はてなキーワード: ロト6とは
弊社は昇給が年1回だ。賞与?そんなものはないし、インセンティブはあるらしいがもちろんそんなものも受け取った記憶はない。
年1回ということは当然の如く上がらなかった場合は来年までそのままということになる。
変化の激しい業界なので年1はどうかと思うのだが。
ざっくりどんな業界かと言えば、とあるサービスを運用しており、半年後のこともロクにわからないのに来期の目標は?と聞かれても、来期があるんですか?という感じの業界だ。
査定は年間通した評価になるはずもなく、流行語大賞よろしく直近の評価がメインになりがちになる。
上がればハッピーでもあるがそれ以上もない。減ったら絶望だし、そのままというのも軽く絶望だ。
なにせ1年変わらないのだ。来年は上げるぞというやる気を1年維持しないといけない。この変化の激しい業界でだ。
過去の経験として、査定時の面談で来期はこうこう頑張ります。という目標を立て、査定を終えた。
3か月後、運用停止決定。異動。あっという間に1年が経ち。評価する人物も変わり。
「異動もあったから評価はそんなにできない。給与はそのままだ。」
貴重な1年を無駄にした感じだ。
そこでだ。
積極的に動かなかったお前のせいだ。
場に流され、それをよしとしたのは私だ。
今年の査定もひどかった。
私は所謂、指示待ち人間に属する。いや、自分的には積極的な指示待ち人間だと思うのだが。
自発的に提案もする。バッターボックスに立てと言われればやる。言われなければ完全に動かない。ではなく、動いている方の作業者だと。思いたい。
そう。思いたい。
作業者はいらない。よく言われる言葉だ。今回の査定でも言われた。
が、私は作業者なのだ。作業者が気質に合っているし作業者としての能力なら結構高い。
すぐ手順覚えるし、効率化するし、ミス少ないし、作業は早い。これは結構自身がある。
が。表立って言えない自身なのだ。なにせ作業者はいらないのだから。
言ってしまったら逆に評価が下がるのだ。「そんなもの誰にでもできるから」「それは自信とは言わない」
つまりはそこだ。
社会とはそういうとこらしい。
そこだ。
私にはお金がいる。借金がある。借金があるくせに節制しない。できない。したくない。
人はどの程度変われるのだろうか。違う。変わると思っていない。違う。変えたくない。違う。面倒くさいのだ。
私は本当に何に対しても面倒くさいのだ。楽して金が手に入るならそれがいい。本当にそう思う。
仕事も面倒くさい。人付き合いも面倒くさい。勉強することも面倒くさい。変わることだって面倒くさいと思うのは当たり前だ。
楽がしたい。楽をするためにどうこうではなく、いとも簡単に楽を手に入れたい。まさに5000兆円ほしい。
まさにぴったりの言葉だ。
本当にガワは相当真面目に見える。酒は飲めない。タバコも吸わない。仕事は休まないし遅刻もしない。
コミュ障で陰キャは隠せてないが。誰にでもできる仕事はできるがリーダーシップはない。ザ・一般人
よくある話だ。あれだけ真面目に過ごしてきた自分が今こんなんだ。
これより「上」というやつに行くには自分でなくなる必要がある。自分を保ったまま「上」に行けるとは思っていない。
何度考えても自分がリーダーシップを発揮して部下を従えバリバリ働いている姿を自分だと思えない。
増える責任。のしかかる重圧。とても面倒くさい。それとの対価が給与として反映される。わかる。そんな社会の常識ともいえる構図なんで今更わかりきってる。
これがあと10歳若かったら。
まだ違ったかもしれない。いや、10年前ですら面倒くさいと思っての今なのだ。
まぁあの時メンタルをやられてなければギャンブル依存症にはならなかったとは思う。
家庭とかそういうものをつくる。
いや、借金抱えた病人を好きになる人がいるか?もはや諦めてる。
趣味を見つける。
金がないのだ。むしろギャンブルが趣味と言っていい。依存症だから。
ギャンブルをやめる。
思考回路が壊れていると思ってもらっていい。
金がないからギャンブルをするのだ。単に取り返すという意味で捉えてもらってもいい。
気分を紛らわし、金が増える返ってくる可能性がある。からやってるのだ。
もしロト6で3億当たったら6億だっけ?
今抱えてる悩みは全て解決すると断言する。
が、買う金がない。その1000円すら惜しい。パチンコのサンドには余裕で諭吉を入れるのにだ。
余裕がない。とも言えるのかもしれない。全ては借金のせいだと。
が、その原因を作ったのは自分だ。誰のせいでもない。
それが嫌なら変えなければならない。
嫌だとは思う。が、変えるのが面倒くさい。
今のままではよくないと思う。が、変えるのが面倒くさい。
もうどうしようもないのだ。
どんな啓発的なことを言われても響かないし、クソみたいな言葉を投げつけられたらムカつく。
自分の感情が第一であり、何においても優先される。面倒くさい。節制するのはやだ。
今のまま借金肩代わりしてくれるあしながおじさんでも出てこないか。まじで。
何かが変わったというのなら。いまこれを書こうと思ったことが変わったことだ。
その些細な変化がとか言う人。絶対出てくるんだ。俺は詳しいんだ。
だが、何ということはない。変わらないよ。断言できる。
一時の気の迷いだ。過去にもよくあった。続かないんだ。面倒くさいから。
もうダメなんだよ。本当に。
何度変わろうと思っても変わらないのだ。変える努力もしていない。
面倒くさいという言葉で片付けている。それをよしとしている。
本当に変わりたいと思うのなら。そうだ。変わりたくないのだ。
なぜ?怖い。不安。だから変わりたくない。不安になりたくない。だから考えないようにしている。
でも変わらないと。知ってる。でもどうしても嫌なのだ。不安に押しつぶされ行き場をなくしたら。変わるのに失敗したら。
そこを跳ね除けて進む強さも自信もない。1歩踏み出す勇気とか。なぜそれが必要なのか。
それができてこそ「上」にいけるというのも知っているが、失敗したら責任はまた自分に帰ってくるのだ。当たり前だ。
その失敗は経験になるには時を逸しすぎている。遅すぎという言葉はないとかいいこと言われたって、経験を活かして成功するまであと何回チャレンジできるのか。
成功してどうするのか。50、60になって成功したらその後どうするのか。意味はあるのか。性欲もなにもかも衰えたその時に人生の絶頂期がきて何ができるのか。せいぜい旅行とかだろう。
辛いなら逃げてもいいというが、逃げて成功できるほど人生は甘くない。嫌というほど知ってる。それで成功してる人は逃亡先で頑張っているのだ。
私は頑張れない。どこにいても辛い。辛いなら逃げていいというのなら。逃げ続けてもいいのではないか。
人それぞれだ。私は「金を稼ぐ」=「成功」なのだ。もうそれしかない。返さなきゃいけないものがある。
自己破産?債務整理?そんなの嫌だね。世間体が。そんなこと言ってられないとかではない。真面目系クズを舐めないでほしい。
その成功を収めるためにしなければならないこと、それをしたくないと思うこと、そこに板挟みになって精神をすり減らして病んで、悲劇のヒロイン(♂)を気取っている。
クズだという自覚も十分ある。じゃあお前はクズだと指摘されればムカつく。
将来何がしたい。どうなりたい。知らん。いまのままでいい。金くれ。給料上げろ。
楽になりたい。
それはそうだろう。もはや生きている意味=借金を返すことなのだから。
こればかりは面倒くさいと言ってられないのだ。真面目系クズの名にかけて。
が、できない。一瞬でも痛いのが嫌というものあるが
「あいつ自殺したんだってよ」「やっぱりな」「だっさ」「やったぜ」
自分の死後に言われるであろうありとあらゆることが許せない。どうせありもしないことも言われるだろうし。
悲しんでくれる人もいるのは知っている。普通に坦々に目立ちもしない真面目を装ってきたんだ。
そうすれば私は「可哀そうな死を遂げた人」として確立するのだ。
何と素晴らしいことかと思う。
コンビニに入ってズボンを着替えたくなって商品棚に隠れて着替えようとしたところ、店員が居ることに気づき、トイレの場所を聞きトイレに店員さんと一緒に向かう。
すると便器か洗面器等、立ったまま手が届く位置に食品が出てくるチューブを使って描かれた茶褐色の「うんこ」という文字を歯ブラシを使って一緒に掃除することになる。
その「うんこ」の文字が媚びれついていてなかなか取れない。歯ブラシにつけた液体とうんこが混じり手に液体がかかる。汚いなと思った。
その後、知らぬ間に私はうんこを食べていた。
うんこを食べた感想:チョコエッグのチョコレートのような食べ物が歯に付着する柔らかい食感とピーナッツバターのような粘り気が強い食感の両方を感じながらうんこを食べていた。口に運ぶ前はうんこが見えた。うんこは臭くなく味はなかった。匂いや味がなく食感だけ起きた後も記憶が残っている。
起床後、うんこ食ったなー気持ち悪かったなーと思うのと同時に綺麗さっぱり清々しい気持ちがいいという感覚がある・・。
黄金色の寅は金運の象徴とされており、寅の日は金運を上昇させる日といわれているそうですよ♪(※楽天銀行調べ)
とりあえず
・今日抽選のロト6 1枚(200円)を買った。-> ハズレ
これで何か当たればすごい。
運良く早慶の某文系学部の首席に選ばれた。これが何かに直接役立つことはないだろうけれどやはり嬉しい。
私みたいな馬鹿にも首席を取らせてくれるこの大学のこの学部に受かって本当に良かった。
思い返すと本当に、何故受かったのだろうと感じるような受かり方だった。やはり受験はロト6。(マークシートの場合)
元々高3の夏まではマーチに指定校推薦で行こうとしてた。(高校の偏差値が高くなかったので早慶の指定校推薦はなかった。)今思うと本当にやめて良かった。夏にオープンキャンパス行って通学時間長すぎると思ったのと、本当に早慶じゃなくて後悔しないか不安になったので、結局やめた。
浪人して早慶目指すつもりだったのと、学校通って宿題やるだけで疲れる人間だったから受験勉強は全然できなかった。予備校にも行ってない。受験勉強と言える勉強をし始めたのは高3の冬休み入ってからだった。学校が休みに入ったのと、一応で受けるセンター試験の結果を学校に報告するときにあまりにも点数が低いのは恥ずかしいと思ったからようやく基礎から勉強を始めた。といっても、その時ちょうど新しいソシャゲをはじめてしまったりとそれほど頑張れたわけではない。
寝不足でセンターを受けた。勉強不足と頭の悪さで国語は6割を切る始末だった。その後燃え尽きて一週間はほとんど何もやらず。その後ぼちぼち少しだけ勉強した。どうせ来年が本番だしと、始めたばかりのソシャゲのバレンタインイベを完走するなどした。
その後模試感覚でマーチを2,3回、早慶を2回だけ受けた。私は小テストにも一々気持ち悪くなるほど緊張する人間だったのだが、「どうせ落ちるし。お試しお試し。来年がんばろ〜」みたいな感覚で受けたのが功を奏し、緊張や焦りは抑えられた。しかしそれでも勉強不足。普通にマーチに落ちた。知ってたことなのであまりショックでは無かった。受からせてくれたマーチは1つだけだった。
その後1,2週間があき、早慶の受験。はじめに受けた方は赤本すら買っておらず過去問すら解いていない。「ここにいる人たちにとっては大事な日なのかな〜私はお試しお試し」と物見遊山感覚で受験。一応は真面目に取り組むも、英語でかなりの長文を書く問題が出され、めんどくさくなって放棄した。ここは落ちた。
そしてその次に受けた学部が私が何故か受かり、何故か首席をとれた学部だった。なぜだか忘れたけどここの学部の赤本は一応買っていて、一周くらいならしたような気がする。問題は平易な方だが合格点は高めの学部という感じだった。前に受けた学部とは違って、ここのは一応最後まで真面目に取り組んだ。模試気分だからこそ緊張せずに解けたが、それでもバカで勉強不足の私には難しかったから、まさか受かってるとは思わなかった。マークシートで運が炸裂したのだろうなと思う。(マークシートと記述混合)
そうして思いがけず早慶に受かって、浪人もすることなく予備校にも行かずに何故か早慶入学。模試も高校実施の以外面倒で受けなかったような人間なのに。受験って運の要素強すぎるのだなと感じた。
その後ちゃんと卒業できるのかも危ぶみながら学生生活が始まった。高校の偏差値は低いし真面目に勉強取り組めない人間だしマーチにも落ちるし、過去問等の入手もコミュ障ぼっちなので高難易度。単位取れないのでは?と思いながら授業情報雑誌とにらめっこ。
長くなったしここら辺で終わる。GPAとるために個人的にしたことなどやる気が出ればまた書くかもしれない。
とりあえず思ったのは、GPA取るのにあまり地頭は必要ないということ。過去問とかもあるに越したことはないが、無くてもA+はくるということなど。文系だけかもしれないが。
(追記)
首席(学部事務所の方曰く総代という言い方でした)に選ばれたのは学部の成績がトップだったからです。最終的にGPA約3.9でした。
履歴書書くのがだるい、面接で出る杭は打たれないようにしつつ他人と差別化するのが面倒くさい
そもそも趣味や特技のアピールがなぜ就活にいるのか理解不能。40代50代の面接官のおっさんにもわかりやすく理解しやすく無難な趣味、でも中身を他人と差別化をはかりアピールをしなければならない、ほんと面倒くさいわー。
嘘で塗り固めた自分をアピールして嘘の求人の会社に何が何でも入らなければならない、なんのために?世間体のため?生活のため?親は正社員に絶対なれとうるさいから?
あー面倒くさいわまじで就活、宝くじ当たんねーかなー、前まで年末ジャンボしか買わなかった俺はほぼ毎週ロト6とかビンゴを買うようになった、でも当たっても200円(笑)億当たったら速攻就活やめて隠居したい!
文化大革命は中国共産党主導による中国の倫理論の変革だ。下層階級を党主導部が利用し、寺院や仏像などの古来の文化を破壊する事件が相次いだ。多数の死者をもたらしたとされる。
中国の文化大革命は主に政府にとって目障りなインテリ層を中心に粛清された。技術者・富裕層、一部の農民・・・そしてそのような政治劇が1976年まで繰り広げられた。そしてこれは、実は日本ではいつ起きてもおかしくないのかもしれない。
日本の中にある貧困崇拝は非常に内向きの古臭い発想だが、これが日常生活の中に持ち込まれたのが日本版ラテン思想だろう。これはまさに文化大革命時の毛沢東思想に近い。文革期の中国共産党の富裕層に対するの敵対意識と、現代日本のインテリ・富裕層叩きは、私には非常に類似点が多いと思うのである。
日本のこういった発想は、とある大学生によると富裕層でない階級で青年期を過ごした人間が富裕層になり、彼らの振る舞いに不満を抱いた人の思想が広がったことに由来するという。この思想はそもそも古くない考えである。私の知る限り、2000年当時にはありえない考え方であった。
それ以前の日本(今でもそうかもしれないが)は金持ちを目指すことが美徳とされ、貧しいことはむしろ恥ずかしいことであると言われていた。ちなみに、この考え方は2010年代前半ですら通用した常識である。
私は月に1000円~2000円払ってロト6やロト7を買っており、億単位の賞金が当たることを見越して様々な研究をしていると、富裕層叩きを見るたびにないと思う。昔は無機質な中間層と違う趣のある文化に憧れていたが、後で知ったのだが、今増えている富裕層は最近まで中間層は貧乏人だったもので、もともと富裕層の資質がなく、富裕層叩きのメインターゲットとされている人達だ。
今日本各地に行くと、そういう外国水準の所得単位での分別すら無理になっている。文化面での貧困化が徹底されている。デモ行進を見ると、以前は都市部だから許されたような右派系の排外デモがある。中国で外交危機があって反日デモがにわかに活発化したのと同じだろう。
実際街頭で往年の宗教勧誘のように日当を対価にデモ行進に参加させるケースも増えている。地方都市に多い。現在起きているデモ行進などは思想の左右問わずに日当で集めて頭数をそろえているのが多数であるというのが現実ではないだろうか?
中国人は過去に同じことを難解も経験していることだからそれを熟知しているんだろう。だから日本人の私はこんなことは発言をしたくないのだが、2017年、日本でも「文化大革命」が起こるのだろうと、ガックリしてしまうのである。トランプ政権になってからアメリカが日本と同じ道を辿り始めたように、70年以上平和を守り続けた日本が、中国と同じ道を辿ろうとしてる。
日本にノンポリ層が健在であることが救いだ。毀誉褒貶ある。こういった精神すべてを賛同することはない。あの地域には外国ではPC問題になるような文化が多すぎだ。しかし私は、世界で当たり前の対応のできる者が健在であることにほっとする。「政治的中庸がいなければ日本は存在しない」と言われるほどの現状がどこまで持つのだろうか?
オタクの姿勢もかっこいい。この集団は、昭和末期時代からも宮崎事件の余波で権力とたたかった。反骨姿勢は今も生きている。彼らについては私も言いたいことはあるが、それでもこういうことは本当にスゴイよ。
一方、非ノンポリ階級の対応はよくないよね。でもこれは「腑に落ちて」しまった。彼らは多数派になりつつある。日本を見てほしい。強い先祖返りを髣髴とさせる。一人ひとりの威圧感も凄まじいが、実際にデモにいくと左翼や右翼の兵隊みたいな感じが不気味でしかない。
この日常を経て、キビキビと「塩生活」に明け暮れる彼らがファシズムの片棒を担ぐわけだ。ノンポリは非国民と。逆に強烈なイデオロギーを持つ層は、左翼や右翼を見ると「ホッ」とするわけだ。日常を感じるから。
プロ市民のイデオロギストっぷりは私も批判し続けているが、ついにマジでノンポリを嫉視するようになってしまったんだなあと、本当にガックリきてしまう。ある意味、戦争前夜臭くて不快だったが。
私は民主主義そのものの社会的価値は否定しない。事実70年以上も守り続けてきているし。それ以上に豊かな生活にあこがれている。1995年に両親の転職(貧乏職から転身!)で関西から関東に越してきたとき、新しい生活に胸を膨らませた。1990年代から2010年代までオタクとしての経験もある。家族代々鉄道好きでもあった。
しかしそのような「豊かな」暮らしを経験した私だからこそ、その風情とか肯定的な表現を守ること、また新しく築くことはあっても、根本にある負の因習は打破しようと、そう訴えたいのである。守る価値のない因習を拒否し、破壊する発想が必要だ。残念ながらそれと矛盾するのが、「所謂畳精神化するアメリカ」であり「日本の文化大革命の兆し」ではないか。本当に私に未来はあるのだろうか。
日本人に問いかけたい。貧乏人だらけの国と同レベルの発想に恥ずかしく思わないのかと。君たちの憧れる今では黄昏の国の日本は江戸幕府をぶっ壊して新しく国を作り、経済的・科学的・文化的豊かさを受け入れたのではないかと。そして、そもそも何故貧乏を恥じ、お互いに豊かになることを目指したか考えてみよと。
近いうちに21世紀版の文化大革命が日本でも起きる。願わくばそれが起きないように努め、万が一起きても自分自身が巻き込まれないようにしたい。
遠出した先の私鉄の駅で便意をもよおした。
乗るべき特急の時刻が迫っていたので同行者の手前もあり不本意ながら我慢するしかないかとあきらめかけたところで事故による遅延を知らせるアナウンス。
チャンスとばかりにトイレに駆け込む。
ほどよくチャージされたブツは一気に放出され、洋式便器のくぼみを埋め尽くした。それは30年ぶり(2度目)の巻きグソになっていた。
日常的な飲酒のおかげでやや緩めなことが多くなっていたのでこの年になってまた再び巻きグソを拝めるとは思わなかった。
素直にうれしかった。この感動を誰かと分け合いたくて写真を撮ろうかと思ったが実名でやっているFBにも匿名のTwitterにもアップするわけには行かないだろうと思い直して水を流した。
翌日、職場についてすぐに再び強い便意。
くだらない朝のミーティングの間はただ黙って耐える。ミーティングがあと2分長引いたら途中退出してトイレに向かっていたと思うがなんとか我慢した。
これは無理をしてはいけないヤツだ。
慎重に、ゆっくりと、自分自身を内側から調教するように徐々に力を込めていく。
そのうちそれは勢い良く飛び出した。まっすぐ伸びた巨大なうんこ。
28年前を思い出す。自宅のトイレを詰まらせた巨大なうんこを。
子供だった私には手に負えず恥を偲んで母親に事態の収拾を依頼するしかなかったあの出来事を。
二日続けてこんなことが起きるなんて何かあるのだろうか。
しばらく考えてみたのだが「ウンがついてる」というベタなダジャレだかゲン担ぎしか思いつかなかったので仕事帰りにロト6を1000円分と年末ジャンボを10枚買った。
ロト6は外れたが年末ジャンボは当るかもしれない。発表までワクワクして待つとしよう。
このワクワク(というかレアうんこ)は年末の職場の殺伐とした空気に疲れた私への少し早いクリスマスプレゼントだったということにしようと思う。