はてなキーワード: 男尊女卑とは
ヘタリアの作者は男説が私の中でこれで高まった
というか99%男じゃね?
よく考えたらヘタリアの作者が女性だったらとっくに人種差別がどうのこうのって、ポリコレ警察、政治的に正しい男尊女卑の集まりの皆さまがギャーギャー作者の方をぶっ叩いているだろう。現在権力もない女性の方にごちゃごちゃいってる所を見てると。集英社とか男には下手にでるくせに、権力が無い(というか無いからこそ?)女性には勢いよく責め立てるのな。
あと今回総理大臣を題材にするにしても、もし女だったらぶっ叩かれるし、あるいはビビッてできないだろ。私なら怖くてできないし、もし「やろう」と言われてもビビる。つくづく男様って自由で羨ましいわ。男性特権を「純粋な実力」と勘違いしているんだよな。マドンナも似たような事いってた。
(中略)
ヘタリアの作者の性別論争に関しては引退して正体を暴露するか、他界されて正体が判明するかどっちかで決着がつくだろうな。
99%男だと思うけど、正体隠しているのはるろうに剣心の和月みたく顔出しして人気が下がったことを危惧してるからとかもありそう。
ヘタリアの作者は男説が私の中でこれで高まった - ボンクラで障害持ちな私なので両親が死んだら野垂れ死に確定と思うけど、どうにか生きています。
富野はキャラクター没入型の作品作りをしないから一つの作品に強い女だったり昭和の少年だったり多様な人物像が混在して描かれることが多いと思うが
たとえばあるキャラクターが男尊女卑な発言をして物語内で咎められないというだけで作家の男女観や家族観を判定するといったタイプの間違いを犯しているというわけではないんだよな?
その上で、主人公格のキャラクターに一貫性が感じられないという話ならば、富野アニメの時代においてはアニメの主人公として選ばれる年代である思春期の少年少女にアンビバレントさが盛り込まれているというのはごく「自然」なことのように思われる
というのは物語が志向されていた時代においては、特に富野のような作家がめざしていそうな「現実に即した」少年少女たちというのは、常に変化し続ける生き物として描かれるからで、そこに現代にみられるような少年少女が特定の「キャラ」という固定化した役割を担うことで状況をシミュレーションするタイプの作劇を念頭に置いたキレイで一貫した解釈を当てはめても一面的になりすぎてうまくいかなくなるのが当たり前な気がする
こういう時代の物語においては、女に対して苦手意識の表出をするような少年が「キャラ」変のイニシエーションシークエンスを挟まずにいつのまにかだんだん女と仲良くなっているというのはかなり素朴な描写として「自然」で「現実的」なものであり、少年が女嫌いのような言動をとるのはそれがそういった主義や「キャラ」を持っているからではなくて、たまたまある期間そのような過程にあるということが「現実」の少年によくあるという時代の了解のもとに表れているものだと思う
逆に女に対して永遠に拒絶的であるというような描写があるとしたらむしろそれはなにがしかの強い主義のもとに描かれていて「不自然な」少年像として提示されていて、それならばのちの時代に「キャラ」として表出するフレームと同じものとして解釈するのはうまくいくかもしれない
富野のアニメに出てくる少年少女の人物像がそうした「キャラ」としての造形であるという解釈をするにはかなり強い根拠となる描写の検討が必要になると思うが、そういうのはあげられるだろうか?
一般に登場人物の言動が作者の主義の純然たる反映だという解釈はかなり危なっかしいのと、富野の主義が厭世主義や反出生主義であると表現から読み取れることと物語の登場人物が物語においてそれに違反した言動をとることは両立するということがあり、たとえば時代の要請する規範がどれだけ描写に影響を与えるかということとかもそうだし、逆に違反してみえる言動が読み取った厭世主義や反出生主義のアンチであるという解釈にもどれくらい正当性があるのか考えるとというあたりに議論が必要になる話題だと思う
東京での人の道でのすれ違う時の様子には時代の変化も感じます。
私は昭和の高度成長期育ちなのですけど、子供の頃は都内の狭い道を大人同士が交差する時に「すみませんな」、「ごめんなさいよ」、「どうもね」等と声を掛け合って体を捻じ曲げるようにしてでも衝突を避けている人が大勢いましたね。下町だったからまだ江戸期から明治、大正、戦前の昭和までの庶民文化の片鱗が残っていたのかも知れません。衝突率は酔っぱらい以外はほぼほぼゼロです。
まぁ、無愛想な人もいるので頭を気持ち下げて片手をちょっと上げて無言の「どうも」サインの人も沢山いたけれど。個人的には、この時期に東京は地方からの大量の集団就職とかで来た人々が暮らしていて、地方のなまりを聞かれるのが嫌で黙っている人が増えたのかなと感じていました。そして、この無言派の人々が増えたよね。結果、無言同士の「どうも」サイン交差がメジャーになってたな。まだ聞こえるか聞こえないか位の小さな声かけが残ってたけど。
平成の中頃になってから気がついたのは「おや?日本人(東京でだけど)は全く無言で交差するようになったなぁ」と言う変化。ベビー・ストーラー(ベビー・カー)を押して来るお母さんや松葉杖の人に道を100%譲っても、かなりの人は無言「どうも」サインもないんだなー。まぁ、感謝して欲しいから道を譲ってる訳でもないし、個人主義とやらの時代なんだろうが、知らない人同士のコミュニケーションや潤滑油は消えたと感じたかな。悪意で解釈するとそれが当然の権利だとか主張されてる感じ。善意で解釈すると、そこまでシャイで内向的な人が増えちゃったの?と言う感想。そんなんだと結婚生活やら家庭生活大変だろうなとか余計な事を思ったりする。さらに雨の日なんかには「傘かしげ」すらしない人も激増しているから、無言のぶつかり合いをよく見るようになった。私はそういうの嫌なんで速攻逃げてますが。。そのうち、出るんじゃないかな、「お前の傘で怪我したろ治療費払えよ」詐欺。
因みに、米国とか雑多な民族が一緒に暮らしてる国だと、知らない人同志の声掛けやあいさつは常識レベル。日本で暮らし始めた米国人とかと目があうだけであいさつしてきたりする、あれ。あんな感じ。ビジネス街ではいちいち挨拶なんかしないけど、郊外の住宅街とかだと知らない人同士でも挨拶してた。日本ではバス待ちとかでは皆黙って静かに待ってるけど、米国(といってもワシントンDC近辺)では結構、知らない人同士でも会話する。ある時、赤ちゃんをだっこしたお母さんと私だけでバスを待ってたら、そのお母さんがいろいろ話しかけてくる。私もそういうのに慣れて返していると、途中で、そのお母さんとっても安心した表情になったんだよね。その時の雰囲気である事を悟った。あなたはヤバイ人じゃないよね、安全な普通の人だよね、私達親子に手出ししないでお互い何事もなくバス乗っていきましょうね、と確認してるんだなぁ、と。因みにこの国では通行で体がぶつかるなど絶対禁忌だからまず無い。もしそれが起こったらかなり面倒くさい。
米国から日本に帰ると、日本を良くも悪くも感じた。デパートのガラスドアの向こうに女性がやってくる。私が慣れたのは男性がドアを開けてあげて、女性をまず通してあげる文化。女性はニコッと微笑んで「ありがとう」と言ってくれる社会。日本でこれをやると女性が戸惑うか、極度に恐縮される。もしくは一部は過剰に喜ばれる。まぁ、早いもの勝ちで通ってく文化に、そう文句がある訳ではないけれど。
私は特に今の日本の悪口を言いたいわけでは無くて、その特徴や変化を述べたかっただけ。今の日本、暮らしやすくなったところもたくさんありますよ。例えば、昔は赤ちゃんを「おんぶひも」するのはお母さんの役割で、お父さんがこれをすると周りから奇異な目でみられて大変なプレッシャーがあった。我が家ではお母さんが疲れたら、赤ん坊のおんぶは犯罪ではないと社会の逆風に逆らってお父さんがおんぶしてたのですが、隣から物笑いの種にされたりでもう大変。今は普通にお父さんも「だっこひも」できる時代で良いよなーと感じます。
昔は良くも悪くも男尊女卑の時代。この時はみんなが喜んで暮らせる鍵は男にあって、男が周りを思いやって親切に努めるとかなりうまくいっていた。今は良くも悪くも女性の権利の時代。この時期にみんなが喜んで暮らせる鍵は女にあると思うな。女が周りを思いやって親切に努めると何が起こるだろうか。東京の通行で、実は女性がぶつかってくる時代の電子記録に、残しておきたい思いです。
フェミニズムを嗜む人は性別問わず基本的には女性を攻撃しない。
こう書くと「なら気に食わない女性は名誉男性扱いして女性扱いしないのはどうなんだ」という疑問も当然生まれる。
名誉男性とはなんなのだろうか?軽く調べてみると「女性でありながら男尊女卑的な価値観を持ち、男性のような扱いを受けている女性」の事を指すらしい。
インターネットで「名誉男性」と呼ばれる人は、フェミニストが男性を優遇した構造や女性が搾取されるコンテンツを攻撃した時に男性側を擁護する女性達であるらしい。
つまり、人間を性別で二分化した時、本来は「女性側」に属する存在でありながら「男性側」の立場に付いて男性を守り女性を攻撃する裏切り者の女性なので、名誉男性と言うのだろう。
小学生の頃、クラスで男子と女子が喧嘩した時に女子の側に付いた男子を「お前それでも男かよー!本当は女子なんじゃねーのー?」と男子が揶揄うのと似たような物だと考えて良いと思う。
フェミニズムとは社会で抑圧された女性を解放するための運動、生きにくい女性が生きやすくなるようにと活動する社会運動であり思想の事だと、僕は勝手に思っている。
男性向けのエッチなイラストによくフェミニストから抗議の声が上がるのは、女体の性的消費や性的搾取が現実の女性への性的暴行やセクハラを誘発する恐れがある事を危惧しているからと聞いた事がある。
女性に生きやすい社会の実現を求めて活動する人達なら、少しでも女性への性的暴行やセクハラが行われる可能性を増やすコンテンツに対して過敏に反応してしまう気持ちと理屈は分からなくはない。
よくこの手の話題になると、「女性向けのコンテンツにだって性的な物は沢山ある」「少年漫画より少女漫画の方がよっぽど過激だ」などという意見を耳にする。
「BLやジャニーズなど男性アイドルは女性から男性への性的消費であり搾取ではないか?」という声もある。フェミニストは男性向けコンテンツよりそちらに抗議すべきではないか?と。
だが、フェミニストが女性向けのコンテンツに対して強く規制を訴えかけたという話は、フェミニストが男性向けのコンテンツに対して抗議の声を挙げた事例と比べると殆ど耳にしない。
勿論皆無という訳ではない。休日の朝に放送している女子児童向けのTVアニメで、少し大人向けの恋愛が展開された時などに「これはどうなんだ?」と親御さん達が抗議し、続編から恋愛描写が激減した例はある。
そういう例外はあるにしても、基本的にフェミニストは女性向けの性的なコンテンツに対してはあまり抗議の声はあげない。むしろそれらのコンテンツを一ファンとして楽しんでいる人もインターネット上では多く見受けられた。
「何故男性向けのコンテンツは駄目で女性向けのコンテンツは良いのか?性的描写の過激さでいえばどちらも大差ないのではないか?」と思い納得行かない人や悩んでいる人も多いと思う。答えはとても簡単なのだけれど。
フェミニズムとは「女性が生きやすい社会を作るための思想」である。
そのフェミニズムが、「女性が楽しむためのコンテンツ」を攻撃したり規制を訴えかける事に何の意味があるのか?それでは本末転倒である。
フェミニストはありとあらゆる性的な描写に対して攻撃する活動家ではない。
主に男性向けの作品に多い「女性への危害を生む可能性がある性的コンテンツ」を危険視しても「女性が楽しむための性的コンテンツ」を危険視する義務は、フェミニストにはない。
性犯罪の99%は男性が加害者であり、女性は一方的な被害者であるというデータがあるらしい。逆に言えば、女性が加害者になる可能性は無いに等しい。
男性向けの作品に出てくる男性が楽しむためのレイプやセクハラと、女性向けの作品に出てくる女性が楽しむためのレイプやセクハラでは、その意味合いは180度異なる。
性的消費や性的搾取も全てが悪という訳ではない。女性にだって性的な物を楽しみたいという欲求はある。だからこそ女性向けのポルノという物が存在するのだから。
一昔前は「貞淑であるべき女性に男性のような性欲がある訳が無い」という考えが信じられていた時期もあった。これは女性に対する性的な抑圧であり、むしろフェミニズムが抗議するとすればその無言の圧力に対してだろう。
これに対して「不公平ではないか」と思う人も恐らくは居る。だが、フェミニズムはあくまで「女性の地位向上と解放を目的とした社会運動であり思想」である。
もし女性向けのコンテンツの在り方に不満と異議がある人が居たとしても、そのためにフェミニストを頼るのはお門違いなのだ。
女性による男性への性的消費や性的搾取、女性向けの性的コンテンツの女性への悪影響を憂う人達が居るならば、フェミニズムに頼らず自分達で声をあげ活動するしかないだろう。
「フェミニズム」という思想は、本当に男女が平等であり女性の男性に対する不満が薄ければこの世に生まれる事も無く、こんなに支持を得る事も無かったのではないだろうか?
フェミニストを名乗る女性が年々少しずつ増えているのは、世の女性が男性に対して不満を募らせている事と少なからず相互関係があるのだろうか。フェミニズムは、一体これから先どうなるのだろう。
【追記】
誤字を訂正しました。
【追記2】
待って?20代女性がおじさんと結婚する内容で炎上したドラマも、仲野太賀が合意無しにキスするシーンで炎上したドラマも、イケメンに監禁されるドラマもみんな女性向け恋愛ドラマor女性向け漫画が原作じゃなかった?
若い女性が年配の男性と恋愛する作品や、男性が女性を監禁する作品は一般的に「男性向け」だと認識している女性が多いのではないかと思います。
女性向けの作品ではその手の内容が少なく、逆に男性向けではそういう作品が多くある事を考えると、あらすじだけ見て「これは男性向けだな」と受け取った人が多かったのではないでしょうか。
仲野太賀が合意無しにキスするシーンがあるドラマについては存じませんでしたが、合意の無いキスは性暴力を連想させるので炎上しても仕方ないかな…と思います。
ラブタイツは女性向けだったからこそ炎上したのでは…あれが男性向けエロ商品だったら炎上しなかったでしょ。生理商品とかよく炎上してるよ。女を馬鹿にしてんのかみたいな
あのタイツの性的なイラストが炎上したのは、「こういう男が喜びそうな性的イラストを描くのは男に違いない」という共通認識があのイラストを見た女性達にあった事も理由の一つだと思います。
実際、イラストの中に女性イラストレーターによって描かれていた物が幾つかあったと判明した後も依頼を受けた男性イラストレーターや、あの企画を提案しイラストにOKサインを出した男性社員に対して強く抗議が続いていました。
フェミニストが女性向けの商品に対して強く抗議の声をあげる時というのは、「女性向けの商品であるのに男性の意向が強く女性の意見が反映されていない」と感じ取れる場合が多い気がします。
https://twitter.com/keiichisennsei/status/1331027778230046721
https://anond.hatelabo.jp/20200716012131
↑の増田にくっついていた↓のコメント(消えてるのではてブ)が元なんだと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200716203604
なお自分は出版社で働いている。今の職場で3社目。昔は編集者をしていた。現在のメイン業務は知的財産の管理だから、直接本を作っているわけではないけど……
大手(基準は大体、駅内・電車内広告を出せるかどうか)の出版社は、ざっくりいえば、戦中戦後の出版黎明期から支えてきたタイプの会社(小●館、集●社、講●社等)と、高度経済成長のさなか生まれた会社(宝●社、日●BP等)に分けられる。これらの会社はいずれも「ニッポンの会社」像を色濃く残したまま現在に至っている。男尊女卑もまあまああるし、給料の差こそ法律でなくなっているだろうけど、女性の昇進はかなり大変そうだ。子供を持たない女性管理者を多く知っている。それ以上に、子供を産んだ後いち編集者どまりで生きている女性がたくさんいるのだ。「会社にいられるだけでもありがたい。成果を出さねば」口を揃えて彼女たちは言う。
男性社員も同じだ。なかなか上にはいけない。窓際族と呼ばれる人は大抵、厄介払いされた部署に固まっている。そうならないように上のご機嫌を取りながら、どうにか戦力外通告されないように、ガッチリしたエビデンスがある「絶対売れますよ」という企画を出さないといけない。
全ての決定権がある管理職の世代は50代以上。役員になると65歳ぐらいまで会社にいるのだ。そいつらが、本を出す・出さない、重版をする・しない、一押し作品として猛プッシュする・しないを決めている。新卒の頃に「津軽海峡冬景色」や「悲しみにさよなら」がヒットしてたようなオヤジ共がそれを全部決めている。オヤジ共は目先のことしか今は見えていない。かつて抱いていた大志はバブルとともに消えたのだから。自分のやってきた事業が泡のように消えていく絶望はオヤジ共から肝を引っこ抜いてしまった。
そこでSNSだ。オヤジ共にも「フォロワー10万人」は魅力的に見える。オヤジ共は「10万部刷っても売りきれだな!」ぐらいに思っている。バカである。この世の人間全員が本を買いたい・本が好きだと思って疑わない。そこのところがずれている。
しかしそんな中でも10万人のフォロワーの本を出す。「発売即重版!」をつけたいがために5万部。ところが、1万部ぐらいしか売れない。おかしい。企画を出した編集者に「売れないじゃないか!」と叱咤する。若い編集者は売れるように考える。「フォロワー数だけじゃなく、バズったモノなら本が売れる」と企画書に書く。編集者も自分のキャリアを守りたいのだ。
ここでよく聞く「未来の大樹を苗から育てるのが編集者だろがい」派について一つ言っておく。編集者の仕事は本当に多岐にわたる。案外外から見えていないだけで、定期刊行物を多数抱えているからである。もちろん、オヤジ共のご機嫌とりの時間も含まれているし、定期刊行物の執筆者・著者・イラストレーター・フォトグラファー・デザイナー等々大勢と関わっているハブ的立ち位置が編集者である。全員が全員協力的なわけでもないので、撮影は押すし、校了はギリギリになる。どこで育てろと言うのだ。そんな中で!売れるかわかんない人を!!上に推すために!!!使う時間なんてあるか!!!……ということだ。(結局人材不足、ひいては少子化のせいだと思うぞ)
そういう業務量の暴力を浴びる役職から、自分は降りた。編集者をやめて、管理サイドに回った。生きているのが楽になった。
結局、本を売りたいんじゃなくて、自分が生存できるために全員必死になっているんだと、俯瞰で見られるようになった。
中小の出版社はもちろんだが、大手も今はびくびくしながら本を作っていることだろう……。コロナで書店が閉店を余儀なくされて、工場もとまって、大ダメージをくらって潰れている出版社がそこらじゅうにある。書店に左右されないはずの業界専門誌の会社ですら最後の一撃になっている。
そんな中でも、鬼滅なんかは最終巻がおっかない部数になっているが、そういう「苗から大樹を育て上げられる有能な編集者」が一握りしかいないから、ヒット作がこれだけ少ないのだ。もとい、有能な編集者でも、苗を見誤ることもある。そもそも苗の数も少ないと思う(漫画家志望の持ち込みが減ってると数年前に聞いた、具体的な数は知らない)。
しずかちゃんだけ野比しずかになってて、のび太はのび太のままで色々吹き上がってるが
なんで野比しずかなのか?→選択的夫婦別姓なのでそちらのせいになることを選んだだけでしょう
なんで野比しずかになったことに疑問を持たないの?→どっちでもいいことに対してなんで疑問を持たないといけないの?
としか思えないんだよね。ただ、興味深いのは
この話ってどんな感じになるんだろうか。もともとの原作が昭和のものだから、当時なら婿養子はあまりいなかった。もっと遡ると普通にいた。
マスオさんなんかいい例だし、昔の戸籍を見ると割と婿養子はいたけど、それも家の姓を守るためなので、どこか男尊女卑の匂いはする。