はてなキーワード: スタンスとは
男の子だった。
産み分けまでしたけど男の子だった。
外では絶対言えないからここで吐き捨てるけど、女の子であって欲しかった。
正直想像以上にショックを受けている。
周り見てるとつくづく思うけれど、男の子は大きくなれば女の子みたいに実家に立ち寄ることもしなくなるし、万一同居したとしても仕事一辺倒になって生活面で頼りにならない確率の方が圧倒的に高い。基本親は放置して嫁任せなスタンスが多くて、それがまた嫁姑問題の根っこになっている。
犯罪を犯すリスクも高いし、「自分が悪かった…」と素直に反省するような自責的なタイプではなくて「アイツが悪い」「世の中が悪い」「女が悪い」「オレは悪くない。理解してくれない周りが悪い」みたいに他罰的な考えを持っているタイプが多いように見える。
実力以上の自信家が多いのは男性だという研究結果も出ているらしいし、ちゃんとまともに育て上げられるか不安しかない。
そのことを悟らさないように大切に育てるつもりではあるけど、やっぱりショックが抜けない。
もう男性を成人まで育て上げたよって人で、男の子を産んでよかったって心から思っている人がいたらお話を聞きたい。
希望が持ちたい。
そのとおりだと思う
「チェック → 承認 → OKなら次へ」といういわゆるワークフロー作っとくのがだいじ
傲慢な人間がチェッカーになると、このワークフローを無視したがる
自分はそうならないように気を付けている(昔はよくやっちゃったので)
「ここまでのチェックはOKです、次に進んでください」
っていうのが正しいワークフローであり、責任をとることを意味する
「ちらっと見たら今気づいたけど」とか、「ちゃんとチェックしたわけじゃないけど」
私はサッカリンを12歳まで知らなかった。両親は本当に私を大切にして甘い液体に浸して育ててくれた。
父は私のことをシンプルに溺死させようとしている。頭の中の9割以上は蜂蜜のことで占められていると思う。「お父さんはいつも蜂の蜜を吸っているよ」とか素面で言い出すから蜜が出る。
母は「甘味料が入ってなきゃ別に何でもいい」みたいなスタンスで、まるで「蜂蜜が蜂蜜である限り愛している」とでも言うような、放任に見えてハチミツ愛が深い。
私はサンタを12歳まで信じていた。両親は本当に私を大切にして甘やかして愛して育ててくれた。
父は私のことをシンプルに溺愛している。頭の中の9割以上は娘のことを占めていると思う。「お父さんはいつも娘の幸せを願っているよ」とか素面で言い出すから涙が出る。
母は「道を外れた事しなきゃ別に何でもいい」みたいなスタンスで、まるで「私が私である限り愛している」とでも言うような、放任に見えてメチャメチャ愛が深い。
とにかくとにかく、もうハチャメチャに愛されて育ったので、私は人から愛される努力をしなかった。そして半端に頭の出来が良かったので適当に生きても高校生までは特に何も困らなかった。まあ半端なので大学入試まではこなせなかった。
「浪人したい。一年頑張るから」と言ったら私を信じてそこそこ投資をして浪人させてくれた。ろくに勉強せず適当な私文へ。
「就活めんどくさい。勉強は嫌いじゃないし公務員試験受ける」と言った時も私も信じて予備校に通わせてくれた。完全に舐めてかかった私は面接で全落ちした。
そうして大学卒業目前の私は、どこにも拾われないまま学生最後のクリスマスを迎えた。
拾われないって就職先だけの問題じゃなくて、「愛されて当然」みたいな態度で生きて来すぎたから私には友達がいない。丸2年LINE使ってないけど何も困ってない。
それでも父と母は家族三人で今年のクリスマスを迎えられた事を喜んでいる。外食してケーキも食べてあとは家族団欒、相変わらず両親はめっちゃ優しいし幸せなクリスマスイブ。
だけど、きっと話題にしないだけで二人とも心配している。愛情と時間とお金をたっぷりかけて育てた娘は宙ぶらりんのまま大人になってしまったよ。本当にごめん。
申し訳なくて、たまに涙がだばだば流れてどうしようもない時がある。でも数時間後にはケロッとしてご飯食べてるから救いようがない。
今更どう生き方を変えたらいいのか分からない。両親は私に高望みなんかしてなくて、「自立して安心させてくれたらいい」くらいにしか思ってない。それさえ私には出来ない。
とうとうかけてくれた愛情が重くて辛いだとか最悪な事まで考えている。私が嬉しがってると両親も喜ぶので、ひとまずのんきな顔を見せてヘラヘラしているけど、気を抜くと泣きそう。もう早く楽になりたい。
大きな挫折を味わったとか病気をしたとかではないんだけど、気がついたらニートになっていた、という感覚に近い。
普通に元気があり、どちらかというと内気だけど人並みにコミュニケーションは取れるし、頭もそれなりにいい子だと思っていた。思っていたというか、それは今もそうだ。
小中高と不登校にもならず、普通に友達もいて、成績は常にトップクラス、大学もいいところに行って、留年もせず四年になった。ここまでは良かったんだけど、就活をする段になって「俺には無理だ、もう疲れた」と言い出した。
曰く、どこの業界のどんな仕事にもいっさい魅力を感じず、就職活動に打ち込むことができない。一応何社か受けてはみたが、面接で全部落とされた。落とされてもショックはなく、むしろホッとしている。働いてまで今後生きていきたくはない。
トーンがマジだったので叱り飛ばすこともできず、とりあえずやりたい職業とか考えてもうちょい就活を続け、受かったところに行けばいい、無理だったら就活浪人してもいい、と伝えた。結局その年はどこも受からず、大学だけ卒業した。
翌年息子は就活をしなかった。やってみたら?と言ってもウーン…なんて言うばかりで、全然動かない。働いてお金稼がないと飯は食わせないぞ、なんて言おうかとも思ったけど、「働いてまで生きていきたくない」と言っていたときの声色が思い出されて、そうしたら自殺してしまうのではないかと怖くなった。
息子、鬱病とかなんだろうか?本人曰く働きたくないと感じ始めたのは中学生くらいからで、そのスタンスがブレたことはないらしい。人生にあまり意味を感じず、自分の楽しさを優先するのが良い生き方だと思うが、仕事をしてかつ楽しく生きることは自分にはできないので、働くくらいなら死ぬという結論になる、というようなことを言っていた。
とんでもねえクズ野郎だ、という気がするんだが、お前たちが産んだんだから責任を取れ、と言われるとうまく反論ができない。ただ現実問題として我々が死んで貯金も尽きたら息子は詰み状態になるわけで、働いてほしいという気持ちはある。純粋に老後を楽しみたかったしあわよくば孫の顔を見たかったという思いもある。それなりに優秀だと思っていた息子がいきなりニート化して、期待を裏切られたという気持ちもある。
どうしたらいいんだろうか。自殺するなんて口だけだと思って、甘やかすのをやめたらいいのかな。それで本当に死なれたら立ち直れるのかな。
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これ実は俺自身がニートで(実際の親は↑の感じよりかなりマシ!)、子持ちが多そうなはてなーの反応を見たいなと思って書いたんだけど、意外とみんなニートに好意的でよかった…
本家アメリカのバズフィードはクソみたいな記事のまとめサイトだったのよ。
それを日本側がブランド買ったときに、クソ記事まとめと一緒にきっちりしたジャーナリズムもやるというスタンスで若手の優秀な新聞記者を大量に雇った。
でも、はたちこうたは今でも頑張ってるけど、石戸諭は「君のスタンスは求めるものと違う」と言って1年で切ってしまったそうで、イマイチその経営指針はわからない。
まず思ったことと言えば『面倒くさい界隈だろうからどれだけ刀が好きでもゲームでキャラが気に入っても関わらないようにしよう』である。
私は例の刀鍛冶さんの記事をYahooで見かけその後、『刀剣女子』というワードがTwitterのトレンドに入っていたのを見て炎上しているのを知った人間だ。
記事自体は誰かを貶すような表現などはまったくなく、むしろ刀剣女子と呼ばれる人に対しても好意的に書かれていたと思う。少なくとも私はそのように捉えている。しかし炎上は起きてしまった。
炎上した理由が複数あり人によって怒っている理由も怒りの矛先もバラバラだが1つ大きな理由を上げれば『記事に書かれていない内容を深読みした人間がいてTwitterで大げさにつぶやいてしまった』ことであると思う。ちなみにそのツイートはこの日記を書くころにはすでに削除されていた。
歪曲されたツイートはかなり伸びていた。誤った内容は広まり刀鍛冶の方が責められてしまったのだ。私はその様子を見ていたが正直かなり恐ろしかった。元記事も読まずツイートだけで叩かれてしまうのはかなり理不尽だ。私にも言えることかもしれないが、批判するならしっかり相手の動画のスタンスや記事を理解しなければいけないのではないだろうか。
あと個人的に目についたのは刀剣女子という言葉に対しての異常なまでの拒絶である。
私自身女性であり気にはならなかったが、確かに刀剣女子という言葉がジェンダーに配慮していないという点で嫌な人がいるのかもしれない。しかし数年前には流行語にもなった言葉であるので一般的に使われていてもおかしくはないと思う。
嫌いな言葉が出てきたというだけですべてを拒絶してしまうのは非常にもったいない気がする。
最後に気になったことは私達はこんなに貢献してきたのに!と怒っている人たちである。
コンビニやテレビ番組の募金ですべての人を救えないのと一緒で業界全体を潤すには時間もお金もかなりかかると思う。確かにお金の寄付などを行うことはとても素晴らしいことだが、だからといってその業界の人間が話す現実を否定するのはおかしいと思う。その人にとってはそれが現実であるというのは変わらないのである。
そして寄付をしたという事実を誇りに思うの素敵なことだと思うが、それを武器にして刀鍛冶の方にぶつけてしまうのはいかがなものか。私にはクレーマーと変わらないように見えた。
あの記事を読んでそういう分野も楽しそうだと最初は思ったのだ。ゲームを見てみたらキャラもかっこよくてボイスもいいしアニメも面白そうだとも。私自身、居合などを嗜んでいたので刀にも興味があったし話題になっていたので時間が空いたら実写映画とかも見てみようと少し浮かれていた。
けれど今回の炎上をみて上がっていたテンションが下がってしまった。あれほど繊細で言葉に気をつけなければいけない界隈だとは思っていなかったのである。
数度顔を合わせて話しをしたことがあるAさんのインスタで
Aさんによる「政治発言をしない人間を信じていない」という発言を見た
Aさんとは顔を合わせて話したことがあるが仕事上の関係でも友人でもない
Aさんは自身のSNSで政治発言を積極的に行う人物だがタレントではない
俺は以前Aさんに会った時「政治発言をすることは自分の仕事上得をしない」ということを話した
右にいい顔をすれば左が敵になり
左にいい顔をすれば右が敵になる
左も右も発言しないことが一番都合よく思える
近い人には選挙に行こうと話もするし促すこともある
Aさんの「政治発言をしない人間を信じていない」という発言に対して俺が出した答えは「Aさんに信用されなくても何ら問題ない」だった
俺のために財布の紐を緩めてくれる人のために、その人の政治思想と反対だからという理由で拒まれないために
ただしこのスタンスはAさんのように政治発言を積極的に行っている一般人には支持されないのだと学んだ
俺は今の日本で芸能人が右だ左だと発言することは得策ではないと思う
残念ながら互いの違いを許容した上で積極的に議論を行えるほど成熟した人間ばかりではないからだ
政治思想が右だから左だからというだけでその人物や作品の見方を変える人間は底が浅いと思うが
分かりやすくなるようにアムロというキャラクターに着目した表現をしたけど、アムロなりシロッコなりカロッゾなり、個のキャラクターだけを見て「はいこいつの言動はモラル違反~!そういうキャラがいるから富野作品もモラル違反~!」と怒ってるっつうワケではない。
確かにそういう心理になりがちだから、私にその部分がないとは言い切れないけど、距離を置きたいとは思っている。
私としては、富野のキャラクターたちはそこそこ色んなスタンスの人間がいるのだが、全体の流れや演出だと、前半は厭世が強めでも結末部分には性や生殖の肯定が感じられる、そしてその肯定に唐突さがあるという方が本丸である。
流れや演出からなんとなく感じたものなので説明が難しいのだが。
Zなんかは、基本的には鬱屈が漂ってるくせに誰もかれも妙に色恋に熱心で、その色恋のせいで死ななくてもいい人もたくさん死んだのに、それにも関わらず露骨なセックスのメタファーを感動的に描いたラストで終わる。
F91もそれに近い。F91はシーブックはそこまで鬱屈してないが(なんか母親と距離感じたけどな)、セシリーに家庭環境のヤバさと生きづらさと情緒不安定さが付与されてて、そんでラストはイチャついて終わる。
初代と逆シャアの組み合わせは、ララァとの出会いが結局アムロにもシャアにも深い傷になってるし、逆シャア内だけでも男女のもつれでゴタゴタしてるし、ケーラもアストナージもクェスもギュネイもチェーンも死ぬし、やっぱ性愛ってダルいぜと思わせてるけど最後は命の力で命が救われて命って大事って雰囲気になる。
他のトラバに「生命賛歌が共通してある」という言葉が出てて、確かにそういうニュアンスがあると思う。
そしてその生命賛歌が、急に出がちな気がする。
私が見た限り「色々しんどい場面見せたけど、でもやっぱり生命ってステキだよね!」という感じなのだが、その「でもやっぱり」の根拠が薄いと思うんだな。
しんどい場面たちは相当な説得力をもってシーンが重ねられるのに、生命のステキさは自明の事のようにポエムっぽい演出で描かれて、置いてけぼりにされてしまう。
A. 民族差別「なんか」よりも貧困格差や学歴差別・ルッキズムの方が身近なので、民族差別と同様に貧困格差や学歴差別・ルッキズムほかありとあらゆる差別に敏感になるべきだ
B. 民族差別「なんか」よりも貧困格差や学歴差別・ルッキズムの方が身近なので、民族差別と同様に貧困格差や学歴差別・ルッキズムほかありとあらゆる差別は許容されるべきだ
このどちらかのスタンスなら矛盾ないと思うけど、この手の物言いをする人ってよくよく聞いてみると
・でも貧困格差や学歴差別・ルッキズムは非常に深刻な問題なので許されないし解決するべき
婚活ってのはスペックもあるけど、それ以上にこの人は自分とうまくいくのか、自分を推してくれそうな人なのかを重視する。
推しは他にもいるけど許容してねーって精神的な浮気(厳密には違うけどここでは浮気と表記する)は、確実な信頼関係が築けていない婚活市場だと見えている地雷と相手に断定されて切られちゃったり、とら婚へのクレームに繋がるから、いないと切り捨てる方向になるんだと思う。
増田の恋愛と推しは違うはわかるんだよ、増田はおじさんが行きつけのスナックがあって、そこのママが面白くて推してるんだ。という感覚でキャバを利用していて、そこのスタッフを推してるだけで、恋愛ではない。キャバを利用する人って半分くらいはこの感覚。
じゃあどうすれば良いって、増田がどんな人間でキャバに対してどんなスタンスなのかを時間かけて理解してもらうしかない。
婚活みたいな中身をよく知らずに付き合いを始める方法よりは、友達からでも時間をかけてよく自分を知ってもらう自由恋愛のがいいんじゃないかな。
押井守ね。
鬼滅について今がピークなだけの作品って感じで語ったんだけど、
じゃあ押井守の作品が語り継がれてる?って話になるとそうでもない。
例えば『うる星やつら』なんかあの監督が作ってある程度話題にはなったけど、それは単にあの頃は娯楽が少なく話題になったのは『高橋留美子』が描いた作品だったから面白かっただけなんだよね。
んで、今もうる星やつらの話が出てくるとオンリー・ユーやビューティフル・ドリーマーが話題になりがちだけど、数が少ないから『それ』が出てくるだけで別に完結編でも良かったわけ。
それがビューティフル・ドリーマーが売れたせいか、自分の言葉に力があると思いこんじゃって今のあの人がいる感じ。
そんな監督さんが鬼滅を語って今がピークという。なんかなーって。
まあそういう『ピークを実際に経験してピークが過ぎ去った人』だから言えるのかもしれないけど、鬼滅は個人的にしばらくは伸びると思うけどね。
絶賛しているだけの人のコメントもどうかと思うけど、最初から最後まで気に入らないというようなスタンスでのコメントは胸糞悪いんだよね。
監督という立場であれば、作品の良し悪しをもっと細かく分析できると思うんだけど、そういう視界の広さは持っていないんだなって感じた。
オンリー・ユーの時は好きだったんだけどなぁ…。
結論から言うと、マッチングアプリを始めた結果、異性と交際をはじめることはできた。今のところ、交際は順調(と自分では思っている)。しかし、結婚したいと思っていたアプリ開始当初の気持ちがなくなった。
・スペック
アラサー、身長は平均より下、顔は中の下。マッチングアプリ始めた時点では交際経験なしのいわゆる非モテ。大卒正社員。年収500万くらい。
職場で同世代の結婚ラッシュがはじまり、何も起こらない自分の人生に不安を覚え登録。
スタンスとしては契約結婚でもなんでもいいから既婚者という称号がほしいと思った。子どもはほしいと思ったことはなく、とにかく左手に指輪つけてるやつを羨ましく感じて自分もそうなりたかった。
奮闘の結果、運よく今の相手と出会った。ちなみにアプリ始めた時期はコロナ流行前。
3回目の面会?で交際を申し込んでOKをもらえた。交際開始から1年ほどして今は一緒に暮らしている。
キスとかセックスもするけど、はじめからあんまり彼氏彼女的なロマンチックさはないと自分側は感じている。家族って感覚に近い。仲は良好だと自分では思ってる(が、相手はどう思ってるか本心はわからないけど)。
これまで交際相手ができたことがなかったからだが、常に誰かに選ばれなければという重圧が無意識のうちにあった。しかしパートナーができた(=新たに何者かに選ばれる必要がなくなった)ことで他人と自分を比べることがなくなり、良い意味で肩の力が抜けた。
これはパートナーと出会ってしばらく経ち、将来を考え始めてからだが、はじめて自分の子どもが欲しいと思えるようになった。
これまでも(今もだが)世間の子どもを見てもかわいいと思えず、自分の趣味の時間が減ることや金銭面の負担から考えても子どもをつくり育てるメリットはないと思っていた。それに人間ひとりの命を育てる責任がクソ重い。そんな責任持てない、考えなしに子どもを作るのは罪深いことなのではとも思っていた(これは今も思うが)。
それが変わった理由としては、このパートナーとなら子どもを育てていけるだろうという(主に家事分担や経済面や心理面など)気持ちを持てたことがある。楽観的かもしれないが、この人となら辛くても子を育てることをしてみたい、やってみたいとはじめて思えた。
2つ目に、自分(もしくはパートナー)が死んだら、その遺伝子はそこで途絶えてなくなり、そのまま一人で生きていかねばならないことがとても心細いと思ったこと。これはコロナ禍にあって人の命が案外あっけないと思うようになったこともある。早死にすることがなかったとしても、将来的にはどちらか先に死ぬことは決定事項なのでとにかく一人が怖くなってしまった。
3つ目に、パートナーと自分の子どもという遺伝子的に唯一無二の存在に出会ってみたいというのがある。他の人とでは「私とパートナーの子ども」は作れないので、「あなたとの子どもがほしい」とパートナーに対して思うようになった。
長く書いてしまったが、子どもについてはこちらが一方的にほしいと思っても双方合意がないと実現しない。パートナーは一貫して子どもは欲しくないという立場でいるので、実現はかなり難しくなっており、自分としては悲しい気持ちがある。しかしそれも仕方ない。それに、合意があってもできるかはわからないし悩みが尽きないなと思う。
これを書こうと思った本題。
先述の通りマッチングアプリを始めた当初は既婚者というステータスが欲しかったしそれを相手にも伝えていたのだが、最近その気持ちがめっきりなくなってしまった。
それはたぶん社会的な見栄のせいだった。あいつは結婚できない人間だと思われることが嫌というか。でも今はその社会的な見栄にもこだわらなくていいか、と思うようになった。きっと結婚したらしたで、次には子どもはいつ?と聞かれるようになったりして、結局社会側の反応を気にし始めても仕方ないと思うようになった。
マッチングアプリを始めた当初から自分には結婚という目的があったので、交際をはじめて数カ月してから、相手に、自分の方は最終的に結婚したいと思っていると伝えた。しかし相手の方はというとあまり結婚願望がなかった。
互いに結婚式を挙げたいわけでもなく(むしろやりたくない)、自分にとってはパートナーと今後長く一緒に楽しく暮らすことが目的としてある。結婚しなくても一緒に暮らすことはできるので結婚の必要性には結びつかない。
パートナーとも、法律婚をするか?という話になったことがあるが、どちらかが姓を変えることにお互い違和感を持っているし、したいと思っていない。最悪何か罰されるなどの理由があれば自分側の姓を変えてもいいと思ってはいるが、各種手続きが面倒くさいのでいっそ退職後とかにしたいなんて思っている。(今話題になっている選択性夫婦別姓には大いに賛成である)
また、私とパートナーは収入にあまり差がなく、どちらかが扶養に入ると言ったことも想定していないので税制上もメリットはない。
法律婚をしないことについて、しいて言えば医療同意とかが問題になるのかもしれないが、最悪まだ親兄弟が生存しているし今のところ問題ない気もする。あとは親や親戚への説明が面倒といったところか。
メリットがないとなったときに、なぜ人がそこまで法律婚にこだわるかがわからなくなったし、しなくていいになった。
そうなってから、なんで今まで自分が法律婚にこだわってきたのが?(深く考えていなかったからなのだが)がアホらしく感じられてきた。
文章下手くそで申し訳ないんだけど、最後まで読んでくれた人がいたらありがとう。
最後に、結婚(法律婚)したいという人、具体的な理由を教えてくれないか。納得できるように説明してほしい。メリットがあると思えたら結婚しようかなという気が起こるので。