はてなキーワード: 卑下とは
正直理解できてない。私みたいな感覚のずれが分断につながるんだろうなーと思う
なんか勝手にハードル高くしてそのハードルは超えられないって嘆いてるように見えるんだよなあ、そんな卑下しなくて大丈夫だって
俺は大谷翔平にはなれないと悟ってバット捨てるみたいな極端さを感じる
その上で他責なのが気になる
大谷翔平を求める女のせいで俺は野球をやめざるを得なかった、みたいな?
彼氏が大谷翔平じゃなくてもいい、草野球を嗜むおじさんでも河原でキャッチボール少年でもいいという女もいるのにね、少なくはないと思うよ
女は弱者のこと眼中にないというが、本当に弱者なのか眼中にないのかは知らんが、とりあえず嘆いてる側は都合のいい女以外は視界に入れないようにしているように見える
まあ環境要因でそういう選択をせざるを得ない、そういうフィルタをかけざるを得ないってのはあるだろうからなんか辛いことあったんだろうなと同情するが
挨拶しても目も合わせてくれなかった人が微妙に会釈してくれるようになったときめっちゃ嬉しかったもん
あとちょっとずれるけど結婚やモテがゴール、既婚者は成功者で人格者みたいな論調の人がいるのもなんだかなと思う
世の中でろくでもないやつ(犯罪者とかそう言うレベル含め)も結婚してたりするじゃん
子供殴る既婚者より大喜利ではしゃぐ未婚者のほうが好きだぜおれは
なんかぐだぐだしすぎてわかんなくなってきた。みんな幸せになれー
色々、申し訳ない気持ちはひしひしと伝わってくるんだけど、月並みな言葉を送るなら「彼氏ときちんと話し合おうよ」と言いたいかな。
あと、発達障害の診断受けてなさそうなんだけど、医師からADHDの薬もらってる「発達障害疑い」ってことだろうか?もしそうなら、知能検査も含めて、自分がどういう特性を持っているのか知った方がいい気がする。
なんか文面見てると、彼氏さんに一方的に申し訳なさを感じてそうで、逆に彼氏さんは凄いいい人なんだろうと思うけど、そういう風に卑下されるのって、誠実に付き合ってる相手側はむしろ勘弁してほしいと思うことが多いので(自分が男性で、彼女がお付き合い初期に自己肯定感低すぎで卑下し過ぎで色々苦労したことがある)、正面から、自分がそういうことに悩んでいることを打ち明けたらどうかな。もしそれで縁を切ってくるようなら、彼氏さんも所詮は「発達障害」ってラベルがついた程度で見捨てる相手だったってことだから、本当に愛してたか疑わしいと思うしね。逆に、それをきっかけに「発達障害だから受け入れられない」ってのが思い込みにすぎなかったとわかるかもしれない。
言えるのはそれくらいかなと。
色々、申し訳ない気持ちはひしひしと伝わってくるんだけど、月並みな言葉を送るなら「彼氏ときちんと話し合おうよ」と言いたいかな。
あと、発達障害の診断受けてなさそうなんだけど、医師からADHDの薬もらってる「発達障害疑い」ってことだろうか?もしそうなら、知能検査も含めて、自分がどういう特性を持っているのか知った方がいい気がする。
なんか文面見てると、彼氏さんに一方的に申し訳なさを感じてそうで、逆に彼氏さんは凄いいい人なんだろうと思うけど、そういう風に卑下されるのって、誠実に付き合ってる相手側はむしろ勘弁してほしいと思うことが多いので(自分が男性で、彼女がお付き合い初期に自己肯定感低すぎで卑下し過ぎで色々苦労したことがある)、正面から、自分がそういうことに悩んでいることを打ち明けたらどうかな。もしそれで縁を切ってくるようなら、彼氏さんも所詮は「発達障害」ってラベルがついた程度で見捨てる相手だったってことだから、本当に愛してたか疑わしいと思うしね。逆に、それをきっかけに「発達障害だから受け入れられない」ってのが思い込みにすぎなかったとわかるかもしれない。
言えるのはそれくらいかなと。
もうやめてくれ本当にやめてくれ
あなたは物事をよく知ってるね、それに比べて私は…って全部の話で己を卑下し私を持ち上げるのを是とする雰囲気やめてくれ
私は物知りではないしあなただって私の知らないことを知ってるはずだって何回言えばわかるんだ
なんでそんなコミュニケーションの取り方しかできないんだ、セクハラ発言禁止されたら黙っちゃうおじさんと一緒じゃんか、対話の引き出しがそれしかないのか…?
あなたはキャリアもあって有能で非の打ち所がないね、それに比べて私は
知らないよ、あなたのことなんて知らない、比べないでよ、自分のコンプレックスを私との対比で勝手に感じて吐露するのやめてよ、私の何を知ってるの、悪気なく言ってるつもりでこっちに負担のでかいコミュニケーションまじでしんどいんだってば
笑って流したら褒めが足りないと追撃してくるところ、否定したら謙遜しないでと窘められるところ、真面目に返したらそんなに真剣になってどうしたの?と聞いてくるところ、辟易
でもまあ人の振り見て我が振り直せだよな、私はこうはならないぞという決意表明です。
あの時、にわかファンだと自称したのは、一つにはずっと以前からファンでいる人たちに対する遠慮があったからです。
言い方のせいでまさに軽薄な感じに受け取られたでしょうか。
ひねったり変化つけた言い回しが素直ではなかったと今思っています。
でもそれには理由もあって、まじめすぎたり重すぎたりする私の話と話し方になんとか親しみやすい軽やかさを組み込めないかという、工夫をしてきたからなんです。お分かりのように、面白い話なんて未だにできていないですけど。今回のことで言えばにわかファンだと自分を笑うことでちょっとおかしさを出したかったのですが、結果的に苦笑いですかね。
また、もともと口数がすくないのを改めようとして、大したことない話を引き伸ばしたり寄り道したりするように努めてきた経緯もあります。「世間話」を身につけたかったから。それがなんとも白々しいうわべだけの言葉のやりとりになることがあります。
ともかく、私はあの時は普通に注目していました。たしかに以前からのファンではないです。でも、それを卑下したかのような言い方はしないほうがよかった。
仮に園子温と関わることがあったとしても、彼の対象になるのは美しく容姿の優れた女優・女優志願者だけで、私のような頭でかくて足短くて等身低くて寸胴で胸もない十人並みな容姿の女なんて手を出す対象にならないだろうしね。
たわわの広告は生活してて自分の目に入る(可能性が)あって、現実離れした男に都合のいい妄想女を見ると不快だから無くすことは大事で、
わかってるよ知ってるよそれは。
だから「性犯罪助長!」とか「十代の女の子を守る!」みたいなウソンコはやめろと言ってんのよ。
御不快の念であると正直に言ってくれりゃよっぽど話し合いや擦り合わせに進めるだろ。
ウソをつかれてると話にならねえのよ。
で、
園の性欲があんたに向かないように
かなり自己卑下的なあんたにも「キモオタは自分以下だ」という気持ちがどこかにあって
そこの認識と向き合って改めれば
キモオタに対しても反応しなくて済むじゃん。
これは別にブスだと自己申告したあんたに対して攻撃的なこと言ってるとかじゃなくて自分含めてそうだから。
その男が自分と関係あるなんて一ミリも思わんから何の感想も湧かない。
あんたたちもそれと同じようになるのは難しいのか?
いわゆるOA分野とか、コンピューターを主に使用する作業の、自動化が流行っている。
製品で言えば、RPAとか、ノーコード、あるいはSaaSやパッケージソフトとか。
OfficeについてるVBAを使うとか、Pythonでスクレイピングとか、そういうのも併せて。
いわゆるマクロ的な何かで、タスクを自動化する、という考え方だ。これは昔からあったとも言えるし、製品や方法論がここ数年、急激に増えて、環境が激変したとも言える。
さて、個人が、その責任の範囲で、自己のタスクを自動化するのは、組織が禁止しているやり方でなければ、それについてとやかく言うつもりはない。
問題は、組織内部での自動化の推進や、それを補助するコンサル、あるいはソフトウェアのメーカーやベンダーだ。
すべてが駄目というわけではない。
「自動化で単純な作業から解放されて、クリエイティブな作業をすれば良い」
言い換えよう。今挙げたようなことを言う(書く)メーカーやベンダー、あるいはコンサルから個人まで。それらは皆、地雷だ。関わってはいけない人だ。
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何故か。それは彼らが現実を見ていないからだ。そして、その現実を見ていないことが、軋轢を生むからだ。もしかしたら現実を見た上で、しらばっくれてる人も居るかもしれないが、タチの悪さは変わらない。
困ったことに、彼らの言う「単純作業から解放されてクリエイティブな仕事を」は、一見、理想的な環境に見えるのだ。
いや、実際、理想的ではあるのだ。現実的でないという問題さえ目をつむれば。
「世の中には2種類の人間がいる」という、使い古されたレトリックを、労働分野に応用してみよう。
すなわち、言われたことを淡々とやり続けることを好む人と、抽象的な指示や課題に対して、具体的な対応を行うことを好む人だ。
もう少し具体的に書けば、「言われた作業を淡々とやる人」と「創意工夫して結果を出そうとする人」になる。
さて、前者の、言われた作業を淡々とする人にとって。自動化は、己の存在意義と競合する。つまり、自動化されてしまったら、仕事がなくなる。
意識の高い社員や、コンサル、ソフトウェアのメーカーやベンダーの言うような「クリエイティブな仕事」なんて興味がない。
そういう人を「意識が低い」「生産性が低い」と卑下するのは簡単だ。だが、それは何も事態の解決にはつながらない。
単純作業の自動化がなされた時、その人たちに襲いかかるのは、「クリエイティブな仕事」という、安定した手順も方法論もなく、それでいて成否は存在する、という苦痛のような仕事への移行なのだ。
そして少なからぬケースで、単純作業を淡々と行うことこそ仕事、と捉え、そう働いてきた人は、クリエイティブな仕事とやらでは成果が出せない。ただ苦しむだけになる。
おそらく組織としての生産性は上がるだろう。それをもって成果とするなら、それはそれで矛盾はない。
ただし「働き方改革」のような題目を掲げて、自動化を進めていたのであれば。それは善人面をして、人を地獄に蹴り落とす所業だ。本稿のタイトルで「信じるな」と書いたのは、まさにここにある。
この話には、日本の雇用に関する、法律、行政の態度や、判例なども影響してくる。
前述したような、単純作業を奪われ、苦痛に満ちた苦手な仕事にたたき落とされた人は、どうなるか。
第一に、会社を去るという選択肢はある。だが、このご時世だ。今と同等の条件すら見つかるかどうかは怪しい。
それを自業自得と嘲笑するのは簡単だ。改善を肯定し、生産性の向上を是とし、発展を求める価値観からすれば、矛盾はないのだ。それが倫理的に正しいことなのかは、私にはわからないが。
第二に、苦しみながら会社にしがみつくという選択肢もある。正規雇用の場合、これが簡単に成立してしまう。「クリエイティブな仕事」をさせた成果がボロクソに悪くても、本人の意図的な手抜きなどがない限り、会社は簡単には社員を解雇できない。
はて、本人も苦しんでいることが多い、機能不全の社員を雇用し続けることが、生産性の向上や、働き方改革、ワークライフバランスなどにつながるのか、私は甚だ疑問だ。
つまり、業務の自動化、省力化を目的にするのは、それ自体が破綻を招きやすいのだ。それで浮いた人的コストを、どのようにするか。適材適所で別の仕事をあてがえるのか、あるいは解雇して雇用コストを削減するのか。
どうあれ、簡単なことではない。配置転換の教育コストを見積もるのは簡単ではないし、非正規だからと大量に解雇すれば、それだけで負の風評が生まれたりもするのだから。
人は、自分と異質な人に対して、理解が及ばないことがある。これ自体は仕方が無いことと言える。誰しもがわかり合う、なんてのは現実的ではないからこそ、フィクションで度々取り上げられる題材なのだ。
しかしながら、業務の自動化を改善と捉え、自身が単純作業を嫌う人の中には、少なからぬ割合で、単純作業を延々と行い、その労働時間を以て成果となす考え方の人を、理解していない、あるいは想定していないケースが多い。
その不理解や想定不足は何を生むのか。自動化の導入失敗や、同僚からの強い反発だ。決してプラスの結果ではない。その現実から目を背けてはいけない。
だからね。
「単純作業から人を解放したい」とか「空いた時間でクリエイティブな仕事ができるようになる」なんて、手放しで言っていたら。
その人たちを、信じちゃあいけないよ。
蛇足。
筆者は、別に、「単純作業を淡々とやることで鬻ぎたい人」を肯定するつもりはない。
少なくともデスクワーク、パソコンでの仕事等であれば、そういった人は滅びるべくして滅びるだろうと考えている。
だが、彼らに引導を渡すのは、個人や、少人数程度による「カイゼン」的な何かではない。個人や少人数による「カイゼン」が引き起こすのは、せいぜいが内部分裂や、一部の人に苦痛を与えるだけなのは、前述した通りで。
引導を渡す、という次元の話で言うと、おそらくは、そういった非効率的な人員を抱え込んだ組織の崩壊(企業で言えば倒産など)のような、圧倒的かつ、個人で抗うことに意味がない流れになると考えている。
もちろんその場合、多くの社員が路頭に迷うだろう。クリエイティブな仕事がどうとか言っていられる状況ではなくなるのは明白だ。
そういう未来が見えているからこそ、ミクロな視点でしかモノを見ずに、「自動化で業務を改善して~」「クリエイティブな仕事を~」というおためごかしを唱える人には、関わってはいけないと考えているのだ。
いい加減「承認欲求を満たそうとすること自体を諦めろ?」で突っぱねるのも限界があるんじゃないだろうか?
やはり満たすべきなのだ。
満たさなくても大丈夫であると言い張ってた所で限界を超えた飢餓状態から突然狂ってしまうのがオチなのだ。
承認欲求というと他人に自分を認めてもらう欲求に聞こえるが、実際には自分で自分を認めたい欲求だ。
自分を認めるにあたって他人から否定されていると難しくなるし、他人から認められると容易になるので、他人から自分を認められるために皆頑張りがちだが、本質的には自分で自分を認めたいという気持ちから来ている。
というか他人が自分を認めているかどうかではなく、「認められていると感じるか」によって承認欲求が満たされるかは変わるのだから、自分の考え方がいちばん大事なのだ。
承認欲求は何をすると減るか?
自己否定をすると減るのだ。
やることは4つだ。
生活の中で『他人の目を気にして自分を卑下するような思考や言動をする羽目になったら心の中で「コレは陰湿クサレジャップランドの風習に合わせてやっているだけで自分の本心ではないぞ」と唱える。
医者にかかるレベルでデブだったり虫歯があったり、部屋にカビが生えてたり受験勉強から逃げていたりしたら、それはちゃんと対処する。
この4つでひとまず穴は塞がる。
たとえば、「GW中100時間ぐらいゲームやってた」という状況があったときに「いやーゲーム楽しかったですわー」と考えるか、「なぜ俺はこんな無駄な時間を……」と考えるかで精神への影響がプラスからマイナスまで大きく変わる。
これからやることについても、実行に移すなら前向きに考えて実行に移した方がいい。
逆に言えば、前向きに考えられるビジョンが見えないならそれは実行に移さない方がいい。
気になるから見に行ったけど見に行ったらくだらなくて後悔したとして、「気になったままでいたら気持ち悪かったから結果的には見に行って正解」と思えるならそれは実際に正解だし、そう考えることが難しそうならそれを先に予測しておくのがいい。
美味しいものを沢山食べてから「いやー罪悪感」などと言って上辺の良識を気取った所でそんなものに意味はない。
親の目を気にして暮らすことが最重要だった幼少期の本能から足を洗っていけ。
これはインターネットをやっている人間なら絶対に分かるはずだ。
本当に楽しいのだが、そこでつけたケチはゆくゆくは自分に帰ってくる。
そうなるとそうやって帰ってきたときに自己承認が削られていく。
一瞬楽しくてもあとでジワジワとマイナスを背負うので総合的には損だ。
これを「人に厳しくあたることで自分にも厳しくなれる」と言い張る詭弁があるのだが、それは順番がおかしい。
「こうであるべきだ」論はメンタルに悪いのでやるべきじゃないからそこでも間違っている。
自分に帰ってこない状況でケチをつければ大丈夫と思うかもしれないが、そういった行為を繰り返すと反撃できない状況から一方的に攻撃されたときに過去の自分にも攻撃されてしまう。
そういうのが当たり前になっている悪いインターネットには近寄らないほうがいいだろう。
作者は心の底から巨乳が好きで、かつ神聖視しているようだ。巨乳女子は一点の曇りもなく幸せで輝いていなければいけないという強い意志を感じる。
現実では巨乳女性は非常に生きにくい。男からは好奇の目にさらされ、同学年や同僚の女性からは敵視されそうになる。
インターネットではなぜかあまり言われないが巨乳女性の敵は男性だけではなくむしろ日常レベルでは同性による敵視の目線のほうがはるかに恐ろしい。
周囲の女性は、男を批判するように見せかけて私たちに向けて「いい気になるなよ」「目立つな」「目立つ服装をしたら殺す」と無言の圧力を常にかけ続けてくる。
嫉妬ならばいいのだが、そうではなく同性にとって巨乳は「下民」「しいたげていい存在」になっているように私は感じていた。
私は気が弱かったから周りからいじめられたりハブられないようにとにかく目立たないように卑屈に過ごしていた。そうしなければ同性の中で生きてけなかった。
しかし現実と違ってすべての巨乳女子に守護神みたいな存在がかならずついていてその人物によって巨乳女子は己を卑下したりすることもなく生きることを許されている。現実よりずっと優しい。
キャラクターが巨乳である点を除けば、「君に届け」と同じくらい周囲が男も女も巨乳女性に優しい。
その結果、巨乳女性は必要以上に周りの目線を恐れずにのびのびと学生生活を楽しめている。
一人の巨乳としては、世界がこの漫画と同じくらい巨乳に優しければいいのにと思わずにはいられない。現実は男も女も巨乳に厳しい。特に女が巨乳に対して容赦がなさすぎる。
巨乳に対してはどんだけぶしつけなことを言ってもいいと思ってる。巨乳には発言権はない。黙って私たちのサンドバッグになっていろというプレッシャーから自由になりたい。
旧日本軍のコスプレ撮影を禁止する条例案を南京市が制定へ 「大虐殺」への異論も禁止 - 産経ニュース
>>中国では2月、南京戦の激戦地となった紫金山で旧日本軍の軍服を着て記念撮影したとして、20代の男性2人が拘束された。
>>日本軍コスプレの愛好者や、日本文化を称賛するあまりに中国社会を卑下する中国人の出現は「精日(精神的日本人)」現象と呼ばれ、中国当局が批判を強めている。
>>「精日」現象をめぐっては今月16日、中国版ツイッター「微博」に「安倍(晋三)首相はおれのおやじだ」などと書き込んだ安徽省馬鞍山市の18歳男性が警察当局に拘束された。
https://www.sankei.com/article/20180829-TT57UQG34JJS7KDYGEIUX3X3OU/
https://anond.hatelabo.jp/20220327100332
私と、私の両親に限っての話なので皆さんがそう思うかどうかは知りませんが、実際にありましたよ。
もう10年くらい前のことになりますが、きょうだいが仕事で心を病んで実家に帰ってきて、状態良くなったら一人暮らしに戻ってちょっと働いてやっぱダメでまた実家戻って、みたいな生活を延べ3年くらい続けていました。
きょうだい、すごく遠いわけじゃない程度の他県で働いていたので、状態悪くなったら深夜でも親が車ですっ飛んで行って連れ戻してきたりとか、向こうで救急車で運ばれたりとか、まあそんなかんじで色々ありまして。
極論すればもっと本格的に動けない・働けないくらいまでいけば逆によかったのかもですが、本人は頑張って色々やって生きようとしていたし、本人がやりたいなら応援したいし、みたいなノリだった私たち家族も結果的には対応を誤ったんでしょうね。
最終的には実家療養中に吊っちゃったんですが、49日の法事とか色々済んだ頃に、親がポツリと
「今までは寝てる間に物音で起こされたりしたし、静かなら静かで手首でも切ってるんじゃないかと、自分が寝ていても常にどこか休まらなかった」
そんなことを言ってきました。
私としては「よくそんだけ面倒みられるなあ。きょうだいの自分的には、もし自分が面倒みる立場だったら悪いけどとっくに見捨てるか全力で入院させるかしただろうな」という思いで、要するに親が精いっぱいのことをしてきたのはわかるし、きょうだいに対する愛情だってあったことを知っています。
もちろん私にもきょうだいに対する愛情はありました。世間一般的にはけっこう仲の良い部類なきょうだい関係だったと思います。
ただ、心のどこかで、「今は親が元気だからいいけど、親が元気じゃなくなってきた時にきょうだいがこのままだとちょっと辛いよなあ。それまでに元気になってくれればいいけどなあ」と常に思っていました。
「正直に言えば自分もホッとしている部分がある」
と親には答えました。
ただ、それでも生きていて欲しかったと思っています。ていうか、生きていて欲しかったなあという思いと、死んじゃってホッとしたなあという思いは、アンビバレントかもですがけっこう心の中で両立してる感じです。うまく言えませんが。
元増田さんは釣りかどうか知りませんが、当面悲しいと感じてらっしゃらないようなので、そこは私たち家族とは違うでしょうが、それは直接的な迷惑度というかそういうのの積み重ねの結果だと思いますので、変にご自身と旦那様をクズだとか卑下せずにしていただければと思います。
以下余談
「死にたい」と普段から連発している人は本当は死ぬ気がない、とか未だに信じててさも当然のように言うやついるけどな! 本当に死ぬんだよ! なんかキッカケあったら!
願わくは、「死にたい」と普段から連発している人は本当は死ぬ気がない、とか言ったことのあるお前、今すぐ反省しろ。猛省しろ。ついでに何が原因だったのかとかわかったような口をきくお前も今すぐやめろ。原因なんか同居家族でもマジわからんわ! それなのに普段接してないお前らとかがわかるわけねーだろ!バーカバーカ!