はてなキーワード: トップレスとは
アフリカの部族を取材したドキュメンタリー番組で、促されてリポーターの女性もトップレスになるシーンがあったけど、リポーターのおっぱいはボカシが化かっていたのに現地の女性のおっぱいはそのまま放送されてた回を思い出した。
日本じゃいまだにインターネットを繋げばポルノ広告で溢れ、テレビをつければ女性アナウンサーばかりが無知なサポーターをし、企業が堂々と男性に育休を取らせるのを渋り、幼稚園は奥さんにばかり電話をかけ、セクハラ監督やセクハラ会長は権力の座に居続けて首相が女性差別してても辞任してないのに
そもそも性加害が暴力的加害と区別できるっていう主張が自分の中でまったく納得感なくて、相手を叩きのめした後に「俺は性的には高潔だから性加害はしないぞ!」とか言ってる姿が全く想像できないんだよ
スラム街の貧しくて犯罪を繰り返す人間よりも、日本の比較的裕福なサラリーマンのおっちゃんの方が性加害的なことがしばしばある
つまり「スラム街の性加害<日本男児の性加害」という意味で「日本はスラム街と変わらない」みたいな話をしてる人しかいないと思う
スラム街の人間が突然高潔になり暴力を振るうのに一切の性加害をしないとは何を読んだのだろう
もしそういう地域が存在しているのならかなり興味があるので知りたいし、理想とする地域がどこなのかわかれば学べるものもあるだろうけど、
理想の地域があるなんて話をしてる人間なんて1人もいないし何を読んだんだろう
どこの国もまだ男女平等には遠くて発展途上だし、北欧でもまだまだ男女平等には遠いとか言ってるわけだし
日本よりはマシ程度の話
実際には、スラムまでレベルを落とさなくても海外で普通にセクハラなんてやってるじゃんと思ってるけど・・・ヨーロッパの駅前本屋でトップレスの女性が写ってる雑誌が売ってるとかも一時期問題になったでしょ
問題になるなんてすごいな。
日本じゃいまだにインターネットを繋げばポルノ広告で溢れ、テレビをつければ女性アナウンサーばかりが無知なサポーターをし、企業が堂々と男性に育休を取らせるのを渋り、幼稚園は奥さんにばかり電話をかけ、セクハラ監督やセクハラ会長は権力の座に居続けて首相が女性差別してても辞任してないのに
トラバより
その「どう見てもアウトの内容」の内の例えば3.5.6.を実際にやってる連中が、宇崎や戸定を批判してるわけだけど。その辺と比べて「宇崎の方がマシ」ってのは、俺の感想でしか無いの? いやそうだと言えばその通りだけど、そういう話? それとも「宇崎の方がアウトだ(と感じる人もいる)」って言いたいの?
元増田で言う3.も5.も直球の差別(難病患者や障碍者などに対する差別は、差別しちゃいけないリストに普通に載ってるタイプのやつ)だし、6.に至っては「女性差別」であり「女性に対するセクシャル・ハラスメント」だが。
それに対して、太田啓子弁護士が環境型セクハラ『のようなもの』と評した、つまり、いわゆるネトフェミ、いわゆるジェンダークレーマー側の専門家でさえ「セクハラ未満である」と認めた表現を比べて、「後者がマシ」が「印象操作」なの? バランス感覚、大丈夫か?
そりゃまあな、その加害の矛先が実際に自分に向かってるかどうかってのは大きいよ。俺も分かる。こうやって引き合いに出すのすら不謹慎だと思うけど、ロシアウクライナはぶっちゃけ他人事だし、それより目の前の生活や職、消費税だのの方が俺にとっては深刻だったりする。そこは分かるよ。だから俺と違って「宇崎の方がアウトだ」という感想を持つ人がいるのも分かる。
でもその、な。安倍をイジって馬鹿にする遊びにその他の難病患者の尊厳を巻き込んだり。正義の怒りで草津を侮辱するまではまだ良いとして、おや案外どっちが正義か悪かあやふやになってきたぞって判明した後も反省も謝罪も留保もせず純粋な自己正当化に奔走したり。自説に不都合な女性が現れたらキャンセルしたいあまり完全にセクハラに当たる様な言葉を投げかけたり。そういうド直球の被害(あなたたち自身による加害)よりも、自分達の視界にアニメ美少女が映り込む被害の方が優先されるべきだ!!!みたいな、完全に逆差別の領域に踏み込んだ態度をこそ「行き過ぎたジェンダー論」みたいな言葉で批判されとるんちゃうんか。
(行き過ぎたジェンダー論、等の言い回しというか表現そのものの胡散臭さには俺も同意するし、レドマツは不支持寄りです)
ギリギリタイトルだけ読めてるけど本文が全然読めて無いブコメに★がいっぱい付いてて恐怖は感じるが驚きは無い
yas-mal そうだよ。だから、その線引きの話をしてるはずなのに、「表現の自由を守る/守らない」なんてよくわからない話をする人たちがいて…。
俺は「めちゃくちゃ手前に線を引き直そうとしてる連中が、そいつら自身はすっげー奥にいるんだが」つってるのよ。yas-malさん自身も★付けてる人たちもまあだいたいその連中の一員ですけども。
ジャストミートの当て擦り発明したったwwwみたいな顔で「行き過ぎた表現の自由こそどーなんだwww宇崎や戸定はキャンセルだwww」って喜んでる連中が、普段別件でやってるのこそが、まさに、宇崎なんかよりもっと明確に「行き過ぎた」表現の自由です。
「行き過ぎた表現の自由はダメ」と言うのであれば、まずはお前らがわきまえろよ。別に難しい事じゃない。世間一般の人と同程度にわきまえろ。宇崎でシコりよるキモオタですらその程度はわきまえとるわいや。他人の誰かの脱法ドラッグを批判する前に、お前らがやってる普通に違法のドラッグをやるのを止めろ。
casm なんで外国の国旗風の布を燃やすことにすら言及するのに(なお国旗風の布は国章ではないので燃やしても適法)、現行法下で犯罪となるような猥褻表現(たとえば無修正エロ)の例を挙げないのだろう。
単に思いつかなかっただけで、別に他意は無いです。
今、無修正ポルノが違法なら、それを守るべきで、無修正を解禁する運動をする人もそれはそれで表現の自由に資する立派な活動だと思う。
ただ例えば無修正ポルノをおっぴろげながら「表現の自由だ!!!」ってやってる奴がいたら、それを「行き過ぎてる」と評するのには同意する。
そしてその上で、例えばトップレス女性が抗議したり、ろくでなし子氏の件みたいな思想的なものがある(いわゆる闘争)のであれば、それでこう相殺されて「表現の自由として行き過ぎてはいない」とはならないが、別ベクトルで一定の評価はあるべきだと思う。
オナクラ:
元々は、男性(客)のオナニーを女の子に見てもらうという形態のお店だったはず。
(増田はオナクラ歴10年以上ではありますが、関東民でもなく、誕生とかには立ち会ってないので間違ってたらご指摘ください)
初期からオナニーの非接触お手伝いのオプションもありましたが(トップレス、言葉攻め等)それだけでは集客がままならなかったのか、増田がお店に通い出した時点では、
接触お手伝い(いわゆるハンドサービス)ありのコースも併設されており、現在では、”すまた”、”生フえラ”以外のサービスは女の子にもよりますがオプションとして可能となっているお店が多いです。
逆に、性的サービス梨の添い寝コースもあり、歩合給ですが、脱がない、触られない(という設定も可能)、それでいて高収入で体験入店など試しやすく、それなり以上の女の子を揃えているお店が増えています。
デリヘル、ホテヘルなどのいわゆるヘルス系のお店と比べて、抵抗少なく女の子が入りやすい(≒質が高くなる、若い)点と、基本サービスがしょぼいので、オプション(ほぼ100%女の子に入る、たまに事前申告制のお店もありますがわかってる客は店に申告せずに女の子に直接払う)代を含めたら、客からしたら、ちょっと割高になるけども、若くてかわいい女の子(擦れてないと勘違いもできる)と遊べる、女の子からしたら、無理な客にはオプション断れるし、ヘル系よりも稼ぎやすい、で、winwinな感じです。
さて、そんなオナクラですが、一般の認知度としてはイマイチと言わざるを得ません。(本増田も何度かオナクラ関係でホッテントリしてますが、オナクラって何? というコメント等が散見される)
大多数の人が、オナクラと聞いて、オナニークラブと浮かばないと思いますし、もはや業態がオナニークラブではなくなっていますし、知らなければ(出張とかした時とかではめ外したいときとかでも)オナクラというワードで検索しないと思います。実際、関西では、オナクラは風俗店が多数存在している地域(駅)でも、5軒もないぐらいです。
加えて、昨今、特に中高年の男性が幸せを感じる機会が減少しまくっていると思います。
60分だと、基本料金は10000円程度です(イベントとかの兼ね合いもありますが)。月一で1万円ならば、頑張ってはらたいたご褒美の検討範囲に入ってくると思います。それすら払えない人は色々諦めてください、すみません。
ただ、運よく人気嬢とかと巡り合えたら、もちろん本番まではできませんが、かなりの満足度を得られるのではないかと。シャワー等の準備で10~20分かかるとして、実際のプレイでそれ以外を全力で消費するのもいいですし、前でも後でも余った時間でお話するだけで、翌日からの頑張れる感が変わってきます。ほんとに若い女性と触れ合うことで色々リセットされます。
「👀オナクラ行きましょう」
というトラバを付けさせていただこうと思いました。
また、本増田以外にも賛同してくださる方がおらましたら、ご自由に活動に協力してくださってかまいません。
「👀」につきましては、元々の趣旨、コンセプトである、オナニーを見てもらう点を尊重してこの絵文字にしましたが、ここを変えて自己主張してくださっても構いませんし、色んな派生形が誕生するのも悪くないと思います。
テニスのアンスコといえばフリフリ白パンツか、紺ブルマーのイメージだ。純白のスカートから躍動する脚、チラチラのぞきブルマー。実物は見たことないのに、なぜかドキドキしてしまう。この偽装された記憶はどこから来たのだろう。
ウィキペディアによれば、第1回大会はセンターコートに置いてあった芝生の手入れ用のローラーを新しくする資金集めを目的に、1877年7月9日から始まったそうだ。種目は男子シングルスのみのアマチュアの大会だった。
1884年に女子シングルスと、それまでオックスフォードで開催されていた全英男子ダブルスがウィンブルドンで開催されるようになった。1913年には女子ダブルスとミックスダブルスが加えられ、1968年にはプロ選手の参加が認められた。
世界中から強豪選手が参加するようになったため、地元イギリスの出身者は長らく優勝できなかった。男子シングルスでは1936年のFrederick John Perryから2013年のSir Andrew Barron "Andy" Murrayまでの77年間、優勝がなかった。また、女子シングルスでは1977年のVirginia Wadeの優勝を最後に40年以上イギリス人の優勝者は出ていない。
ちなみに、このように海外勢いに門戸を開いた結果、地元勢が淘汰され消沈することを「ウィンブルドン効果」という。
開催時期は原則として6月最終月曜日から2週間で、ちょうど英国の社交の季節だ。競馬のロイヤル・アスコット(「マイ・フェア・レディ」に出てくるあれ)、競艇のロイヤル・ヘンリー・レガッタもこの時期だ。
ドレスコードが厳しいのでも有名で、原則身に着けるのは白一色である汗じみが見苦しくないようにともいわれる。ブリタニカのページなので確かだろう。
https://www.britannica.com/story/why-do-tennis-players-wear-white-at-wimbledon
元々、ウィンブルドンでは女性はロングスカートや分厚いシャツ、それから帽子をかぶることが要請されていた。こちらではコルセット付きだったとも(ただし白い衣装について異説を紹介していることに注意)。20世紀初頭のテニスプレイヤーは道行く女性の姿と大して変わらなかったのである。だから本気で優勝を目指すことはおろか、ちょっと大きな球を返すのさえ大変だった。当時の男性がずっと軽装だったのと対照的である。
流れを変えたのはDorothea Douglass Lambert Chambersという選手で、1900年により簡素なシャツにネクタイ姿で登場した。7度シングルで優勝し、1908年には夏のオリンピックで金メダルを取っている。彼女は1910年にドレスコードやエチケットについての本を著している。
その後フランスのSuzanne Lenglenがテニス界のフラッパー(新しい女)として知られるようになった。飲み物をブランデーと入れ替えたり、強めのメイクをしたりといたずらも好きだった。負けると感情的になったことでも知られる。彼女は白のみのファッションを許容していたウィンブルドンに立ったが、エキセントリックなファッションセンスでも知られていた。ミンクやオコジョのコートをまとい、当時としては短いスカートでプレイしたのである。彼女が次の世代の女性たちに道を切り開いた。
そして戦後の1949年、Gertrude Moran(Gorgeous Gussie)がスキャンダルを引き起こした。というのも、ウィンブルドンの意匠は白一色だと規定されていたのだが、そのあまりにも「明らさまな」白い衣装に観客はショックを受けた。どういうことか。試合の前にMoranは公式開催主のTed Tinlingに衣装をデザインしてくれと依頼していた。一見すると規定に従った衣装に見えるのだが、実際にプレイするとフリル付きの下着が丸見えになったのだ。
これに関し、All England Club’sの委員会は「ウィンブルドンに野卑と罪を持ち込んだ」と猛烈に批判し、国会でさえ適切な衣装についての議論が起こった。Tinlingは33年のキャリアにもかかわらずウィンブルドンのホストを追放された。にもかかわらず、Moranは魅力的な姿から彼女は人気だった。彼女は後に「自分はただの女の子だったが、メディアが大げさに書き立てたのだ」という趣旨の発言を残している。彼女は60年代まで活躍した。
https://www.thecut.com/2018/08/womens-tennis-outfits-convtroversy-history.html
衣装に関する議論は定期的に起きている。全ての内容を翻訳していてはページが長くなるので、見せパンに関係するいくつかのみをピックアップする。
1958年にアメリカのKarol Fagerousは金のラメ入りの見せパンを全仏オープンで披露したが、すぐさまウィンブルドン大会への参加を禁止された。「対戦相手を不快にさせる」のがその理由だ。しかし、金のラメを白いレースで覆うことで参加を許可されている。
あるいは2016年のナイキがデザインしたベビードール風のテニスウエアがある。しかし、選手が身体を隠すのに苦労したし、ひらひらして浮いてくる。実際写真で検索するとしょっちゅう短パンというか見せパンが丸見えになる。なので、ナイキはすぐにその衣装を改善したそうだ。
https://www.slideshare.net/guimera/wimbledon-2014-fashion-through-history
見せパンについてはこちらも参照。たとえば6番目の写真のChris Evert、1976年のピンクの見せパンや、41番のTracy Austin、1981年の黄色の見せパンを確認できる。50番はTatiana Golovinは赤の見せパン(短パン)で、このときウィンブルドンは衣装がすべて白という規定に抵触するかどうかでもめたらしい。一応、下着の色は自由だということでおとがめなしだったそうだ。56によるとMaria SharapovaやSerena Williamsの赤の短パンが、そして色付きのネイルが問題になったらしい。
https://www.dailystar.co.uk/news/latest-news/bbc-bosses-blasted-focus-female-17086364
なお、大衆紙によると2016年にBBCの偉い人がテニス選手の見せパンやお尻ばかり撮影したと批判されたようだ。以前にビーチバレーの記事でも書いたが、カメラが性的にならないようにする工夫というのは必要である。
https://www.news-postseven.com/archives/20190904_1444086.html?DETAIL
エラリー・クイーンを読んでいた時に、確か「Zの悲劇」だったと思うが(いや、「レーン最後の事件」だったかな?)、ペインシェンスという娘が恋人とスキャンティ(パンティー、ショーツの別名)を買いに行く場面があった。同時代の小説での証言として興味深いのでメモしておく。
https://www.elle.com/jp/fashion/fashion-column/a35747586/history-of-pantslooks2021/
また、パンツでヒットしたのでここに記す。死文化していたが、フランスでは女性がスカートでないパンツスタイルをはくことが法で禁じられていたとのこと。女性の権利に関して非常に進歩的である地域に見えても、案外不平等なシステムの残滓が残っていたりするのもので、ときおり愕然とさせられる。たとえばスイスで女性参政権が得られたのは驚くなかれ1991年である。女性への制限、男性への制限、どっちでもない人への制限、みんなで少しずつなくしていきたい。
よくドレスコードなんかでもめる話で、ハイヒールを必ずはくよう要請される場所というのがある。なんかの映画祭でも話題になっていたことを記憶している。伝統に敬意を払うのは大事だが、はいていないと入場できないのはやりすぎのように思う。ドレスコードってのはみんなが居心地悪くならないようにするためのもので、人を縛るものとはちょっと違う。
例えば、足を怪我していたらどうするのか。もっと極端な話、脚が生まれつきない人はどうするのだ。茶化しているのではない。様々な疾患や障害があろうが困らないようにするほうが、誰にとっても生きやすい社会になるはずだ。
「Tennis Girl」というスカートからお尻丸出しの歴史的に有名な写真がなんと英語版ウィキペディアには掲載されている。ウィキメディアコモンズにはときおりとんでもない画像があるから驚かされる。
自分の投稿をブルマ増田としてまとめてくださる方がいる。あるいは、いつも応援のコメントをつけてくださる方がいる。ありがたいことだ。けれども、どうやって拾い上げているのだろう。一日に何千件も投稿されるはてな匿名ダイアリーの中から見つけるというのは大変な作業だ。すべてが注目エントリに入るわけではない。いったいどうやっているのかちょっとうかがってみたい。ブルマーというキーワードで定期的に検索をかけているのだろうか? それともそういうスクリプトが組めるのだろうか?
例えば女性のショーツ(そして見せパン)の形の変遷、チアの見せパンの歴史。また、古代エジプトでクレオパトラはカエサルと会ったときにどういう服装をしていたのか(絵画のようにトップレスになることがあったのか)、それからトップレスが許容されていていた地域の時代的変遷だ。これは身分にもよるだろうし、少し複雑になるだろう。あるいは、どうしてギリシア・ローマの流れを引き継いだ西洋絵画では、長らく女性器と陰毛があまり表現されていなかったのか。多くの古代文明では時に具象的に、時に抽象的に表現されているのに。謎は多い。