はてなキーワード: アウトプットとは
修論締切直前の深夜にこんな駄文を書いているのは現実逃避以外の何物でもない.
私が3年間の研究室生活の中で自分自身や周囲の人間を観察していて気づいたことは,「指導教員の言うことを素直に聞く」人間は安定して成果を出しているということだ.
私は物事を批判的に捉える傾向があり,他人の言説に対してまず疑ってかかるきらいがある.そしてさらにたちの悪いことに,私は自分のしていることに一度でも疑問を感じてしまうと,その疑問が解決するまで手が止まってしまう悪い癖を持っている.かつてこの性格が原因で4回生のときの卒業研究を失敗した経験がある.
学部4回生の研究では,指導教員が適切なレベルの問題とそれに対するアプローチを提示して,学生はそれを黙々と実践し結果を得る中で,手習いのごとく研究の方法論を身につけていくものだと思っている.
当然私にも指導教員から卒業論文のテーマが与えられた.しかし私は論文をサーベイし研究を進めていく中で,「そもそもの問題設定に誤謬があるのではないか?」という疑問を持ってしまったのである.(当時の私が抱いた疑問はどうやら見当ハズレというわけでもなかったらしく,後になって隣接する他分野で私の疑問に答えるようなアプローチが研究されていることを知った)
私は指導教員に自分の気づいた問題点について相談したのだが,私のコミュニケーションが拙いことや,指導教員自身がそのテーマに関して専門外であることもあり,その時は指導教員からどうしても納得が得られるアドバイスが得られなかった.そして私が「この研究には価値があるのか?他に良い問題設定はないのだろうか?」と悩んでいる間に,周囲の同期は順調に研究成果のようなものを出しはじめ,私は彼らへの劣等感から研究室に行くのが辛くなって家に引きこもるようになった.最終的には何とか卒論を提出し卒業はできたものの,私の卒業研究は見事に失敗してしまった.
この時の経験を反省し,修士2回生のとき((修士1回生の間は国外逃亡してた))に取り組んだ新たなテーマでは,私は指導教員の言うことに疑問を抱くことを極力やめて唯々諾々と言われるままの作業をすることにした.すると結果3ヶ月余りで成果のようなものを錬成することに成功し,(レベルは高くないが)国際会議に論文投稿することができた.
何のアウトプットも出せないことに比べると「国際会議に論文投稿した」というのは紛れもない進捗である.指導教員の指示を素直に首肯できず,かといって自分で新たなテーマを打ち立てるほどのサーベイ力も発想力もない私のような人間は,やはり教員の指示に従って黙々と研究を進めるのが正解なのだ.私の失敗は文字通り「下手の考え休むに似たり」だったのだ.
でもその時に出した成果はまさに重箱の隅を突くような,問題設定や手法としての新規性が皆無に等しい研究だった.レベルが低い国際会議だから通ったものの,僕が査読者なら間違いなく落としていただろう.この研究でもやはり私は指導教員に与えられた研究テーマ(というよりも問題設定)にずっと納得していなかった.それには私なりの合理的な理由があったのだが,今振り返ってもその理由は間違っていなかったと思う.この時,指導教員にきちんと反論し,自分の頭で考え抜いて研究に取り組んでいれば,もっと満足のいく成果が出せたのだろうか?
少なくとも自分が研究者に向いていないのは明らかである.就職という選択肢を選んで正解であった.
私は自分のアウトプットと人格を切り離して考えられない人間なので,修論原稿を1字書き進めるたびに自分の修士研究の不出来さ,ひいては自分という人間の不出来さを再確認させられ,物凄いストレスを感じてしまう・・・.
俺もいいおっさんになったが、会社ではそれなりのキャリアになって
引っ張っていく立場になってきた。
最近悩みがあって、周りから学ぶことが無くなってしまっているなと感じている。
もう、威厳のあるおっさんなので、みんな遠慮して言わないし、若い子達は俺の言うことをはいはい聞いてしまう。
それはそれで、楽だしいいんだけど、とにかく学びが無くて、不安になる。
そこでだ。
いろいろできない事ばかりで悩んでいる感じにしていたら、親切な人が教えてくれるようになってきた。
こっちも素直に言うことを聞いてアウトプットをいろいろ出してみた。
そうすると、また喜んで教えてくれる。
こっちはベテランなので、正直チョロイのだが、周りからは優秀な新人っぽくみえるようで、かわいがってくれる。
表面的には元増田の指摘は大筋正しい。
新商品のコピーを、そこらのおばちゃん1000人に書かせて集めたら
存外数個はきちんと機能する物が出て来たりする。
しかしながらこのやり方は確実性と再現性に欠けてしまい非常に効率が悪い。
真に機能する物を適切に選び出す選球眼も結局必要になって来る。
条件の変化に左右されずに、一定のアベレージで提示し続ける事が出来る。
その為に構想過程では、1000とはいわずとも非常に多くの選択肢を検討した上で
最終アウトプットを決めている(ここは経験を積めばショートカット出来る部分ではある)。
同時に、大量の選択肢の中から、最も適切な一本をピックする為の
選球眼やロジックは明確に持っている。
客の無知につけ込んで嘘やちょろまかしを行い、
元増田が指摘するように自身の過去の受注案件を「作品」呼ばわりし、
名声の喧伝にばかり注力する者が少なからずいる事もまた事実である。
そうした「ニセモノ」は一刻も早く消滅して欲しいと
色々勉強法あるけどやな、結局のところ、物理で殴る必要はあるで。
その上で、実際の会話によるアウトプットやな。
なんで、暗記しただけで実際の会話で出て来づらいかというと、
自分の思考や表現と、暗記した内容って、1対1じゃないんやな。
その微妙なズレが、会話という速度感の中だと、決定的なんやな。
だから、実践を経て、インプットとアウトプットのすり合わせが必要なんや。
このすり合わせができてないと、どんなにインプットしてもでてけーへんで。
クラスレッスン(少人数含)は、全くおすすめせーへん。やめとき。
リスニングは、一人で勉強するのなら、ディクテーションとかおすすめやで。
色々方法はあるけれど、tedictはなかなかええ。
https://itunes.apple.com/jp/app/tedict-tedで英語を習おう/id537961396?mt=8
tedictのええところは、内容自体が興味深いもので面白いのと、
色々な英語(色々ななまり、第二外国語としての各国の英語話者の英語など)が聞けるところやな。
英語を仕事や生活で使うようになると、日本の何らかの英語試験で聞かされるような英語なんて、
そうでないなら、他人をどうにかしよう、どうにかできると考えるのは傲慢ではない?
時代により比率は変われど、世の中には一定割合のそういう人が常にいるものだ。
それをどうにかしようとするのは複雑すぎる困難な問題だし、一個人の手に負える問題ではない。
だから政治がアプローチしようとしている分野。そこに、個人が「常識」やら「モラル」やら「病気」やらを説いて、
説得、恫喝、暴力などで人を動かそうとしたところで、それは人権を脅かしかねないゾーンに足を突っ込むことになる。
だから個人レベルの戦略としては、他人を変えようとするより、自分が変わる・自分の環境を変えることが良策だろう。
身内だったら、無理にでも叱ったり躾けたりして家族全員の価値観をある程度統一することも許されるかもしれないが、前時代的な考え方だ。
価値観の多様化した現代においては、一緒に暮らす家族といえどまったく異なる価値観や問題を抱えている。成人ともなれば尚更だ。
そもそも科学的には自由意志が存在しないのが濃厚で、自己の責任というものも存在しえない。
科学的には存在しないものを、社会的に秩序立てるために存在する、自覚しろと言っている状況がある。
不幸なことに人類は脳がたいへん発達しており、はっきりした自意識は持っている。
ただし、自意識を持っているからといって、神経系の全権を自意識が有しておりコントロールできる訳ではない。
むしろ、1%たりとも自分で意図的に脳を動かせる人などいない。腸を意識して動かせる人がいないように、それは勝手に動く。
その脳は、感覚器を通した周囲の環境からのインプットを、肉体的に好悪を選好しつつ電気的に保存しておくものでしかない。
それに基づいて、その人の言動のようなアウトプットが成される。
それを私たちは、自分の意思で決めたのだと感じているに過ぎない。
それでどうして、自己の責任などと言って、一個体にその言動の責任を負わせることができるだろうか。
その意味で、この宇宙には自由意思をもつものなど存在しないだろう(宇宙を創った神のようなメタ存在を除いて)。
諸器官が作り出すハーモニーが自由意志の幻覚を見せているだけで。
脳をハッキングすれば、その人の好みも価値観も発言もコントロールできることは想像に難くないだろう。
そしてそれには、高度な神経科学の技術は必要なく、大昔から、脳のインプット源をコントロールする、
いわばソーシャルハックのような形で世に溢れている。
というか、教育からビジネスまで、人類の営みのすべてがそのソーシャルハックに終始していると言えるほどだ。
その人が社会に出ることを忌避する思考の持ち主に育った原因には、遺伝的(先天的)なものもあるかもしれないし、
育ちによる(後天的)なものもあるかもしれない。現代では特に、後者の影響も大きいだろう。
人間の脳は成長の過程で、外部からさまざまな情報を学習して、そこで個人個人で異なった価値観を形成する。
普段似たような価値観をもつ人たちと社会生活を送りがちな人間は、そのバラエティの深さについて思い至りにくいし、それゆえ寛容を欠きがちだ。
率直にいうと、あなたがもしその30になっても働かない人として生まれ、その人生を0歳から現在までトレースしてみたとき、
彼と同じようにならない自信が持てるだろうか?持てる人は存在しないだろう。
彼のような状況、心境、価値観に至るには、他人とは共有できないさまざまな巡り合わせの累積があったに違いないからだ。
働かずとも生きているということは、養ってくれる存在がいて、愛されているということだろう。
愛されるに足るだけの存在でい続けているんだろう。
扶養者が親であれば、当人への理解も深かったり、あるいは親としての責任も感じてかもしれないが、
家事を手伝ったり、面倒事を代行したり教えたり、体を労ったり話相手となったり、あるいは存在だけで癒やしとなったり。
会社社会の価値基準でみるとそれらは釣り合わぬ価値かもしれないが、その価値基準がすべてではない。
あるいは相続した蓄えで生活しているのかもしれないが、それはそれで認められた権利だ。
ここは社会主義国家ではないから、働けるけど働かないことが直ちに罪になるわけではない。
それぞれの境遇にあったそれぞれの生き方を模索することが許される現代国家の、労働が急速に自動化されていく未来において、
労働に心身と時間を費やしてきた人の目線だと、働いてこなかった人を見下しがちで怠惰な人間だと思うかもしれないが、
人間は無限に怠惰ではいられない。労働市場でただちに評価される形ではないかもしれないが、
オンラインゲームをしながら、最適解を導き出すために高度な関数やAPIを駆使して計算・発表する技術を身に着けていたり、
あるいはチートやクラッキングについてのディープな知識をつけているかもしれない。
そこまで高度でなくとも、ゲームを続けていたならゲームについて人並み外れた審美眼が養われており、
テスターだとかブログのような形で何かの機会に活かされる可能性がある。
他にも、Webコミュニティ(wikiやギルドなど)のメンテといった、有志に頼る、大変だけどお金にならない部分をニートが支えている例は多いのではないだろうか。
ニートとはいえ、労働市場に出るのは嫌でも、人の役に立ちたい、褒められたいという欲求は人並みにあるものだ。
なので人知れず、市場経済にではなく人間社会に対して良いインパクトを与えている可能性を考慮してほしい。
きっと2ちゃんで良識的で穏健な発言をして荒れるのを防ぎ、初心者に優しくしているのもニートおじさんなのだ。
彼らは、働いて疲れて擦り切れて攻撃的になっている社会人のみなさんの棘を受け止めてくれているはずだ。
ニート歴数年とかの駆け出しニートは逆に精神不安定で拙い言動で迷惑をかけることが多いのかもしれないが、
基本的にニートは肉体も精神も拘束されることがないので、金はないが心の余裕があるものだ。
その余裕で人を包んであげたいと思うのは自然なことで、ネットでもらう匿名の温かい言葉のニートによる率は高いと思う。
忙しい人は、そもそも無関心になりがちで、応じるにしても一言二言で短絡的に答えがちだから。
そんなわけで、増田のみなさんには、働かざる人に対して一概に人格否定したり、どうにかしようと攻撃したりしない人になってほしい。
働かざる人を許容できるようになっていかないと、わりと深刻に国の未来は暗いと思う。
ミニマルな環境に適応し、モノやココロの断捨離に自ずと卓越していくニートの知恵袋が、
収縮していく社会で穏やかに生きるためにはきっと役に立つはずだから。
時にはフレンドリーに、いろいろ話を聞いてみてほしい。
よく話せば、誰しも決して無知蒙昧な人間のクズではなく、世界の見方が世間とは違うだけの、いい意味で「普通の人間」だと気づくはずだ。
①おじさんを追い払いたい
③おじさんより自分を選んでもらいたい
④兄弟への連絡は気まずい
ってかんじかな?
結局どうしたいのかをまず増田がちゃんと決めるべき。
私はどうしたらいいんだろう、どうするべきなのでしょうか、と書いているが
ゴールだけは自分で決めろ。どうすべきかなんて、それによってまちまちなんだから。
あと個人的には、名字うんぬんの下りで見知らぬおじさんにきちんと反論できる、泣きながらも話す内容を紙に整理して電話をかけ直すことができる、
好きだった海外の俳優が4年前に亡くなったから気持ちは少しだけ分かるかもしれない
まだ若かったからいきなり過ぎてどうすればいいのか分からなかった。はっきりと悲しみを表せばいいのか、あえて普通に過ごすべきなのかも
公式からも色々サポートをしてくれた(彼が出ていたドラマの1回をしっかりと彼の追悼に割いてくれたり)のもあって、悲しみとなんとか向き合って徐々に日常を過ごせるようになってきた
ただ、当分はずっとどうしようもない気持ちに苛まれてふとした瞬間に涙が出て来ていたし、今でも「なんで彼はそうしたんだろうか」と考える時がある
あまり参考にならなくて申し訳ないけど、とりあえずそんな気持ちになるのは当然だし、また折に触れて気持ちをアウトプットするといいかもしれない、とは思いました
くれぐれも体にはお気をつけて。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.rkYllqnqE#.tmwoo8x80
月曜日が楽しみだ
記事を読んでいるとBuzzFeedの取材が始まっているのをどこからか情報で仕入れた岸が慌てて謝罪をしてきたのであろうクズっぷりが見えて面白い
これ、BuzzFeedが取材始めなかったら、絶対謝罪するつもりなかったよね
岸も秒速アウトプットさんみたいに増田の書き込みとか徹底的に消し始めるのかな~
まあ日本のことだから、どうせ何も変わらずいけしゃあしゃあと岸は活動を続けて仕事もあるんだろうね
こわいこわい
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo
↑
みんなはあちゅうのことが好きたんだなw
mainasuplus「はてなの敵はあちゅうだがこれははあちゅう全面支持。パワハラセクハラ糞人間は一度地獄に落ちるべき。」
ujimusi「はあちゅうに共感したことなどないし確かに考えの浅いアウトプットばかりなのだが、これに関し(以下、省略)」
Lambda_groove「はあちゅう嫌いだけどさすがに同情したわ」
whoge「それでも俺はこの女が嫌い」
ohaan「はあちゅう嫌いだけど岸とか言うセクハラおやじは人間的に最低(以下、省略)」
oganaihsum「はあちゅうにこういう形で暴露されて悔しくて仕方ないんじゃない?はあちゅう嫌いだけど(以下、省略)」
Shin-Fedor「はあちゅうは嫌い(彼女自身が嫌がっている電通的価値観が彼女にも染み付いてるので)だが(以下、省略)」
k_oniisan「はあちゅうは全く評価してないし嫌いだけど、これは気の毒。(以下、省略)」
tecepe「はあちゅうとか言うやつは大嫌いだけど、これは岸とか言うヤツがクズすぎるからもうなんつーか(以下、省略)」
macj_jp「彼女自身もマウンティング系なので好きじゃないけど、事実なら常軌を逸してる。(以下、省略)」
ene0kcal 「はあちゅうは好きではないが、こう言う勇気ある行動は好きだし尊敬する。(以下、省略)」
zanac-ai「はあちゅうは好きじゃないけどこれはあかんな。」
akihiko810「はあちゅうは好きでないが、この件に関してはグッジョブ&がんばれ!」
teto2645「はあちゅうさんは大嫌いだけど罪は罪。ハラスメントさんは全てを失ってほしい。」
dark「はあちゅうは嫌いだけどさ、岸氏は嫌いとか以前におぞましいよな。(以下、省略)」
nibo-c「俺ははあちゅう大嫌いだけど、そんなことは関係なくこれに関しては全面的に応援したい。」
【番外編〜恋芽生える〜】
okaaaaharaaa「岸氏の本や企画をいくつか今まで見てきたけど、それらを見てたことすら腹立たしい。これを公表する勇気を持ったはあちゅうのことが好きになった。」
dobonkai「まさかはあちゅう氏をこんなにも応援したくなる時が来るとは思わなかったけど今回ばかりは全力で応援したい。」
【番外編〜斜に構える〜】
bookmarkmen「はあちゅうは嫌いだけど、「はあちゅうは嫌いだけど」を枕詞にして電通批判するやつは(以下、省略)」
miyatad「いちいち、はあちゅうは嫌いだが、ってブコメにつける意味がわかりません。」
【番外編〜俺たちはブレない〜】
tetora2「男disでメシ食った事もあるライターがセクハラされたと言われましても。お前も世の男に対して広くセクハラしてるじゃねーか。広告業界ってこーゆーネジが数本飛んでる方々の集まりだろ。 」
karma_tengu「岸氏に非があるのは間違いないが、それはそれとして日頃童貞煽りをして炎上マーケティングしてる人間に毛ほども同情の念が湧かない。それもセクハラちゃうんか? 」
【番外編〜THE上から目線〜】
日本の文化性と精神性は明らかに外国の人に喧嘩売ってるとしか思えないですよね。いくら国民性の問題だとしてもちょっとこれは理解されないんじゃないのかと。
欧米の感覚でも中韓の感覚でもそうだと思います。しかし、日本のセンスではオタク萌えやヤンキー精神がアリになるんですよ。それが子どもの頃はよくわかんなかったんですが、30代になってだんだんと理解できるようになりました。
日本は経済大国ならイメージすぐありますが、文化大国イメージってアメリカや中国などの影響強すぎて外から見るとなぜ急に日本になるのかをまず先に噛み砕いてからじゃないとそれすっとばしても何だかよく分からないかもですね確かに。理屈をすっ飛ばして精神に訴えるんですよね。「島国根性」「ヤンキー精神」の土地です。あなたが外国人ならば気付きやすいですが、学校とかでもインテリが妙にマッチョイストだったり。変な意味での夢を見たがるんです。カルチャーショックもありますよ。
むしろ台湾や韓国の人のほうがうまくできていると思います。マッチョイストじゃないし、理屈が合って相互がそれを精神にまで受け入れられる過程が文化でもよく表現されています。工業製品も日本よりしっかりしています。
あとイメージ的に昔でいう「ハングリー精神」のようなノリが日本にはないと思います。新しい産業とかに行っても妙に首を洗って待っている感じですし、だらだら残業とかしている感じ?
世代と人種が違うのかも知れませんが、20年前東洋でよいイメージの人間といえば日本人でした。いつの間にか中国・韓国人がそのポジションに居座ったわけですが、いつの間に替わったのだろう?その理由は日本社会の成熟と中韓の躍進でしょうねえ。それと、長期不況を日本が経験したからなのではないでしょうか。
根性論は外国人が一番理解に苦しむやつですね。急に想像で会話をやられてるみたいで結果が末恐ろしいです。
外国人から見ると、日本人の言っていることがわけわからないことが多くて謎だったんですが、そう考えると腑に落ちるでしょう。外国人は論理の話をしていても、日本人は感情として判断されてしまう。アウトプットだけ示して肝心の道のりを提示しない…などなど。数学をイメージするとわかりやすいです。
でも、いずれにしても文化も仕事も学問もゴールではなく、途中過程を示すことにこそ価値があるわけですよ。そのへんの推し方が弱いのが日本人かなと。
あと日本各地で愛国ポルノまがいの感情論が蔓延していますが、それは外国人は理解できないことだから、最近の東北の米CMよろしくに一人よがりすぎるじゃん。自己完結感が極端すぎると思うんですよ。
ただ一言「日本の○○がすごいよ!」だけ云うても、そりゃたとえば車や二輪車は世界各地多数あるわけでその中で日本のそれらはどういった特徴があってさらにどういうメリットがあってその結果良いのかってのが分からないとただ「とにかく良い!」いうてもなかなかそそられませんからね。