はてなキーワード: クローズアップとは
中1の子がイジメで殺されたら、マスコミは直ぐに挙って「今の子供達の闇」と題して特集する。
そもそも子供達に闇を教えたのは大人だ。
クスリもゲームやアニメですらも大人が買い与えなければ、それらの知識を得る事が出来ない。
事実、海外でそういった環境がない地域の子供達は大人の言うままに労働力として農場に出ている。
大人が与えたものを享受しているに過ぎない子供達に対して、何が闇だというのだろうか。
殺人が起きれば当然当事者同士の問題なのだけど、マスコミや政治家、世論は直ぐに「今の子供達」を
このように子供達の現状を特集し批判した所で、何かが変わるでもない中で何十年も繰り返し子供による重犯罪が起き続けてしまっているのは
マスコミを始めとして誰も子供達を救わなかった現実がそこにあるからだと感じている。
制度化して直ぐに子供を救える環境作りをしたり、マスコミによって子供に危険である事を悟らせる番組作りをし、
また世論が子供達を誤った方向に向かわせないように十分に教え指導するべきだ。
マスコミの印象操作、政治家による洗脳教育、世論あるいは親のネグレクトが表面化している今こそ現状を顧みて子供達を闇から救い出す手はずを整えるべきである。
※追記1 なんで書いてからちょうど一年後にこの記事がブクマを集めてるの。コワイ
そもそも構図に注意して日本のドラマとか映画を見ていると、クローズアップショットがひどく少ない。
追記: http://youtu.be/pOGXSFK3Xsw
こういうの。
フルショット(全身)
クローズアップ(顔のアップ)
(イメージわかない人用に参考: http://kamishiba1.exblog.jp/17769391/ )
日本のドラマ(映画)は近づいてもバストショットで、クローズアップ=頭の上と下が切れているレベルの近いショットが無い。
一方で海外ドラマとか洋画ではかなり多用されている一般的なショットなんですよこれ。
皆気をつけて観察してみて欲しい。
ほんとに無いから。
クローズアップショットの効果は情報をそぎ落とし集中させ、緊張感を高める、とかだろう。
ちなみに近いショットで顔が歪まないように中望遠で撮ると自動的にシャロウフォーカスになって情報が更に削ぎ落とされる。
そもそも奴らには映画的な演出ができてなくて、ニュース的に全体が何となく写ってれば話は伝わるよね、っていう安牌なショットばっかり撮ってるんじゃないかなあと。
ネット民の間では、嫌韓の意図を純粋な愛国主義から生まれたと思ってるようだが、事実は違う。
嫌韓という一コンテンツとして盛り上がりを見せてるが、実際行われるそれに類するデモは日本国内のみである。
という事実に基づいて考えると、これらは実に天邪鬼で内弁慶、そして独り善がりであり、韓国国民への排斥運動といっても
要するにこの一連のデモはデモンストレーションつまりパフォーマンスなのである。
桜井誠という経営者はいち早くこのビジネスに飛びつき成功した。
そして今この利権に飛びつこうとしてるのが自民党で、最近は閣僚が在特会と繋がりを持ったりネオナチと関係を持ったりしてるのも
嫌韓というビジネスはこれからも大きくクローズアップされるはずであろう。
だから、叩かれば叩かれるほど盛り上がりを見せる炎上マーケティングの一つとして儲けとしてこの使途不明の戦いが繰り返されるのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20141003223323
なので「男は」という主語ではなく「俺という男と観察範囲では」くらいになるんだが、その範囲の男は、自分のできることは女出来なくてもいいと思ってるんだよ。
自分に収入があれば結婚相手にはなくてもいいし、自分が火事できれば相手は出来なくてもいいし、自分が財務管理できれば相手は出来なくてもいいし。
レーダーチャートの話で言えば自分がどうこう相手どうこうよりも、結婚後二人の出力を合計してそこそこ弱点がなければいい。
(仮に弱点があっても補強手段があればいい。食器洗浄機とかドラム式洗濯機はその補強手段の代表例)
そういう観点で考えていくと、結婚相手に臨む条件としてはあまりクローズアップされないけど「健康で頑丈で無病息災っぽい」ってのは結構ポイント高いよね。
ども、質問に先立ちまして、当委員会の藤江先生の御冥福を心からお祈りしたいと思います。
ことしは、言うまでもなく国連が定める国際先住民年であります。少数先住民族に対する人権の保障、あるいは民族の伝統文化や生活様式の保存、継承は言うまでもありません。我が国のみならず、今や国際的な課題となっております。世界的にこの先住民族問題がクローズアップされたのは、歯どめのきかない自然界に対する開発政策への警鐘といいますか、反省、見直しを求める声があったからだと思います。昨年採択されました環境と開発に関するリオ宣言第二十二原則でもそのことがうたわれております。先住民の文化及び利益を認め、持続可能な開発の達成に向けて効果的参加を可能とするように、こういうふうに明記されております。
アイヌ民族が北海道、昔は蝦夷地と呼ばれておりましたが、樺太あるいは北方領土を含む千島列島に和人よりも先に住んでいたという事実をお認めになりますでしょうか。
○国務大臣(河野洋平君) アイヌの方々が古くから住んでおられたということは、文献その他から見て通説となっていると承知しております。
○中尾則幸君 そうしますと、繰り返しになりますけれども、先に住んでいたということは長官も認められました。つまり、先に住んでいるということで先住民族であると。これは社会党を初めいろいろ私どもがたびたび国会の場で論議してきたところであります。この国会審議の場で河野長官は、国際的定義がいま一つである、はっきりしないと繰り返し答弁されてきました。これまでの経過の中で、アイヌ民族を少数民族として政府が認めるということは聞いておりますけれども、歴史的にも先に住んでいた、つまり先住民であることは、これはもう明白な事実であります。
なぜ政府は独自に先住民としての定義づけをしないのか、結論を国連の場に求めるのか。判断を先延ばししているのじゃないかと私は思うのでありますけれども、その理由は何かお聞かせ願いたいと思います。
○国務大臣(河野洋平君) 今先生もお話しになりましたように、私どもはアイヌの方々が古くから住んでいるということは文献等によって承知しておりますが、先住民族という言葉の持つ定義というものが幾つかに分かれている、あるいはまた国際的な定説がないということから、つまり国際的な定説がないままにそうした先住民族という言葉を使うということには躊躇せざるを得ないものがあるというのが我々の率直な感じでございます。
今先生御指摘のように、古くから住んでいた、それはすなわち先住、先に住んでいたということではないかというふうにおっしゃいますが、古くから住んでいたことを我々は承知しておりますが、先住民族という言葉でそれを表現してしまうと、先住民族という言葉それ自体が持つ国際的なさまざまな議論がございまして、もうこれは先生十分御承知のとおりでございますが、そのどの定説に当たるかによってこれから先の言ってみれば権利義務の問題その他に絡んでくる、あるいは誤解を招きかねないということがございますので、私どもとしては古くから住んでいることを承知しているということでお答えを申し上げているわけでございます。
○中尾則幸君 長官の今までの御答弁、衆議院の予算委員会等でも同じような御答弁なんですけれども、私はちょっとここでもう一言伺いたいのは、先住のことについては認める、ただ長官がおっしゃるのは権利、いろいろな権利が発生してきます。その問題を長官は言っていると思いますけれども、私は先住権について言っておらないのであります。
先住民族としてまず認めない限り、今までのウタリ対策については非常に後退している。長官も御存じのように、アメリカあるいはカナダ等先進諸国ではいろいろな州法をもって保護あるいはいろいろな権利を認めているわけです。ですから、先住権となりますとこれは長官のおっしゃることも私はあろうかと思います。しかし、先住民族としてまず指定をすべきじゃないかと私は思っているわけです。先住権と同一にする理由はない。もちろん先住権についてウタリ協会も私どももあるんだというふうに主張してまいりますけれども、その入り口の先住民族であるという認定、これは政府独自の手でやるべきじゃないかと私は思っているわけです。一言お答え願います。
○国務大臣(河野洋平君) 私どもとしては古くから住んでおられた方々に対して、それなりのと申しますか我々としての思いはございます。しかし、これは委員が十分御承知のとおり、国際的なさまざまな議論が今、とりわけことしはそうした議論の年でございますからさまざまな議論があって、これを国際的な通念として固めていくという議論が行われている年でございますだけに、私どもはその議論の間でもう少し慎重に我々なりに議論をし、国際的な議論との関係についても慎重に検討する必要があるのではないか。これは日本の憲法その他とのかかわり合いもございます。そうしたこともあって慎重な検討が必要ではないか。
これも私は恐らく先生と同じ気持ちだと思いますが、古くから住んでおられて経済的にも大変御苦労をしておられるこうした方々に対する思い、気持ちというものを私は持っております。持っておりますが、そのことと国際的な議論との間には少しまだ検討しなければならない余地があるのではないかということを事務当局がこの問題をずっと議論をし研究をしつつある中で感じているわけでございまして、私は古くから住んでおられることを認め、そしてこうした方々が今非常に厳しい環境の中におられるということも私自身は承知しながらも、固有名詞としてそれを使うということについては非常にちゅうちょせざるを得ない状況でございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/126/1410/12606141410006c.html
いっそ毎回新ファッション+ファッションに応じた新技で決めてくれればよかったんだけどなー。
CGの戦闘シーンもさすがに1キャラ2パターンしかないのは少なすぎる。
アイカツにはまだ早いが、少し背伸びしたい年頃の幼女向けってことになるのかな。
いやそれにしてもきせかえ要素的には微妙だわ。
なんか全体的に中途半端なんだよなー。
ネットでは、ブラックな環境で低賃金重労働を強いられるアルバイターとし、主に学生アルバイターを対象としたブラック体質が挙げられる。
一方日経新聞では、普通の労働環境なのにツイッターなどで〇〇の機械とか冷蔵庫の中に入った写真を貼って営業妨害をするアルバイター自身をブラックバイトと総称している。
さて、どちらが真実か。
たちが悪いと感じられるのはやはり後者だ。
しかしながら、前者は学生アルバイトという弱みに付け込んで重労働を課す企業側に問題があり、そのブラック体質がクローズアップされるのは当然だろう。
ところで、どうしてこのような異なる見解が出来てしまったのだろうか、筆者なりに考えてみた。
ネットでは労働者が中心となっているため労働者の視点から見た企業体質の裏側をじっくり見る事が出来る、そういう立場の人間が論じている。
日経新聞のように企業側から労働者を見る、そういうスタンスの新聞であれば、アルバイトの労働環境やその体質を見た場合、どうしてもアルバイトの業務以外の側面を見てしまいがちである。
先日、初めて作った有料のiOSアプリを無料にするキャンペーンをやってみた。
それまでは数えるぐらいのダウンロード数で、レビューもフィードバックも何も無い日々だったけど、
無料にしてみた事で1万ダウンロードぐらい落とされて、レビューもちょっとだけ付いた。で、なんとなく分かったこと。
直感的には、身銭を切って買ったものは批判的、無料な物に対しては寛容的と思うかもしれない。だが、実際は逆のようだ。
金を出したものに対しては、自分の判断が間違っていなかったということを裏付けようとして無意識にポジティブなバイアスが掛かる。
逆に無料なものについては、気楽に手に入れた分だけ、気軽に非難する事が出来る。説明や注意も読まず、すぐにゴミ扱い出来る。
おそらく、手軽に手に入れられる物はきっと手軽に作られたのであって、尊重するに値しないという、一種の認知的不協和があるのだと思う。
この辺は、高級ブランドのメーカーが無駄に高い価格を設定する戦略にも通じている。
これは上と似たような話ではあるし、多くの人が既に知っている事だけれど、無料ユーザーのリテラシーの平均値はちょっと低い。
それもそのはずで、iOSで購入をしようとするなら、クレジットカードを持っているか、iTunesカードを買ってそのコードを打ち込むという操作が必要になる。
キャリア決済出来る国もあるのかもしれないけど、基本的にそれらを完遂するには結構なリテラシーが必要だ。
一方、無料なら単に落とすだけ。それこそ幼稚園児でも可能である。
なので、何らかの知識を前提としていたり、操作が複雑に見えるようなアプリをその手の人達に渡してしまうと、
あっさり「使い方がわからないので星一つ!」みたいな反応を食らってしまう。
レビューシステムについては色々な意見があるとはいえ、未だに多くの人にとってアプリを見定めるフィルターの第一段階になっていることには変わりない。
なので、星一つをいくつも付けられると無名デベロッパーの無名アプリなんかはあっさり殺されてしまう。それってかなり怖いことだ。
自分は知らなかったのだけど、世の中には多くのアプリ値引き情報を扱うサイトが存在していて、
単に値引きしただけで情報をキャッチしてクローズアップしてくれる。
そこで自然流入してくるユーザーは有料ユーザーにはなってくれないと思うけれど、アプリ好きのアーリーアダプターである可能性は高い。
なので、レビューをしてくれたり、今後のアップデートでのバイラルの起点になりうるという点で貴重なユーザーベースになってくれるかもしれない。
特に海外展開もしている場合は、アピール方法が全く思いつかないような国にも自然流入が発生してくれる。
これは語弊があるのかもしれないけれど、例え親しい間柄であっても、それが仮にビール一本分の値段だったとしても、有料であると分かった時点でシャットアウトしてしまう人種が居る。それもほとんどの人が。
開発者の目線だと、どんなアプリにも作る苦労があって、機能から判断して割高に感じるアプリなんてそうそう無いと言えるんだけど、消費者の目線はそうじゃない。
自動販売機やコンビニでは気軽に散財しても、100円のアプリを買う事には慎重で賢くあろうとする人達が存在する。
この辺は作り手と消費者の越えられない壁みたいなものだし、分かりあえない前提で立ち向かわなければならないんだけど、
作った苦労に対価を認めてくれないという現実に無感覚で居られるようになるためには、ちょっと訓練が要る。
無料か有料かということよりも、開発者として何よりも重要なのはフィードバックを得ること。
無反応で消えていくよりかは、バラ撒いて反応を得て学習をしていく事で改善する方が遥かに生産的で、次の企画にも繋げられる。
なので、無料化はマーケティングの一つの手段として、基本的にはかき集めたフィードバックに応じてイケてるアップデートをしたり、どんどん新しい物を作っていくだけである。
どんなアプリであっても、裏にはこんな事を考えて日々試行錯誤している生きた人間が居るという事なんだけど、
自分も含めて、消費ばかりしていると時々そういうの忘れがちだよね、ということで。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140502/p1
結局、こういう問題も都市部の自分には関係ねぇって奴の人口が多いから何も解決しないだろうなと思って将来に絶望してる。
優秀で賢い人間は地方を捨てて都市部へ行き、残ってるのはクズばかり。地方が自力でどうかするとか奇跡だね。
>利便性を受け入れてもダメ、拒否してもダメなら一体どうすれば地方は良かったの?
前半部分は具体的に何を指して言ってるのかわからないが、
「一体どうすれば地方は良かったの?」に対する回答はシンプルで、魅力的な仕事があればいい。
地方の雇用は、仕事がないのをいいことに、クソみたいな仕事、ブラックな仕事しかない。それが一番の問題。
だからみんな東京へ行くんだよ。何でこんなシンプルなことがわからないんだよ?
NHKのクローズアップ現代で解説してるやつも、若年女性をクローズアップしてるけど、
この問題のクローズアップするべきはクソみたいな仕事だよ。企業を叩けないから若年女性に矛先向けてんだろ?
答えはシンプルだけど、どうやってその雇用を創出するかがネックなわけだ。そこを取材して放送しろよ。
IT企業なんか、地理的な問題を解消できるはずなのに東京に集中しすぎだよな。バカなの?
こういう東京へ集まらざるを得ないっていう日本の旧態クソ組織構成のせいでもある。
とはいえ、この問題は別に地方を活性化させる必要もないという方向性もある。日本全体で最適化して
無駄に費用のかかる山村集落などは近隣の地方都市へ移して、そこは廃村にしてしまった方がお金の効率が
良くなるだろう。みんな現状の生活にある程度満足、または地方のことなんか知るかってやつらにも
理解できるだろう。だけど、日本全体を最適化します。ふるさとを捨ててください!って言える政治家がどこにいるの?