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2023-07-13

anond:20230713121823

オキシクリーンにつけろ

別に↑じゃなくてもいいから無香料の酸素漂白剤で臭いの元を消せ

香りで上書きしようとするな

混ざって余計臭くなるわ

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-10

anond:20230710072533

まー素人でも家畜ウンチとかゲップが酸素とか水に悪影響なのはわかるはな

2023-07-06

anond:20230703174747

これはすごいわかる。

ビールサウナもやらないけどジム通いの痛風持ち。

ジムサウナ入る人は多いんだけど、風呂だけ入りに来る爺さん以外だと筋トレやるマッチョタイプに多い。ランニング自転車で有酸素やる人はそっちで汗をかけるけど、筋トレ好きマッチョは有酸素嫌いが多いからだと予想してる。体が重い人にとってランニングエアロビクスはヘビーだし、速筋鍛えてマッチョ目指す人にとって遅筋に効く有酸素逆効果だったりするからだ。

酸素は喉が渇くので水を飲む。だけど筋トレはそうじゃないので、トレーニング中はほとんど飲まずにロッカールームプロテイン飲むとかそんな人が結構いる。

痛風の原因となる尿酸窒素を含んでいるたんぱく質を壊すとできる物質なので毎日筋トレやるマッチョタイプは当然尿酸値が高い。プリン体云々よりも筋肉を壊して作る作業をしてることが大きい。ちゃんと処理できればいいんだけど全然水を飲んでなかったり、腎機能が弱ってたりすると血液の中で尿酸が飽和して結晶ができて痛風になる。

予兆が出たらマッサージとか絶対にやったら駄目だ。血液を回して結晶を作らせないようについついやりたくなるんだけど、ちょっと痛みが出たくらいのタイミングマッサージすると即刻進むぞ。痛風の痛みは足の使いすぎの痛みと似てるので足の使いすぎと勘違いしてマッサージしてもらって発作きたことが2回ある。レントゲン血液とらないととらないと医者外科内科の切り分けができないので、変な痛みがあったらマッサージとかしないですぐに外科に行くことをお勧めする。

2023-07-02

anond:20230702173128

パルスオキシメーターを信頼できるサイトから買いましょう。

コロナで一番怖いのは、軽症なのに内部で肺炎が進行していて、本人の自覚がないまま、酸素飽和度が下がってしまパターン

これを予防するためには、定期的にパルスオキシメーター酸素飽和度をはかってやる必要がある。

常に90を超えてたら問題無い。80台に入ったら、救急車呼んで。70台になったら、死を覚悟して。

会社に行くかどうか?は、咳の有無で判断するのがお勧め

からさまに病気とわかる状態では、出社してもみんな渋い顔をしてしまうので。

anond:20230702111644

マグロには、セックスの時に受け身で何もしない人って意味があるが。

そんなイメージとは裏腹に、海を泳ぐ魚のマグロは、いつもいつでも泳ぎ続ける魚だ。

寝るときだろうとマグロは止まらない。

エラを動かす筋肉がないから、酸素を取りいれるためには物理的に水流を流し込むしかない。

まり、泳がなければ死ぬ

Webサービスマグロだぜ。

改善しなければ忘れ去られてしまうのですよ。

2023-06-30

anond:20230630104411

その昔、地球にまだ酸素が無かったころ、

シアノバクテリア二酸化炭素から酸素を作りまくった結果、

当時の生態系が大絶滅したの知ってる?

人類安易な発想で、二酸化炭素を減らすような植物を作ると、

今度は二酸化炭素不足で、生態系が大絶滅する羽目になるに違いないわ。

2023-06-27

爆縮のイメージが湧かないので、一日中モヤモヤしてた。

例の爆縮に関して色々なメッセージを見てきたけど、次のようなメッセージ複数あった。

 ・人が瞬時に圧縮されるー>

     肺以外は体液で満たされているからぺしゃんこにはならないと思われる。

 ・一瞬にして6,000℃になり消失ー>

     十分な酸素が無いので、表面が炭化することは有っても燃え尽きることは無いと思われる。

 ・爆縮後の爆散、機材も人間バラバラかー>

     これに関しては、誰も見たことがある人が居るわけではなさそうなので、恐らくバラバラだろうと思われる。


勝手想像だけど、円筒状の部分が瞬時に圧壊し、それと同時に機材や人が一瞬にして高圧に晒される。

その結果、機材(部材)も人も超高温に晒され(超高温に達するまでの時間が30ミリ秒)、

その直後爆散する(爆発的な事柄が発生するメカニズムは未だに理解できていない)。


本当にどうなったのか、現場映像を見てみたいものだ。

もしどこかの潜水艇がその模様を録画したとしたら、超高額で売れるんだろうな。

そういうのこそNHKで買ってくれよ、くだらないドラマとか作ってなくていいからさあ。


間違いや、ツッコミどころが有ったら、トラバとして書いてもらいたい。

2023-06-23

一度限界を超えてデブったら終わり

MAX121kgから3年で筋トレ酸素食事制限で84kgまで落としたけど

長年のデブ暮らしが祟って膝の軟骨がねンだわ。

から酸素は背もたれがあるタイプエアロバイクしかなかった。

ウォーキングするだけで膝がいてーんだよ。

アスファルトの上を歩くのは膝に悪い。

世界天然芝しろ

からダイエットもめちゃくちゃ苦労した。

足トレ系はよっぽど軽い重量でしかできないか

上半身に比べて下半身が貧弱すぎて泣きたくなる。

ベンチは150kgくらい上がるのに、

スクワットは40kgでも体調によってはダメ

デッドリフトも膝の踏ん張りがきかないかダメ

せっかく筋トレの楽しさに目覚めたのに

なんで俺はあん無駄にブクブク太ってたんだよ。

死ぬまでの苦しみなど心配する必要は無かった

潜水艇は圧壊(圧潰)していた。

搭乗員は全員即死だった。

あの潜水艇の潜航能力は水深4,000mと言われていたが、

その4,000m付近で圧壊した事となる。

不思議な事は、これまでは何度か潜航していたという事実が有り、

なぜ今回は圧壊したのかということだ。


タイタニック沈没場所よりも離れたところに先行潜航していったようだが、

そこがより深くなる地形だったのか、

何らかのトラブルにより機器が破損しそれが致命傷となって本体が圧壊したのか、

今のところ謎でしかない。

ただあの規模の潜水艇で圧壊したとなると、

潜水艇じわじわと壊れていくようなことは想像できない。

一瞬で400気圧の海水が噴き出し、搭乗員を切断したか、或いは、

一瞬で潜水艇の内部が400気圧の海水で満たされ、搭乗員を押し潰したか

引き揚げて見なければ解明できないだろう。


良し悪しは分からないが、酸素欠乏症による死亡ではなく、

苦しむ暇もなく死に至った事だけが分かった、悲惨事故だった。

anond:20230622192256

とっくに酸素が切れているはずなのに、まだSOSの音が聞こえてきたら、そういうことだよな…

その場合最後に残りそうなのは船長かな

自殺航海だったら亡くなるのだろうが救われないな

もし植物を持ち込んでいたら少しは酸素が作れるかな

水を電気分解したら水素も発生してしまうが、それを浮力として使えば浮かび上がれるかも

2023-06-22

酸素が90時間くらいは持つって言うけどさ

5人での話だろ?

半分くらい過ぎた段階で何かあって1人に減ってたとしたら200時間くらい持つだろ

5人で96時間分の酸素しかなく救助がいつ来るか分からない場合の適切な初期行動を答えよ[配点:5点]

anond:20230622175956

あの潜水艇は、ある瞬間から、もう浮かび上がれないって分かっちゃったんじゃないかな。

すると、最後酸素が無くなるまで、じっと潜水艇の中で寝てるしかなくなる。

それは肉体的苦痛こそなくても、精神的苦痛は計り知れないように思う。

潜水艇人達は苦しまずに死ぬことができるのだろうか。

酸素欠乏症を調べてみると...

発症メカニズム

ヒトは主に肺胞でガス交換をしている。肺胞の毛細血管から肺胞腔に出てくるガスの酸素濃度は状況によって幅が見られるものの、一般的には約16%程度であり、これが空気中の21%の酸素と濃度勾配に従って交換される。したがって1回でも酸素16%以下の空気を吸うと、肺胞毛細血管中の酸素が逆に肺胞腔へ濃度勾配に従って引っ張り出されてしまう[注釈 1]。更には血中酸素が低下すると延髄の呼吸中枢が呼吸反射を起こして反射的に呼吸が起こり、呼吸をすると更に血中酸素空気中に引っ張られると言う悪循環が起こる。したがって酸素濃度の低い空気は一呼吸するだけでも死に至る事があり大変危険である。また死亡前に救出されても、脳に障害が残る危険性もある。


酸素空気即死に至らなかった場合でも、短時間思考能力の低下に至りやすいため、低酸素であることに気付いてからでは遅い場合や、更には運動機能も低下することもあり自力での脱出は困難である。加えて酸素が欠乏しているかどうかは、臭いや色などでは全く判別できず、また初期症状も眠気や軽い目眩として感じるなど特徴的でもない上に、息苦しいと感じない(息苦しさは血中の二酸化炭素濃度による)ため、酸素の濃度が低いことに全く気づけずに奥まで入ったり、人が倒れているのを見てあわてて救助しようと進入した救助者も昏倒したりする。また低所やタンクなどで出入りにハシゴ使用するような場合は転落する危険があり、それそのものでの怪我は大したものでなくても、より低濃度酸素空気に晒されると共に自力脱出はより困難になる。


これらのこともあり死亡の危険はかなり高く、労働災害などで酸欠による死亡者数が多い要因になっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%B8%E7%B4%A0%E6%AC%A0%E4%B9%8F%E7%97%87

知らぬ間に意識がなくなるのであれば、苦しむことなく逝けるのかなあ...

anond:20230620104704

氷河期を乗り越えて生き残った動物だよ。

2000年代の温帯気候氷河期と呼ぶなんて笑止千万だ。こちとら本当の氷河期を生き残ってきたのだから

から1億年くらい前は、空気中の酸素濃度は30%もあって餌も豊富にあったんだ。その頃はティラノサウルストリケラトプスが地上を跋扈していて、やつら恐竜必要もないのに肉体を巨大に進化させて恐竜同士でマウント取り合ってて本当に見てらんなかった。だから、巨大隕石地球に落下して、空が暗雲に覆われて雨や雪ばかりが降って気温が下がった時は、恐竜たちに対してざまあみろって思ったね。

もちろん、死んだ恐竜への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから、大型の変温動物からね。気温の低下に適応できないリスクがあるのはわかってるんだから、なんで恒温動物進化しなかった? そんな空気だった。もっと鳥類進化したところで生き残る確率はとても低く、強い環境適応性でもないと生き残れない時代でもあった。

氷河期悲惨な目にあったのは小型の爬虫類だ。奴らは小型だからかろうじて氷河期でも生き残ることができたけど、いまだに変温動物をやっているから温帯な気候しか生きられない運命にある。あの時みたいな氷河期がまたやってきたら生き残れないんじゃねえの?

俺は小型のネズミだけど、仲間の中には進化身体を大きくしてサルだのヒトだのと呼ばれる奴らもいる。そいつらは高い文明を持ってるようだけど、あんなにでかい図体していたら氷河期イチコロだろうね。

タイタニックのやつってもう絶望的だよね

音はするけど見つけてないし見つけたとして救出までにかかる時間もあるでしょ

例えば、もうすでに何人か亡くなってて酸素消費量が減って想定より長持ちした

とかでもなければもう終わってると思う

2023-06-21

潜水艇

酸素不足より、二酸化炭素濃度増加が問題だって話を昔聞いたけど、二酸化炭素吸着剤は十分あるのかな。

2023-06-15

anond:20230615153725

そうだったとしても、やっぱり、単独酸素を強調してしまうのが女のサガなんよ。

三歳娘の奇行がつらい

娘のはいているオムツが汚れたので、「おしっこで汚れたオムツ代えるね!このあとオムツはく?布パンツはく?(微妙なトイトレ中)」と話しかけたら

下半身すっぽんぽんの娘が座っている私(母親)のレギンスの上に座ってニコニコ笑いながら股間をすりつけつつ放尿

おしっこが生あたたか

娘は母親からかおうと、いじわるしようとして、こういうことをしているのだが

もう私ドン引き

レギンスおしっこまみれにした娘はニコニコ

今月出産予定の妊婦の私は体が疲れすぎていて、怒りもわいてこない

ただただ、ドン引き

「こんなことしたら汚いよ。お母さん、服がおしっこで汚れたらすごく困るよ」と諭すように言ったけど娘の心に響いてないのは明らか

ニコニコしている

レギンスは脱いで酸素漂白剤を混ぜたお湯につけおきした。

そのあと、娘は私に抱きついて「ママ、大好き。ママはやさしい。ママわたしに○○も◎◎もしてくれる。ママ、大好き」と言った。

うん、ありがとうママ、未だに娘への叱りかたよくわかってないし、甘やかしまくりだし、娘からしたらとても優しい母親だよね

最近、疲れすぎて怒りも沸かないし

そんなママももうすぐ出産のために病院入院ちゃうから、しばらく会えなくなるよ

なにが言いたいのかわからなくなったけど、とにかく娘の叱り方がわからないし(怒りと叱りは違うから大声で怒鳴るのは教育じゃないよなと思ってる。じゃあ、どうすればいいの?って思う)、疲れすぎて怒りもわいてこないし、「母親」ってなんなんだろって思う

育児ってなんだろな?って思いながらもうすぐ二児の母になる

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