はてなキーワード: 帰国子女とは
ドイツ在住フリーライターの雨宮さんの記事は以前から読んでいて、いつも楽しませてもらっている。彼女の文章はいろいろ突っ込みどころが多くて、普通の人が日常生活では出さないようにしている部分とかがもろに出てたりして、刺激的だ。その刺激ゆえに読むのをやめられない。いままでどういう突っ込みどころがあったかはこちらの増田に詳しいのでご覧いただきたい。この増田を書いた方も相当読み込んでいるようなので、私と同じように彼女の文章の刺激に魅せられたのだと思う。
さて、最近彼女が現代ビジネスに寄稿した記事が相変わらず素晴らしいクオリティだったので紹介したい。
「海外在住なら外国語ペラペラでしょ」に声を大にして反論したいこと
彼女の文章の素晴らしい点の一つは、論旨の基本的なところは納得できることが多いところにある。たとえば、
住んでいるだけでネイティブ並みになれるのであれば、こんなに海外で苦労なんかしない。「言葉の壁」なんて言葉も存在しないだろうし、それに泣かされたりもしない。言いたいことが伝わらない孤独感に耐え、自分だけが会話を理解できない劣等感に耐え、いくら勉強してもネイティブとは並べない虚無感に耐え、それでも継続的に勉強した結果の「語学力」だ。
私もいま米国に住んでいて、語学で苦労しているのでよく分かる。多少は英語ができるつもりで来たのが、全然相手の言っていることがわからないし、自分の発音は簡単な単語ですら(あるいはだからこそ)伝わらない。彼女の言う通り、孤独感と劣等感に耐えながら地道に努力してこそ得られる語学力、コミュニケーション能力なのは私も実感するところだ。
しかしこれだけで終わらないのが彼女の文章の醍醐味だ。論旨は「海外にいるだけで語学が身につくわけではない」という一言に尽きるのだが、それを伝えるために色々エキサイティングな装飾が付く。
これは、海外に住んだことがある人10人中9.9999……人がうなずいてくれるだろう。「海外に住んでたんだ〜。じゃあ英語ペラペラ?」という質問に、何度イラっとしたことか(そもそもドイツの公用語はドイツ語である)。
先日帰国した際に、私も知人からほぼ全く同じことを言われたが、別にイラっとはしません。自分も海外に住めば英語ができるようになると思っていたところがあるから、来てみないと分からないこともあるよね、で済む話である。しかしここで彼女はイラっとせざるを得ないのである。しかもこの文章が引き立つのは、その前に彼女自身が、
わたし自身も「海外生活」に強い憧れをもっていたし、「海外在住者」や「帰国子女」を特別な存在としていろいろと勝手なイメージを抱いていた。
と書いていることにある。読者はここでドキドキするはずだ。自分も勝手なイメージを抱いていたのに、立場が逆転したらイラっとするってどうなの、と。こうなるともう次のページボタンを押さずにはいられない。
加えて、そこここに散りばめられたマウント感もスパイスとして有効に機能している。
「今日ドイツ人の友だちと飲むけど来る?」と誘ってみたけれど、「日本人ほかに来ないの? その人たちは日本語話せないんでしょ? じゃあやめとく」と言われたことも記憶に残っている。
現地の学校に通ってはいるが、現地の友人とはほとんど会話をせず、日本の受験に向けた日本の勉強にもっとも時間を割き、日本人で固まって行動している。これで英語がまともに話せるはずもない。帰国して「帰国子女だから話せるよね?」と言われたとき、その子たちはどんな気持ちになるんだろうと心配していた。
語学を習得しようとする者の大敵は引っ込み思案、羞恥心であるのは間違いない。とにかく外に出てその言語を使うのが大切なのは、誰でも(おそらく彼女が言及している人達も)理解しているだろう。しかしそれができない人もいる。こういった例示からは「自分はそこを乗り越えて語学を身に着けたんだ、あいつらとは違うんだ」という自尊心がちらついて、何とも言えず良い。
また、ドイツでも「management」や「Game Boy」といった英語は英語の発音そのままで使うし、Brad PittやLeonardo DiCaprioもしっかり発音する。それに慣れていると、「ブラピ」やら「レオナルド・ディカプリオ」やら、カタカナとして発音するのがなんだか気恥ずかしくなってくる(わたしだけだろうか?)。
彼女だけかどうかは分からないが、私は恥ずかしくはならない。日本語には余りに外国語から輸入した言葉が多いので、いちいち米国式の発音するわけにはいかない。さらに言うと、私は日本由来の単語を米国人との会話で出すとき、米国式の発音にする(SushiとかRamenとかね)。そのほうが伝わりやすいからだ。雨宮さんはドイツ人に日本の単語を紹介するとき、「気恥ずかしくなるから」日本語そのままの発音で言うのだろうか。私はその場の雰囲気と伝わりやすさを重視して発音を切り替えるし、周りの日本人も大体そのようにしている。外国語→日本人との会話のときだけこの現象が発生する(気恥ずかしくなる)のだとしたら、その理由が興味深いところだ。
2.しかしその表現には自己矛盾やマウント感が含まれており、読者を刺激する
ということになる。2だけではただの煽り記事になるし、1だけだと読み続けるには刺激が足りない。絶妙なバランスでこれらを調整することで、読者に「この人は素でこんな人なのかもしれない」とハラハラさせ、リピート読者として取り込んでいるのだ。自分にこんな高度な芸当ができるとも思わないが、文章を書く時に覚えておくと役に立つかもしれない。
進学校から普通の大学に進んだ。オタクの友人の殆どは上位国立大に、残りの数少ない友人も早慶に行った中、クラスでダントツ最下位の私大(偏差値50くらい)に進むことになった時は流石に泣いた。
大学在学中、母校の名に恥じぬように勉強そっちのけで趣味とバイトに打ち込み、人並みに恋と失恋をし、ゼミとサークルの中ではただ一人一部上場企業に入り、入ってからも仕事と趣味に打ち込んだ。法学部卒だけど機械系のメーカーに入ったから機械工学と材料科学を勉強し、今ではちょっとしたフィールドエンジニア的な仕事ができるようになった。給料は少しずつ、けど着実に増えていった。
やがて恋人ができ、たまの休日には旅に出た。見た目にも気を使うようになり、背は高くないけどある程度見られる姿になったと思う。個人的な資格試験の勉強も重ね、国家試験を二つ取得し、海外営業できるくらいの英語力は身につけた。
ちょうどその頃、東大大学院から某英国大へ研究員として渡ることになった同期と飲んだ。政治家の卵として日々身を削っている同期とも飯を食った。早稲田を出てベンチャーに入り、子会社へ出向してマネージャーやってる同期とも酒を飲んだ。自分はまだまだだと思った。
そこからまた仕事を覚え、IT系の国家資格も(仕事に関係ないけれど)取ることができた。プライベートではとあるフェスに出演者として招かれ、断続的にではあるけれど音楽に今まで以上に打ち込む必要が出てきた。その辺りで結婚し、互いの合意の下に結婚式は挙げずに海外へ旅へ出た。一年の後、娘が生まれた。
娘が生まれても音楽は続け、転勤後もすぐに音楽仲間を見つけてそれなりに活動できるようになった。給料は年齢の割に貰えるようになった。今では娘を保育園からピックアップするために週に2回くらい早めに仕事を終えるようになった。育児にもそれなりに参加して、士業をしている嫁ともうまくやっている。
つい先日、所用で地元に帰った。そのタイミングでオタクの同窓会をやろうという話が持ち上がり、すぐに参加を決めた。久しぶりに会った彼らはあの当時の雰囲気のままだった。一瞬で関係性は昔に戻り、今ではすっかりご無沙汰な二次元トークに花を咲かせた。
その場でうっすらと気づいたけど、彼らの多くは旧帝国大学を出てはいたが仕事はうまくいかず、もしくは世間に順応できずに辛い日々を生きているらしい。恐らく恋人はおらずに日々をスマホのゲームに費やし、仕事の愚痴ばかりツイートしている。
もちろんそれなりに成功している友人もいて、パイロットや国の研究機関勤務の研究員、財閥系の商社マン、銀行員、国家公務員と挙げればキリがない。ただ、底辺だった自分がそれなりの暮らしができているのは驚きだった。追いつけ追い越せと自分に言い聞かせて過ごした、ここ10年以上の月日を思い出した。
同じような話ができた彼らとも、今ではあまり共通の話題がない。少し悲しくなった。もっと俺を嫉妬させて欲しかった。
いろいろ誤字してスマソ。通勤時間で焦ってたんや。昔は音楽の腕も駿台模試の成績も、友人同士でオタク知識まで競い合ってたんだよね。分野は違えど各々得意があって、無限にエロい話続けられる奴、帰国子女で英語で無双する奴、英語以外全国トップの奴、理系のオリンピックで金メダルとる奴、色んな人がいた。今でも自分の得意を極め続けていて欲しかった。
もちろんゲームだって一つの立派な趣味だけど、昔はもっといろいろ持ってた人達なんだ。この10年以上追い求めた理想のOB像は彼らに大きく影響されたんだ。その彼らと仕事だったり趣味だったり、高校生並の話を今でも続けていたかったんだ。。
多分呼び出されたところまでが本当松
ちょっと衝撃的な出来事があったので書きますね。昔、先輩から呼び出されて「スカート短けーんだよ、調子のってんじゃねーよ」と言われたことがありまして、そのときに「私のスカートの長さが先輩の人生に悪影響を及ぼしているなら改めますけど、そうでないなら私の人生に口を出さないでください」って— 一戸恵梨子 🇦🇺 (@erikoichinohe) November 15, 2019
言ったんですよ。その先輩からね、今日、連絡が来たんですよ。当時、帰国子女として日本で苦しんでたときに、日本に馴染もうとしてああやって振るまっていたけど、息苦しさの正体は人の人生に口を出されることだった、と。— 一戸恵梨子 🇦🇺 (@erikoichinohe) November 15, 2019
そして、私の一言でそれを思い知り、今まで人の人生に口を出されない国にいて心地よかったのに、なぜ日本に帰国したからって人の人生に口を出してしまうんだろうと考えたと。間違いなくあのときの一言が人生を変えたと。とても遅くなったけど、ごめんなさいそしてありがとう、と。— 一戸恵梨子 🇦🇺 (@erikoichinohe) November 15, 2019
30代帰国子女。
子供が幼稚園に入園し、小学校への入学を考え始めた時、日本の小学校に入れるのが夜も眠れないぐらい不安になってきた。
小学校の途中でアメリカから帰ってきた私は、いじめにあうどころか、物珍しさかクラスのリーダーグループに入れてもらい、長く海外で育った帰国子女としては珍しく非常にスムーズに日本に適応できた方だと思う。その後、特に問題なく中学受験・大学受験にも成功し、日本人としてきちんとこの年まで人生を送ることもできた。
それでも、日本の小学校のことを思い出すと、不安になり、子供をどうしても通わせたくないと思い、インターナショナルスクールなどを検討し始めた私を、日本生まれ日本育ちの夫は怪訝な顔で見ている。
そんな時ネットでたまたま鴻上尚史さんの、帰国子女のお嬢さんに対するアドバイスを読んで、首がふりきれるぐらい頷きたくなった。
https://dot.asahi.com/dot/2018081000019.html?page=1
そう、きっと私はこの同調圧力が怖いのだ。
みんなと一緒でなければいけないというプレッシャーに、子供ながらに悩み苦しみ、日本社会で生きていく中でそれなりに折り合いをつけてやってきたつもりであっても、まだまだそれが怖くて、子供をそういう環境に入れたくないのだ(そして私も親としてその環境に関わるのが嫌なのだ)
子供が大事にしている価値観や趣味、子供ながらに抱いている自分に対するプライドを潰してしまうかもしれない環境が迫ってきているのが不安で不安で仕方ないのだ。
ただ、一番の問題は、子供が日本の小学校に行きたがっているということ…。英語の小学校は嫌だと全面拒否をしている。
子供には英語の習い事などをさせているが、親も先生も英語が話せるのに自分だけが話せないのが苛だたしいのか、私が英語を話すと激しく怒る。
母国語できちんと考える力を身につけるためにも、本当は日本語環境においてあげたいのだが、日本語かつ同調圧力が低いという環境が全く見つからない。
私立・国立の小学校も調べてみたが、小学校受験に対応している小学校は近所の公立小学校より更に同調圧力が強そうで、完全にオプションから外した(そもそも、小学校受検のために、親としてネイビーのワンピースを来て、小学校受検の塾に通わないといけないというのを想像するだけで辛い)
最終的に、子供の願いを叶えて日本の小学校に入れてあげるべきなのか、インターナショナルスクールに無理矢理入れてあげるべきなのか、悩みは尽きない(インターナショナルスクールに合格してからどちらに行かせるか悩めばいいという夫の実務的なアドバイスに従い、とりあえずひたすら願書を準備している)
帰国子女さん、英語できないウェイターにマウントを取ったため炎上してしまう。 - Togetter https://togetter.com/li/1410759
な?君らこういう女叩きは大好きやろ?だからこういうタイトルにしてまとめてPV稼ぐヤツがでてくるんやで? - hate_flagのコメント / はてなブックマーク
https://b.hatena.ne.jp/entry/4675140027915361186/comment/hate_flag
この猛虎弁の人のブコメはおそらく誤解を含んでいます。少なくともこのタイトルは明確に女叩きではありません。
「帰国子女」という単語に含まれる「子」は男の子(子息)、「女」は女の子(娘)を表しています。Princeが「王子」、Princessが「王女」となるのと同じです。おそらく現代日本では女性の名前に「~子」が使われるようになったこともあって、「子女」という文字面から女性のみが連想されがちになったのではないでしょうか。
「是非は別としても世界的に見て日本は特異(未成年者を性的表象として扱うのに慣れすぎ)」という外国人・海外在住者・帰国子女や、
キズナアイのデザイナーは女性で、ごく普通の「かわいい」イラストを売りにしている人。
「エロく描いてる」とレッテルを貼るのはミニスカートを見て「絶対俺のこと誘ってるだろw」とか言っちゃうセクハラ親父と同じメンタルでしかない。
「絵は気にならないけど若い女性がいつも聞き役・アシスタント役という性役割は実際まだまだあるよね」という反応もあったのに、
広く一般的なマジョリティのための議論は大切だが、デマの被害者を踏み台に利用するな。
そういう議論がしたいなら改めて席を作り直せ。
そして最初にデマを流したのはやはりフェミニストであり、後からも決して少なくないフェミニストを名乗る人々がよく調べもせずいっちょ噛みし続けたという事実から目をそらすのはやめた方がいいんしゃないかな。
別に「フェミニストは絶対悪ゆえに滅すべし」とか主張するつもりもないし、フェミニストのなかにもいろんな人がいるだろうし、「そういうフェミニストもいるだろうが、自分は違うし一括りにするな」と言うなら無視するわけにもいかないが。「フェミニストは関係ない!」っていうのは流石に卑怯なんじゃないかね。
まあ、自分も一時期ながらsaebouなんかに傾倒して、あの人がただの差別主義者であると気付くのに数年かかってしまって、半ば私怨でフェミニストに対する恨みがあるのも事実ではあるが。
皆バイリンガルトリリンガルだしこれなんで自分採用されたん?誰かと間違えてない?
時間かけりゃ何とかなるってんなら根性出すけど今から頑張ったってこの周りの人たちには追い付かないし永遠の周回遅れを走ってるのつれー
あとなんかもうにじみ出る皆様のお育ちの良さが息苦しい周りの中年帰国子女ばっかであー親御さん裕福だったんですねーってこれもどうしたって埋まらない差じゃんつれー
見た目がきれいってんじゃなくて人当たりとかイベントへの躊躇のなさとか堅苦しすぎない関係の築き方とか
こちとらずっと頭押さえつけられてた天涯孤独の公立アンドブラック育ちだよ家族の話とか天気の話みたいに振ってくんじゃねえよクソ悲惨なニュースは違う世界の話ってかクソ
そんでまたみんないい人なんだよなーお説教とかしないし優しいしでもまあこいつ貧乏底辺のマインド違う系だなって思われて一線引かれてる感あるよなー
やっぱ上級国民ってのはあるわ
社会人学生やりてぇなと思ったので自分の受験生時代を思い出してみたら、英語がネイティブレベルだと東大受験めちゃくちゃ楽だったんじゃないかという話。
増田には旧帝レベルの受験経験者が多いと思うのでわかってくれると思う。
ちなみにこれは帰国子女一般の一般論を話すつもりはなくて、もし自分が受験生の頃英語が得意だったらという話で話を進める。
高校生の頃から英語がネイティブレベルというのは点数の面でも勉強時間の面でも圧倒的にアドバンテージだ
点数の面では40点分のアドバンテージがある。
僕が合格したころは英語が60/120くらいで合格したのだが、これが100/120が取れるという前提はかなりでかい。
合格者平均も大体それくらいだったと思うので仮定としては無理のない前提だろう。
40点も余裕があると物理・化学のうち片方は1問解くだけでいいレベルになる
英単語、古文単語、英語長文読解、地理(センター)、化学(無機有機)、リスニング、の順で苦しかった
数学や物理なんかは比較的楽しんで勉強していた方なのでそこまで苦行に感じることはなかった。
となるともしこのうち英語が必要ないとなれば苦行の3つは消えるわけだ。
さらに言うと点数面でのアドバンテージがあるので化学を捨てていいことになるわけだから化学の暗記も手を抜いて良いことになる。
これは圧倒的に楽だ。
あぁ楽しいなぁって言いながら数学と物理を解いて隙間時間に古文漢文センター地理をやって気休めで鼻ほじりながら化学をするだけで合格できてしまうんだ。
顔はすごく可愛いけど、帰国子女でしばらく海外に住んでいたらしく日本語があまり上手くない上に、たまに奇妙な行動を取るという事で、いじめの対象になってた。
自分はというと、友達は多い方ではなく、あまり目立たない人間で、いじめをすることもされることも無く、1人で図書室で読書をして過ごしてた。
自分も昼休みは図書室で過ごすのが常だったので、自然と顔を合わせる機会が増えた。
どういうきっかけで話すようになったのかは覚えてないけど、図書室っていうほとんど誰もいない場所で、ほぼ毎日顔を合わせてたので、仲良くなるのは自然なことだったんだろう。
話していくうちに、転校生がとんでもなく勉強が出来ないということを知った。問題文を理解するのにも一苦労らしい。日本語が上手くないんだからそりゃそうか。
それからは、自分が部活がない日なんかは宿題とか勉強を帰り道に通る公園で見るようになった。
そういう日々が高校受験辺りまで続いた。
ちなみに3年でも同じクラスにはならなかった。
転校生が、夏なのに手袋つけて登校してるのを見て、(これがみんなの言う奇妙な行動の一端か……。)と思ってみたり
調理実習でクッキーを作ったんだけど、転校生が触ったのは食べたくないからって転校生の作ったクッキーだけ誰も食べたがらなかったという話を聞いて、自分が同じクラスだったら食べてやったのになぁとか思ってみたり
バレンタインデーには、部活終わりに一人で帰ってたらたまたま帰り道一緒になって、転校生から本来渡すはずだった人に渡せなかったチョコを貰って、お前好きな人いたんかい……みたいな少し驚いてみたり
ホワイトデーでのお返しは、2人になった時に渡そうと思ったのにそんな時に限って全く2人になれないから結局自分で食べてしまったり
転校生は私立の推薦入試、自分は公立の一般入試だったので、転校生は早めに合格が決まってた。
自分の家庭は貧乏な上に、妹が二人いたので何がなんでも公立高校に合格する必要があった。しかも志望校が県内でも割と偏差値高めの高校だったので、昼休み図書室に行くのもやめて教室で勉強してた。
当然、転校生とは会うことはほとんどなくなってたし、勉強に結構集中してたこともあって、受験が終わるまでは転校生の事はほとんど忘れたままだった。
見ていると時々はそういう人にも遭うが、まあどちらかといえば日本じゃ少数派だろう
それに加えて運の悪いことに、俺は帰国子女だった
小学校低学年で日本に帰って来て、学校ではいじめというほどじゃないが微妙にからかわれた
何かっていうとすぐ「これ英語で言ってみろよ~w」とか「お前日本人じゃないしな~w」とか
それがやっぱり地味にトラウマだったらしくて
未だに「白米好きじゃないなんて日本人失格だなw」みたいな言葉には心が折れる
まあこっちも年とったから、そのくらいの心の折れ方は慣れっこで聞き流すが、愉快ではない
たぶん言ってる方に悪気は全然ないと分かるだけに、こういうのは決してなくならないんだろうなと思う