はてなキーワード: 社会生活とは
会社での評価を得るための起爆剤が無いので、社会人一年目にしてなかなかの危機を迎えている。仕事が頑張れない。
だからどうしたって話かもしれないけど、私としてはかなり深刻な問題で、以下自分語りでしかないんだけど、昔からあまり褒められる方ではなかった。し、それで周囲の評判を全然気にしない子供だったので、そのまま成長してしまった私は今更周りの評価を得たいとは思えないままここまで来てしまった感がある。
仕事自体は好きだし、したい仕事に従事できてるのは嬉しい。けど、日々の業務プラスアルファの部分で周りとの差ができていることが辛い。しかもそれが評価を得られないことに対してではなく、上司や先輩に対してこんな私であることに申し訳なさを感じて辛い。
なんのために仕事をするかについては散々就活期に考えたけど、なんのために評価を貰うかなんて考えてなかった。お金が欲しいわけじゃないし、誰かに承認してほしいわけでもない。こんな私が働いているのが間違っているような気がして、心苦しい。
結局、どの会社でも実績を評価されるのだから、私は社会的な生活を辞めたほうがいいんじゃないか。徒然と文章を書きながら思うんだけど、仕事を辞めたい理由がそれって周りに納得してもらえるかな。数ヶ月間ほぼ毎日泣き通しなので、そろそろ打開しないと心が死んでしまう。
https://note.mu/kotofurumiya/n/n31d401fce782
多分記事執筆者もコメントつけてる増田もレベルが高すぎて、世間一般の言語能力ってものを理解してない。この場合の言語能力ってのは、別に小説風の気の利いた文章を書く能力や、BlogでHit数を稼ぐ能力、あるいは豊富な語彙なんかを指し示す漠然とした「すごい能力」ではなく、自国語を用いてなんらかの論理を伝達したり受け取ったりする能力だ。
例えば中学の教科書から引用した「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」の一文と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」の一文とが同じ意味かどうかを尋ねたところ、「同じ」と誤答した中学生は約43%を占め、高校生でも約28%が間違えた。
上記のようなニュースにもなってるようなレベルで。このニュースはアンケートやテストなどの方式なわけだから、自国語の塊を音声じゃなく文章という視覚で把握できる上に、ある程度時間をかけても許される環境でもこのような数値が出てしまっている。つまり日常会話においてはもっと多くの人が、もっと劣悪な能力で生きている。
ごく普通のそこらにいる一般人において、会話における(つまり日常に用いる)言語コミュニケーションとは、感情伝達がメインだ。つまり会話の内容に関係なく、対話者がいま機嫌がいいのか悪いのか、どんな反応を欲しがっているのかを伝える/受け取るのが主な役割で情報量が少ない(というか、情報量という概念がほぼない)。何らかの意味を伴うコミュニケーション、例えば待ち合わせ(時間や場所が伝わらないと困る)も多くの場合テンプレート化されて含まれる情報の種類が決まっている。――この2種類程度の言語能力で一般的な人間は十分に社会生活を送ることができる。
もうちょっと高級な、つまり情報量の多いコミュニケーションにおいても、その一連の塊から単語を抽出して脳内補完で意味を類推するくらいが一般人の平均レベルだ(単語抽出レベルなので、「AがBにCされた」と「AがBにCした」は同じ意味だと理解されてしまう。ABCという登場単語が同一だからだ)。
でも、プログラミングにおいてこの言語感覚は致命的だ。機械は入力者の感情を読み取って忖度してくれないし、登場単語が同じでも構文(つまり論理の係り受け)で意味は全く違うものになってしまう。つまりはなんてことはなく、「プログラミング能力が低い/伸びない初学者がいる」わけではなく、それ以前の段階で「自国語さえも論理の記述レベルで使えてない人間が過半数」というだけなのだ。
彼らの多くはそれで日常を問題なく過ごせているし、「AがBにCされた」と「AがBにCした」が「違う意味を指しているその価値」が理解できない。日常の交友関係では、AとBのどちらが悪者か対話者の口調や顔色で自明だから。助詞を的確に使う習慣そのものが、無い。
はてなでコメントしてるひとは、そこの部分を甘く見すぎてるようにみえる。それはプログラミングあるいはプログラミング教育の問題じゃまったくないんだよ。だからプログラミング教育をどういじったところで全く解決されない。
自慢じゃないが、俺はハンプシャーツリータスクというテストで世界上位2%の成績を獲得したことがある。
ハンプシャーツリータスクというのはケンブリッジ大学が提供してる知能テストだ。
カラクリを暴露してしまうと、ケンブリッジ大学は他にも数十種類のテストを公開していて、「色んなタスク用意するから、どれが自分に合うか見定めるといいよ!」という趣旨のテスト群の一つが、ハンプシャーツリータスクということだ。
全部やれば、だいたい誰でもどれか一つぐらいは、世界トップクラスの成績を取れるテストがある。
このテスト群の良いところは、人には向き不向きがあって、自分にも何かしらは秀でた能力があることが、わかることだ。
悪い所は、テストの結果をどう活かせばいいのか、さっぱりわからないところだ。何かしら優れていたところで、現実で活かせていないのなら意味がない。
まぁそれはおいといて、社会生活を営んでいると、どうも気になる事がある。大抵の人は、無意識に「自分の評価尺度」で他人の能力を判断しているということだ
俺で言えば、恐らくハンプシャーツリータスクの成績の低い群の人間を、無意識に無能と認識している。実際にテストをやってもらったわけじゃないのでわからないが、統計を取っても恐らく有意な結果が出るんじゃないかと思う。
ここで問題になるのは、社会生活を営む上で、している評価、受けている評価は正しいのか?ということだ。
まぁ、俺個人の他人への評価なら、大した影響力を持たないので、どうでもいいかもしれない。
だが、影響力のある人間が、これを理解していない可能性が高いのは由々しき問題だと俺は思う。
ドラマみたいな困難がなくても人は社会との関わりの中で成長するが、困難が成長を促す事は確か。
困難に心折れて潰れる奴もいるけど、乗り越えて大きな成長を遂げる奴もいる。
成長しないやつは要らないというより、まともな社会生活送れないんで、淘汰される。
横だけど、自己肯定感って誤解されやすいワードなんだよなぁ・・・なんでみんな「自己肯定感の高い人=傲慢な自信過剰野郎」と思ってるんだろう。
自己肯定感というのは「他人と同程度に自分にも価値があると思える感覚」のこと。
故に、自己肯定感の高い人は自分の価値と同時に他人の価値も認めてるから、傲慢になりようがない。当然、自己肯定感が低い人特有の卑屈さもない。
ADHDは他者から否定される経験をする奴が多いので、ADHDと自己肯定感の低さは割と相関が高かったりする。
それが原因でまともに社会生活送れてないと、年齢の割に精神的に未成熟で、元増田の言ってるようなやつが出来上がる。
自己肯定感が低い上に、精神的に未成熟だから、低い自己肯定感を維持しようと、とにかく滅茶苦茶なことを繰り返すし、社会性がアレなんで敵だらけになって、うまく方向修正してくれるようなメンターも現れない。認知の歪みと視野狭窄が行くところまで行ってる状態で「自分で気付くしかない」という、ウルトラハードモード。
ADHDの対策とか生き方とか世の中に色んな情報が溢れてるけど、典型的な奴がまず取るべき最も重要な対策は、「認知行動療法を受ける」だと個人的には思ってる。
「ADHDは向いてる環境が云々」みたいに言われるが、それ以前に、歪みきった認知と視野狭窄、未成熟な精神性、低い自己肯定感をどうにかしなきゃ、どうにもならんよ。
子供を産んだらマミートラックに乗せられて出世出来なくなるのに薄給の旦那では子供に満足な教育を受けさせられない。
せめて薄給で暇な分家事育児をやるかと言えばやらないデータが出ている。
https://smart-flash.jp/lifemoney/58184?sp
驚くべきことに、月の残業「なし」の男性の子どもとの交流時間は1日94分であるのに対し、月残業「60時間以上」の女性では134分と、残業「なし」の夫よりも遥かに多い時間を子どもに費やしているのです。
つまり、「仕事」と「家庭」のトレード・オフではなく、単純に「男性は仕事の量にかかわらずあまり育児をしない。一方で女性は仕事が増えてもしっかり育児をする」という、女性へ過剰な負荷がかかった状況なのです。
気になるのは、仕事量は少なく、かといって「育児」にも時間を割かない男性は、いったいその時間に何をしているのかです。「社会生活基本調査」(総務省・平成28年)をもとにしたデータを見てみましょう。
<男性>
仕事 -257
睡眠 +65
休養・くつろぎ +66
趣味・娯楽 +21
<女性>
仕事 -164
休養・くつろぎ +11
趣味・娯楽 -2
残業「なし層」と「あり層」を比較した時、男性は257分、女性は164分の相対的な「余暇時間」が生まれています。
女性は浮いた時間から、「家事・育児」が70分、睡眠も31分増えています。一方、男性で増えているのは「趣味・娯楽」「テレビ」「休養」「睡眠」で、「家事・育児」の時間はマイナス2分と、わずかに減っています。
つまり「男性は残業時間が短くても余暇を全く家庭に振り分けず、女性が家事・育児をしている。むしろ、テレビを見てくつろいでいる」ということになります。
今後、働き方とともに「家庭」のあり方も変わっていくはずです。だとしても、男性が余暇時間を家事・育児に振り分けない限り、女性の「働き、かつ育てる」のダブルバインド(板挟み)を強めるだけです。
セクハラは恐ろしい。社会生活を営む男にとってこれ以上恐ろしいものは「痴漢」くらいのモノだろう。
その恐ろしさ故、セクハラに関しては全く女性に同情できないし、
そもそも回避するために「近寄らない」という選択をせざるを得ない。その恐ろしさを簡単にまとめる。
「セクハラ」には具体的な言動に紐づいた定義が存在しない。これは誰しも知ってることである。
何気ない誉め言葉すらセクハラ。話のとっかかりに家族構成を聞いてもセクハラ。
受け手が「セクハラ」ととったらなんでもセクハラというのは全く過言ではない。
しかも恐ろしいことに行動者が誰か、ということで恐ろしくボーダーラインが変わるのである。
増田にもはてブにも「まっとうな人間はセクハラの基準なんか分かる」と書いてるが、ここを念頭に置いてない。
君らが知ってるのは「君らのセクハラ基準」であり、万人に適用できるものではない。
「人間扱いすれば大丈夫」?それって万人の「人間扱い」が統一されてないと無意味だよね。
昨日だか一昨日かのホットエントリ入りした増田にも書いてあったが、「自覚のないセクハラ」というものが存在するようだ。
大変、恐ろしい。上記の変動ボーダーと合わせるとまさに縦横斜め予測不可能なセクハラ定義が完成するだろう。
例えば詐欺罪などでは「犯罪を行う意図」が問われるが、セクハラは問われない。
客観的具体的なボーダーもない為、本当に「受け手がどうとったか」しか判定基準がないのだ。
犯罪を告発するにあたって、告発者にはその犯罪を実証する責任があり、被告にはない。
しかし、セクハラ(というか性犯罪全般)についてはどういう訳か「被害者を疑うのはセカンドレイプ」という風潮がある。
「セカンドレイプ」。恐ろしく強い言葉だ。「レイプ」。自分が他人を犯罪者だと告発するその時、根拠を求められたら「レイプ」。
言うまでもなくレイプは刑法犯であり、許されざるものだ。ゆえに重い刑があり、ゆえに慎重に裁かねばならないはずだ。
なのに、その告発を疑ったら「レイプ」。これでは発言者の発言をうのみにする以外は許されないではないか。
皆さんもご存知のことと思うが、世間を騒がせたmetooなどもこのルールが適用された。
もとTBSの某ジャーナリストの件など、二度にわたって不起訴の事件を疑ることすら「セカンドレイプ」とされている。
さて、metooの話が出たところでセクハラの恐ろしさの本質、私刑について語りたい。
本来、犯罪は告発があって司法の裁きがあって初めて刑が下されるものである。
SNS、メディアも誰も彼もが全く何一つ物証のない、本人の証言のみの告発をあたかも事実であるかのように報道する。
被告発者の名誉も、社会的地位も、経済的損失も一切お構いなし。
ひとたびmetooを受けたものは社会的に殺されるといっても過言ではない。
そもそも、「セクハラ罪」というモノが存在しない以上、加害者が受けうる刑は「企業等の規則で定められたもの」「法の線を踏み越えた分の刑」だけのはずである。
にも拘らず、かくのごとき印象論による社会的制裁が下されるのは本当に正しいのか?
ここまでセクハラの恐ろしさをつづってきた。
読んでる被害者がいればこう思ったかもしれない。「どうすればいいのか?」
私からいえることはシンプルである。ここまでに書かれた恐ろしさ、それを払拭し公正な裁きに訴えればいいのだ。
具体的には以下。
・自分に対する「セクハラ」の定義を定め、具体的なブラックリストを周囲に配布する。その際、属人的な分け隔てをしない。
・ブラックリスト外の言動で法に触れていないものは何であってもセクハラ扱いしない。
・公開せず、順に上位者に相談する。組織内でもみつぶされたら司法に訴える。
・被害者の証言のみで成立する司法に賛同しない意思を明確にする。
・「セクハラ」の具体的かつ最大公約数的な定義をブラックリストとして作成し、それを基に「セクハラ罪」の法制化を目指す
痴漢冤罪の恐れを抱く男性にさんざん掛けられた言葉に「だったらまず男が痴漢をなくせよ。非難しろよ」という言葉があるが、それと同じである。
男性は恐れている。属人的であやふやでしかも覚えのない「セクハラ」で社会的リンチを受ける現状を恐れている。
その恐れを払しょくしない、する気もないならもうこちらとしては取りうる道は一つだけだ。
「ハラミ会」「MGTOW」はそれぞれ違う理由ではあるが、根本的には「もう嫌気がさしてる」ということに尽きるだろう。
君らだって自分を殺しうる恐ろしい存在と一緒にいるのは嫌だろう?
だったら男性がそう思ったってそう行動したって非難できる筋合いはあるまい。それを強制するのは「セクハラ」じゃないのか?
conia617
「男は全員下心があるし、それ抜きに男女二人きりで会うなんてありえない」とかさも世界の真理かのように言われても、
この人はそんな薄っぺらい人間関係しか築けなかった、性欲に脳みそが全て支配されてしまった哀れな存在なんだなぁ
と思うだけだけどね。性欲抜きに男女が会うことなんて山ほどあるよ
恋人が配偶者がいる立場の人が隠れて男女で2人で会うことを咎めるのは分かるけど、
そういう但し書きもなしに男女が2人で会う=性的な関係!!って結びつくのは普通に猿すぎる。
「だから女が警戒しろよ」って言いたいのが透けて見えるからイヤなんですよね~。
女性と2人で会う時に脳みそに精子が詰まった猿になるだけなら別にいいですけど、
性犯罪に遭った後、私は様々なウェブサイトを巡りました。どこも数十年にわたり苦しんでいる人でいっぱいでした。
「私の人生は終わったのだ。ずっとこのままなのだ」と絶望していたのを覚えています。
その後、私は家庭も持ち現在幸せに暮らしています。穏やかな生活を送るうちにわかってきました。
幸せになった人間はわざわざ過去の苦しかった話をしない。だからウェブ上では数十年苦しみつづけている人しかいないように見える。
性犯罪後、幸せに暮らしている人もいるという話を書こうとずっと思いながらも、私の文章が誰かを傷つけないか怖くて、そして炎上が怖くてずっと逃げていました。
私は誰も傷つけない器用な文章は書けません。誰かのために役に立つ文章も書けません。ただ、自分のけじめをつけるための文章です。
私は事件後にひどいPTSDになりました。当時はそれがPTSDとわかっていませんでした。イメージとあまりに違っていたからです。
眠りにつく瞬間、気がつくと犯人が私の上に乗って私の首筋に包丁を突きつけている。手をブンブン振り払い抵抗すると消えている。幻覚だけれども現実と区別がつかない。私にかかる犯人の息も、犯人の体温も、押し当てられた包丁の冷たさも現実のそれと同じ。
私はそれからずっと眠れなくなりました。
押入れの中から音がした気がする。犯人がいるかもしれない。怖い。1時間も硬直して押入れを凝視し続け、意を決して一気に扉を開ける。誰もいない。よかった。気が緩んで振り返った瞬間、犯人が後ろから飛びかかってきて刺される。
風呂場から水の音がした気がする。犯人がいるかもしれない。長い時間をかけて誰もいないことを確認してホッとした瞬間、また背後から羽交い締めにされて刺される。
私は事件後、何十回も何百回も殺され続けました。
外に行くことができなくなりました。
このころのことはあまり覚えていないのですが、ずっとお腹が空いていたことだけは覚えています。
家の食べ物を食べ尽くしてお腹が空いているのに外に出られない。
意を決して外に出るとそこにいる全ての人の動きに注意せずにはいられない。ものすごく疲れて、ひどい頭痛になる。
怖かったのが子供と犬で、突然駆け寄ってくるそれらを犯人かと思い硬直し、なんだ犬かよかったと思った瞬間、視界の端から犯人が飛び込んでくる。刺される!手をブンブン振り回すとそれは犯人ではなく風でひらひらしているポスター。怖い。疲れる。
仕事にも行けなくなってたくさんの人に迷惑をおかけしました。ほんとうに申し訳ないです。事件のことは言っていないのでうつ病と思われたようで、ものすごく親切にして頂きました。ほんとうに申し訳ないです。
事件から(たぶん)数年がたったころ、私は当時付き合っていた夫と結婚しました。
たぶん、社会生活が送れなくなってしまった私を心配して周囲の人が勧めてくれたのかと思います。私はこのころをあまり覚えていません。
当時、記憶することができなくなっていました。
そうだ薬を飲まなきゃと思って手を見るとコップがある。あれ?私は薬を飲んだのかな?
財布がなくなってしまったと夫に言うと、「これで何度目?!」とキレられる。え? 2回目なの? と聞くと「今月4回目だよ!!!」
優しい夫が当時はずっとイライラしていました。おそらく、私は忘れたこと自体を忘れてしまうのでなんともない。一方、夫の方はそれらの尻拭いでストレスが溜まっていたのでしょう。
夫と私、どちらが言い出したのか覚えていませんが心療内科に行ってみることになりました。
心療内科に行く前にいろいろと検索をしました。記憶力のなくなる病気。事件がきっかけになってそうだけれども、該当しそうな病名がわかりません。
一番近いのは陰性の統合失調症に思えました。事件のストレスで発症したのかもしれない。そう思いました。
「レイプ後に記憶力がなくなった人いませんか?」という質問スレッドを見つけました。レイプ後に記憶力がなくなった、頭が悪くなったという人たちがたくさんいましたが、彼ら曰く数十年そのままだそうです。「これは一生治らないのか」私は静かに受けれたのを覚えています。
この辺りから記憶がかなりはっきりしてきます。この後、治療から回復編です。治らないと思ったのは間違いだったのです。
心療内科に行きました。
待合室ではエリート風の人たちがスーツ姿で姿勢よく座っていて、なんだか意外なように思いました。
問診票を渡されたのですが、渡されたことをわすれてしまう。「大丈夫ですか」といわれてあわてて書こうとするもまた忘れてしまう。
「辛いならいいですよ」いえ、そんなのではなくて、すみません、すみません。でも忘れる。「辛いならいいですから」
診察室に通され、「統合失調症だと思うのですが。。。」と話し始めると
先生は最初ちょっと首を傾けて聞いていたのですが、事件の話もすると姿勢を変えました。
いくつかの短い質問の後、「あなたはPTSDです」といって、辞典のようなものから該当ページを読み上げてくれました。そこにあった特徴は完全に当時の私に一致していてびっくりしました。幻覚と思っていたものはPTSDのフラッシュバックだったのです。
「統合失調症ではないのですか?」と一応聞いて見ると幻覚の違いを説明してもらえました。
PTSDのフラッシュバックは鮮明で現実と区別がつかない。一方、統合失調症の幻覚はもっと不条理なもの。例えば「空間が割れてそこから声が聞こえる」とか。
映画「ビューティフルマインド」で描かれた統合失調症とは随分違うようです。私はフラッシュバックを「回想シーンのように過去の映像が見える」ことだと思っていたのですがこれも間違いでした。PTSDという名前は知っていたのですが、間違ったイメージを持っていたために気がつくのが遅れてしまいました。
「事件後1年くらいなら他の薬も出すのだけれども、あなたはそれだけで大丈夫でしょう。」
「人は自然に治る力があってね。PTSDは治療しなくても一年くらいで治る人が多い」
「あなたは全く睡眠が取れていないことが問題です。十分な睡眠をとれば記憶力も戻るでしょう。」
先生におっしゃる通りでした。服薬初めて1週間でほぼ元に戻りました。
数年間生活がめちゃくちゃだったのが1週間で。最初から病院に行っていれば・・・。まあ、後から言ってもしょうがないですが。
これは本当に病気なのか?甘えと思われないか?仮病とか嘘をついていると思われたらどうしよう。
今、当時の私に会えるとしたらこう伝えたいです。
バカ学校ならバカ学校なりに努力しようとせずなぁなぁですませればいいんだろうに、進学実績欲しさに進学コースとか作っちゃうとかきびしくやるからひどいよね
受験勉強できてたなら、頑張る素質はあると思いますが(強制以外でできてなかったらすみません)
自分は(中学受験最中から)適当にやってたらバカ学校に行って、教師からの評判は悪いながらも中高の卒業まではできましたが、大学在学中につまづきましたよ
何にせよ、中学高校のうちにそういった社会生活の上での困難が分かって、ある程度対策できて、かつ興味が持てるものが見つかると良いですねという感じですね
我々のような生き物も興味が持てると頑張れると言われておりますので