はてなキーワード: 喫茶店とは
片っ端から喫茶店のローリーイカ焼き定食回を見ていて思ったことがある
「音楽の聴き方が変わったことについて」ローリーが語っているのだが
「今はYou Tubeなどで新譜まで聞ける。音楽にお金を払わなくなった。印税を貰って生活している側からしたら困ったことだが
それも良し悪しだ。なぜならYou Tubeを見てライブに来てくれる人もいるから」
とのことだった
というか単純に「ミリオンヒットするアーティストからしたら配信から上がってくる金額よりCDの売上の方が高い」だろうから困るってことだと思う
(だからメジャー系はなかなか解禁されなかったけど、時代の流れに逆らえなくなったから致し方なく解禁していった。別に売れてないけど解禁していないのはただの意地とかポリシーだろう)
それ以外の「そこそこしか売れないアーティスト」や「なかなか世間に発見されないニッチなアーティスト」なんかは現状は喜ばしいものだと思う
もしくは「現在は売れなくなったけど、大昔にヒットを飛ばしたアーティスト」とか
とにかく「ネットで発見されて売れたアーティスト」は有り難い世の中になったと思っているのでは
こんな古びた語り尽くされた話題を今更語っても意味は無いけど、ローリーの言うことが少し気になったので
正直、すかんちのCDを買って聴くことがあるかと言うとNOであり、何かの拍子にYou Tube Musicで聴くことがあるかと言われればYESなのだ
そういうもんである
みんなの耳に入る「機会」を与えて間口が広がるのは作る側にとってもメリットだと思う
なんかちょっと朝晩涼しくなってきたような気がするのよね。
こういう時に体調崩しがちなのでガチで注意気を付けないとね!って
私さー、
隣のテーブルに
お爺ちゃんとその孫と思われる二人組のチームがやって来て御飯食べてたのね。
孫お爺ちゃんとファミレス一緒に来て御飯食べていいなーって思ったけど
あれしきりに孫はスマートフォンを気にしてみていたけれどあれ実は、
きっとその孫娘は、
若くして亡くなったお爺さんのお嫁さんなの。
その娘はスマホをしきりに眺めているけど、
あと何時間とか何分とかで孫娘に乗り憑る効力が解かれるので、
なんか見たことないけど
泣ける!
そう考えるとファミレスにはラミレス以外のファンタジーしかないと思うの。
しかも宝庫よ。
とりあえず
何か夏にファンタジーなことが起きたら観たことないけどサマーウォーズだわ!って言ったら雰囲気出るわよね。
あとファミレスで恥ずかしいのは
生中のジョッキをおかわりしたら空いたグラスをすぐに片付けて欲しくない?
あれが2つ3つテーブルに乗って残っていると、
すごく呑兵衛みたいによそのお客さんから見られたりするじゃない?
これも私が喰らったサマーウォーズかも知れないわ。
ネタが無かったら
喫茶店とかファミレスとかそう言ったところに行くと意外とそんな宝庫かもしれないわね。
あとさー
飲食店にて、
今までお冷やがセルフじゃなかったのに、
仕組みが変更になったのにを気付かず店員さんにお水下さいと言ったら、
セルフです!って言われる件、
そういうサマーウォーズを喰らうのはたまにはまああるとして
同じお店のチェーンとかだったら統一してほしいものだとも思わないでもないこともないけど。
そんでね、
それは小皿で持ってきてくれるんかーい!ってなんか矛盾を感じるわ。
食券回収するときにすらお水持って行くってーのは面倒くさい!ってことなのかしらね?
これもきっと私の中のサマーウォーズなのよ。
でも本当に
追い追加マヨネーズは小皿持ってきてくれる優しさの半分の50パーセントほど感じたので、
注文はロボットがするし
配膳はネコがするけど。
これもサマーウォーズなのかも知れない。
どんどん世の中がサマーウォーズ化していくのよきっと。
うふふ。
これ豆乳とヒーコーを割ったら家で手軽にソイ的なものできるんじゃない?って思ってしまったわ。
最近は炭酸レモンウォーラーと冷え冷えの水は常備して準備してあるけど
思い出してやってなかった最近のルイボスティーウォーラーやってなかったわ!
なので、
昨日その冷え冷えの水のボトルにルイボスティーのお茶葉をいれておいて作っておいた
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これは俺も前から「具体的に何をどうすればいいの?」って気になってた。
ブコメで日傘の件が言われてるけど、俺が日傘を差さないのは「通勤は自転車で、屋内ワークだから仕事で日傘を差す機会がない」「多少の日焼けはしていた方が格好良い」「建物と建物の間の短時間の移動でいちいち傘出すのめんど」という理由がメイン。「男が日傘を差すなんて恥ずかしい……」という理由は特にない。え? みんな恥ずかしいから必要でも日傘差してなかったの? そんなにアホだらけなの?
その「日焼けは格好良い」という価値観が「男らしさ」なんだ、ということかもしれないけど、俺が何をかっこいいと思うかについて他人から降りろと言われる筋合いはどこにもないしなぁ……好きで化粧してる女の人に向かって「女らしさから降りていいんだよ」って言ってるみたいなグロテスクさがある。もちろん化粧の強制は滅ぶべきだけど、好きで化粧する分には自由だし、他人からどうこう言われる筋合いないでしょ。それと同じだよ。
あとは、最近話題になったのだと「転勤」とか? あったよね、転勤を命じられた女性が次々に辞めるっていう増田(anond:20230807134943)。俺は正社員でい続けたいから転勤を呑むけど、それは男女関係ないよな。正社員の身分保障の手厚さを知ってしまうと、たかだか東京から離れたくない程度のことで正社員の地位を失うなんて考えられない、って思っちゃうけど、これも別に男らしさどうこうの話ではないし(もちろん「非正規の身分保障も正社員並に手厚くするよう要求する」という手法もあり、それを期待して共産党とかに入れてたんだけど、昨今の萌え絵叩きでまあ無理になりましたよね。お前の票なんか要らないよって堂々と言われてまだ入れ続けられるほどマゾヒストじゃないので……)。
過度な競争心をなくせ? いやいや、ぼーっとしてたら男女問わず優秀な奴らがどんどん業績を上げてポスト獲っていくのを見たら焦りもしますわ。後輩が素晴らしい業績上げてきたときの感情とかもうグチャグチャですよ。競争しないと生き残れない業界なので、競争せざるを得ないっす。これも男女関係ないけど、最近は採用で女性が優遇されるようになってるから(しかもお役所公認というね。アホかよ。性差別やめろ)、男の俺は女より多くの業績を上げないといけないわけで。「アファーマティヴ・アクションの一環として、業績が同等なら女の方を優先して雇う」と言われてる世界なんだから、男に生まれた以上は女以上に頑張らないといけない、というインセンティヴが生まれるよな。あたりまえ体操。
趣味は既に男らしくないしね。少年誌的なバトル漫画よりも可愛い女の子が出てきてワチャワチャする漫画を好む、というのは普通に「男らしさ」からは外れるし、キャラクターの掛け合いの妄想をネットに書き込んだりするのも男らしくないしなぁ(某掲示板では、キャラクターの掛け合いを妄想してネタにすることを「お人形遊び」と表現していたけど、すごい的確だと思う。オタクがキャラの会話を妄想するのはお人形遊びだよ)。むしろ女の人の方が熱心に少年漫画読んでる説ないですか? 知り合いの女性が『バクマン』にハマったかと思えば、別の女の人が『ハイキュー!』にハマっていて、俺より少年漫画読んでるじゃんw と思ったもん(ガルパン劇場版に通い詰めながら。要するに少年少女はプリキュアやライダーみたいな同性に憧れるけど、ヘテロセクシュアルの大人は魅力的な異性がいっぱい出てくるコンテンツを好む、ってことなんだろうね)。
パフェやケーキとか笑う。毎週どっかの喫茶店で甘いもん食ってるわ(そして毎回写真も撮ってる。はいふりカメラで)。スーパーで甘いもんよく買うわ。美味しいよねスイーツ。久しぶりに帰省したら親から「明らかにお前の横幅がデカくなっている。健康に悪いから改めろ」と言われたけど、それは男女関係ないし……。で、俺は甘いものが好きだから甘いもの食べてるけど、特に甘いもの好きじゃない、とか、喫茶店で食うくらいならスーパーで買うわ、っていう男も大勢いるわけで、彼らにわざわざ喫茶店でパフェやケーキを食べろというのもおかしな話だし……え? ひょっとして世間の女の人って「『男らしさ』の呪縛に囚われてスイーツも食えない男の人かわいそう……」って思ってるの? アホか。食わん奴は好きじゃないかカネがないか身体的な事情があるだけだよ(糖尿病予備軍とか、アスリートで体脂肪率を厳密に管理してるとかね)。
女子供を守るとか? そもそも彼女いないし、童貞だし、警察官や自衛官でもないから、必然的に守るべき女子供とかいないし……。まあそりゃ他人を助けることくらいはあるけど、これも別に男女関係ないよね。災害とか通り魔とかに遭ったら、友人やら家族やらはもちろんなるべく見捨てないようにしたいけど、他人を見捨てて我先にと逃げるのはまあ男女関係なく当然というか。避難するときの「おかし」は「おいてけ、かまうな、しかたない」の略だって義務教育で教わるよな?
モテを求めるのが男らしさとか意味わからんわ。異性愛者なんだから異性からの愛情が欲しいと思うのは当然だろ。オスもメスもあるかよ。こないだ喫茶店でケーキ食って茶飲みながら読書してたら「あー早く彼氏作りたーい」とか話してる若い女がいたぞ。一部の男女論に熱中してるジェンダーオタク以外はそういう温度感なんだよ。男に男らしさから降りろどうこう言うならまずは「早く彼氏作りたい」とか言ってるそのへんの若い女捕まえて「女らしさから降りろ」って説教してこいよ……って思ったんだけど、ラディカルなフェミニストの人たちは割とやってるなそれ。うん、男女平等でよろしい。
見た目に気を使う? 知らんわ……髪型やファッションは全部「自分にとって快適か」で決めてる。毎日シャワー浴びるのも自分がそれで快適だからだし、登山用Tシャツで職場に行くのも快適さを追求してのことです(服装規定が緩い職場でよかった)。ファッションに興味を示さないのは男らしさの証だから降りろ、とか言われてもマジでどうでもいいから困る。服装選びとか最短で済ませたいんだわ。モンベルとユニクロで全部揃うのに何軒も店回りたくねーよ。興味ないことを延々とやらされるのは普通に苦痛だよ。電車や恐竜に興味を示さないのは女らしさの証だからもっと女らしさから降りてお人形よりも電車や恐竜に興味を持て、って男が言ってまわったら狂人扱いで終わりだと思うんだけど、なんで似たようなことを女が言うのは咎められないんだろうな。
(もちろん本気でモテたいと思うなら服装の改善は当然だろうけど、大抵の服がダサい男の言うモテたいは初詣で世界平和をお願いするようなもんだから)
ともかく、抽象論で言われてもわけわかんないんで、もっと具体的で、かつ、俺がQOLを上げられるような指針をくれませんかね、って思う。「男らしさ」から降りて、それで俺のQOLが下がるならそれにはなんの意味もないんだわ。日傘とかスイーツとかそういう的外れなやつじゃなくてさ。興味ない分野に興味を持てという圧力かけるのでもなくてさ。
今日、近所の喫茶店で「Lux Aeterna」が流れてて、どんな陰鬱な曲流すねん草と思って
レクイエム・フォー・ドリームのwiki見てたら、主演がジャレッド・レトって書いてあって
えっ!?そうだっけ!?ってなって調べてみたら顔がツルツルの若々しいレト君がいて
このとき何歳くらいだ?と思ってジャレッド・レトのwiki見てみると今が51歳(!?)なので
当時は28歳とのこと、それにしてはだいぶ若く見えるな。
出演作をちょろちょろ見てるとあの「ファイトクラブ」にも出演していた。全く記憶にない。
と思って調べてみると白髪で出てて、あー、おったおったってなった。
○ご飯
朝:松屋のソーセージエッグ定食。昼:カラムーチョ。たけのこの里。夜:ベーコン、にんじん、エノキ、玉ねぎのコンソメスープ。だし納豆豆腐。目玉焼き。バナナヨーグルト。間食:アイス。
○調子
○ FatalTwelve
・はじめに
突然のテロに巻き込まれて死んでしまった女子高生の獅子舞凛火は、同日同時刻に死んだ12名の内たった一人だけが死の運命を覆すことができる「女神の選定」に巻き込まれる。
そのルールは、週に一回日曜日に氏名、死因、未練の三つ指名することができ、指名されそれが当たっていると脱落し一時的に覆されていた死の運命が遡ってしまう、そしてたった一人になるまで12週繰り返すというもの。
勝者が一人だけのデスゲームものという味わいもあるにはあるものの、主題は不意の死に巻き込まれてしまった主人公の獅子舞凛火がどうそれと向き合うのか、そして同じく「女神の選定」に巻き込まれた友人の未島海晴との関係値はどう変化していくのかにあると感じた。
毎週日曜日に他のプレイヤーから氏名、死因、未練を当てられたら死んでしまう極限状態ながら、主人公の獅子舞凛火の通学、祖母の経営する喫茶店の手伝い、友人達との遊び、テスト勉強などの日常描写がたっぷりある。
先手必勝で他のプレイヤーの情報を調べた方が絶対有利なんだけど、かなりまったりしている。
もちろん物語が進行していくにつれそうも言ってられなくなる展開もあるにはあるものの、学校に通うことは最後までやめない。
特定の人数を明記した登場人物に、明示されるゲームじみたルールながら死を強制する恐怖と、デスゲームっぽい導入ではあるものの、知略を張り巡らす緊張感のある展開はかなり控えめ。
勿論それが良い悪いではなく、この作品の目指すところはそのような極限状態であっても、日常を過ごすことの尊さを書こうとしているのは明白だったので、これはこれで楽しめた。
特に喫茶店の描写、コーヒーを飲んだり軽食を食べるシーンが多くあるのも好み。
この辺のスチル絵に差分が多めなのもやろうとしている趣旨がそこにあることの証左だろうか。
日常描写だけで話を引っ張っている訳ではなく、そこに花を添えるのが獅子舞凛火、未島海晴、日辻直未の女性だけで構成された三角関係だ。
主人公の獅子舞凛火はぶっきらぼうながら根は優しく、一つ年下の後輩でドジっ子メガネの日辻直未が失敗するとフォローしてくれる。
そんな二人の微笑ましい関係を不機嫌そうに眺めるのが、長髪ロングで清楚系ながら僕っ子の未島海晴。
海晴は明らかに凛火のことが好きなのに、鈍感な凛火は気付いておらず、海晴より直未を優先する姿に、関係が拗れていく。
この三角関係描写にはかなり文量がさかれており、主に海晴と凛火の二人の視点から恋愛模様が楽しめる。
特に「女神の選定」に巻き込まれながらも、最初から覚悟がガン決まりの海晴のストーリーは面白かった。
はっきりと恋愛の話であると断言されているのも好印象で、かつそれに対して強い否定的な意見を言う人がいないのもノンストレスで楽しめて良かった。
そんな三角関係を陰ながら支えている小熊真央が風格ある良い役で、僕は彼女が一番好きなキャラだ。
鈍感な凛火に気づきを与え、海晴のメンタルをフォローし、直未の真意を探ると縦横無尽の大活躍。
「女神の選定」とは一才関係ないにも関わらず登場頻度とその重要度合いが高く、優れた人間性を魅せる場面が多々あった。
特に海晴のメンタルが限界なことを察知しつつも、ベッタリと距離感を詰めるのではなく、あえて距離を置きつつも、いつでも電話に出られるように臨戦体制を取り続ける様は今作屈指の名場面だった。
異常な生死をかけたゲームだけじゃなく、彼女が日常を送りながらギリギリのラインで友人達の関係値のバランスを取るのに一生懸命なシーンがあるのも、このゲームの主題がどこにあるのかを示唆する一端だった。
メインキャラ達以外にも「女神の選定」の参加者はおり、彼ら彼女らも視点人物になりそれなりの出番がある。
とはいえ「女神の選定」と関係ない恋の鞘当てに一生懸命な女子高生達をさっさと片付けられない時点で、ガチ勢と呼んでいいのかは怪しいかもしれない。
そんな面々の中でも僕が気に入ったのは以下の2名。
まずはイタリアの元マフィアながら、ヘタレで序盤から負けが続くも男を魅せるシーンもあるフェデリーコ。
コナをかけていた海晴が女性同性愛者であることを知ると、それならそれの遊び方が提案できたのにと遊び人らしい最後の言葉を残すシーンは、ヘタレな女好きキャラとしての一貫性があって、良くない行いをし続けてきた彼らしさがあった。
もう一人は、ジャーナリストで正義のためにしか行動しないと誓っているスケールさん。
まあこういう生死がかかったゲームをやってる中で正義とか言い出す奴がどんなやつかは想像しやすいんだけど、ちゃんとその想像通りのキャラ。
大言壮語が過ぎる上に自身の死が迫ると表れる人間らしさが、物語を彩ってくれた。
このゲームのらしいところは、生死がかかったルールを設定しておきながら、もう生死について腹を括っているキャラが何人もいることだろう。
覆された死の運命をただの幸運、ロスタイムと捉えて、他人を蹴落とすことよりも人生をエンジョイする時間に使う面々も何人かいた。
家族のいない孤独な老人牛塚さんと持病による死が延期になっただけで直近の死は変えられないソーニャについては、その意識が強かった。
だからといって面白くないわけではなく、彼らの生き様が他の面々に影響を与えたり、日常を過ごすことの尊さを再認識させてくれたりと、物語としての役割がちゃんとあるのが面白かった。
・おわりに
生死がかかったルールのあるゲームに巻き込まれた極限状態と、女性三人による恋の駆け引きとが同列、あるいは後者の方が重要に扱われている構成の妙が面白かった。
この極限状態だからこそ恋愛の様相が変わってくると、それぞれのエピソードのリンクはしっかりしているので、通して遊ぶと違和感は薄い。
デスゲームに巻き込まれていないにも関わらず、めちゃくちゃ頑張った小熊真央さんにはキャラクタ全員感謝を示すべき。
小熊真央さん本人の幸せについては一切触れられていないので、是非とも彼女が恋人を見つけるなり、何か趣味で良いことが起きるなりの、ハッピーな後日談を見たい。
ここに来てつくづく思うのが、田舎には尖った飲食店がないということ。
バカでかい餃子とか、ルーロー飯だけ次元が違う美味しさの海鮮居酒屋があれよ、と思う。
実際、前住んでたところ、いわゆる大都市には探せばそういう店がいくらでもあった。大都市ではないが、県内のちょっと栄えてるところに行けばそういう店もある。
あるのは無難なチェーン店と、無難なメニューを無難な味で出し続ける”地元で長年愛される老舗”だけ。
田舎というのは、ひたすら「無難さ」で塗り固められているように思える。
駅前に数年前にできたケーキ屋もオリジナルの映え商品を開発したりしてインスタで人気だったが、今月閉店する。
田舎の人間の気質的に、尖っているものや異質なものが許せないというのはある。毎日それを感じながら生活している。
それ以上に、人口が少ないということは、尖っているものや万人受けしないものが生き残れないということでもあると思う。
例えば、パクチーが好きな人の割合は全体の2割ほどらしい。10人中2人しか顧客にならない商品を出しても、全体の人口が多ければ顧客数としてはそれなりにいるので経営が成り立つ。だけど人口が少ないと、そういう尖った料理や食材はほんのわずかなマーケットしか相手にできないので、経営が行き詰まる。田舎に尖った店が少ないのは、そういう理由じゃないだろうか。実際そういう店が閉店するのを見てきた。
ただ、都市や空間にとって、尖った飲食店というのは必要だと思っている。
日本人向けに一切アレンジしてないグリーンカレー屋の周りはなんとなく空気が軽いし、ふざけた名前のふざけた営業時間の喫茶店で過ごさなければいけない時間が人生には必ずある。そしてそういう尖った店がある街はどこか寛容で、良くも悪くも人のことを気にしないでいられる。デニッシュだけで40年近く商売してるパン屋があれ。デニッシュしか売ってないパン屋が40年も存在を許されてる街なら、少々の尖りも許されるだろう。
飲食店に限らず、尖ったものの居場所がない田舎はやっぱり苦しい。「無難さ」というのは結局のところ「不寛容」の言い換えにすぎないんじゃないだろうか。
喫茶店で隣に座ってたのが若いカップルで赤ちゃんをベビーカーに乗せてなんか会話してたんだけど
隣だったんで多少は聞こえてくるわけだ
で、女がずっと文句言ってんの
あなたはいつもほにゃららでなんちゃらでそういうとこがいつもダメであーでこーで・・・
で、男はややおうむ返し的になんちゃらな点があると思うけど今更人格とか性格とか変わらないからもうどうしようもないよとか答えてるわけ
つらそうだな、増田で長文の愚痴とか書いてそうだなとか思ったよ
まだまだ子供が小さいのにそんな愚痴にあと何年耐えてくんだろうね
結婚してもああはなりたくないなと思ったよ