいと思って失敗しました。
ちなみに私は左翼とか右翼とかよくわかんないので特に意見はないです。自由研究みたいなものと思ってください。
まず、今回の意見を分割するとそれぞれの極がきれいに分割できる。
もちろん両方とも極端な例であるし、時には「そもそもテロに該当するものではない」とか「救済されるべき被害は存在しない」とかいった意見もあり得るので、あくまで捨象された極であることは見ての通り。
ここでAとBの意見において、一般に(あくまで自分の私的な視界の範疇ですが)前文については一般に肯定されており、後文においては一般に否定されている。これはおそらく、世間の道徳的直観と一致しているように思う。しかし、その因果(?)関係からは、お互いの前文を肯定することは、相手の前文を否定せざるを得ない側面がある。
(ツイッターやはてブもそうだが、短文でのコミュニケーションでは得てして後文に触れず正しい前文だけで意見を発表できるので、どこまでも正しいままそれ以上の踏み込みをする必要がないのは、脱構築的な気がする。デリダエアプだけど)
特にA→Bの観点からは、被害者救済という観点を取り上げることは、加害者の要求を満たしたという点で、テロリズムを許容することと見なされるものとして反駁されている。
今回このあたりがすごい揉めているように見えたので、一回この論点を詰めてみたい。
まず、テロリズムの要求を肯定することが、テロリズムを有効な手段として世間に認知させることとなる、という点については特段の疑義のないところと考えるので、問題は「テロリズムという不正な手段で、被害者救済という公正な対応を求める」というところにあるように思う(厳密には暗殺事件が被害者救済を求めていたのかとかそういうのは置いておく。世間での認識によって議論を継続する)。
こういうときは、一旦他の例から問題を比較して考えてみたいが、公正な手段で公正な対応を求めるとか、不正な手段で不正な対応を求めるなんてのはもう特に言及する意味もないので、今回は「公正な手段で不正な対応を用いる」ケースというのが何があるかを考えてみたい。
今回は自分の趣味の範囲から引っ張り出すことになるので、不適切な側面があることは否めないが、端的に言えば「ナチス法」の問題が散々に語り尽くされた例として挙げやすい。戦後において「法とは何か」を法実証主義に散々に突きつけ続けた大問題であり、これでもかと議論され続けたから。
例えば、「悪法もまた法なり」としてナチス法に従い、敗戦後には当然罰されることとなったが、裁判例(密告者事件判決とか)からは結構特殊な意見が出た。
例えばラートブルフが「制定法による不法」を克服するために「制定法を超えた法」なんてものを提示することになったり、フラーが法には8つの道徳的原理を含める必要があるといったりといった具合に。
そもそも公正な手段というものは単に物理的法律によって規定されるラインを上回る、なんて言い方をすると、おそらく過言であって適切な読解に基づくものではないと思うが、そういう考え方もあるだろう。テロリズムを許容する、という片方の極の意見には、そうしたものもあるかもしれない。というか革命ってそういうのじゃないの?
もちろん、(新)自然法的な考え方が現行において主要な説ではないことなどもあるが、まあいいや。これ以上進みそうにないから別の話をしよう。
一般に、不正な手段によって被害が生じた者を救済するというのは国家の責務の一つと言って良いと思う(少なくとも被害を防ぐ必要があるということについてくらいは、リバタリアニズムのレベルでも肯定されるように思う)。
その一種の根幹的利益とも呼ぶべき法益の侵害について、それがテロリズムによって判明した場合、その法益侵害に対して触れるべきではない、ということは、なぜ必要となるのか?
まぁ、それは単純で今回のような「不正な手段」によって与えられた課題が「不正な対応」ではなく、「公正な対応(と一般に受け取られているように見える)」であったからだろう。でも、これは実は順序が少しだけおかしい。テロリズムという「不正な手段」で与えられる課題というのは、因果としては常に「不正な対応」になるのではないか? 今までの議論は大概がそこをスルーできてきた(もちろんきちんと対処述べてきたものもあり、その上で議論を重ねている者もいるように見える)、今回の議論はそこが他の価値とバッティングしてしまって、バグが起きているせいで余計にこんがらがっている。
逆に、敢えて今までの議論を全てごちゃまぜにしてしまうなら、おそらく世間一般の意見というのは、先程のA、Bにおける前者を肯定しながらも、双方の後者を否定するというロジックになる。無論、それは矛盾を必然的に孕んでいるが、おそらくそれが一番良く見る意見だった。
まず単純に、道徳的直観から。目的として、双方前文が正しいという直観から、双方を推進すべきであるという素朴な意見。当然ながら前文を進めれば後文を毀損する。それを、時には毀損したままであれ、進めるべきであるということ。所詮理屈なんてものは道徳的直観による結論を推し進めるための道具なんだからと。開き直りと言ってもいい。とはいえこれは、単に世間が「正しい」と「わかってる」ことをを推し進めたいという素朴な意見の衝突による勢いだけの(あるいはリベラルな恣意的妥協による)ものであって、問題解決につながるかは知らない。つまるところ、結論が先にあって、理由があとにあるんだから(クリーレの視線の往復的な、あるいはダンカンケネディの「基準」による法執行的な?)。
まあいいや。
全く関係ない個人的な意見なんだけど、何で他人の意見を否定する時に人格否定をすべきでないってみんな言ってるのにみんな人格否定してるの? やっぱ何か効果があるの?