はてなキーワード: 天才とは
あ〜、なるほどなぁ。未経験から年収2000万なんて、ほんまに夢ある話やなぁ。ほんで、あんたのやり方なんて、まるでカンタンそうに見せてるけど、ほんまにそれでみんな成功するんやろか。まぁ、天才やからできたんかもしれんけど、普通の人がその通りにしたら、遠回りに挫折しまくりそうやなぁ。
あんたの道のりがかんたんすぎると感じるかもしれんけど、現実はもっと厳しいもんやで。まぁ、みんながその通りにできたら、世の中エンジニアだらけで大騒ぎやな。ほんまに、あんたは運が良かったんちゃうか?それと、ちょっと自信過剰かもしれんな。まぁ、その自信が成功の秘訣なんかもしれんけど、あんまり他の人にそのまんま真似させたら、余計な混乱生むでぇ。
はぁぁぁぁ、長かった! でも面白くてとくに山王戦の後半からは一気に読んでしまった。
長々と語り倒したい気分だったけど、読後の心地よい疲労感を味わっていたいから、感想は手短に終わらせよう。
たった数ヶ月という短い期間の間に爆速で成長していく桜木花道を見守るのは楽しかった。溢れる天才性でもっと簡単に駆けあがっていくのかと思ったら、案外地道に練習を重ねて、試合の中で少しずつ学んでいくところが、リアリティがあって好き。
そんな花道にとって山王戦はそれまでの学びの集大成だった。得意のリバウンドを極めるだけでなくて、戦況とこれまでの経験から対戦相手の出方を読むまでになったのはすごい。
他の湘北メンバーもずっと自分本意だったのが、デッド・オア・アライブな状況での無我夢中ながら共闘できるようになったのがいいな。
山王戦までの試合では、湘北の終盤の巻き返しがエグいので、主人公チームなのに悪役みたいに感じられて、相手チームを応援したくなるのだが、山王戦はずっと、行けー! 湘北行けー!! の気持ち。クライマックスは本物の試合を見ているときのように感動してしまった。
インハイが終わったところで物語も終了してしまったのが、ちょっと残念。花道と流川のコンビが試合で活躍するところ、見てみたかったのになあ。
ちなみに、好きなキャラは晴子さん、仙道、フクちゃん、宮益。晴子さんは、見た目と性格によらずバスケに対して複雑な思いを抱えていて、それでも腐らずに知識と経験知を惜しみまずに花道に色々教えてあげてるとこがいい。仙道以下の好きなとこは省略。
いい漫画を読んだ。これまでの人生で読んだ全漫画の中で2番目に好きだ。この年になって、自分の中の大好きな漫画ランキングの順位がこんなにも大きく入れ替わるとは思わなかったなぁ。
凡人あるいは馬鹿が意味の分からない難しい大学の理論永遠と聞かされる退屈具合と、
逆に普通の大人が小学校1年生の授業延々と出続けなければならない張り合いのない意味での退屈具合と
どっちの方が苦痛なんだろうか?と思うんだわ。
てかさあ「耐えられない」っておかしくね。天才様ってどんだけわがままなの?
「仕事」なら、苦痛だろうが耐えられるのが普通だろ?それは金もらってるからだろっていうかもだが、学生の仕事は勉強が本分なんだから金もらってなくても耐えれないのは社会不適合者だろ。
まず最初にアンチ石丸さんについて、石丸さんの発言からあいつ中身ないし、何言ってるかわからないから頭悪い。
頭良い人は頭悪い人にもわかりやすく説明するから、石丸は頭悪いみたいな論法に対する回答としては、それは間違いかなと。
石丸さんが頭良いか、頭悪いかでいうと、それは頭は良いでしょと思う。
普通に京大出て、UFJのエリート街道(海外任されるくらいだから勝手にそう思ってるけど)に乗って、地方とはいえ市長になって、都知事選に出て得票数2位まで取って、これで頭悪かったら人類の99.9%は頭悪いでしょう。
中身がないとか、何言ってるか分からないから頭悪いっていう問題については、頭の良さと分かりやすく説明する能力は別能力だと思う。
哲学書読んでみ?稀代の天才達が書いたこと、ほとんど何言ってるか分からないよ。
説明の能力とは別に、説明の目的もあると思う。ある事柄について10%くらい間違った理解させても良いなら大抵のことは分かりやすくなるけど、100%完全に理解してもらいたいと思ったらかなり厳密に言葉を使わないと達成できなくて、多分だけど石丸さんは後者なんだと思う。
それが良いことかどうかは別の議論。まあ90%理解でも国民に理解させるのも議員の仕事といえば、まあそれはそうかもとは思うし別にそこ否定する気は全くないです。
石丸さんは前者もできる人なんじゃないかな。普通にやってる時もあるし。ただ、後者を大事にしてる人なんだろうなっていう感想。
あとは人格批判する人はよく分からないですね。パワハラしそうとか。
まあ個人の感想なのでどうでも良いですが、人相が悪いとかパワハラするとか、石丸の本質は、とか言ってる人見ると、あなたは今までの人生でちょっとでも人間関係で全く被害を被ったことないのね?とは思う。
会ったこともない人の本質分かるくらいだから人事部長とかやった方がいいですよ。最強の従業員揃えられる。
石丸さんが性格良いとか悪いとか、正直分からんです。会ったこともないし。
少なくとも論理で話する人には見えるから、個人的にはああいう人の方が上司だと色々予想はしやすいと思う。
論理が伴ってれば特に問題なさそうだし、論理が弱いとめっちゃ突っ込まれそうだし。後者が多い人は面倒臭い上司っていう感想を得るんでしょうね。
ちなみに自分も多分後者なので面倒だとは思うかもしれませんが、別にそんなに嫌いなタイプの上司ではないかな。
忙しい時に突っ込まれたらムカつくけど、落ち着いて考えると別に間違ったことは言ってなかったなってなるタイプなので。
他にも石丸がこんなに票取れるの意味わからんとか、理解できないって言ってる人もいましたけど、石丸さんは自分の活動であれだけ票が取れると思ってたからあのような活動とか発言をしたわけで、それが理解できてないっていうことは少なくとも発言者が石丸さんより選挙においては劣っているっていうことの証左になるなと。
石丸アンチなのに自分が石丸以下であるって発表するとはこれいかにって感じ。
とまあ石丸さん擁護っぽいことを書き連ねましたが、別に石丸信者でもなくアンチ界隈のツイッタランドを見た感想でした。
上にも書いたけど正直人間性とかよく分からんし、批判すべき点もあるだろうから、石丸さんなら絶対に日本を良くしてくれる!みたいな信者も個人的には理解できない。(特に否定もせんけど)
最後石神が慟哭したシーンで色々考えてしまって、その理由の考察を色々ネットで見たが、あまりピンと来なかったので自分なりの感想を書いて考えをまとめたいと思う。
概ねネットで調べた範囲だと、自分のプランが崩れてしまい守りたい相手が罪に問われてしまうことによる悲しみだとか悔しさとかが理由と捉えている人が多かった。
個人的には自分のプランが崩れたっていうところに違和感があった。主人公は作中で天才物理学者であり、その主人公をして天才と言われている石神が失敗するのだろうか。
最後に石神が渡した手紙の内容はあまりにも同情を誘うものだったように思う。本当に自分が捕まって終わりとさせるのであれば、相手に嫌われるストーカーとしての手紙を残しても良かったのではないかなと。
石神は本当に自分の不幸で、花岡が幸せになるのであれば良いと考えていたと思うが、一方で1%くらいは自分のことを考えて欲しいと思ったのではないか。
そして、花岡が最後現れた時に、一瞬喜びを感じ、そしてそんな気持ちを持ってしまったことに対しての罪悪感に襲われたのではないかなと思う。
どうしてと言いながら泣き崩れていたが、花岡に対してどうして来たんだというより、自分に対してどうして最後に自分の欲望を出してしまっただろうということではないかなと。
なんか不調ってわけではないんだけどそんな気がする気配を感じた理由の一つの解消法として、
私は入浴を試みることに心に誓って行ってみたの。
やっぱりここ最近の空調のがんがん効くタイプの事務所に居るから、
と言うのも昨年さ、
なにか事務所というかビル全体の空調が何かメンテか何かなったらしく、
それ以降よく効くようになったのよもう富山の薬よ!
この寒さの蓄積が身体の冷えに関連してなにか調子が降下気味な気がするのよね。
そして
ここ最近しっかりお湯に浸かって温める作戦を身体の中から叫びまくりまくりすてぃー山脈に向かってヤッホー!って叫んだところなのよ。
そうバブみを感じつつ
バブを握りしめながら湯船に浸かって、
世界を救いきれなかった悔しさで、
溶けて無くなっていくバブにその少女の思いを重ねて見つめる感じに
でもふと思ったんだけど、
バブとかってそういう入浴剤。
普通1回に1つ入れるじゃん。
2つ入れたら効果倍増な気がしない?
使ったら疲れが2倍取れる!みたいな。
それはないかー。
公式の見解があればバブ2つ入れてバブ爆売れ間違いなし!ってなるなら
初めから2つ分のくっつけた大きさのバブ作れば天才じゃない?って思うの。
でもまあ
1日1回1つとバブは決めて入浴するのよ。
腰がさちょっと痛かったのピクピクしていたのが緩和されたみたいな気がするわ。
ここ最近の身体が冷え気味だったのがそういう気味だったような気がする。
ちょっとしばらく続けて入浴してみることにするわ。
そんで、
久しぶりに入浴するもんだから
ずーっと前に買っておいてお風呂の時に使っている
お風呂対応法人専用防水タブレットを使おうと思ったら充電量が18パーセントで
でもこの残りのパーセントで戦うんだ!って
こういう時に限って電池無かったりして、
お風呂に入っているときにぼーっと何も考えずに見られるのは持って来いの助だわ!
しっかり1回温めてみるのもいい名案だと思うわ。
うふふ。
夜は最近少なく食べるか早めに食べるか
どうしてもって時にはチョコを数かけら食べるとか
そうやって夜の食べることを極力なくしているので
朝の爽快な空腹感にぶっこむサンドイッチは身体に染みて美味しいわ。
感じるサンドイッチの美味さね!
うまうまイェーイ!ってところかしら。
水出しルイボスティーウォーラーが美味しくて朝のごくごくが捗るわ。
あと1杯分あんので作ってまた今夜夜こしらえておくわよ。
明日の朝用ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
6歳年長なんだけどさ
夕方の公園、同年代の子はもういない、友達も全員帰宅、でもまだ自分は遊び足りない
そこに果敢に「一緒に遊ぼ」しにいったのよ。
女の子たちは以前からよく見かける子達なんだが、かなりお育ちが悪いグループ、
いつも傍若無人に遊んでる
息子のモテモテ人生もここまで、社会舐めんなよ、大人の現実世界の洗礼を受け挫折するが良いさ、と静観
息子が名前を名乗ると名前いじりされた、それでも一緒に遊ぼうと頑張ったが
(ちなみに女子たちは近くに居る俺が父親との認識は無い、目線も向けなかったので)
まぁそうなるだろなw泣いてこっち来るだろな、なんてフォローしようかと待っていたが、
彼は20mほど離れた木の上に登って背を向けていじけ始めた
結局女子たちは慰めに行った、しかしすぐには許さない、女子たちの自責の念を醸成させ謝罪させ、そこから完全に主導権を握って4人で遊び始めた。すげぇぇぇぇぇぇぇぇ
それ計算してやってる?
普通なら俺のところに泣いて来るよね?
ともかく女子たちを散々振り回して遊び、
自己中鬼ごっこ、自己中だるまさんがころんだ、自己中水鉄砲のフルセット
女子たちは門限を相当超過していたようで「やっべぇマジ叱られるーーー」と絶叫しながら帰っていった。
息子は「あー楽しかった」だぜ。こえぇよwwww
キラキラした仕事に挑戦してもいいし、公務員やってみてクソ溜めだから辞めますってしてもいいし、バイトで食いつないで夢追してもいいし、とにかく35までなら人生は色々と出来る。
逆に言えば、その時期までしか人生って軌道修正が効かないんだよね。
もっと言えば、そんな時期になにか出来なかった奴は何者にもなれない人生を歩むしかない。
学生時代の頃は「テスト勉強が忙しいから」と言い訳出来たし、社会人になりたての頃は「とりあえず生活と仕事を安定させる」と言えた。
ないなら作ろうとすることが出来た時期が。
28~33ぐらいの5年間程度だけかも知れないけど、結果を出してる人はそれぐらいの時期にちゃんと積み上げるものを積み上げて勝負してる。
学生時代からバリバリやってましたってタイプは天才だから比較しても仕方ないにしても、社会人になってからも「眼の前の仕事が忙しいから」で言い訳し続けてるうちに秀才たちに追い抜かれていくのはちょっとどうしようもない。
35から先の人生って肉体的なトラブルが急増するのと、マネジメント的な立場を仕事で求められやすくなる以外はあんまり30~35までの人生の焼き増しになりがちなんだよね。
30~35までの間にやってたことをあと5回ぐらい繰り返して定年を迎えて、そっからは体の自由が効かなすぎてもう老後モードの人生しか送れない。
つまりさ、30~35までの間にやってたことがほぼ0に等しいことは、そのあとの30年間においても結局0に等しいんだよ。
「俺はいつか作家になるんだぜ!カクヨムに投稿したことさえないけどな!」みたいな奴はその後の30年かけてもカクヨムに1作も投稿せずに終わるだろう。
「俺はいつか凄いプログラマーになるんだぜ!今は仕事が忙しくて土日は家事やって寝るだけで勉強してないけど!」みたいな奴はその後の30年も土日は寝て過ごして後輩にドンドン追い抜かれる窓際コーダーになるだろう。
自分の頭の中だけにあったフワフワした人生設計と、実際に自分が歩んでいる人生の差、それに対して言い訳が出来なくなるのが35辺りなんだよ。
それこそ30ぐらいだったら「もうこなったら飛び込んでいくしかない!業界の中の最も熱気のある場所に入ってそこで日々火の車になることで自分を鍛える!」みたいなレールに乗り移るチャンスも0じゃない。
でも35になるとそういう道に進もうにも過去実績が少なすぎるともう無理になる。
学生時代のように「まあ俺もそのうちガチるし。なんか2組の増田は今からガチってるらしいけど、まずは受験勉強優先じゃね?」とやってない自分に対して言い訳をしてる時間なんてもうなくなっているという現実と立ち向かうことになるのが35歳。
35歳になったら狂うんじゃなくて、元々人生設計が狂っていたことが確定事項だって認めるしかなくなるのが35なんだよ。
トレーニングなんてもうずっとやってない元運動部が「暇な部署に移ったらめっちゃトレーニングやり直してそれからプロ試験受けてみるんだ」とかフワフワした人生設計してたことに対して「いやこの年ではもう無理でしょ?」ってのと向き合う年齢だ。
あとから入るのが簡単そうな業界だって、35まで本当に何もやってこなかった奴なんて調べてみれば全然いない。
表に出てくるのに時間がかかった人でも下積みを始めてきたのは20代の頃からだ。
そういった人達が結果を出すまでに積み上げた時間に数字だけでも追いつこうとしても、35までロクに何もやってこなかった奴のペースでは100歳までかかっても追いつけないという現実にふと気づく年齢が35歳だ。
頭の中に漠然とあったスーパーな自分が歩もうとしていたペースと、実際にリアルな自分が歩んできたペースの違いがあまりにも大きすぎると気づくのが35歳。
突然に狂い出すんじゃなくて、最初から狂った予定を立てていたということを認めるしか無くなるのが35歳だ。
そして狂った予定を立てていた人間ってのは自分に対して「いつか人生めっちゃ上手くいくから頑張ろうぜ」という誓約をたてていたりする。
でもそんなのは大嘘で、目先の欲に流されたり日常に苦しんだりして必死にジタバタ生きるだけの毎日が今後も50年続くのが目に見えてくる。
自分で自分に嘘をついていたことを認めるしかなくなり、自分に裏切られた自分が悲しみと怒りと情けなさとどうしようもなさでグチャグチャになっていく。
それを「35歳から狂いだす」と呼ぶ人がいるんだろうけど、そうじゃない。
「とっくに狂っていたことから逃げ切れなくなるのが35歳から」ってことだ。
始めから狂っていたくせにさも「何もしてないのにいきなり人生が壊れた」みたいに言い出すのは違うだろ。
周りを見てみれば分かるが、狂ってない人達は最初から自分の人生に大層なものなんて求めて来なかったんだぞ。
ただ生きて、チキンラーメン程度の美味さの物を食って、たまにハーゲンダッツぐらいのものを食って、毎日ちゃんとお湯張った風呂入れて、ニトリのベッドで寝て、Switchのゲームでもやって、それで十分だと割り切ればいいだけだぞ。
俺は凄いやつでいつか凄いことが出来て、学生時代に俺を見下した同級生を見返してやるし、一人だけ賞を取って別世界に行った友人にだって追いついてやるんだみたいなこと考えなくて良いんだぞ。
俺は性格が悪い
とは言えリアルタイムで追跡していては10年20年かかる
ネットの検索機能を駆使して過去のブログを掘り出し、その後どーなったかを追う
概ね6歳7歳でただの凡人、いや、アホだわと気付きブログをそっ閉じするのが大半、笑える
昔は個人情報の意識もヌルく特定可能な情報が散りばめられていた、実名も多かった
この喜び分かる?
ところが、昨今は過去の記事を検索するのが大変、かつブログサービスの終了や個人情報保護が進みアカウントごと消去、Googleキャッシュにも残らない
検索で出てくるのは15年20年ブログを継続している記事ばかりで
とはいえその中から車に轢かれて死んだとか、難病とか、突然グレたとか
期待してスネークするがなかなかお宝は掘り出せない
面白くない世の中だ
アーカイブ系サービスやらを駆使すれば今でもお宝は眠っているのだろうが
同じ趣味の奴、いる?
ラストオーダーとか、無印以外は作画力は凄いけど、無印の頃の面白さには敵わんと思ってる
無印銃夢はラストの打ち切りへの早急感、絵柄の変化が否めないが、急いで話を畳むことになった割には、あれはあれで普通に面白く思ってる
まあ、途端に紙芝居っぽいというか、プロット書き並べた感は否めないが
木城ゆきと作品は過去の読み切りの時点で自分には天才だと思える漫画家のひとりなのだけど、
自分が一番最初に木城ゆきとの漫画を読んだのは、地元の田舎の本屋で買った雑誌の「宇宙海賊少年団」だったと思う
あれを読んだ感想としては、絵は凄いんだが、物語の対象が雑誌の読者の年齢層よりちょっと下に設定されてる感じ、
悪く言えば物語が幼稚というか子供が対象になってる感じがして、自分もその雑誌の読者層の年齢だったので、物語はあんまりに思ったのだけど、
それでも、それから銃夢を知るまで、ずーっと印象には残ってて、
ビジネスジャンプで銃夢初めて読んで、夢中になって、あの「宇宙海賊少年団」の作者だと知って、あー、画力は間違いない、
でも、掲載紙であるビジネスジャンプの読者層である年齢向けにちゃんとなってるどころか、
スナッフビデオ撮影する殺人鬼は出てくるわ、でも、その殺人鬼の人生の悲哀に泣いてしまうわ、
主人公が愛する人のバラバラ死体が箱詰めになって出てくるわ、ビジネスジャンプのビジネスとは?と思ってしまうぐらい、ぶっ飛んだネタもあって面白かった
なんとなくであるが、木城氏は普段からネタ帳みたいなのを書いているとか、ネタを集めていて、
銃夢は屑鉄町とかモーターボールとかザレムとか、バラバラに漫画として描いても面白いんだろうけど、
そのバラバラの話を~編みたいにして、主人公のガリィで串刺しにする感じで描かれていて、当然ガリィの旅とか成長としても描かれるわけで、
話がバラバラの短編だったとしても十分面白いのに、ガリィの話として無理なく統一されてる感じがして、そこも非常に良かった
年に何個も取得出来るのはごく一部の天才だ。お前天才?1個取って次考えよう
他に取らないなら良いけど並行は無理。取ったら次。そもそも時期決まってるんだからそこに合わせてスケジュール建てよう
そういう奴ミニマリストで生活全て効率化してるか資格以外全て終わってる脂ぎった髪とかしてる奴よ。受かるのは自分のペースで勉強やりきった奴
今から勉強するなら春狙え。半年見とけば1日の勉強量は15分くらいよ
あの論文書かせる馬鹿試験さっさと改訂しろ。IPAでいちばん糞。というか論文書かせて何の意味があるんだ。あの勉強出来るかを評価するならマジ時代遅れ
2級までで良いから取ると金の流れ分かって結構役立つ。糞PMは大体ザル勘定
顔がぺしょぺしょになるくらい泣いてしまった。
原作をあまり好きじゃないので、映画の前評判がよくても観るのどうかなあ? と躊躇ったんだが、観てよかった。
映画版のどこが好きかというと、京本の藤野に対する感情が丁寧に描かれているところ。原作でも、京本は藤野に対して盲信レベルの好意や尊敬の念を懐いているのは解りやすくかかれているけど、映画版で良いと思ったのはそこじゃなくて(そこは原作に忠実にえがかれているが。)、いつも藤野に手を引かれ、彼女の背中を見つめていた京本の感情の大きさの描写だ。
自分のことを子供部屋から外へ連れ出してくれて、外の世界を見せてくれた藤野の背中が、京本の目にはどんなに頼もしく、そして眩しく映ってたのかということ。繋いだ手はやがてするりと抜けて離れてしまいそうになるが、指先だけが引っ掛かかっているだけになっても、藤野は京本の手を離さない。
だが、共に外の世界を歩きまわるなかで、京本は自分自身の興味関心ごとを見つけ、藤野の手を離れ立ち止まる。
原作を読んだとき、あまりこの話好きじゃないなーとおもった原因が、京本の気持ちがいまいちよくわからなかったことだ。彼女が藤野とは別の道に進もうとするのは、単純に絵が上手くなりたいという欲求だけでなく、心の底に隠し持ち燻らせてきた不満がそうさせるのではないか? と邪推してしまった。京本のそんな様子が藤野に寄った視点で描かれていたので、藤野の気持ちも天才肌な友人に対する嫉妬や支配欲の発露なのかと思ってしまった。
という、どこまでも交じりあわない、噛み合わせの悪い二人、という印象が、原作を読んだときには京本の得体のしれなさにより強化されたように感じた。
けれども映画では京本の感情よりクリアなので、藤野とは別の道を歩むと彼女が告白したとき、そこには藤野に対して何らかのネガティブな感情があるわけじゃなくて、本当に自分のしたい事が見つかったこと、そして自分も藤野のように自立し自由に歩いてみたくなっただけで他意はないということが伝わってきた。それに連れて、そのときの藤野の心情の解釈もかわった。支配したい、足を引っ張りたいというより、唯一無二の友人が去っていこうとしていることへの淋しさ、置いて行かれることへの不安。いつも自分の足で立ち果敢に前進していた藤野だが、京本なしには心もとなくて歩いて行けない。
噛み合わないと思われた二人だが、漫画という共通点で繋がり、共に漫画を描いた日々を過ごしたなかで、唯一無二の親友同士になっていた。その関係性の精緻な描写のお陰で、観ていて変な邪念が湧きづらかった。
藤野と京本、彼女たちが互いの持ち味でもって共同し漫画に打ち込んでいた日々。それは藤野はもちろん京本にとっても楽しく幸せな日々だった、というのが、作中のリアルの時間軸ではなく、思い出として物語の終盤で示されるのも、良い演出だった。
映画を読み解くうえで一番核となる部分は、ソレが最後の会話で言う「私を愛していると言ったとき」という言葉であり
これに繋がる前奏として、カラスを殺してソレにお礼を伝える野良猫にソレが独り言のように語る言葉がある。(ヘジュンがソレを尾行しており、その時の中国語を録音して翻訳機で韓国語に変換している)
その際のセリフが「またカラス?私にプレゼントをくれるならあの親切な警官の心臓をちょうだい。私はそれがほしいの」
心臓をちょうだいというフレーズは殺してくれという物騒な意味にも取れるが、実際は「心が欲しい」=心を手に入れたい というロマンティックな表現であったというネタバレがソレ本人の口から説明されている。
それのリフレインのように、私を愛していると言った時というフレーズについてだが、韓国語がわからない日本人のレビュワーからは、録音の中にあった「そのスマホは海に捨ててください 深いところに捨てて、誰にも気づかれないように」
の部分だと解釈している人が多いが、そうではなく、まずはそのシーンの後
ソレは「崩壊」という単語の意味がすぐには理解できず、ヘジュンが去った後スマホで単語の意味を検索している。そしてその音声ファイルのタイトルをその時の検索結果「壊れて崩れる」にしている
そして最後のシーン、録音を再生する時、最初は一番大切な「僕は完全に崩壊しました」のフレーズがスキップされており、①音声ファイルがどの部分のことを言っていたのか(録音ファイルを消させるのも簡単だったでしょう部分)
から②深い海に捨てて、誰にも見つからないようにしてください 部分だけがリプレイされる。
この部分を反復し、なにかを悟ったようにしているソレの表情は「深い海に捨てて、誰にもみつからないように」を自分自身が実行することが唯一の解決策(ヘジュンを崩壊前に戻し、自分がヘジュンの未解決事件としてずっと残り続ける)になると気づいてラストシーンへの決心を固めるシーンである。
その後改めてヘジュンが録音を聴き直すシーンでは、最も大切な「僕は完全に崩壊しました」を再生することで、その部分が核心であったことを指していると思われる。カラスの時の「心臓をちょうだい」のフレーズと同じで、「僕は崩壊しました」が、「我を忘れるほどあなたに心を奪われました」という形で解釈できるのであろう。自分は日本語と韓国語しかできず、中国語での言い回しや言葉の解釈はわからないが、おそらくカラスの時と同じような翻訳でのニュアンスや受け取り方の違いがあるのだろうと思う。
実際ヘジュンは「僕がどうしてソレさんを好きかわかりますか?」と何度も質問しており、そもそも「愛している」と言葉に出さずともわかるだろうがというところは置いておきつつ、実際のそのシーンはこちらが真実だと思う。
一度しか見ていない人も、何度も見ることで毎回違う気づきが得られる素晴らしい映画だと思うので、今ならHuluなどで見返してほしい