はてなキーワード: 対象とは
自分が気に食わないことを書かれたらすぐ晒し上げる子供みたいな人だと思って眺めてる
非公開だけど、やり方がいつも同じ(否定されたモノがいつも同じ)なので同じ人だってわかってしまうというなんか可哀想な人
本人は「バレてる」ことには気づいてないんだと思う
一覧で同じ話題がずらっと並んで不自然なので3usersのまま無視されている(あの一覧をわざわざ見てる人はほぼ同じメンツで、毎日見てるので異常なものはすぐわかるから続けてブクマしたりしない)ことにも気づけばいいのに
「現国が得意と言ってる奴って他の科目が苦手なだけだろプゲラ」
でもね、そのうちの何割がこの問題をちゃんと正答できるんだろうね?
まあ現国なんて漢字間違え無い限りは100点取れて当たり前みたいな所あるから、他の科目40点で現国は70点だから得意みたいな人はオイオイって思いはする。
でもネットで現国得意マン馬鹿にしてる人も結局は現国70点ぐらいなんかなって気がするんだよ。
幼少期のコタローにとっての「ともだち」は「かわいい」ものだった。
これは幼稚園に上手く馴染めなかったコタローにとって人間の友達がおらず、「ともだち」を感じられたのは「かわいい」ぬいぐるみぐらいだったから。
だから今のコタローにとっては「かわいい」というのは愛でる対象であっても、それがそのまま「ともだち」とはならなくなった。
一方でぷにるは幼少期のコタローの「ともだち≒かわいい存在が欲しい」という思いを核に人格が形成されておりそれは今でも変わってない。
「かわいい」をアピールすることはコタローの「ともだち」であることのアピールだと本能的に考えているので、「かわいい」アピールをしてもコタローが相手してくれないことに対して強い違和感を覚えている。
むしろ今のコタローにとっては「かわいい」は隠すものであるという意識が強く、「一緒に居たいならかわいいアピールをやめろ」という気持ちさえある。
これはぷにるの核となる「かわいい≒ともだち≒一緒にいる」とは完全に反対の状態となる。
ぷにるとコタローの噛み合わない掛け合いはこれによって生起している。
何故こうなってしまったのかと言えば、コタローに人間の友達が出来たからであり、同時に社会において維持するべきメンツがあるからだ。
幼少期のコタローは周囲から完全に孤立しているため、メンツを維持する必要がまったくなかったのである。
つまり、ぷにるとコタローの関係が変わったのは、コタローが同学年の社会において居場所を獲得した結果であり、それはコタローの社会的生物としての成長を意味している。
社会的に成長したことで、子供の頃と関係が変わってしまったものとどう向き合うのか、それがぷにるとコタローの関係性によって描かれるテーマだと言えるだろう。
ほいよ。
現国アベレージ70点以下のアホはおののくがいいわ。
追記:伸ばすつもりはなかったので念のため半分以上削除しました。
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評判悪いのは分かってたけど、言うて令和やぞと思ってた
でも話聞くと、評判より更に悪かった
一時保護が刑務所よりキツイらしい(3人くらいに聞いたけど皆同じ意見だった、別の地区で)
あざとか傷とか見えないように隠してる
地獄だよね
児相も悪気があるわけではないんだろうけど、週に数回ヒアリングされて
上で書いたとおりなので、気分は仮釈放中の犯罪者よりしんどいだろうと思う
親が色んなことしてくれないので自分でやるしかなくて(例えば学校の手続きとか、学費の援助申請とか)
どうやって抜け出すんだこの状況
・兄弟がばらばらになる
・私物も何も持っていけない
だから嫌だとのこと
確かにこれは生きるか死ぬかの状況にでもならなきゃ選択しないね
年齢・性別で振り分けられてるのだとか
片親虐待っ子はまだ何とかなってる
(なお片方が消えたら自動的に施設行きらしい、かなりギリギリのところに居る、拒否権はない)
食べてるとしても炭水化物だけとかそういう感じ
その子は兄弟全員よりにもよって痩せの大食いらしく、ご飯と塩だけとか、パスタに塩と油だけで食べてるらしい
近所のおばさん(他人)がちょいちょい助けてくれるらしい
逆に助けたり手伝ったりということもあるとか、日本でもそういうのまだあったんだな
昔は学童保育も助けてくれたとか
それでもギリギリ、正直周囲の助けって何人か居ないと無理なんだと思う、まるっきり面倒見るわけにも行かないし
18歳で成人にしたのにね
特に高校生が意外としんどい、中学生は義務教育だからね、高校生は義務教育でもないのに人権がないっていう意味分からん存在になってる
家出もできない、知ってると思うけど家出して誰か大人の家に無断で泊まったらその人は誘拐罪になる(虐待親は気まぐれで過干渉になるらしい)
世の中がキラキラするほど憂鬱になるのは非モテだけじゃないらしい
この国は相変わらずだなと思う
まあ人のこと言えないけどね
日本の子ども支援やシングルマザー支援が薄いのは、その対象になる割合が少ないかららしい
基本無視してると言うか
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そもそも不良の子と虐待の子を一緒に入れておくのが違和感あった
「問題児たちを集めておく施設」と捉えるとしんどさはわかるでしょう、昭和初期の学校みたいな状態
私語厳禁でトイレも自由に行けず学校にすら行かせない、ずっと自習
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230414a.html
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230414b.html
人手不足なのもわかるし、子供を何人も預かるならそうなるしかないというのはわかる
わかるけど経験者は「刑務所みたい」「もう行きたくない」という場所になっている
けっして避難所ではないから、虐待の気がある人に安易に「児相に相談しろ」って言えなくなった
例えば両親がいなくなったとか、一人っ子とか、いじめられてるとか、友達がいないとかならともかく
女だけ見るとそうなんだけど、弱男にとっては松本人志もルサンチマンの対象なんだよね
陰キャの弱男は松本人志のお笑いでは笑わないからファンにもならないし、それでいて偉そう(実際に弱男より遥かに偉いのだが)だから鼻持ちならない
(虎馬田)
元かそもそも釣りかもけど、参考なるかわからんけど書きたくなったのでおいとく
まずは脱線
「ほいっぷる」は虎馬田も普通に好き。相手がほんとに嫌な顔しない限り、(ギャグとして)プレゼントしがち。
で、虎馬田は、口と顔ではありがたがってるが、そんなわけないな と気づける(と自分では思ってる
なので、ネタとしてとか、二段構えサプライズの初手としてしかやらない
若いころ(50代ぐらいまで?)は、ほんとになんでも自分でできて、プライドが高く、すぐブちぎれるタイプだったので、指摘することは家族には不可能だった。
職場や地元コミュニティなどの(昔ながらの?)上下関係あるところではそれなりにうまく生きていたのだろう。見てないが
60代なって、運転だるくなったり、体力的に一人でできない作業が増え、手伝ってもらうのだからと多少我慢を覚えた(ただし唐突にブちぎれる)
ご飯粒めっちゃついた茶碗をまずテーブルに残してごちうさまするところからスタート(実際はごちそうさま言わないこところ)
下げろ→下げる
茶碗に水を張れ→水を張る
は出来た。茶碗は出来たが、炊飯器のご飯最後に食べたときに炊飯器の中に入れっぱなしだった。(保温は切れた)
緩んでくると、忘れる。してなかったよ、というとやってる、という。
他にも実例出てこないが、なぜそうして欲しがっているのかがわからないということに途中で気づいた。
”ご飯粒めっちゃついた茶碗”なので、水を張るだけなら、めったご飯粒浮いた茶碗が放置されることになる。
三角コーナあるので、一回そこに浮いたご飯粒捨てて再度水を張りなおす←これはめちゃくちゃ難易度高いし、これを取得しても別ケースには対処できない
別件
たまにやかんを火にかけて忘れるので(センサーで消えるので大事にならないが)
5分後消火ボタンを押せとお願いする、忘れないと言い返す、最近忘れてたという実例で詰める、しぶしぶ従うが身につかない
(あなたが最近忘れてましたよ、という言い方より、あなたよりも若い私でも忘れるし、念のために、や、自分が忘れた芝居して、父に気付かせるまでやると少し効果があがる)
そういえば、ひいおじいたんも、3歳ぐらいの時にもらってそんなに美味しいと思わなかったけどまあ喜んで食べたらしい(その時は美味しかったのだろう)干しブドウ。
干しブドウ買ってきたぞ、と小学校にあがってもずっと買ってきてくれてたし、虎馬田が遊びに来る、干しブドウ買いに行くぞ! てタイプの人だったなぁ。あれはあれでたまにだったから可愛かったかも。
ご本人にとって納得いく説明込みであれば、お願いや指摘、そんな大げさなことじゃなくても情報? 状態のアップデートは可能というかむしろ得意ですらあった父。
虎馬は面倒なって距離とったし、他の人は今の父を受け入れることを選んだ。流石に年だし。
独りで付き合うとほんまに嫌になるので、周囲の協力得て仲良くする気があるのなら応援しております。
変な話だけど
少女漫画をまだ早い判定
あるあるの、「○○ちゃんもみんなも読んでる」が実は効き目ありそうでした。うちのケースでは。
これだけだと弱いので、理で説明する。掲載誌の対象年齢、購買層、実例の極端なケース(自分よりもっと年下が読んでいるなど)
もちろんありとあらゆることにこんなことして効果あったりなかったりするのがめんどくしんどくなったのだが
もし私が元増田の立場だったら「ありがとう〜! でもさ、これって対象年齢8歳からって書いてあるし、たぶん小学生向けのおもちゃだと思うんだけど、どうしたの?」って直球で聞いてしまう。
私は物心ついた時から両親と直球系コミュニケーションを取ってきたので、むしろ元増田が何で理由を聞かないのか不思議に思ってしまう。
だって、下手したら認知症が始まったのかもしれないし、何らかの精神疾患を発症したのかもしれないし、それならとっとと病院に連れて行かなきゃだし、今後のことも考えなきゃいけないでしょ。
今年は本当に特典が多かった印象。
もはや、映画を観せているのか特典を配っているのか良く分からない状況。しんどい。
まず、シンプルに滅茶苦茶めんどくさい。
仕事なのにめんどくさいとか言ってすまん。
でも聞いてくれ。
配布期間
配布方法
・在庫が無くなるまで配り続ける
・週替わり
配布対象
・全員プレゼント
・中学生以下のみ
配布後の対応
・劇場にて廃棄
・返却(元払いにて返送)
これが、作品Aは土曜日より配布・週替わり・全員・返送/作品Bは金曜日から配布・在庫が無くなるなで配り続ける・全員・廃棄/作品Cは~/作品Dは~
みたいな感じで作品ごとに違って、複数の組み合わせが同時期に進行したりする。
その上「在庫が無くなるまで配り続け~」の場合、配り続けている間に、ハイ!第2弾!ハイ!第3弾!と畳みかけてきたりする。
頼んでもないにのにどんどん送ってくる。
もはや置く場所さえ困るレベル。そして余った場合、捨てるにも返すにもお金がかかる。
さらに昨今は「この特典のビジュアルは●月●日●時からの解禁となりますので取り扱いには十分ご注意ください。管理の徹底をお願いします。」とか責任重大なことを言われたり、
「最近、特典の売買行為が見受けられるので、劇場におかれましても在庫管理の徹底をお願いいたします」とか、スタッフによる転売疑惑までかけられたりする。
昔(もはや太古の昔のように感じる)は余った特典はアルバイトスタッフにあげたり、
個数管理にもそこまで神経質になることは無かったが、特典に妙な価値を与えてしまった現在、
無料で配るものにも関わらず管理にやたら労力と神経を使うことになっている。疲れる。
次に、特典目当てで来場したお客さんたちの様子を見るのが結構つらい。
特典でお客さんを集めること自体は今に始まったわけではないが、
数量限定やら週替わりやらブラインド・ランダム配布やら最近やりすぎ。
そんなんで煽りまくって釣りまくった結果、かつては考えられなかったお客さんが増えた。
例えばブラインド・ランダム配布の特典をなるべく多く入手する為に、映画を観ずに複数の劇場をはしごする方。
それも転売ヤーとかじゃなくて、トレーディング目的の一般のお客さん。
特典だけ貰って次の劇場へ移動って、スタンプラリーじゃないんだから…
最近、劇場サイトに一定の時間を超えると入場できないルールを明記したり、
「入場者特典はチケット購入特典ではございません」とかわざわざ書く映画館が増えているように感じるが、
たぶん上映終了間際(場合によっては終了後)とかにやってきて特典だけくれという人が激増したからだと思う。
本当に上映終了後に来る人がいるんですよ。びっくりするわ。
また、自分がチケットを買っていた回より前の回で特典の配布が終了してしまった場合、
「貰えないないと分かっていたらチケットを買わなかった。払い戻して欲しい。」などとと言ってくる方もいる。
特典が終了するタイミングの告知は非常に難しい上に、あくまでも本体は「映画」なんじゃないの?と思うのだが、
転売ヤーじゃない一般のお客さんの中にも、あからさまに「映画の方に用は無い」という態度をとる方が増えた。
一般の方がSNSで、さも事情通のように好き勝手書き込んでいる様を見てモヤモヤすることもしばしばだ。
「A劇場は3日間配布できるのに、B劇場は初日で無くなるなんておかしい」とかはよく見かけるが、
上映回数とキャパ数が違う劇場を単純に日数で比較されても困る。
そのあたりも計算して入荷数を推測して比較している方もいるが、
配布数は前週までの実績など加味して割り振られる為、同じキャパの劇場でも数はまちまちである。
大前提として映画館が決めている訳ではないので「入荷数少なすぎ!」とか文句言われても困る。
この間の週末は「こんなに早く配布が終了してしまったのは映画館のスタッフが転売して配布数が少なくなっているからでは?」
配布できる上映回数に影響するほどの量を抜くとかできるわけないでしょ…
映画会社の側が特典を餌にオタクにお金を使わせまくった結果に他ならず、
映画館とは言え業界の片隅で働いている者としては本当に忸怩たる思いと言うか、罪悪感すらある。
綺麗ごと言うなと怒られそうだから職場では言えないが、ほんと特典商法やめて欲しい。
でも映画会社の人は「こちらもビジネスなので」とか言いそうだよな。てか、たぶん言ってるだろうな。
まあ映画館で働いている人でも「客が入ればなんでもいい」って言う人もいるもんな。
そんな「運営」にあえて騙されているふりをしているオタクたちは
(その「あえて」というところに自分の客観性を見出しているつもりで、自尊心を守っているのかもしれないが、
というか、そうでも思わないと馬鹿馬鹿しくてやってらんないのかもしれないが)ちょっと冷静になってくれ。
配っている張本人が言うのも変な話だが、特典が貰えたり貰えなかったりすることがそんなに人生の一大事みたいな事か?
映画のおまけで大の大人が激怒したり狂喜したり異常に悲しんだり、正直ちょっと怖い。
日本の映画業界(もちろん全部じゃないけど。主に一部の大手映画会社)は、
一定の人たちに餌を供給し続けて1人に100回観てもらうスタイルで行くんかな。
配りきれずに捨てられた特典の山に埋もれて死ぬ。
【追記】
深夜に書いた愚痴が予想外に広まってしまって正直ちょっと焦ったので追記する。
「特典が無くなったら、むしろ映画館が死ぬのでは」みたいな意見を読んで、確かに興行の側が配給に対してかける圧もあるよなと思った。
特典だって興行の方から配給にもっとよこせと言ってるケースもあるかもしれんし。
きっと配給の側にも「特典、作りたくて作ってるわけじゃない」って人もいるよな。
あと、返却が元払いの件に対しての意見も多かったけど、中には着払いでも構わないところもあるのでそれも追記しておきます。
なんか先週末あたりあまりにも配るものが多すぎて、ふと「自分何やってるんだろ…」とか思っちゃったんだよな。
認知心理学的に考えると、自分の理解が及ばないものほど恐怖や嫌悪の対象になる
だから相互理解というのは人類の平和のために大変重要なんだけど
最先端のオタクミームというのは一般の人にとっては理解が難しく、奇怪極まることで侮蔑の対象になる
そこに伝統的概念で理解の範疇にあるモナリザが融合することで、認知的不協和が発生し、ストレスから嫌悪反応をより強く引き起こすんだろう
スープストックについてはベビーカーと言うより、子供の年齢が対象年齢じゃないのにも関わらず離乳食出せとごねて、今回は特別ですよって融通きかせて貰えたから皆さんもぜひ✨️みたいなのが炎上したんじゃないっけ
最近は本当に殺したらものすごいカタルシス、快感、気持ちよさを感じるだろうと妄想の中ですら感じる
とにかくストレスの対象から一刻も早く離れないとまずいことになりそう
書きながら中二病乙って感じだけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/denshiban/articles/b7696
こんなん真に受けてコメントしてるの頭悪過ぎるだろ
いい加減にしろよ
お前らって嫌いな対象なら本当真偽とか一切考慮せずに叩き放題やるよな
生きてる価値あるの?きしょ過ぎ
40年オタクとして生きてきたかどうか、という問いよりも、畢竟他者と自分をどう差別化するかということを気にしてきた40年だったのではないか。
それはそれで大切だけど、この増田の宿痾はオタクでもサブカルでもどっちでもいいんだけど、それを使って他者と自分とを比べて、そして優位にありたいと感じているところにあるのではないだろうか。
これからどうしたらいいか? 答えは社会人入学して大学or大学院に入るべきだ。そしてしっかり左翼でもサブカルやオタク文化でも論究して、他者とか関係なく自分軸で対象と向き合うべきだ。
おじさん含めN=4の事例からで申し訳ないんだけど、こういう風に話すとやれ「時間が」とか「体調が」とか「お金が」とか「近くに良い大学が」とかになる。
でもそうしないとその螺旋から抜け出せないですよ。少なくとも脱却する方法として大学行くのはいいと思う。
あとこういう人は偏差値の低い大学をなぜか馬鹿にしている風潮があり、地方都市でもちゃんと大学あるし社会人で学ぶには遜色まったくないだろ、ってのは付言しておきたい。
一言で言えば「風刺として成立しておらず、その結果何やりたいのかよくわからない雑談になった」からだ
「結局詐欺師とか学者風の人って冷静に話を聞くとくだらないこと言ってるだけだよね」という風刺を目指していたのはわかる
ただ、それなのに初っ端から「どう思うか」という曖昧さを残す表現をする時点で学者や詐欺師風刺ネタとしてはもう大滑りだよね
学者、詐欺師ともに「どう思うか」などと言った曖昧な表現は避け、内容はどうであれ何かしらの理屈を構築して断言をするのが当たり前だからだ
おそらく詐欺師(多分中田敦彦)のマネをして風刺をするつもりだったんだろうけど、風刺する対象への観察が足りていないため風刺として成立してないし浅い漫才になった
その結果、風刺を知らない客には何を言っているのか理解されず、風刺が好きな自称賢い客にはレベルの低い風刺のつもりの風刺にすらなってない何かとして受け止められた
ファンにはウケた漫才だったが本番ダダ滑りだったということは要はそういうことだろう
賢くもないのにラーメンズになろうとするな
二世なので言う資格はあると思う(10代で疑問を感じ始めて抜けた)。
それはわかる。
不思議な現象や理不尽な災害や辛い現実に人々は目に見えない力で説明をつけてくれるものを求めた。
今まだ分かってないこともこのまま行けばいずれ解き明かせる。
こうなるともはや神様を信じることの方が難しい。
昔は必要だったけどもう違う。
下げる意味で言ってるのではない。
繰り返すが二世なので実感を込めて言ってる。
あれは好きな対象があって同好の士と集まってみんなでわいわいやるサークル活動。
アイドルの推し活や生け花教室や車好きの人が集まってるのと何も変わらない
(唯一違うのは本人たちは高尚で特別なものだと思い込んでいて「上」に位置付けてるところ)。
かつてはみんなが参加していたけど減ってきた。
多くの人が長年信じてきたものだからそこには敬意を払いたいとは思う。
まだ信じている人もいる。
宗教は役目を終えた。
「私はいいけど、他の人が傷つくかも知れないから」論法は好きじゃない。
記事の要旨:
「私はいいけど、他のひとが傷つくかもしれないから」論法は(不当な)説得力のドーピングである。
「○○という表現はリスクがある、こういった属性の人が不快に感じるかもだから」という意見は、(不当な)説得力のドーピングではない(意味がある)。
例として、「私自身はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見える」、
したがって、「私はいいけど、表現自体はリスクがあるように見える」という指摘は、(不当な)説得力のドーピングではない。
そのため、本来適切でない「ハゲの例」を引用してしまっている。
論点:
「ほかの人が傷つくかもしれないから」という論証を行うことで、"説得力の添加"を行っており、それが問題なのだ、という点である。
しかし実は、誰かをハゲと表現することは、「私、あなた、もしくは特定の誰か、もしくは不特定の誰か」を前提するまでもなく、リスクある表現であることがわかっている。
したがって、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体はリスクがあるように見えます」という主張は、
"「私はいいけど」論証による説得力の添加"が行われていないことになる。(どこかの禿げた他人を前提せずとも、ハゲなじりは失礼である。)
なんらかの他人を前提せずとも、ハゲなじりはリスクがあるのだから、
もともとの議論で強調されている「なんらかの他人を規定して"説得力を添加"することの是非」の話を無視した例示となっている。
「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、指摘することには意味がある」
実は、ハゲとなじられることに不快感を覚える人は、「実際に禿げている人」にとどまらない。
「今現実に禿げていない人」であっても、もしくは「禿げているかどうかすらわからない不特定多数の人々」を指す上でも、不快感を覚える可能性はある。(というか、高い。)
すると、「現実に、なんらかの属性(ハゲ)を持っている人が実在するかどうか」すら関係がなく、
したがって、「ある属性の人が不快に感じるかもしれないから、ハゲなじりの不適切性を指摘しますね。」という説明は、
その論証が"「誰かを規定する手法に基づく説得力」の添加が成されていない(ハゲなじりはその属性を持つ対象が実在していなくても成り立つ)"がゆえに、「私はいいけど」論法の擁護になっていない、と言える。
まとめると、
誰かをハゲとなじるのは、特定の誰かであろうが、不特定の誰かであろうが、
また、禿げた何者かが実在するかどうかにすら無関係に、失礼で、リスクある表現である。
これは、「○○論証により、ハゲなじりはリスクがあることが分かる。したがって○○論証は(リスクを論ずる上で)健全な論証である。」と言ってるのと変わらない。
「ディズニーランド論法」、「(私はいいけど)ディズニーランドが好きな人が不快に思うかもしれない表現は慎むべきだろ!」という論法においては、
「不特定の対象」を規定することで、"説得力の添加"を行っており、そのような論証は本来濫用されるべきではない(と元記事は主張する)。
一方、「ハゲなじり論法」、「私はハゲとなじられても何も感じませんが、表現自体にはリスクがあると指摘します」という論法においては、
私はいいけど論法の問題点である"何者かを想定することに基づく説得力の添加"が実質なされておらず、私はいいけど論法の擁護になっていない。