はてなキーワード: 心の風邪とは
ハサミの使い方を忘れました。
■ちゃんとハサミを使えたボクの話。
それまでのボクは、ケータイサイトを作るベンチャー会社でちゃんと働いていました。
2000年に誕生し、2007年には株式上場。最初は4人だった社員も今では150人強に。そんな中でちゃんとした給料をもらい、取締役という役職ももらい、ちゃんと仕事をしていました。
確かに、朝9時30分に出勤し家に帰るのは午前1時とか2時とかだったり、土日も出勤してたりもしましたが、「ベンチャー企業なんてそんなもんだよね。」と人からも言われ自分にもそう言い聞かせて働いてました。普通に。
逆にそんな風に頑張っている自分が誇りだったし、「最近寝る暇も無い位忙しい」ってことが自分にとっては「美談」でした。
そうボクがちゃんと普通に「ハサミ」を使えてた頃の話。
ここで一度考えてみてください。
■ハサミの使い方を忘れました。
「ボクってカッコいいのかなぁ?」とか「ワタシってかわいいのかなぁ?」ってのは、「誰か」と自分を見比べて、鏡の前で悩めばわかるかもしれません。
「自分って健康なのかな?」ってのは、健康診断を受ければ解決します。
ただ、「もしかして、ボクって精神的におかしくなってきたのかも?」っていうのは案外自分では気づかないものかもしれません。
幸いにも(?)ボクには兆候がありました。
ある日突然「ハサミの使い方」を忘れたんです。
ハサミを見て「あ、これはハサミだ。」ってことはわかるんです。でも「何に使うものなのか?」ってことが分からないんです・・・。
でも、「何のための道具なのか?」って事が思い出せないんです。
他にも「会社の資料を作っているときに誤字脱字が増えてきた」「会社の会議などスケジュールを覚えていなかった」「机の上に置いてあるお茶が、いつ注いだものかわからなかった」など、いろんな兆候がありました。
でも、なにより会社に行きたくなかった。社長に会いたくもなかった。
部下にも会いたくなかった。
この時期、会社でボクの身に何があったのかというと上司の取締役が変わったことくらい・・・。
その方は他社から転職してきた方で、もともとは凄くボクとも仲良くしてくれていました。
ところが、直属の仲間になった途端そんな関係は造り物だったことに気付きます。
喫煙室で顔を合わせると、不機嫌な顔をされ一言も口を聞くことはありませんでした。仕事で相談すると「今忙しい。それくらい自分で考えろ。」と一蹴され、取引先に向かう電車の中で「あんたってこの会社に8 年間もいて今までどんな実績上げてきたの?何も無いんじゃない?あったら私の耳にも入ってくるけど。本当は社長もあなたの事なんて要らないと思ってるんじゃない?」なんて事も言われました。
なんとなくですが、「社長が僕自身を鍛え上げるために、この取締役にそう言ってあるのかな?」なんてポジティブに思ってた事もあって。
今までの同僚としての距離感ではなく、取締役としての距離感で接してくれているから、こんな冷たい態度なのかな?って思ったから・・・。
その数日後。その人に会議室に呼び出されました。
その一言で目の前が真っ暗になりました。
信じていたAさんBさんもボクの味方では無かったんだ・・・。
「そんな事くらいで他人に相談するし、仕事もできないし、あんたなんて生きてる価値ないんじゃない?」
『もうこの会社に居たくない。』
そんな気持ちがボクの心のすべてを満たしていきました。
でもそれは、自分の兆候(症状)を相談し解決してもらう為じゃなく、会社に行かなくてよくなるように「診断書」を書いてもらうためでした。
そう。ハサミの使い方を忘れてしまったボクは、もう一度ハサミを使えるなるようになることよりも、いまの現状(会社)から逃げ出したかったんです。
もう一度ハサミを使えるようになりたいなんて気持ちはこれっぽっちもありませんでした。
■ハサミの使い方を思い出した今のボク。
1年2ヶ月という長い休職期間を経て、この度元の会社に復職いたしました。
精神的にも安定しています。まだまだ薬は飲み続けていますが・・・。
でも、逆に薬さえ飲んでいれば普通に生活できるわけで、何てことはありません。
うつ病になる前の自分や生活には、絶対戻りたくないと思っています。
あんなに仕事人間だったボクが、会社と上手く距離をおいて物事を考えています。
今でも人混みは苦手です。
でも、そんな所に行かなくても生きていけるので不自由はありません。
そう。
特に趣味もなく、会社で評価されること・会社の仕事をこなすことだけが、ボクの生きがいであり、ボクの存在を必要としてくれる居場所だったんです。
そりゃぁ、その会社から「あんたなんて必要ない。」って言われれば、自分の居場所が無くなるんだから、うつ病にもなりますよ。
今のボクは、趣味であったり、美味しい食事であったり、大好きな自然だったり、友達だったり、ブログだったり、いろんなところに居場所があります。
御飯食べるための仕事。要するに飯の種って事です。
それくらいに割り切ったお付き合いを会社や人間関係に置いてみると、多少嫌なことも我慢できるのかもしれません。上司にガミガミ言われても、新しいカメラのレンズを買うためなら・・・って。
では、ボクがここまで変わることが出来た経緯をご紹介します。
■休職できた。
「休職」ってボクの中では重病(骨折とか入院とか)の方しかできないと思っていました。
よく勘違いする人が多いのですが「うつ病は心の風邪」って言う人がいます。
うちの会社の総務の人も「うつ病は心の風邪だからちょっと休めば治りますよ。」なんて、気休めを言ってくれました。
しかも外傷も見当たらない「脳の重病」だと。
だって、食欲もない・眠れない・何もする気が起きない・・・これって心(気持ち)でどうにかなるものでしょうか?
「心」なんて自分の体のどの臓器かもわからないのに、「心の病気」とか「心の風邪」って言われることが本当に怖かったんです。
心療内科の先生やカウンセリングの先生から「うつ病は脳の病気です。」って聞いて、本当に安心しました。自分がおかしくなっちゃったのは「心(気持ち)」がおかしくなったんじゃなくて、脳がちょっと壊れちゃったんだなと。
しかも、ちゃんと薬があるのであれば、怖くもなんともない。何となく「心の病気」って言われると、自分自身がおかしくなったように思っちゃって怖かったんです。もう元に戻らないような気がして。
当然の権利だと思いました。会社のストレスで脳に病気を持ったわけですから。だから休職することに何の抵抗もありませんし、恥ずかしくもありませんでした。
最初の診断書で「3ヶ月の休職期間を必要とする。」と記載してあったので、会社からは3ヶ月の休職期間をいただきました。
3ヶ月で治るんだと思っていましたが、治りませんでした。
そして、会社の休職期間の限度である「6ヶ月間」に休職期間を延長してもらいました。
多分、6ヶ月で治ります。うつ病になる前の仕事人間の自分には。
ちょうど休職期間が終わる6ヶ月後の頃、会社と面談を行ないました。
その時の総務の方の対応に疑問を覚えました。
毎回「調子はどうですか?」と聞かれ、ボクは「たまに、メマイとかします。人の多いところとかだと。」と答えます。事実、今でもそうですが・・・。
それを「明確な復帰の意思、どこに復帰したいかの意思表示がありません。」と言うふうに社長や他の取締役に報告していたようなのです。
人混みでメマイやパニック障害を起こしている状況で「はい!もう大丈夫です!元の取締役として働かせてください!」なんて言える人はいないと思います。
もう、休職期間も終り自然退職(自己退社)になるんだから、言いたいことは全部言ってやれ!って気持ちでした。
休職期間に入るときに社長からの伝言で「休職は認めるけど、戻ってきたら取締役解任ね。」って言葉を頂戴してました。
それ以外他にも例の人から言われたことの全てを総務の人に報告し、「パワハラではないか?」と詰め寄りました。
そもそも、総務の人は現場で何が起こっているのかを知りません。
噂レベルで「こんな事いわれたらしい。」と言うことは聞いていても、他の取締役本人の口から伝えなきゃわかってくれません。
だから言いました。
本当に。
今までのストレスを全部吐き出したんです。
抗うつ剤の服用者が暴れたり言動が荒くなったりってニュースを見たことがありました。
今思えば、この頃のボクはそんな状態だったのかもしれません。
でも、今のボクは当時のボクを責めたりはしません。
自己嫌悪もしていません。
薬の力を借りていたとしても、自分の気持を汚い言葉や罵声であれ会社に伝えられた自分を褒めてあげたいと思っています。
だって、それだけストレス溜まってたんですもん。たまったストレスを吐き出させてくださいよ・・・。
今思えば、休職してすぐにストレートに会社に気持ちをぶつければよかったなぁとも思います。でも、そんな気力も余裕もなかったんですよ。
自分の気持を整理して、相手の言うことを理解し、自分の気持と照らし合わせ、思いを伝える気力と余裕を持つまでに半年掛かったってことです。
その半年間のことは正直よく覚えていません。
ひたすら寝て、きちんと薬を飲み、食べられるものを食べる。
人間として何とか生きている感じ。
でもきっと、気力を貯めこむ期間として必要な半年間だったんだと思います。
おかげで気持ちが会社へ伝わり、会社の規程が「病気の場合での休職は1年間とする」と変更されました。
ただこれに素直に感謝できるまであと半年かかりました。当時は当たり前だろって位に思ってました。
一気にストレスを吐き出したボクは、やっと何かを吸収する余裕ができました。
人からのアドバイス聞いたり、本を読んでみたり、ちょっと難しいテレビを見てみたり、Twitterを始めてみたり・・・。
やっぱり自分の気持ち(想い)が自分の中に溜まっていると、人から何を言われても「そうは言うけど、ボクはうつ病だし・・・。」みたいな感じで聞く耳を持てなかったりします。
想いを全て会社に吐き出して、やっと「何か」をしてみようという気持ちになれました。
この想いの吐き出し方や吐き出し先は人それぞれだと思います。
ボクの場合は「会社のせいだ」と思ってしまっていたから、会社にぶつけたまでで。
まずは何故自分がうつ病になったのかをきちんと主治医やカウンセラーと相談し、答えを見つけることが必要なのかもしれません。
余裕が出てきたところでやっと気付きます。
「うちの会社でうつ病でこれだけ長く苦しんでいるのは自分が初めてだ。」と。そして、相手を思う余裕も出てきます。
「もしかしたら、会社の総務人事の人達や社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?だから、ああ言う対応しかできなかった。」と。
「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と。
簡単に言っちゃいましたが、「そりゃぁ、仕方ないよね。」って考え方は、ボクの中に初めて生まれた考え方でした。
仕事人間だったボクは「何にでも白黒付ける」事を求められ、必ず答えを出さなければいけなかった。「仕方ないよね。」とか「どうしようもないよね。」で片付けることなんて出来なかった。
全てにおいて私生活でも白黒付けて生きてきました。
「この世にはどうしようもないことがある。」
それに気付き納得できたことは、これからのボクの闘病生活を大きく左右する出来事でした。
「会社の人達や社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?」から「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と思ったボクは、「うつ病」について知ってもらおうと思いました。
せっかくなので会社の人だけでなく、全国の人にも。
■うつ病を楽しんでみる。
まずはブログやTwitterで「自分がうつ病であること」「うつ病の人ってこんな人」ってことをセキララに語ってしまおうと思いました。
当然、ブログで「ボクはうつ病です。こんな生活を送ってます。」なんて記事を書こうと思ったら、自分の生活で「あれ?」と思ったことを記録しなきゃいけません。
・ あれ?ボクは何でこんな事してるんだろう。
・ あれ?ボクは何でこんな事を考えたんだろう。
・ あれ?ボクは何でこんな事が出来ないんだろう。
・ あれ?ボクは何でこんな事が出来なくなったんだろう。
例えば、ある日「冷蔵庫にサランラップを仕舞っている」事がありました。
朝、冷蔵庫を開けたら冷蔵庫にサランラップが入っていたんです。
・・・あれ?ボクはなんで冷蔵庫にサランラップ入れたんだろう?って思いました。
「サランラップが冷蔵庫に入っていました・・・。うつ病って凄い。」って。
「疲れてるだけだよ!」
「冷たいサランラップって気持よさそう!」
などなど。
あれ?と思いました。
ちょっとでも人を笑わせる事ができるってことは、凄いことなんじゃないか?
急に目の前が明るくなった感じがしました。
そこであることに気付きました。
自分の中で「変な行動や変な考えを全てうつ病のせい」にするのって意外と楽だって事に。
だって、病気がボクをそうさせてるだけで、ボク自身がおかしいわけではないんじゃないか?きちんと病気と向き合って対処すればいいだけじゃないか?
これに気づいたときに本当に楽になりました。
今まで無かった「目標」ができたんです。
そして、このメモは主治医やカウンセラーに相談するときにも役立つんです。
それからのボクは、「うつ病を楽しむ」生活に切り替わりました。
■「ありがとう」って言われたくなる。
そんな日々を繰り返していると、Twitterでメッセージを貰いました。
「ブログを拝見しました。ご想像の通り、ボクも若干うつなのです。薬も服用しています。でも、まだ公表できていません。ブログを読んで気持ちが楽になりました。ありがとうございました。ただ、それがいいたくて。」
別に誰かを幸せにしたいとか何も考えずに書いているブログに、「気持ちが楽になりました」って言ってもらえるなんて思ってもいませんでした。本当に嬉しかった。
こんなボクに「ありがとう」って言ってくれる人がいるんだ。
「生きてて良かった。」って泣きながら母親に話をしたことを今でも覚えています。
それから他人から「ありがとう」って言われることをすれば、自分の存在理由を見つけることができるのかもしれないと思うようになりました。
同時に、きちんと自分からも「ありがとう」と言える人になりたいと思いました。例え、コンビニの店員さんであっても「ありがとう」って言うようになりました。外食したときはお金を払って店を出る前に「ごちそうさまでした」って言って帰るようになりました。
もしかすると、その事自体が別に褒められることではないのかもしれません。
人間として当たり前のこと。
だとすると、なおさら「今までやってこなかった自分」を恥じるようになってきました。
そう「仕事人間で余裕が無く他人に『ありがとう』とも言えなかった自分」が恥ずかしくてしょうがなかったんです。
普段探してみると「ありがとう」って言う機会は思った以上に転がっています。
それに気づかなかった過去の自分がおかしいんじゃないか?って思ったんです。
それが自信から確信に変わったときにハッキリと目が覚めました。
そして「うつ病になる以前の仕事人間の自分になんて戻りたくない。」と。
とはいえ、自分って何故こうなんだろうって、自信を無くす時はあります。
そんな時ボクは、あまり褒められる事ではないのですが、見知らぬ誰かと自分を比べるということをしています。
例えば、街でタバコをポイ捨てしている人を見かけたら、「自分はポイ捨てしないなぁ。」って思えれば、その人よりも自分のほうが生きてる価値があるのかもしれません。
最近やたらとネット上で「私は双極性障害です。」というカミングアウトが目立つ。医師がそう診断したというのが根拠だ。
ネット上でメンタルヘルス界隈を見続けて18年超の私から申し上げると、「一昔前までは、双極性障害を自認するメンヘラーはまずいなかった」という事実がある。病名が、躁うつ病 → 双極性障害 に変わったから当たり前なのだが、じゃぁ以前に「躁うつ病」とカミングアウトしたメンヘラーがいたかといえば、とても少なかった。(うつ病の自称者はウジャウジャいた)
精神医学商売にもトレンドがある。世紀をまたぐ頃から長らく「うつ病の診断とSSRI(抗うつ薬)の処方」という流行があった。それがここ数年で「双極性障害の診断とラミクタールの処方」に変わった。かなり露骨に・・・
SSRI(抗うつ薬)に反応しない患者に双極性障害の治療をしたら治癒するシチュエーションは確かにある。双極性障害なのにうつ病診断されていた患者に、適切な病名が告げられるようになったともいえるかもしれない。
しかし、そんな医学の進歩的な理由が主因だとは思えない。今、メンタルヘルスで医者が儲けようとしたら、薬価の高いラミクタールとエビリファイという、うつ病治療とはベクトルの違う処方をした方が単純に儲かる。加えて、うつ病だと寛解したら治療が終わってしまうが、双極性障害の診断をすれば長期的な通院が期待できる。この二つが真の理由だ(あえて断言したい)
医療の世界でもメンタルヘルス界隈ほど製薬会社の戦略に安易に乗っかる分野はない。SSRIを売りたいトレンドでは「心の風邪」なる言葉と共に不必要な人にまで抗うつ薬が胃薬のように安易に処方された。それが今、双極性障害の診断の名の下に高価な薬がやたらと処方されている。それだけなのだ。
厄介なのが双極性障害にはⅠ型とⅡ型があって、後者は抑うつがメインで躁状態は軽微というパターンで、これはうつ病との診断の見極めが難しい。ちょっと前までは「新型うつ病」の新しい概念を使って患者を量産してきた、それに疑義を唱える雰囲気が濃厚になった昨今、精神科医が胡散臭くなくて、薬を選びやすい双極性障害Ⅱ型に診断名を変えてきただけだ。こんな恣意的診断にも医療費は健康保険料から支払われる。長谷川豊的嘆かわしさだ。
私の個人的経験から帰納すれば心療内科・メンタルヘルスクリニックの大半は他の医療分野と比較してあからさまにレベルが低い。安易になされた双極性障害診断に納得してはいけない。((参考:気分障害の当事者活動と「双極性Ⅱ型」について))
xevra先生が、高齢メンヘラカップルのブログに、薬が合ってないのか、とブコメされておられるが、
ブログを読む限り、主治医への相談が必要で薬を変えなければいけないほどのうつ症状がある感じはしない(あのブログの精神的リスカは通常営業だ)し、
そもそもパーソナリティ障害自体は、神経や脳器質などの生化学的なものというより、他人に迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人、というだけのことなので、
薬じゃあ治らないし、根気よくカウンセリングなどを続けたところで、あまり効果がない(何しろ著しく性格が悪い人を相手にカウンセリングしなきゃいけないから)ことが多い。
パーソナリティ障害には多くの種類があるが、これは、様々なベクトルの性格の悪さを、大まかにカテゴリー分けしているだけ、という側面もある。
実体験数が少なく、それに反して情報量が多い今時の若者には、多かれ少なかれパーソナリティ障害的な心の動きが見られる人もいて、それほど珍しいことでもない。
まだ若い人であれば、良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていくことで、カウンセリング的な効果を得て、成長と共に
「他人に迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人」から、「ちょっと個性的だけど面白い子だよ」ぐらいまで改善することも少なくない。
まぁ、当該の高齢メンヘラカップルは、もう既にどっちも高齢者で、今までの道のりで見つけられたであろう性格の改善ヒントをすべてスルーしてきたという実績に加えて、
道端に落ちてたメンヘラを拾って隙間を埋めてみたけど合わなかったから捨てました、みたいな、
いい年した人間ならとっくに卒業したような(おまけにそれをSNSで告白したり、サブイボ級のポエムタッチなブログで公表したりの)破壊的な行動を繰り返している輩どもなので、
パーソナリティ障害に係る各種の「生きづらさ」の改善は、期待できないだろう。
「うつ」は心の風邪だから休養がいちばん、という例えに倣うなら(これは本当によくできている例えだと思う。複合原因または原因不明、放置・反復が過ぎると死を招くところまで特徴をよく表してる)、
パーソナリティ障害は「子供の頃からの生活習慣ですっかり太った精神的デブ」みたいな感じだと思っている。これは自分が勝手に定義していることではあるが。
彼らのような、パーソナリティ障害に苦しんでいる人たちの持つ共通の原因は「肥大化した自意識」。他者の存在を受け入れずに生きてきた結果「自」のフィールドだけが肥大化している。心の内臓脂肪が理由。
これは、遺伝的な体質ももちろんあるけれど、どちらかと言うと、生育環境なども含む生活習慣由来の問題なので、投薬やおざなりのカウンセリングなどでは、根本を改善するのは難しい。
例えば、長年の運動不足で肥満症から糖尿を発症した人に対して、糖尿への投薬治療はできるけれど、運動不足由来の肥満を解消させて原因を改善させるのが本当に大変なのと同じような感じ。
そして「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」習慣が身に付けば、収まってしまう(糖尿発症しちゃうと収まっちゃうと簡単には言えないけど…)ようなものでもある。
パーソナリティ障害で精神科を受診すると抗うつ剤を処方されることがあるが、肥満が理由の糖尿と、メンヘラ理由のうつは、似ていると思う。
そして、肥大した自意識=過剰な内臓脂肪、と例えると、他者=筋肉量、という感じである。
上の方に記した「良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていく」というのが、「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」にあたる部分で、とても大切なことだったりする。
職業カウンセラーでは、そこまで対象者に踏み込み、「適切な距離を取った他者」であり続けるのは、時間的にも精神的にも難しいのが現実。
一方で、メンヘラではない多くの人は、自分の近くにいる人と適切にコミットしたいと願うのがふつうだ。その方が人生を楽しみやすいし人間関係の安全性を確保しやすいから。
ましてや、近づいた意図が友情や恋愛などの「好意」に基づくものであれば、時間や労力を厭わずに、その相手との適切なコミュニケーション、コミットメントの方法を模索しようと試みる。
「メンヘラ傾向があったが色々あって落ち着いた人」というのは、このような友情や愛情という機会を、きちんととらえることができた人。
若いうちのメンヘラは恋すれば治る、みたいな側面もあって、良い人と巡り合えば、ケロッと、それこそ憑き物が落ちたかのように普通になっていたりする。
一方で、当該の高齢メンヘラのブログを読むと、今まで、改善の可能性を感じる「他者」と向き合わうべきタイミングで常に逃避行動を取って生きてきたのだろうということが分かる。
な、著しく性格が悪いだろう。
ちなみに、他者と向き合わなくても、結婚だって離婚だって浮気だってセックスだって、するのは簡単。というか、むしろ他者ときちんと向き合わない方がどれも簡単だったりする。
相手のこと考えずにいる方が、照れや逡巡や羞恥心やプライドなんかの、恋愛やセックスにまつわる精神的なハードルは超えやすいから。
ただし、他者ときちんと向き合った付き合いの上で行う、結婚生活やセックスは、向き合わないまま行う結婚やセックスの何千倍も多幸感が強い。まぁ当然の話だが。
「彼ら・彼女ら」が、あれだけ行動的で、発信意欲が強くても、ちーとも幸せそうに見えないのは、これが理由。
パズルの合わないパーツを、手前勝手に合わせようとして癇癪起こしてる子供と一緒。
他者と向き合わず精神的な成長を否定して、というのは、大昔は「ピーターパンシンドローム」なんつって流行ったんだ。
まぁあれはあれで、この文章と同様に偏狭な側面が強いものではあったが(なんで男性に限定したんだろうなあれ、時代性だろうか)。
まぁ、そんな通俗心理本が出る程度には、一山幾らの、凡庸で特に特徴も魅力もないような、特に珍しくもないような、ただの性格の悪さでしかないんだよな。
うつ病は心の風邪というけれど、その大きな要因のひとつに性格/気質があって、なりやすい性格の人となりにくい性格の人がいるという。
真面目で責任感がある人はなりやすく、そうでない人はなりにくい。ということらしい。
遺伝が関連する疾患について、将来罹患する確率が異なるため、遺伝子情報で保険料が変わるかもしれないというニュースが出回っているけど、
鬱に関しても、いずれはそうなるかもしれない。喫煙者の肺がんリスク、肥満の糖尿病リスクなどと同様に、性格による鬱リスクについても、
同じプロジェクトチームに、鬱になりやすい性格の条件にかなりマッチしている人がいる。
真面目で責任感が強く、面倒な仕事を押し付けられても文句を言わずやり、自分の正義やルールを曲げない。
繁忙期など、みなが上手に理由をつけて適度に息抜きしている状況でも、その人は休めと言っても休まない。来るなといっても来る。
そこまでやらなくてもいいと言っても、完璧主義なのでやってしまう。
きちんとやらないほうがストレスですと言わんばかりに。
それで消耗して、フラフラ。
それで倒れらたら意味ないし、そうなったらかなり迷惑なんですけど。
しかもそういう人って、自分を棚上げにして、鬱になりにくいといわれる性格の人のことを、テキトーなやつだと見下してるっぽいんだよなぁ。ひと昔まえのB型disみたいにさ。
突然同僚がこなくなった。連絡はあるんだけど出社できない状態。
これだけでわかる人も多いと思うけど、簡単にいうと心の風邪「うつ」
別に鬱だからって同僚を責めるわけじゃないんだ。誰にでもなる可能性はあるし、そんな人を何度もみてきた。ITなんてそんなもんだ。
その同僚は2回目なんだけど。
たぶんコレは休職コース一直線。
独身で不惑。性格は真面目で見た目もわりと良い。そして同僚はサービスを運営する責任者でもあった。
その責任者が、急に、消えた。
船長がいなくなった船はどうなるのか。
もともとPJはうまく行ってなくて、立て直しを求められていた。同僚はケツ拭き役だった。
自分もミッションを同じくしてて、別PJのプロマネをしてる。同僚と同じケツ拭き役。
その俺に会社はこう言ってきた。
「同僚がこなくなった。長い休み(=休職)になるかもしれない」
「現場は混乱するが、しばらく頼む」
それだけ。
すでにケツ拭きをしてる俺に対して、プロジェクトのケツ拭き役からドロップアウトした同僚のケツ拭きもやれというのか。
俺はいったい何なんだ。俺が汚れ役を引き受ける理由なんか無いよ。
ケツ拭きの失敗を激しく叱責させることはあれど、よくやったなんて言われることは100%ない。
同僚は気がついてしまったのだろう。
ケツ拭きという虚しさを。船長に指名されて、意気揚々乗り込んだ船が泥船だったことを。
プロマネ就任当初あんなに「俺、がんばるよ」って言ってたのに。
俺はどうすればいい?
どうすりゃいいんだよ…。
どこの検索エンジンでもいいから、"弱小サイト"ってキーワードで検索してみ。"弱小サイト"って言葉を"個人運営ブログその他個人サイト"って意味で使ってる奴、ほとんどいないから。それはお前の脳内定義だから。その上で
え?
いちいち説明しないとわかんないの?
って言われても、そりゃいちいち説明しないと分かりませんよ、としか言えないよ。
要するにあたしが言いたいのは、政治的権力を持つ巨大な組織や政治家でもないたんなる一個人という弱い存在を攻撃しててバカみたいってことなんだけど。
あ、それもいちいち説明頂かないと分からないです。
「馬鹿に馬鹿と言い続けるのはいじめと同じ、他人を変えるなんて思い上がりだし、虚構新聞が嫌いな人は老害化した古参なのかなって残念に思う、彼らが昔嫌っていたはずの自治厨になっちゃったのかなぁ」
って前後の理屈に何の繋がりもない、頭の中をただ吐き出しただけの珍説であって、そのどこに「一個人を集団攻撃するのは馬鹿だ」って主張があるのよ。
あなたは「古参ユーザに老害化してる奴が多いんじゃないの?」って、なんとなく思いついたことに共感して欲しかっただけでしょ?
ださいってそんなに批判されるべきことなの?
幼稚でなにがいけないの?
これっていじめとなにが違うんだろう。
自分に他人を変える力があるだなんて思い上がってる人もいるのかな。
この部分、完全にポエムですからね。生きづらいのあなただけですからね。思い上がってるのもあなただけですからね。
虚構新聞アンチには古参が多い感じがするけど、それこそ老害化しちゃったのかなあって残念に思う。
むかしはこういう俺様ルールの自治とか大嫌いなはずだったのに。
これは完全にあなたの思い込みですからね。好きでもないし読んでもないサイトのことについてここまで気に病んでるのは心の風邪ですからね。他人の老害化を残念に思う前に、ネットやめた方が良いですよ、あなた。どうせそんな古参ユーザとはクリティカルな接点を持たないんですから。
で、ネットで偉そうに「~が理解できない」って書く人は、そのほとんどは「~を理解する気がない」ですからね。あなた虚構新聞じゃないんですから、嘘書いちゃダメですよ。ちゃんと正直に「虚構新聞アンチの粘着っぷりが嫌い」って書きなさいね。でも、その"虚構新聞アンチ"とか"粘着っぷり"って言うのはあなたの想像上の存在に過ぎませんからね。ちゃんと病院行きましょうね。
増田で書き捨てた文章の、スターのついてるブコメに妬くなんて、あなたよっぽど疲れてますからね。好き勝手書いてこんだけの人に見てもらえたんだからもう気は済んだでしょう? 次はもっとマシな日本語が書けるようにちゃんとお勉強してきましょうね。大丈夫。増田に書くだけの行動力があるんだから、それを正しく使えば次はちゃんと分かってもらえますよ。ブコメでチヤホヤされる明日を目指しましょうね。
今はゆっくり休めばいいよ~
だからゆっくり休めばいい。薬を飲んで、寝てるうちに、だんだん食欲が出てくるし、
うつの時は重大な決断はしてはいけない、というのがよくある話。
どうしてもしなければならない決断(あなたの状況だと休職)以外は、先延ばしにしよう。
仕事を辞めたり、恋人と別れたり、というのを、自分から進んでやらないようにね。
そんなにいっぱい働いているのを知らない人はいないでしょ?
復帰してからのことが心配かも知れないけれど、それは復帰してから心配しよう。
大丈夫。
「人生は長いでしょ。今80年って言うじゃない?そのうちの1~2年なんて、ちっぽけで見えないからわからないわよ」
って叔母が言ってた。
お大事に。
当方、完解経験あり。
鬱病の原因はキャパシティを越える恒常的なストレス状態だから、
直すにはまず十分に休息して、病気に罹るほど疲弊した神経を回復させないとどうしようもない。
だから、病気に罹る原因(自分の・あるいは環境の)を取り除かなければ、
何度でも再発する。うつ病の再発率が高いのはそのせい。
精神病薬って、それこそ統失みたいなガチのどうしようもない状況には有用なんだろうけど、
「心の風邪」であるところの鬱については、それこそ自殺の恐れがある中~重度鬱を除外すれば
「治った」と錯覚させて根治を難しくする効果しかない気がするんだけど、
薬には「その場しのぎ」以上の効果はない、ということを患者に知らせずに
薬を出し続ける精神科医には問題があるんじゃないかと思ってる。
SSRIなんて一見覿面にきくけど、実際のところ精神エネルギーの前借りみたいなもので、
ぱっと見の症状は減っても、服用を止めたら確実に(より酷くなって)ぶり返すのに。
とりあえず、患者の立場からは、薬じゃ鬱は治らないことは肝に銘じたほうがいいと思う。
薬で症状が軽減したからといって普段通りの負荷を掛けるのは厳禁。
薬は「直ったような状態」を作り出しているだけで、根本的な問題は一切解決していないから。
まずは十分に休養を取って、脳をギリギリ健康な状態まで回復させる。
次に、生活習慣や神経症的な性格を改善して、あるいは環境を変えて、再発を予防する。
そして、鬱症状は消えても、長年無茶させられた自律神経と神経は大体不安定になっているので、
その辺のバランスを改善する。これは継続的な運動や、生活習慣の改善が有効。
完治にはアホみたいな時間と自助努力、それに周囲の理解を要するけど、
そこを確保できなかったら薬と病院と一生のお付き合いになる、と思ったほうがいいよ。
でも、多分これ読んだ人は「ふーん。だから?」って思うでしょうねぇ。
うん。それはそれで間違ってないんですよ。
ていうか、面と向かって誰かに同じ事を言っても、同じような反応が返ってくるんですよ。
うつ病が蔓延しまくっている現状、誰だって知り合いの一人や二人はうつ病に掛かっていてもおかしくないから、「うつ病です」なんて言われても、別に驚かないんですね。
驚かないのは、それはありがたいのはありがたいんですよ。大げさに驚かれても、対処に困りますから。
あとは、「うつ病は心の風邪」ってのが広まっているってのもあるんでしょうね。
「風邪みたいなもんなんだ」と思うと。風邪なら、そんな大したことないなと思えるんでしょう。
んでもね。実際にうつ病にかかっている人間からすると、うつ病は風邪どころではないです。
風邪の場合でも、そっから重症化したり、最悪死んだりする可能性もなくはないけれど、でも大抵の場合は数日寝れば治りますよね。
でもね。うつ病は数日寝たくらいじゃ治んないんですよ。数日寝ただけで治るとしたら、それはうつ病じゃなくて、単に気分が憂鬱なだけ。
うつ病は症状としてはこの気分が憂鬱ってのに近いというのも、病気に関わってない人に誤解されやすい点かもしれない。憂鬱になる病気なのね、と理解してしまう。
それは間違ってはないんだよ。憂鬱になる病気なんだよ。でもね、それがずーっと続くんだよ。何日も。何ヶ月も。何年も。
私の場合で、この病気になってもう3年です。良くはなってきているけれど、それでも落ち込むことも多いです。
自分でも、こんな自分が嫌です。だから自殺したくもなります。今のところはしなくて済んでいるけど。
だらだら書いてきて結局何が言いたいかっていうと、あなたが誰かから「うつ病です」ってカミングアウトされたら、軽く流すんじゃなくて、もうちょっと重く受け止めてあげて欲しいってこと。少なくとも、風邪程度の病気ではないということを知っておいて欲しい。
でも、だからって何かして欲しいというわけではないんですよ。家族や親友とかで無い限り、出来ることなんて何も無いに等しいから。
ただ単に、それなりに重く受け止めてくれると嬉しいかなと、現役のメンヘラは思うんです。もちろん、別の考えの人も居るとは思うけど。
「うつは心の風邪です、投薬と休養で治ります」
そう信じて決められた通りに通院して
服薬して
もう6年たった。
働きたかったけど会社から見捨てられて
会社を辞めることになった。
無職になって二年目。
いくら副作用を我慢して服薬しても治らない。
家から出る気力もない、布団から起き上がる気力もない、
なにもできずに辛い、眠れなくて辛いって言っても
処方薬も変更されない。
見た目沈静していればどうでもいいのだろう。
働いて自活できるようにが目標ではなく
生活保護や福祉に頼って生きていければそれでいいような様子だ。
病院なんていかなければよかったのかな。
あのとき飛び降りるなり首吊るなりしておけば
こんなに苦しまなくて済んだのに。
人文的アプローチに偏りすぎて口をあんぐりと開けざるをえない。
たとえば大鬱病は完全に「心の風邪」と呼べるものであって、投薬が必須だよ。
思索する時は知識も増やした方がいい。
でも、「ああ、風邪ね、お大事に」で終わらせて欲しくない!と本人が思う(アクションする)、もしくはアクションを強要するから引くんじゃないかな?
本当に鬱病の本人が「鬱病は心の風邪」って思って自分自身や周りに接することができるなら、引かないと思う。
なら、鬱病なんかにならないよ!と返されるかもしれないけれど、
それは鬱病を風邪って考えてはいけない、という答えになってしまうと思うんだ。
でも、個人的には鬱病ってひとくくりにすべきじゃないと思うけどね。
鬱病に対してのタブー!って、一口に言うけど、あれを全部ヒステリックに守ってたら、それこそ鬱の伝染になりかねない。
きっと誰も引かないよ。
多分、安全圏から攻撃できるからじゃないか?
鬱の人みたいにそもそも相手が反論する元気がないときってさ
ちょっと強気に暴言はいても、こっちは安全なんだよね。
仕事でくたくたの奴が愚痴はいて、それに対して「それじゃ甘いよ」「甘えるな」とか言うのも、同じ構図でさ。
相手はカンタンには反論できない。→ということはこっちは安全。
そんなアマい状況があると、人ってついつい、良心がユルくなっちゃって、暴言はいちゃうってことあるんじゃないかな
勿論、「馬鹿!」「氏ねよ!」なんていう、あからさまな暴言は吐けないよ?非難が来るし、それは普通に酷い言葉だから、自分自身も誤魔化せないし、相手から容易に反論くらっちゃうから、全然安全じゃないからね。
でも、鬱の人に「甘えてるんじゃないの?」なんていうのは、(まあ最近でこそ認知され始めてきたとはいえ)一見、なんとなく、「キツめの正論をはいてるだけ」に見えるからね。暴言はくこっちは安全になる。向こうは無防備で、こっちはパンチし放題。そういう「アマい」状況になると、人間の良心ブレーキって甘くなる。ように思う。
俺も鬱になったことあるし、鬱の人に甘えてるとがんばれとかアホか氏ね、と思うし、仕事で残業の愚痴言ってる人に「甘えるな」とか言ってる奴みると「社畜氏ね!」って思うけど、
それでも「そういう状況」になると、ちょっとだけぐらつく。良心が。ちょっとつついてやっても、相手は何も言えない、という甘美さに、惑わされそうになる。
つまり、かごの中にはいってちょろちょろしてるハムスターを、ちょっと小突いてしまいたくなる感じっつーのかな。
ハムスターには何もできないじゃん。エサを食べようと、餌場にむかったハムスターの前で、エサ箱を上に持ち上げちゃう、みたいな。
大袈裟に言えば、神みたいな感じになるわけよ。「こいつがこれから傷つくも傷つかないも、俺次第」という状況だから。
俺がちゃんと良心を働かせて黙っていれば目の前の鬱病患者は何も傷つかない。勿論そっちのほうがいいに決まっているが、ちょいと口を滑らせるだけで、目の前のこいつは落ち込む。
大袈裟に言えば(二度目だな)相手の心臓を握ってる気分。しかもどうしようが、俺には非難が来ない。安全圏。
心が枯れた、可哀想な奴ほど、その甘美なシチュエーションに誘われてしまう。
サンドバッグが目の前にある、あなたはイライラしています、さてどうしますか、みたいな状況だから。
で、今の日本人ってのは皆多かれ少なかれ病んでて、いわゆる「理性的な人」ってのは思った以上に少ない。
イライラしてるところに、サンドバッグ発見。オッシャー!オラオラ!「甘えるな」パンチ!!!「皆苦労してるんだ」キック!!!「心の風邪なんて、言い訳だよ」後ろ回し蹴り!!!!フー、スッキリ☆
っていうね。
A「同僚が風邪ひいて長く休んでるよ」
B「へー」
A「仕事が増えて大変だよー」
B「大変だねー」
A「前々から調子悪くて、休めって言ってたんだけどね」
B「うつ病を差別するなんて酷い!!!貴方はうつを何も分かってない!
ざっと読んだけど、
残りの8割くらいは「私はうつです」「うつでした」
などの、闘病告白日記。
…案外オープンなんだなぁと驚く。
更にうつ派の日記を読むと
「うつは誰でもなる病気」「うつを問題視するな」「だれも解ってくれない…」
から始まり、言い方は悪いが「周りが悪い」と言ってる日記も大多数。
確かに、うつは誰にでもなる病気だと思うし
環境が悪く、心無い対応をされて鬱になった方には、心底同情する。
しかし、それ以上に
「こんなに、可哀想な自分を、なぜ周りは解ってくれない」
と言った臭いがプンプンするのだ。
「誰でもなる病気」と言いながら「自分を特別扱いしろ」と言わんばかりの日記に
「声の大きいうつ患者」の性だと思ったのでした。
元増田。「うつ病は心の風邪」っていうのが、「誰でも起きる可能性があります」宣伝フレーズだってことは分かるんだけど、「風邪」っていう言葉は「数日で治る、すぐ治る」っていう誤解を与えやすい。とにかく、「うつ病」っていうのは、とにかく時間を惜しまずじっくり取り組むべき病気なのに、そこを誤解させて広めてしまうと、むしろ逆効果なのでは?と、すら思える。
癌だって、多少遺伝はあるものの「誰にでも起きる可能性はある」ってことはみんな知っているんだから、「誰にでも起きる可能性がある」ってことを言いたいだけなら、むしろ実態に近い「癌」の方がいいと思う。生活に与える影響は、それぐらいでかい。それに、癌が不治の病だなんて今、みんな思ってないでしょ。良性腫瘍なら手術で直せる。
「心の風邪」ってのは、誰にでも起こりうるものですよという認識を広めるための宣伝フレーズだろ。
風邪という喩えは宣伝効果が高い。正確にどちらに近いかが重要なのではないと思うけど。
癌ってまだまだ絶望感の強いフレーズだしな。実際は医療の発展でだいぶ治る病気になってきてるとはいえ。
宣伝的に不適切なんじゃないか?
うつ病は「心の風邪」と言われるが、この言い方がかえって、「うつ病」に対する誤解を招いてしまっているように思う。そこで、提案する。
うつ病を「心の風邪」と呼ぶのはやめて、「心の癌」と呼ぶことにしよう。「風邪」よりも「癌」の方が、遥かに「うつ病」の実体に合っているからだ。
提案理由:以下の4点において、うつ病は、「風邪」よりも「癌」に近いと思われるため。
1・回復までの期間
「風邪」といわれたら、数日かどんなに長くても一週間あれば治ると思われている。
一方、「うつ病」は、治るまでに数ヶ月~数年かかる。まず、風邪よりずっと長期にわたる病気だと思わなければならない。「癌」の方が、むしろ適切な治療法さえあれば、回復までの期間が短いぐらいだと思う。
2・頻度(珍しさ)
うつ病が「心の風邪」と呼ばれている理由の一つが、この、発生頻度。珍しい病気ではないことを強調するために、「風邪」と呼んだのだろう。
だが、うつ病の生涯有病率(一生の間に一回はかかる確率)は10%程度。つまり、9割の人は、「うつ病」とは無縁で生きていけるということだ。一方、風邪と無縁な人というのは、まずいないことから、常識的に考えて、風邪の生涯有病率は90%を越えているのではなかろうか。
一方の「癌」は、風邪と比べたら、明らかに「誰でもかかる病気」ではない。つまり、明らかに風邪ほどには生涯有病率が高くない。「癌」の生涯有病率の値は、良性腫瘍・悪性腫瘍の区別や体の部位などによって、かなり値が変動すると思うが、風邪よりは「うつ病」のそれに近い値になるはずである。
3・働けるかどうか
多少病気があろうが、普通に働くことができれば生活への影響は小さいし、給料を払う側の企業としても安心していられる。
「うつ病」は、基本的に、半年~数年、働くことができないと考えてよい。
「風邪」は、よっぽどのことがない限り、生産性は落ちるものの病気になりながらでも働くことが可能である。また、仮に肺炎などを引き起こして入院するとしても、最大でも数ヶ月程度のものだろう。
「癌」は、軽度の場合を除き、病気になりながらでも働くことが可能ではないと考えられる。
以上より、生活への影響を考えた場合、「うつ病」は「風邪」よりも「癌」の方が近い。
4・死亡する可能性
「風邪」で死亡する可能性は、ほとんどないと言ってよい。
「癌」は、明らかに「風邪」よりは死亡する可能性が高い。
メンヘル気味の高学歴男子がネットで吹き上がるためのツールとしてしか機能しない昨今の左翼思想とは何なのだろうか?
そんなことをはてサと呼ばれる人たちのブログを読んでいると感じないではいられない。観測範囲をもっと広くとれば、左翼思想というのがそんなものではないことがわかるのだが。
はてサで多少健康的な社会生活送ってるらしいのって、id:inumashとid:mojimojiくらいでしょ。id:hokusyuとかid:tikani_nemuru_Mとかid:toledとかid:y_arimとか、どうみても正気じゃないじゃん。
別に一般的にメンヘが悪いとは言わない。心の風邪みたいなもんでしょ、という意見がもっともだと思う。でも、大は村上春樹、橋下徹から、小は零細ウヨブロガーから地方のしょぼい大学講師まで、限りなく電波に近い晦渋な文章で煽り気味に難癖つけていくさまは、インフルエンザにかかっているのにマスクなしで山手線に一日中乗り続けてるようなもんでしょ。メンヘになることは悪くないけど、メンヘが他人に攻撃的になることの免罪符にはならないというのは、当たり前なんじゃないか。