2024-07-03

映画ルックバック』を観た。

 顔がぺしょぺしょになるくらい泣いてしまった。

 原作をあまりきじゃないので、映画前評判がよくても観るのどうかなあ? と躊躇ったんだが、観てよかった。

 映画版のどこが好きかというと、京本藤野に対する感情が丁寧に描かれているところ。原作でも、京本藤野に対して盲信レベル好意尊敬の念を懐いているのは解りやすくかかれているけど、映画版で良いと思ったのはそこじゃなくて(そこは原作に忠実にえがかれているが。)、いつも藤野に手を引かれ、彼女背中を見つめていた京本感情の大きさの描写だ。

 自分のことを子供部屋から外へ連れ出してくれて、外の世界を見せてくれた藤野背中が、京本の目にはどんなに頼もしく、そして眩しく映ってたのかということ。繋いだ手はやがてするりと抜けて離れてしまいそうになるが、指先だけが引っ掛かかっているだけになっても、藤野京本の手を離さない。

 だが、共に外の世界を歩きまわるなかで、京本自分自身の興味関心ごとを見つけ、藤野の手を離れ立ち止まる。

 原作を読んだとき、あまりこの話好きじゃないなーとおもった原因が、京本気持ちいまいちよくわからなかったことだ。彼女藤野とは別の道に進もうとするのは、単純に絵が上手くなりたいという欲求だけでなく、心の底に隠し持ち燻らせてきた不満がそうさせるのではないか? と邪推してしまった。京本のそんな様子が藤野に寄った視点で描かれていたので、藤野気持ち天才肌な友人に対する嫉妬支配欲の発露なのかと思ってしまった。

 高慢性格努力家×卑屈な性格天才

 という、どこまでも交じりあわない、噛み合わせの悪い二人、という印象が、原作を読んだときには京本得体のしれなさにより強化されたように感じた。

 けれども映画では京本感情よりクリアなので、藤野とは別の道を歩むと彼女告白したとき、そこには藤野に対して何らかのネガティブ感情があるわけじゃなくて、本当に自分のしたい事が見つかったこと、そして自分藤野のように自立し自由に歩いてみたくなっただけで他意はないということが伝わってきた。それに連れて、そのとき藤野の心情の解釈もかわった。支配したい、足を引っ張りたいというより、唯一無二の友人が去っていこうとしていることへの淋しさ、置いて行かれることへの不安。いつも自分の足で立ち果敢に前進していた藤野だが、京本なしには心もとなくて歩いて行けない。

 噛み合わないと思われた二人だが、漫画という共通点で繋がり、共に漫画を描いた日々を過ごしたなかで、唯一無二の親友同士になっていた。その関係性の精緻描写のお陰で、観ていて変な邪念が湧きづらかった。

 藤野京本彼女たちが互いの持ち味でもって共同し漫画に打ち込んでいた日々。それは藤野はもちろん京本にとっても楽しく幸せな日々だった、というのが、作中のリアル時間軸ではなく、思い出として物語の終盤で示されるのも、良い演出だった。

 

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