はてなキーワード: 怠惰とは
身長155センチ、体重90近く、体脂肪率は驚異の45%超。実に身体の半分が脂肪である。
好きな食べ物はチョコレート、豚骨ラーメン、唐揚げヒレカツフライドポテトなどの揚げ物全般。
そもそもこのエントリをアイス食べながら書いているエリートデブ。
運動嫌いで引きこもり気味で出不精、趣味はポテチ食べながらのゲームとポッキー咥えてSNSで料理動画を見まくること、嫌いな言葉は食事制限。もう手に負えない。
そのデブが、なんとリングフィットアドベンチャーは2ヶ月以上続いているのである。
発売から3ヶ月弱、正月を挟んでアドベンチャーモードの起動日数はなんと50日。
単純計算2日に1回以上、ここ1ヶ月に絞れば3日に2日くらいになる。
ゲーム内容についてはもうYouTubeに数多転がる実況なりなんなり見てもらった方が早いので省く。
アドベンチャー45日でデブの身に何が起きたか、一体どう変化したのか、書き残していこうと思う。
まず体型が変わった。くびれができた。正確にはクソでかい尻によって発生した肉の凹みによる錯覚だがくびれはくびれだ。
肩と腕の肉が減り、一昨年買って去年腕が通らなくなったシャツが着られるようになった。
ボトムは必死に4Lを探しては股ずれで内腿にすぐ穴が開く生活だったが、なんと2年前の3Lが履けた。
腹と尻の肉でミチミチだったパンツが支えを失い落ちてくるので、就活のスーツ以来初めてベルトを購入した。
次に体力がついた。
始めて2週間ほどで、筋肉痛が起きなくなった。
運動負荷をあげたり少し時間を増やすと翌日少し痛んだが、それも1ヶ月を過ぎるとよほど無理をしない限り筋肉痛は起きなくなった。
立ち仕事のため4〜5時間棒立ちもままあるのだが、途中で腰が痛くもならないし、足が疲れて…ということもほとんどない。5時間までならさほど苦にならなくなった。
階段を2階まで駆け上がり、忘れ物に気が付き走り降りてまた登って、それでも息切れしなくなった。
そして下世話な話だが夜の具合がよくなった。
なんとこのデブ配偶者がおり、この体型でもたまにそういう機会がある。
デブは基本ゆるゆるなのでおそらく配偶者も自家発電の方が楽なのか、営みは月に1度あるかどうかだった。
ところが年明けすぐ、2ヶ月ぶりくらいにヤったら気持ち良くて死ぬかと思った。配偶者にも締まり良くなったじゃんとド直球で言われたので殴るか悩んでやめておいた。珍しく同じ週にまた誘われたので気持ちよかったのだろう。
正直これがかなりモチベーションになった。人間やはり3大欲求とわかりやすい愛には抗えない。
仕事が忙しく、疲れ切って帰宅するためリングフィットアドベンチャーを5日ほど起動できない日があった。
すると途端に体が重い。眠い。それに引きずられるように精神もズルズルと怠惰になっていった。
最低限の家事はしたが、3日目あたりからもう筋トレをするための体力も気力もなくなっていた。
そのまま合計5日、自分の食事はカップ麺コンビニ飯スーパーの惣菜を暴飲暴食していたと思う。食って寝て、最低限動いて、なにかつまんでは寝る。
このままではダメだと思い一念発起して30分ほど運動したら突然全身が"目覚める"感覚があり、風呂に浸かった後凄まじい無敵感がやってきたので、おそらく筋肉が5日の怠けで休眠状態に入っていたのだと思う。叩き起こして正解だった。
そこからは眠さだるさもなく、いたって元気に過ごせている。
ここまでいろんな変化について書いてきたが、一番わかりやすい指標である体重の話をしよう。
2ヶ月続けて、体重はなんとプラマイゼロ。ゼロ。減っていない。正月太りこそ起きなかったが、減っていない。
嫌いな言葉は食事制限。そう、食うために動いているのだ。食ったから動き、動いたから食う。
まあそうは言えど体型は変化しているし、体組成計によると筋肉量は2キロ増えているようなので、一応痩せてはいるようである。
このまま続けていけばいつかはユニクロレディースのLが着られる女になるだろうか。
寝て起きたらブックマークついててとても嬉しいです。読みにくかったのにありがとう。はてブ記法をようやく理解したので改行加えました。
アドベンチャーモードで2~3マップくらい。あとはたまにミニゲームやセットメニュー。
軽い日はヨガマット準備して片付けるまで大体20分、リザルト画面のプレイ時間で10〜15分ほど。
しっかりやった日は小休憩挟みつつ1時間、リザルト画面見たら40分やってたこともあった。
水分はこまめに摂りましょう。
::おっさんだと
実は女性です
::膝は大丈夫?
実は以前フィットボクシングで膝を痛めて通院し疎遠になった過去があるので、少しでも痛みを感じたらその日はやめています。
10ミリ厚のヨガマットにかなり助けられています。ヨガマットなしだったら今頃腰と膝痛めてると思う。買うなら10ミリ。
::ハーゲンダッツ
生きていたいわけでも今すぐ死にたいわけでもない。ホリー・ゴライトリーもそんな風に歌っていなかったっけ。
人生が緩慢に詰んでいく。それを感じながら生きている。ずっと待っているけれど、なかなか詰みきらない。
どう考えても今の仕事に自分が向いているとは思えない、といって他の何なら満足にこなせるのか、そうなれるように努力できるのかなんて想像もつかない(ただ生きているだけでもうクタクタで、そんな想像をする気にもならない。だから駄目なんだろう)。
仕事に限ったことではなくて、家族の構成員だとか社会の一員だとか、とにかく何についても満足に役割を果たせる気がしない。
職がどうとかの問題ではなく、そもそも生きること自体への適性が低いのだと思う。こういう非常にざっくりした悲観的な思い込みに陥ってしまうのは、たぶん自分が何についても真剣に向き合っていないからなんだろう。
とにかくただ生きているだけで毎日クタクタで、生理的なレベルで縛られていることやどうしても頭から離れないこと以外に心のコストを割くことができない。
きっと、他人に対する自分はおそろしく共感性を欠いた身勝手な存在で、関わらなければならないような関係の他人からすれば迷惑極まりないだろう。自分が色々なことに希望を見出だせないからといって、他人までぞんざいに扱うことが許されるわけはないのだ。自覚があれば許されるものでもない。弁解のしようもない。
別に自殺がしたいわけじゃない。自殺に失敗した場合は今以上に生きるのが苦しくなる可能性が高いし、自分の家族や元家族や職場に社会的なマイナスイメージが付与されてしまうのは気の毒だし(言いたい奴には言わせておけばいいじゃないか、とはさすがに言いたくない)。
そういう生ぬるい気持ちを吹っ飛ばすような原動力……例えば何かへの抗議や攻撃のために遺書を残して特別な場所で首を括るとか自分を燃やすとか、誰かの死に殉じるとか、そういう積極的に自殺というアクションを起こすための動機もない。
想像力が貧困な自分の思い描ける死後の世界のイメージは、やり残した仕事だとか遺品だとか自分の人生の後始末に迷惑させられている人々の顔ばかり。そんなことが気になるということは、要するに現世にまだまだ未練があるということなんだろう。本当に自殺を遂げる人は、きっと他人や死後の現世の諸々なんて飛び越えてしまうのだと思う。そういう意味では、積極的に死ぬことにも自分は適性が低いんだろう。
自分の想像できる範囲の世界が全ておしまいになってしまえば死後の憂いもなくなる? 妄想の中のこととは言え、他人を巻き込むのは気が進まない。無気力に生き続けることで間接的にたくさんの他人を害しているだろうに何を今更、とは思うけど。
生きていることの主観的な苦しさが飽和点に達すると、泡がはじけるようにこの世から消滅できればいいのにね。そんなことをよく考える。自分が消滅した後は自動的に他の泡がそれぞれ僅かに膨らんで、何事もなく世の中が回っていけばいいのにね。
自分の主観的な苦しさがなくなって、自分が存在することで他人に与えている迷惑もなくなって、自分がいなくなることで誰かを困らせるということもなく、そういう都合の良いことにならないかな……ならないだろうな。
やはり今の状況と自分自身をどうにか良い方向性に持っていくための前向きな努力をするべきなんだろう。他にできることというと、自分の意識のほうをどうにかするくらいなんじゃないだろうか。
生きていることの苦しさだとか自己嫌悪だとか、全て意識の表層に上がってこないように感覚を麻痺させて、死んだように生きる。自分(もしかすると他人も)の肉体を傷付けてしまいたくならないように、精神を部分的に殺して自意識のスイッチを擬似的にオフにして、余生をどうにかやり過ごす。
いずれにしても、いつかはおしまいになることなのだ。森茉莉も書いていた。どんな苦しい病気も死ぬことで終わる。
そうして怠惰な自分は、かれこれ15年くらいを半ば死んだようにして生きている。死ぬ理由はまだ見つからず、現世への未練は絶ちきれず、自分を変えることもできないままで。
残りの人生は数秒なのか数十年なのか。こんな風にゾンビみたいに無為に生を浪費していることを自分が本気で後悔する日はやがて来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。
これで良いんだろうか、これで良かったんだろうか。昨日死んでおけばこんな今日を過ごすことはなかったし、今日死ねば明日は来ないだろうにね。
答えはまだ、出せないまま。
人生にターニングポイントと呼べる瞬間があるとしたら、私にとってそれはセンター試験だ。
10年以上前の1月、朝から雪が降っていた。東京だから滅多にないのに。そういえば去年も雪の日だったな、何かの運命かな、とぼんやり思った記憶がある。
***
勉強を全くしていなかったから当然の結果。でも、それまで順風満帆に走っていた「人生のレール」から脱線したというか、レールそのものが消失したような途方もない虚無感に襲われたのを覚えている。初めての経験だった。
国公立後期の不合格を見届けた後、親に懇願して浪人生となった。それからは、怠惰だった高校3年間を取り戻すかの如く、予備校で朝から晩まで勉強漬けの日々を送った。
心を入れ替えた、というと語弊がある。気を抜くとまた現れる虚無感が怖くて仕方なかった。眠る前に漠然とした不安に襲われる夜も幾度となくあったし、浪人生という以外に肩書きがない不安は常につきまとった。それらを紛らわすには勉強しかない、それだけだった。
見失ったレールの続きは、この大学受験の先できっと見つかる、そう愚直に信じて過ごした1年間だった。
***
迎えた2度目のセンター試験本番。
前日、私は例に漏れず緊張していた。布団に入っても「また散々な結果だったら?」と失敗する未来ばかり想像した。でも気がつくと熟睡していて、朝になって我ながらその図太さに驚くとともに、「もうなるようになれ」と吹っ切れた。
試験会場は大学の大講堂で、私の席は最前列だった。目の前の教壇には複数の試験官がいて、無駄に緊張したのを覚えている。でも、今思えば視界に他の受験生が入らないぶん、試験に集中できて良かったのかもしれない。
そう、後でわかることだけど、試験結果は控え目に言って上出来だった。各科目で凸凹はあったものの、総合では過去のどの模試よりも良い点数だった。
ただ、2日間の日程を終えた直後はそんなこと知る由もなく、とにかく安堵した。やりきったという達成感と微かな手応えもあった。そして何より、今日この日に実力を出し切れた「環境」に感謝していた。
そうだ、これは環境のおかげだと、なぜかそのとき唐突に悟った。あれだけ勉強してきたのに、自分の頑張りだとか、努力の賜物だとは一切考えず、今この場所にいることが全てだと感じた。
思えば1年前、両親が浪人を許してくれたことに始まり、予備校に通えたこと、長い間勉強に専念できたこと。応援してくれる人がいたこと。健康でいれたこと。今日、雪の中交通機関が動いてくれたこと。そして、無事にこの会場で受験できたこと。
どれも当たり前じゃないし、これを「運が良かった」の一言で片づけるのは勿体ない。私一人の力ではどうにもできない、有り難いことばかりではないか。
そんな当たり前のことに気付いて、私はいてもたってもいられなくなった。この感謝の気持ちを今すぐ誰かに伝えたい。そう思って、全科目が終わり皆が一斉に会場を後にする中、私は出口とは真逆の、試験官のいる教壇に向かった。
「2日間、お世話になりました。ありがとうございました」
「ああ、こちらこそ。帰り道、気をつけて」
P5や風花雪月を知らんのは怠惰やろ…
左翼がネトウヨと国民について「愚民どもめ。死ぬか黙って俺らのいうことを聞いていればいいんだ」と言っている間に右翼は「日本人であるだけで君達は素晴らしい。君達が報われないのはすべて外国人と外国かぶれの売国奴のせいだ。今からそいつを殴りに行こうヤーヤーヤー」とバカを手懐けている。
右翼はそれを知っているから大多数のバカをだまくらかして一旦政権を握ってから、しれっと搾取するわけ。
愚民なんていらねーっていってもその愚民の力を借りなければ何もできない。
知的エリートが愚民を支配する左翼の理想を実現するには、まず政権を奪取しなければならない。
その過程で右翼に勝つには、国民におもねって今の右翼が左になるレベルで極右になることだ。
政権さえ手に入れれば、あとは年収や資産や学歴に応じた票の価値の重み付けをして投票権の制限をすればいい。
バカは政治に興味ねえし怠惰だから「政治に詳しいボクらが代わりによろしくやっておくよ」とでも言えば票の価値を譲り渡してくれるだろう。
乾燥付洗濯機はヤフオクで5年前のモデルが7万円で落とせる!!
ルンバ的なやつを買え!!
部屋をルンバに合わせろ!!!疲れ方がすごい一人暮らしに掃除は固く法律で禁じられている!!!!
シャワーヘッド使え!!!!使用感変わらずめっちゃ水道代がピカチュウ!!!
食洗機!!!!これもヤフオクで1万円で落とせる!!!まともなやつも!!!買え!!!
高級品に見えて実は中古がピカチュウ価格なやつに課金して怠惰を極めろ!!!!
そんな広い部屋、借りれる!!
月8万円くらい管理費込みで払えるなら...
ククク...!借りれる...!
ポッシブル...!
都心ドアドア40分以内、築15年以内orクソボロだが中部屋きれいなリノベ物件...!
35平米以上...!
WORKING!!といえば伊波まひる。当時からなんで人気があるのか分からなかったが、理不尽暴力ヒロインが苦手/嫌いという考えが主流の今じゃ絶対考えられんキャラだな。
男主人公も問題を抱えているがそれでも登場人物内ではまだ常識的な方。ゲスさスケベさの薄い家事が得意な草食系。
それを「男だから」「近づいたから」「照れ隠しで」で殴るとかどうなん?男性恐怖症という過去を差し引いても恐ろしすぎる。
これがラッキースケベに対する反撃なら昭和的ギャグとして理解もできるが、そのラッキースケベもない。因果関係の無い、一方的な、納得のいかない暴力が「我々の業界ではご褒美です」とか本気で言ってるんだろうか。
そして「男は女を殴ってはいけない」という昭和的フェミニズムにより反撃も許されない。では女が男を理由も無く殴るのは許されるのか?蛸壺屋が書いてた男主人公が思いっきり殴り返す同人誌は最高だった。
武器を持たない相手に刀を振るう女も、ただの怠惰女な店長も、可愛さをを感じないうざいだけの山田もやべーよ。
まあこれは高津カリノ作品に限ったことじゃないけどな。昔に流行った理不尽暴力ヒロイン全般(ルイズ、ハルヒ、ISの女キャラ全般というかあの世界観、俺妹、禁書目録、フルメタ、ラブひな含む赤松健作品全般、ニセコイ、とらドラ等)はもう現代では受けないでしょ。
作る側だって分かっているからそういうヒロインは絶滅寸前。少し前に流行った「主人公を無条件に愛するチョロイン」は古くなり、今の主流は一緒に夢を追いかけたりあるいは戦うような男女平等系。
「強い女」とか書くと急に臭くなるが、ギャーギャー騒ぐだけで全く何の役にも立たない昔のハリウッド映画のヒロインみたいなのは男視点でも嫌悪の対象になる。
まあそういうトレンドの変化に追いつけず古い価値観のままアップデートできていない例もあるけど。一部のなろうとか、戦×恋とか
もう十年くらい昔の話なんだが
仲良い友人と一緒に勉強してたが、
高校3年の秋から自習室に遅く来たりこないととなんかすごい不機嫌になり始めて
それまでほんとやってなかったし
助かった
これを書くべきかどうか私は悶々と悩んでいたし、だからこそ匿名での発表になってしまった。意気地無しですまん。
幼少から私は薄ぼんやりと自分は特別な何かになるんだと信じて疑わない子どもだったように思う。いや、子どもは普通そういう夢想に耽るものなのかもしれないね。
まあ、そんなどこにでもいる、世界で一人だけの特別な子どもだった。
問題はそれからだった。その「特別な自分」妄想は20を越えてもなお続いていた。
「私は絶対に大成する」と漠然と思いながら一日中YouTubeを見て暮らす大学生、それが私だった。
そんな自分に嫌気がさしながらも、変わる努力のめんどくささから目を背け、怠惰に時を貪った。
結局かつての自分が思い描いた20歳の自分の要素は5%くらいしかなくて、夜な夜な泣きながらストゼロロング缶を飲んで東海オンエアを見た。
東海オンエアはいい、最高にくだらなくて最高に面白い。時間を忘れ、今の自分の情けなさから逃れられる。
そして東海オンエアをずっとずっとずっと見た。見ていたらふと「あ、私って東海オンエアにはなれないんだな」と気が付いた。
気が付いた瞬間に目眩がして「酒飲みすぎたかなー」とか思いながら眠った。
そんできったねぇ自分の部屋で目を覚まして思った。「女買おう」と。
ちょっと前にレズ風俗レポでバズった漫画家がいることは、ここにたどり着いている人ならご存知だろう。私はあれを読んで以来ずっと女を買ってみたかったことを思い出した。
「レズ風俗……は、やり尽くされてるしなぁ」別にレポを書いて投稿する気などサラサラないのにそんなことを思った。
普段は面倒な身支度が何故かスルスルと出来て、やりたいことをやるとはこういうことかと思いながら家を出た。
そして女を買った。ハピホテに詳細が載ってないようなしょっぼいラブホで、初対面のおっぱいを揉んで、初対面のおまんこを舐めた。
ラブホ代の倍くらいの値段の安い女だった。
お店に勤めている女じゃなくて、その辺に立っている女だったから選んだ。そういうリスクを冒したほうが楽しそうな気がした。
リスクは楽しいが捕まりたくはないし、とりあえず身分証だけ見せてもらった。私の一つ歳上の女だった。
顔はイマイチ覚えていない。多分ブスではなかったと思う、ブスのおまんことか舐めたくないし。
おっぱいはおっきくて、おまんこはピンク色だった。ほとんどそれしか覚えていない。
行為が終わって一緒にシャワーを浴びたら、そこでまた触り合いっこをした。
気持ちよくはあったはずだが記憶にはない。というか全体に記憶が朧気なのだ。だからレポを書くつもりもなかった。
その後はホテル近くのコンビニで買ったストゼロを二人で飲んで、女に金を渡して一緒にホテルを出た。「結局女なんか買ってもなんにも変わんねぇじゃん」と思った。
ホテルから駅まで一緒に歩いた。何となく雑談をしながら歩いた。その女は大学生らしかった。「私と同じだね」とか言った気がする。
会話にも疲れ、東海オンエアを見ようとYouTubeを開いた。
「え、東海オンエア好きなんですか?!」急にボリュームの上がった声は楽しそうで、ああこの女も普通に生きてる人間なんだなと思った。
思ったらなんか笑えた。
私もこの女も変わんねぇなと思った。
結局何者にもなれないまま生きていくのかと、変に悲しくなりながらバイバイと改札前で手を振った。
オフィスはスマートカジュアルだと決まっているのに、パーカーを着てフロアを歩いているエンジニアは、非エンジニアからすると、パーカーに独特のもっさりとした感じが、やる気を下げる。
パーカーを着ている人は上下ともいつも同じ服なので、身なりが悪い。
エレベーター内でも他社の人やビルの来館者から評判が悪いと聞いており、弊社の社員は身なりが悪い、会社としてちゃんとしていないというメッセージを周囲に発してしまっている。
ジャケットを着てキーボードを打つと膝の部分が擦り切れるといっている人は、膝当てがついたジャケット買えばよいだけの話だ。
エンジニアだからパーカーにジーンズとクロックスでよいという発想は硬直しており、変化を拒む頑なさと怠惰が入り混じっている。それはあたかも、GOSMIAのことをGSOMIAと誤って覚えていることに気づきながら、直さずに誤った語用法を続けるようなものだ。