はてなキーワード: フィリピンパブとは
〇〇駅。快速列車の止まらない、□□□□から×××湖の方向に30分の駅だ。
×××湖をレンタルサイクルで観光しようと予定していた私は、雨の予報に出鼻をくじかれ、仕方なく歩いて散策しここへたどり着いた。
〇〇駅の待合室で心地よいけだるさを感じる。
目をつむり椅子に掛けていると背後の窓から風が髪をなで、脇を通り抜けてゆく。
交通ICに対応していない古びた待合室はふとすれば過去の一時を切り抜いたような感覚が起きる。
待合室には多言語のQRコードのついたポスターが申し訳程度に張られ、ここは現代だとささやかな主張をしている。
窓枠には「ご自由にどうぞ」と駅ノートなるものが立てかけられている。
5月に設置されたばかりのようだ。
過去に現代を吹き込む方法が過去然としているのがまた趣があり、情をくすぐられる。
民家の向こうの山の上から雲とも霧ともわからぬ靄がゆっくりと降りてくる。
そのゆっくりとした様はまさに、ゆったりとした過去の時間の流れのようだった。
わずかに流れ込んだ現代の情報の細かで速い波が大きく雄大な過去に溶けていくようである。
忙しない現代と対照的な街はずれで温泉にでも入ろうかとスマートフォンを手にする。
温泉地らしい△△△△の周辺をGoogle Mapで見ていると、その店を見つけた。
駅表にちらほら温泉や郵便局、薬局などがあり、駅の裏側へ行って少し歩くと川沿いにこのヘルスがある。
妙な立地が酔狂心を呼ぶ。
これはもう行くしかない。いささかのリスクを感じたが、この気持ちになればもはやリスクは特上寿司に添えられたわさびでしかなかった。
△△△△駅を出て目的地へ向かう。
駅周辺は足湯や、和風庭園を模した石畳に木造の屋根が張られた道があり、観光地然としていた。
わずかにぽつぽつと人はおり、気分転換に丁度いい閑静さをもたらしてくれる。
道路が一本で脇に建物はちらほらあるが、人が歩くのは見えず、ますます風俗店に似つかわしくない。
もう少し歩き、ついに目的地に到着する。
築50年ほどの建物の狭い扉を期待を胸にくぐる。
古い銭湯にあるような靴のロッカーに靴を入れ中に入ると、店番をする男性に現在空いている嬢は一人だと告げられる。
一応どんな嬢かプロフィールを見ると、37歳ぽっちゃり系とすべての躊躇わせる要素が揃っていたが、ここまできたのだ。
一度大外れはどのようなものか経験してみたいと思っていたがついにそのときが来たのだろう。
思いもよらないところで訪れたそれを受け入れることで、また一つ新しい世界が見えるだろう。
彼女に対面した第一の感想は、「俺のおかんまあまあ美人だな」だった。
なぜ母が思い浮かんだかというと、彼女と同年代でまた、異性でありながら異性としてみることができない女性という点で彼女と一致しているからだろう。
脳内に母の顔を思い浮かべ、補正を加えながら若返らせていくと、まあまあな美人にすることが一応できる。
目の前の彼女は無理だった。よくて下の上だろう。
ソープではなくヘルスなのが幸いした。手で適当に刺激してもらい出して帰ればいいのだ。
小さいころお母さんに便器にちんちんの照射を合わせてもらったようなつもりで、代わりに出すものを出していくだけだ。
かつてソープがヘルスとして再オープンしたらしい店内で風呂に入り、湯加減を聞かれる。
見た目の第一印象が強すぎて意識の外にあったが、ここで彼女が心地の良い明るい声をしていることに気づいた。
おそらく若いころから美人ではなく水商売で苦労したであろう彼女。
いろいろな努力をしてきたのだろう。
老いとともに多くの積み重ねてきたものが崩れていく中、まだ老いきることなく残された心地の良い発声に何とも言えぬ人生の重みのようなものを感じた。
マットに移動し、ことが始まる。
彼女に対する一種の敬意のようなものは感じはしたものの、相変わらず性的興奮の対象とはならず、機械的な刺激により果てた。
おそらく、中途半端な外れだと性欲に頭を麻痺させて突っ走るがゆえに、それがなくなったときの自分は何をしているのだろうという冷静な後悔が押し寄せるのだろう。
私は性的興奮などせず、じっと彼女の人生の重みについて考えながら機械的刺激により射精した。
賢者タイムへ至るまでもなく、そのプロセスがすでに賢者の悟りを開くそれだったのである。
困難なことを遂げた達成感を胸に少し雑談をする。
それにしても東京というのは遠い。
老いながら、少しづつ都心から離れていきたどり着いたのがこのさびれた川沿いのヘルスというわけだ。
少し話がとぎれもういいかなと思ったところで、荷物を渡され丁度良く帰る形となる。
せめて客の嫌な思いを増やさないようにという気の利き方がそれを感じさせる。
玄関まで見送られ外へ出る。
背中に例の心地よい声がかけられる。
大外れとしての距離感を保ちながらも、もしかしたらあるかもしれないわずかな再指名の可能性のための痛々しい努力だ。
風雨にさらされボロボロになった羽を必死に動かし飛ぼうとする蝶のようだ。
地元の人であろう軽トラックに出てきたところを見られ、少し恥ずかしい気持ちになるが、すぐに恥ずかしく感じたことそのものをまた恥ずかしく感じる。
自分のおかれた状況で一生懸命生きている彼女に申し訳ないような気分がした。
出ると入ってきたときには溢れる欲求で見えていなかった周りの建物が目に入る。
朽ちたかつてフィリピンパブだった建物に、もはや何の店だったのかもわからないガラス張りの建物。
その横の看板は古臭い文句で何十年も前から性の街の魅力を男たちに語り掛けているのだろう。今はもう一軒のみとなった性の街の。
かつて温泉街の横で栄えた小さな夜の遊び場は、ほとんど消滅していた。リトルグレイを除いて。
古くなりきえゆくものの最後に残った店の看板が照らされ光っていた。
〇〇の宿に向かう前に温泉へ寄る。
★★湯の大きい古い建物に入ると、風呂への廊下に隣接して居間があるような奇妙なまどりで、ちゃぶ台をはさんでサザエさんを見ながらくつろぐ老婆に出迎えられた。
マスクをせずに300円を要求する様はまるでここでは違う時間が流れているんだといわんばかりであった。
同じ東京に住み、年齢とともに現代から過去の場所へ流されてきた彼女と過去へ憧れ迷い込んだ私は出会った。
少子化って嘘なんじゃないの
国外で孕ませ逃げしてるだけ説
弱者男性なんて嘘だったんだ
騙されてたわ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231226/k10014299411000.html
「父に会い、ただ抱きしめたい。元気にしていたか聞きたい。お父さん、私を見て、私はここにいるよ」
涙を流しながら、カメラレンズの向こうに父親を呼びかける若者。
JFC=ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレンと呼ばれる日本人とフィリピン人の間に生まれた子どもです。
バブル期以降、フィリピンパブなどに短期で出稼ぎに来ていた女性と、日本人男性の間に生まれ、父親に養育を放棄されて母子家庭としてフィリピンで育ってきた子どもも少なくありません。
両親+娘(私)の三人家族。
父は、昔の写真を見るとやんちゃだった感じがする。本当か嘘かは知らないが、ジャニーズの書類審査が通ってオーディションを受けたことがあるらしい。まあ本当か嘘かは知らないが、信憑性があるくらいは異性に人気があったらしい。
そんな父は、私が生まれてからも、年に3,4回くらい、会社やご近所の人と飲み会をして、二次会でフィリピンパブに行って帰ってきたりしていた。
バレンタインになると、会社の人から貰ったというゴディバの高そうなチョコも毎年我が家の食卓にのぼった。ついでにタバコ吸うしお酒飲むし車好きだしお洒落に興味があるし2ヶ月に一回床屋に行ってた。チャラすぎだろ。
私はそんな父を、不良とまではいかないまでも、なんかチャラついてるなという印象をもっていた。別に今も昔も父としては好きだが、伴侶にするにははこういうチャラついた人間は嫌だなと思っていた。
しかし、自分も大人になって、自分自身も恋愛をしたり、周りの人間の話を聞いていると、父は家族が好きだったし、別にそこまでチャラついていたわけでもなく、むしろ伴侶としてもまともな類だったのだと気がついた。
どんなに残業が遅くなっても、母と喧嘩をしても、決して外泊することはないどころか、外でご飯を済ませることもせずに必ず家に帰ってきて母の作った夕飯を食べていたとか、休みの日は必ず家族と出掛けている(近くのイオンとかだけどね)とか、飲み会も、多分あの頻度なら忘年会と歓送迎会くらいしか参加していなかったんだろう。
定年して、私が一人暮らしを始めてからも、毎週母とご飯を食べに行ったり映画を見たり、楽しくデートしているようだ。週末にはいつもラインでそんな報告が届く。
多重派遣プログラマを20年以上やっていた就職氷河期高卒増田が出会ってきたパワハラ上司、パワハラ顧客たちの記憶。全部昔の話。
増田が結婚した時のこと、新婚旅行で1週間休むと伝えたら「派遣社員なのに結婚するんだ?」と高笑いした某銀行システム部の50代社員。
そうなんすよーと答えつつ、ホントにこういう奴っているんだ!と感動した。
タクシーで帰ることが認められていた。
プロパーのリーダーは毎日15時すぎに出勤して24時にタクシーで帰るのである。
私は朝9時に来て、毎日21時~終電あたりで帰っていたが、タクシー男、自分より早く若者が帰るのが気に入らない。
ある日嫌がらせで、後に聞いた話だと「あいつは絶対出来ない」と他者に語っていた課題を渡された。
アホくさいのでその後は毎日昼すぎに出勤してタクシーで帰る生活にした。労働時間はさほど変わらなかったが何も言われなくなった。
ゴルフ経験者増田。若手の時は手取りが17万円なのに、参加費が4万円(名門コースのプレー代込)かかる年2回の自社ゴルフコンペにしつこく誘われた。
出向先に総務部長、常務、社長から電話がかかってきて、最終的にはゴルフをやれるほど給料貰っていないと言ったが、1度、老いた会長のキャディをやらされつつ回ることになった。
その日のコンペの準備も当然全部若手増田。楽しさなど微塵もない。苦行。
現場に入った直後、いきなり仕様書を渡され今週中にやれとだけ言われ、他は何も教えてくれない。
今であれば開発環境、システムの概要など現場に入ってまず何を見れば良いか解るが。
まず何をどうしたら良いかを尋ねるとブチギレ。他の社員に助けられる。
「田舎に帰って頭の使わなくていい缶詰工場で働け。業界にいたら迷惑だ」
強く叱責された後、地下鉄の電車に飛び込みそうになる自分が居た。
その10年後、別な現場の上司(プロパー会社の社員として転籍していた)として缶詰男が登場。
だが仏のような性格に変わっていて、当時の俺は頭がおかしかったと謝られ、2人で昼飯を食う仲に。
だがそのおかげで他人が死にかける事もある。
不具合多発のシステムの開発現場、SEを奴隷としか思っていない顧客システム部。
その中で25歳くらいの女性がいたが、まだ若手なのでシステムの知識が浅い。
顧客システム部の方針で指摘をいくつか上げなければならないのか、ドキュメントの語句のどうでも良いツッコミが多い。無駄なテストのやり直しも多数要求。そして性格が偉そうでヒステリック。周囲も止めないしわりと偉そう。
開発側にメンタルを壊される人間が現れ、一次受けのSI会社の営業が「お前が〇〇を壊したんだよ!!!」と客である姫にお前呼ばわりで超ブチギレ。
というPJの端に目立たないようにして座っていた。
リモートワークになった時、自堕落な増田が働いているのか、下手すると1時間おきに起きてます?働いてます?と聞いてくる年下現場リーダーがいた。
全く失礼なやつだが、わりと寝てたし、仕事してるときもアニメ見ながらプログラム書いてた。ごめんな。
これも20年前の話。
某巨大システムの現場の打ち上げ、1次会は普通に居酒屋だったが、二次会に連れて行かれたのがPMの大好きなフィリピンパブだった。
逃げれず、自分の前についたのは20歳の若い子だった。 だが、日本に来たばかりで日本語が喋れない。増田はコミュ障で喋れない上に英語が喋れない。今みたいに携帯で翻訳も出来ない。
次に行くぞ!の号令が聞こえた時に逃げ帰ってきた。
ちなみに支払いは大手SIの会社の若手が入社時に貴族カードを持たされていて巨額の支払いが来たと言っていた。
銀行システム部に出向(立場上は銀行員側になる)した際、海外の支店のシステム担当と毎日英語でやりとりをしなくてはならなくなった。
私は英語だけは本当に出来ないと伝えていて、出向する際はプロパーの営業から英語以外の仕事で大丈夫と聞いていたのだが、現場のリーダーにその事を伝えてみると、「そんなの(英語を使わないのなんて)許されないですよ」と笑顔で即答された。詐欺だ。
プロパーの営業に文句を言うと、ごめんね。じゃあがんばって。との返信。詐欺だ。
翻訳サイトを使い、泣きながら英語で文章を書いたが、高学歴の銀行員に文法の怪しい英語を嘲笑されつつ英語のメールを描き続けた。
とある現場の大手SI企業の40代後半リーダー、金曜日は早く帰って沖縄に発ち、月曜日の早朝に東京に戻って来る生活をしていて、月曜日は毎週のように雪塩ちんすこうをくれるのである。雪塩ちんすこうすき。
プロジェクトが終わった時には増田、韓国人中国人の部下達へ、南青山の高級フレンチで自腹で奢ってくれたりした。
人生楽しそうな人であった。仕事の振られる量も的確で嫌な空気になったことも無く、ほどほどの緊張感もある良い現場だった。
自腹で奢るのが良いという話では無い。
今は派遣プログラマを卒業して起業し、全く別の業種で働いているのだが、それから何故か更に8キロ太った。おかげで高血圧。
もっと酷いことが色々あったはずなのに、辞めてから2年以上経つともう記憶があやふやだ。
どうやら喉元を通り過ぎてしまったらしい。
最近フィリピンパブにはまっているのだが、5歳年下のフィリピーナと体の関係をもってしまった。
彼女は25歳で未婚、子無し。期限付きのビザで働いているのであと3か月しか日本にいられないらしいが、毎週月曜日の定休日は俺の家(単身赴任中)に来てそういうことばかりしている。
彼女は俺に家庭があることを知っているので、俺と結婚したいとか、お金が欲しいとかではなく、単に好きだからセックスだけしたいらしい。ちなみに俺は体の関係を持ってから彼女のお店には行っていない(他のお店には行きまくってる)。
もともと妻とはレスの関係で、それに不満があったし、若くて可愛くてセックス好きな彼女に心が揺れ動きつつあるんだが、どうすればいい?
私はとある日系企業の駐在員としてフィリピンの某地方都市で働いている。この国では女性の方が男性よりも働き者で、私の同僚も女性が圧倒的に多い(比率は8:2ぐらい)。
女性優位な職場というのと、フィリピン人のオープンな気質も相まって、飲みの場では結構フランクに下ネタ系の話をすることも多い。
先日の会社の飲み会では、日本人夫婦のセックスレスが話題に挙がった。同僚の妹がいわゆる本場のフィリピンパブで働いているのだが、そこに来る日本人客のおじさんは、みんな口を揃えて妻とセックスレスだというらしい(狭い日本人コミュニティを見る限り、そもそも単身赴任の人も多い)。
ただ、日本にいた頃から子供が生まれるとレスになり、したとしても子作り目的の義務的なものしかしていない、という日本人おじさんの話にフィリピン人同僚たちはみな驚いていた。
彼女たち曰く、セックスに付き合うことは妻から夫への愛情表現の一つであり、夫を愛しているなら例え自分にその気が無くてもセックスするのが妻としての義務だという。
セックスレスの場合、夫が浮気したとしても妻がそれを責めることなどできないと言っていた。男の性欲はコントロール不可能なので、誰かが発散させないといけない以上は、妻がそれを担おうというもの。
日本人はセックスというのを必要以上に神格化(大変なもの)だと捉えている節があるが、フィリピン人は結婚した以上は暇つぶしのレジャーの一つぐらいに考えているようであった(カトリック主流の国なので婚前交渉には結構うるさい)。
私はまだ独身だが、今後結婚するにあたり、このフィリピン人スタイルを採用するのはめんどくさいな~という気持ちもありつつ、男の性欲の底深さにうんざりした。
こういう境遇の人も多いんだろうなあ
群馬県高崎市出身。両親は高崎市内で「フィリピンパブ」を経営していた。家族経営の店だったが、バブル時の好景気に乗って事業は拡大。最盛期には4店舗ほどに増えていた。ただ、フィリピンパブを営む家業には複雑な思いもあったという。
子供時代から歌うことが好きだった。お店のステージで、フィリピン人ホステスたちに囲まれて歌うこともあったという。
だが1989年にバブルが崩壊すると、日本全体が大不況に飲み込まれて行く。それにともない、彼女の人生も一挙に暗転。実家が経営するフィリピンパブは倒産。父親は多額の借金を抱え、一家は貧困生活を余儀なくされた。
父親は働いたが、多額の借金はなかなか減らなかった。身体の悪い母親まで働いていたが、家にはお金がない。それを見て、高校中退を決める。
「お金がない中でも、どうしても海外留学したいと思ってたんです。ただ留学費用は自分で稼ぐしかなかった。高校に通いながらバイトする程度では、とても留学費用には足りない。そう思って、高校は1年で中退しました。誰にも相談せず自分で決めました」
三人兄妹の末っ子。上に兄と姉がいるという。
ただその兄姉をはじめ、家族内の雰囲気に、幼い頃から「違和感」を感じていた。
「お父さんは私には優しいんですけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんには、無茶苦茶当たりが強くて……。小さい頃、『お前はうちの子じゃないんだよ』と言いながら、お父さんがお兄ちゃんを殴ったりとか、『お前は川から拾ってきた子供だ』って言ったりとか……」
彼女には優しい父親が、なぜ兄と姉には辛く当たるのだろうか……。子供のころはまるで理解できなかったという。
「末っ子だから、私だけ可愛がられてるのかなって思ってたんですけど……」
その後、大人になった偶然突き付けられた真実は、想像していたような生易しいものではなかった。
「20歳の時に、パスポートを作ることになって、手続きのために戸籍謄本が必要になりました。当時は上京していましたが、謄本を取りに、高崎の市役所へ行きました。その時間違えて、私個人のじゃなく、家族全員の戸籍謄本を取っちゃったんです。それで、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、私とはお父さんが違うことを初めて知りました」
一方、彼女は父親の実の娘で、兄と姉とは「種ちがい」の関係だった……。
衝撃的な事実ではあったが、兄と姉に対する父親の態度に、ようやく納得がいったという。
「戸籍謄本を見て、速攻でお母さんに電話しました。『お兄ちゃんとお姉ちゃん、お父さんが違うんじゃん! なんなら離婚もしてるじゃん』と。そうしたら母親がこう言ったんです。『今の時代、バツ2バツ3くらいついていないと、やっていけないんだよ』と。あまりに予想外の返事すぎてビックリしました(苦笑)」
「私のお母さんって、ある意味で肝っ玉母さんタイプっていうか、変に逞しいところがあるんです。私がAVを始めた時も、止めるどころか、『あなたの人生なんだから、好きにしなさい』と。
戸籍のことも、いずれ時がきたら自ずと知ることになるし、その時になったら話せばいいと思っていたそうです」
元増の妻はフィリピンパブ勤務の人だったの?