ベランダにはアロエという先客がいるが、こいつは手をかけずともいつも青々と育ってくれる。バラは手がかかるとは聞くが、新緑に映えるその美しい色は手間を惜しませない魅力があったし、何せ最近仕事も忙しくないのでちょうどよい道楽になる。
だけどそんなバラという植物はものぐさな私が育てるにはやはり繊細過ぎたのだろう。案の定元気をなくしてしまった。あえて言い訳をするなら、しおらしい花を摘むのがあまりにも惜しかったのだ。
そのうえ運の悪いことにそれは5月のことだった。
五月晴れがくれる心地よく乾いた空気は、ハダニという厄介な居候をも連れてきた。
こいつらはダニというその名前の割には器用に生きる。糸をはいてクモの巣みたいな構造物を建設し、コロニーの繁栄を謳歌するのだ。
その文明は明らかに発達していて、最も進んだ文明の住人を自負している私にも手には負えない代物だった。
私たちの文明の利器たる農薬をまいてみてもなかなかやつらはしぶとい。まいてもまいても、やつらは発展の象徴たる摩天楼の中から屈託のない表情で私に手を振ってくる。
ただ、我々のと同じくその文明の発展は犠牲を伴うようで、その資源となるバラはますます死地をさまようことになってしまった。
だが、多くの予言書にあるように開花した文明はいつか終焉を迎えるもの。
やつらにとっての恐怖の大王は物干しざおの住人の小さなクモだった。
じつは私とそんな恐怖の大王たる彼女とは以前からの知り合いでもある。私が洗濯物を干す朝、彼女は夜の仕事をするひとらしく、ちょうど店を片付けている。そして目をちょっと合わせては挨拶をする。そんな日々。
ある夕方、洗濯物を引き上げる私を横目に、彼女は店を広げる場所を吟味していた。私はそれならいい場所がありますよ、とバラにエスコートする。
私は地味な男だが、そのくらいのことはできる。彼女は満足そうに仕事をはじめたので、私も充足感に満たされ、その日買ってきた冷たいビールに心地よく酔った。
そしてどうやら、神は文明の発展とともに傲慢になっていた彼らに味方をするのをついにやめたようである。
次の日から彼らはその数を減らしていき、ついには文明があったはずのそこにはいまや限界集落のみ。代わりにそこには達成感を抱いた彼女の姿があった。
翻って、神が味方したであろうバラは元気を取り戻し、その先端には新たな芽を宿らせていた。
ただ、神はとても冷酷なようで一度見限った者には容赦がない。
昔の人々が語った大洪水のごとく、そこからしばらく降り続いた雨はバラを隅々まで洗い、すべてを清めた。
あの雨はすべてを流し、彼女もまた。
別れは突然やってくるとは聞いていたが、あまりに突然。
一抹の寂しさという言葉があるが、それはこのためにあるのだろうか。
いや、言い過ぎ。
なんだこの受けないで何度も投稿し直したみたいな感じの文章