はてなキーワード: ノアとは
○ご飯
朝食:なし。昼食:チャルメラ。夕食:朝までゲームする予定なので、途中で適当に食べる
○調子
むきゅーはややー。今日も家でむっきゅり。
今日から新しいゲームを始めました。前に書いたノベルゲ欲を満たすために、物語を読むゲームです。
ノベルというよりは、アドベンチャーよりですが、まあ分かち難いジャンルなのでよしとしてください。
物語を読むゲームなので、途中の感想は書きません。今日は朝までプレイするかも。
ガチャピン。10連。じゃんけんはなし。虹一個。SSRマルキアレスが新規加入。
このレジェフェスで天井予定だけど、ガチャピン期間中なので少し我慢。ネズミかノアのどちらも出なかった場合、どちらを天井で取得するかは考え中。ネズミかなあ。逆にどっちも出た場合は、フォリアかオイゲンを取得予定。アニバチケの範囲にフォリアが入るか微妙かもだから、フォリアかなあ。
ふとした事で子供の名前を沢山見るきっかけがあったんだけど、その中で驚いたのは
「ノア(字は色々)」
という名前が、女の子の名前に使われている件が、非常に多かった事。
人命ランキングで上位に来ている凜とか陽菜とかよりも多いんじゃない?っていうくらいに多かった。
ノアっていったらノアの方舟のあのノアじゃないですか。旧約聖書の創世記の!
なんでキリスト教の預言者の名前が日本の女の子の名前にこんなに多く使われているんだろう?意外とキリスト教徒が多い?
えーと、これって娘に人類を滅亡から救う救世主に匹敵するほどの偉大な人物になって欲しいという想いを籠めて付けた名前なのかな?
壮大な願いだな…。
○ご飯
朝食:なし。昼食:チャルメラ、白菜、卵。夕食:肉をお湯でしゃぶるやつ。
○調子
むきゅーはややー。
朝の7時ぐらいに起きて洗濯をした後、二度寝して夜の7時まで寝たり起きたり寝たり起きたりを何度も何度も何度も繰り返してた。
そのあと、家族と会ったりしてた。それで随分エネルギーが補充できたのか、仕事のいやあな気持ちが回復した。
やっぱり、精神の健康のためには、良い食事と良い散歩、それと人との会話が必要みたいだ。
ここ二ヶ月ぐらいそれを怠ってたのが精神の調子が悪い理由だと思う。なので、明日は早起きして散歩をしようと思います。
人との会話の方は……
まあ……
ガチャピン。40連。じゃんけんグーで勝利。虹はなし。加入はSRのフィラソピラ。
ノアとビカラがほしく天井するのは次のレジェフェスの予定なので、ここは我慢。
ガチャピンの引きによっては少しの追い課金で二天井もできるけど、周年のときにも回したいだろうし我慢しよう。
あまり生体流用型国際動態解析学に興味ある増田はいないかもしれないけどな
成長率で言えば間違いなくトップだろうな
論文を一報発表するだけでこのテーマのIFが馬鹿上がりすると言われているわけだし。
ペラニミクシアン(英名ママ、綴りはpeirannimixian)は長年、ゥーレスディを雨季に行うことが知られていた。
その際、稀にムンデを行う種がいることがキコノアとその助手によって発見されたのがかれこれ百年前である。
テレビで取り上げられることも多いから常識とまではいかないまでも結構な人が知っているはずだ。
それでペラニミクシアンの中でもルッタカを中心に研究しているグループが最近論文出したんだよ。
彼らの研究で、ムンデを行う個体はハチュドゥジエを行うときに尾角が必ず縦方向に震えることが判明したんだそうだ。
要は関連遺伝子によって機能発現の制御が為されていることが分かったわけだな。
最も、ハチュドゥジエについてもウェゾィィを行う部分しか特定されていないけれど。
まあただ、もう少し研究が進めば完全な機能解析も行えるかもしれん。
文通も年賀状も、収入にも気持ちにも時間にも余裕のあるお金持ちの趣味だと思うようになった。庶民がすることではない。
自分が働いていたときには高いお金を写真屋に払い、綺麗に印刷された写真入り年賀状を出していた。
専業主婦になってみると、年賀状をやめると時間もお金もかなりの節約になることに気付き、年賀状をやめてしまった。喪中はがきすら出す手間が省けるためお金も生活も楽になる。
しかし、手書きの文章を郵送することが好きであるため、手紙を書きたくなれば書き、82円切手を貼って送る。レターセットや便箋のような紙モノアイテムはかなり好きである。
しかし、切手やレターセットや便箋や封筒は家族じゃない外の他人のために使うためのものであって、服や食品とは違って自分や自分の家族のための出費ではない。
離れた場所にいる家族に手紙を送っている場合や、ときどきあるパターンで自分自身に手紙を送っている場合は、自分のため家族のための出費だと思う。
庶民にとっては手紙はやりすぎるとあまり賢い趣味だと思えなくなってしまった。
ペン習字だったり、スポーツだったりの趣味は自己投資だけど、手紙は自分の財布からお金がでていきっぱなしだし、文通が趣味だとどんどん相手からの返信の手紙が増えてきて、その手紙の処分をどうするのかという問題も発生する。送られてきた年賀状も結局数年後には捨てることになるため、なんだか送る方も送られる方も馬鹿馬鹿しいのではないかと思えてきた。
たくさんの62円の郵便はがきや62円切手を買って懸賞に応募しまくるのが趣味の人間がいるが、これもはがき代切手代がもったいない。
62円と聞くと何だか安く感じるけれども、懸賞が趣味の人間はこれを数百枚単位で出費しているから、けっこう高くついている。
郵便局で売っているグリーティングの切手シートがとても好きなのだが、620円の買い物を何度もしている、はがき箋や私製はがきを買う費用もかかっている、と思えば庶民にとってはけっこう高い出費である。
手紙の神様のようなむらかみかずこさんという人物がいる。むらかみかずこさんは「切手代が高い」と言いつつも高い万年筆を買い揃え、たくさんの私製はがきにグリーティング切手を貼りまくり、投函しまくっている。その姿はとても素敵だが、郵便物への出費が半端ない。むらかみかずこさんのところにはペーパーアイテムを販売している業者から宣伝のために便箋やらレターセットやらがたくさん届いている様子。むらかみかずこさんに便箋やレターセットを使ってもらえば宣伝効果半端ないだろう。送られた側はむらかみかずこさんが自腹で買ったのか業者からただで送られてきたのかわからないし。
庶民がむらかみかずこさんレベルで手紙やはがきを送ると郵送料もはがき代もレターセット代もかなりの高い出費になってしまう。
むらかみかずこさんはお金持ちだから大量の郵送物を送って、送られてのやり取りを楽しむことができるのだろう。
やはり、庶民は手紙のやり取りは庶民らしく細々とやるべきなのだ。何十枚も年賀状を出したり、定期的に複数の相手と文通をしたり、はがきの懸賞にたくさん応募したりしている場合ではない。
10月から郵送料も消費税アップで値上げするし、多額の郵送料を払って楽しんでいる場合ではない。どうせ多額の出費をするのなら、スポーツや旅行など自分自身や家族にリターンがあるものにしていきたいと専業主婦は思う。
FFは8が一番好きという友人に進められて8のリマスター版を買った。
当方FFは4,5,6しかやったことない。8の知識はスコールが主人公でラスボスがアルティミシアっていうぐらい。
まずキャラクターにG.F.をジャンクションしよう。次は魔法を能力にジャンクションしよう……そもそもまずジャンクションって何?
ゲーム内チュートリアルが意味をなしてない。初っ端授業でつまづいて何を言ってるかわからなくなる子供の気分が味わえる。
こういうのってシナリオ中で復習と称して徐々に学ばせていくものじゃないのかと思うんだけど、スコール君は優等生なので特にそういうのもない。
戦闘の方もドローっていう謎のコマンドで魔法を"スタック"するか"はなつ"か選ぶ。何をしてるのか伝わってこない。特に説明はなかった。
システムがよくわからないままに少しずつ進めていった上で気づいたのが、システムが複雑な割に対して面白くない。
G.F.ごとにジャンクションできる能力値が違うから、被らないようにするのが面倒、それだけ。どのキャラにどのG.F.をつけるか考えることはない。
魔法についても、どれをジャンクションするか特に悩むことはない。たださいきょうコマンドでセットしてるだけ。
戦闘のドローシステムも最悪。相手の弱点属性の魔法や、補助魔法なんかの打ちたい魔法を持っていないと打てないのがあまりにもストレス。慎重に進めようと思ったら雑魚敵から無限にドローするしかない。回復魔法も集めておけば死ぬことはないのでひたすら魔法をスタックして集める。虚無。
ドローをセットしていると戦闘中にアイテムが使えないのも意味不明。全員沈黙にされたら回復手段がなくなるので詰み。
総合して、キャラクターが強くなっていく実感が全く得られないのがつまらない。新しい魔法を習得したり、装備を更新する楽しみがない。いつの間にかキャラの最大HPが増えてる。ダメージは全く変わってないのに。
あと戦闘のテンポがあまりにも悪いのもつまらなさに拍車をかけてる。武器振るのは遅いし、魔法の演出はもっと長いし、G.F.召喚しようもんならツイッターが見られる。
雑魚戦1回に5分10分かかることも珍しくない。そのわりに頻繁に20分以内にダンジョンをクリアさせるような時間制限イベントをやるので、逃げてばかりいる。
あとマップが面白くない。何もない代わり映えしない大陸をただゆっくり進む、それだけ。
「○○大陸のどこかに目的地があるはず」とか言われて急にワールドマップに放り出されるも、どの大陸のことかわからない。シナリオの都合で別の街に行ったり来たりするから、最初の街がどこにあるかすら不明。
これが目的地か?と思ったら寄り道イベントでオーディンとか出てくる。
シナリオは嫌いじゃない。スコールはもっと飄々としたキャラかと思っていたけど、すぐにうじうじして悩んで成長していく。冒険してるうちに世界の命運を握ることになる。キャラの過去のつながりが明かされていく。学生時代の因縁のライバルと戦う。結構好みの展開だった。なんか急に月に行って宇宙漂流するのはさすがに笑っちゃったけど……
あと褒めるところはセルフィが可愛いぐらいしかない。パンツも普通に見えるし。リノアは可愛くない。キャラは全体的に癖が強くて、あんまり好きじゃない。スコールも急にリノアに惚れてて「は?」ってなった。
なんてことを友人にはとても言えないので、ここで書き捨てておく。うーん、新作ゲーム買ったほうがマシだったな……
ベランダにはアロエという先客がいるが、こいつは手をかけずともいつも青々と育ってくれる。バラは手がかかるとは聞くが、新緑に映えるその美しい色は手間を惜しませない魅力があったし、何せ最近仕事も忙しくないのでちょうどよい道楽になる。
だけどそんなバラという植物はものぐさな私が育てるにはやはり繊細過ぎたのだろう。案の定元気をなくしてしまった。あえて言い訳をするなら、しおらしい花を摘むのがあまりにも惜しかったのだ。
そのうえ運の悪いことにそれは5月のことだった。
五月晴れがくれる心地よく乾いた空気は、ハダニという厄介な居候をも連れてきた。
こいつらはダニというその名前の割には器用に生きる。糸をはいてクモの巣みたいな構造物を建設し、コロニーの繁栄を謳歌するのだ。
その文明は明らかに発達していて、最も進んだ文明の住人を自負している私にも手には負えない代物だった。
私たちの文明の利器たる農薬をまいてみてもなかなかやつらはしぶとい。まいてもまいても、やつらは発展の象徴たる摩天楼の中から屈託のない表情で私に手を振ってくる。
ただ、我々のと同じくその文明の発展は犠牲を伴うようで、その資源となるバラはますます死地をさまようことになってしまった。
だが、多くの予言書にあるように開花した文明はいつか終焉を迎えるもの。
やつらにとっての恐怖の大王は物干しざおの住人の小さなクモだった。
じつは私とそんな恐怖の大王たる彼女とは以前からの知り合いでもある。私が洗濯物を干す朝、彼女は夜の仕事をするひとらしく、ちょうど店を片付けている。そして目をちょっと合わせては挨拶をする。そんな日々。
ある夕方、洗濯物を引き上げる私を横目に、彼女は店を広げる場所を吟味していた。私はそれならいい場所がありますよ、とバラにエスコートする。
私は地味な男だが、そのくらいのことはできる。彼女は満足そうに仕事をはじめたので、私も充足感に満たされ、その日買ってきた冷たいビールに心地よく酔った。
そしてどうやら、神は文明の発展とともに傲慢になっていた彼らに味方をするのをついにやめたようである。
次の日から彼らはその数を減らしていき、ついには文明があったはずのそこにはいまや限界集落のみ。代わりにそこには達成感を抱いた彼女の姿があった。
翻って、神が味方したであろうバラは元気を取り戻し、その先端には新たな芽を宿らせていた。
ただ、神はとても冷酷なようで一度見限った者には容赦がない。
昔の人々が語った大洪水のごとく、そこからしばらく降り続いた雨はバラを隅々まで洗い、すべてを清めた。
あの雨はすべてを流し、彼女もまた。
別れは突然やってくるとは聞いていたが、あまりに突然。
一抹の寂しさという言葉があるが、それはこのためにあるのだろうか。
いや、言い過ぎ。
FF8リメイクって聞く前に何度か見た動画だったのに、リメイクって聞いて改めて聞いて日本語訳とエンディングのみんなの幸せそうな映像と合わせてみたら、なんか涙が自然とあふれてきた
スコールが陰キャでダンス誘われてうまく踊れなくてもういいって逃げようとするとことか
あとサイファー風神雷神がエンディングで楽しそうにしてるとことか
正直プレイした当時はストーリーもシステムもよくわかってなかったし今でもよくわかってない
FF7と違って敵がいまいちはっきりしないままただ惰性にまかせてプレイしてクリアした覚えがある
でもなんつーか、FF7の後だったから、話題に乗り遅れたくないと思って一生懸命金策して買ったの思い出してさー
中学生なりに持ってるゲームとかマンガ売ったり誕生日の資金前借りしたりとかさ・・・
たった7000円ももってなかったんだよなあ月のこづかい1000円くらいだったし
基本安いゲームしか買えなかったから、リアルタいむでゲーム雑誌で攻略組まれるようなゲームをすることがすごくうれしくて、
金ないのにゲーム雑誌もかったもんなあ
でもまあ家がゲーム時間制限あって土日しか堂々とプレイできなかったから、どんどん周りや世間と離されていくのもまたつらくてさ・・・
キスティスのくさいいきも話題になるけど俺基本てきのわざめんどくて全然ラーニングもしないし使いもしないタイプでひたすらレベルをあげて物理で殴るタイプだったからあんまり共感できなかったり
『創世記』(そうせいき、ヘブライ語:בראשית、ギリシア語:Γένεσις、英: Genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典で、イスラム教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。
9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。
9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
9:6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。
9:7 あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ。」
日本ではあまり知られていないことだが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は聖典を共有している。最も古いのが紀元前1300年頃から形を取り始めたユダヤ教で、そこから分派した新興宗教としてキリスト教が西暦0年前後に成立している。イスラム教は少し下ってやはりユダヤ教徒の勢力圏で610年頃に成立している。よく「一神教」「多神教」とぼかして言うが、「ユダヤ系」「それ以外」とも言える。
イスラム教においては創始者ムハンマドの預言が絶対、預言を正確に記したコーランの記述が絶対、信徒は肉についてイスラム教徒の指定する処理を施したものしか食べない、といったことはよく知られているが、彼らは『創世記』を含む旧約聖書も「異教徒の不正確な複写を含んではいるが、われらの神からの預言であることは事実である」というような立場をとる。上の引用はその『創世記』9章による。これは「ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が概ね一致して『定義であり正しい』として受諾している文章」なのだ。「生殖は正しい」「獣・鳥・魚は異なるものである」「獣・鳥・魚は人間に与えられた所有物である」「『青草』は『動いている命あるもの』ではない」といったところは(それぞれの宗派において個別に解釈・明確化されているであろうことはさておき)否定されざるものなのだ。
狂信的ヴィーガニズムのドグマは要約すればGenesis 9:1を達成する目的において9:2を根拠に9:3を辞退する、というものだ。彼らの議論は9:3を権利と捉えるか規範と捉えるかとか、そんな辺りであろう。その主張に対して「生殖が正しいとは決まっていない」「人間には農業をする権利などない」「野菜や草やプランクトンにも牛や豚と同じ命がある」と根本から9章丸ごと吹き飛ばす批判を返しても、「すべての宗教が数千年に渡って同意してきた前提に対する批判であり、到底承服もできないどころか、議論する下地すら作れない。笑い飛ばす以外に対処法がない」という対応しか得られないのである。それが正しいか正しくないかではなく、彼らは「俺は旧約聖書信じてないよ」という発言には対応ができないのである。
そしてここは日本であった! ヴィーガンは対応ができず成すすべもなく文の壁を立て(彼らの言語には"wall of text"という表現がある)嘆くのみなのであった。旧約聖書先生の次回作にご期待下さい(完)