はてなキーワード: 共感能力とは
そりゃ仕事やなんや、英語が便利なのは確かだろう。が、日本語には日本語にしかないものがある。と、思っている。
例えば、虫の声。
虫の出す音を「声」と感じるのは、日本人とポリネシア人だったかな、だけらしい。
日本人とポリネシア人は、虫の鳴き声を言語を司る左脳で聴き、西欧人は右脳で聴いているのだとか。
このため日本人は、虫の出す音を「声」と感じ、そこに様々な情緒を感じとる。しかし西欧人にとっては虫の出す音は「音」であり、うるさいと感じたりもする、と。
他にも、雨音や、川を流れる水の音。風の音なんかも同じだとか。
で、こういう違いがあらわれる原因はなにかというと、どうやら日本語にあるらしい。
日本語・ポリネシア語を母語とし、幼少の頃から触れているかどうか。それによって、こういう違いがあらわれるのだとか。
日本人じゃなくても、日本語を母語として育てば、同じく「声」と感じるようになるらしいです。
こういう様々なものに情緒を感じる力と、制約が少なく柔軟な日本語の特徴とが相まって、日本語には擬音・オノマトペが多く、多彩です。曖昧なものを曖昧なまま伝え、共有する力に長けています。これは日本人の「和」という言葉に象徴される、共感能力や協調性の高さへも影響しているでしょう。
他にも、日本語は制約が少なく柔軟という特徴をもっています。そういった特徴は、新しい言葉を作り出す能力の高さに繋がっています。
ノーベル賞を受賞した益川教授は、英語が苦手で、ノーベル賞受賞のスピーチにのぞんだ折り、日本語でスピーチをしました。
これに世界は大変驚いたらしいです。何に驚いたかというと、英語が出来ないということではありません。もちろんそれもあるでしょうけれど、もっと驚きだったのは、英語が苦手なのに、ノーベル賞を取れるほどの学を積めたことに対して驚いていたのです。
大学レベルの学問まで、ほぼ単一の単語で学ぶことができるのは、英語と日本語くらいじゃないでしょうか。(他にもあった場合はすみません)
これはなぜかというと、日本人が、全て日本語にしてきたからです。言い換えると、新しい単語を作りまくったからです。
そういうことができた理由は、日本語がとても柔軟な言語だったからに他ありません。
柔軟で、情緒溢れる言語は創作を生み、独特の感性を形作ります。それらが日本人の「日本人らしさ」に与えてる影響はとても大きいでしょう。
母語を英語にする。そりゃそれの方が楽なこともあるでしょう。けれど、古来より紡がれてきた「日本人らしさ」を、徐々に薄めてしまうかもしれない可能性を考えたら、いらないなと思うし、なによりこんなに素敵な言語を捨ててしまおうと思える気がしれないなぁと。
わたしはそう思うなぁ。
私:都内の外資系に勤務。トータルの年収は800万円ぐらい。貯金は数百万円程度。
妻:今年の4月まで派遣社員。年収300万円いかないぐらい。4月から鬱病が発症して休職、6月には退職して治療に専念中。
今の妻とは去年春から付き合い始めて、去年秋に同棲開始、今年夏に結婚した。
今年の4月から妻が鬱病になり、とりあえず休息してもらわないとダメだなと思った。
なので、仕事も家事もしなくていい、とりあえず休んでほしい、やりたいことだけをやってほしい、お金がかかるものなら、私に言ってくれれば払うと伝えた。
最初の方は、「せめて家事をしないと申し訳ない」とか言って色々やってくれてたんだけど、実際は相当負担だったらしく「やっぱりやりたくない」と言われ、「やっぱそうだよね」と受け入れてそれ以降は私が家事をやってた。
妻はほとんど貯金がなく、傷病手当だけが唯一の収入源だった。(毎月申請しなきゃいけないけど、手続きが面倒で2ヶ月ぐらい申請してなかったぽいけど)
生活費は全額私が支払い、それとは別に毎月5万円は妻に渡してた。(生活用品の購入分も含む)
こんな感じで、できるだけ妻に負担をかけないよう私なりにサポートしてたつもりではあったんだけど、妻からしたらサポートどころか、逆に精神的に追い詰められてる気分になってたらしい。
私は共感能力が低く、相手がなにを考えてるのか察することができない。だから、相手に質問して考えを探っていこうとするんだけど、それが相当キツかったらしい。「なんでそう感じるのか」「なんでそう考えたのか」って私が質問しまくるので、妻自身が言いたいことが言えないと。質問するのはいいことだという考えが根付いてたから、妻のその意見にハッとさせられた。以降は気をつけるようにしてるけどなかなか改善できない。というか、質問すること以外で相手を知る術を持ってない。
あと、妻にかなり甘えてしまっていた。すぐ不機嫌になって態度に出したり、ちょっと何か言われたらすぐ家を出ていこうとしたりした。
3回ぐらい、壁にモノを投げるという行為もしてしまった。そういうことをするたびに妻はしっかり話し合って、解決しようとしてくれた。その妻の優しさに甘えきってしまってた。まるで小さな子供が母親に甘えるみたいに。
恐らくアダルトチルドレンの傾向があるから、そこは今カウンセリングとコーチングで改善しようとしてる。少なくともモノを投げる行為は金輪際しないと誓ったし、抑えられてる。けど、その事実が妻の心に深い傷を残してしまった。
あと、日中の過ごし方もまずかった。私は今年2月から在宅勤務になったんだけど、私がオンラインミーティングしてるときに気を遣わなきゃいけないのが苦痛だったぽい。結構高性能なノイズキャンセリングイヤホン買って渡したんだけど「なんで私が我慢しなきゃいけないんだ」って言われて拒否された。1LDKで2部屋しかないから、妻が寝てる時はリビングで、妻が起きてきたら寝室で仕事するようにしてみてもやっぱり話し声が聞こえるのがキツいと言われた。結局、私が個室のネットカフェに出向くようになった。
妻はHSP体質らしく、五感がかなり繊細らしい。それと鬱が相まって、私の言動が相当キツいと感じていたらしい。
あと、鬱病になってしばらくしてから、妻はスピリチュアルな方面にハマっていってた。自分には大天使がついてるとか、今この部屋に白天狗がいるとか、言うようになってた。スピリチュアル系の動画を見せられ、動画で言ってる内容を理解できたかどうかよく問い詰められた。
妻は、そういう世界の素晴らしさを私に理解してほしかったみたいだけど、私は大天使も白天狗も見えないから理解しきれなかった。
こんな感じで、妻からは、私の言動によってどれだけ辛い思いをしているのかを都度言われ、それに対して何とか解決しようと試みてはいたんだけど、なかなか改善できてなかった。
そして、9月のある日、遂に、もう離婚したいと切り出された。とっくの昔に限界を迎えてるし、私があまりに幼稚すぎて、結婚相手として見られないと。そもそもそんなに好きじゃなかったけど付き合ってと言われたから付き合ったとか、自分よりも家事のレベルが上の人じゃないと嫌だと思ってたとか、いろいろ前提を覆されることを言われてもの凄いショックを受けた。
ひどく動揺してしまい、1分でも早く家から出たいと思って、その場ですぐ14日分のホテルを予約し、荷物をまとめて今度は本当に家を出てしまった。
家を出ている間の生活費として、結構まとまったお金を妻の口座に振り込んだ。
スキンケア用品、服、スピリチュアルグッズ、健康グッズを買いあさり、出会い系で男を漁ったり、ホストにも何回か通ったらしい。占いにも行きまくってた。
SNSの投稿や妻からの報告で散財状況を知ってかなり心配になったけど、それでストレスが発散できてるならいいかなぐらいに思ってた。
私がホテルから帰ってきて、改めて話し合ってもやっぱり離婚したいという意志は変わっていないと言われた。私も諦めて離婚届にサインした。
妻から、現在は支払い能力がないから、当面の生活費としてまとまったお金が欲しいと言われ、まあ渡してもいいかなと思ってた。
ただ、離婚が決まって、それぞれが別々に生きていくとなった後も妻の散財はひどくなる一方だった。鬱病になる前からそれほど収入の多くなかった妻が、鬱病が回復して再就職したとしても収入が激増するとは考えられない。完全に私からの援助を前提にしたお金の使い方をしていた。
と、ここまで書いてきた話を、信頼できる友達に打ち明けたところ、「普通に、もっと怒っていいだろ?」と言われた。私の自罰意識が強すぎて、すべての責任が自分にあるから、何をされてもしょうがないと思ってる節がある。もちろんモノを投げるなどの幼稚な行為は良くないから改善していくべきだと思うけど、だからと言って全面的に自分だけか悪いと感じる必要はないんじゃないかと。コーチングの先生からも同じようなことを言われた。
そこで、あれ、もしかして私だけが悪いわけではないのか…?と気づき始めた。
鬱病患者への接し方は誰にとっても難しいものだから気に病む必要はない。生活費をすべて負担し、働きながら家事も引き受けてる時点でかなり頑張っている。そこから更に離婚後の生活費まで払う必要ないのでは?とアドバイスされ、確かにそこまでやる義務はないなと感じてきた。
むしろ、妻の言動の方がアダルトチルドレンぽい、妻があまりにも求めすぎなのではないかとも言われた。妻からはずっと、私が幼稚で人間性に問題があると言われ続けてきたけど、実は妻も大して差はなかったのかもしれない。
そうやって友達に話を聞いてもらって、離婚後の生活費はやっぱり払わなくていいかもしれないと考えが切り替わってきたその日の夜。妻はどこかに出かけていたんだけど、深夜にいきなり「今ホストにいる。今すぐ飲み代として10万円振り込んでほしい」と電話してきた。
少しも悪びれることなくそんなことを言ってきて、怒りで頭がどうにかなりそうだった。
とりあえず10万円振り込んで、今後一切お金は渡さないと伝えた。
すると妻は裁判起こして慰謝料請求すると言い出した。もう裁判でも何でもしてくれって感じ。
この1ヶ月ぐらいで別人のように豹変してしまった妻に対して、もう未練も何もない。必要以上に自分を責めず、今回得られた教訓を活かして生きていこうと思う。
私:都内の外資系に勤務。トータルの年収は800万円ぐらい。貯金は数百万円程度。
夫:今年の4月まで派遣社員。年収300万円いかないぐらい。4月から鬱病が発症して休職、6月には退職して治療に専念中。
今の夫とは去年春から付き合い始めて、去年秋に同棲開始、今年夏に結婚した。
今年の4月から夫が鬱病になり、とりあえず休息してもらわないとダメだなと思った。
なので、仕事も家事もしなくていい、とりあえず休んでほしい、やりたいことだけをやってほしい、お金がかかるものなら、私に言ってくれれば払うと伝えた。
最初の方は、「せめて家事をしないと申し訳ない」とか言って色々やってくれてたんだけど、実際は相当負担だったらしく「やっぱりやりたくない」と言われ、「やっぱそうだよね」と受け入れてそれ以降は私が家事をやってた。
夫はほとんど貯金がなく、傷病手当だけが唯一の収入源だった。(毎月申請しなきゃいけないけど、手続きが面倒で2ヶ月ぐらい申請してなかったぽいけど)
生活費は全額私が支払い、それとは別に毎月5万円は夫に渡してた。(生活用品の購入分も含む)
こんな感じで、できるだけ夫に負担をかけないよう私なりにサポートしてたつもりではあったんだけど、夫からしたらサポートどころか、逆に精神的に追い詰められてる気分になってたらしい。
私は共感能力が低く、相手がなにを考えてるのか察することができない。だから、相手に質問して考えを探っていこうとするんだけど、それが相当キツかったらしい。「なんでそう感じるのか」「なんでそう考えたのか」って私が質問しまくるから、夫自身が言いたいことが言えないと。質問するのはいいことだという考えが根付いてたから、夫のその意見にハッとさせられた。以降は気をつけるようにしてるけどなかなか改善できない。というか、質問すること以外で相手を知る術を持ってない。
あと、夫にかなり甘えてしまっていた。すぐ不機嫌になって態度に出したり、ちょっと何か言われたらすぐ家を出ていこうとしたりした。
3回ぐらい、壁にモノを投げるという行為もしてしまった。そういうことをするたびに夫はしっかり話し合って、解決しようとしてくれた。その夫の優しさに甘えきってしまってた。まるで小さな子供が母親に甘えるみたいに。
恐らくアダルトチルドレンの傾向があるから、そこは今カウンセリングとコーチングで改善しようとしてる。少なくともモノを投げる行為は金輪際しないと誓ったし、抑えられてる。けど、その事実が夫の心に深い傷を残してしまった。
あと、日中の過ごし方もまずかった。私は今年2月から在宅勤務になったんだけど、私がオンラインミーティングしてるときに気を遣わなきゃいけないのが苦痛だったぽい。結構高性能なノイズキャンセリングイヤホン買って渡したんだけど「なんで俺が我慢しなきゃいけないんだ」って言われて拒否された。1LDKで2部屋しかないから、夫が寝てる時はリビングで、夫が起きてきたら寝室で仕事するようにしてみてもやっぱり話し声が聞こえるのがキツいと言われた。結局、私が個室のネットカフェに出向くようになった。
夫はHSP体質らしく、五感がかなり繊細らしい。それと鬱が相まって、私の言動が相当キツいと感じていたらしい。
あと、鬱病になってしばらくしてから、夫はスピリチュアルな方面にハマっていってた。自分には大天使がついてるとか、今この部屋に白天狗がいるとか、言うようになってた。スピリチュアル系の動画を見せられ、動画で言ってる内容を理解できたかどうかよく問い詰められた。
夫は、そういう世界の素晴らしさを私に理解してほしかったみたいだけど、私は大天使も白天狗も見えないから理解しきれなかった。
こんな感じで、夫からは、私の言動によってどれだけ辛い思いをしているのかを都度言われ、それに対して何とか解決しようと試みてはいたんだけど、なかなか改善できてなかった。
そして、9月のある日、遂に、もう離婚したいと切り出された。とっくの昔に限界を迎えてるし、私があまりに幼稚すぎて、結婚相手として見られないと。そもそもそんなに好きじゃなかったけど付き合ってと言われたから付き合ったとか、自分よりも家事のレベルが上の人じゃないと嫌だと思ってたとか、いろいろ前提を覆されることを言われてもの凄いショックを受けた。
ひどく動揺してしまい、1分でも早く家から出たいと思って、その場ですぐ14日分のホテルを予約し、荷物をまとめて今度は本当に家を出てしまった。
家を出ている間の生活費として、結構まとまったお金を夫の口座に振り込んだ。
スキンケア用品、服、スピリチュアルグッズ、健康グッズを買いあさり、風俗やメンズエステにも何回か通ったらしい。占いにも行きまくってた。
SNSの投稿や夫からの報告で散財状況を知ってかなり心配になったけど、それでストレスが発散できてるならいいかなぐらいに思ってた。
私がホテルから帰ってきて、改めて話し合ってもやっぱり離婚したいという意志は変わっていないと言われた。私も諦めて離婚届にサインした。
夫から、現在は支払い能力がないから、当面の生活費としてまとまったお金が欲しいと言われ、まあ渡してもいいかなと思ってた。
ただ、離婚が決まって、それぞれが別々に生きていくとなった後も夫の散財はひどくなる一方だった。鬱病になる前からそれほど収入の多くなかった夫が、鬱病が回復して再就職したとしても収入が激増するとは考えられない。完全に私からの援助を前提にしたお金の使い方をしていた。
と、ここまで書いてきた話を、信頼できる友達に打ち明けたところ、「普通に、もっと怒ってよくない?」と言われた。私の自罰意識が強すぎて、すべての責任が自分にあるから、何をされてもしょうがないと思ってる節がある。もちろんモノを投げるなどの幼稚な行為は良くないから改善していくべきだと思うけど、だからと言って全面的に自分だけか悪いと感じる必要はないんじゃないかと。コーチングの先生からも同じようなことを言われた。
そこで、あれ、もしかして私だけが悪いわけではないのか…?と気づき始めた。
鬱病患者への接し方は誰にとっても難しいものだから気に病む必要はない。生活費をすべて負担し、働きながら家事も引き受けてる時点でかなり頑張っている。そこから更に離婚後の生活費まで払う必要ないのでは?とアドバイスされ、確かにそこまでやる義務はないなと感じてきた。
むしろ、夫の言動の方がアダルトチルドレンぽい、夫があまりにも求めすぎなのではないかとも言われた。夫からはずっと、私が幼稚で人間性に問題があると言われ続けてきたけど、実は夫も大して差はなかったのかもしれない。
そうやって友達に話を聞いてもらって、離婚後の生活費はやっぱり払わなくていいかもしれないと考えが切り替わってきたその日の夜。夫はどこかに出かけていたんだけど、深夜にいきなり「今お店にいる。今すぐ飲み代として10万円振り込んでほしい」と電話してきた。
少しも悪びれることなくそんなことを言ってきて、怒りで頭がどうにかなりそうだった。
とりあえず10万円振り込んで、今後一切お金は渡さないと伝えた。
すると夫は裁判起こして慰謝料請求すると言い出した。もう裁判でも何でもしてくれって感じ。
この1ヶ月ぐらいで別人のように豹変してしまった夫に対して、もう未練も何もない。必要以上に自分を責めず、今回得られた教訓を活かして生きていこうと思う。
わかる。わかるので、自慢にも取れるような迂闊なことはわざわざ言わない。
不快なら伝えるくらいには関係の良かったり長い相手だったらまた別の場合もあるかもしれないよ。増田自身はやっぱやだなーと思うから書いてるんだろうけど、そして女同士の関係は様々なかたちでめんどくさいことが多いけど。
軽く振り返ってみると、お互いにパートナーのいる奴同士の会話でふとそういうのが挟まれる程度なら不快な感情を出したり出されたことは(多分)ないかな。
自分のされたら嫌なことはしない、嫌じゃないことは考えなしにしちゃってても悪意なく気に留めてないこともないわけじゃない気もする。なまじ共感能力が高いとか言われている女性はそうで〜とか括るのは乱暴だけど、共感しあって続いてる間柄なら自分の判断に任せてほんとのとこはどうなのか聞かないとか、甘えみたいな流れ。
「付き合いの長い増田なら不快に思わず聞いてくれてるし今までもこれからも話してるかな」とか。知らんけど。嫌なら嫌って言えたらいいけどできないことはあるね。
自分は学歴や年収、仕事の成功、昇進昇級を自慢するのはめちゃくちゃ嫌な奴と思わない。嬉しかったら話題にするよねってのは不自然に感じないし、相手の喜ばしいことなら私も喜ばしいと伝えるかな。図々しいので自分なら試しに「私も嬉しいことあったから聞いて!」って言っちゃうかも。
これで障がい者の気持ちが理解できた気になる浅はかな健常者が、手話文化を盗み、手話人口をいたずらに増やしていく。
本当に愛されない障がい者の気持ちは、障がい者の中でも青葉や小島ぐらいにしかきっと分からない。
妻と会話するために手話を盗む健常者がいたとしても、夫と会話するために小説を盗まれた気持ちに共感してあげたり、言葉をそのまま受け取る変わり者の夫を優しく見守る健常者などいるだろうか。
愛される障がい者を探してこいと言われて、見つかるのは西宮みたいな身体に不自由があるだけの美男美女や元健常者の既婚者ばかりであって、青葉や小島みたいなガチ勢が愛され枠に見つかるだろうか。
なお悲しいことに、ガチ勢には共感能力を持たない者も多いので、ガチ勢同士でもお互いを愛することはない。
耳が聞こえないだけの美少女が突然自死を選ぶなんて不自然に思えるが、それを言うなら何もかも恵まれたように見える健常者の美青年だって死を選ぶこともある。
本人にすら分からないのかもしれない。
増田は共感能力が高いのだろう。被害者の気持ちを親身に考えることができる。それは大切なことだと思うんだけど、増田には増田の人生がある。
もしくは自分が何かしらの被害に遭ったことがあるということなのかもしれない。ただそうであっても、それはあまり思い出さない方がいいと思う。悔しいかもしれないけど。
産み分けというのは今の技術で実現可能だけど、産み分け自体が人道に反している。なぜ人道に反しているのかは説明できないけど、恐らく、自然に反しているからかもしれないし、男女平等という理念に反しているからなのかもしれない。なので多くの人はそれに賛同しないと思う。
増田の抱えているネガティブなイメージは変えようがないかもしれないけど、ネガティブなこと考えてるとご飯がおいしくないよ。おいしいご飯のこと考えている方が楽しいと思うけど!
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AとTとが争う。Tの報告によりAが管理者ブロックされる。Aが全体相談ページでTのアカウント凍結を提案する
管理者ブロックを食らった時点で、少なくとも管理者から見た自分はTより分が悪いことを理解できないか?
確かに誰でも一発で理解できるようなシンプルな勧善懲悪なんかじゃないと思う。
冒頭部分からちゃんと映像を見て、キャラのセリフもちゃんと聞いてないと誤解するような部分がある。
実況を見るのに夢中になっていたら見落としてしまうような所なのかも知れない。
語るならせめてその部分は理解してもらうか、そうじゃないならおっこカワイイだけ言って終わらせていて欲しかった。
おっこが何を感じて何を乗り越えたのか、山ちゃん(山寺宏一)の演技のどこが凄かったのか、そういうのが分からないならあの場面について何も語って欲しくなかった。
自分は、何者も拒まないような高潔な心の持ち主にはなれなかったからそう思ってしまう。
どこの話だよ?って
ネタバレを回避するために自分の気持ちを先に書いたから分かりにくい文章になったのは謝る。
自分が言いたいのは「木瀬文太(キャスト:山寺宏一)が起こした交通事故は貰い事故であり、彼は加害者でもあると同時に被害者でもある」ということだ。もっと言えば「木瀬文太に対して怒りや憎しみの感情をぶつけることが正義であるかのような態度を取るのは、この映画の描いたものを貶めるような行為だと理解して欲しい」ということである。
冒頭の事故において、木瀬文太本人に落ち度があったかといえば、間違いなくあった。
彼が完璧なハンドリングをしていれば、二次災害で死ぬ人は居なかったかも知れないからだ。
同時に、彼が全てを諦めてしまえば、もっと大勢の人が死んでいたかも知れない。
そしてこれが何より重要なのだが、『彼自身の落ち度は彼の運転者としてのモラルに起因するものではない』。不可避の貰い事故の被害を最小限に食い止めるに足るだけの神業じみた運転技術を持っていなかったことにある。
これで彼が責められるのは理不尽と言っていい。
だが、ハンドルを握るということはその理不尽を背負うということだ。
そのことを彼は理解していた。
彼の口にする「俺なんか」という言葉は、彼があの事故に対して責任を感じている証拠であるし、周りに八つ当たりのような態度を取るのも後ろめたさにより精神がいつも張り詰めていたからだと分かる(それらが観客に伝わるように演じてしまう山寺宏一がこれまた凄いんだが)。
では、本人が自分を責めているのなら、彼を許すべきなのか?
それを決める権利があるのはおっこだ。
おっこはとんでもない小学生だ。
今自分が書いたようなことを、事故の当事者という立場でありながら理解している。
許せないという気持ちが自分の中に湧き上がってくる中で、自分が今思っているような気持ちと鏡合わせの「許されない」という気持ちを木瀬文太が抱え続けていたことを理解してしまう。
彼が自分と同じ被害者であることを感じるだけの極めて高い共感能力を発揮する。
だが、それはおっこ自身を板挟みにすることになる。
小学生の身で事故で両親を失った悲しみだけでなく、事故で誰かの両親を奪った人の悲しみに対する共感まで背負い、許すか許さざるかの決断までもを迫られる。
この世界にある理不尽に対してどう向き合うかの答えをいまここで出せとばかりに現実が迫ってくる。
ある種の限界状況(カール・ヤスパース)を前にして、おっこの出した答えは「花の湯温泉の若おかみとして全てを受け容れる」ということ。
この選択が『正解』であるとういことは理解できても、それを小学生が選ばされるということ自体があまりにも理不尽であり、そこがこの映画最大の精神的にキツいシーンとも言われていますね。
このシーンに対して「うるせー木瀬文太死ね!」とか「コイツ人を殺しておいてのうのうと塩気が足りねえとかステーキうめーとか信じられねえよ」なんて感想を出して欲しくないんですよ!
こういう人達がどうしてこんなに怒れるのかって結局の所「自分は木瀬文太みたいなことは絶対にしない」と思ってるからだと思うんです。
自分が同じ立場になる可能性なんて考えてもいないから、木瀬文太がどういう気持ちで暮らしてきたかも考えられないし、彼に対してぶつける怒りなら絶対的に正義だと勘違いできるんでしょう。
ちょっと考えれば分かりますけど、貰い事故食らって半分被害者で半分加害者になるような事象に遭遇する可能性が0%の人生なんてどこにも存在しませんよ。
車の運転なんてしなくても、自分がドミノのパーツに組み込まれて意志とは無関係に他人の人生を破壊する羽目になる可能性なんてどこにも潜んでます。
そんな理不尽なことだらけの世の中で、みんながお互いに支え合って許し合っているのって尊くて暖かいなあって映画じゃないですか。
嫌なことがあったらそれっぽい理由をつけて攻撃的になるのは当然だと思います。
実際この映画でだって、最初のお客さんを通して観客にそのことを思い出させて来てますもの。
でも、それと対比するように自分の気持ちを飲み込むおっこが凄いって感動する映画でしょ。
そのおっこの健気さがあるからこそ、おっこに感情移入して、だからこそそれを傷つける相手が許せないから怒る、そこまでは分かりますよ。
でも怒ってるから相手に対して何言ってもいいみたいなのってどうなんでしょうか。
ましてや滅茶苦茶な屁理屈で相手の人格を否定するなんてアニメのキャラクター相手でもやるべきではないでしょう。少なくともこの映画の感想としては。
貰い事故であっても木瀬文太が交通事故を起こしたことは許されないことかも知れない。
でも木瀬文太が交通事故を起こした人間だから、正義の鉄槌でボコボコにしてもいいとか、事故を起こすような奴が幸福に生きようとしてはいけないとか、そういうのは違うでしょ。
ひき逃げした人がインターネットで叩かれているのを見て、交通事故の加害者は無限大にその人間性を否定していいと勘違いしているんでしょうか……。
こんな言葉を使いたくはないですが「同じ映画を見ていたとはとても思えない」ような感想が沢山あって驚きました。
以上です。
正直、女叩きするような男は嫌いだし、大抵の男性は人格的にあまりよろしくないと思っている。そんな彼らに、女は能力的に劣ると言われがちだ。それは非常に悔しい。だが実際、それは当たっていると思う。
そもそも力が劣っている。歴史的に差別されてきたのも、女が男に負けたからとも言える。
女は共感能力が高いとされているが、使える仕事は限られている。
だが男はどうだろう。論理的思考力も、空間認知力も長けているとされている。
しかも体も大きく、肉体的にも一般的な女より強く、性的にも攻める側、能動的な構造をしている。
自分は女だが、出産しかできない女に劣等感がある。生まれた性別だけで、負けなのだ。それが非常に悔しい。
彼らは女に勝っているが、それは所詮運が良かっただけでしかないし、それを理由に相手を虐げていいことにはならないにも関わらず、性的な侮辱や男性が加害者の犯罪行為、女叩きなどが沢山あるからだ。
だが、能力差がこれほどまでにある時点で、男女平等なんて無理だろう。
認めた上で、劣っている部分を磨くのか、得意分野で食えるような道を探すのか、男を避けるのか、迎合するのか。それらを選ぶべきだろう。
死ぬ思いをして親元を飛び出して10年近くになり、以後一切の連絡も取っていない。
今回はとにかく父親の悪口を言うために投稿したので、あの女のことや、されてきたことはここでは触れないが、とりあえず虐待は18歳までに児相に相談するという証拠を残しておくとのちのち有利なので、虐待親に苦しんでいる人はぜひ。住民票開示拒否は忘れずに。
私の母親は火を見るより明らかなキチガイなのだが、毒親と縁が切れて少しずつ父親にも問題があったのでは?ということを、認識するようになった。
そもそも私は自分の環境が異常だということがよく分かっていなかった。
これは虐待家庭持ちにあるあるだとおもうが、単に私がアホということ以外に、虐待家庭という非常に社会から遮断されやすい環境にいたこと、一人っ子であること、私に友人が少なく平均的な家庭環境を知る機会がなかったことなど様々な要因があるが、まあそれは置いておいて。
知人や友人に、虐待の事実をカミングアウトをしたとき言われた言葉を覚えている。
20年間ものその間の父親は何をやっていたの?という疑問の言葉である。
やつがなにをしたかというと、
「俺も苦しんでるんだ 」「俺も辛いんだ」「俺は頑張っているんだ」「あいつ(母親)はおかしいんだから、お前が我慢しろ」と言い続け、何もしなかった。
いや、こういった自己弁護ばかりしていた。
常に自分も被害者で苦しんでいる、だから自分は何も出来ない、というかこれでも自分は頑張っているんだ、そしてお前も我慢しろ。という。
少しでも責められていると感じると上記のような発言を繰り返す、形式的な謝罪をする、時に押付けがましい土下座までする、だが改善はしない、何もやらない、根本は何も変えない。
子供が母親から虐待を受けているのなら、隔離するのが父親ならばやるべき真の役目だと思うのだが。
(ちなみに虐待を受けていても母親から離れないことの多い幼少期を過ぎた思春期になっても、あの男はこの姿勢を変えなかった)
上に挙げた性質の他、あの男は、気も利かない、空気は読めない。口を開けば自分は可哀想だという話ばかりする。被害者面が大の得意で、自分から改善する努力や行動は何もしない。面倒くさいと感じることは決してやらない。ケチでとにかく金やコストをかけることを嫌がる。心が狭い。不愉快なクチャラー。仕事は出来ない。
顔はティッシュ箱並にデカく、エラが張り、ほお骨は前にパンパンに突き出して、目は細くアホほど垂れ下がっていて、鼻は特大の団子鼻、青髭だらけ。
友人がいないのも当然だ。
挙句にスーパーでマネキンなどをしている若い女にはクソどうでもいい世間話やら愚痴やらで下心を持って話しかける。
(私もマネキンのアルバイトをした経験があるから言うが、キャバクラじゃねえんだよ帰れ仕事の邪魔だ失せろ と思う。←私の父親のようなケチクソジジイはこういう所には金がかかるからいかない)
職場の女性たちに徹底的に嫌われていたそうだが、娘ながら納得する。
私もこんな汚らしいオッサン(今はジジイ)とはかかわり合いになりたくない。
私が失笑した話をしよう。
お前が相手にもされないどころか嫌われるのは女側が面食いなせいではなくて、お前自身がブサイクで卑しくて性格的にも人間としての魅力が何一つ感じられないせい。当然の結果、帰結である。
余談だがこの父親は見合いを50回以上して失敗し続けたという武勇伝の持ち主だ。断った女性達は非常に懸命な判断を下したと思う。
しかし、これと結婚した頭のおかしい女がいた。つまり私の母親である。私は最悪の組み合わせから生まれてきた。一体前世で何をしたのだと疑うレベル。
思い返せば、小さな頃から、父親の『卑しさ』が恥ずかしかった。お1人さま1つという景品を鷲掴みで持っていくことや、とにかく何度言ってもくちゃくちゃものを食べることをやめないことなど。
そして、子供の頃、自分は酒やタバコ、ギャンブルをしない、のめり込まないからまともな男なんだというような話を言い聞かされ、世間から断絶された毒親家庭の一人っ子だった私は長らくそれを信じてきたが、大人になって気づく。
そ れ く ら い は 人として 当 た り 前 なのである。
私がどうしても忘れられないのは、私が母親に精神を叩きのめされ、追い詰められ、ああ、もう死ぬという直前にいたとき、あの男は「俺もあの女にこんな酷いことをされて辛くて」「かわいそうで」といつもの不幸話をし始めたことだ。
その直後、私は自殺未遂をした。
あの男は他人への共感能力が低く、自分の言動が他人にどう受け取られるかという視点が決定的に欠落している。
自分も辛いという話をすることで、自己弁護をしているつもりなのかもしれないが、お前の苦しみは子供を助ける義務の免罪符にはならない。
ポジティブな見方として、苦労話をすることで慰めているという解釈もできるかもしれないが、追い詰められており今すぐにでも助けを必要としている人間(しかも本来なら保護すべき子供)には、全くもって逆効果である。
歳を食った大の男が、俺は可哀想だ、俺も辛いんだ、とアピールし続けることが、どれほど己の無能さをひけらかし、周囲からの軽蔑を得るか。
驚きなのは、自分が何故娘に拒絶されているのか、現在進行形で理解できない・していない点である。
あまりにもゴミのような人間が親だったせいで、大人になった今でも、「え、親ってそこまでしてくれるんだ」と驚くことが多々ある。まるで異世界、テレビドラマを見ているような気持ちになる。
尊敬する人物はお父さんとお母さんですと宣う人の感覚はほぼ理解不能である。
幸運なことに、容姿に関していえば、私は父親には何一つ似なかった。
あの顔面の遺伝子から見たら、地球が逆回転を始めるくらいの奇跡、大成功の出来だ。
あの父親の顔で女に生まれていたら人生ウルトラハードモードゲームだった気がするので、こういう最悪な生まれながらも、神と自分自身に感謝したい。