はてなキーワード: スターウォーズとは
スコセッシの映画みたいな派手に成り上がって転げ落ちて、でも生きてる。人生ってそうやん?みたいな作品が割と好きだったんだけど、最近ちょっと飽きてきた。なんでフィクションでまで現実に引き戻されなアカンねんなって気持ちになる。
こうなるとたまには何もかも全部手に入れてムカつく奴を全員ぶっ倒して、ワッハッハッハッハッ……ワーーーーッハッハッハッ……って高らかに笑いながら𝓯𝓲𝓷を迎えるようなのが見たくなってくる。
スターウォーズやロッキーが鬱病みてーなニューシネマの反動でウケたという話はホンマかいなと思ってたけど、ちょっと分かるような気がする。ロッキーは全部を手に入れてはいないが。
成り上がるのとは違うけど、トレインスポッティングとかNHKにようこそとかキッズ・リターンとか鬱病方面の青春作品も、やっぱり生きていくしかないやん?みたいな落とし所は最近あまり好きでない。
それだったらミーンストリートとか往年のニューシネマ作品みたいな、やるせなさや苛立ちや閉塞感、鬱屈、焦燥感を爆発させて呆気なく(派手にでも全然いい)散る話が好きだ。
長々と生きてしまった、生きざるを得ないと悟ってしまった手前、自分の納得も程々に大事にしつつ、ショボくともみっともなくとも目先の生活を着実に生きるのが結局一番大事なんだよな。なんて言わざるを得ない状況になる前にやっぱ派手に死にてえ。真面目に生きるのって面倒臭えしから嫌だし、でも真面目に生きないと幸せになれるビジョンが見えねえから。ワンスアポンアタイムインアメリカのデニーロの破滅的な笑顏になりてえよおれは。
これは飽きたとかだけではなくて、おれの情緒が最近著しく悪化している事が多大に影響している気がしてならない。そんでこのうらぶれた気持ちが嫌だとか直したいだとか全く思いっていないというのが、傍から見れば一番重症な部分なんだろうなって思う。
スターウォーズでルークの服の変化が暗黒面に近づく精神を示唆してるだとか、ダイハードのラストでロレックスを外して事件の決着をつけると同時にマクレーン夫妻を隔てていたものを捨て去るだとか、そういう映画における象徴的な表現がある。
あるんだけど、そんなもん象徴されるまでもなく観てりゃ分かるやんって思う。
象徴的な演出です。以上。だからといってどうこうというもんではありません。何となくおぉ〜ってなればいいなって思います。みたいな事だったとして、それはそれでまあ映画の面白さの一つな気もする。
でも言うほどおぉ〜ってなるか?とも思う。
ダイハードの方は結構洒落てるなって気もするけど、服の色の変化とか言われんと気付くかいなって感じだし、言われてみて気付いた所で……って感じがする。
そういうのを楽しむのって、目を凝らし意識を巡らせて演出の意図を発見するウォーリーをさがせ的な面白さって感じがする。それもまあ楽しいと言えば楽しいんだろうけどなんか、なんかな……って思う。
その漠然としたイヤさの方向性で極地にあるのが、ネットに転がってるようなジブリ作品に対する露悪的(?)でこじつけめいた「考察」のような気がする。
https://web.archive.org/web/20190804191818/http://m-sugaya.jp/sci-fi.htm
「第二次世界大戦後、「Famous Monster Magazine」を編集していたフォーレスト(フォーリー)・J・アッカーマンという編集者が、ステレオの「Hi-Fi(ハイファイ)」の発音にヒントを得て「Sci-Fi(サイファイ)」という「Science Fiction」の略語を生み出しました。これがウェブスター辞典いうところの1955年なのでしょう。アッカーマン氏は、自分の車のナンバープレートも「Sci-Fi」にして、この言葉の普及につとめたようです。
アッカーマン氏はファンジンの祖としても知られている人でして、日本ではマンガの主人公になったこともありますが(^_^;)、コンピュサーブ会員の説明によると「(もちろん本人は認めないが)クズSF映画(trashy sf movies)」の愛好者で、彼がこれらの映画に「Sci-Fi」の名前を冠したため、一般メディアは、ゴムのぬいぐるみが出てくるモンスター映画のようなものを総称して「Sci-Fi映画」と呼称するようになったのだとか。
「2001年宇宙の旅」から「スターウォーズ」までの期間の前後は、「Sci-Fi映画」といえば目玉の大きなグロテスクな宇宙人やロボットなどが出てくるホラー系、モンスター系映画の代名詞となっていた(いる)のだそうです。
さらに60年代に入ると、出版業界の中で、モンスター映画に似た安っぽいSF小説を「Sci-Fi」と書いて「Skiffy(スキッフィー)」と呼称するようになったのだそうで、「サイファイ」と並行して「スキッフィー」もポピュラーな呼称となっていったようです。
「Sci-Fi(スキッフィー)」という呼称には、多分に侮蔑的なニュアンス、あるいは自嘲的な意味合いも含まれていたようで、ジョークの中には「SFファンの前でスキッフィーというときは、逃げ出す準備をしてからにしろ」というようなものまであるそうです。
このような経過を経たせいか、「Sci-Fi」には屈辱的、あるいは差別的なニュアンスがつきまとうようになり、SF作家の中には「Sci-Fi作家辞典」への掲載を断ったりする人も出てきたのだとか。
そのためコンピュサーブの「Sci-Fiフォーラム」は、その名称を「SF/Fantasyフォーラム」に変更し、「GOコマンド」からも「GO Sci-Fi」が消えることになったとのこと(1990年頃のことらしい)。ここでいう「SF」とは、「Science Fiction」であり、また「Speculative Fiction」であり、ハインラインやクラークの伝統を引き継ぐ作家、作品を指しているようです。ちなみにニューウェーブやサイバーパンクの作家名は出ておりませんでした。
ただし、ここで留意しないといけないのは、コンピュサーブは元もと料金が高かったこともあって会員の年齢層と地位も高く(これを称して「コンピュサーブの3高(c)Mitsuru Sugaya)」という)、大半のフォーラムではハンドルが使えないなど、保守的なオンラインサービスとしても知られているところです。
……てなことを書いていて、またコンピュサーブにアクセスしたら、最近までは使えなかった「GO Sci-Fi」が復活しておりました。「SF/Fantasy Forum」グループのメニューが出てきます。コンピュサーブもAOLが親会社になったことで、ポリシーを変更したのかな? それとも前に探したときにタイピングをミスしたのかな?
しかし、このコンピュサーブの「Sci-Fi」に関する議論は、なんとなく「ハッカー」についての議論を思い浮かべてしまいました。はい、「ハッカーとクラッカーを一緒にするな」というアレでございます。ケーブルテレビにも「Sci-Fiチャンネル」という、24時間連続でSF系のテレビ映画などを放映しているテレビ局もあるくらいですから、すでにアメリカでは「Sci-Fi」という言葉は市民権を得ているといってもいいのでは……なんて思っちゃうんですよね。これも、「面白ければSFでもSci-Fiでもかまわない」というこだわりのなさからなんでしょうが。
15年ほど昔、手塚治虫先生に、「最近、『ゲームセンターあらし』は、すっかりSFになってますねえ」と言われ、「げえっ! 手塚先生が『コロコロコミック』まで読んでるう!」とビックラこいたものでしたが、そのとき「スキッフィー」という言葉を知っていたら、「いえ、ぼくのマンガはスキッフィーです」と言えたのになあ。あのマンガで目指していたのは駄菓子屋マンガだったから。
すがやみつる(1999/3/20記:1999/8/2一部書き足し)」
😌スッキリした
中学高校の頃、同級生の名前を覚えていないという友人が数人いてその感覚が全く分からなかった。体育のゼッケンなり授業中の指名なり掲示物なりで、嫌でも名前くらい覚えるだろって。
今になればおれが無関心な風を装いつつ割と他人に興味津々だっただけで、世の中の人間はそこまで他人を見てないのかなと思ってた。
ただ最近になって、自分が映画の登場人物の名前を全く覚えない事に気がついた。
ガキの頃何遍も観たスターウォーズやパイレーツやのキャラ名は今でもしっかり覚えてる。でも最近観た映画のキャラクターはほぼ思い出せない。サリンジャーの映画のサリンジャーしか出てこない。
記憶に残らんような作品ならいざ知らず、琴線に触れたようなのでも覚えてない。
俳優の名前で認識しているのもある。キラーズオブザフラワームーンもデニーロとディカプリオとして見てた。知らん俳優は、あの立ち位置のアイツという覚え方。オセージの姉ちゃんはオセージの姉ちゃんとして認識してた。
台詞で名前が出てきても文脈と画面で誰かは分かるし、そもそも名指しで呼ぶ場面というのもそう多いものではない。
ただやっぱり映画と現実じゃ違うんじゃねえのかなあって思う。おれと同じで、他人に興味ありませんって感じでカッコつけてそう言ってただけなんだろうか。まあ名前を覚えない人種というのもいるのかもしれない。
歴史に残るような名作では全然ないんだけど、面白かったのでメモ
・冒頭 大晦日、空港(後でわかるがシンガポール)ジェット旅客機のベテランパイロット(ジェラルドバトラー)
遠く離れた(あとでわかるがハワイ)大学生の娘と電話している「新年にちゃんと来てね」
→ ①仕事優先お父さんモノ(いつも約束を破って嫌われているけど家族と最後に仲直りする)モノっぽい雰囲気を提示
→ ②明確なゴールの提示 『ラブ・アクチュアリー』とかみたいに、オチ・クライマックスはそこなんだと思いながら観客は見ることができる
・設定の提示
一人、刑事にマンツーマンで護送されている殺人犯がいるよ! 何か起こりそうだね!
・本作のいいところ
(A)困難から脱出するのを邪魔する足を引っ張るための愚かなキャラクターが(ほとんど)いない
☆14人の中には、CAに傲慢な態度の偉そうなビジネスマン(CEO?金持ってそう)
殺人犯ときいてセルフィーにこっそり映り込ませようとする女子二人組(刑事に怒られてやめる)
「席を立たないで!」と言われてるのにCAに食って掛かるとか、「残り少ない食料を分け合わなくては」と言われて「おまえがリーダー面してんじゃねーよ」と和を乱したりする描写がほとんどないのね 気づかれないように逃げ出さなきゃならないシークエンスで不注意で物音立ててバレちゃうとかもない。
☆飛行機が遭難・行方不明になって対策チームが組まれるんだけど
航空会社の社長が「状況はもうちょっとなんかわかるまで発表は待とう(叩かれたくないし)」って思うじゃん?
危機対策チームのリーダーが「いや、記者会見は早い方が良い。質問も何でも受け付けろ」って。
で社長も「わかった」っていって実行するのよ。(そこで娘が父の危機を知る)
危機対策チームが招集されてからこのさきの主な場面は遭難者たちと会社の2場面交代になっていきます。
☆ほぼ唯一の例外が、杓子定規なコース設定を機長に強要するシンガポールの上司。
「嵐が来てるんで状況によってはコースを変えてもいい?」という機長に「ダメ。燃料が余分にかかるっしょ」という。
機長と副機長の会話。機長のバックグラウンドが開示。
乱気流に巻き込まれて飛行機の中はどったんばったん。不時着水しても泳げないんで手錠外してくれと頼む殺人犯。当然拒否される。
刑事は頭部打撲、首を骨折して死んでしまう(これも愚行での死ではない)
手錠の鍵の行方をめぐるサスペンス。動かなくなった刑事が身に着けていた手錠の鍵を殺人犯は狙うが、無事CAが確保。
爆発しそうなので燃料を捨てる! 右翼の燃料は捨てられたが左翼の燃料は捨てられなかった!危ない!
着陸後大爆発するのかな?しなかった(伏線だった)
不時着陸(not着水)
なんとか連絡をとらなくては…上からみたらなんか建物あったからそこへ行こう!
「手錠を外すからお前と私で行こう」と機長。刑事からやむなく譲り受けた拳銃もあるし
戦闘力なさそうなCA、女子客、新婚カップル、CEOと一緒に殺人犯をおいておくよりはマシだよね…
密林を徒歩移動、会話で殺人犯のバックグランウンド開示。根っからの悪人ではないことが観客にもわかる。
途中でいなくなる(ばっくれる)殺人犯。まあ、そうなるな、とひとりで拳銃片手に建物探索する機長。
なんとか会社への電話をつなげる機長。しかし会社の電話交換は「は?いたずら電話やめてもらえます?」とけんもほろろ。
やむを得ず娘に電話。会社へ伝言頼む…とそのとき、現地の悪者が!
殴り合い、件の拳銃の奪い合いなど。絶体絶命のピンチ…とおもったら殺人犯が悪者をやっつけてくれた! ありがとう!
建物探索を続ける二人。血痕のある壁・床。なぜか放置してあるビデオカメラ。再生できる(できる)。すると、誘拐された白人が身代金を払ってくれないと私は殺されちゃいます、と泣きながら訴える映像が。
残してきた乗客が危ない!
悪者集団分遣隊(全員死亡)が乗ってきたピックアップトラックにのって不時着現場に戻る二人。移動手段が手に入れて展開が早くなるの、RPGみたいだね!
悪者集団本隊が乗客に接触。新婚カップル(男)が反抗して射殺。泣き叫んだ女も射殺。(閃光のハサウェイで見た!)
一方そのころ危機対策チーム。通信の結果どの島かようやく特定できた。フィリピン政府に助けてくれと頼めばいい、と航空会社社長。あそこは反政府勢力が牛耳ってるからデカいチームじゃないと…それには24時間かかるヨとフィリピン政府の返事。やっぱりな、と対策チームリーダー。こんなこともあろうかと民間傭兵みたいなチームを用意していたのだ。
身代金目当ての悪者集団は殺さず乗客を全員ベースに運搬。パスポートのほか、乗客から取り上げるべきもろもろの品を挙げるときに貴金属に加えてiPADも名指ししてたのがちょっと面白かった。
射殺の銃撃音を聞いた機長ら。物資を奪えと命じられて居残っていた二人を襲撃。一人は死亡。生き残った方をシバキあげ、行先を聞き出す。機長が飛行機にメッセージを残している間に生き残りに命じて死体を森の奥に運ばせてるなと思ったら、銃声がして、森の奥から出てきたのは殺人犯ニキ一人。「こいつやっぱヤベーやつじゃん…」(他作品でもときどきある、この手の見せない描写好き。
人質をぶん殴ってビデオ回して身代金要求準備する悪者たち。乗客は韓国人、スウェーデン人などだった。
スターウォーズの帝国軍(ファーストオーダー)ほどではないものの、ちょっとだけ緩い警備体制の反政府勢力を機長と殺人犯の二人でメタルギアして、牢屋に。
どうする? そこで傭兵隊味方出現。飛行機に残した機長のメッセージが役に立ったのだ。
人質を運んできたバスに乗り込ませることに成功するが、逃げ道に反政府勢力がたくさん。
どうする?
(中略)
・本作の不満なところ
生き残りが少なすぎるとハッピーエンド感が薄れるからだと思うけど、同じ凶悪犯護送モノである『オオカミ狩り』と比べると物足りない(こっちは凶悪犯も複数、護送する警察官も多数だし、全然違う話だから)
・本作の感心鑑賞ポイント
・反政府勢力の凶悪さ。同情の余地なし。これは『クーデター(2015)』の東南アジア某国国民の暴徒がゾンビパニックのゾンビと見まごうばかりの扱いされているのにも通じるので、手放しで褒めるわけでもない。まあ、エヴァの使徒とかネウロイみたいな設定にもできないから。
・主人公をジェラルドバトラー(機長)とマイク・コルター(殺人犯)に分けたところ
必然的に主人公側が殺しに手を染めることになる。機長も直接相手を殺しているところがあるんですが、あとで頭を抱えたり、苦悩している。
安心して主人公に観客を感情移入させることに成功している。(間接的にやっつけるところもいいんだよな!)
レイア姫がオビワンに助けを求めた時に、肩書きがジェダイの生き残りとかじゃなくてなぜ「クローン戦争で活躍したケノービ将軍」なのか、そもそもなぜヨーダじゃないのかって謎だった。
あれって一作目だし今ほどスターウォーズサーガの大風呂敷が広がってなくてヨーダとかジェダイ周りの設定もそこまで作られてなかったし、クローン戦争とかも割と適当に出したSFっぽさを出す程度のワードなんだなって気付いた。
ザ・クリエイター観た。
スターウォーズをひとつまみ入れたサイバーパンク世界で、火の鳥の語り口で湾岸戦争をやるような……
冒頭の世界観説明のニュース映像は皮肉っぽくて、アメリカの映画でもこういう描き方するんだな〜って思ったけど脚本監督の人アメリカ人じゃないんですね。AIロボットを潰すためにはAIロボットを使うのも辞さない。アメリカだね〜と思ったけど適性言語とか言って洋服着てた日本軍も似たようなもんか。
脳みそスキャンしてロボットに降霊させる唯物論的なイタコ芸をするのは面白かった。逆に人間のコピーであるロボットは身体が鉄でも信仰のようなものを持つし、死人を悼むし自殺もする。JDワシントンが義肢使ってるのも「人間の定義とは?」的な要素なんだろうか。
メカは最近のスターウォーズ作品のドロイドっぽくてかっこよかった。特攻ロボットはなんかかわいかった。
アイスの配達かと思って開けたら爆弾だった所で「マジか……」みたいな感じで死ぬ(?)とこがなんか良かった。警察の投げた爆弾を犬が返しに行く所もなんかコミカルで良かった。あれが人間だったらやはりもっと神妙な空気になってしまうんだろうか。
ただブレードランナーみたく人間とロボットの境目みたいなのが軸にあるというよりは、あくまで最終兵器のブチ壊し合いというエンタメ的物語が本筋で見やすい作品だったと思う。ブレードランナーの方も別に作中でハッキリと何かを断言する事はなかったしな。