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六月朔日
武威ノ本最大規模の宗教団体である梵天堂が出した制札が世間を騒がせた。いわく、
武威ノ本で最大の家臣団を抱える西サンジバル藩王国は、対価が必要になるものの梵天堂の荘園を兵站線に組み込むことが可能になった。他の勢力を大きく引き離した形である。だが、それよりもすでに梵天堂荘園から日常的に徴発を行っていたヒポポタマスー帝国の行為が問題となった。
帝国幌生家の言い分は「我が家の足軽大将たちは浪人を一時的に雇った傭兵であり、浪人の範疇に含まれる」との無茶なものであったが、押領ではないかとの厳しい批判を浴び、梵天堂に詫びて禁制を出してもらう道を模索することとなった。
武威ノ本では日ノ本の戦国時代とは逆に寺社仏閣の方から各勢力に禁制を出すのである。
騒動はこれで終わらなかった。
問題発生後、ピポポタマスー帝国の足軽大将たちは制札を出すようになったのであるが、その書式や署名が怪しいとの指摘が相次いだのである。この手の文章は武威家諸法度で用語などが定められている。
逸脱は民衆の不信を呼び込むこととなった。
ついにあるとき、地弥呼と呼ばれる足軽大将が南蛮寺院 兎社からの物資調達に際して、「須田教団からの承諾を得ている」と出した制札が大問題となった。実は須田教団は武威ノ本における代理布教団体の立場にあり、兎社自体は六星教団の持ち物だったのである。兎社からの徴発に際しては六星教団の許可が必要なはずであった。
このような権利確認の疎漏から制札の正当性が疑われ、徴発を行った地弥呼の軍団は解体された。地弥呼は経緯の説明がないまま蟄居となった。しかし、すでに兵の腹に収まった兵糧が返還されたかは不明である。
続いて足軽大将、澪生狼の兵がかつて株魂大社の神社から刈田を行ったことが問題となった。事態が発覚すると、その兵2名は破門を宣告され、責任者である澪生狼自身も永久破門の危機に晒された。軍団の物資調達能力をまったく失った彼女は、蟄居という名の隠居道楽に興ずることとなった。この時の絵日記が後世に残されている。
あわてたヒポポタマスー帝国の幌生家は大半の部隊を一時解散する暴挙に出た。頭を低くし震えて各宗派の慈悲を請うたのである。そのため、帝国の抱える問題は衆人に広く知れ渡ることとなった。
ちなみに幌生家には兎耳形兜を着用した凹田という武将がいたが、2つの事件に直接の関係はない。彼が野良制札を出していないとは言っていない。
ところで、西サンジバル藩王国にも浪人上がりの武将は多くいた。しかし、彼・彼女らは主たる為力家に規律を叩き込まれ、常雇いによって刈田狼藉の悪習からは離れていった。兵農分離が成し遂げられない武将は一部にいたが・・・・・・
また、先に出てきた昇国の居戸家は荘園からの物資調達に慎重で、基本的には道を借りるに留めていた。そのことについて家臣や領民の一部に不満は出たが、他にも財源があるため、これが可能だった。どの家にもできる芸当ではないため、居戸家のようにしろと求めることはロジハラ(ロジスティックハラスメント)と呼ばれている。
一方、勢力拡大を最優先するヒポポタマスー帝国の武将は浪人時代の習慣が矯正できないまま、軍勢の規模を大きくしてしまった。当然、規模が大きくなれば刈田狼藉の被害も大きくなり、宗教団体の厳しい目に晒されることとなる。
勢力図上は順風満帆にみえる帝国であったが、その前途は多難といえる。
楠永玉秀の謀略
数か月前に転職した結果、新しい上司がインスタやってることが発覚した
知識としてインスタやってるオッサンが存在することは知っていたけど、どこか架空の存在だと思っていて非実在オッサンみたいなもんだと思ってたんよ。
あんな自己顕示欲丸出しで「新しいタイヤに変えたよ! また妻に小言いわれる^^;」みたいなコメントと一緒に車の横でどや顔決めてるオッサンが実在するわけないだろって思ってた。
実在するんだな。
2~3日に1回くらいのペースで上司かSlackかLINEが流れてきて「インスタ上げたよ!」とか言ってるけど別にオッサンが髪切りに行ったとかオッサンがドライブに出かけたとかまったく興味なくて、最近「シュッポポポ」って音が聞こえるたびにストレス。
土日とかファントムシュッポポポ(Slack受信の幻聴)があってビクッってするくらいちょっとノイローゼになってる。
このインスタさえなければ良い職場なんだけど。
カプコンのアクションゲームに胸を熱くさせ、任天堂で育った人間だ。
それでもまだまだ新作PVを見ては心ときめかせて、今はFF7Rを少しずつ進めている。
歳のせいか、リメイク版ではクラウドが可愛くて仕方ない。そんなゲーマーだ。
格闘ゲームを初めて触ったのは、ストリートファイター2だ。
幼少期、友達の家でわちゃわちゃ騒ぎながら対戦した。
波動拳を打つことができるTくんが猛威を振るったが、友達同士の対戦は無性に楽しかった。
負けるたびにコントローラーを交代して、みんなで打倒Tくんと、一丸となった。
キングオブファイターズ、ギルティギア、鉄拳やバーチャファイターなど、
ただ、どれもひとりで遊んだことはない。
友達の家や、ゲームセンター。あくまでも、その場で遊ぶだけの対戦ツールとしての楽しみ方だ。
だから、ひとりでうまくなるために一生懸命努力したことはなかった。
昔から勉強も、授業を聞いているだけでそれなりにテストの点は取れたから、
きっと、似たような感覚だったのかもしれない。
もちろん新作が出ると手を出して、オンラインで対戦したこともあったけれど、
画面の向こうの誰かの存在を感じることができず、
「昔遊んだ格闘ゲームとは、なんだか違うゲームだな」と首を傾げたりして、
それよりデビルメイクライでお手軽簡単なかっこいいコンボを試したり、
無双シリーズでバッタバッタとザコ敵を薙ぎ払うほうが、遥かに楽しくて、気持ちよかったのだ。
そんな折、『グランブルーファンタジーヴァーサス』という格闘ゲームが発売した。
ソシャゲのグラブルを題材にした、2D格闘ゲームだ。(ストリートファイター2みたいなやつだ)
格闘ゲームは自分にとって敷居の高いものだと思っていた私だが、
グランブルーファンタジーヴァーサス(以下GBVS)については、ちょっと手を出してみようかな、と思った。
理由は3点。
ひとつはネット上の付き合いのある友達が、何人かプレイすること。
近年はDiscordなどのボイチャ環境が整ってきたため、小学校の時のあの間隔を味わえるのではないか、と淡い期待を抱いたのだ。
これなら格ゲーの浅瀬をちゃぷちゃぷしていた自分でも、そこそこ戦いを楽しむことができるのではないだろうか。
3点目。これが大事だった。そもそもグラブルをやっていた自分にとって、
あのかわいいキャラを操ることができるのは、非常に楽しそうだったのだ。
ジータちゃんが最初から使えないことには憤慨したものの、それはじゅうぶん手を出すに足る理由だった。
プレイするたびにすぐ辞めるのが、いつもの私の格ゲーにおけるパターンだ。
今回もそうなるんだろうな、という予想が、どこかにあった。
ともあれ「またすぐ辞めてるw」と友達に冷やかされるのも、悔しいので、
続けるための努力はするべきだろう。
さて、始めるとなれば、キャラ選びだ。
これが大事であるということは、今まで数多くの格ゲーに挫折していた私は痛いほど知っている。
まるで永遠の伴侶を決めるかのように、慎重になるべきだった。
私はペルソナ4が大好きで、その格ゲーが出るということで、狂喜乱舞したことがある。
その際は、最愛の伴侶として千枝ちゃんを選んだ。千枝ちゃんと添い遂げようと思ったのだ。
けれど……私は、挫折した。
キャラ愛だけではどうしようもならない壁が、そこにはあった。
私は千枝ちゃんを愛することができなかったのだ。
その反省から、今回は好きなキャラにこだわるのはやめよう、と思った。
できるだけ気楽にお付き合いができるような、そんな人だ。
私は『カタリナ』という女騎士を選んだ。
本家グラブルにおいて、カタリナさんはそれほど人気の高いキャラではない。
女性キャラとしてはむしろネタ枠で、グラブル内で連載されている4コマ漫画でも散々弄り倒されている。
私自身も、ヴィーラさんは好きだったけれど、カタリナさん自身にはいい印象も悪い印象も、なにも抱いていなかった。
なので「まあ、ジータちゃんが追加されるまで、お付き合いをお願いします」という気分で、彼女の手を取った。
彼女はこんな不誠実な私にも、「よろしくな」と微笑んでくれた。
交際を始めると、カタリナさんは確かに動かしやすいキャラだった。
必要なパーツはなにもかも揃っている。炊事も洗濯も掃除もできて、さらに素直な性格だ。
実際、カタリナさんはどのプレイヤーからも「強いキャラ」と言われていて、
自分がうまくなればなるほど、誰にだって勝てるポテンシャルを秘めているらしかった。
一緒にゲームを始めた、格ゲーに詳しい友人は「君がカタリナを選んでほっとした」と言ってくれた。
間もなく、格ゲーにおいて、操作が簡単である、ということの重要性を私は初めて思い知ることとなる。
少し話は変わるけれど、
誰もがグー、チョキ、パー以外に、
ギョス、メランダ、ポポポチーノ、アラモ、ショポーリ、スイギョー(適当)などなど、
30個ぐらいの手をもっている。
スイギョー、ショボーリ、パー、ニャフ、など4つの手に勝てる。他の24個の手とはあいこだ。
こういったことを、毎瞬毎瞬、頭の中で考えながら、試合を進めていくゲームだ。
難しいのだ。
複雑なルールが覚えられない私にとって、カタリナさんは救世主だった。
カタリナさんは、グー、チョキ、パーの三つさえ覚えれば、だいたいなんでもできた。
他キャラが30個の手を使いこなしてくる中、カタリナさんの手は三つで足りた。
初めて見る相手に、「えっ、なにその技!? どうやって対応すればいいの!?」と度肝を抜かれる攻撃をされても、
自分で調べてみれば、「なるほど、これは実はチョキで勝てる手だったのか……」とすぐに答えが用意されている。
対戦して、一方的にやられて、自分で調べ物をして、そしてまた対戦をする。
すると今度は、相手のゾゾゾジゾという手に勝てるチョキを用意した私が優勢に戦える。
対戦相手も私がチョキを連発するようになると、そのチョキに勝つ手を用意してくる。
これを繰り返していくと、私はいつの間にか、さっきまで手も足も出なかった相手と五分に渡り合えるようになった。
楽しい。
楽しくて、毎日GBVSをやった。
昨日あれほどボコボコにされたフェリに対して、一晩練習しただけで、それなりに勝てるようになるなんて。
すごい。
どんなに強い相手でも、カタリナさんがいれば「いずれは勝てるようになるかも」という希望を抱いた。
今まで私は格闘ゲームを誤解していたんだ、と気づいた。
私は格闘ゲームはゲームの上手い人がやるゲーム、という認識でいた。
バイオハザードでゾンビに一度も捕まらないようにスイスイとプレイする人が遊ぶものだと思っていたのだ。
けれど、違った。
格闘ゲームというのは、非常に複雑なジャンケンで、相手の行動に対してこれをすれば勝てる、という手を用意しておくゲームなのだ。
こんなにシンプルなゲームだったのか……と目からウロコが落ちた。
もちろん、それを教えてくれたのは、カタリナさんだった。
「カタリナさん、本当に強いね」
「なあに、私を上手に操ってくれる、キミがいてこそだよ」
カタリナさん……。
いつの間にか、私にとって彼女はかけがえのない大切な存在になっていた。
よくよく見れば、顔もめちゃくちゃ美人だった。
(余談だが、先日本家グラブルにおいて開催された水古戦場においてカタリナさんが使えて嬉しかった)
私はカタリナさんとともに、反復練習、そして調べ物を続けた。
負けては調べ、負けては勝てる手を考える。
少しずつ成長していった。
共に初めた友人はSSランクというメジャーリーグみたいな場所に旅立っていったけれど、
私もAランクというマイナーリーグでそこそこ戦えるようになっていった。
なによりも、自分が徐々にうまくなっていくのが楽しかったのだ。
私の実力があがると、カタリナさんはますますその力を発揮し、期待に応えてくれた。
いや、違う。私がカタリナさんの期待に応えれるようになったのが、嬉しかったのだ。
私のそばでは「キミは日々強くなっていくな」とカタリナさんが微笑んでくれていた。
彼女は出会った頃よりわずかに……いや、明らかに綺麗になった。(私は強めの幻覚を見るようになった)
途中のバージョンアップでもともとの本命であるジータちゃんが追加されても、
私はカタリナさんのまま、GBVSを続けていった。
「本当に、私でいいのか……?」と恥じらうカタリナに、私は大きくうなずいた。
「当たり前だよ。私にとって、カタリナさんがグラブルなんだ」
社会人ゲーマーになると、とにかくゲームの時間を捻出するのが大変だ。
積みゲーもたくさん増えてきた。
そんな中、回転寿司のように、次々と新しいゲームに手を出してはクリアーしていくのが、私の最近のスタイルだった。
ストーリーのないゲームに時間をかけるのは、無駄だと思いこんでいた。
けれど、GBVSは違った。
それだけ多くの時間、私はカタリナさんと共に過ごした。
そして、4月28日。
バージョンアップの日がやってきた。
先に言っておくと、カタリナさんは確かに強かった。
「仕方ないさ。格闘ゲームというものは、バランスが大事なんだ」とカタリナさんは寂しそうに微笑んでいた。
だから、ある程度の弱体化が入ることについては、私も納得していた。
「しょうがないよね。調整ってよくある話だし」
といっても、これは『頭で』納得していた、というだけの話だ。
よく格ゲーでは「修正しろ」だの「弱体化はよ」だの、声が多く上がる。
実際に私も、スマブラDXで友人のフォックスに宇宙の果てまで蹴り飛ばされた際には「修正しろ!」と叫んでいた。
だけど、私は本当の意味での『修正』という言葉を知らなかったのだ。
なぜなら今まで、本気で格闘ゲームに向き合ったことなどなかったからだ。
カタリナさんが弱体化された。
私の顔はたちまち青ざめた。
唖然とした。
メインで使用する近Bがなによりも、破格の弱さになっていたのだ。
近Bという技は、どんな状況でも万能に使える最強のチョキであった。
多くの手に勝つことができて、コンボでも重要な役割を担う、カタリナさんの愛刀であった。
なによりもモーションがかっこいい。レイピアを高速で振り下ろすと、空気を切り裂くようにそのしなりが見て取れる。
カタリナさんの力強さ、そして剣に懸ける想いがこれでもかと伝わってくる、袈裟斬り。それが近Bだ。
その近Bが、死んでいた。
『硬直を増やしました』『認識間合いを狭くしました』というそのたったふたつの言葉で、
カタリナさんの手触りはまったく変わっていた。
私は震える声で問いかける。
「カタリナさん、カタリナさん、大丈夫……?」
するとカタリナさんは笑顔でこう言うのだ。
そう、気づいた。
たったひとつの技が弱くなったそれだけで、カタリナさんは、
私が2000試合も共に歩んできたカタリナさんは、
まったくの別物になってしまったのだ。
私の結婚したカタリナさんは、もうどこにもいない。
これからは近Lという、漫才のツッコミみたいに手の甲をぺちっと突き出して柄で殴る技を、メインに使わなければならない。
「近Bか? しかしあの技は、使ったところで仕方ないだろう」
このカタリナは苦笑いをする。
「ガードされて1フレーム不利だ。立ち回りで振るような技じゃない。私はそういう戦い方はしないんだ」
違う。私のカタリナさんはそういう戦い方をする人だった。
私のカタリナさんはどこにいったの?
ちょっとずつヒット確認ができるようになっていった遠Cが弱体化されたことなんて、どうだっていい。
色んな所からヘイトを集めているJUなんて、削除してくれたって構わない。
だから、近Bを、近Bを返してくれ。
せめて微不利じゃなくて、五分にしてくれ。
私のカタリナさんは、2000試合で少なくとも近Bを2万回以上は振り回した。
その技が、処刑されたのだ。
格闘ゲームの『調整』がどれほど恐ろしいものなのか、私は初めて味わった。
セーブデータが消えるんじゃない。自分が今まで積み上げてきた『努力』が無かったことにされるのだ。
ただ受け入れることしかできない突然の交通事故に遭ったような気分だ。
有名プロゲーマーが「なによりも調整を恐れている」という発言をした際に、私は「そういうものか」と思っていた。
弱くなったキャラを捨てて、すぐに強いキャラばっかり使う人のことを「キャラに愛着がないんだなあ」と思っていた。
バカだった。
私のカタリナさんは、間違いなく近Bを主軸に攻め込むカタリナさんだった。
だけどもう、そのカタリナさんはどこにもいない。
別物だ。
「でもどうせ弱体化されるんだろう」という想いを抱いて、遊んでいくのだろうか?
ただ、ひとつだけ言わせてほしい。
ありがとう、カタリナさん。
あなたのおかげで私は、強くなるために努力することの大切さを知りました。
あなたのおかげで私は、格闘ゲームの楽しさを初めて知ることができました。
あなたがいなくなったグラブルを愛せるかどうかは、まだわかりません。
もしかしたら別の恋人を見つけて、恥知らずにグラブルを続けるのかもしれません。
ありがとう、カタリナさん。あちらへいっても、元気に近Bを振り回してください。
まあいうて、新しいカタリナさんでも、それなりに戦えそうではあるんだけどね……。
操作感が変わる調整は、やっぱつれぇわ…………。
床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。
物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事を休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場を転々としていたのを覚えている。
一つの職場に留まらず、職場を変えるものだからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間で喧嘩していた。
それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。
でもほとんどがお金の問題で、まだ小学生の自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。
父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。
その車の中でもお金の話で揉めていた。
夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。
両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。
今も昔も趣味はゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコンが仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。
コンポジットケーブルの繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ。
小学生になって私以外にもゲームが好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。
父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。
「F1 RACE」https://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満」https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。
でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀」https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。
幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲームに理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。
ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。
小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。
私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。
パズルゲームはスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。
どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママが喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。
その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し
放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフトに気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。
その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。
母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋な手段として盗みを働いたつもりだった。
盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校を卒業するまで一緒に遊んでくれた。
夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。
正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。
とうとう父は働かなくなってしまった。
マンションに引っ越し、中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。
妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。
あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。
母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。
初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。
ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンションの駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。
私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。
そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。
家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。
でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。
養育費は二人分。私と妹が高校を卒業するまで。その養育費も最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。
私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの・必要なものは自分で賄った。
アルバイトというのが地元のショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナーや社員のおっさんにとても良くしていただいた。
絵を描くのが好きと知れば誕生日に画集や画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。
ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。
私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。
でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。
本当に「うわーーーーん」だった。
私は高校を卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)
母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。
スーツ用意しなきゃねとも言った。
高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。
そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。
どきっとした。
わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。
「勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」
ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校にデザイン学科があるよと教えてくれた。
資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。
「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」
その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。
それでも母は奨学金の手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校でデザインの勉強をすることができた。
2年制だったから、うんと居残ってphotoshopやillustratorを覚え、プレゼンの勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社)
もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセンで音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが
無事社会人として安定してきて、switchとスマブラで友達と遊んでいた時の事。
友人と二人でいろんなキャラをオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで
「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。
これは高校生の時よく遊んだ「スーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。
格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと
幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。
ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格が明るい人間になってしまった。
なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども
なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。
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今。妹は素敵な旦那と結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスにぽぽちゃんのベビーカーとポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。
妹は育児に四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。
私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らしを満喫し、フラダンスにハマった。
父はしらない。
>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭的心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った
金銭的な事情はきっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。
その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。
今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう
まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。
>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね
>落ちがないのがなんかいい
落ちてないから落ちがない…という落ち…
たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい
ありがたや