はてなキーワード: 選択の自由とは
話題になっていることを知り読んだ。
まず話を始める前に女性だけの街の最大の問題点は労働が男性基準であることへ対し、深い理解と高い見識を示してくれた方々へ最大級の感謝と敬意を表したいと思います。
私はこの上記の増田を書いた者です。
今思えば短絡的にインパクトを重視して荒い言葉で問題提起してしまったことに反省の念を覚えますが、言葉遣いではなくエントリの本質を捉え重視しリアクションをしてくれた方々の深い理解と高い見識は先人の苦労の成果であり、後の世代による日本社会の進歩へ期待感を滲ませるものであり、皆様のような方々が進歩的社会を作るのだと評価できるのではないでしょうか。
さて本題です。
大阪市大正区の中村工業㈱の安全衛生違反が話題となっています1つの問いかけをしましょう。
皆さんのリアクションは大まかに私とそこまで変わらないのではないでしょうか?
私は中村工業㈱の現場へ対して「男女性差以前の安全衛生上の問題であり老若男女問わず不安全な現場で働きたいと思う者は少ないだろう」とリアクションします。
ここで考えなければならないのは「なぜ中村工業㈱はこんな感じの現場になってしまったのか?」です。そしてその答えは皆さんご存知でしょう。
「中村工業㈱には従業員の心身の屈強さがより良い仕事へ通ずるという文化があるから」だと思われます。
その文化のほどはアップロードされていた写真などから十分に察することが出来ますね。
しかし「心身の屈強さがより良い仕事へ通ずる」というのはほとんどの場合は誤りです。
「心身の健康さがより良い仕事へ通ずる」のは間違いありませんが、屈強さは世に存在する大半の仕事ではあまり関係ないのです。屈強さが真に必要なのは保安などほんのひと握りです。
中村工業㈱の業態でより良い仕事とはより良い技術の実現であり、優秀な技術者を育てるか、より優秀な技術者をリクルートすることが中村工業㈱にとってより良い仕事へ通じるはずなのです。
中村工業㈱は技術者をリクルートする場合より多くの人が対象となれるよう「屈強じゃなくとも働ける仕事作り」をするべきなのです。
これは前回の労働の男性基準エントリでも最後に追記しましたが、心身が屈強な女性も存在するので肉体労働を心身が屈強な女性にさせるというのは同様の理由で誤りです。
消費者が求めるのは高い技術による安心安全な工業製品・建造物であって屈強な人材が造ったモノではありません。
そしてなおかつ、心身が屈強な女性の職業の選択の自由を奪いかねない主張は多くの人々が受け入れがたいものでしょう。
あなたが心身が屈強な女性の職業を決めてはならないのです。
より広い範囲の人材へリーチするため性別によらない、心身の屈強さによらず高い技術を実現できる道具が必要であり、中村工業㈱のように男性の屈強さの力押しによって業績をあげる経営はこれらかの時代は少子高齢化もあり屈強な人材の確保が目に見えて困難になることが見えているため持続可能な経営とは言えません。
そして中村工業㈱のような経営がベストプラクティスだと誤認されているからこそ心身の屈強さによらず高い技術を実現できる道具が生まれず、女だけの街の建造を阻害しているのです。
重く太っとい金属ワイヤーを老若男女が安全に高い精度で切断できる世の中であれば女だけの街建造は決して夢物語ではありません。
ついでとばかりに私の心の中の想いを吐き出させてください。
私は決してフェミニストではない!
私は真に男女問題を解決する案が無ければ、男女共同参画社会実現のための様々な方法論が正しいのか将来的にどう影響するのかわからない!
私は少子高齢化を解決する方法がわからなければ育児問題の解法を主張することもできない!
どうやればすべての女性の辛さを軽減できるのかわからないし、どうしたらすべての男性の苦しみを軽減できるのかわからないんだ!
でも、それでも私はすべての人々が今よりもほんの少しだけ楽になることを今でも諦めきれない。
その方法をずっと考えていて数年前にやっと思い付いたのが「労働の男性基準の是正」なんだ。
私はたかがこんなことを思い付くまでに十数年掛かるほど愚かで無見識で非才。
私は決してフェミニストではない。私は単に私の夢見た世界を諦めきれないだけのワガママな未熟な大人です。
何かしらのネガティブ要素とは。
https://twitter.com/newjk225/status/1522515024085876736
人間の性的自己決定権や性的自由権は人権の中心的要素だから、その人自身が積極的に望まない限り、性が外部要素によって差し出すことを求められる構造や性的決定権の軽視は暴力である当たり前の事実がわからない
AVとエロ漫画とホモソでは女性を凌辱してばかりだから女性は性的に扱われて喜ぶと勘違いしてるよね
積極的ってのは、性産業しなくても豊かに生きていける社会の中で安全を担保されて、性産業をしなくてもいい人が、気軽に断ったりやめたりできる精神的な安全性のある状況で、事前知識や教育を与えられて、あえて性産業に対して自分で信念を持って選ぶような状況のことで
生活保護の代わりに性を差し出さざるを得ないのは積極的選択の自由ではない
AVで頭壊れたクソゴミオスたちが、女性は男性に性を差し出すべきという搾取思考に甘すぎてお金で買うとか踏み躙ることの罪がこの国だとめちゃくちゃ軽いだけ
性だけでないよ
ゴミ掃除とか望まない汚い仕事を無理やりさせるのは奴隷に対する対応なのは理解できるでしょ
望まない相手と無理やりセックスさせられるのも人間の尊厳を踏み躙ってるのはわかるでしょ
他人に自分の職業選択の自由や性的決定権の自由を奪われる実態の放置は人権の守られた社会とは絶対言えないけどな
人に性を売らせることが積極的自己決定に基づかないなら奴隷に対する扱いと同じ。
去年は大変でした。今年も大変になっていますが、マスコミが客寄せに使う分かりやすい「ショック」とは言えない、構造転換といえる変化が起きています。
昨年は、施主が得られるはずだった、住宅ローン減税での還付分を木材を筆頭に値上(2.5倍程度)したコストで吹き飛ばされた方を複数見てきました。
相場を舐めていた建設会社と設計事務所が、適切な積算ができない、材料の調達が間に合わない。その失敗を費用増や工期延長という結果から、施主から時間と資金を奪っていく様を見てきました。
施主はローン上限一杯借りるのに、「住宅価格の中で木材価格は1割内だからそこが上がっても問題ない」みたいな報道が昨年あって、実際にそう話すメーカーがいたのであっけに取られたのを覚えています。
「2つの」とタイトルにあるように、注目を浴びている北洋材(ロシア)より先に、北米にて2021年晩秋に一つの法案が通りました。この法案は150年生以上の立木伐採を規制するものです。日本国内で建てられる住宅、特に注文住宅では、窓枠やドア枠に良質な無垢材を使用します。この部分に使用される無垢材は、米栂、スプルース、米松、米ヒバ、Wオーク等、北米原産材を使用しますが、昨今の居室空間の大型化、サッシの大型化から要求される木材に、150年生以上の天然木(オールドグロス材)を使ってきました。しかし2021年の規制により、現地大手製材会社Mが法案に合わせ生産を停止し、日本の輸入量が昨年対比50~80%減になりました。そして底が抜けた円安。
この法案、SDG'sによる持続可能な森林資源を保護していく理念で制定されました。が、ソロバン勘定をする先進国なので、良質天然木の売却益<CO2排出権の売買益、になったと思います。この状況は、カナダ政府が政策転換しない限り持続していく状況です。
2021年の材料争奪戦は、無尽蔵の購買力がある北米が北米産材だけでなく、欧州材にも手を出し、各国のロックダウンにより輸出入港が制限され、検疫により迅速な荷役が出来ずコンテナ船の渋滞が混乱に拍車をかけました。翌年(2022)の材料調達計画は各社、それぞれの考え方で、西欧の既存仕入先との関係強化をした所、内地材の調達を強化した所、ロシアに多額の投資を行った所がありました。昨年の記事では、末尾で素敵なパートナーと茶化しましたが、契約主義と民主主義の西欧文化圏から外れた、力を信奉する権威主義の国との貿易がいかに難しいか、通商の途絶という最悪の形で現れました。主な貿易樹種は、赤松、カラ松、タモ、ナラ、カバ、既にカラ松を使用した合板(ラーチ合板)が国内需要に対して供給が足りず国内産丸太価格が上昇。仕上材であるタモは夏以降欠品や高騰による仕様変更を迫られると思います。今秋のプレカット市況は昨年と同じ状態になるかもしれません。
64年の木材自由化以降、石炭と同じように良質な海外産材が出材コストの安さと共に日本に普及していきました。より「適材適所」になった材料選択の自由さに、日本の杉と桧は平成不況の中で製造コストも押さえつけられ、信じられないかもしれませんが、直近まで構造用木材価格は60年代の相場より10%程度高い程度の金額で取引されていました。この環境が不自由な貿易環境の中で改善されるかもしれません。カラ松や杉の丸太価格が上がっており、より適切な利益が国内の森林組合や製材会社に回る形になりなりそうです。2021年は無くなった海外産材の需要を何とかカバーしようと増産を行っています。まだ「ショック」と形容される内容でしたので、設備投資に踏み切れる訳もなく、需要家から色々言われながら各設備が残業をしたと考えると、黙々と増産に励んでいた方々には頭が下がります。2010年代、各地域に50億前後の中規模製材工場が建設され、改善された生産設備が上手く稼働できたのがショックで済んだ一翼を担っていますが、自給率30~40%の現状で仮に30%の増産をしたとしても、50%台にしか届かないので、足りない海外材の代替には設備投資が必要な状況です。また、杉は加工性が高く構造材から仕上材に幅広く使える利点があり、昔から建築用材として使われた歴史がありました。杉の学名は「日本の隠された宝」という名前もついていますが、昔の長屋のような間取や平屋建てならともかく、洋化された生活空間による住宅においては、広い空間を保つ梁の強度が足りず、仕上材も柔軟な加工性が仇となり、非常に傷つきやすく正確に内部造作に加工するのが難しい、水に弱い、和風内装の不人気という側面もあります。世界中の木材から、使用用途に応じた強度や耐久性、質感の選択をしている適材適所かつ現代のノックダウン方式住宅製造では、杉単体で立ち向かうには難しく、集成材でのコスト革新が待たれるところです。
人工子宮できたところで、人間より人件費等々安くて使い潰せる存在(機械やクローン、人工子宮産人間など)が存在しない限り労働のために人間が生存し続け潰されることになるんだろうな
インドの農園の労働者の女が使役者が労働させやすくするために子宮を奪われる記事が人工子宮の関連で見た
本当かわからないけどどうせ労働のためだけに同調圧力であろうと自己選択の自由もなく生かされ続けるのかと思うと絶望しかない
ゲイの自己実現のために優れた卵子を提供するだけの女ではなく出産できる女が安く買い叩かれるのとかは反対だけど
どうせ毎月卵子提供したところでホルモンバランスなんかで不安定な女は使えないってなって女いらねとか男尊女卑になりそうだし今でさえ無能な女は早くくびつっとくしかないんだろうな
まあネットの匿名掲示板には「結婚するヤツは馬鹿!」とか「出産するヤツはアホ!」とか言っているヤバい奴等もいるけど、そういうネット底辺の極端なクズを除けば、偉そうな子無しとかほとんど見ないけどな。
むしろ、子有りの方がよっぽど偉そうな人は多く感じる。
それでもなお、子無しに偉そうな人が多いと感じるなら、それは単に増田が口では自由を謳いながらも子無しに対して差別的な感情を持っているからそう感じるだけなんじゃねぇの?
手前の気に入らない人間はウジウジ卑屈に生きていないと"偉そう"。
対等な態度で接してこられるとそれだけでもう我慢ならない。
こういう差別主義者の考えに陥っているだけなのでは?
そりゃあこれだけ少子化が叫ばれる時代だ、人的資源の再生産の問題に言及するのは避けられないだろう。
だけどな、増田が言うように子を産むか産まないかの自由は認められているんだよ。
そして、その自由は現代の人権主義・民主主義的国家では、権利として社会維持への協力よりも上位に置かれているんだ。
「仕方ないから選択の自由を認めてあげますよ」じゃない、出産という命の選択は明確に優先順位が上なんだよ。
ただそれは国家という共同体の中で認められている自由を謳歌している個人に対して「お前らが堂々と往来を歩けているのはおかしい」というべきことではない。
子を持たない個人を見下しないならまず、政治家はが女は「産む機械」、男は「社会を回すための労働者」と言ってもなんら問題ないくらい社会の人権観を後退させてからやってくれ。
日本だと特に東京は色濃いのだと思うけど、個人の選択の自由が認められやすくなってる。それは良いことだなあと思って生きている。
・結婚しない/する
・同性婚/異性婚
・子をもうけない/もうける
なので、これら↑は個人に選択の自由があるべきだと考える派(もっと言えば夫婦別姓、事実婚についても制度ともに容認されるべき)。
そのなかで「子をもうけない/もうける」について、あくまで自身の知人やソーシャルメディア(というかTwitter)で見聞きする範囲での話ではあるけど、子を持たないことについて過剰にというか、その価値観を他者にも認めさせようとしすぎてない?と感じさせる発言が多い。
というか、子を持たない選択ってそんなに威張ることなの?と思わされることがしばしば。
色んな生き方ができるようになったからこそ、結婚しても子を持たずにダブルインカムで人生を謳歌するとか(別にダブルじゃなくてもいいし)、そもそも結婚せずにその時々にいい人とパートナーになって暮らすのもありだと思う。
自分は子どもがほしくて今の世帯構成に至ってるので、理想とする生き方は人それぞれあるなと思う。
けどその背景として、社会(国とか)の単位で子どもが生まれて育つことで、労働力や税収、社会保障制度が将来的に担保されて、それがあるから子を持たない選択がしやすくなってることを理解してないんじゃないか。
産みたくても産めない、というケースもあるので、その複雑な感情を隠すために強く振る舞うのは分からないでもないが、そうじゃない人も総じて子を持たないことに対して偉そうだなと感じることがしばしばあるので、もうちょいみんな視野が広いといいと思う。
共生というと大袈裟だけど、互いを成り立たせないと将来的に今より生きづらい社会になってしまうんじゃないか。価値観に多様性がないのもつらいし、社会としての労働力や財源がないのもつらい。
(ヒトじゃなく)人間は、一人で生きてるようで、究極的には一人では生きられないので。
98シリーズからパソコンワールドに入信。MS-DOSの1024kB環境設定の洗礼を受け,WINDOWS3.0から理不尽な不具合に対してもとてもよく訓練され,自作PC作ったりゲテモノPC導入したり。使いこなすのが大変でめんどうくさいことが「楽しいこと」だとずっと思って生きてきた。そりゃあたまにはAppleにも手を出したけど(カラクラとかQuadraとかPBG3とか),それはあくまで別世界を体験するためのイベント的な意味あいで,生涯自由度の高いWindows派で生きていくもんだと思ってた。
でもさ。なんだか最近Macbookもいいかなと。というのも,ずっとAndroidだったスマホをこの春からiPhoneにしてみたらできないことが多くて・・・楽だった。結局iPhone+Macbookで,できることもが少なくて選択の自由度がないほうが迷うことなく幸せになれるんじゃないか・・・と思ってしまった。思考停止願望。とか言いながらまだSurfaceポチる衝動があるから
両親がワクチン接種を受け、そろそろ会社の集団接種が始まりそうな情報も入ってきた。
これで少しは安心できるかと思っていた。
そんな時、妻が反ワクチンになった。
元々スピリチュアル系な所はあったが、自分の直感が正しく(例え根拠が無くても)、直感に反することは誤り(今は論文などで証明されていても、後から覆るそうです)とのこと。
はじめは妻が打たなくても自分が打てばと考えていたが、甘かった。
ワクチン打ったら夫でも生理的にNGだそうです。(後は真偽不明な話で、ワクチン接種者が周囲に悪影響を与えるとのこと)
無茶苦茶な話だと思うが、でも、妻が辛そうにしているのを見たくはない。
最近仕事が忙しくて、妻の不安に向き合ってやれなかったのが悪かったのかな。
この先、子供の予防接種ワクチンも反対されるのかな。(昨年までは接種していたのだが、今は怖くて聞けない)
もし打たなくて何かあったら、妻は現実に耐えられるのだろうか。想像しただけで怖い。
それともただの杞憂だろうか。もう何も考えずに生きられたらいいのに。
辛い。