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はてなキーワード: delphiとは

2020-11-24

anond:20201124155603

Xcode自分も駄目だった

なんでだろう

これまで改良はされてきたし、最新のは知らんのだけど、

プロジェクトの設定とかとりあえず必要最低限だけ表示すればいいのにドバーッと全部表示してしまってて、

しかも結局はコマンドラインオプションGUIでチマチマ書くような感じになってしまってて、

これIDE意味あんの?みたいになるわけだけど、Xcodeを使わないと基本的MaciOSアプリを開発できない縛りもあるわけで、

あと、うろ覚えだけど昔たしかInteface Buildernibファイルとかバイナリだったんじゃなかったか

バージョン管理しづらい、差分が分からない、うっかりマウスを滑らせてどこか変更してしまっても分からない、

NeXTはそれでも良かったのかもしれないけど、なんだかなあと思って、できるだけ使いたくなくなる不思議IDE

Borland C++ BuilderとかDelphiは楽しかったのになあ

2020-05-23

anond:20200521175300

10年超のプログラマやってるものだけど自分の成長過程を書いてみよう

  • この後にもいろいろあったが面倒になってきたから省略。しょぼいゲーム会社就職する。
    • JavaScript でなんか色々作る
    • Python でなんか色々作る
    • C# でなんか色々作る
    • はてなを始めたり

2020-03-01

MtGプログラミング言語の色

このプログラミング言語MtGだと多分この色の組み合わせだろう。

みたいなのをまとめたら次のようになった(TIOBEのランキングトップ50)。

後半は知らない言語もあって怪しいが、おおよそこのようになると思われる。

※改めて見てみると何箇所か違和感があったので最初の版からちょっとだけ修正した。

順位プログラミング言語色の組み合わせ 内訳
1 Java アブザン 白黒緑
2 C ゴルガリ 黒緑
3 Pythonティムール緑青
4 C++ ジャンド 黒赤緑
5 C#バント 緑白青
6 Visual Basic .NETレズニア 緑白
7 JavaScript ボロス 赤白
8 PHPグルール 赤緑
9 SQL 無色
10Swift 4C(緑欠色) 白青黒赤
11Go ゴルガリ 黒緑
12Assembly language 黒単
13 R ゼット 青赤
14 D グリクシス 青黒赤
15 Ruby 赤単
16 MATLABゼット 青赤
17PL/SQL 無色
18 Delphi/Object Pascal アゾリウス 白青
19 Perlラクドス 黒赤
20Objective-C エスパー 白青黒
21 SAS アゾリウス 白青
22 Visual Basic 緑単
23Dart ジェスカイ 青赤白
24Scratch 白単
25 Scala 5C 白青黒赤緑
26 Groovy ナヤ 赤緑白
27 Transact-SQL 無色
28F# アゾリウス 白青
29 Rust マルドゥ 赤白黒
30 COBOL オルゾフ 白黒
31ABAP アゾリウス 白青
32 Lispシミック緑青
33Kotlin 4C(緑欠色) 白青黒赤
34 Logo 白単
35 RPG ディミーア 青黒
36 Lua 緑単
37 Fortran スゥルタイ緑青
38 PowerShell ジェスカイ 青赤白
39 Ada ディミーア 青黒
40 LabVIEW ディミーア 青黒
41 Erlang 緑単
42 Julia ゼット 青赤
43 ML 青単
44 Schemeシミック緑青
45 Haskellエスパー 白青黒
46 TypeScript ジェスカイ 青赤白
47 OpenEdge ABL アゾリウス 白青
48 LiveCode アゾリウス 白青
49 PostScript 無色
50 ActionScript ジェスカイ 青赤白

見返してみるとおおよそ次のルールに従って決めているような気がした。

緑の判定があやふやな気が若干しないでもない…

イメージ
レイヤ初心者向け
浮世離れベンダー
レイヤ、黒魔術
速い、先進
基盤、グル
無色 道具

2019-04-04

anond:20190404164331

Pascalシンプルな上に間違いを指摘してくれるので、お行儀のよいプログラミングのお作法を身につけやすいか初心者向けだけれど、その反面、融通がきかないので、実務畑ではマイナーにとどまったかな。(DelphiとかAdaとかはあるけど)

2019-03-26

anond:20190326160112

そう。せめてこのくらいは書いてほしかった。

Delphi(16bit) の CD-RM なら探せば残ってるかも。

2018-08-31

anond:20180830123708

コピペ

どなたか相談に乗ってください。

社会人2年目25歳。増田でディスられがちな某大手SIer新卒プロパーとして入社しました。以来毎日Excel方眼紙COBOLバイナリエディタを弄っていますネタじゃないですよ。

大手SIerに行ってもプログラミング力が身に付かないことは、就職から十分知っていました。しかし私はそれでも良いと思っていました。何故なら私は頭が良くないからです。プログラミング仕事にしてしまうと、常に勉強し、最新の技術キャッチアップしなければいけません。そして腕を磨いて転職を繰り返さなければ年収は中々上がらないと聞きます自分には到底そんな生き方ができる気がしませんでした。自分無能なので、大手ぬるま湯に浸かってのんびり高収入を得ることが出来るならそれが一番いいと思っていたのです。さっさと人生アガって、早く楽をしたい。大手SIerはそんな自分にとって、ぴったりの職場だと考えていました。

しかし、大きな誤算がありました。大手SIerでの仕事が、想像を絶するつまらなさだったのです。まず大規模基幹システムというプロダクト自体に興味が持てません(学生の頃は、社会的影響力の大きいプロダクトに携われば興味なんていくらでも湧くだろうと安易に考えていました)。また、大規模で複雑なシステムというのは、考えているだけでも結構疲れます。というか未だに理解できてない部分も多く挫折気味です。そういうものに今後一生向き合っていく仕事なのだと思うと軽く絶望してしまます。どうせ勉強するならDelphi言語仕様とかの方がまだ楽しそうな気がします。

人間関係も上手くいきません。思った以上に周りのSE体育会系が多いです。一応メーカー企業でもあるので、入社前はもっと地味な理系っぽい人達のんびりアニメの話が出来ると想像してたんですが全く違いました。職場のおじさん達は、キャバクラいかに派手な飲み方をしたかなどの話を毎日しています。全く価値観が合わずコミュ障自分は勤務中もほぼ話しません。

それでいて出社時間に厳しいなどかっちりした社風も息苦しいです。残業結構あります

そんなわけで、将来的な転職先としてWeb系のメガベンチャーに憧れています面白いサービスを作っていて、コアタイムが緩くて、フリーアドレスで仲良い人の近くで働けると最高です。

ですが今の自分プログラミングがほぼできません。簡単文法くらいなら分かります。ヘボ大学の授業でCの文法単位は取りましたし、会社新人研修Java講義も受けました。progateやN予備校の内容くらいなら理解できますSQL簡単select文なら書けます。〇〇入門みたいな勉強会にも週末たまに参加していますしかし、文法が分かるといっても、ポリモフィズム理解してるかと言われると怪しいレベルです。アルゴリズムちゃん勉強したことがありません。

例えばRailsでなんか作ってみようと思っても、railsコマンドrakeコマンドの違いや、db:createとdb:migrateの違いが分からなくて何時間もググったりして、あんまり進捗がありません。適性がないのかも知れませんね。平日に残業したあと帰宅して勉強をしていますが、自分でちまちまやるだけでは圧倒的に量が足りず、効率も悪いと感じます若い今のうちにさっさと未経験可のWeb系に転職転職を繰り返し、最終的に自社サービスを扱うメガベンチャーへのキャリアアップを目指した方がいい気がしています

こんな感じでWebメガベンチャーに憧れていますが、こんなにだらしない自分に、果たして本当にWeb業界が向いているのか考えると不安で仕方ありません。自社サービス開発のWeb企業教育も弊社ほど丁寧でなく、即戦力個人努力によるキャッチアップが求められ、個の力が重視されるというイメージがあります。それが本当に私にできるのか、自信がありません。私のような人間は、このままぬるま湯に浸かり続けるのが正解なのでしょうか。長い文章をここまで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。どうか所感をお聞かせ願います

2018-02-19

50代間近、毎月60時間残業しても手取り35万ちょっと。なんか生きるのに

こういうところで、自分の中にある、苦しみや悩みを吐き出す日が

来るとは思っていなかった。

中年を過ぎたオヤジの読みづらい戯れ言だと思われても仕方ない。

からスルーしてくれても問題ない。

仕事IT系システムエンジニアであり、プログラマーでもある。

経験した言語C/C++SQLPL/SQLPHPJS。あとCOBOLは少しはできる。

PHPJSフレームワークはよく知らない。仕事で使う機会が皆無だったからだ。

もちろんシステム設計問題ない。

最近本業タスクが無くなってしまうと、PL/SQL言語類似する

DELPHIを独学している。そのためにスターター版をインストールした。

もちろん、発注元には承認を得た上で残業させてもらっており、その点は感謝している。

ここからが本題。

発注元とは派遣契約。単金がいくらかも知っているから、どのくらいの

金額となるかもわかっている。問題なのは、その間にある会社

その会社で4割以上、ぼったくられている。。

社員扱いにしていると言うが、実際はアルバイトと同じで

有給休暇なんて存在しない。休めば単純に差し引かれるだけ。

から健保負担人間ドックや定期健康診断なんか行けない。

住民税はぼったくられた中には含まれておらず自腹だ。

両親は介護老人ホーム借家暮らしているが、

両親自身年金だけでは暮らせるわけも、毎月15万の仕送りをしている。

私自身はその会社一方的に決めた法人契約アパート暮らしている。

法人契約とは名ばかりで住宅補助は一切無く全額ぼったくられ、

水道光熱費も全額負担

生計が苦しいから、もう少し給与を上げて欲しいと2度、3度と

お願いしたが、40時間残業すれば手取り40万を超えるから大丈夫だと

すべて笑って誤魔化され一蹴された。

年齢からし転職できないと思われている。実際に、自分でも

この年齢で転職は無理だろうと感じている。

できるだけ支出を減らすために、1日1.5食まで減らして暖房も使わず

可能な限り無駄を減らしているが、それでも生保定期積金も難しくなっている。

預金は減る一方で増える見込みはない。そろそろ底が見え始めてきた

これを書いていて思ったのが、ひとつ救いだと思えたのは独身で良かったと。

もし結婚していたらカミさん申し訳ない。

カミさんが協力的な人だったとしても心苦しいし、顔を合わせづらい。

そんな状態が続いたから、なんか生きるのに疲れてきた。

さら支出を減らす努力生保定期積金の解約が必要になっている。

こんな生き方しかできないなら、生きるって何だろうと考える日々を過ごしている。

2017-10-02

delphiってまだ生きてた

どころかあれでandroid/iOS開発いけるんだな・・・

2017-07-06

[]7月6日

○朝食:なし

○昼食:味ご飯おにぎりからあげ梅干しおにぎり

○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁フリーズドライ)、サンマの缶詰

○間食:アーモンドn粒、スライスチーズ(四枚)、野菜ジュース

調子

はややー。

仕事はそれなりにこなした。

ようやく、暇ではなく、来週から毎日それなりにすることがある感じになったので、

金曜日さえ無事過ごせられれば、またペースが戻ってきそう。

ポケモン熱がまた上がってきた、理由は今年の映画面白そうだから

というわけで、恒例の前売り券を買ってきてテンションを上げた。

ここは、さらテンションを上げるために、

映画の前に映画を全作見返す

映画のためにゆうきゅー

という、アニポケ映画漬けを行おうと思う。

まずは、ゆうきゅー! のタイミングを調整しよう。

3DS

すれちがいMii広場

勇者食堂二週目クリア

な、長かった……

書かなくなってだいぶたちますが、実は毎日プレイしていたのです。

そして、ようやく今日クリアできました。

もうなんか感慨とか何もなくて、ようやく終わった、という安堵感しかないです。

ポケとる

ピカチュウレックウザぽんちょ)を捕獲

ピカチュウ(いろちがいレックウザぽんちょ)は出現せず

昨日、アホみたいにコイン使ったのがマジでストレス

ポケモンバンク

特に使ってないけど義務感で課金

年額500円なので完全にお布施の気分。

iPhone

○はねろコイキング

トレーナーランク53。

コイキングは、80代目。

コマスター

なにやら、大型アップデートが近日あるらしく、まだ何もわからないけど微妙テンションアップ。

さすがにメインのシナリオが追加されると想定して、イリジウムの25までクリア

それから、対人戦を二回こなして、キートレボを解放

さらに、ログボのガチャチケと石でガチャ

が、サメハダーシザリガーは出ず。

やっぱガチャ楽しくないな。

FGO

呼符でガチャが回せるので回して見たら、チャールズ・バベッジが出た。

もう百人中百人が突っ込むだろうし、Fateってそういうものなんだけど、バベッジはロボじゃねえよ! と思わず笑ってしまった。

音楽家とか作家召喚されてる時点でそりゃそうなんだけど、数学者もありなんだ、と驚いたのもある。

ノイマンとかラッセルとかもいるのかなあ? 数学者縛りプレイとかしたくなるぐらい面白いなあ。

チューリングの宝具は相手自我を問うことでウンタラカンタラとか、妄想が広がるなあ。

数学者ではなくてプログラマになってしまうけど、一番好きなプログラマヘルスバーグさんだから英霊にならないかなあ? いやまだ生きてるけども、まだ生きてるけども、別にFate世界的に生きているか否かは関係ないわけだしさ。

宝具は「Delphi」でゲーム的には味方のNPアップで、フレバー的には魔力の運用効率アップ的な感じだと思います

2017-06-16

anond:20170616150619

勉強

13~14年前ほどの案件サーバサイドをDelphiで書く案件に参加したことあるけど

もう忘れちゃったよ。

Delphi(というか言語の話するならPascalな)も Free はメモリ解放c++ と同じ用途だよ。

Pascalから free じゃなく Free な。

勉強」なんていうところから

学生だかエントリークラスだと思うがプロ相手クズ呼ばわりは感心せんな。

2017-06-07

anond:20170513175715

残酷だが「職業訓練プログラミング」という人たちはこの業界はあきらめた方があなたのためにとって良い。

そのような人の上司になったことが何度もあるが成功した人を見たことがない。

はいものの、私も35歳から異業種転職にてアプリ屋になったが、転職直前の段階でC/C++/Pascal(Delphi)/html/js/SQL が書けた。

10代前半から8bitCPU(特に名を伏せる)のマシン語(ハンドアセンブル、つまり16進数直書き)でプログラムした経験がある。(もちろんBASICもある)

8bit時代ならメモリー増設設計実装(ハードウエア)ができた。

一応そのような状況ではあってもプロに知り合いもなく心配だったので、

(当時)第二種情報処理技術者試験に3週間の勉強(1.0/日程度)で

一発合格しなければ転職しないというような目標もたててクリアした。

技術的には 0 スタートではかったからこそ転職にも成功できたと思っている。

おっさん技術知識経験ほぼ 0 スタートはきついでしょ。

おっさんなんだからこそ無駄時間を使わないでほしい。

自分も一流でもなんでもないくせに上から目線で自慢話みたいのしてごめんなさい。

あなたに向いた仕事はきっと他にある。がんばれおっさん

2017-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20170119214060

うーん、厳しいかな。

Delphiっていつの時代Delphiなのかわからなくないか

最近のだとしたらなんでDelphi?って思うし。

ボーランドなつかしい。Turbo Pascal使ってた。

2016-09-27

delphiなっつ!!!

大学プログラミングの授業でほんのちょこっとだけ触ったわwww

久しぶりに聞いたwww

2015-08-01

http://anond.hatelabo.jp/20150801141751

こういうの見るとエンジニアって馬鹿だよなと思う。黙って上のいうこと聞いておけと。

例えば、現役で動いているDelphiGoとかRubyとかに変えたとして、どのように会社経常利益が増加するのか。変更することのイニシャルコストを上回るだけの社員生産性の向上が見込めるのか。利益が見込めるならそれを上にプレゼンすれば、上は動くだろう。IRRって知ってる?

セキュリティ教育費用と、会社の規模によって雇える社員に期待できるセキュリティの水準、セキュリティ事故が起きた時の会社被害被害教育で賄うのか保険で賄うのか、リスクをあえてとるのか、その辺考えてセキュリティ意識を高めるために教育に経費をかけるべきだって言ってる?そもそもセキュリティ被害保険でまかなえることすら知らないんじゃない?

そういうのを考えずに立場権力で新しいものを入れてしまうようなどうしようもないIT部長とか、いるよね。

2015-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20150316195608

はてぶコメント見たらTEditorの名前があった。たしかにあのコンポーネントが多くのエディタを生み出していた。自分テキストエディタじゃないけどTEditorを使ったアプリ書いてたので良く覚えてる。

しかし開発環境低価格化/無償化する今、未だに一番廉価なStarterでも2万円超するDelphiを選んでしまった作者たちは今何を考えているのだろうか。

それとも未だDelphi8あたりの無償版を使い続けているのだろうか。

2014-08-09

おい、Delphiユーザー

特に金持ってないDelphi6止まりユーザー

LazarusいいぞLazarus

Delphiスキル捨てることないよ

2013-12-06

プログラミング事始め

小学生の時に「こんにちはマイコン」を読んだことを除けば、自分プログラミング最初に触れたのはWindowsME上で動くHSPだった。

多分友達の家で「なんかパソコンあるし面白いこと出来ないかな」と話していて触ったのだと思う。3日ほどHSPを触っていたが、スプライトが動いてゲームっぽい何かが作れそうな予感がしたところで飽きた。導入としては良かったが、すごい偽物感があった。

次に目に入ったのはDelphiだった。当時、無料で入手でき、やりたいことがそれなりに出来そうで、かつ理解できそうな開発環境がそれしか無かったからだ。AphexTwinAutechreにあこがれてDSPをやりたかったので、(1)とりあえず何か音を出そうといじくり回していた。

何日か触っていて、ようやくDelphiGUI上で設置した「Button1」と関係がありそうな場所に、Webで見つけたコードコピペすると、それが実行されることがわかった。実行された結果、エラー文字列IDEに表示されるか、運が良ければ音が出る。文字通りただのノイズスピーカーから出ただけだが、とても嬉しかった。

さら試行錯誤を続けているうちに、MSDNからコピペして"="を":="に書き換え頑張っていると、MSDNのサンプルコードのうちのいくつかは実行出来て何らかの音が出ることがわかった。楽しかったが、偽物の開発環境を使わされている感じもしていた。

またしばらくして、Delphiと同じ開発元からC++Builderというものが売られていることを知った。世の中ではpascalよりC++のほうが使われているらしいことは知っていた。なおかつ、(censored)したけどよくわからなかったVisualC++5.0よりDelphiに似ていて、ずっと使いやすそうだった。買った。8000円くらいだったと思う(2)。

C++はまったく意味がわからなかった。仕方ないので図書館に行って関係がありそうな本を片っ端から借りてきた。まったくの勘違いから本屋で見つけた3000円くらいするDSPボードの解説書を買ってきて、自分が欲しいものとまるで違うとわかって枕を濡らしたりもした。

この頃借りた本の中に、「エキスパートCプログラミング」という本があった。ジョーク過多な原文を無理やり翻訳したような、典型的翻訳技術書で、読んでいる間は楽しかった。内容は大雑把に言うと「これこれのコンパイラ場合メモリアドレスがこうやって使われるのでスタックが云々ヒープが云々。あとCの仕様書書いた奴はタヒねアーグヴィーーアーグシーー」というもので、同じ頃図書館で借りたニューロマンサーのほうが100倍わかり易いと思った。

それでもなんとかポインタ操作くらいは出来るようになり、最終的にはBC++上で、wavファイルを読み込んでメモリに展開するプログラムと、コピペしたFFTコードを元にソノグラムが表示できるプログラムが出来たと覚えている。今、それらのコードは手元には残っていない。

この後、3年ほどプログラミングには触れなかった。生活に忙しかったのと、人として腐っていたのと、あとは単に飽きたのだろう。

腰を痛めてコンビニバイトが辛くなり、なんとかデスクワークがしたいと思ってテクニカルサポート派遣業務を始め、紆余曲折、今はWebアプリエンジニアをしている。普段はおもにPerlJavaScriptを書いている。

ちょっとした処理をループ書くか再帰で書くか、といった時に、C++を触ってた時の経験がふっと役に立つことがある。

[1]この時にはまったく無意識だったが、新しい環境に飛び込むとき大事ポイントは、凄く低レベル目標を決めてとりあえず進んで見ることだと思う。

[2]たしかこの時一緒に、60GBのハードディスクを30,000円くらいで買ったと思う。

2012-11-24

退屈だったというよりも、成り行きで出ていったよ

RSS 経由で竹内マリコという人の書いた『ここは退屈迎えに来て』という本について知った。現状では紙の本でしか出版されていないようで、まだ読んではいない (彼女の本を読んだことも (多分) まだない)。

既に本を手にとって読んだ人の感想などを読んでいると、地元 (東京などの大都市ではない地方都市などか?) に通うヤンキー同級生とはそりが合わず、かと言ってクラスに溶け込めている訳でもない自分が「東京に行けばどうにかなる」という思いで結局東京に来て、たまに帰省してみるとヤンキークラスの中心にいた人間はオッサン (オバサン) になっていて… という内容らしい。

私はクラスに溶け込めなかった側の人間だった。小学生の頃はどちらかと言えばいじめられていた方だと思うし、気の利いたことを言うクラスメイトを見ながら「私もああいう話し方ができたらなぁ」と思う人間だった。高校は工業高校だったのが私には良かったのだろうと思う。そこではプログラミングのできる人間コンピューターに強い人間というのが一目置かれていて、中学までのヒエラルキーとは少し違っていた (ありきたりな表現かも知れないが、私の居場所が少し大きくなったということなのだろう)。中学までは全然勉強できずに工業高校に行ったのが私には吉と出たように思う。

その後色々あって今では日本国外で暮らしはじめて数年になる。地元にいたときには「退屈」という気持ちはあまりなかったと思う。そもそも「ここは退屈だ」と思えるほど私の世界は広くなかった。実際に運良く外に出ることができて、その実感を得ることができたのだろう。件の本に登場する人物は雑誌などの情報によりその人の世界が広がるということなのだろうと (感想や対談内容からは) 理解できる。一方私は雑誌よりも本やマニュアルを読んでいたりしていた (結構高かった Delphiリファレンス ブックも全然活用できなかったなぁ… DirectX が… とか言ったら年が分かるか ;-)。

私が地元から離れた最大の原因は「成り行き」と「運」だと自分では考えている。外を見る機会が無かったら、何も知らずにあのまま地元に残っていたのかも知れない。Facebook中学生小学生同級生アップロードした写真を見るが、もしかしたらそのとなりに私もいることになっていたのかも知れない (いや、友達はそこまで多くなかったから、それはないかも)。

既に起こったことに対して「もしもあの時」などと考え、延々と議論するのはあまり賢い時間の使い方と思えないが、それでもたまに「もしも地元に残っていたら、今の私とどちらが満ち足りた (つまり足るを知っている) 状態だっただろうか?」と考えることがある。同年代の人と比べると比較経験はした方だと思うのだけれど、それが足るを知ることと関連しているとは必ずしも思えない。しか人間年をとれば知識も蓄積されるので、私のような人間でも後になって外 (現実的には日本国内だと東京一択になってしまうのだろうか) に憧れてしまうのかも知れない。

Carpe diem.

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