RSS 経由で竹内マリコという人の書いた『ここは退屈迎えに来て』という本について知った。現状では紙の本でしか出版されていないようで、まだ読んではいない (彼女の本を読んだことも (多分) まだない)。
既に本を手にとって読んだ人の感想などを読んでいると、地元 (東京などの大都市ではない地方都市などか?) に通うヤンキーの同級生とはそりが合わず、かと言ってクラスに溶け込めている訳でもない自分が「東京に行けばどうにかなる」という思いで結局東京に来て、たまに帰省してみるとヤンキーやクラスの中心にいた人間はオッサン (オバサン) になっていて… という内容らしい。
私はクラスに溶け込めなかった側の人間だった。小学生の頃はどちらかと言えばいじめられていた方だと思うし、気の利いたことを言うクラスメイトを見ながら「私もああいう話し方ができたらなぁ」と思う人間だった。高校は工業高校だったのが私には良かったのだろうと思う。そこではプログラミングのできる人間やコンピューターに強い人間というのが一目置かれていて、中学までのヒエラルキーとは少し違っていた (ありきたりな表現かも知れないが、私の居場所が少し大きくなったということなのだろう)。中学までは全然勉強できずに工業高校に行ったのが私には吉と出たように思う。
その後色々あって今では日本国外で暮らしはじめて数年になる。地元にいたときには「退屈」という気持ちはあまりなかったと思う。そもそも「ここは退屈だ」と思えるほど私の世界は広くなかった。実際に運良く外に出ることができて、その実感を得ることができたのだろう。件の本に登場する人物は雑誌などの情報によりその人の世界が広がるということなのだろうと (感想や対談内容からは) 理解できる。一方私は雑誌よりも本やマニュアルを読んでいたりしていた (結構高かった Delphi のリファレンス ブックも全然活用できなかったなぁ… DirectX が… とか言ったら年が分かるか ;-)。
私が地元から離れた最大の原因は「成り行き」と「運」だと自分では考えている。外を見る機会が無かったら、何も知らずにあのまま地元に残っていたのかも知れない。Facebook で中学生や小学生の同級生がアップロードした写真を見るが、もしかしたらそのとなりに私もいることになっていたのかも知れない (いや、友達はそこまで多くなかったから、それはないかも)。
既に起こったことに対して「もしもあの時」などと考え、延々と議論するのはあまり賢い時間の使い方と思えないが、それでもたまに「もしも地元に残っていたら、今の私とどちらが満ち足りた (つまり足るを知っている) 状態だっただろうか?」と考えることがある。同年代の人と比べると比較的経験はした方だと思うのだけれど、それが足るを知ることと関連しているとは必ずしも思えない。しかし人間年をとれば知識も蓄積されるので、私のような人間でも後になって外 (現実的には日本国内だと東京一択になってしまうのだろうか) に憧れてしまうのかも知れない。
Carpe diem.
東京にいても足るを知るには程遠いな。 先行きの暗さから、アメリカあたりに職を探したいのだが、今現在の自分の状況は相対的には安定した状況なので(大企業のサラリィマンって奴だ...