はてなキーワード: 研鑽とは
20代半ばを過ぎ仕事に自信がつき始めた頃、現役で東京大学に通う男性の筆下ろしをした。3本。手前味噌だが私は容姿に優れている。胸こそ味気ないCカップだが、顔面や頭身の良さには自信がある。有名私大卒業後、外資系企業に勤め現在の年収は900万。正直何も苦労したことはないし、自分にも自信がある。モテる。
困ったことに、童貞が好きで仕方ない。どれだけ社会的にステータスが高かろうが、心が優しかろうが、性行未経験の男性には全く敵わない。なぜ童貞たちは童貞であることを恥じるのか。ああ、その恥じらいさえも愛おしい。
童貞であれば誰でも愛おしく思える訳ではない。大きく3つのポイントがある。まず一つ目は「今現在、童貞である」という状態を説明するに十分なエピソードを有していることだ。具体的には、湧き上がって仕方がない性欲を我慢してまで何に時間とエネルギーを費やしていたのか、いかにこの対象に価値があるかを語れるかが重要になる。私が嗜好する東大生の場合はそれが勉強だ。デートの際、行為に移る前は必ず、どれだけ勉強を頑張ったのか、それはどれだけ大変なことだったのかを話してもらう。自分が頑張ったことを話し褒められると、自然と彼らは自信を持ち始める。お姉さん褒めて、と言わんばかりに模試の順位自慢まで始められた日にはたまらなかった。
2つ目は圧倒的な最高体験を積んでいることだ。申し訳ないが自堕落な生活や平凡な人生を歩んできた童貞には、一切の愛情が湧かない。自他共に「凄い」と思える成功を納め、一見誰もが羨む人生を歩み始めているものの、「童貞」である自分を恥じながら生きる。このコントラストがたまらない。お姉さんはついつい「そんなことで悩んでいたの?可愛いね」と、内腿を濡らしながらハグしてしまう。
3つ目は上手くSEXが出来ないことだ。技術革新に繋がる高度な研究をしている彼や宇宙の流れを解析している彼も、難しい数式や言語を扱えても自分のおちんちんはハンドルできない。いざ行かん!と張り切って出陣するものの、結局最後はお姉さんに手綱を委ね甘えん坊やになってしまうんだからたまったものではない。これもある意味コントラストだろう。一生懸命な様子で初めてを経験しているこの子の頭の中には、たくさんの学が詰め込まれている。それなのに上手く自分を扱えないなんて!お姉さんがお手伝いしてあげる!と、我慢できなくなる。
男は竿ではない、才能と努力だ。これは竿的な意味ではなく、これまでの人生でいかに自分と向き合い研鑽を重ねたかということだ。貴重な青春時代に全力で何かに挑戦しその成果を納めた竿君たちは童貞であることを恥じる必要は全くない。恥を知らなければいけないのは努力を怠り自分に甘く生きてきただらしのない男たちだけだ。努力出来る人間と自分に甘い人間、どちらの方が多くの女性にとって魅力的であろうか。これは決して童貞に限った話ではないのだ。
エリート童貞好きは大変だ。私は歳をとるためいつまでも若い男の子に相手にしてもらえない。また、無事筆下ろしをしてしまったら彼はnot anymoreだ。自分で自分の宝物を手放す寂しさを感じ続けなければいけない。いつまでも続けることができない有限性も熱くなってしまう理由の一つかもしれない。
童貞のみんなには女の子を気持ちよくさせる方法を調べる前に、目の前にある自分がやらなければいけないことを確実に行い、旗を高く掲げ、そこへ全力疾走してほしい。ゴールについた時にはきっとステキな女の子があなたの隣にいるから。
ある漫画で「おっぱいの触り方で女の子に勝てるはずないじゃないですか」ってセリフを読んだんだけどその通りだと思う
でも同じようにちんちんの触り方で男の子(ポリコレ表記)に勝てるわけないじゃん
俺たちは長年のフィードバックと研鑽を通じて気持ち良いオナニーの手法を編み出してきたわけだよ。ちんちんの扱い方にかけて右に出る者は居ないと俺たちは自負している
だから、昨日今日ちんこに触れたばっかりの女の子に手コキされても、そんなに気持ち良くないんだ
釈迦に説法なんだよ
「気持ち良い?」って誇らしげに聞かれても、(ああ女の子が感じてるフリをするのはこういう心持ちなんだな)って悟りを得るだけなの
手コキって要る?誰が得するんだよ
映像に声を当てる仕事というのは、常日頃から本職にしている人だから自然にできるものであって、
体を動かして表現している俳優は、よっぽど研鑽を積まないとできない。
俳優は体を動かすという一点があるために、動かさないでその場で声だけで演技するというのが下手に見える。というか、下手だ。
声を当てるのは、本職がやるべきことであって畑の違う人にやらせると、粗末な出来になってしまう。
俳優としての演技力があって、映像に映える人でも声だけになってしまうと
なぜ、俳優に声優を任せようとするのか、ディズニーのときも思ったが未だに理解できない。
声一つで見るに堪えない作品になってしまうことも珍しくないのに。
さんざん時間が経っても、未だにそれが学習されないのは…なぜなのか。
俳優ではプロでも声優では素人が声を当てても、キャラに命は吹き込まれない。
それほどドラクエの予告は見るに堪えなかった。
全くもってその通り。
元増田は不遜だ。
各分野の重鎮には敬意を払うべきなのに元増田の姿勢は一体なんだ。
査読の経験すらない若造には理解できない学問の世界が広がっている。
この祝辞には。
統計に少々怪しい所があっても、全体として差別の現実を厳しく訴える内容になっていれば論文の価値は認められるものなんだよ。
それに、物理学や歴史学の専門性がそうであるのと同様に、フェミニズム研究の研鑽を積んだ者がこの祝辞の内容を読むと、非の打ち所がないないことが分かる。
祝辞の主が男性だったら疑いすら抱かない癖に女性だったら疑うのは差別だ。
物理学や歴史学だったらどうせ疑わないんだろうから、フェミニズムも疑うなよ。
もしフェミニズムを疑うなら、他の年の男性物理学者や歴史学者が出してきた数字も疑いなさいよ。
でもしないんだろ?
どうせ。
ならフェミニズムも疑うなよ。
そもそもこの祝辞は何かの数字を伝えるんじゃなくて、各自に自分の頭で考えさせることを目的にしているんだよ。
元増田、わかるか?
見事に右肩下がり。
ゲーム業界で伸びたのはスマホゲー界隈じゃなくてコンシューマー界隈だった(カプコンとかコナミとか)
昔、「こんなやり方では業界は長く立ち行かない」と言っていた人々がいたが、現状彼らの予言どおりになってきている。
「こんなこと長くやっていてはいけない」といわば「懲りて」去っていた人はもう戻ってこない、それがいよいよリアルな数字として現れてきたということなんだろう。
飽きただけの人は懐かしく思って戻ってきてくれる可能性がある。
現にカプコンやコナミのIP(モンハン、SF、ロックマン、各種スポーツゲーetc)を支えているのは
「飽き」との戦いと言ってもいいかもしれない。
おそらく今回収益を出したと言われるどのゲームも「マンネリ」「劣化」と絶対に叩かれたことがあるはずだ(調べてないけど)
でも、マンネリだと思われるぐらい安定しているゲームは進化したときに大きく注目を浴びる。
(その繰り返しは容易ではないだろうし、だからこそその研鑽には価値も意味もあるし企業にとっての財産になる)
一方、スマホゲー(というかガチャゲー)はゲームが劣化していても提供側はなかなか気づけない。
ガチャで金を集めているわけだから、ガチャによる集金システムが最初に構築できていればゲーム性の劣化は直接集金に影響せず、
ある意味どんどん失敗できるし、失敗しても人は「ちょっとしか」減らない。
「ちょっとしか人が減らない」のに慣れると、どんどん手抜きは加速する。
まるで不定期営業を始めたラーメン屋のように、「これぐらいなら許容範囲だろう」と思い込んで問題に目を向けなくなる。
その「ちょっと」が、長期的に観ると取り返しのつかない客離れを招く。
自分が生きてきた過去の二十余年を振り返ってきたけど、何もない。
本当に何もない人生で、得たものなど皆無、まっさらな人生だった。
ここで焦りの一つも生まれようものならまだ救いがあると思うのだが、ただうすらぼんやりとしている実感しかないので救いようがない。
ピアノ、水泳、公文式、バスケットボール……その中で大成したものはない。
学業だって中学までは貯金があって優秀ではあったが今や専門分野においては微塵の知識も身についていない。
教科書を齧った熱心な実習生に下手をすれば負ける程度の知識量しかない自負はある。
読書と創作が趣味なのに、せいぜい電撃文庫の一次通過が関の山、書籍化なんて夢のまた夢。
ゲームでもよくて中の上、とあるゲームの世界大会予選(代表6名/参加者8名)には出こそすれ落選。
高校、大学において浮いた話の一つもなければ、表彰されることもなし、自慢のできることもなし。
就職先だって研鑽を積んだ同期がわさっといる中で、一番劣っている自身はある。
何か成し遂げられる素養も、熱意も、野心もなし。
人間三十までにリカバリをきかせないとダメ、なんていう意見がある。
だけどそれよりも早い段階で足切りを食らう人間だっているはずで。
こうやって現状を吐露しながらも一向に何もできない自分は、決着のついたコールドゲームを続けようとする阿呆な木偶に違いない。
あな悲しきかな、穀潰し。
保育と育児は、作業内容は似ているが、仕事とプライベートで「場」が違う。
自分のされてきた育児や環境は、基本的な「保育学」で「正しい」とされるものと差がある場合がある。
具体的な例として、体罰は現代ではNGだが、数十年前の家庭では一般的に行われてきたので、
そのような環境で育った保育士が、悪評価には罰を与えることを「良い保育」と感じてしまうバイアスがかかりやすい。
また、「先生」と呼ばれるような、人を指導する立場への根強い社会的信頼感(偏見とも)があるため、
集団を律することに重点を置きすぎ、本来の目的であるはずの個々を尊重する支援の優先順位が下がってしまいやすい。
具体的には、「ほら早く着替えて」「みんなが出来ているのにどうしてできないの」などの、
一般に追いついていない未熟さや個性を、ともすれば悪いものと誤解されるような表現で、子どもを支援しようとしてしまう。
人格に正しいものがないように、育児にも正しいものはない。しかし、子どもに携わる福祉職として、正しい保育はある。
保育と育児は、作業内容は似ているが、仕事とプライベートで「場」が違う。
自分のされてきた育児や環境は、基本的な「保育学」で「正しい」とされるものと差がある場合がある。
具体的な例として、体罰は現代ではNGだが、数十年前の家庭では一般的に行われてきたので、
そのような環境で育った保育士が、悪評価には罰を与えることを「良い保育」と感じてしまうバイアスがかかりやすい。
また、「先生」と呼ばれるような、人を指導する立場への根強い社会的信頼感(偏見とも)があるため、
集団を律することに重点を置きすぎ、本来の目的であるはずの個々を尊重する支援の優先順位が下がってしまいやすい。
具体的には、「ほら早く着替えて」「みんなが出来ているのにどうしてできないの」などの、
一般に追いついていない未熟さや個性を、ともすれば悪いものと誤解されるような表現で、子どもを支援しようとしてしまう。
人格に正しいものがないように、育児にも正しいものはない。しかし、子どもに携わる福祉職として、正しい保育はある。
理由は、リスクを見極められないから。かつ、リスクが許容できないから。そして、ほしいのは商売人としての利益だから。
このあたりは金融屋として、市場がどれくらいで、いくら投資したら、いくら利益がでて、全体でいくら儲けられるか?という見込みを元に行う。
だけど、不確実性が高まれば高まるほど見込みを立てられない。つまり、儲けの算段ができず、投資不的確だと判断される。
および、「まだできていない物」だからできないリスクもある。「できてないものを出来ているように言うような」詐欺師の温床にもなる。
詐欺師の側も、これなら投資が取れるネタというのを日々研鑽しているもの。
詐欺師がベンチャーを名乗る件が非常に多い時点で不確実性がさらに高まる。
ベンチャーキャピタル、ベンチャーとの共同研究を設定するのは基本的に大組織。つまり、内部で数人がかりでこれはいけるだろうというのが断定できないとならない。
好むのは基礎要素が全て整っていて、もう少しは売り始められているようなもの、あるいは、よそがヒットしているようなもの。
だから、何もないところから突然ヒットした、というのが生まれると、こぞって突然ヒットしたものがらみについて投資をバンバンしだす。
新しいものが開拓されたのだから、その周辺で新しいビジネスが生まれる可能性もある。かつ、その先行企業の真似事でうまくいくこともある。けど、とれるリスクはその程度。
大企業側も自分の事業領域に近いところならリスクが取れる。また、自分自身が利益を出しているが、その利益が食いつぶされる程度であれば耐えられる。
大企業が信頼の出来る大学に共同研究を持ちかけるほうが詐欺にあってダメになるリスクも低い。
無論、大企業側から見ても詐欺のリスクはある。それから、やっぱり結果論として、投資したものが頑張ってもうまくいかなかったものは詐欺と等しい。
だから、どこぞの馬の骨ともわからないふけば飛ぶような起業になんて、金は出せない。大企業社長が思い入れがあるとか言っても、それなら自社内でやるだろってことで。
アカデミックならまだ経理と報告がしっかりしているから出せるかというところで。
となると、それよりリスクが高いものとなるとアカデミック側がリスクをとって研究するとなる。
ただし、競争的資金もある程度研究の基礎部分があって少し背伸びしたぐらいのものでないと通らない。つまり、これも基礎もきちんと整えられない物は作れない。
だが、成果として儲けることは条件にいれなくて良い、その代わり、論文と報告書として表に出さないとならない。
最も、最近の透明化とやらでその報告書や申請書やらの書類周りのウェイトが非常に高くなって研究時間の圧迫につながっている。
番外として金持ちが投資するというものもある。これは金持ち一人が判断したら出せるもの。
金持ちは何らかの自分の商売に専念して金持ちになったので、離れた分野の知見なんてまあ、まず無いと言って過言じゃないあろう。
ほとんどの金持ちは中小企業を構えているぐらいのものなので、組織的に詐欺に対処できない。
リスクは取れるが、いかんせん詐欺のリスクにかかるリスクのほうが高いので、よっぽど自分の商売に近い部分のリスクしか取れない。
企業宛の国、政府の助成金も詐欺の懸念があるため、極短期間か、1/2や1/3程度の自己負担が求められる。ついでに書類も多い。
ということは、もうそれだけの間に事業がうまくいく算段がついてないと応募したところで首を絞められる。
まとめると、とれるリスク順に次のようになる。
4.ベンチャーキャピタル
逆にこの下側から、まだ影も姿もない革新的イノベーションが生まれる可能性もあるということだ。だって影も姿もないのだからその上側のリスクがある金は取れないわけだから。
8なぞ、研究しているときは「何に役に立つのかわからない基礎研究」としてやっていたのだろうがね。
革新的イノベーションというのは今まで思いもつかなかったことから巨大なビジネスが生まれたことと言っても過言じゃないだろう。
そうなるには、基礎技術部分を全部抑えていて、大きな市場をつかめる必要がある。
しかし、そんな基礎技術を抑えきれるような開発は非常にハイリスクだ。長期の開発にはまず開発当事者の生活費をどうするかから考えないとならない。
政策としては、上記各フェーズを「それぞれ」充実させる必要がある。
ただし、新自由主義化でアカデミックポストの使い捨て化、運営費交付金削減、競争的資金化が進んだところ、論文執筆数の時点で減少している。
役所や政治家の仕事として、別に「夢を見せてやったふりをする」こともあるだろう。
まあ、叫ぶだけ叫んで、子供のお遊び起業を増やすのも一応仕事をした事にはなるだろう。最もそいつらは失敗するわけで、周りも起業はしてはならないと学ぶだけに終わると思う。
だから、大学の学生ベンチャーサークルが生まれては数年しては消え、そしてまた数年後に生まれる。どこの大学でもあるようなサイクルが生まれる。
もうそんな風には思いません。なので勘弁してください。
特に理由はないけど、何故か僕を好きらしい女子が12人いるとか。
なんて、思っていたけどここにおけるモテるって大事な前提があるんだよね。
職場のメンバーで少しどんくさい人がいて、その人と一緒に仕事をしなければならなかった。
どんくさい人だけど、サポートしてあげないと仕事が回らないなって思って
都度サポートしていた。
惚れたらしい、というか惚れたという相談を別のメンバーに相談した様で
ていうか、そのどんくさい人は不器用でもあったので、分かりやすく好意を示してきた。
ここまでくればお分かりかと思うけど、僕はその人に好意は持てなかった。
見た目もタイプではなかったし、何より考え方や性格が嫌いだった。
それが、何故…。
不要におやつのおすそ分けだとか、ランチに誘ってきたりだとか。
その手のお誘いはやんわり断るけど、それが止む気配もない。
このところ、それがストレスだ。
好きでもない、いや嫌いな人から日々受ける好意がここまで心に闇を育むとは。
かといって、お前のこと嫌いだから、なんてヘイトを直球でぶつける勇気もない。
で、先の話に戻るわけだ。
モテたいだなんて思っていたのは
何の努力もせずに、好意をもらえるっていう都合の良い話だったんだ。
望まない人に愛されることがこんなに苦痛とは。
多分、イケメンのモテ男君はこういう苦痛を何度も味わっているんだろう。
表面上、きれいな女子にモテモテの彼もその裏では苦痛を抱えている。
そう、優雅に浮かぶ白鳥もその水面下では必死に足をもがいているがごとく。
(実際はそこまでもがいていないらしいけど、例えとしてね。)
そう思うとモテなくていいな。
というか、今のこの望まぬ行為を受ける日々を穏便に解消したい。