はてなキーワード: 公文式とは
姉の話をする
初めに、俺は姉と二人姉弟で、年齢差は3歳差だ。
俺たちは自営業の親のもとに生まれて、今は親父の仕事を俺が継いでいる(とはいえ親父もまだ現役である)
近所の子供は両手に収まるくらいしかいない上に同級生は1人だけ。
そんな田舎で俺達は伸び伸びと成長した、と思う。
俺と姉は割と姉弟仲が良く、遊び相手としてはちょうど良かった。
姉はなんだかんだで弟である俺に甘く、喧嘩はすれど結局は譲ってくれることが多かった。
何かと姉の言動が鼻に付いたのだ。
姉は、弟の俺が言うのもなんだが、そんなに頭がいいわけでもなく(一緒に公文式をやっていた)、俺よりも字が汚く(同じ習字教室に通っていた)、俺よりも運動ができなかった(同じ武道をやっていた)。
言ってしまえば、姉が何かで表彰されるたびに、俺がその一段階上の賞をとってしまったり、身体能力を上回ったりした。
だから多分、当時の俺は見下していたのかもしれない。
姉の優しさに甘えて、姉の言動に一々噛み付いていた。
話しかけてくる姉に、苛立ち、ドジをする姉に虫唾が走り、それでも朗らかに笑う姉にどうしようもなく腹が立った。
その頃の俺は中学生くらいで、生徒会をやったり、部活をやったりと忙しく駆け回っていた。
一方の姉はといえば、第一志望の高校に落ちて、県立の進学校へと通い、中学時代は学年10位以内をキープしていたのとは反対に、学年のワースト10から数えたほうが早いという堕落しきった学校生活だったのだ。
だからそんな姉に、たぶん矛先が向いたのだろう。
そんな姉への反抗期は、俺が姉の落ちた高校に受かり、姉は短大へ進学したあたりで収まった。
気付けば、俺は高校をサボりがちになり、姉は短大とバイトと自分で立ち上げたサークル活動と忙しく駆け回る。
まるで正反対だと思った。
姉は、本を読むのが幼い頃から好きで、小中高と多読者ランキングに名を連ねており、姉が進んだ短大も、司書育成の短大だった。
そんな姉は今、東京にいる。
嫁さんをもらって、親父の仕事を継いで、地元に腰を据える俺と正反対に、独身の姉は東京で派遣社員をしながら飲食店のバイトをしている。
あれから数日。
月曜日の昼にはもう将棋盤が届いたので、以来毎日娘に将棋を教えている。
子供に何かを教えるのはとても大変だというのを痛感する日々だった。日常の習慣や家事などを教えたりしつけをするのも結構難しいが、なんとかかんとか教えて来れたけれど、こういうゲーム的なものを教えるのはどうしてこんなに……こんなに……。
トランプのババ抜きを教えた時もかなり四苦八苦したが将棋はこれの比じゃない。
親が子供に教えようとする事がそもそも間違いなんじゃないかという気もして来た。
ママ友達が言うには、何であれ親が頑張って教えようとすると熱くなりすぎて子供を潰してしまうだけだから、自力で教えるのは諦めて高い授業料払ってプロの講師にお任せするに限る、と。
私の周りでは簡単な読み書きや四則演算も自分で子供には教えない人が大多数。皆、やってて良かった公文式。
なんだか無理ゲーに果敢に挑戦してやっぱり大失敗しようとしているような気がして来た。
なお、うちの娘は既に読み書きが出来るが、これは私が教えたというよりワークブックを買い与えたら娘が自分でやっていつの間にかおぼえてしまった感じ(同じワークを何度か買ってあげた)。幼稚園女子の間でお手紙ブームが起こっていたので、その時流れに上手いこと乗っかっていた。
将棋も、子供向け入門書が自力で読める位の年齢、小学校中~高学年になるまで待てば良かったかもしれない。興味があれば自発的に覚えたんじゃないだろうか。
ともあれ、もう娘はやる気満々で、そう簡単にこちらから手を引く事は出来ない感じになってきた。幼稚園にお迎えに行けば第一声が
で、
と私は項垂れつつ応える。
(つづく、かもしれない)
子供の頃通っていた公文式で、本棚に置いてあった将棋の漫画を読んだ事をふと思い出した。
その後将棋に興味を持ち、百均で盤と駒を買ってもらい、同日中に祖父と指したんだった。
確か自分が勝ったはずだ。ただ会社も経営していた彼が子供に負けるはずもないので、
当然手加減をしていたのだろう、そしてそれに気づかず私はぬか喜びをしていたんだ。
私は今棋士でもなく、ましてや趣味でさえもう暫く指していない、
それ自体が今の自分を形成するかと訊かれれば首を傾げざるを得ないほど、
全くもって意味のない記憶だが、私は確かに覚えている。覚えていたのだ。
そうした何かを与えられたという記憶と関連付けられて、
初めて私は祖父を亡くしていることを惜しんでいるような気がする。
>教科書を字面通り読んで黒板に字を書くだけだったらもう機械に任せても構わんよね。機械的に処理できない質問だけは人間が受け付けるって形にして。テストと採点も全部オンラインで自動化。あとは生活指導のみ。
学校ってのは、これでいいんだよ。「生活指導」の部分が余計なのだ。生活指導にしても、これ「勉強させるため」に必要だからやるわけなのです。
教育困難高校・児童生徒ってのは、学校で学習をするというのができてない。生活指導の範囲が限りなく大きくなってる。だから教育困難。
教科書を字面通りに云々ってのは、公文式の塾だね。学校だと児童生徒の反応・状況でもう少し細かに指導を変える。公文式の塾でもやるかな。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20150226-00043362/
日本のことかと思った。増田の住む中核市周辺では、ここの所フットサルコートとそれに付随するスクールがものすごい勢いで増えている。
経済力のある保護者達は公文式や語学教室と同列に各スクールの育成について熱心に情報交換を行い、4種(小学生)強豪チームのあの子はどこのスクールだったとか、今3種(中学生)Jリーグジュニアユースにはあのチームから行っただの育成シーンにおいては、かなりマニアックな展開を呈している。
昔ながらの小学校に1つずつあった少年団チームは、各スクールで運営されるNPO法人格のクラブチームやその市の最強チームに、主だった選手たちが集まるので今や複数の小学校区で1つのチームをなんとか維持し、ようよう8人制にエントリーできるかどうかくらいの縮小や、チーム統合でしのいでいる状況。JFAを頂点とする協会組織は、くまなく草の根にも広がっていてこれは功績だと思うのだが、市内の各チーム指導者も割と細かく情報交換や指導技術の研鑽を行っている。
しかしだ、少年団チームには、専任の指導者を置けるところがほぼ無い。月5千円以下の会費で細々やってるチームの財政的な理由が大きいのだ。当たり前のことだが、「増田のお父さん」達が集まって細々運営してるチームだから。いわんや、指導の内容も、よほどアツい、競技経験のあるコーチが在籍しない限り推して知るべしの内容。週末や祝日の日中。大会や対外試合が入れば、練習はお休み。
一方で強豪チームや、NPOクラブはそれなりのコストをかけながら、競技経験のある人材を確保し、平日の日中、夜間を練習時間に宛て、休日は地方遠征など充実した育成内容。同じ年の子どもで、こんなに違うのかと愕然とさせられたこともしばしば。もちろん、それなりの技術を持っていなければ試合にも出られない選手層の厚さがあるので、それなりのスクールに通わせられる世帯収入と可処分所得のあるご家庭がそこに行ける資格を持てる。選手本人の気持ちや、持って生まれた才能、たゆまない努力、これを大切にできる環境と言う意味を含めて。
レベルの高いサッカーをするチームにはより選手が集まる。スタメンを確保するために、スクールに通って更に技術を高めないと。日本代表に、プレミアへ。リーガへ。子どもが描く夢のために、経済力のある保護者たちは力の限り応援する。否定しない。どんどんやってくれ。指導者もホント良い人ばかりで羨ましい。オレもワールドカップを掲げる日本(男子)を見たい!!
さて、増田の子が所属する少年団も、いよいよ学年で1チーム作るのが厳しく最近は2学年合同で毎週活動している。こちらは、以下のご家庭からの選手で構成されている。基本的には、競技レベルでの選手育成までは考えていない。
①→身体機能発達を促したい(ダイエット、足が遅い、全身運動etc)
④→よく分かっていないけど、地元のサッカーチームで一番近かった
まさに玉石混淆。ここがお父さんコーチの楽しみ、楽しさではあるのだけど。
ここにサッカーというスポーツの面白さを伝える醍醐味があるわけで、だからハマってるんだけど。しかし、ごくたまに、1学年に1人か2人は「玉」が。当然のように高学年時には上記のクラブチームへステップアップしていくわけだけど、ここでもワーキングクラスかそうでないかで展開が違う。
(小さなローカル大会や、フットサル大会なら、可能性くらいはある)
さっきの、①~③に該当するご家庭の選手たち、勝てないけど上手くはなれないかも知れないけど、楽しそうに通ってきてくれてる。この子たちは日本代表にはなれないと思う。10年後、20年後にまたチームの父親コーチに戻ってきてくれるくらいが良いトコだろう。それですらたぶん、「良かった例」。
混雑するターミナル駅の夜。某Jリーグ下部組織のバッグを背負った高学年の選手たちがくたびれた大人の列を無視してかきわけバスに乗り込む。大人たちも、もうこのチームの選手たちの振る舞いには諦めて声もかけない。それとも、おらが街のJチームを応援する気持ちなのかな?そのわりには視線は冷たいけど。彼らは座席を確保して、周囲を無視したような振る舞いで過ごしている。そうだね、あんたたち勝ち組だもんね、将来のJリーガー、日本代表だもんね。特別扱いは当たり前だよね。嘆息。
国語は漢字、作文、音読、語彙、読み取りといろいろやることがある
全体的にできるようにさせてあげるのがいいんだろうけど難しい
そもそも俺の授業で子どもが本当に伸びてるのか分からなくて不安
無駄なことやってるんじゃないかと思う
を読むと、物語の授業展開例に「気持ちを想像しよう」系の活動が多くてなんか頼れない。
こういう気持ちを問うやつは現職の先生からもけっこう批判されてる。
物語文でも「ちゃんと内容を理解させる」ことが国語力に繋がると考えてる教師は多い。
それで、そのための授業展開を解説した本もけっこうあるけど、これも取り入れづらい。
まずクラスには文章の内容が頭に入ってないのがそれなりにいて、読み取りの授業についてこない
その教材に入る前にたくさん音読をさせておいても頭に入ってない
かといってそいつらに合わせたようなクラスの多数が当たり前に分かるような授業してもつまらない
逆にやたらと理解力のあるやつもいる
そういう格差がありすぎる集団に対してどういう授業をしたらいいのかが分からない
読む書く話す聴くをどのくらいの配分でやるのがベターなのかわからん
(一応配分は決められているけどそれを忠実に守ってる人はいないと思う)
漢字もやたらとある上にそれを授業内でやると10分とられてきつい
文章を書くのがうまくなってほしいけどなかなか難しい
ひな形を与えて書かせたりすることは多いけど成長してるのかどうかわからなくて不安
視写もときどきやって子どもは集中してるし嬉しいけど力ついてるのかな
この間、エビデンスベースの教育経済学が話題になってたけどああいうのは嬉しい
教育技術にも根拠が欲しい 子どもが伸びるという確信が持てる活動をさせたい
すごい(?)先生たちが書いた教育技術の本はたくさんあるが、思いつきで書いてんじゃね?と思うことが多い
教育現場でスタンダードになってる授業方法もそれが本当に効果的なのか謎
授業の流れが一目でわかる板書がいいからそうしろって言われたけど本当にそうなんかなとも思う
ずっとこんなんで悩んでるから俺は教師に向いてないのかもしれん
以下ブコメへの返答
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若手です。授業法を参考にするときはビッグネームの先生の書籍を読みます。
でも、あれが大事これが大事と人によって大事にすることが違っていたり、時には指導法に関して正反対の考えが書いてあることもあるので「これだ!」と確信して取り入れられません。
あと、ベテランの先生はそれぞれ流派というか主義みたいなのがあってバラバラだしわかんないもんです。
それって矯正不可なんですかね。
もしも大人になっても矯正できるのであれば、低学年で字の美しさに気をとられるあまり他の面が養われなかったらもったいなくないですか?
それに字を丁寧に書くことがその子の将来にとってどれほど得なのか(頭が良いのに字が汚いやつがたくさんいる)、字を丁寧に書かせることで失うもの(授業が終わっちゃう)とか
いちいち考えてしまいます。字の美しさの指導はベテランの教員でも意見が分かれるところなので難しい。
文章力と関連あるかは別にして、国語の成績とか偏差値とかは全国クラスでした。それを支えたのは、公文式と乱読だと思います。公文式の最初の方って、書き取り以外だとひたすら品詞分解したりするんですが。
恥ずかしながら公文式がどんなことやってるのかよく知らないんですが
今度調べてみます
俺もそんな気がする そういう風にこしらえられた学校用の教材はないような気もするけど(自分が知らないだけかもしれない)そして作るのはつらすぎる。
手際の良い先生は、個々の能力に合わせて授業をセッティングしているように思う。跳び箱でいえば、高さ違うやつを並べて跳ばすように。
教育用語に学習の最近接領域というのがあって、その子にとって最も丁度良い学習課題が最も能力を伸ばすというものなんだけど(こういうのをうまく利用して授業組み立てたい)、
毎日の授業でうまいことそれを取り入れるのは難しい 自分が未熟だからというものあるが。
子どもとマンツーマンなら効果的に伸ばせると思うけど、担任一人じゃつらいものがあります。
ほんとそうですよ
http://u999u.info/o32m 公文式国語の「方法」を読むといいよ。絶版だけどamazon中古あるみたいだし。要約力を重視していた。文章の中から重要な要素を抜き出す能力ね。中学生相手に塾講師と家庭教師していたとき役だった。
安かったんでポチりました
…ほんと…国語は…難しいよな…。そもそも国語の「学力」が何であってどう測るのか、という時点で、理科や算数に比べて曖昧で、市販のテストの点数との乖離が大きい気がする…。
その通りで、算数は何を学ばせるかが明確で分かりやすいのであんまり悩まないです
宿題を一杯出したり漢字を死ぬほど書かせたり色々と強制する事はバッシングがやばいけど将来的にあの時やってよかったと思う時があるかな。
自分が受けた教育がよかったと思うことと、本当にその教育が良い効果をもたらしたのかということの間には、かなり隔たりがあると思いませんか?そこを間違えたくは無いです
根性主義的な学習はある程度効果をあげるかもしれませんが失うものも多いように思います。宿題をどっさり出す勇気はありません
自分の漢字学習のさせ方は、宿題は少なめにしておきつつ、小刻みにテストをしたり、作文に使ったりと、忘却曲線を利用したようなやり方で思い出させて学習させてます。
いま私も子供らの国語教えるのには試行錯誤してる。毎週読書させて簡単なあらすじと感想書かせて。無理矢理は読むの嫌いにさせちゃうし、楽しみながら習慣化させたい
同業?学級文庫や図書室の本だけだと満たされないかと思い、うちのクラスは家からの本持ち込み可にしてるんだけど、本嫌いな子は持ってこない
その通りで、余計なことをしたくないから意見は参考程度にしておいて授業で使うかはまた別
漢字の書き取りをめちゃくちゃやらされた結果、書き順とか部首名とかばっちり頭に入った。大人になった今でもしっかり覚えてる。脳の容量がもったいないからできれば全部忘れたい。
漢字めちゃくちゃやると他のことができなくなる
日本の国語教育って漢字偏重というかそれが重荷になってる気がしませんか
「新出漢字は軽めにやっておき、今後数年間で忘れたり思い出したりを繰り返してるうちに記憶が定着する」と自信をもっていえるなら俺は軽めに教えて他のことをしたいです
まあ自信をもっていないからモヤっとするんですよね。
あとこれもすごい悩ましいんだけど、書き順は正確に教えるのが当たり前になってますけど、書家の方が「正しい書き順はない」とおっしゃっていて、それ聞くとガチガチに正しい書き順を覚えさせるのがいいとは思えなくなっちゃいません?
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http://anond.hatelabo.jp/20150920002242
結局自分が欲しいのはエビデンスなんですよ 指導要領解説にしたってエビデンスです エビデンス厨なわけです 教育に裏付けが欲しいんですよね。
何か確かなものを頼りにして授業したいんですよ。
まあでもそんなパーフェクトに近い指導法はないですよね?だから手探りでいくしかない 指導要領解説は前任校が国語の研究をしてたんでちょっと読んでましたけどまじめに読んでなかったので読んでみます
初めて喋ったのが生後6ヶ月。九九を覚えたのが2歳。幼稚園に入る頃には小6レベルの算数をマスター。幼稚園卒業時には公文式で高校数学を修了。小3まではひたすら大学受験の数学の問題を解き、東大京大をはじめとする主要大学の過去問をほぼ解き尽くす。小1から物理、化学、生物、地学の学習も始め、小2で高校程度の物理、化学、生物、地学をマスター。小4までに主要大学の理科の過去問を解き尽くす。中学、高校は大学の教科書や専門書を読み続けて過ごす。しかし高2の春に家庭が崩壊。精神的ショックが大きく、1年間まるまる引きこもり、高校を辞める。仕方なく高卒認定を取得し、勉強を再開。現役で海外の某大学に合格。この人生、敗北を知りたい。
庇護されたほうがいいの?
仮にさ、仮に、恐喝目的だか売春目的だか人身売買目的だかの不良が攻めてきたとき、
いざ喧嘩して守ろうとすると、お互いに結構な被害が出るでしょ。
あと住んでる家がめちゃめちゃにされる可能性もある。
それならさ、目を付けられたか最初の攻撃をされた時点で、即降参してさ、
その人の言付を受け入れちゃえばいいんじゃないかと考えたんだよね。
そりゃ今まで通りの生活はできないだろうけど、生きてるし、
生活インフラも整ったままだし、経済活動もそのままさせた方が不良に
とってもメリットありそうだから、仕事もある程度ある気がするんだよね。
考え甘いかな?
あれ?あ、そういうこと?だから喧嘩してまで、「家族」という家の形に固執するのか?!
家族という単位は大好きだけど、それを守る手段として喧嘩をしてしまうと、
というわけで、ましてや親権なんて
本当になんで必要なの?って感じです。
始めに言っとくけど、途中で何度か話変わるから。
アメリカに研究しに留学してきて1年経って全然いまだにしゃべれない。毎日家帰ってから2時間くらいシャドーイングとかしてるし、研究室は俺以外みーんなアメリカ人だし独り身で日本語しゃべる機会ないのに英語しゃべれるようにならない。
言わしてもらうけど、卒業大学は国立トップ集団の大学医学部で俺様医者だし。頭良いはずなのよ。英会話はべつに特別してなかったけど、医者になってからも英語の論文とか読んでたし。
でもしゃべれないわからない。どれくらいわからないかって言うと、昼飯みんなで食ってるときにみんなが何言ってるかわからなくて「俺の目の前で俺の悪口言ってんじゃねぇの?」て思うくらいわからない。
となりの研究室のおっぱいの大きいインド系の女の子超かわいい、でも、食事に誘いたいけどマジ無理。誘うまでは英語力いけそうな気がするけど2時間とかしゃべるとか吐き気する。ゼッタイ1時間半くらい沈黙になる。
でもさーしょうがないと思うんだよね。「語学留学」で来てる人たちも大してしゃべれるようになってねぇし。日本人が英語しゃべれるようになるなんて無理だよ、無理。言語として違い過ぎ。みんな大抵言うんだよ、「日本の教育が会話重視じゃないのがいけない」って。そんなことねぇって。日本語はヨーロッパ言語と違いすぎるから、文法からやんないと簡単な会話も無理なんだって。
ほんで次に言いたいのはなんでみんなやたらと英語しゃべりたいって言うのって話。おれはしょうがないから今やってるよ。だってアメリカに住んでるもん。一応偉くなりたいからここで結果残さなきゃいけねぇし。来たくなかったけどボスが行けって言うからしょうがなかったんだよ。
でも、こんなツライこと好き好んでやんなくたっていいじゃん。なんなのみんな、意識高い系?ジスイズペンとかいって白人の男とフォーリンラブしたいわけ?大体、北野武とか英語なんか片っ端も出来なくたって金獅子賞とかなんとかいうのとってるし、田中とか下村とか明らかに英語できない感じでもノーベル賞だし。ノーベル賞。英語なんかできなくったってとれるっぽいし。要は相手が通訳雇って話したいと思うような偉い人になるのをまずは目指せって話よ。
最後はこれ、一番言いたいこと。結局どうやって英語勉強したら良いのん??ごめん、めっちゃ知りたい。
いろいろ英語学習のmethodとか調べると大量に方法論が出てくる訳。明らかに教材買わせようっていう宣伝から、なんだかよくわからない経験談みたいのまで。どれも自信満々にこうしろああしろって書いてあるけどどれが一番良いわけ??なんでそれが一番良いって言えるわけ?俺ら医療業界は「プラセボ対象比較試験」ってのやってどの治療法が一番効果があるのか汗水たらして調べてるんですが?個人的な体験なんてとっても質の低いエビデンスなんですが?? なんで同じ事教育界はしないの?あるいはしてるけど俺がしらんだけなの?プラセボはさすがにきついかもしれないけど、コホート研究とかしないの?シャドーイングと公文式のどっちが優れてるのか結果を比較した研究をみてみたいんですが?
だって、政府はこれからTOEFLを基準として英語教育の見直しするんでしょ?英語教育推進するんでしょ?要はめっちゃカネ使うんでしょ?そんでさすがに効果のない方法に力入れるってわけにいかんでしょ。だからカネ使う前にどの方法論が一番効果があるか調査しろって話よ。
話がズレた。とにかくおいらは英語話者の女の子とねんごろになりたいから、そのための英語を身につけたい、そしてそのためのちゃんと根拠のある英語勉強法を教えてくれって言っているのよ。
小3の頃に公文式に通ってたんだ。授業が終わって家に帰るにはどうしても草むらに覆われた人通りの少ない道を通らなければならなかった。
いつものようにその道を1人で歩いていると、前方から丸坊主の中学生が1人で歩いてきた。そしてオレを呼び止め、草むらの方へと連れて行かれた。
するとその坊主頭はオレにズボンとパンツを脱ぐように言った。小3からしたら中学生なんて大人に見えたし怖かったから、素直に言う事をきいた。
丸坊主はオレのアレを握ったり擦ったり引っ張ったりして、最後は口にくわえたりしていた。オレはとりあえず怖くて怖くてその時間が早く
過ぎ去ってくれることだけを考えていた。時間にして10分くらいだったと思うが、その時は何十分にも感じられた。
そして別れ際に丸坊主はオレに向かって言った。このことを誰かに話したら殺すぞ。と。
オレは恐怖で誰にも言えずに成長した。そして中学生になった。
オレは気の弱いクラスメートをトイレに呼び出し、そいつのアレを握ったり口にくわえたりしていた。その時は自分が小さい頃に同じことを
されたことなんて思い出しもしなかった。
男と女とどっちが好きかというと女なんだ。でも男にも興味があって、くわえたりすることに抵抗なんて少しもないんだ。
だからたまにニューハーフの店に行ったりするし、普通にイケてしまう。
もし丸坊主に出会わなかったらこんな風になってなかったのか、もともとそういう気がオレの中にあったかは分からない。
でも両方を楽しめるっていうのも悪くないよ。
数式を扱うのは言語を扱うのと一緒だから女性的な脳でも大丈夫と思うが、図形を扱うには空間把握の力が要るので、男性的な脳の方が上手くやると思う。
でも世の中(というか日本)に数学が苦手な人が多いのは、中学レベルでの学校教育が下手くそだから。
小学校までの数学を習得するには、ゴリゴリ計算問題を解いて、反射的に解けるまで暗記するやり方が向いていて、そういう教え方は日本ではすごく発達してる。公文式とか計算ドリルとか教材も充実してるし、それを使って教える教師の能力も充分。だから日本人の小学生の数学力は高い。
中学以降の数学を習得するにはただがむしゃらに問題を解こうとしても上手くいかなくて、その前に、なぜそういう解き方をするのかという理屈を丁寧に学ぶこと、あるいは、自分がなぜそういう答えを導き出したのか、理屈を丁寧に説明すること、そういう学習が重要になってくる。けれど、日本の学校はこれを軽視した授業をするので脱落者が続出する。学校は数学の理屈をきちんと説明しないので、学校にあまり頼らない人、つまり、説明が適当でも自分の頭の中で補完して理解できる人や、数学がなぜか好きで自分から進んで自習するような人、塾などに通ってフォローできた人は数学力が伸びる。
処方箋は数学教師の教え方の質を上げること、脱落した生徒をきっちり留年させてリトライさせること。教育給付金を一律にばら撒くより、数学教師の給与をアップして良質な教師を確保するとか、留年する生徒の学費に回すとか、そういうピンポイントな使い方のほうが日本人の学力の底上げに効果を生むと思う。
あ・・・アクティブなのかなあ・・・・?自分ももがいているだけなのだと思う。省略しちゃったけど、この他しょーもないアクセサリー作りだのなんだので捨てるに捨てられないモノ(負の遺産)がゴロゴロ。
ちなみに、上記のうち心底習ってよかったと思うのは習字。払ったのは親だけど月謝も2500円位でまあお得。
もう少し早く習ってもよかったと思うのは料理。むしろその前に家庭でお手伝いしとけよって感じですけど。
習っておけばよかったな〜と後悔しているのは公文式かそろばん。典型的な算数のできない文系なので。大人のそろばん教室ってないのかな。。
自分の例。
異常なハマり方をしたんですね。
同学年の全国上位10傑くらいには入ってた気がします。
で、うちは親父中卒だし、裕福な家でもないしで、
最初から担任に目の敵にされ、ちょっとよそ見をしただけで、
「私の授業はレベルが低すぎて聞いてられないって言うの!キー!」
そういうのが続くと、小学1年生とはいえ
それなりに賢しく育ってた自分は
勉強できるって悪いことなんだって
自分を殺すことを覚えますよね。
80点くらいになるようにしていました。
なんとかやってる感じです。
現状決していい生活できているとは思えないので、
あのときもし勉強できることが悪いって思わないですむような
小学校に入っていたらって思うことはあります。
まぁそんな話。
いい素材かあ。
親はまた、相手に対し錯覚しているだけではない。自分についてもしばしば誤解している。とびが鷹を生むことはないのだけれど、とびが生まれて初めて、自分が鷹ではないことを悟る親が少なくない。
<才能>とはなんぞやを分かっていないのに、
<才能>を伸ばそうというのは、なかなか滑稽だろう。
まあ、少なくとも、一定時間椅子に座る習慣は身につくかもしれない。
一方で、毎月5万円ずつ大卒の22歳(場合によってはもっと援助してもらえる)まで、
毎月1万円ずつ18年間合計:216万円の投資を受けてきた子供が、
同じ土俵で戦えるわけがない。それは事実だ。
だからってどうにかできるわけじゃないっつーのは、
あんたも重々承知なんだろう。
最近は、孫の人生を受け入れるときに、もう一回折れる未熟な老人も多いけど。
それだけの話だよ。
できる範囲で手を掛けてやればいいじゃないか。
跡継がせる必要もないのでしょう?
子供は干渉するものより鑑賞するものですよ。