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2020-07-04

それ 柏木由紀が 握手列の上に パンツさげるやつ。有名 モーゼっていう技。

2019-10-17

エロマンガアニメゲームエロ写真集AVより罪深い

オタクの人は必死に「エロマンガアニメゲームは実写と違って誰も被害に遭っていない」などと主張しますが、むしろ逆です。今からその説明しましょう。

※なお、性的消費定義しろおじさんがうるさいですが、以下の文章における『性的消費』の意味は、「性の商品化における、消費者側に注目した言葉」の意味で使っています

 男がAVを見て性欲を解消するとき性的に消費されているのは誰かを考えるならば明らかに第一にはそのAVに出演している女優だ。そこに疑いの余地はない。

もちろん、「好きな女の子がこの女優に似ているから」という理由AVを選び、AV女優を見ながらその好きな女の子を思い浮かべて性欲を解消した場合など例外はあり得るが、

全体から見てそのような理由で選ばれ・使用される割合は1%未満であろう。

そして、少なくともAV女優ならば『性的に消費されるのが仕事』であり、本人の意思で出演しているのならばそこに非難すべき構造はない。

(私は一部のフェミニストが言うようにAV女優が全て親・夫・彼氏などに強要されて出演しているなどとは思わない。強要されている人もいるのだろうが、本人の自由意思に基づき出演している人もいるだろう)

アイドル写真集でも、同様のことがいえる。男がAKB柏木由紀写真を見て性欲を解消したとき性的に消費されているのは柏木由紀である。(なお、人選に他意はない)

そしてAV女優ほどではないにしろ芸能人は多かれ少なかれ「性的に消費される」ことも仕事の一部だ。

柏木由紀写真集販売され、それを男が性欲を解消する道具に使っているという事実は、全ての女性に対する尊厳侵害である」とラディカルなフェミニストが訴えたところで、

当人たちだけでなく世間一般からも「お前はゆきりんではない」と笑われるだけであり、実際それは世間が狂っているのではなくラディカルなフェミニスト文句おかしいだけである

なお、『性的に消費されるのは仕事』と言えるのは芸能人のみであり、芸能関係以外の女性有名人実業家スポーツ選手など)や一般女性ならばそこには立派な、本人の意思無視した性的消費の構造が成立する。

 それに対し、男がマンガアニメゲーム美少女キャラクターを見て性欲を解消するとき第一性的に消費されているのはその美少女キャラクター……ではない。なぜならば、そのキャラクター実在しないからだ。

では何が性的に消費されている第一存在であるかというと、一番目に来るのは他でもない「女」という存在のものである

従って、フェミニストが「エロマンガ女性人格無視して性的存在としてだけ消費しており、従って全ての女性に対する尊厳侵害である」と訴えるのは正当性を持つ。

「お前は○○タン(そのエロマンガに描かれた美少女)じゃない」と返したところで「その○○タン実在しないでしょ。では何をモチーフにして描いたんですか?」「敢えて言うなら女という一般的な存在ですね」「じゃあその女という一般的な存在の中に、女である私も含まれているじゃないですか」となる。

何が違うかと言えば簡単な話だ。特定の一人を性的に消費するか、全ての女性性的に消費するかの違いだ。だから、全ての女性性的に消費する存在であるエロマンガアニメゲームは、特定女性だけを性的に消費する存在である実写エロよりも罪が重い。

オタクというのはこんな論理も分からないのだろうか。

anond:20191017222915

…というネタ4年前に書いたのだが、最近ツイッターで本当にこのような主張を始める人が出てきて困惑している。

2019-08-03

柏木由紀が絶世の美女に見えた日

殆どテレビを見ない子供だったから、その頃AKBについては大島優子前田敦子ぐらいしか知らなかった

アイドル特に興味もなく、可愛いともブスともなんとも考えたことがなかった

その頃は多分高学年ぐらいだったと思うのだが、(中学生だったかもしれない)夏休みの昼下がり、祖父母の家で手持ち無沙汰にテレビを見ていたところ、ひな壇にずらりと並んだAKBの中に美女がいた。

こんなに可愛い人間がいるのか、こんなに完璧人間がいてよいのか、と驚いた。

生来ぼんやりした人間で、美醜という概念自分の中に確立されていなかったので、彼女は私の中に始めて現れた「美」だった。人間の顔はじゃがいもみたいなもので、ツルツルしていようとボコボコしていようとじゃがいもじゃがいもだ、というような朧げで適当価値観の中を生きていた私にとってそれは実に衝撃的だった。

こんな可愛い人間がいるなら誰にも勝ち目なんかないじゃん…という小さな絶望感を味わった。なぜ人はアイドルを好きになるのか、始めて理解した。

その後、特にAKBに興味を持つことがないままAKBブーム過ぎ去り、私は柏木由紀の事を忘れた。ジャニーズイケメンだと言われる顔にも、売れっ子可愛い女優にもピンとくることがないまま、またじゃがいも人間世界を生き始めた。

橋本環奈1000年写真には、確かに私は感動したのだが、それでも柏木由紀の時の感動に勝るものではなかった。

夏になると、柏木由紀の事を思い出す。

今にして彼女画像を見返すとどう考えても絶世の美女ではない。

しかし、脳のバグか夏のいたずらか、柏木由紀が絶世の美女に見える日もある。案外恋や愛というものもそんなところから始まるのかもしれないと思う。

2019-07-07

男は皆柏木由紀が好きって本当なんですか?

本当なんですか??

2019-05-16

アッパレ水曜に新メンバー(女性)が入ってから柏木由紀がハキハキ喋るようになった気がする。ちゃんリアクションしてる気がする。(当社比)

2019-04-08

泉里香かい精子絞り取り女

ただしおっぱいから上に限る

豊胸のおっぱいでもエロけりゃ何でもいいんだが、ウエストが細すぎ&胴体長すぎて全身で見ると奇形感があるのが残念。柏木由紀といいこの手の体型が豊胸すると奇形感出てしまうのが惜しい。

2019-02-22

anond:20190221232105

MBSのアッパレ(水曜)も、柏木由紀ケンコバアンガ田中にいじられまくってるので早く柏木由紀辞めて欲しい。ケンコバアンガだけでラジオやってほしい。

2018-11-19

秋元康柏木由紀指原莉乃を「ババア」呼ばわりしたこと

AKB48年長組の柏木由紀指原莉乃に対して、秋元康が「ババアコンビで頑張れ」とのエールを送ったというエンタメニュースヤフートップページにあがっていた。

これに対して思うこと。

1.プロデューサーからアイドルという立場に対してのそのような発言は、いくら信頼関係が構築されているといえどセクハラパワハラではないのか。

2.柏木由紀指原莉乃個人のみでなく、世の中全ての女性冒涜していないか

3.秋元康がどんなに最低な人間だとしても、アイドル個人を想うファンはそこから離れることができない。

2018-10-04

エロマンガアニメゲームエロ写真集AVより罪深い

オタクの人は必死に「エロマンガアニメゲームは実写と違って誰も被害に遭っていない」などと主張しますが、むしろ逆です。今からその説明しましょう。

※なお、性的消費定義しろおじさんがうるさいですが、以下の文章における『性的消費』の意味は、「性の商品化における、消費者側に注目した言葉」の意味で使っています

 男がAVを見て性欲を解消するとき性的に消費されているのは誰かを考えるならば明らかに第一にはそのAVに出演している女優だ。そこに疑いの余地はない。

もちろん、「好きな女の子がこの女優に似ているから」という理由AVを選び、AV女優を見ながらその好きな女の子を思い浮かべて性欲を解消した場合など例外はあり得るが、

全体から見てそのような理由で選ばれ・使用される割合は1%未満であろう。

そして、少なくともAV女優ならば『性的に消費されるのが仕事』であり、本人の意思で出演しているのならばそこに非難すべき構造はない。

(私は一部のフェミニストが言うようにAV女優が全て親・夫・彼氏などに強要されて出演しているなどとは思わない。無論、全てが本人の自由意思に基づき出演しているとも思わないが)

アイドル写真集でも、同様のことがいえる。男がAKB柏木由紀写真を見て性欲を解消したとき性的に消費されているのは柏木由紀である。(なお、人選に他意はない)

そしてAV女優ほどではないにしろ芸能人は多かれ少なかれ「性的に消費される」ことも仕事の一部だ。

柏木由紀写真集販売され、それを男が性欲を解消する道具に使っているという事実は、全ての女性に対する尊厳侵害である」とラディカルなフェミニストが訴えたところで、

当人たちだけでなく世間一般からも「お前はゆきりんではない」と笑われるだけであり、実際それは世間が狂っているのではなくラディカルなフェミニスト文句おかしいだけである

なお、『性的に消費されるのは仕事』と言えるのは芸能人のみであり、芸能関係以外の女性有名人実業家スポーツ選手など)や一般女性ならばそこには立派な、本人の意思無視した性的消費の構造が成立する。

 それに対し、男がマンガアニメゲーム美少女キャラクターを見て性欲を解消するとき第一性的に消費されているのはその美少女キャラクター……ではない。なぜならば、そのキャラクター実在しないからだ。

では何が性的に消費されている第一存在であるかというと、一番目に来るのは他でもない「女」という存在のものである

従って、フェミニストが「エロマンガ女性人格無視して性的存在としてだけ消費しており、従って全ての女性に対する尊厳侵害である」と訴えるのは正当性を持つ。

「お前は○○タン(そのエロマンガに描かれた美少女)じゃない」と返したところで「その○○タン実在しないでしょ。では何をモチーフにして描いたんですか?」「敢えて言うなら女という一般的な存在ですね」「じゃあその女という一般的な存在の中に、女である私も含まれているじゃないですか」となる。

何が違うかと言えば簡単な話だ。特定の一人を性的に消費するか、全ての女性性的に消費するかの違いだ。だから、全ての女性性的に消費する存在であるエロマンガアニメゲームは、特定女性だけを性的に消費する存在である実写エロよりも罪が重い。

オタクというのはこんな論理も分からないのだろうか。

…というネタ3年前に書いたのだが、最近ツイッターで本当にこのような主張を始める人が出てきて困惑している。

2018-04-27

anond:20180426205111

溝川実来や浅井裕華今村麻莉愛で抜いたらロリコン

柏木由紀大家志津香松村香織でぬいたら老け専

おすすめ栗原紗英後藤萌咲瀧野由美子浅井七海のようなモデルっぽいプロポーションのやつだな

この4人は何回でも抜ける

2016-12-20

ブスはどうやって生きていけばいいのだろう

私はブスだ。

白くも黒くもない中途半端に血色の悪い肌色をしていて、

目は小さくて蒙古襞があり一重である

出っ歯上下顎前突の口ゴボでしゃくれ。

から突き出てるので正常な口にするには手術で上下の顎を切り取るしかない。

顔のバランスおかしい。

目が上に付きすぎているのでAKB柏木由紀みたいに目から下が長いのだ。

(柏木由紀は目が大きくて他のパーツが整っているので社会から許されている)

社会に出てみて思ったことはブス女への風当たりが厳しいということだ。

男性から見て

容姿の優れた女>容姿の優れた男>ブス男>>>>ブス女

の扱いをしていると感じる。

最下層のブス女など人間扱いしてくれない。

人間じゃないもの」として扱われる。

私は学生時代大人しい女の子たちのグループに入れてもらってひっそりと生きていた。

クラスの他グループ女子とも必要以上に会話しない、持ち物も無印良品のような無地で地味なものを持つようにする

授業中の音読では変な発声をしないように気を付ける、

変な動きや歩き方をしないといったように

目を付けられないようひっそりひっそりと生きていた。

だがある日、話したこともないクラスボス女の子から

物を隠される持ち物を捨てられる机から動けば実況付きでネタにされる新しい持ち物を持っていけば酷評されて全否定されるといったいじめを受けたが周りの人たちはスルーだった。

一挙一動が笑われるのでまともに話せなくなったし笑えなくなった。何をしてもネタにされるのでペンケースや消しゴムを新調することさえ心臓バクバクだった。

毎朝吐いて登校して帰宅してまた吐いていた。

そんなある日のことだった。

同じクラス可愛い女の子いじめられたら

男子生徒、男性教師一丸となっていじめはやめよう!と躍起になりはじめた。

私のあれはいじめではなかったのか?と思ったがまあそういうことなのだろう。

ブスは人間扱いされない。

まとめサイトを見ているとこんなに女の容姿を気にしている若い男性が多いんだなと思う。

たとえばラビット速報みたいなまとめサイトでは

「このレベルの女は抱ける?」「この有名人劣化した」「付き合えるギリギリの顔の女ってこれぐらい」といって画像を貼り付けて、

男性画像女性批評していく記事ばかりである

批評している彼らは容姿レベルはすごいのか?

そうでもないだろう。彼らは一般人だ。

大学社会に出てみて男性特別容姿が優れているということはないことを知った。

大抵は並みのレベル容姿をしている。

うpされた画像女の子たちと付き合えるレベルでもない。

じゃあ、どうして容姿評価しているのか?という話になるが

男性にとって女性評価基準第一容姿なのだと思う。

女性場合性格や波長が合えばブス男でも付き合うが、男性場合それは滅多にない。

「でもブスじゃん」という言葉がある。

女性を褒めたり、その姿を見ているときによく使われる言葉だ。

この言葉を使われると、その場で対象女性評価はどん底まで落ちる。

その女性がどんなに性格がよくて、いい匂いがして、料理上手で頭がよかったとしても、

女性否定するには「でもブスじゃん」の一言で十分なのである

容姿欠点カバーしようとそれ以外を必死に頑張ったところで

最後にくるのは「でもブスじゃん」という容姿への評価なのである

容姿が悪ければオリンピック活躍したとしても柔道女性選手たちのように

クリーチャー扱いされる。

容姿がよければ違法薬物を使ったとしても酒井法子のように

許される。

では、ブスでなければいいのか?

可愛くなろうと努力すればいいのだろうか。

根性論好きな人努力が足りない、と言う。

そんなに辛いのならばもっと努力して容姿を磨けばいいと言って自己責任烙印を押す。

だが反比例して男性たちは化粧を悪として見ている。

上記のまとめサイトでも「すっぴん詐欺」「化粧で誤魔化してる女は詐欺すぎて本当にムカつく水ぶっかけて顔こすってやりたい」とよく書かれている。

男性にとって化粧は悪で、ブスも悪なのだ

世間から虐げられないために化粧という盾を持って身を守ることも

罰せられるべきこと、法律違反したり他人迷惑をかけたかのようなレベルで叩く。

自分の女が化粧落として顔が違ったら嫌だから化粧は禁止にすべき」

「生まれ子供の顔が違ったら嫌だから化粧は禁止にすべき」

とよく上記まとめサイトおよび2ちゃんでそういう風潮がある。

この世のすべての女性とベッドを共にするわけでもなし、

この世のすべての女性を孕ませて子供を産ませるわけでもなしに、

自分の女』がそうだったら嫌だからという理由禁止しろと言うのだ。

自分の女』になる女性の数なんてたかが知れているのに、

それだけですべての女の化粧を禁止しろというのは暴論ではないだろうか。

ブスは幼少期から顔面批判により自己評価が圧倒的に低くなり

自分社会で最も価値のない存在だと自覚しているし、

人並みに結婚できるなんて考えてもいない。

身寄りもなくホームレスとして孤独死する未来が見えているのだから

ブスの化粧ぐらいは許してほしい。

私がこんなことを書くきっかけになったのは

昔のことを思い出したからだ。

今の私は顎を切らないまでも五十万以上かけて歯の矯正をして

目元の整形をして

詐欺レベルメイク研究して

カーネギー人を動かすみたいな類の本をたくさん読んで、

上品動作の本をたくさん読んで、

パーソナルカラー診断をして骨格診断をして、

資生堂の一回につき一万円以上するビューティーレッスンに通って、

女子アナ系の服装研究して、

一万円の美白美容液トマトジュースビタミン剤毎日飲んで美白して

何とか他人から虐げられないレベルにはなった。

もちろん一般レベルではない。

それより劣っている。

存在ギリギリ許される、というレベルだ。

先日、私のことを好きだと言った男性

道端の女性を見て、

「許せないのはブスだよ。ほんとブスだけは無理」と言った。

彼は平凡の容姿の男だ。

どの口でブスなんて無理、と言うんだろう。

私は悲しくなった。

こんな男に少しでも心が傾いた自分にそんな男から好かれるような安い女である自分に。

はじめて人を愛してみようと思ったが

ブスには大それたことだったのだ。

個人性格問題じゃない。

私の生まれ世界がこうなのだ

ブス女に厳しい。

好きでこんな顔に生まれたわけじゃない。

恋をして子供産んで、人並みに生きていたかった。

私には何もない。

青春時代の甘さも酸っぱさも知らないまま生きてきた。

人生における喜びを甘受することもこの先できないだろう。

ブスはどうやって生きていけばいいのだろう。

2016-08-09

フライングゲットHD

自分AKB48ファンでもなんでもないが、フライングゲットMVだけは何度も見てしまう。

それこそ最初YoutubeにUPされて以降はかなりの頻度で見ていた。

曲の良さはもちろん、メンバーも最盛期でパワーがある。振付の完成度も文句のつけようがない。

そして何より衝撃的だったのはカメラワーク

監督堤幸彦氏!)がいいのかカメラマンがいいのかわからないが、例えば一人にスポットを当てる時も急速にカメラを動かしブレーキを掛けたように目当ての子で止まる。

このスピード感が素晴らしく、相当のカメラコントロール技量がないと出来ない芸当と思われる。

カメラワーク芸術ひとつなのだな、と実感した次第である

そしてメンバーの子の表情の良い所をしっかりピックアップしているところも評価できる。

これは編集技量だと思うが、印象的な表情をバッチリ押さえている。

例えて言えば「♪その目〜」のところの柏木由紀だろう。相当な眼力がある。

眼力でいえば、松井玲奈も外せない。

まり時間映ることは無いが、要所要所で印象的な表情を見せる。この采配も監督に一本だ。

色々バッシングはされるが、センター前田敦子存在感も素晴らしい。なぜ前田敦子センターなのか納得のできるオーラをしっかりと映している。

というわけで、かなり緻密で製作時間も掛けられたこのPVを久々にYoutube見たらHD化されていた。

以前は480Pくらいの画質だったため本気でDVDでも買おうかと思ったがこれで買わずにすんだ。

メンバーの全盛期の表情、神がかり的なカメラワーク衣装、背景を高精度で存分に楽しめる。


一方で、檸坂46の「サイレントマジョリティー」。

最初からHD配信されているのは評価できるが、なにせPVの完成度が低い。

いや、それ以前に曲の歌詞が全く前に出てこない。とてもストリングスピアノが美しい曲ではあるが、その楽器類にボーカルが埋もれて浮上して来ないのだ。

ミックス以前にアレンジ問題だろう。とにかく派手にするためにボーカルを殺してしまっている。メロディが良いだけに惜しい。せめてミックスでボーカルをもう1.5dBでも上げることができれば、である

そしてカメラワークだ。特徴的な機械的動作を取り入れたダンスを見せるために淡々と全体を映すことに特化し、まず個人が出てこない。

そして全体を撮るために思い切ったカメラワークはできず、ゆったりとしたパンニングで曲の持つスピード感エネルギー感を全く生かしてない。

またメンバーの表情も全体的に死んでしまっている。「フライングゲット」のように明るい曲では無いものの、シリアスな表情でもぐっと視聴者を掴むことはできるはずだ。

メンバー最初から諦めているような気配さえ受ける。全体として現場の熱意が感じられないPVなのである

監督1979年まれとまだ若いベテランの堤監督と比べるのは酷だが、キャリアの差をまざまざと見せられる結果となった。

段々何を書いてるかわからなくなってきたのでここでやめるが、せっかく日本音楽業界で唯一潤沢にお金を使えるアイドルというジャンルである

素晴らしい監督、曲、歌詞振付アーティストがいればたとえアイドルでも素晴らしくクオリティの高いものができるということである

個人的にはRockが好みではあるが、素晴らしい作品にこの際ジャンル関係ないだろう。

ぜひフライングゲットに続く、国民的ヒットを生みだしてもらいたい。それにはただお金を掛けるだけではダメで、現場の熱意が必要不可欠ということを加えておこう。

2015-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20151029235637

AKB48の何がダメって

ボイトレした」って話がブログSNSに出てこないことだ。

HKT48はやってるらしいが、ほかはほぼない。

高橋みなみ柏木由紀山本彩など歌えるメンバーもいるが、歌う気すらない人間がいるのが良くない。

「歌え」

それだけだ。

2015-06-12

ライザップの件や柏木由紀スキャンダルを一番最初に取り上げる局

どこになるんだろうな

ライザップの件はフジテレビはまず取り上げないだろうけど

出版なんてゲス商売だよ

小学館とか大手なのにあのザマなんだから判るじゃん。

連続殺人犯の手記を出版する出版社とかは、いつもリテラでは『ごりっぱ』な事を書かれているサイゾーさんも「「汚れたアイドル柏木由紀 乱れたベッドでジャニタレ抱擁 ファン裏切りで致命傷か」なんてゲス丸出しタイトル記事で釣ろうとしてるんだから、まぁ、どこがどうというより、全体がそんな感じだと言ってもいいんでしょう。

2015-06-05

エロマンガアニメゲームエロ写真集AVより罪深い

オタクの人は必死に「エロマンガアニメゲームは実写と違って誰も被害に遭っていない」などと主張しますが、むしろ逆です。今からその説明しましょう。

※なお、性的消費定義しろおじさんがうるさいですが、以下の文章における『性的消費』の意味は、「性の商品化における、消費者側に注目した言葉」の意味で使っています

 男がAVを見て性欲を解消するとき性的に消費されているのは誰かを考えるならば明らかに第一にはそのAVに出演している女優だ。そこに疑いの余地はない。

もちろん、「好きな女の子がこの女優に似ているから」という理由AVを選び、AV女優を見ながらその好きな女の子を思い浮かべて性欲を解消した場合など例外はあり得るが、

全体から見てそのような理由で選ばれ・使用される割合は1%未満であろう。

そして、少なくともAV女優ならば『性的に消費されるのが仕事』であり、本人の意思で出演しているのならばそこに非難すべき構造はない。

(私は一部のフェミニストが言うようにAV女優が全て親・夫・彼氏などに強要されて出演しているなどとは思わない。無論、全てが本人の自由意思に基づき出演しているとも思わないが)

アイドル写真集でも、同様のことがいえる。男がAKB柏木由紀写真を見て性欲を解消したとき性的に消費されているのは柏木由紀である。(なお、人選に他意はない)

そしてAV女優ほどではないにしろ芸能人は多かれ少なかれ「性的に消費される」ことも仕事の一部だ。

柏木由紀写真集販売され、それを男が性欲を解消する道具に使っているという事実は、全ての女性に対する尊厳侵害である」とラディカルなフェミニストが訴えたところで、

当人たちだけでなく世間一般からも「お前はゆきりんではない」と笑われるだけであり、実際それは世間が狂っているのではなくラディカルなフェミニスト文句おかしいだけである

なお、『性的に消費されるのは仕事』と言えるのは芸能人のみであり、芸能関係以外の女性有名人実業家スポーツ選手など)や一般女性ならばそこには立派な、本人の意思無視した性的消費の構造が成立する。

 それに対し、男がマンガアニメゲーム美少女キャラクターを見て性欲を解消するとき第一性的に消費されているのはその美少女キャラクター……ではない。なぜならば、そのキャラクター実在しないからだ。

では何が性的に消費されている第一存在であるかというと、一番目に来るのは他でもない「女」という存在のものである

従って、フェミニストが「エロマンガ女性人格無視して性的存在としてだけ消費しており、従って全ての女性に対する尊厳侵害である」と訴えるのは正当性を持つ。

「お前は○○タン(そのエロマンガに描かれた美少女)じゃない」と返したところで「その○○タン実在しないでしょ。では何をモチーフにして描いたんですか?」「敢えて言うなら女という一般的な存在ですね」「じゃあその女という一般的な存在の中に、女である私も含まれているじゃないですか」となる。

何が違うかと言えば簡単な話だ。特定の一人を性的に消費するか、全ての女性性的に消費するかの違いだ。だから、全ての女性性的に消費する存在であるエロマンガアニメゲームは、特定女性だけを性的に消費する存在である実写エロよりも罪が重い。

オタクというのはこんな論理も分からないのだろうか。

…という釣りでした(2018/06/25)

2015-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20150325123524

その割に、その広瀬すずってのは全然少女には見えないんだが・・・

言われなきゃ20代しか見えんわ。化粧なんかも老けてみえるようにやってるし。

wikipediaによると

加賀美セイラ2001年

加藤ローサ2004年

JOSI2005年

倉科カナ2006年

高橋真唯2007年

森絵梨佳渡部豪太2008年

北条隆博沖樹莉亜2009年

有川良太、野崎萌香2010年

内田裕也樹木希林2011年) - 後に樹木希林のみ出演。

黒柳徹子鈴木福と共演しているバージョンあり)、リリー・フランキー高須光聖増田みのり夫妻(2012年

松井愛莉2013年

柏木由紀[1](2013年

三代目J Soul Brothers2014年

広瀬すず

全然10代の少女に限る」なんて傾向ないね

2014-07-11

入り出をしつづけて思うこと。

ヅカヲタである。だからこれから話すことも宝塚のことである

他のアイドル界隈がどうなっているのか私はしらない。

そしてこれから書くことはシステムの話ではなくて、感想文にすぎない。システムについて興味が出た人はグーグルに尋ねるかお近くのヅカヲタまでお問い合わせください。

宝塚には「入り出」という文化がある。

タカラジェンヌが公演や、公演のためのお稽古に向かう時に所定の場所で待ち、やってきたタカラジェンヌにお手紙を渡す。

そしてバイバイとお見送りをする。

公演は細かいことを全部外してしまえば大きく分けて、宝塚大劇場(以下ムラ)と東京宝塚劇場(以下東宝)で行う。ムラでは公演のお稽古も行われておりそれは「お稽古待ち」という。ファンは公演を観る予定もないのにこの「お稽古待ち」の為にムラまで通う。片道1時間以上かかるファンなんて、たくさんいる。それでも、タカラジェンヌと会う一瞬の為に平気で通う。たまに自分で何やってるんだろうと虚しくなるけれど、虚しくなったら負けである

 東宝は所定の場所に並びお手紙を受け取ったらタカラジェンヌにそのまま「いってらっしゃーい」とお見送りする。タカラジェンヌが通るたびにしゃがむ大量の女性たち(時たま男性はいつみても壮観である

 ムラだと所定の場所でお手紙を受け取ったタカラジェンヌ楽屋口までそのファンを引き連れてやってくる。そして、楽屋口で「いってらっしゃーい」とお見送りをする。大量のファンを引き連れて楽屋口まで歩いてくる男役スターをみると「うをぉぉぉ!!スター様が歩いてくるぞぉぉぉ!!!」と興奮する。ファンをたくさん引き連れているタカラジェンヌはそれだけで神々しくみえてくるし、圧巻で楽しい

 スターさんによっては「お隣歩き」と言ってこの所定の待機場所から楽屋口までお隣を歩いてタカラジェンヌお話しできてしまシステムがある。楽しそうにファンと話をしているスターさんをみながら「なんて優しい人なの!!」と勝手に感動することもよくある。話の内容なんて、当然聞こえやしないが。

以上穴だらけの入り出説明。ちなみにこの入り出は会を登録しているタカラジェンヌにの適用されるシステムである。まだ会登録していないタカラジェンヌはまた別のしきたりで入り出があるのだが書いていたらキリがない世界なので放置する。

この入り出。したいと思ってすぐに出来るものではない。まずはその生徒の「ファンクラブ」に入らなきゃいけない。この「ファンクラブ」は「非公認」のファンクラブなのだけど、宝塚システムに置いて凄く大きな位置を占めている。非公認の癖に「@@ちゃん会立てたんだって?」「うん、劇団に立てろって言われたらしいね」「そっか。まだ下級生なのに大変だねぇ」みたいな会話がヅカヲタの中ではよく繰り広げられる。繰り返し言う。ファンクラブ非公認である

このファンクラブに入ることのメリットとは色々あると思うけど(デメリットも正直あると思っている)大きく言えば「応援している人を明確にする形でチケットかえること」「入り出が出来ること」なんじゃないだろうか。チケット難の公演でも会に入っていればなんとか観れたりもする。

けど、私がしたいのはこの話じゃないから、このシステムについて気になる人はお近くのヅカヲタまでお問い合わせください。

そう、入り出である。入り出。

私が今好きなタカラジェンヌ(以下贔屓)を好きになった時、ファンクラブに入ろうと思った。ファンクラブに入って、その人の名前を通してチケットを買って、お礼状貰って、その人のお茶会(トークショーのようなもの。一種のファンミーティングイベント)に参加できればうれしいと思っていた。

入り出なんてしたいと思わなかった。

だって、怖いじゃん!?自分がいかにその人を好きか書いたお手紙をちょくせつ本人に手渡しするんだよ!?ホラーじゃん!!って真剣に思っていた。

憧れは憧れの存在のままでいて欲しかった。お手紙を直接渡すことが繰り返されるうちに、純粋な憧れは必ず憧れと違うものになると思った。それに、入り出(ガードともいう)する人が怖かった。宝塚宗教じみた世界の一端はこのシステムが担ってるに違いないと思っていた。事実私の友人の一人は宝塚大好きで何年も見続けているが「ファンクラブなんてあるから宝塚が気持ち悪いところだと思われている」と吐き捨てた。だから宝塚ファンがみんなこんなことをしているのだと思ってほしくは無い。舞台の上で輝いているタカラジェンヌをみることだけが楽しみで、公演を楽しんでいる人だってたくさんいる。入り出をはじめとした会活動は確かに不思議で独特なシステムであって、未だに奇妙だと思うこともあるけれど、私がこの世界に入ってしまたから非難することが出来ないだけだ。

私が宝塚を好きになってから仲良くなった人は、入り出をする人だった。

「おいでよ」

とその人は私と贔屓が違ったがそういった。

「入り出は楽しいよ」

正直、興味はあったのだろう。後を押されたのか、押されたという言い訳が欲しかったのか私は入り出にいった。同じファンクラブ所属している知らない人に挨拶をしながら贔屓を待ち、やってきた贔屓の目もロクにみられずに消え入りそうな声で「オハヨウゴザイマス」と告げながら私はその場から消えたかった。見慣れた顔の中に知らない顔がいるからか、彼女は私の目をじっとのぞきこんだ、気がする。

もう、数年前の話なのであまり感想は覚えていない。覚えているのは誘ってくれた友人とお茶をしていたらその友人が楽しそうに「また来週も会おうね」と言ってきたことぐらい。その時は「行かないよ!?」「一度経験したのでもう満足しました」とその人に伝えていたのに、翌週には何故か私はそこに立っていた。

それから、毎週のように私はそこにいた。

何が楽しいのか、私は未だに分からない。あえて言うなら贔屓と会った後にファンの人同士やお友だちとするお茶楽しいと言ってしまうかもしれない。長時間乗る電車の中でポストカード手紙を書き、ムラについてから贔屓を30分以上待つこともザラだ。やって来た贔屓に「おはようございます」の一言だけを告げて、ほんの少し会話をやりとりして、楽屋口まで贔屓の背中をついていく5分足らずの時間の為に多くのことを費やしているという事実を数年かかっても未だに認めきれない。

 おはようございますの一瞬で目を見てくれたかとか、笑ってくれたかとか、今日は機嫌が良かっただとか、なんだか疲れているみたいだとか、たった一瞬触れ合うだけなのにそういうことで喜んだり心配したりする自分が滑稽だと常々思っている。

贔屓と仲良くなんか、なりたくない。勿論ファンとして大事に思われたい。嫌われたくは、ない。でも、近付きたくは無いし、入り出をしてどれだけ時間がたっても私にとって贔屓は遠い存在だ。

 笑い話みたいかもしれないけれど、私は入り出するようになってしばらくしてから友人に「贔屓に顔を覚えられてしまたかもしれない」と言って泣いた。贔屓をみるのは楽しかったけれど、贔屓が私の顔を覚えるのは耐えられなかった。贔屓が私の顔を覚えるということは、関係が蓄積していることに他ならず、それがいいことだとは欠片も思えなかった。送る手紙はいだって適切なものとは思えなかったし、贔屓がそれを負担に感じていたらどうしよとばかり考えていた。

今は、贔屓がどう思っているかなんてわからないし、私がやりたいからやってるでいいんだよって笑っていられる。手紙も送りたいから送るのだ、贔屓に喜んでもらうために書いてるじゃないよと言い張ってる。時々それにも失敗しているけれど。

 入り出はタカラジェンヌによって色々で優しく雑談をたくさんしてくれる人もいれば、視線も合わせずお手紙を回収してさようならの人もいる。たくさんお話してくれるタカラジェンヌの話を友人としながら「@@ちゃんさすがだよね」と笑いあうけれど、そこでガードすることはない。会のシステムが無くなったとしても、多分しない。私が入り出をしたいのは、贔屓だけだし、その贔屓が見せてくれる一瞬がどんな神対応よりも意味を持っている。

AKB柏木由紀さんは握手会を「10秒の公演」と称したそうだけど、きっと宝塚の入り出も近いものがあるのだとそう思っている。

毎週5分の為に駆けつけて、直接お手紙を渡すことで愛が伝わっているのかは分からない。エゴけが伝わっているのかもしれない。

それでも贔屓だけをみれる時間が嬉しい。舞台の上に立つ完全な男役ではなく、化粧を落し、ほんの少しだけ素の部分を見せてくれるその瞬間がたまらない。

から私はまた来週も劇場に足を運ぶことになるんだろう。

少なくとも、贔屓が退団するまでは。

2014-05-19

童貞科学する

私の理想童貞像を書かせてほしい。



ある童貞の一日。

家族よりも早く起床した彼は、窓をあけて清々しい空気を思いきり吸い込むと、「よし、今日もがんばるぞ」と心の中で意気込む。

まだ誰も起きて来ないのを確認して、こっそり父親の部屋のゴミ箱から見つけたエロ雑誌オカズを探す。

口角をわずかに上げて、鼻息をあらげる彼は、浮世の煩わしさなどまだ見つけたばかりだ。

今日学校友達とどんなことをして遊ぼうかな、やっぱり鬼ごっこがいいなあ、きのうの休み時間女子の机をタッチしてエロ菌とか発生させたけど、あのとき脇を通った花子ちゃん、ほんとうにいいにおいがして、僕だけ笑っちゃったんだよね。うへへ、うへへへへ。

思い出し笑いをする姿もかわいらしい。

やば、もうこんな時間だ、と時計を見て焦る彼は、ベッドの下に収集したオカズを隠すと、こんどは自分の準備に取りかかり、ようやく起きてきたお父さんとお母さんに「おはよう。いってきます」と言って一足先に家を出る。

通学電車の中ではジャンプを読む。

まだ恋を知らないけれども、あこがれは抱いているので、男と女キスする場面などを読むと、顔を真っ赤にしてうっとりした心地になる。このとき少し立って少しばかり慌てる。

学校はいもの友達とふざけあいっこをして過ごす。

もちろん友達童貞から、恋の話はするとしても女性器の形を想像する程度の微笑ましいもので、たいていは妖怪ウォッチポケモンの話になる。

友達の中でも断然に奥手な彼は、女子からの人気も高いけれども、柏木由紀が目の前に現れるまでは貞操を守り抜くと心に決めているので、休み時間は全力で友達プロレスの技をかけあう。

むろん告白を試みる女子もいるが、彼はそのたび「タイプじゃないから」と断った。

この日も女子とは一言もしゃべらなかった。

家に帰ると、いつもならデュエルモンスターズデッキ整理をするが、この日は終日暑かったため、さきにシャワーで汗を流すことにする。

下着を脱いで「友達はチン毛が生えたって自慢してたな」と思いながら、だれも入ってこないのにタオルを巻いて湯船に入る。

入浴剤ラベンダー香り

きょうの学校もたのしかったなあ、花子ちゃんってほんとうにいい匂い、ぐふふ、ぐふふふふ。

透きとおるような純白の肌を思い出して、いっそう妄想が神々しくなる。

湯船からでると、まずは腕から洗い出し、徐々に下へ移動する。

秘部がいちばん大事な箇所だけれども、彼はあえて大切なところには手を付けない。

楽しみは後にとっておきたいから

でも、つねに清潔で、臭くはないのである







適当に改変した。

現実は知らない。

http://anond.hatelabo.jp/20140518172116

2014-05-03

アイドルに学ぶアカウント指向からプロダクト指向」への変遷

NMBの人気メンバー渡辺美優紀みるきー)のスキャンダルが発覚したのは、3月中旬くらいなのに、俺がそのショックを未だに引きずっていて。

なんでかなーと思っていろいろ考えていて、タイトルのようなことに思い至った。ので書く。この導入は結論とあんま関係ない。

で、ショックを受けた最大の原因は、AKBグループ全体のスキャンダルへの対応方針が峯岸坊主事件を期に「厳罰」から放置」へと180度変化したからなのかなと思ってる。

例)菊地彩香 →解雇

  指原莉乃 →左遷

  平嶋夏海 →解雇

  峯岸みなみ坊主研究生降格

  柏木由紀 →放置

  渡辺美優紀放置

これって、AKBグループ全体が「アカウント指向からプロダクト指向」に移行している過渡期っていえるかなーって思った。

ここで、

アカウント指向」とは、顧客の求めるもの提供するサービスの意で、

プロダクト指向」とは、自分が良いと思ったもの提供するサービスの意、な。

地下アイドルとか、若手芸人とか、インディーズバンドとかが、自分提供するサービスに対して決定権が持てなかったのが、人気や実力が伴ってくると自分のやりたいことが出来るようになるみたいなイメージ。まあよくあることよな。

これを芸能以外に置き換えると、いろんなサービスが質が向上して、コスパで選べば激安or無料でそこそこのものが選べて、金さえ積めば青天井に素晴らしいものが手に入って、という世の中だと、自分仕事の決定権が持てるまでの時間がどんどん長くなるなって思った。「串打ち三年、割き八年、焼き一生」とか、そういう世界。で、良いもの提供する世界で生き残るのは片手で数えるほど、みたいな。

その中で自分はどういうふうに生存戦略を立てていったらいいのか、というところをいま考えてる。

2013-07-30

AKB柏木由紀を綺麗にした感じの受付のおねえさんだったな…

2013-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20130624142340

おぅ、じゃぁ、iPhoneにはapplemacitunesipadを足させてくれ

AKB+前田敦子+大島優子+篠田麻里子+板野友美+指原莉乃+小嶋陽菜+柏木由紀+渡辺麻友」と

iPhone」を比較したら、わりと拮抗してたよ。

でもiPhoneと拮抗できるのはスゴイといえばスゴイけどな。

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