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2021-07-02

anond:20210702223359

読んでるし、夏への扉ハインラインのなかでいちばん好きだよ。月は無慈悲な夜の女王みたいながっつりSFより、夏への扉くらいさらっと読める方が好きだ。ヴェルヌの地底旅行とかも好き。

SF初心者にもとっつきやすいからよく「おすすめ」されてるんじゃないかな。一個目の理由とか、それが気に食わないから愚作って言ってる感じで、変なのと思う。

夏への扉』以外の作品を薦める試み

 ロバート・アンソン・ハインライン作品で『夏への扉』以外を薦めるならばどの作品か?と問われたとしたら、私ならば『宇宙孤児』を薦めたい。

 この物語は「Good Eating!(良いお食事を!)」という挨拶と共に、中世ヨーロッパのような社会生活描写する場面から幕を開ける。そして、読み進めるうちに、主人公たちが暮らし物語が展開される舞台がどのようなものなのかが次第に明らかになっていく。

 その世界には空が無い。主人公たちが暮らす街の地面の下へ降りると、別の街が有る空間に出る。その街の地面の下に降りると、また別の街が有る。そうやって、下へ下へと降りて行くと、それ以上の先(下)には降りられない最下層に行き着く。

 逆に、街の天井の上に昇ると、別の街が有る空間に出る。そうやって昇って行くと、徐々に重力が弱くなる。しかし、或る階層から先(上)は、それ以上昇ってはならない立入禁止場所とされている。そこには、恐ろしい「ミュータント」という怪物たちが住んでいて、迷い込んだ人間を食べてしまうと伝えられているかである

 主人公は、ひょんなことから立入禁止場所に入り込んで「ミュータント」たちに一時捕らわれの身となり、それを切っ掛けに、他の人間には秘密にしたまま、普通人間と姿や能力が異なるミュータントたちと交流するようになる。中でも「ミュータント」たちのリーダーであるジョウ=ジム主人公は、親友あるいは師弟のように仲良くなる。師がジョウ=ジムである。一つの身体に二つの頭部を持つ双生児男性ジョウ=ジムは、ミュータントではあるが怪物などではなく、ユーモアと優しさと、何よりも知性に満ち溢れた人物である。このジョウ=ジムから教育を受けたことによって、主人公は、自分たちが暮らす世界の真の姿を理解するに至る。

 主人公たちが暮らすのは、車輪のように回転する巨大な宇宙船の内部であった。故郷である地球から遥か遠く離れた他の恒星系に存在する、人類居住可能惑星移住するためには、何光年もの距離を渡らねばならない。しかし、光速の壁を破ることができないので、広大な宇宙を渡るには長い年月を要する。そのために宇宙船は、多数の人間居住することが可能な、巨大な閉鎖環境都市として設計された。車輪のように回転することで、遠心力重力代用としている。移住者の祖となるべく宇宙船に乗り込んだ人々は、宇宙船の中で子を生み育て、やがて彼らが死ぬと、その子たちが新たに彼らの子を生み育て、そうして子へ孫へと何世代も何世代も長い年月を重ねながら、彼ら星々の移住者たちは宇宙船の中で暮らしながら遥かな旅を続けた。

 しかし或る時、宇宙船の動力である原子力機関から放射性物質漏れるという、大きな災厄が発生した。放射能による内部環境汚染は、食糧生産を担う農業区画にまで及んだ。ミュータントたちの誕生食糧不足。人々の絆は引き裂かれ、内乱が発生し、宇宙船内部の文明崩壊した。その結果、都市の内部で暮らす人々は、知識科学技術伝承できなくなった。こうして彼らは、地球という故郷存在も、自分たち宇宙船に乗っているという事実も、宇宙船の外部に広がる世界のことも忘れ、科学の代わりに教会が説く迷信を拠り所として、広大な宇宙彷徨い続ける「孤児」と成り果てたのである物語の冒頭に出てくる「Good Eating」という挨拶は、災厄によって起きた食糧不足時代の名残りである

 ジョウ=ジムによって啓蒙された主人公は、宇宙船の乗組員として、自分たち本来の使命を果たそうと提案する。すなわち、地球のように人類居住可能惑星を見つけてその星に降り立ち、狭い宇宙船を離れて、新たな世界を切り拓こうと言うのである。それは、自分たちが巨大な宇宙船の内部で暮らしているという事実理解しているジョウ=ジムですら、出来っこ無いと諦めていたことであった。しかし、その使命を果たす為には、何も知らない人々に、この世界真実理解させる必要が有った。

 主人公は、自分が知った事実を人々に知らせようと試みるが……。

 ちなみに本作品を私が初めて読んだのは、あかね書房から出版され、多くの小学校図書室などに置かれていた少年少女世界SF文学全集の一冊として収録されていた『さまよう都市宇宙船』のバージョンであった。タイトルネタバレがヒドイが気にしない、気にしない。

 ハインライン作品を離れ、他に古典SF作品初心者に薦めるならば、私としては

(1)アイザック・アシモフ鋼鉄都市

(2)ジョン・ウィンダムトリフィド時代

(3)ロバート・シェクリイ『不死販売株式会社

辺りを薦めたいのだが、如何だろうか?

anond:20210702165607

SFアイデアの新奇性、センス・オブ・ワンダー重要なのであって、

そこが重要SF作品は、SF作品の0.27%くらいだと思うよ。

anond:20210702165607


増田意見について特にコメントはしないが、1点明らかな間違いだけ訂正させて頂きたい。

夏への扉は確かに月は無慈悲な夜の女王」や「スターシップトゥルーパーズ」のような作品と比べれば地味であるが、それでも英語圏で十分に評価されておる。

有名なSF雑誌ローカス賞主催してる「ローカス」のオールタイムベスト投票では1975年、87年、98年のいずれも50位以内にランクインしている。


直近の98年投票では43位で、名だたるSF名作の中に堂々鎮座しているのだ。

https://www.worldswithoutend.com/lists_locus_bestsf.asp

anond:20210702165607

センス・オブ・ワンダー】という表現について:増田の使っている、新奇性とは少し違う

 

アイデア以外にも、表現イメージによる「異化作用で生じる感覚」というのが、SF書評での使い方のようだhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC

 

また、時代SFに追いついたあとではトキメキが薄れる、未来予測SFもある(クラークがそんな感じ?)が

到来しなかった別の未来・別の世界を訪れることも、SF醍醐味

増田にとってのSFは、アイデアの新鮮さが重要なのだろうが、コナン・ドイル江戸川乱歩を古い!の一言で片付けるわけにもいくまい

 

探査が進んだ月や海底には、魅了される異世界は残ってないのかもしれないが

酸性雨が降りしきるサンフランシスコや、TV色した空が広がるチバ・シティには、発表後数十年経った今の読者をも魅了する、新鮮なワンダーだか何だかが待っている、はず

 

駄文を書き連ねて失礼しました、つまり、とりあえず黒丸尚にあやまれ

anond:20210702165607

SFアイデアの新奇性、センス・オブ・ワンダー重要なのであって、今さらヴェルヌやウェルズを読んだところで、価値はない(ギブスンやディックも同様)。

そういう手合いは学術論文を読んでくれ

arXivでもgoogle scholarでもよりどりみどり

英語が読めないとか数式がわからんとか泣き言言ってるヘタレに「アイデアの新奇性、センス・オブ・ワンダー」なぞいう資格はない

誰かが作ってくれたもの大人しく消費すべし

anond:20210702165607

ロリコンと書かない増田良識がある・・・・いや本文は書いてあった

ワイが初めて読んだ古典SFはこれだったな。推されてる図書から

 

そんなワイが好きなのはフィリップ・K・ディック

いま中国SFがすごい

『三体』や『紙の動物園』などなどSF小説中国発の小説存在感を示しているな~と思っていたのだが。

よくよく考えてみると特に人気なものはだいたいケンリュウが関わっているじゃないか

しかケンリュウって中国出身だけどほとんどアメリカ暮らしてるアメリカ人じゃん。(大阪なおみみたいなもんだな)

なので正確には「ケンリュウがすごい!」。

大阪なおみがすごいのは確かだが、だからといって「日本テニスがすごい!」とはならんやろ。

しかし『折りたたみ北京』で他の中国作家面白い小説書くことはわかっているし、実際きっと中国SF小説が盛り上がりを見せているのは確かなのだろうな。

その中で特にすごいのがケンリュウってことで。

anond:20210702141320

自分たちけが閉じ込められて、そのことに強い不満があって、

ついにストレスが爆発して、収容施設から脱出成功したら・・・

外界はとんでもないことになっていた。

自分たちは不当に閉じ込められていたのではなく、

人類未来のために保護されていた。

でも、脱出しちゃったから、全てが無駄になった。系SF鉄板だね

2021-07-01

anond:20210701170323

これSF基本的手法ひとつだよね。大嘘というか、「現実とは異なる反実仮想的な設定」かな。

そのひとつの反実仮想を導入することで、演繹的にはどれだけ現実世界と違う別世界が描かれるのか、みたいな。

思考実験的なチャレンジ感があって俺も好き。

2021-06-30

気がする

自己紹介欄に「日経͏xwoman」と書かれているツイッターアカウントは、どうも意識高い系フェミニズムが融合した人が多い気がする。

それでもって、

「私は意識が高いので脱コルセットで化粧しません」

「なんの私こそ意識が高いので子供産みません」

「いやいや私の方が意識が高いので事実婚です」

みたいな「私は意識が高いけどあんたはどうよ?」

というマウンティングエコーチェンバー垣間見える。

群れのアルファ意識高い系発言をすると、空気を読んで負けじと追随して、特に思ってもいない事を言う。

それが積層して思想がどんどん過激化していく。

その内輪に居ると「みんな実はこんな本心を胸に潜めていたんだ!」と開明した気分に成ってしまう。

実際には出世意欲なんか無かったり、専業主婦に成りたかったり、夫婦同姓で構わなかったりしても、群れから仲間外れにされない様に本音はひた隠す。

 

オタクSFオタクだった数十年前、変態である程、ロリコンである程偉い・凄いみたいな風潮が有って、

「俺はロリコンからボインちゃん興味無し」

「なんの俺こそロリコンからブルマっ子が好き」

「いやいや俺の方がロリコンから対象年齢は保育園児だ」

みたいな冗談半分の愚にも付かないマウンティングが起きていたけど、それと同じ事がSNSで繰り返されている。

2021-06-29

Vivy -Fluorite Eye's Song-

〇 100年の歴史を辿る旅という壮大なスケール感がよかった

ヴィヴィのキャラクターアクションシーンがかっこよかった

12話、絶望の中で100年間で得た"答え"を掴み、二度目の時間移動に繋がっていく演出が熱かった

世界を救うために歌いながら壊れていく歌姫ロボットとかベタだけどまあ最高だよね

AI全部ぶっ壊して終わりってのがスッキリしない

× 歴史修正とかは結局何一つ関係なかったね

× SFとして期待しちゃダメだね

観測可能範囲惑星生命体がいるのが分かってるけど

まだ、接触は出来てないって状態を描いたSFってないよな

ありそうだけどない

絶対面白くなるだろうに何で誰も作らんのかね

Googleおやすみを言うと眠りやす音源をかけてくれる

年中一律季節感ゼロの虫の音である

ディストピアSF感溢れてて嫌いではないオーケーグーグル再生ストッ

2021-06-28

anond:20210628222300

今はSF駆動開発と言われる

スタートアップ手法が注目されていてな…

あんニュース見ない人かな。

少子化の話をしてるときに急にSFに逃げるリベラル

人工子宮が~

メイドロボットが~

AI技術が~

ただ現実逃避してるだけだよね?

きみらのイデオロギーに都合のいい技術は生まれたりしないんだよ。

現実をみよう。

2021-06-25

山岸真さん、政権批判RT貼るの大好きなのに最終回が不評のゴジラ S.P批判RTは貼らない

映画秘宝の件もダンマリだったし都合が悪いことはスルーするのがSF翻訳家ってやつなのか

2021-06-23

anond:20210623141721

BLAME!というマニア向けSFアニメ映画(反論のある方は受け付けますのでこちらに並んでください)が映画上映とNetflix配信を同時に行ってた

面白い試みとして評価されたが、儲かってはいなかったようだ

ネトフリがケツ持ちしなきゃどうにもならんよな

2021-06-22

なぜVivyは評価割れたのか?

追記みたいなもんです。ほぼ自己満です。

感情移入はなぜ阻害されたのか

この作品の作者は基本的にはタイムリープと人の人生を変える、救うという組み立てを使いたがります。この起源を求めると際限がなくなりますが、とりあえずのところ『シュタインズ・ゲート』に求めることができると思います。多くのタイムリープものが変えることによって世界悪化させるのではなく、変えることによって人々を救うという物語になりがちです。そして、この究極的な選択がすべての人間を救う、という選択肢でした。この前例として宮崎駿の『風の谷のナウシカ』などが思い浮かびますが、宮崎駿自身が悩んで重苦しくなったテーマをそうそう扱えるはずもありません。聖女が一人で世界を背負う、その行く末に待ち受けるのは、聖女自己犠牲にほかならないからです。実際作品はVivyの犠牲によって世界が救われています。ちなみに宮崎駿はこの悲劇的な終末を原作映画ともに避けていますナウシカは戦う女であると同時に、正常な自尊感情他者尊重感情が成長によって獲得された人物であるという立場からだとは思います)。

世界のすべてを救うというテーマの割に、Vivy自身が「心を込めて歌う」ことに最後まで躊躇があった、あるいは無理解があったという点で感情移入ファクター一つが阻害されました。彼女あくまでも人間に近いなにかであったという点で突き放されてしまったのです。第二に、視聴者に伝えるべき人物ダイジェスト扱いだった点が挙げられます。早々と空港で爆死してしまモモカ、長い人生の経過を博物館とのやり取りで済ませてしまうVivyとマツモト博士(以下、オサム)。特にオサムに至ってはうディーヴァとして保管されていたVivyに恋愛感情を懐き、やがて悩みの時期に入ると母代わりになり、そして自身も伴侶を得ると良き人生相談相手となる非常に重要役割を持った人物でした。しかし肝心のオサム登場回は二~三話程度です。実際のところ作者がどう泣いてほしかったのかといえば、このもっともVivyを愛している人物事実上自死強要し、またオサムのなすべき全AIの停止を命じなければならなかったところです。二者択一の苦しみの中にオサムはあったということですね。しかしこれはあまり上手に伝わっていません。個人的別所24構成にすれば解決しただろうと書きましたが、おそらく根本的にそういう問題ではありません。

AIによるAIのための物語

この話はいくつかの構造を所持しています

  1. AIと人との物語
  2. AIAI物語
  3. AI世界物語

この内メインとなっているのはエステラやオフィーリアといったAIAIのあり方に関するものです。これはいわゆるSF的な考察ではなく、人物相関として見るべきものです。AIAIが関わるシーンが多いにも関わらず、Vivyはその他の人間も救おうとしています。こうなるとどうなるかといえば、人間同類AI感情殆どが持ってゆかれ、かつ最重要人物のオサムのエピソードが不十分になるばかりか、トァクの背後も語りきれなくなる、ということです。しかし作者的にはAIインフラ以上になってしまった世界を描きたかった節も感じられます。でなければAIAI関係性をメインにもってきません。そればかりかAIを狂わせ、利用しておかし世界にしているのは人間であるという業も人間側に押し付けています。これはつまりAIという善悪を取り払った像から人間という醜くも美しい存在を浮彫にしたかった、という心象が背景にあると見てよいと思います

どうすべきだったか

この場合AIAI物語である、という構造を減らして、人間AIの関わりを増やすべきでした。なぜならVivyは最後最後まで歌うことに対して逡巡していましたし、人間AI関係のみならAI敵対する人間、支持する人間、利用しようとする人間という様々な角度がより深く追求できたはずです。さらには人間との関係性や対話が濃密であればあるほど視聴者はVivyの成長も理解できるようになります

なぜVivyはフリーズしたのか

Vivyは物語の中である絶望感に襲われて、具体的には冴木教授の自殺によって一度フリーズします。この現象は上述の項目にかかっています。すなわちVivyはAI対人という構造で人を救いたかったわけではなく、全人類及びAIすら本心では救いたかった、というものです(他所ではモモカの死が重なったされていますが、話の根幹から切り取ると作品意図としてこうなる、という話です)。Vivyは常々手の届く範囲は全て救おうとする存在でした。したがってVivyは無機質な感情を持つアーカイブのみが理解できない存在であり、その他のシンギュラリティを達成しているAIに関しては人間と同様の扱いに終止していました。これは作者の意図によるところです。作者は最初からVivyを聖女に仕立て上げたかったわけで、大きな風呂敷の中で終盤を終わらせるつもりだったはずです。その中身こそが「全てを救いたい」というリゼロでは成立しにくかったテーマです。もっとも結果として人間選択してAIを切り捨てていますが、この辺への苦言は終盤にてナビがフォローしています

どう調整すべきか

前述の人間AIという構図を増やし、全てを救うのではなく苦渋の決断AIを停止させるという感情面の描写がより鮮明に描かれるべきでした。これは本来オフィーリアとアントニオ事件ときに行われるべきでしたが、彼らの背後には柿谷が関わっていたため、純粋AI悲劇を描きにくかったように思えます。結局AIAIという構図を減らしてワンクールで収めるべきでした。

実はメッセージ的にはやれることはやっています。例えば先程の人間の業故にAIは悪にもあるし善にもなる。それを処断すべき存在アーカイブであったという話、オサムが二者択一及び悲劇的な立場にあったという話。AI反対派の柿谷がやがて孫の代になってVivyと協力するという大河ドラマも盛り込んでいます聖女であるVivyがその使命を最後までブレずにまっとうするという面も全てです。むしろ盛り込み過ぎと言うべきでしょう。しかし逆に言います12~13話は約5時間ですので、映画一本分と思えばやれないこともないはずです。ではどうすればよいかといえば、感情表現をすべてセリフで済まそうとするのではなく、シーンで伝えきる技術をより先鋭化すべきかと考えます。僅かな感情のやり取りだけ、沈黙だけで意図理解できるようにすべき、ということです。もっともこれは監督仕事ですが。

付け加えるなら

Vivyがあまりにも完全無欠の善人として描かれすぎているように思います。この時代AIは少なくともシスターズに至っては人間レベルですから人間のように不義に逆上する場面があり、その過ちを反省する未熟さもあってしかるべきです。こうした人間的深みの一部がVivyから欠落しているがゆえに感情移入の一つを失ったことは、すでに前出で言及しています

もうひとりの脚本家、梅原英司

ゼロローリングガールズだけ知ってますが、たしかに関わったものを見るとサスペンス系が多いように思えます。かみ合わせ的にどうだったんでしょうか。脚本本数が少ないのでこれからなんでしょう。

おまけ:なぜ『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』は評価割れたのか。

SFサスペンスとしてSF屁理屈言い訳物語を紐解く推理として捉えられる層と、物語全体の展開を見る層、キャラ萌えする層、旧来のファン層に分かれちゃったからです。わたしは上から二番目です。

いいんですよ。怪獣四次元から投射されてるとか特異点自体計算機になる理屈があっても。でもそれメインだと映像では厳しい。そこがすべての人は超楽しかっという。でも楽しんだ観点も間違ってないと思ってます。楽しかった感情までどうこうできる権利もないので。

SFというかなんちゃって科学漫画必要なのって

グロスラム!なんかすごい大企業

なような気がする

スチームパンクかもしれない

anond:20210622000742

返答ありがとう

から、よくある女性共感してもらいたくて話をしたら男性解決策を提案したり、お前にも非があったんじゃないか説教するやつのパターンに見えた。

なるほどね。これは確かにそうだ。共感を求めるメッセージに対して、先走って問題解決を図ろうとしてはいけないな。反省するわ。

風俗産業パートナーを得るのが難しい男性や、出張などで遊びたい独身男性の利用が多い。芸能人などが恋愛トラブルスキャンダルを避けるために利用するケースもある。いずれにしても既婚男性セックスレス理由に堂々と遊べる風潮には男性の間でもなっていない。

奥さん負担をかけないようにこっそり風俗で解消するなんて良い夫だね、と思う人はいないんだ。

ここから議論するというより、増田に一緒に考えてもらいたいというか、自分が考えることに増田につきあってほしいという感覚で書くんだけど。セックスレス理由に堂々と性欲を解消したい、風俗で解消しても良い夫だと思ってもらいたい、というのは、性欲自体認知・取り扱いとは違うことのような気がするんだよ。

増田元増田の話に出てくる、社会がどう変わっていってほしいかという話を自分なりにいくつかに分けて考えてみるね。

まず①性欲は健康健全ものだという社会認知がすすむこと、これは充分に可能性があると思うし、老人の性や女性セルフプレジャーが認められている話とも、性の権利宣言の話ともつながる。あとホモソーシャル領域では男性の性欲はずっとそんな風に扱われてきたような気もする。

次に、②既婚中年男性であろうとそうでなかろうと、性欲については公にオープンに語っても構わないことだ、という社会認知がすすむこと。これについてはまず、自分未成年という要素が絡むときには、今後も一定配慮や線引きが必要になるんじゃないかと思うんだよね。未成年全般に対しても、自分自身の子どもに対しても、性をめぐる情報の発信には適切・慎重な取り扱いが必要で、子どもがそれによって親との関係を損ねたり、心的トラウマを持ったりしないよう細心の注意を払わなければいけないと思う。増田の望むような未来で、子どもに対しても自分の性欲についてオープンに語れるイメージは湧いているんだろうか。俺も既婚中年男性子どもがいてセックスレスで性欲はあって、だから自慰を行っている、という、元増田と同じステータスなんだけど、やっぱ子ども自分の性欲について話すのはきついわ。これについては、社会通念の変化でどうにかなるような可変的な価値観だという実感が全然わかない。

あと、性のプライベートで私秘的な領域こそが人を惹き付ける部分とか、「語れない」ということこそが性の快楽の源泉になっている部分は確実にあると思うんだよ。藤子F不二雄の『気楽に殺ろうよ』ってSF短編では、セックスオープンに誰とでもやってよく、かわりに食事が恥ずかしく淫靡行為になった世界が描かれてるけど、やっぱ「他者の肉体との直接のコンタクト」という動物として極めてリスクの高い行為コロナ禍でこのリスクをいっそう実感した)の実践や語りが、食事のようにカジュアルに気楽にできる未来というのはなかなかイメージしにくいんだ。

最後に、③性欲は婚姻という関係の外部で他の人間との性行為で解消されてもよい、という社会認知がすすむこと。これは、最初からそういう前提で結婚しているパートナー同士が充分に増えない限り、広く一般に受け入れられるようになるのはなかなか難しいんじゃないかと思うし、一般的にそういう通念が通用するようになったとしても、今の配偶者との関係までがいきなり変わるわけじゃないんだよな。日本では婚外性交渉犯罪ではないけれど、結婚している人間同士が双方同意したうえでのことでない限り「婚姻共同生活の維持という権利又は法的保護に値する利益侵害」という不法行為構成するわけで、やっぱり「結婚」と「相手と性行為を行う権利排他的独占」は、社会的にはセットの権利義務関係として考えられていると思う。

元増田はまっとうな人だからセックス希望していない妻側の意思尊重してセックスレス関係になっているわけだけど、やっぱり理屈としては妻と話し合って婚外での性交渉容認してもらうというのが唯一正しいアプローチのような気がすんだよ。社会の変化や技術進歩では、どうやってもこの問題(ほかでもないご自分奥さんが、いま「結婚とセットだ」と考えている権利義務関係を、こちらの要望で解除すること)は解消できない、っちゅーか。

もし既婚でなければ、結婚する時に相手と「セックスレスになったとき対応」についてお互いに取り決めておくことはできるから結婚契約書みたいなやつ)、セックスレスがいずれかの段階で来る問題だという認識のもとで、事前にそういう取り決め・擦り合わせをすることが世間的に当たり前になったらいいのかもなとは思った。

地雷のにほひ

夏への扉って

もうね

軽いSF好きの間で人気だけにたぶん変にハードル高すぎて

もう走り出した瞬間に1個目のハードルに引っかかって盛大にすっ転ぶのが

スタートから想像できちゃうので逆にワクワクする。

いや、まぁ見ないんだけど。

たぶん休みの日にボケーっとつけた王様のブランチ

ゴリラみたいな人に粗筋を解説いただいて

それだけでもゲップ出るぐらいやろなぁ。

こういう映画って誰をターゲットにしてるんだろう。

やっぱヌーディスト

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