はてなキーワード: 唐突とは
この前のプリチャン、ツイッターとかでは絶賛されていたけど、私は見ててものすごく腹が立った。
何あれ。感情の落差さえ激しければいいと思ってんの?
いくらなんでも虹ノ咲さんの扱いがひどすぎる。あそこまで追い詰めて自殺行為のような告白に走らせることはないじゃないか。本人あんなに思い詰めていたんだから、誰か、誰か一人くらいその不調を察して寄り添ってあげてほしかった。二人ぼっちで孤独だったおしゃまにだって、その孤独を察して招待状を届けようとした妹山が居たというのに、虹ノ咲さんの様子がおかしいってことに誰一人気づいてあげられないの、あんまりにもひどい。
だいあちゃんはなんだかんだ言っても0歳児のシステムだからまあ仕方ない面はあると思うんだけど。せめてお婆ちゃんとかさ、めが姉ぇとか、なる店長とかさ、しっかりしてよ、やくめでしょ?
同じ日のプリキュアで積極奇異オタクの極みみたいなひかるにも遼じいという理解者がいて、何かあったら側について話を聞いたりして寄り添ってあげてる姿とか見ると、どうして虹ノ咲さんはあんなにも孤独な境遇に置かれなければならないんだとその理不尽さに余計に怒りがこみ上げてくる。
そもそも虹ノ咲さんの罪悪感だって今回冒頭で悪夢を見たことをきっかけに急に発生したもので、あまりにも唐突な感じを受ける。そういうことをやりたいならせめて2、3話かけて不穏さを積み重ねて欲しい。急に罪悪感を抱いて突然告白して結果オーライでめでたしめでたしっていうのは展開が雑すぎ。これまで時間かけて虹ノ咲だいあというキャラクターの風呂敷を広げて来たのだから、畳むのももっと丁寧にやってほしかった。
今回の虹ノ咲さんの話は本当に楽しみにしていたから、こんな雑な締めくくり方をされてとても頭にきている。
いや衝撃だった、あのシーンは。
自分としては、今年観た映画の中で最も衝撃的なシーンだった。
原作小説や実写映画は未読・未見だったのもあってあまり期待せずに劇場に来て、
……というような感じで、元々低かった期待値は終盤になっても更新されることはなく、自分の中では「駄作」ではないけど、せいぜい「凡作」くらいの評価で終わるのかな…
と思っていた。終了15分前のあのシーンまでは。
作品がいよいよクライマックスに入ろうかというタイミングで、突然ある登場人物がとった行動。
(え、ちょっと待って、まさか……いや、でも深夜アニメならともかく、これは「そういう作品」ではないだろう…………え、嘘、マジで!!!!!?????)
それまでのあまりポジティブではない印象が全部吹っ飛んでしまった……。
しかしあまりにも唐突過ぎないだろうか……いや、確かにあとになって思うと「伏線」と言えなくもない描写はいくつかあった。(深読みすると、公式サイトのキャッチコピーも…)
でも、その登場人物が「そっちの選択肢」ではなく、無難な、というかありがちな選択肢を取ったとしてもなんらおかしくないくらいさりげなかったし……
いや、やっぱり取ってつけた感は否めないぞ…。それに、○○要素を入れるならもっと作品全編を通して描くべきでは?
…と思ったが、そうなると完全に○○作品になっちゃうよな…。特に思い入れがない自分としては大歓迎だが、原作や実写版のファンからすれば
「原作付きじゃなくてオリジナルでやれよ」ってことになるのかな…。だとすればこれがギリギリのラインだったのか…?
(ただ現状でも星雲賞のメディア部門やコミック部門に並ぶいくつかの作品が「SF作品」である以上には、この映画は「○○作品」だったとは言える)
でも、この作品に○○要素を持ち込む理由は…? チェーホフの銃の原則からすると、あの登場人物が○○である必然性はなかったのではないか…?
……いや、そもそもそんな「必然性」なんていらないのかもしれない。ダブル手帳氏がブログで
と書いていたように、○○も「何の理由もなくアニメに登場してもいい」のかもしれない。
実際「あのシーン」のあと、どの登場人物も茶化したり、嫌悪感を示したりすることなく、ごく当たり前のこととして受け入れていた。
これを「ありえない、非現実的だ」と思う人もいるかもしれないが、ダイバーシティの観点からすると極めて真っ当な描写なのかもしれない。
(だがその一方で××を笑いものにするシーンがあったりするので、脚本家の人そこまで考えてないのかもしれないが…)
小説の書き出しを愛でる、という趣向がある。例えば、フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』の書き出し、
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。 」
であれば、楽曲の歌い出しを愛でる風潮があってもいいじゃないか。というわけで、いくつかいろいろな意味で気に入っている歌い出しを挙げていく。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。飛躍も飛躍。猛スピードで爆走するバスが聴き手を置いてけぼりにしている。行間を読む力が試される。
さらに難解なのは、次段である。「でもさ」と逆説になっている。そこにいるのは「運命の人」である。運命に対して逆説で語るかね。ちょっとした諦めみたいなものさえ感じられる。果たしてこれはラブソングなのか?
だいたいにして、歌詞の序盤で唐突に出てくる「運命の人」という重要且つ雑なフレーズについて、以降の歌詞で全く説明されない。繊細な歌詞を書くスピッツのことだから、これは意図的にやっているとしか思えないのだけれど、だとすればますます謎は深まるばかりだ。
スピッツ屈指のポップな名曲だが、歌い出しからしてわけがわからない。それを含めて名曲たる所以なのかもしれない。
「あたしの髪が伸びて驚くほど久しぶりになってしまわぬ様に
昨日より少しだけ多めにあたしのことを考えてほしい」
aikoは曲も素晴らしいが、歌詞も素晴らしい。一番好きなのがこの曲である。
歌い出しの部分、要するに「ずっと好きでいて」ということを言っている。西野カナならそのまま「ずっと好きでいて」と歌うか会いたくて震えるだろう。だが、aikoはたったそれだけのことを、これだけの文量で詩的に語っている。胸に迫る。
その続き、
「初めて逢った日にもう一度逢いに行って そしてまた同じ様に
ぎこちなく合った目の奥にいるあたしを愛して欲しい」
これは要するに「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」ということを言っている。実際に西野カナは「トリセツ」で「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」と歌っている。しかしaikoはたったそれだけのことについて、何でこんな奥行きのある言葉が思いつくのだろう。
ちなみに、私は西野カナのことが嫌いなわけではない。西野カナはメロディーにいい感じの歌詞を乗せる技術に関しては天才的だ。BGMとして心地よく聴ける。
「酒、飲ます」
アルバム『GO』の一曲目の歌い出しでいきなりこれである。聴きながら「おや、歌い出しが『酒、飲ます』って聞こえるな」と空耳かと思って歌詞カードを確認したところ、紛れもなく「酒、飲ます」であった。助走もなくいきなり飲んでる。
ついでに言えば歌詞の続きは「学校は最近どう?」であり、誰に酒を飲ませているんだ。
もう食べられるところはないんだ」
最近一番インパクトがあったのはこれである。爆笑した。巨大生物って何だね。メロウでバラードと言ってもいいほどの楽曲で、タイトルに「Confession」とか仰々しく付けられているにも関わらず、歌い出しでこれ。
ももすももすという人は、メランコリック写楽というバンドの元ボーカルももすのソロ名義である。メランコリック写楽時代を含めてほぼ全ての楽曲で作詞作曲編曲をこなしている。それにしたってメランコリック写楽とは何だ。ももすももすってなんだ。ロンゴロンゴかよ。
余談だが、相対性理論以降、ポップな楽曲にかわいい系のボーカルが意味不明な歌詞を乗せることを特徴とするアーティストが散見される。最近だとネクライトーキーとか。もしや遡れば椎名林檎「丸の内サディスティック」に行き着くのかもしれない。何だ歌い出しの「報酬は入社後」って。
こういうジャンルにそろそろ名前が欲しいと思うものの、名前をつけてしまったら陳腐だなとも思う。
You say stop and I say go go go.」
ポール・マッカートニーの作品である。甘くポップな曲調に、上記のような特に意味のないような平易な歌詞が乗せられる。
この曲に対してジョン・レノンが「君の曲には主義主張ってものがないからだめなんだ」みたいなことを言ったらしいけれど、個人的に、音楽は主義主張を抜きにしてポップであればあるほど好ましいと思っているので、この曲は私の中でポップ賛歌みたいな位置づけとなっている。
歌詞も気が抜けていていいじゃないか。ゴーゴーゴー。何も考えずに聴けて幸せになれる珠玉の一曲である。
※
この歌い出しが好き、意味わかんない、笑える、などあれば教えてほしいです。
「今年も終わりだなぁ」
普段はこんな事言うタイプ(※)でも無いのになぁ、と思った。師走のそわそわした感じが、何か影響したのだろうか。
(※)...あく4倍
「あーあ、腹減ったな〜」
グゥ、と4回お腹を鳴らしながら笑った。これはいつもの愛してるのサインだ。
いつかクジャクの求愛行動について2人でレポートをまとめていた時に、彼が唐突にやり始め、今も続いている謎の行動である。
「ねぇ、みほは何が食べたい?」
いや知らんし。
「ねぇってばー」
知らん知らん、話しかけんなって
「ちぇっ、これで通算会話0記録164日目かぁ」
ポケットからA4のノートを取り出し、へたくそなピカチュウを描く彼。
「本当に、今年も終わりだねぇ」
「そうだね」
平気で目の前で山に埋めるだのアガリが出せんとか殺すぞとか平気で電話していたしね。
一度目の転校は小学三年生の時で、母親の実家から転校した。どうも刑務所に入るとかで一端別れていたらしい。ここで父親と初対面で同居と言う事になった。
母親も頭がおかしいし若かったから永遠と当たられたり、精神的に不安定だったのか何かある度にあたるの母親張りに産まなきゃよかったとか言われる日々だった。
今思えば俺も精神的に不安定で環境になじめないし教師にもなつけないし、両親にもなついてなかったと思う。五年生の時には弟が出来たんだんだが、そのせいかどうかは分からないけどかなり放置されるようにはなった。
六年生のころにまた転校で出戻り。出戻りの理由は捕まったって言うのが理由で、父親が逃げたんだと思うけど警察に色々説明させられてしんどかった思い出がある。
もういつでもビクビクしていた。他人が信用ならないと言うか、未知の化け物なんだよ。それが理由か分からないけどイジメられて、それが他人嫌い?をかなりひどいものにしたと思う。
中学校では他人への恐怖の裏返しか分からないけど暴力的な衝動が止められないし、父親と同じなんだなぁと言うのが堪らなく嫌だった。それでもやめられないことに吐き気がした。
そのころになると母親は工業高校に入れと言いだした。弟を学校に行かせるのは金がないと言う話だった。
子供だったし、すっかり透明な俺に頼って貰えたのが嬉しかった?のか言う通りにしたんだが結局金蔓なんだよな。兎に角俺は親の求める通りに動いていって就職して金蔓。結婚もしてないのに貯金もなく月二万円のお小遣いを有難くもらう人間になってるんだもんなぁ。
夕食は弟と母親の残飯、それはずうっと変わらない。二人は夏休みに家族旅行に行ってるんだもんなぁ。
29で彼女はいたことはない。好きな人は一回だけ出来たけど、なんというか自分が汚いと言うか汚らわしいんだよ。こう存在そのものがそう感じる。シザーハンズなんて気取った感じじゃないんだけどさ。他人嫌いもきっと酷い。29年で一回しか人が好きにならないのは正直異常だし。
そんなこと言いつつ結婚も子供も嫌なんだよ。結婚はまず間違いなく相手に迷惑をかけるし、ヤクザの三親等は公務員になれないと聞くし大企業は無理だろう。可哀想なんだよ。俺の子供って言うのがもそうだけど、努力が決して報われない子供はかわいそうだ。
思考が上手くまとまらない感じが年々酷くなってきてる。鬱と躁?というか、感情の浮沈がちょっとひどくなってきているし死にたいと感じる期間が冬だけじゃなくなって久しい。
本当は夫とセックスしたい。
最近子供は幼稚園に入り、夜もなかなかに長く寝るようになった。でもどうしてもしたくなくて半年以上拒否してる。
それまでの夫とのセックスは、ワンオペで家事とパートと子育ての末疲れ果てて子の寝かしつけをし、ようやく寝付いた子と共にまどろんでいる所を「やらせろ」の一言で行われるものだった。子は夜中に何度も起きるのでその後は寝たのか寝てないのかわからないまま朝が来た。
夫より早く起きて夫と子の弁当や息子の朝ごはんの世話、というより着替えやご飯は嫌だおやつがいいと泣く子のしつけに追われることになるので本当は勘弁して欲しかったが、夫の欲求もわかるので応えていた。
夫のモノはでかすぎた。そして遅漏だった。酒をしこたま飲んだ日は特に達することができず、なぜいかせてくれないと責められた。いつも内臓が痛くなり、翌日のパートに差し支えがあった。30キロの荷物を持ち上げる度いつもと違う痛みが内臓に響いた。
夫はセックスの時にそこはくすぐったくて嫌だから触らないで欲しいという所を執拗に触ったりした。くっせーなと叫ばれたりもした。何度言ってもやめずにだんだん嫌悪感が湧いてきた。
普段もクソデブとか、息子にも「お母さんブヨブヨで気持ち悪いね」と毎日のように言っているのに唐突にやらせろとなるので気持ちが追いつかない。
せめて子の寝かしつけをしてくれるとか、優しくしてくれるとか、翌日の負担を無くすようなセックスをしてくれるとか、嫌だと言ったらしないでくれるとか、私の容姿が気に入らないでもしょっちゅう言わないでいてくれればまだ苦痛なセックスでも耐えるのに。
でも本当は耐えるセックスじゃなくて愛し合いたいと思うんだけど、せっかく子供が長く寝るようになって時間ができたのだしと、そのために上記のこと都度都度伝えてるんだけど、うるせーなーって態度とられるのでどうすりゃいいのかどうにもわからんたい。
昨日書いた「あなた方は恥を知ったほうがいい」への反応で気になったことがあるので書くわ
(元増田の話とはほぼ関係ないのでツリーにのせないよう参照はしない)
あの文章は実験だと思ってほしい。「この文にあなたはどう反応するか?」という実験だ。
卑怯だ、性格が悪い、と思うかもしれない。でもじつはさほど唐突でもない。あの文はそもそも元増田の文章に対してあなたはどう反応したか、を問い、自省をうながすものだった。つまり趣旨は最初から書かれていた。
それに必要なことだ。僕も含めて僕たちは「自分を顧みる」能力がとても弱い。でもその能力はとても大切だし、その能力の欠如が世の中を悪くしていると僕は感じている。
前の文でもこの文でも一貫して問題にしているのは「あなた」だ。僕じゃない。
でも前の文へのブコメの多くは僕や僕の文へのコメントだった。あれだけ自省を促してたにもかかわらず。まぁ仕方ない。そういうもんだ。人間の多くは自分を顧みるのがとても苦手だ。自分を顧みたくないから、わざと他人の気になるところに目を向けたりする、それも習性だ。
ましてやあんな長文で、あんな強い言葉で、あんな極端な物言いをしていれば、そこに言及したくなるのは人情ってもんだろう。もちろんそうなるだろうなって思って書いた。
そういうノイズを掻い潜って自省に辿りつけた人は凄いと思う。そういう人はなかなか居ない。実はこんなこと言いながら僕も苦手なんだ。自分を顧みるの。だからあなたは凄いと思う。尊敬する。
つまり前の文のテーマは凄く短く言えば「自省」だ。あなたたちに自省を強く促しつつあの手この手で邪魔し、最後にはそれまでの刃を自分に向けて「自省」のポーズも軽く取ってみる。
僕はあれを読む人に、自分の加害性や暴力性について振り返ってみて欲しくて、または振り返る能力が本当にあるか問い直して欲しくて、あの文を書いた。
これをマウントだと思って欲しくない。今自省をできてるか問われてるのはあなたもだけど、僕もなんだ。僕もジャッジの対象だ。
この文に対して、またあなたは「僕について」書こうとしてるかもしれない。でも待ってほしい、それはとっても勿体無い。
僕について、つまり他人について言及したくなる重力からなんとか逃れてほしい。それで、もし前の文や元増田の文にコメントしていたら、自分のコメントを見返してみよう。3回くらい読んでみる。どうだろう?
そこに何か問題は無いか、偏見が入っていないか、誰かを傷付けていないか、今度は僕は線を引かない。自分で引いてみて、どういう線ならアウトで、どういう線ならセーフだろうか。その線が適切かも含めて考えてみる。
こういう自省は今日だけ必要なものじゃない。前の文でも書いた通り、日常のあらゆる場面で自分の言動が誰かを傷付けていたり偏見が入っていないか自分でチェックしてみるのはとても大切だ。
たしかに面倒臭い。そんなことやってられるか、って思うかもしれない。でも、そろそろやらないといけない時代が来てると思う。やろう。
「つまり前の文は、元増田の悩みをダシにして、全然別の目的で実験してた、ってわけ?」って疑問には応えるべきだろう。
そうではない、というのが答えだ。元増田の悩みはよく分かるし、彼が救われてほしいと思う、これは本心だ。
そして彼の苦しみの、遠い原因は、やっぱり多くの人の「自省のできなさ」なんじゃないかと思う。
ではなぜそんなに遠い原因を選ばなければならないのか、その背景には僕側の事情がある。つまり、僕は「彼に彼女をあてがえ」と絶対に言いたくないし、かと言って僕も含めた社会が意識しないうちに植えつけたかもしれない意識で苦しんでる彼に、彼だけに努力を求めるのは間違ってると思う、という事情だ。
この事情により、僕は彼が彼女を得る以外の方法で幸せになる道について考える必要があるし、しかもその方法は彼だけに原因や行動を求める物であってはならない、という複雑な制約がかかる。
その結果、彼以外の者(とくに僕自身)に原因の一端があるのではないか、ということを考えてみる必要があるし、それが「自省」に繋がる。
別にリアルで元増田が僕の知り合いかもしれないって心配してるわけじゃない、でも彼のような悩みを抱えている人は世の中にはいっぱい居るだろうし、僕の周りにもいるかもしれない。だから彼の悩みは僕に無関係ではない。
さて、また長文になってきたぞ。
さっき「長文はわざと」みたいなこと言ってたけど、いや、まぁわざとではあるけど、元々素で長文になりやすい傾向はあるんだよね。その点については本当にゴメン。
恋愛至上主義が今の日本にあるかどうかについて、僕は複雑な立場だ(少なくとも前の文よりは、ね)
今僕は日常で恋愛至上主義みたいな空気をそれほど感じない(少し感じる時もある)、でも学生時代はそれこそ元増田のように苦しんでいたし悩んでいた。
これは時代の経過だとは思わない。ライフスパンの経過だと思う。つまり今、恋愛至上主義に苦しんでいない僕と同時代に、中学生高校生大学生達の一部は恋愛至上主義に苦しんでいるんじゃないかと思う。学生のうちにそういうことに悩むのはまぁよくある話だ。
今苦しんでる彼らも、僕と同じように、いつかマシになるかもしれない。でも、だからといって、今の彼らの苦しみが存在していいものだとは全く思わない。
もちろんこの心配自体推測にすぎないんだけど、でも、たとえば、思い出してほしい、男性の多くは女性がどれだけ痴漢の被害に遭ってるか知らないし、一部は、言われても何かしら理由を付けてそれを無視しようとする。
人間は自分とは違う集団の被害を見くびったり、それを軽視しようとする傾向がある、と僕は思う。僕たちが彼らの苦しみを「大したことない」と思う時、そういう心の動きは果たして働いてないと言えるだろうか? 過去に同じ苦しみを抱えていた僕でさえそれをもう忘れかけている。僕達は彼らの苦しみを知らないし、測ることもできない。
ましてや、遠因として僕も加害者のリストに入っているかもしれない。だから今僕がそれに苦しんでないからと言って、「恋愛至上主義は無い」なんて軽々しく口にはできない。
気付いた人もいたみたいだけど、挑発的な物言いについてはグレタ・トゥーンベリをパロディとまでは行かないけど意識はした。
つまり「自分のコメントを顧みろ」というメッセージに対して、そのメッセージの装い(言い方、書き方、態度、長文である事、等々)に人はどのくらい気を取られるものだろうか? ということ。
最後に、文というものはただ単に読まれるだけの客体物だと思っているかもしれないけど、本当はとても怖いものだ。
それが悪文であるか美文であるかに関わらず、あなたがそれをどう読み、どう反応するか、というのは人によって大きく変わるし、つまり「あなた」が物凄く表れる。
しかもそれは文だけじゃない。いろんな物があなたを見てるし読んでいる。
それを意識して、これからの日常、いろんな場面で、他人ではなく自分自身の言動を見つめ返して欲しい。「本当にこれで良かった?」「何か間違ってない? 傷付けてない?」と問い直し続けてほしい。
あ、書き忘れてたので追記、
前回も今回も何度も問題にした「自省」について、類い稀なる能力を持っているのが元増田だと思う。
1つ目の文から自分の苦しみを詳らかに見つめ直そうとしていたし、2つ目では僕だったら反発したくなるようなコメントにすら真摯に受け止めて「自省」しつつ対応していた。
はっきり言って、上から目線で褒めてる場合じゃないんだよ。僕の見るかぎり、彼の自省能力は僕達あなた達をはるかに凌駕している。少なくとも身の程を知った上で褒めたほうがいい。
そして前にも書いた通り、彼のその能力は決して恋愛に換金されずとも、それ単独で素晴しいものだと僕は思う。
恋愛どうこうという価値観を取り払ったとき、彼は、僕にも、あなたにも、見くびられるべき人間では絶対に無いと思う。
ある意味では、彼の事が「どう見えてしまうか」という事が、その人がどれだけ恋愛至上主義的な価値観を内面化してしまっているかの尺度になるんじゃないかな、と思う。
最近知り合った人がマリーンズファンだったので、自分もそうだということもあり、親しく話し込んだ。
話の途中、唐突に彼は、マリンで貰える韓国系飲料について切り出し、あんなもの貰ってもすぐ捨てる、と言った。
その時は特に反応せずに流したのだが、会話が進むとまた唐突に、韓国に対するヘイト発言を楽し気に話し始めた。
マリーンズの話はしていたものの韓国について一切話題になっていなかったにもかかわらず、全く脈絡もなく聞くに堪えない人種差別を繰り広げるので面食らってしまった。
おそらく人種差別が悪であるというまっとうな倫理観が培われてこなかったのだろうし、韓国叩きが日常化したコミニティに普段いるのであろう。差別を差別と理解すらできない人間がいるという事実には暗澹とさせられる。
ただそれ以上にロッテファンとネトウヨが両立することに驚きを覚える。ごくごく一部のゴミ共が言うような、ロッテファンだから在日なんてことはない(逆も然り)し、親韓であれというわけでもないが、テンプレ的ネトウヨでありながらロッテを応援することに矛盾を覚えないものだろうか?
そういう人は案外いるようで、とあるロッテファンのtwitterを見たら、鷹狂会が問題を起こしたことに対し、ホークスファンは「あの民族」だから屑しかいないなどとツイートしていてうわぁと思ったものだ(その人が以前書いていたブログは野球知識が豊富で参考にしていただけに残念だった)
また、ロッテファンに限らず、ホークスファンにもそういう人はいるらしい。たか専に「唐川に勝てないのはロッテが汚いことをしているからだ。なぜならロッテはチ〇ンだからだ」という趣旨の書き込みがあったのが印象深い。
私なんかはロッテ関係のスレを荒らすネトウヨが寧ろ嫌いなのだが、ネトウヨとロッテファンを兼任できる人というのはどういう思考回路をしているのか実に気になる
勉強したり、友人とクッソくだらないLINEとかやってる間に「聴ける」アニメやドラマや映画を教えてくれ。
普段はほぼ全くアニメは見ないんだが、こないだ何を思ったかアニメ「あそびあそばせ」を見たんだ。
そしたらめちゃくちゃ面白くて、それ以来画面は見ずに延々と聴いていたらこれがとても具合がよくて、いろんな作業がはかどるんだよ。
キャラクターの演技が大げさすぎて笑っちゃうし、唐突にマジトーンの声になったり飽きない。基本セリフで全部進んでいくので、声だけ聴いてても問題ない。
とりあえず映画「パルプフィクション」とか「デスプルーフ」とかタランティーノ作品はいけることが分かった。
「あそびあそばせ」はもう20周くらいしてるんじゃないかという勢いだ。そろそろセリフを全部を覚えてしまう。
俺を助けるつもりで教えてほしい。
そういえばむかしペニーオークション詐欺というのがあったな、というのを唐突に思い出した。他意は特にない。
全く言うことを聞かない精神的に動かない身体を、どうにかして脳みそというCPUで動かさなければ生きていけない。
幸いなことに私のCPUは優秀で、数年前まで自信があった。演算能力を貸し出してJPYマイニングしたり、その金で立派な大学で足の裏についたご飯粒を取ったりもした。残念ながら、その道は閉ざされてしまったが。
無事就職して、「あれ、私のCPUバグあるんじゃね?」って気づいた。仕事上の目的がある会話なら全く問題なくこなせるし、専門分野なら新入社員だった頃から他部署に相談を持ちかけられるレベルであったため、そこは全く困らなかった。
しかし、いわゆる日常会話がサッパリで、話題の切り替わりや理不尽なツッコみが全く理解出来ず、こっちのちょっとしたボケやツッコみはすべて空振る。会話が下手だという自覚はあったが、高校以降は全く困ってなかったので、小中学校のときのソレと類似系と気づいた。気づいたはいいが、いつまで中学生なんだこいつら、と内心思ってた。だが、どうやらこっちが正しいらしい。よくよく考えれば、私の分かりにくい比喩や唐突な引用を分かれという方が無茶だった。日常会話をCPU使用率1桁%でこなせる人間が、CPUの7割を使わないとできない人間と会話が噛み合わないのも当たり前の話だ。最近ようやく、下手な比喩を使わない、聞き役に徹するなどで日常会話をエミュレートできるようになってきた。CPU使用率は上がった。仕事しながら雑談できん。困った。
そして先日、見事にバグありボーダーだと診断が下った。本当にアレって勉強ができるかと関係ないんだと実感した。
「私は一生こいつを介護しなきゃならんのか。介護辞めたら死ぬんだからマジで一生じゃねえか。困ったもんだ。」って思ってる。何故か他人事感が抜けない。「どうせ困るのは私だし」が基本理念。どう考えても周りに迷惑かけてるのにね。