はてなキーワード: 飲食店とは
誰もいないトイレとか飲食店に入ると後から後から人が集まってきて混雑するし、空いてるはずの道でも前後左右を取られてボンバーマンみたいになる。
レジにほとんど人が並んでないのを確認して目を離し、数分後に並ぼうとすると長蛇の列になってた。
P2Pファイル交換ソフトWinnyを経由して感染するWORM_ANTINNY.Aやその亜種が生成するファイルに含まれていたJPGファイルに写っている男。ファイルサイズが9152バイトだった為、「9152バイトの男」と呼ばれる事が多い。男の素性は全く知られていない。
※参考情報
WORM_ANTINNY.A(発見日:2003/08/13)
155×144ピクセル(恐らく2002年前後当時のQCIF液晶を使った携帯電話用の待ち受け画像と思われる)、8ビットカラー。2002年10月19日発売のTu-Ka TT22(東芝)だとビッタリ。
ユニクロのフリース(赤色)の様な物を着ている(1998年発売、1999年前後に爆発的にブームが起こった)。
リュックサックを背負っている(2004年頃までは秋葉原のオタクの必須アイテムであった)。
細い金属フレームのメガネをかけている。比較的厚いレンズの様に見える。
「Love Beer ?」キャンペーン(サッポロビール、黒ラベル。2000年~2005年)ののぼりが写り込んでいる
光の写り込み具合から、夜間に、かなり明るい照明のある店舗(飲食店)の前での撮影と思われる。
幅の比較的細い道(6メータ程度)の、街路樹のある歩道で撮影されている様だ。
写り込んでいる人物の服装から、それ程寒く無い時期(春とか秋頃)の撮影と思われる。
以上の特徴から、ウイルス作成の直近(2003年4月頃?)に、ウイルス作成者に近い人物(またはウイルス作成者本人)を撮影した物と思われる。
やっても意味ないのがわかったのかな、あんなもんやったって効果は一時的だもん
僕もLinePay使っていたけど、スイカのほうがよっぽど簡単だし根付いている
電車に乗るときは必ず使うから、あらゆるキャッシュレスサービスはスイカには絶対にかなわない
どうすんだキャッシュレス?もうここまで投資したからには引けないよね!?
聞いたことあるキャッシュレスサービスでの利便性を向上させる施策って
飲食店で入店するまえに注文支払いしておき、店舗に着いたら商品を受け取るだけ
銀行振り込みだと払ってしまったら元に戻ってこないので、キャッシュレスはサービス会社が間に立って、一時預かりをする
入金機なしで気軽にカーシェア
あと他になにがある?
たとえば姪っ子相手なら勝てるところあるっしょ。
そういう比較的で勝てるところ探したらいいじゃん。
自分は強みがないとおもってるおじさんってたいてい比較先がトップランナーだよな。
べつに一流のシェフじゃなくても飲食店やっていけるような気がする。
自分に強みがないとおもってるおじさんって世界に一つだけの花とか嫌いそうな偏見あるから、こういう考え方は採用しないんだろうな、とはおれは思い込んでる。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48547530U9A810C1MM8000/
このニュースを見たらなんだか急に記憶の扉が開いたので長文を書くことにした。
自分は就職氷河期が直撃した年齢だ。大学のとき、就職課のスタッフが全学生を講堂に集めて「お前らなんか取ってくれる会社があったらそれだけでありがたいと思え!」なんていう講習会を開くくらいに氷河期だった。
確かに自分の周りでは「いかに多くの会社に履歴書を書くか」とか「まぁ俺みたいなゴミクズ取ってくれる会社があるだけ御の字だわ」とかそんなやつが多かった。
自分が大学に入る少し前はリストラだなんだと言って会社はかなりえげつない作戦で人をやめさせて人件費を浮かせ、結果残った人たちが激務にならざるを得ないなんていう社会に移行していた。しまいには今流行ってるからとかそんな理由でリストラに踏み切る会社まであったような気がするが、このへんは現実とフィクションがごちゃまぜかもしれない。
そんな就職氷河期の凄まじさは、しまいには戦略的に留年するとか、大学院に進む人を増やした。なぜなら新卒カードがなくなったら何もかも終わるなんて言うことは当時の学生でもよくわかっていたからだ。いま卒業したら人生終わるなんていう凄まじい時代だ。
そんなわけで企業が学生に対してどこまでも強くなり、大した理由もないのに内定取り消しを会社がやるなんて言うことも結構やっていた気がする(違法だった気もするが平気でやっていた気がする)。
自分たちのちょっと前になるとバブル景気だ。この頃は会社が学生をごそっとハワイとかに連れて行ってアレヤコレヤと接待しまくった挙句にそのまま何もしないで採用していたらしい。バブル世代の社員から聞いたことがある。ハワイはないにしても飲み会に連れて行ったり旅行に連れて行ったりしていい気分にして採用の同意を取っていたそうだ。
本当かよって思うが実際にそうやって仕事を得たと言っていたのでそうなんだろう。
自分たちが何十枚も履歴書を書いて会社を選ぶ権利なんかないんだからとヒイヒイ言いながら会社を回ってどうにか面接にこぎつけて・・・とやっていたのにその目の前に座っている奴らはなんの苦労もなくハワイで採用されていたわけだ。
自分たちのちょっと後になるとむしろ学生が不足していて会社が一生懸命人を雇うようになっていた。彼らは戦略的に自分にあった会社を選んで着実にキャリアを積んでいる。
自分たちなんで「雇ってくれるだけでありがてえでございます!」なんていうメンタリティで仕事を探していた。目の前に座っている学生たちは「僕はやりたい仕事を入社したい会社でしますから」という体で話をしてくる。
なんで自分たちだけが必死に地面に頭をこすりつけて就職活動してきたのか、という疑問は今も拭えないし、なんで会社はそれでも新卒しか取らないのか、新卒で就職を逃したら人生詰むのか、という疑問はある。第二新卒なんていう言葉もできたが、それだって結局新卒以外いらんという会社のメッセージでしかない。
そんな氷河期世代の記憶はあるが、それでも楽しげにやっているやつはいた。だが、自分は幼少の頃から親に植え付けられたトラウマのせいで更に世界に対してネガティブな感情を抱いている。
トラウマというのが何かはわからない人がいるかもしれないが、両親による虐待を受け続けてしまい、感情や行動が歪み、社会で生きづらい人、という感じで考えればいいと思う。みんなそれぞれ生きづらさを抱えているという反応ができる人は幸せだ。そうじゃないんだ。ちなみにトラウマを持たないか軽い人からしたら「どのくらい凄まじいか」は認識できないと思うから余計に苦しい。
両親からやられたことは、かんたんに言うと徹底的に人格を攻撃される、何か意見を言っても徹底的に叩き潰される、親に騙される、親に対する安心感がまったくない、ということを100%の善意でやられる上にやり方がうまくて周りの大人には「いいご両親ね!」と言われてしまうことだ。
このトラウマのせいで自分が世界に持っているネガティブな感情は凄まじい。
褒められたら「なんで誰にでもできることをわざわざ褒めてるんだ?」
同僚に誘われたら「あー割り勘要員ほしいんだよね」
がまず頭をよぎる。ある程度の歳になれば「理屈で」この反応をねじ伏せることもできるようになったが、返事をする頃には完全に疲弊している。「おいxx」「はい、何でしょう」の会話をするために一体どれだけの葛藤や闘争があるかはなかなかわかってもらえない。
「自分から徹底的に絞りたいやつがまた一人増えた」という理解でまず人を見るし、自分がなにか言っても結局みんな潰しにかかるし、否定する、だけど親が言った「信じることが大事」というキーワードで信じてしまう。
あれだけ自分の人格を崩壊させた親の言った人を信じろという言葉をなんで後生大事に抱えてるんだ?と思うかもしれないが、トラウマ、両親によって徹底的に破壊された人格は矛盾を矛盾と感じない。
テストを受けて結果を見せる、普段60点だけど少し頑張って80点とっても取れなかった20点だけに注視して「勉強時間を毎日2時間増やしなさい」というが、テレビなんかで同じ境遇の子供を見ると「私だったら子供が取った80点を褒めてあげたい、勉強は何時間やったかじゃない」と平気で言う。
成績表を見せれば泣き叫び具合が悪くなって寝込んでしまう。自分はわけもわからず謝るしかない。誤ったら誤っただけ善意で滅多刺しにされる。あなたにはもっと頑張ってもらいたい、あなたはやればできるのに、なんで頑張ってくれないの、なんで私の気持ちわかってくれないの、何時間もだ。要は「自分の子供は100点しか取らない、成績表には5しかつかない」というわけのわからない前提で見ているから「100点を取れないことがムカつく、5以外の数字があることがムカつく」ということなんだろう。
でも勉強ができない子供をテレビなんかで見たら「子供の個性が大事、個性を伸ばすようにしないと」と平気で言う。
父親は完全にランダムで激怒する。もう何を言ったら怒鳴られるかわかったものではない。彼は平気で嘘をつく、論点をずらす、自分の記憶を改ざんする、そうして俺をとにかく黙らせて「ハイ論破wwwww」となる。当時の話だからまんま言わないが要はそういうことだ。それについて蒸し返すことはできない。もう徹底的に無視される。自分が言いたいことだけを無理やり相手に納得させる。そもそも「どう反応すればこいつを叩き潰せるか」でしか返事をしないから平気で矛盾したことを言う。30秒前に肯定したことを今否定するなんてことはザラだ。とにかく大事なのは俺を潰すことでしかない。下手に矛盾を指摘すれば更に激怒の時間が増えるだけだ。
一度火が付けば満員電車の中だろうが飲食店の中だろうが徹底的に怒鳴りつける。周囲の目線が痛い。やめてほしい、死にたい、消えたい、という気持ちだけで下を向くしかない。それとは対象的に恍惚とした父の顔、恐怖でしかない。
そうやって育った俺は結局「人を完全に疑ってかかるけど、言われたことを馬鹿正直に信じて実行して痛い目を見るやつ」になった。
どうしてこうなった?と思うかもしれない、だがそうなった。なんの一貫性もない人格。ただただ苦しみでしかない人生。世界で一番信じられないのは自分、世界一醜いのは自分、世界一ダメなやつは自分、自分の笑顔を写真で見ると鳥肌が立つ。なんでこんなに気持ち悪い生き物が写ってるんだ?周りはそんな自分をたまに褒めるが、パニックでしかない。「こんな誰がやってもできそうなことなのになんで褒めるんだ?意味がわからない。むしろやめてほしい、おだてて俺からまた何か絞る気か?むしろとっとと切り捨ててくれたほうが自分の感情と矛盾しないだけスッキリする」
ということを言っている方が安心できる自分がいる。そんな自分が氷河期世代の救済を政府が始めたときいたところで自分の中に構築された論理は「あーあいつらまた美味しい宝の山でも見つけたんだろうな」としか思えない。もし自分が生まれる前に行けるなら、徹底的に自分が生まれないようにしたい。
とんでもない間違いだぁ…こんなの零点だ零点
【また追記】
すべてのコメントや言及エントリにお返事はできないけれど、少し追記したいです。
同じように結婚後の姓に馴染めない、みたいな既婚者先輩の声も多数聞けて、私だけじゃないんだー、と思えてよかった(小並感)。
n年経っても慣れない、みたいなのを読んで、逆に覚悟が決まったのかむしろ気が楽になりました。ありがとうございます。
あとこれは是非言いたいんだけど、ちらほら夫を責めるというか、夫が悪いみたいなコメントが見えましたが、それは違います。やめていただきたい。
現状は女性側が姓を改めるのが「一般的」とされていて、よって私がエントリで書いたような有形無形の負担を女性が負うってケースのほうが件数としては多いのだろう。でも、いざ男性側が姓を変えるってなった時には、(有形の負担は大差ないと思うけど)無形の負担は女性の比じゃないんじゃないかと思う。「なんで?」って話になる機会も断然多そうだし。そりゃ特別な主張がなければ夫側の姓にしますって。
妻側が姓を変えて負担を負いがちっていうのの裏側には、夫側が姓を変えた場合の、馬鹿にならない負担の大きさがあると思うんですよ。だとすればこれは女性差別だ!男が悪い!っていう話ではないですよね。
【追記ここまで】
少し前に結婚した。どちらの姓を名乗るか決めるにあたって、ごく普通に、夫の姓を名乗ることに決まった。
私は夫婦別姓制度については、まあ別姓にしたい人は別姓を名乗れるようになればいいんじゃない?そのうち制度ができればいいよね、くらいの考えで、言ってみれば「他人事」として考えていた。自分がもしも結婚したら、「普通に」夫の姓を名乗ると思ってた。そこまで生まれたときの姓に執着がある訳じゃないし。
むしろ、夫婦別姓のために事実婚とし、子どもが生まれる時だけ入籍、その後離婚する、みたいなスタイルを取っている夫婦の話をテレビで知ったときには、すごく率直に言って引くというか、白けたような気持ちになったりもした。
ラディカルに夫婦別姓を主張する勢に対しての評価は5ch(2ch)なんかでは私が観測する限りではまあ辛辣で、「姓が変わるとか別にノーダメ、名前変わるくらいでそんなに影響があるとか大げさすぎる、旧姓にそこまでこだわるとか頭おかしい」みたいな意見が多勢に思えた。私はそんな論調のスレを見るたびに、「でも別姓も選べたっていいじゃん?」と思うと同時に、自分に関しては「まあ普通に相手の姓でいいけど」と思っていた。すごく率直に言えば、「姓が変わるとか別にノーダメ、名前変わるくらいでそんなに影響があるとか大げさすぎる、旧姓にそこまでこだわるとか頭おかしい」と、うっすらと思っていた。
そんで時は流れ、結婚するということになり、じゃあ苗字どっちにする?という話になった。
(現)夫は、「俺はどっちでもいいけど」と前置きした上で、夫の姓を名乗ろう、と提案した。養子でもないのに妻の姓を名乗るということになると、夫側に何か名前を変えたいような疚しい背景があるのではとかあれやこれや勘繰られるからと。
私もせやな、と至極納得して、我々夫婦は夫の姓でやっていくことに決まった。
私は夫の姓でやっていくことに決まった。
言っておくと、私は元の姓と夫の姓どっちがいいか比べた時に、純粋に夫の姓の方がいいなと思った。まあまあよくある私の元の姓に対し、夫の姓はちょっと珍しい姓であった。なんなら「レア苗字ゲットだぜ」くらいに思っていた。もっと言うと今でもたまに「かっこいい苗字やん…」としみじみしたりする。
という訳で私は姓が変わることが決定し、あと結婚もまず間違いなく決まったと判断し、会社に結婚の予定を報告した。「名前は某に変わりますが、業務上では引き続き増田でお願いします」と伝えた。
私は一介のしがない事務員だが、いくつか特定の取引先を担当していたので、取引先それぞれに「結婚しましたので名前変わりました☆」と言って回るのがめんどくさかったのだ。
ずっと前になるが、今の会社ではなく、新卒で一番最初に入った会社の先輩社員で離婚された女性がいた。同じ頃に別の女性社員が結婚して「名前が某になりました」と通達があったので、私はおそるおそるその離婚した先輩社員に「名前どうなるんですか…?」と聞いた。先輩社員は「いや、苗字は変えない」と答えた(離婚してもそれまでの姓を名乗れる制度があるのはその少し後に知った)。
大して親しくしていていただいた訳でもないのに、今考えるとなかなか不躾な質問に、わりとさっぱりした表情で飄々と答えてくれた先輩の、その後に小さく「最悪だよね…」と呟いたその声を、上司に結婚を報告しながらなぜだか思い出していた。
パスポートを変更し、銀行を4行回り、思ったよりも時間がかかって携帯電話の名義変更はその日はできなかった。
何枚も書類を書いて、慣れてないので(あと私が大変粗忽者なので)名前の欄を旧姓/新姓で書き損じまくり、最初の何枚かは窓口のお姉さんも私も新婚に免じてって感じで「あらあらうふふ☆」ってノリだったのがいい加減私の表情も死んだ。
家に帰って夫に一日の苦労を愚痴ったら、「でも俺が苗字変えたらなんか疚しいことあるのかって思われちゃうからね」と姓を決定した時の理由を繰り返した。
まあ確かにな、と私も思い、とはいえ一日で(仕事休まなきゃ行けない所は)ひとまず手続き済ませられた訳だし、これでおおよそ済んだ訳だし、と、それ以上愚痴を言い募るのはやめた。携帯の名義変更は済んでいない。
ここまでですでに長いが、私が本当に言いたいことはまだ書けてない。
こんなに書いて本題に入れてないのに自分でもびっくりしているが、私が言いたいのは、「思ったより生まれ育ってきた苗字にアイデンティティー持ってました」ということなのだ。
結婚後もそのまま何も変わらず仕事をしていて、業務上は名前変えません宣言をしているので、私は平日の昼間という日常のほとんどを「増田さん」として過ごしている。新姓を使うのは、クレジットカードの署名(名義変更してるから)と宅配便の受領の署名(クレジットカードの名義変更したから通販のアカウント変更したから)くらいだ。
で、それ以外のふとしたタイミングで名前を使う機会があると、いまだに逡巡する。逡巡した結果、旧姓を使ったりもする。飲食店の順番待ちで名前書くときとか。
新姓を使ったっていいはずなんだけど、「クレカや身分証と紐付く場面でもなし、新姓使う必要ある?」と思うと旧姓を書いてしまうのだ。もっと言うと瞬間的に「私増田だもん!!」と思っているのに気づく。
きっと会社で旧姓使ってるから慣れてないんだ、と思う。私はわりと転職してきた人間なので、きっと今の会社もずっとはいない。転職活動の暁には新姓で履歴書を書いて、新しい会社では新姓で活動する。
でもそう考えると、なんか、胸が締め付けられるのだ。
という事実に、怖じ気づいている。
姓が変わるのは自分が自分でなくなる感じ、という言い方は、かつて私が引いていたラディカルな夫婦別姓論者さんたちの言い分ではなかったか。
結婚すると名前が変わるってのは「普通」のこととして広く受け入れられてきている訳だけど、しかしよくよく考えてみれば、名前にアイデンティティー抱くってのもごくごく普通ではないですか?
自分が当事者になってやっと分かったというのも至極トロい話で恥ずかしいけど、このアイデンティティー抱いてる対象が変わるっていう衝撃が「普通」の名のもと受け入れられてきたってのはちょっとすごいと思う。
名前変わるなんて別になんてことない。って言ってる人たちは、一度本当に変わってみて欲しい。って正直ちょっと思うけどこういう論法は反発を感じるよね。分かる。私もそうだし。っていうか私だって当事者にならなきゃわからない気持ちだったし。
まとまらないけど疲れてしまったため急だけどそろそろ終わりにします。姓を変えるってのは、有形(手続きの煩雑さ)無形(アイデンティティーの揺らぎ(こう言うと大袈裟に聞こえるけどそうとしか端的に表現できない))の負担があるんです、っていうのを吐き出したかった。
食べログが信用できないというエントリ読んだけど、そもそも東京都心で4000円で良い店を選ぼうとしてるのが悪いよ。
東京に住んでたら家賃がどんだけ高いか、人件費がどんだけ高いかわかるでしょ。
まれに個人店とかこだわりの店で安くよ良い店があるのは否定しない。
でもそういう店は「友達と集まって楽しく飲もう」というのには向かない。
ファーストフードや回転寿司で味とサービスを求めるのが悪いというのは全員同意してくれると思う。(回転寿司うまいけどね)
いまだに食べログの評価がどうこう言ってるのは相応の値段を払ってないからでしょう。
大人なら最低6000円ぐらいのお店行けばほぼ間違いないし、もしみんなの懐具合が気になるなら店の質は諦めなよ。
食べログは評価者の年収をプロフィールに入れとけばもっと良いサービスになると思うのに残念。Retty は可能性としてはありそう。
とはいえ、友達同士なんだから気軽なお店という希望があるのもわかる。
「安くて良い店」というのは人によって好みがあるのでおすすめするのは難しいんだけど、テーマを絞った店は面白い。
俺は都心のイベントに参加して、テレビで話題の飲食店に行って、森ビルで絵画見て〜、
みたいな東京ならではの余暇、文化資本?に一切の興味や価値を見出していない。
友人夫婦も同じ価値観を持っていて「温泉があって空気が美味しければ土地安い田舎に住みたいよ。仕事見つけるの大変だろうけどね」なんてよく言っていた。
それに同意しつつも「ふたりともパソコン?プログラミングの会社いるんだからその気になれば在宅ワークできねえの?」と思ってた。
世田谷に建てたら5億するぞみたいな、高級貸別荘と見紛うほどクソ綺麗で豪華な一軒家を2500万円で購入してた。
夫婦共働き在宅ワークで1000万円稼げる目処がたったから移住に踏み切ったらしい。
俺はド文系の中小勤めの昭和臭いことやらされてる営業マンだから会社勤め以外の稼ぎ方なんてできない。地方の低賃金なら会社勤めですら生きていける自信がない。
東京なんて都市に愛着も有り難みも感じていないのにただ、まともな待遇の企業の求人が集中しているというだけの理由でこの臭くて汚い土地にへばりついていないと生きられない。
在宅ワークで食えるスキルがないために友人夫婦のような生き方ができない。あの家に住めない。
東京から逃れて東京の平均年収以上の金を稼ぐスキルを持たないがためにとんでもない損をしている現実を突きつけられた。
友人夫婦の生活を東京で実現しようとしたら一体どれだけの金とどれほどのスキルや職歴が必要になるんだろう。
自家用車所有、あの豪邸、もっぱらの在宅ワークを認めてくれるほど進歩的な企業。
ユーザーベースとかメルカリみたいな会社でなおかつ年収3000万稼がないと実現できないだろ。
東京にブランドや愛情ない人間が東京に住むってこんだけコスト凄まじくてバカバカしいことなんだな。
汐留とか六本木とか神宮球場とかパンケーキ屋とかかき氷やとか近代美術館とか金もらっても土日に行きたくねえわ。死ね。
くだらねえよ東京。
その人自身が迷惑行為をしたわけでも何でもないのに性別で区切られて出禁になるのが性差別でなければいったい何なのか。
もう「女性客お断り」も「男性客お断り」も「女人禁制」も「女性専用車両」も「中国人お断り」も「日本人お断り」も平等に法律で禁止すべき。
子供お断りの飲食店の話題のときは子供は煩いから仕方ないと店側を擁護するじゃん。これは一部男性客が女性客に迷惑行為をするから排除仕方なしとどう違うのかね。
迷惑行為をする中国人の客が一定数いたとして、それを理由に「中国人お断り」って掲げたら人種差別じゃん……
それなら迷惑行為をする一部の男性客を理由に「男性お断り」も性差別でしょ。
迷惑行為をする個別の中国人や男を排除するのは別にいいと思うけど、行儀よくしている中国人や男が排除されなければならない理由はどこにもない。
「子連れお断り」もアウト。「騒がしい客は老若男女問わず退店していただきます」とした上で子供が騒いだら退席を求めるのはオッケーじゃないの。じっと静かに座っている子供まで排除される道理はないので。