はてなキーワード: 大砲とは
日教組の人たちは
他国の国歌が
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂したりとか
敵の不浄なる血で耕地を染め上げたりとか
強硬なる争いだとか猛烈なる闘いだとか
この身を捧げて祖国を守ったりとか
敵の砲火に立ち向かったりとか
敵を撥ね退け神に身を委ねたりとか
今は帝国でもなんでもない(元帝国)なのに帝国をたたえたりとか
名指しで連合王国の一員をディスったりとか(ディスられた側は王の名前しか出してないのに……)
大砲轟き銃声鳴り響いたりとか
そういう実情を知らないのでしょうか。
命を捧げて自分たちが生活していく土地や未来を守ろうという意志とか、自由を得るまでの戦いへの敬意とか、歴史とかが込められてるじゃないですか。
大体そもそもお隣の歌詞に海が涸れて山がなくなるまで国よ続けみたいなのあるじゃあないですか。
(参考:http://www.world-anthem.com/index.html。どうでもいいけどメキシコ国歌の歌詞がぱっと見ギリシャ)
それはそれとして。
他国の国歌の歌詞をおとしめる意味は全く無いのですが君が代には戦のいのじも勝利のしのじもでてきませんよ。
元ネタは長寿を祈る歌ともとれるし、ラブソングともとれる、超平和な歌ですよ。
天使にラブソングをではMY GUY をMY GOD に読み替えたり
him がhim(彼、恋人)ともHIM(大文字ヒム、神)とも読めたりするのと一緒で
恋歌の恋人を君主に置き換えるなんてすてきじゃね? と私は思うんですが。
読んどけってだけの話。
ってのがあって。まあ当方軍オタなんで、うっかりミスとかは笑って流せても、ドヤ顔で史実とまるで違うことを書いてあるとムカツクのは避けられない。若い頃はコメント欄に喧嘩売りに行って当然、ぐらいの行動力はあったが、おっさんになったのでブコメで一番気になったことだけ指摘しておいた。
そしたら、
ってえらく挑戦的なブコメを(自分に向けたものかは分からないが)書いてる人がいた。その後さらに
「ページ作者の希望によりブックマークの一覧は非表示に設定されています」
になってさらにモヤモヤ。ミスの指摘が図星だから消したのかよ、みたいなネガティブ全開思考に。
まあ「分かりやすい物語」を優先して書いたらあんなかたちになるかな、とは思わなくもない。思わなくもないけど、史実か史実でないかといわれたら困る。
以下蛇足
=====
全部書くとキリがないので海軍兵備に与えた一番大きな影響だけ書くと、
「遠くから大砲を撃っても戦艦は沈まない、という常識を覆した」
ことになる。それまでの常識では、戦艦の主砲とは取扱が難しく、発射準備も大変で撃てる回数も少なく狙いを付けるのも難しい、と弱点だらけで、海上での決戦で使い物になるとは思われてなかった。
ところが、アドミラル・トーゴーに率いられた日本海軍は、常識外れの遠距離の交戦で、大量の大口径砲を効果的に使い、ロシア艦隊を完膚無きまでに叩きのめしてしまった。
この結果、「この常識って実は時代遅れじゃね?」とこっそり疑っていた人たちが一気に表舞台に登場、各国ともその教訓を適用させた新型戦艦の建造に一斉に走る。その競争に勝って新戦艦の第一号の栄誉を担ったのがイギリスの「ドレッドノート」であり、以後その名に倣って新世代の戦艦はド級戦艦、あるいはそれを超えるという意味で超ド級戦艦などと呼ばれるようになった。
話を端折って第一次世界大戦が勃発&終了。
実は日露戦争から大戦勃発まで10年しかないのだが、この間の戦艦を巡る話を書いてると本の1冊ぐらいの分量はすぐに埋まるので端折るしかない。
大戦の教訓は、実は日露戦争と比べると分かりにくい。10年後に分かりやすい答え合わせのできた日露戦争と異なり、両次大戦の間には20年の時間があり、そこに軍縮条約と世界恐慌という、全列強の軍備を歪めた/正したイベントが転がっているせいである。また、参戦国によって教訓の受容の仕方(解釈)も違っていたせいでもある。
といっても分かりにくいと言って逃げているわけにも行かないので、いくつか項目を挙げる。
後知恵で言えば、ドレッドノートによって始まったはずの「戦艦の時代」はこの戦争中に終わった。
大金を投じて整備された戦艦群は、戦争に大して影響を与えなかった。戦艦同士が殴り合う大海戦こそ起きたものの、それで戦争の展開も国家の命運は、ほとんど変わらなかった。仮に何らかの代替手段があれば、この時点で戦艦という兵器が滅んでも不思議ではない位、悪いニュースである。
また、戦争中、イギリスを一番脅かしたのは、ドイツの戦艦ではなく潜水艦だった。島国イギリスが必要とする、物資を運ぶ船を沈めまくり、危機的な状況に追い込んでいる。
「一番の脅威になった敵に対抗できない、そんなものが主力兵器と言えるのか?」とも論難されるようになったわけである。
もちろん、潜水艦以外の普通の艦船相手なら、戦艦はなんなく撃沈できたし、潜水艦の能力自体もまだまださっぱりだったので、戦艦の存在意義自体が否定されたわけではなかった。しかし、この理由は一世代後、二次大戦が終わってから戦艦にとどめを刺すことになる(後述、しないかも)。
「空」という新しい戦場が導入され、攻撃力はともかく、偵察力が爆発的に向上したことで、海軍のあり方が大きく変わることになった。
それまで、敵艦隊を見つけるには、偵察艦を方々に派遣してマストの上から見張るという手段しかなかった。航空技術はそれを変えた。つまり、遙かに高速で遙かに高い場所から偵察できるようになった。
大戦当時、飛行船で空から偵察する、という圧倒的なアドバンテージをドイツ海軍は有していた。
イギリスにそんな結構なものはなかった。さりとて、航空機は発達途上であり、飛行船ほどの長距離を飛べる飛行機もなかった。やむなく、海面を滑走路とする航空機、水上機を使おう、として、北海の気象条件に阻まれる。
海だから波浪という物があり、荒れやすい北海の気候は水上機の実用性をがつんと引き下げた。
この偵察能力の差は決定的な物であり、イギリス海軍が規模と伝統で劣るはずのドイツ海軍相手に苦しい戦いを余儀なくされる大きな原因となった。一方が相手がどこにいるかを察知し、他方が何の情報も持たないなら、それは勝負になるはずはない。
誰が考えても、空を支配できない海軍に将来がないことは明白だった。
イギリスは水上機に見切りをつけ、普通の航空機を運用できる艦艇の開発に取り組むことになる。航空母艦の誕生である。
先述の如き変化はあったが、列強の海軍は引きつづき、より強力な戦艦を求めていた。理由は色々あるが、
が最大の物で、「相手が持っているから対抗するために必要」というたいていの軍備に適用できる理屈がこの場合にも機能した。
そこで各国は第一次世界大戦の教訓を反映させ、より高速で、より防御力に優れ、より攻撃力の高い戦艦を作ろう、としたところで、その高価さに気付くこととなった。最先端技術の塊になった当時の新型戦艦は、作って運用するだけでもとんでもない金食い虫だった。
無理矢理現代に置き換えると、最先端のスーパーコンピューターと巨大な工業プラントを合体させたでっかい超合金の塊を、高速で自在に航行させるようなものだから、まあ、安いはずはない。
日本の海軍整備計画だった『八八艦隊』など、国家予算に占める割合が3割4割は当たり前というとんでもない代物となった。
日本より遙かに豊かだった米英にしても「これなんか違くね?」と政治家たちが考え始めるようになった。
もちろん、戦争が差し迫っているとか、他に代替手段がないとかであれば、無理してでも兵器を作らねばならない。ならないが、当時はそんな世界情勢ではなかった。
結果、軍縮会議が開かれ、各国は軍備に制限をかけることとなった。
よくある誤解として、
「太平洋戦争が始まるまで、各国の海軍兵備に対する考え方とは大艦巨砲主義で、戦艦がすべてだと思われていた」というのがある。間違いである。。
「戦艦は高価なばかりで戦争の役に立たない」「戦艦廃止も現実的な選択肢」 >
けれども海軍中枢と政府の間で戦艦vs航空機論争が繰り広げられる中で、現場の艦隊指揮官達はそんな論争の行方とはまったく別に一つの結論に達しつつありました。それは「空母がなければ艦隊決戦は勝利できない」という認識です。航空機が戦艦を撃沈できようができまいが、海戦で敵空母を撃破してしまえば味方艦隊は一方的な砲戦観測ができ、遠距離砲戦で圧倒的な優位に立てるからです。そして戦艦を撃沈できるかどうかは別として爆撃、雷撃も自由に実施できます。 >
こうして「空母は敵空母を発見次第、敵戦艦ではなく敵空母に対して攻撃隊を指向する」という海戦ドクトリンが確立され、マニュアル化されます。1930年代に日本海軍が強く意識していた「アメリカ海軍の制空権下での艦隊決戦という概念」とはこうした考え方です。海戦で空母が無ければ勝てないことは空母を含む艦隊の演習を繰り返すだけで確信される極めて明快で誰もが理解できる事実でした。海軍中枢と政府との間で交された「戦艦vs航空機」などといった派手な議論は現場の艦隊にとってはどうでも良かったのです。 >
戦争で使われた艦の多くは、 大戦が始まる前にすでに建造されました。太平洋戦争をまだ知らない設計者や軍人が、「次の戦争はこうなるだろう」という予想のもとで作った艦です。しかし彼らの予想は全て覆され、艦艇たちは思いもよらない戦いに挑むことになりました。 >
ところで、この映画は相当不穏。
オープニングで、長距離を飛んで来た巨大なバナナのオブジェが、パン工場に打ち込まれるところから話が始まる。
危うく名犬チーズが死にそうになったが、どうやらこれはバナナ島の郵便らしい。中にはお祭りへの招待状が一枚。
住民総出で遊びに行くことになるのだが、一行はお祭りの準備を手伝うため、先行する。
そのころ、バナナ島では沢山の人に来てほしいことから、世界中にドンドコ大砲を撃つ。もちろん招待状付オブジェだ。
ちょっと待て、当たり前に流すな。
他国に向かって大砲を撃てば、十分な開戦の理由になる。でも、作中はみんな気にしない。
さて、このバナナ島、住民は腰蓑まいた裸のバナナ人間なのだけど、どうも裕福には見えない。
この辺り、トロピコというか、バナナ共和国としてちょっとリアル。
名産品はバナナ、というかバナナ以外の産業は皆無らしく、工業力も(住民の生活に関しては)低い。
プランテーションというか、モノカルチャーというか、経済的にはあまりよろしくない。
作中、バナナ島に急激な冷気が流れ込み、バナナが軒並み枯れてしまう。
その後、紆余曲折を経て、冷気の元凶は氷鬼という巨大な怪物だと判明。
バナナ島の住民は大砲でバナナの巨大オブジェ型爆弾(!)を発射。
それは、島外の人間の前では駄目だろ。
いろいろあってフレイザードに似た感じの氷鬼を撃破して島は(一度枯死したバナナの森がなぜか)元通りになりました。メデタシメデタシ。
ううん、通常回の方がよかったな。
分布の仮定から数学的に整理されている分野なので、それらの仮定の妥当性に依存するでしょうね。
計測されたデータに合う直線や曲線を引いて、モデル化できたと考えるのは正しいのだろうか。ぶっちゃけ連続した直線や曲線で結べるという前提の正当性はどこにあるのだろうか。
また複数の要素が関係してくる場合、無機的なデータだけを見ていて、その要素を分解(モデル化)できるのか?という疑問がある。
要素ごとのデータがあれば多変量解析ができますが、そうでないとできませんね。
空気抵抗を受けながら運動する物体を、空気中を移動すると抵抗を感じる、ものはだんだん下に落ちる傾向がある、など経験的な要素なしに、データとそれを近似した曲線だけから、はたしてそれぞれの要素に分解できるだろうか。
それだけなら今でも間違いではなく、重さと落下速度が比例すると考えていたことに問題が。
純粋な数値データのみから、「物体の受ける机はビールジョッキの2乗に比例する」ということを、人間は思いつけるか?ということになろう。
空気抵抗の概念は既にあって、滑り台を使ったガリレオはそれをなるべく排除してデータを得たわけですね。
ガリレオの時代でも火薬の量(=エネルギー)と大砲の飛距離は計測できたかも知れません。ガリレオは最適な射出角度の計算もしていました。
データから帰納的に法則を知るのと、体験的に知っているのは、大差は無いわけですが。
点と点を直線的に結んだLNTモデルの信憑性に言われる批判ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20130122033549
元増田です。
トラバとブクマ、ありがとう。いろいろ考えさせられて思い出すことも多かったです。
それでちょっと重要なことをいくつか書き忘れていたので、以下に補足します。
前にも増して読みづらいかもです。そして、前のエントリと印象違うかもしれないので「用心深く」読んでください。お願いします。
*
前のエントリで毎日体罰を受けていたような書き方をしてしまったが、何日かたって思い返すに、そんなに頻繁には殴られていなかった。ことに私に対してはそれほどむけられることはなかった。
私は心身ともにヘタレだったので、こいつを叩くとつぶれる、と思われていたのだろう。先生も人を見て叩いていたのだ。
バレーボールというスポーツの構造上、エースは「トスが上がったら必ず打たなければならない」宿命を担っている。
セッターはその時点のアタッカーの状態、あちらのチームのブロックの状態、ゲームの流れなどを考慮して、その時点で一番点が取れるアタッカーにトスを上げる。エースはレフトから、補助アタッカーはライト、センターから。
補助アタッカーにはクイック攻撃もあるが、エースはほとんど高いトスを打つオープン攻撃。どっかん大砲を撃つ役目だ。
ゲームの中盤くらいまではクイック攻撃なども使えるが、ラリーが続くと必ずボールはエースに上がる。
上がったら打たなければならない。どんなに疲れていても飛んで、打たなければならない。ラリーが続く限り、なん10発でも。打って、決めなければならない。それができるから「エース」なのだ。
もちろんほかのアタッカーを使うこともできるのだが、ゲームの流れで、「どうしてもエースしか通用しない場面」ってあるのだ。
だから、エースってきつい。昔は後衛に回れば休めたが、いまはバックアタックも打つから休みなし。本人が自覚しなくても、構造上チームを引っ張らなければならない。それが「エース」だ。
チーム全員で拾って拾って拾いまくって、粘って敵失を誘うというチームもあるけど、身体能力に優れた選手が一人いればやはりその選手に集中する構造になるだろうと思う。
「キャプテン」もそうだ。
ゲームで、チームの期待が集中したときにそれを受けて結果を出さなければならない。
だから、「エース」や「キャプテン」を練習でいじめぬく指導者は多い。ほかのメンバーがミスしても怒られないような場面でエースが気のないプレイをしたりするとそれはもう怒られる。「自覚」をたたき込むことが練習でのかなりのウエイトを占めているのではないかと思う。
そこにはかなりの不公平感が漂う。不公平であるのはほかの部員もよくわかっている。あるいは、自分たちのミスをかわりに怒られることもある。そんなとき、メンバーは
「ああ申し訳ない、自分たちがふがいないせいで、自分たちがミスしたせいで、エース(キャプテン)が怒られている。次は絶対にエースに負担をかけないようにしなくては」
と考える。こうやってチームのつながりは少しずつ強くなっていく。
体罰が起きていたときに、なぜほかの部員が止めに入らなかったか、といわれている。他ではわからないが、うちではこうだった。
そしてまた、体罰というのはたいていが理由がある。
記事でもあったが、「怒られるのは気のないプレイをしたとき」。理由はちゃんとあるし、その理由は常に筋が通っている。
うちのチームでは、エースがラリーで相手に拾われた、あるいはブロックで止められたときは怒られることはなかった。打ち損ねたとかタッチネットしたとかで、相手にポイントが行ってしまったときでも怒られることはなかった。
でも、苦しくてフェイントでごまかそうとしたり、ただ相手コートに入れるだけだったりするとものすごい勢いで怒られた。「そういう姑息なことをするな」と言われた。
力一杯ぶつかってだめだったらそれは仕方ない。が小手先でごまかしたり逃げたりすることに対しては非常に厳しかった。
大人になって働くようになってから、その意味はちょっと分かる。苦しい中ごまかさず、妥協せず頑張りとおす、みたいなことだった。
いい指導だった、と思う。
*
これって、どう感じられるだろうか。
ゲームでは、時に一人が重責を担わなくてはならないときがある。それに耐えるためにはどうするか。支える周りの人間はどうするか。
試合に負けたっていいのだ。大切なのはそれに立ち向かうことだ。
与えられた役割を担うこと。そして彼/彼女を信頼してサポートし、最後のボールをゆだねること。
それは悪いことではない。
だけど。
それじゃあ身体能力に優れて、夢を持って入学してきた生徒が自殺するのはなぜなんだろう。
だめな人だったんだろうか。
私の先生はいろいろとトラップを仕掛けて私たちの自主性を試していた。見捨てられても食いついてくるか。先生の意図を乗り越えて、自分の意志を通すか。
しかしヘタレであるところの私たちは、その意図を知りつつ、演技をした。自主性をもって動いているかのような演技。だから、空気を読むことは大変うまくなった。先生が望んでいるものを演じるようになった。表面は大変「スポーツマンらしく」なった。が、内面ではもう気力はつき、早くやめたいと思っていた。
今考えると、ため息が出る。
でも、これが現実だ。
もし、このとき先生が「善意」で、どこまでも私たちの演技を許さず、追及していたら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちは克己の物語を「美しい」と感じる文化の中に住んでいる。一方、頑張れ頑張れと強いられたあげく、追い詰められた末の死というものの悲惨さもよく知っている。
だからこそその双方を知る人々は口ごもる。
この矛盾は多分、誰でも持っている。そして明確に解決できていない。
だから、思う。
一人を責めても解決しない。
*
教師と生徒が一緒になったいじめを受けていたという増田もいる。
http://anond.hatelabo.jp/20130123190802
http://www.asahi.com/national/update/0124/OSK201301230152.html
生徒はミーティングで部員に「覚悟を決めて、頑張るわ」と話した。 部員から「チームのために怒られているんやから、全員でカバーだ」「助けてやろう」と、励ましの声があがった
いい、チームではないだろうか。
「いいチーム」なのになぜ死んだのか。
「いい人」だからだ。
本気で生徒を伸ばしてあげたいと思い、「本気で」体罰が彼らをよくすると思い込んでいるからだ。困難を克服することが、彼らにどうしても必要だと思っているからだ。
体罰を「誰かをスケープゴートのようにして恐怖の支配をする」という記者もいる。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130118k0000e070251000c.html
私はこれに強い違和感を覚える。
「いい人」だから、善意にあふれているから、何回注意しても体罰を繰り返すのだ。自分のことではなく、相手のことしか考えていないからだ。相手がよくなればそれでいい、と考えているからだ。それがチームの結束を強め、自分で考える力、自分で解決する力をつけると思っているからだ。実際は、そうじゃないのに。
ここが理解されない限り、世間は「体罰いけない」と「現場では体罰あっても仕方ない。頑張れば克服できるはず」のダブルスタンダードを繰り返す。
体罰が法律で禁じられていることは、建前だと思っている。生徒にわからせるには体罰が一番通じると思っている。だから、殴る。善意で。
だから、異常者を切っても解決しない。桜宮高校だけではない。日本全国に法律違反をしてでも生徒を指導しようという「熱くて」「いい先生」はいるのだから。
「いい先生」と、「いいチーム」。
生徒は、「部員の信頼を失うので『キャプテンを辞めたい』とは言い出せない」と言っていたそうだ。
http://mainichi.jp/feature/news/20130110ddm041040111000c.html
信頼を裏切ることは、ときに侮られるよりつらいことだ。
教師もきつそうだと、キャプテンを辞めさせようかと何回か提案していたが、そのたびに「やります」というやり取りを繰り返していたらしい。
折れそうなところを起き上がって、また折れて、起き上がって。
生徒が弱かったのではない。
休まなければならなかっただけだ。
全員部活参加の体育科で、進路に非常に重要な影響を持つ部活動、そして迫っている新人戦。練習試合のたびの詰問、体罰。
「体罰は、やらない方がいい」という結論は同じなのだけど、それは誰かに責任を覆いかぶせるとか、ましてや一つの学校を潰してすむことではないと思う。
ヨーロッパ中世とはどんな時代だったのかを、独自性と一般性を交えて、絶妙なバランスでまとめている。
本書の主要な記述の中で、特に気になったところだけ簡単にメモ。
・封建制度が成立するまで
→ローマ帝国崩壊後、ゲルマンによるヨーロッパ治世は次々に短命に終わった。(東ゴート、フランク、西ゴート、ヴァンダル王国)。背景にはゲルマンが信仰するアリウス派とローマ人が信仰するカトリックという宗教面の対立があった。上手く国がまとまらないままに、9世紀頃からノルマン人の侵入が始まる→略奪による領土の荒廃→国防は機能せず、地場の権力者が城壁を作ってごく小さなテリトリーの防衛を行う→そこを中心に農民があつまり、商人があつまり、騎士が集まる。自治の中心が地場の領主にシフト(国王の形骸化)。
→ヨーロッパの騎士はドライな権力関係で主君とつながる。日本の武士は忠義で主君に仕える。従って「二君に仕えず」が絶対だった日本とちがって、ヨーロッパは一人の騎士が複数の主君と契約を交わすのはざらだった。戦争の時でも、ヨーロッパの騎士は「●日間まで出陣する」と契約書に書いていれば、たとえ戦闘は継続していても、途中で帰ってしまった。
→地中海商業は破壊されずに維持された。一方で、話し言葉としてのラテン語は、人々にリテラシーを身につけるボトルネックとなった。
→皇帝の方が一段上。皇帝はキリスト教の神に認められた支配者。
「騎士道」の盛衰
→封建制の発達とともに、先頭の仕事が少なくなった兵士たちの間に生まれた。騎士が時代遅れになるのは、1400年頃の100年戦争期あたりから弓矢や大砲の技術が発達しすぎて、鎧の防御では間に合わなくなったためだ。彼らはぜいたくを美徳とした点において日本の「武士」とは違う。また、騎士は無学だった。文字が読める人間はほとんどいなかった。
「十字軍」の疑問。なんで、400年以上も前から取られてたエルサレムをとつぜん取り返そうとしたのか。
→背景にはヨーロッパ全土へのキリスト今日のて。土着の神々をキリスト教の「聖者」として吸収(例えば、サンタクロース)。
十字軍の帰結。
→封建領主に対する王権の強化。代わりに法王の権力は結局十字軍が失敗したことから凋落。
なぜその後イギリス、フランスがまとまってきたのに、ドイツはまとまらなかったのか。
→ドイツの皇帝は海外侵略に熱心で、内政をおろそかにしていたから(特に地中海遠征。たとえばフリードリヒ一世(1152-90)のシチリア遠征)
みたいな事を言ってるとある英文記事が面白かったので訳してみた。
********************
http://www.cracked.com/article_18817_5-reasons-future-will-be-ruled-by-b.s..html
未来がハッタリによって支配される5つの理由
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
でも実は、この未来は既に色んな意味で実現している。そしてこの未来を表す言葉は「屁」だ。
とりあえず説明しようか。
#5.
もし俺がお前に「予算ゼロで可能な限りのポルノをネットから持ってきてくれ」と言ったら、どれだけのエロ画像・エロ動画を持ってくる?
多分答えは「全部」じゃないだろうか。
これがちょっと面白い話につながる。ここ数十年、発展途上国では汚染された乳児用粉ミルクで何千もの赤ん坊が死んでいる。あれ、面白いって言っちゃった?ごめん、使う単語を間違えた。とにかく、何が起きてるかって言うと、衛生環境が悪いため母親は粉ミルクを汚染された水で溶かしている。んじゃ何で自分の身体からタダでミルクが作れるのに、わざわざ毒の粉ミルクを赤ん坊に与えるのか?それは粉ミルクの製造社であるネスレがそうしろと言ってるからだ。
企業はタダで手に入れられるものに対してお金を出すよう説得する……みんなが知りたかった未来の姿がこれだ。
みんな俺がファイル共有やデジタル著作権や、腹黒なレコード会社の話をするんじゃないかと思うだろうけど、あんなのはこれから来る未来のほんの一片にすぎない。世界は変わった。生まれた時から俺達の頭に叩き込まれた社会のルールはひっくり返されようとしている。
未来学者やSF作家はよく「欠乏のない社会」――スタートレックのように、物質複製機やフュージョンリアクターが全ての欠乏を終わらせた社会について口にする。確かに物凄く無茶な妄想に聞こえなくもないけど、俺たちの生活の中では、これが既に実現してる部分が沢山ある。エロなんかそう。今ポルノは空気よりも豊富だ。空気は有限だけど、今人類は宇宙が燃え尽きるまでエネルギーをおっぱいのJPG画像に変換する機械を手にしている。今やおっぱいは無尽蔵なのだ。
さて、ツイスターゲームすら出来ないような狭い部屋でも、そこで過ごす時間のほぼ全てをネットサーフィンとネットゲームに使うんだから構わないっていう人がどれだけいるか。彼らは別にプール付きの二階建ての一軒家が欲しい訳じゃない。300ドルのネットブックと月額20ドルのネット接続があれば、友人、出会い、娯楽、趣味、そして家族や同僚との連絡全てが可能になる。家で仕事をする事すら可能になる。
マズローの欲求段階の多くがデジタルのみで満たされる事が可能なのが今の時代だ。
俺たちネット住民はゲームのデジタル著作権等についてぎゃーぎゃー騒いでるだけで、事のスケールの大きさに全く気が付いていない。まるで生まれた時からずっとフェンスの中に閉じ込められた犬が、嵐でフェンスが吹き飛ばされて、周りを見渡して「すげぇ、庭だ!」ってはしゃいでるようだ。
違うぞハチ公。目の前に広がってるのは庭じゃなく、世界そのものだ。
#4.
ビジネスは、生き延びるために無尽蔵な製品が有限であるフリをしなければならない。
というわけで……理想郷が実現した!人類の勝利だ!もうこんな記事読むのやめてパーティでも始めようぜ!
いや、ちょっと待て。粉ミルクの件を忘れてないか?
ここから話が色々とトチ狂ってくる訳で。例えば、公共の図書館は過去500年もの間本を無償で貸し出してきた。出版社は、図書館が本を買っているからこれを良しとしているし、人気のある本なら一度に何冊も貸し出せるよう複数冊購入してくれる。そして何度も読まれると本はボロボロになるから、数年置きに買い換えてもくれる。
そこで、出版社はより優れた本を作り出した。電子書籍と言う、100億回読まれても傷一つつかない不滅の本だ。このとんでもない代物を生産するのに幾らかかるかって言うと、これが1円もかからない。出版社に何も支払わなくても、読者は自分で本の複製品を「生産」して自分のパソコンに保存する事もできる。この本もまた「無尽蔵」だ。
なので、出版社にとって次のステップは単純明確だった:本が自滅する仕様にする事。
図書館に売られた電子書籍は1年後、もしくは特定の回数だけ貸し出された後に自動削除されるようになった。これは出版社と公共図書館の間でとんでもない論争の種になった。何せどちらも社会の構造をバラバラにするような「ほつれ」を見つけてしまったのだから。考えてもみよう:
A. 自然劣化しないのなら、客に必要な分だけの電子書籍を買い集めて永久に保存する事も出来るんじゃないの?
B. ちょっと待てよ。ただの電子ファイルだろ?じゃ1冊だけ買って、後は読みたいって言う客に対してコピペしてあげればいいんじゃないの?
C. ちょっと待てよ。そもそも図書館なんて必要か?出版社から買って自分で友達にコピーしたものを“貸して”やればいいんじゃないの?
D. ちょっと待てよ。印刷も製本も必要ないのなら、そもそも出版社なんているの?作者から直接買えばいいんじゃないの?
E. ちょーーーっと待てよ。作者が作った1冊を用意すれば、あとはみんなそれをタダでもらっちゃえばいいんじゃないの?
ここで何が消滅したかをちょっと考えてみよう。出版会社の社員が詰まった高層ビル、本が詰まった倉庫、本屋、図書館、印刷機が並んだ工場、製紙工場、作者が印税で買ったいろんな物。これら全てが消滅。
これら全てを何とか維持していく為、出版社はFARTSと呼ばれるものを利用している。FARTSとはForced ARTificial Scarcityの略で、直訳すると「強制人工欠乏」という意味だ。いや、こう呼んでるのは俺なんだけど、俺くらいのネーミングセンスが連中にもあればみんなこう呼んでるはず(訳注:FARTS=「屁」。以降はこれを「屁」と訳す)。
みんなよく聞け:未来はFARTSに支配される。
みんなソニーのマトリックスみたいな近未来バーチャル世界「Playstation Home」がデビューした時を覚えてるか?その時なんとも衝撃的な事件があった。人気ウェブ漫画Penny Arcadeの連中がバーチャルボーリング場にログインして、レーンが開くのを待つため並んでいた。ボーリング場なんて本当は存在しないはずのバーチャル空間で、だ。全てがサーバ上で0と1で作られてる世界なら、レーンなんて実質的に無限に用意できるはずだ。誰でもいつでも使えるレーンが何千も用意されててもおかしくはないのに、俺らに用意されたのは「屁」だ。
#3.
娯楽やコミュニケーションから仕事をするのに必要なソフトまで、あらゆるデジタル製品に言える事だが、俺たちの経済の大半は「屁」によって機能しているのが現状だ。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、日常的に利用しているもの全てがその見えない雲に覆われていく。
凄いだろ?でもまぁ、お前さんは上の連中の言われた通りの事なんてしないだろう。企業が何もしなくても手に入るようなものに対して好き勝手に値札をつけるような未来、許すはずもない。これじゃあまるで……うーん……女性が自分の体液を使えば済むような事で大量のお金を使ってしまうようなもんじゃないか。
俺だってそう思ったよ。俺は情報強者なんだぜっつって。んで、机の周りを見渡してみた。
俺の隣にはAquafina天然水のペットボトルがある。何故かというと:1990年代にペプシ社とコカコーラ社がペプシとコーラの売り上げが伸びない事に気付いて、実質無限にあるはずの水道水を買って、ボトルに詰めて、山の絵が印刷させたラベルをつけて、値段を200倍にして、そんで俺がそいつを買った、という訳。
水の隣には頭痛薬のExcedrinがある。そりゃあ店がローカルで出してる銘柄だって分子構造レベルまで一緒だろうけど、俺は倍の金を出してこっちを買った。だってExcedrinだぜ?キャッチフレーズが「ザ・頭痛薬」なんだぜ?んでその下にあるのがローン支払いの明細書で、「手数料:$5.00」と書かれている。
俺のパソコンなんてもっとやばいぞ。Windows 7をインストールしてあるんだけど、新品のHDDだったんで入れたのは200ドルのフルインストール版だ。アップグレード版は100ドルなんだけど、ちなみにどっちもディスクの中に入ってるデータは実は全くの一緒。安い方はただ前のバージョンがインストールされてるかどうかが分かる機能があって、無ければインストールさせてくれない仕様なだけ。
パソコンを新調する事になったら、今インテルがテストマーケティングしてる新しいプロセッサを入れるかもしれない。で、そのプロセッサ、一部の機能が事前に意図的にブロックされてる。何故かと言うと、そのブロックされた機能が使えるようになる「アップグレードカード」を50ドルで売りつけるためだ。
連中は俺達を虚無に対して金を支払うよう教育してて、俺達はずっとそれに従ってきた。お前の机の上にだって「屁」があるだろ?
#2.
さっき電子書籍を例に出したのは理由がある。俺は機会がある度に本を出してる事を宣伝してる(内容は怪物とチ○コのお話)。今はペーパーバック版が10ドルくらいで出てる。書くのに5年かかった。けど現実は、もしアンタが電子コピー版を入手しようと思ったら、それが可能だって事。お前に金を出させるための「欠乏性」は俺達の妄想の産物にすぎない。John Dies at the Endは350ページ分の「屁」だ。
Amazon.comと大手出版会社の議論の原点はそこにある。誰も値段をいくらにすればいいのか分からない。何となーく適当に決めなきゃいけない。どうせ最初の一部を作ってしまえば後は生産費はかからないんだから。
その一方、俺と俺の家族と俺が賃貸と車のローンを借りてる銀行とIRSと俺が飯を買ってるスーパーは、みんな少し手を伸ばせば俺の本のコピーがすぐにタダで手に入れられてしまう事に気付かないという共通の期待を抱いている。やがて世界中が同じ期待を抱くようになるだろう。
で、その問題を何とかするのが、知的財産権を侵害する人間に対して、誰であろうと鉄槌を下す世界規模の条約b>ACTAだ。ネットの住民はみんなこいつを嫌ってる。何故なら①みんなのHDDを覗き見出来るレベルのプライバシーの侵害が出来ないと実施出来ない事と、②無意味だからだ。まるで沈んでいる船が海に大砲を向けて威嚇しているようなものだ。
何でこんな事をするのか?大企業やレコード会社はアクティビジョンの利益を守るためか?メタリカの反海賊版活動家(笑)ラーズ・ウルリッヒが純金じゃなくプラチナで出来た飛行機を買うためか?どっかのライターがサルにオートバイの乗り方を教えるためか?ふざけんな!
でも犬とフェンスの話を忘れちゃいけない。世界は変わった。全員にとって。俺もラーズ・ウルリッヒと同じ状況になったし、お前だってそうなんだ。
ラーズは音楽を売って飯を食って、お前は自分の労働力を売って飯を食ってる。いずれは氏の音楽と動揺、お前の人としての労働力は電子化されて低コストで代用が効くようになり、お前の技術は完全に無価値になる。
どっかのゲーム屋さんで働いてるって?次の世代のゲーム機はゲームを直接ダウンロード出来る仕様になるからゲーム屋なんていらなくなる。ビデオ屋だって同じだ。ブルーレイは多分俺達が最後に目にする物理的なメディアだろう。レジのバイト?セルフレジに仕事が取られるどころの話じゃないぞ。将来的にはRFIDシステムを導入して、買い物品を持ったままセンサーを通りすぎれば自動的に口座から引き落とすシステムになる。スターバックス?お前のやってる仕事の何が機械で出来ないって言うんだ?郵便局?あそこで働いてる奴は実質人間スパム配信機でしかないだろ。郵便物の半数以上は真っ先にゴミ箱行きになる不用品だ。メール社会となった今、郵便局にとって利益が得られる客はダイレクトメール業者しか残っていない。
ちなみに俺がサービス業ばかり挙げているのは、お前らの中の殆どが製造業で働いてるはずが無いからだ。そういう仕事の殆どはもうロボットにアウトソーシングされてる。
技術力の発展のお陰で、雇い主にとって労働の殆どはお前らにとってのネットポルノと同じ「欠乏のない」ものになる。連中にとってコイツはポルノと同じくらい勃起させてくれるものだ。
ACTAやMPAAやRIAAをどれだけ憎もうが、お前の給料は既に「屁」で支払われている。
#1.
文明を救うのは「ハッタリ」
こうして俺らは貪欲な企業どもに金を支払わなくても大抵のものはタダで手に入る事を喜んでるが、それは同時に企業どもが俺らに金を支払う必要もなくなってるって事だ。どちら側も、将来人々は特に理由もなく「“支払う”事を選択する」事を期待している。ゲーム屋さんなら、店員も会社も客が唐突にゲームに対して対価を払う事を選択し、それを人から受け取る事を選択してくれるようにと願っている。
「良い仕事をすれば社会はそれに対して喜んで対価を支払う」みたいな屁理屈はいらない。ネットの住人の俺は、その理屈がどうなってきたか見てきた。サーバが落ちるくらいトラフィックが多い人気サイトが、PayPalの募金口座で閑古鳥が鳴くばかりという理由で閉鎖に追い込まれるなんて何度見てきたことか。もしその仕事に対しての生来の価値に見合った対価を支払うのが人間なのなら、Achewoodが「お金ください」とお願いする事もなかった。
「自分で払う対価を決める」という制度は最終的には募金だ。そして人は特定の気分にいるか、余分なお金を持っている時にしか募金をしない。商業の代わりには成り得無い。
別に給料の話に限って言ってる訳じゃない。人間社会ってのは、人が作ったものを人が必要としてるから成り立っている。総合的なニーズが人を集結させ、リソースを共有させ、そうやって最初の集落が生まれていった。人はモノが必要で、他人が俺らに必要なモノを与えてくれるためにも、俺らが作ったモノを他人が必要としてくれなくちゃいけない。これが何千年も続いてきた人間社会の歯車だ。そして今その歯車が止まろうとしている。
という訳で、社会を救うためにも、今まで何度も人類を救ってきた見えないチカラに頼らないといけないようだ。俺はこいつを「ハッタリ」と呼びたい。
ハッタリは次の成長産業だ。ペットボトルの中の水が山の天然水だと、汚染された粉ミルクは乳児に命を吹き込むと俺らや教育を受けていない母親達に信じさせてきたアイツらは、将来的には外科医よりも重宝される事になる。
文明の発展と同時に、彼ら「屁」の守護者達は俺達が無から作れるものに対して、「良い人であるために」みたいな曖昧な価値観を元に、対価を支払う文化を形成するだろう。丁度Appleのロゴが、既に安価で出回ってるものと同価値のものに対して2倍の金を出させる洗脳効果があるのと同じように。
そしてやがて常温核融合炉やナノテク生産、人間一人につき100GB/秒のWi-Fi接続で電子コンタクトレンズに色々とダウンロードできる技術が実現化した時代になっても、ハッタリ師達は「古き伝統」を守り続けているだろう。3セントで複製機が吐き出してくる靴よりも、80ドルの靴を買えと。何せこっちは「手作り」なんだから。
「支払のための支払」を新時代のモラルとするかもしれない。それか「屁」を中心とした新興宗教か……
少なくとも俺らが他の方法を思いつくまでは。
ttp://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20100222/1266764649
あるとき、加藤周一さんから直接教えられたことがある。
江戸屋敷には設計図が無い。西洋の人が江戸屋敷を見学すると、その建築構造の複雑さに、これをどうやって設計したのか、大概の人が驚嘆するそうだ。回答は、日本の建物は部分から始める。まず第一に、床柱をどうするのか。つぎに床柱に見合う床板を探す。そして、天井板。その部屋が完成してはじめて、隣の部屋のことを考える。その後、”建て増し”を繰り返し全体が出来上がる。これとは真逆に、西洋ではまず全体を考える。教会がいい例だ。ほぼ例外なく、天空から見ると十字架になっている。で、真正面から見ると左右対称。その後、部分に及び祭壇や懺悔室の場所や装飾などを考える。
目から鱗が落ちた。長年連れ添った宮崎駿について本能で思っていたことが理解できた。彼の映画「ハウルの動く城」を思い出して欲しい。「鈴木さん、これ、お城に見える?」。そういわれた日のことを印象深く憶えている。宮崎駿は、まず、大砲を描き始めた。これが、生き物の大きな目に見えた。つぎに、西洋風の小屋とかバルコニーを、さらに大きな口めいたモノを、あげくは舌まで付け加えた。そして、最後に悩んだ。足をどうするのか。足軽の足か、ニワトリか。ぼくは「ニワトリがいい」と答えた。
これが、宮崎駿が西洋で喝采を浴びる原因だ。西洋人には何が何だか訳が分からない。理解不能のデザインなのだ。だから、現地での反応も、豊かなイマジネーションだ、まるでピカソの再来だ、になる。
この辺りは、オーディーン(映画)の冒頭で延々と海&帆船時代のロマンを語った西崎節の真骨頂か。
迫るブラックホール。
ブルーノアは横のデルタ翼が後ヒンジで開いてコスモパルサーを発艦させる。
残念ながら、ブルーノアもアンドロメダも全く活躍できず瞬殺状態。
雪、爆風に晒され(ミイラ解体ショーのような)不自然な脱衣を披露してどこかに消える。
ボロボロのブルーノアに助け舟を出したのはヒゲ&不潔な古代(本当に不潔)率いる貨物船ゆき。
不潔な古代、廃墟状態のブルーノアを神操縦で操りSUS艦隊を撃破。新米相手に存在感を見せる。
一方、雪不在のアンドロメダは満身創痍でワープ成功、惑星アマールに到着。
ヒゲ剃って地球に帰った古代、帰宅するも獣医見習の美雪に軽蔑される。
お父さんはヤマトに魂を奪われ家庭をないがしろにしている、とでも言わんばかりの美雪の冷たい言葉。
佐渡先生の動物病院でも、先生やアナライザーをも悩ませるほどの父への反感を露に。
先生の愛酒は旧作の「大酒」ではなく「唯我独尊」。アナライザーのメーターの作画崩れが目に付く。
携帯に召集の連絡があり家を出る古代。冷たい言葉で送り出す美雪。
長官ポストにまで上り詰めた真田さんの説得で、古代は第三次移民船団護衛をヤマトで行う事に。
司令部で折原がチラッと登場。
アクエリアス基地でヤマトと対面する古代。しかし待っていたのは生意気な新人共。いきなりボコられかける。
「俺達が作ったヤマトなんだぜ!」と所有意識過剰な新人。このノリは中盤まで引っ張られる。
実際のヤマトは、新人達も知らない秘密ギミックが搭載された真田さんカスタム仕様。
年取った太助には思った程の違和感なし。機関長らしさも充分、説明パートも適切な長さ。
折原が本格登場。ヒロインは美雪ではなく折原、完全にサーシャです。ありがとうございました。
古代、折原と呼んだり真帆と呼んだり扱いが一貫せず。パイロットの小林、折原に80年代調の求愛アピール。
移民船団&護衛艦隊発進。血気盛んな新人を満載してヤマトも発進。
発進シーンはBGMも含めて軽い印象だが、シーンそのものの印象はさほど悪くない。
悪いのは、発進・離氷後に余韻が全くなく次のシーンに切り替わるという「ヒキの演出」の稚拙さ。
この問題は全編に渡って顕著である。
ともあれヤマトは旅立った!
移民船団&護衛艦隊&ヤマト、ワープで惑星アマールの月を目指す。
哀れ、スーパーアンドロメダ級は単なる量産戦艦。主力戦艦に埋もれて全く目立たず。
ウルップ(ヨーロッパのもじり?)星間連合の会議ではSUS(USAのもじり?)国による捏造情報が流され、
第一・第二移民船団はわかりやすく航海半ば、中間地点で待ち伏せ撃破されていた。
真帆、中間地点付近で探査プローブを射出。敵の索敵グリッド様のモノを発見。
真帆、付近に存在するブラックホールの重力を生かしたスイングバイ航法による
ハイリスクな迂回ルートを提案。反対多数なるも古代受諾。作戦室のBGMはなかなか好印象。
移民船団が迂回ルートを辿ってワープ速度を得るための加速中、ベルデル・フリーデ・エトス国が敵襲。
コスモパルサー隊出撃。格納庫パート・発進パートでは小林誠氏の熱意を感じる。
格納庫と発進のシーンだけで設定資料集ができるのでは?という程の異様に凝った作画・演出。
しかし敵側メカの描写・戦闘シーンとなると途端に引いた構図やアッサリした描写が目に付く。
この、メカ描写のクオリティのムラの激しさも非常に惜しまれる。特に敵戦闘機の孵化シーンは酷い。
戦術もクソもない古代艦長。せめて陣形くらいは指示して欲しかった。
ヤマトの攻撃が非常に単調。単一目標を主砲射撃するか、バリアーor通常弾頭ミサイル発射。
どこにあるのかは不明だが、艦体構造物横(対空砲塔付近)にミサイルランチャーあり。
艦体側面ミサイルは移民船防衛時に使用。煙突ミサイルも登場して一安心。
主力戦艦のミサイルランチャー発射位置はアルカディアのボレット。
2520第三話でみられた、凝ったミサイル発射ギミックは残念ながら無し。とにかく煙だらけの戦闘シーン。
コスモパルサーのオプション装着型なのか別機種なのか「重爆機(たぶん重爆撃機)」登場。
ものすごく角張っていて大気圏内投下に不利そうな自由落下爆弾で、移民船を狙うフリーデ艦を倒す。
移民船をバリアーミサイルで守るヤマトを眺めて関心し、暢気に感想を漏らすエトス国ゴルイ将軍。
エトス国には武士道があるらしい。武士道に則って砲撃をやめるエトス艦隊。
ハァ?状態なヤマト一同に、ゴルイが唐突にSUSの非道を説く。利敵行為。
ともあれ移民船団も護衛艦隊もヤマトもワープ成功、アマール到着。
しかし問題はここからであった。
無事アマールに着いたヤマト。しかし、そこで対面したのは雪アンドロメダの残骸。
相変わらずリアルタイム通信の性能が凄まじいヤマトワールド。移住成功に沸く地球司令部。
アマールはどう見ても中東系イスラム国家。モスクに細密画、アラブ人、ムスリム風様式だらけ。
アマールは希少資源をSUSに提供する傍ら同国の庇護を受ける。産油国のメタファーか。
会談後、パスカル将軍に「SUSとの関係が悪化したら危険だから退去してくれ」と銃を突き付けられる。
しかし時遅く、SUS率いる多国籍軍の攻撃開始。破壊される町並。迫る敵戦車。
アマールとSUSの外交事情を配慮して武力介入できなくなったヤマト。ああ日本人。悩む古代。
宮殿には「ヤマトと組んで戦おうぜ!」と血気盛んな民衆が溢れ返る。ああアラブ世界@仮想戦記。悩む女王。
そこにゴルイ登場。「死に場所は選べるもんな」云々語る旗艦シーガル艦長。いきなり死亡フラグ。
ゴルイ、SUSのメッツラーさん(中の人は異世界人)と応酬。SUS旗艦マヤに特攻死。特攻一人目。
見せ場も攻撃もなく沈められた旗艦マヤ。メッツラーはお約束通り脱出。
マヤだけに、デザイン元はブラジルにある「コルコバードのキリスト像」?
ゴルイの死が何か心に響いたのか、アマールがヤマトと組んでの独立戦争を宣言。
ヤマトも星間国家連合に宣戦布告。独断専行で宇宙に敵を作り続ける古代、ここに健在。ファンはニヤリ。
洋上から煙突ミサイルで援護射撃を加えるヤマトの姿はトマホークを放つウィスコンシン。
「新たなる旅立ち」でイスカンダル洋上を進むガミラス空母の姿に萌えた人は必見のシーン。
ヤマト、移民船を地球に送った後に護衛艦隊を率いて星間国家連合との決戦に臨む。
ここでパスカル将軍ツンデレ発動。仲間にしてくれと頼み込んでくる。
アマール艦はとっても優雅。ピンポイントバリア装備の頼もしい奴。
地球・アマール連合艦隊VS星間国家連合・・・・とはいっても陣容は敵要塞とSUS艦隊、ベルデル、フリーデ。
ピチュンピチュン撃ち合う中、要塞の5連巨大砲が遂に火を噴く。
単身上昇回避するヤマト。しかし味方には何ら回避命令を出さず、地球艦隊あえなく壊滅。
敵味方構わず巨大砲で殲滅を図る要塞。吹き飛ぶ星間国家連合艦隊。
ヤマトはツンデレ将軍の捨て身のバリアで九死に一生を得る。ツンデレ死す。アマール艦全滅。実質特攻二人目。
「ツンデレ将軍の死を無駄にするな!」と単身で要塞に挑むヤマトだが、要塞のバリアに阻まれる。
見せ場が少なかった副長のターン到来。ヤマト艦首下部に搭載されたミサイル艇「信濃」で敵バリアを破るとの事。
搭載方法といい潜水艦然としたテイストといい、まさに「宇宙空母ブルーノア」搭載艦シイラ。
副長、決死の単独出撃。「地球をなめるなよ、宇宙戦艦ヤマトをなめるなよ!」は、実は信濃コックピットでの台詞。
古代に「3年間楽しかったよありがとう」的な辞世の句。根拠も何もなくバリア弱点発見、副長特攻死。特攻三人目。
バリアが「ガチャーン!」とガラスのように割れる。旧作ファンとしては「ヤマトが被弾したのか?」と一瞬錯覚。
要塞VSヤマトのガチバトル。要塞は1つ、砲台は5つ。波動砲の弾数は6発。キリの良いお話です。
SUS要塞に同士討ちされ、台詞もなく黙々と戦線離脱したフリーデ・ベルデル両国艦隊。
敵が体勢を立て直す前に決着を付けるべく波動砲を5連射開始。文字通りの連射。溜めも艦首回頭もない連射。
5発の波動砲エネルギーが砲台を潰すと、何故かスターデストロイヤーのような要塞本体もバラバラに崩壊。
クルーは要塞本体を「天守閣」と呼んでいた。おっさん節全開な例えが素晴らしい。
お約束のボスメカ第二形態は次元潜航艇。但しガルマンウルフではなく、卒塔婆を放射状に束ねたような異形デザイン。
上下左右前後問わず3次元上に浮上し、図体の割にはしょぼいビームをチョコマカ撃ってくる。
正面に一門搭載された大型砲含め、旧作に増してノーダメージ&鉄壁防御のヤマトにはさしたるダメージを与えられず。
古代、戦闘中に要塞背後の太陽状の天体が敵のエネルギー供給源だと(なんとなく)気付く。
潜航艇、太陽へ向かうヤマトに大型ファンネルのような卒塔婆型攻撃ポッドを放つ。しかしヤマトは止まらない。
太陽に残り1発の波動砲を撃つと、どういうわけか(離れた位置にあるはずの)潜航艇までもがバラバラ。
ヤマト勝利。
が、艦橋メインパネルにメッツラーさんが出たかと思いきゃ、異形の生物に変化してパネルからグニャ~と実体化?
魔人ブウと評される事が多いメッツラーさんの正体だが、個人的印象としてはディズニー的悪魔キャラ。
「もののけ姫」のでいだらぼっちの質感と色を持ったハデハデ悪魔。頭と肩の模様はなぜかアマール的。
ヤマトどころか、OVA版ハーロック登場の魔物「ヌー」をも遥かに凌ぐ違和感。困惑するクルー達。
古代に「この宇宙をくれてやる」などと物騒な言葉を投げかけてフッと消える。
そして地球帰還・・・・・といきたい所だがブラックホール急接近。地球滅亡まであと3日!
冥王星・土星があえなく飲み込まれる。天王星・海王星の安否は不明。
土星が飲まれる映像は序盤でも使い回されていた。全体的に素材の安易な使い回しが目立つ。CGの陥りがちな罠か。
ブラックホール接近に伴い、地球の天候も荒れ気味に。最後の脱出人員をヤマトに送り出す真田さん。
真田さんは地球残留。非常に格好良い台詞を吐くが、ネタバレは無粋と判断。劇場でご覧あれ。
佐渡先生、アナライザーも残留。ミー君は子猫との事。つまり旧作のミー君とは別の猫。
真田さんが送り込んだ救命艇に乗り込む動物病院職員。佐渡先生に脱出を勧める美雪だが、先生はヤマトの男。断る。
アナライザーが美雪を強制的に救命艇へ送り返す。どう考えてもセクハラのチャンスだが今回は無し。
美雪らを乗せて飛ぶ救命艇を落雷が襲い、あえなく森林に墜落。
ヤマトクルーも救命艇の行方不明を知り、若手隊員がコスモパルサーで救出に向かう準備をするも古代に止められ激怒。
パイロット小林らは古代を罵るが、古代が小林らを制止したのは「自分が救出に向かうため」だったと知り浅慮を恥じる。
ヤマト艦尾カタパルトからせり出すコスモゼロ。翼展開シークエンスが神。小林誠氏の良い仕事が目立つ。
無事美雪を救出した古代。雪の帽子を美雪に見せ、雪を探す決意を娘に見せる。残りの搭乗員は生死不明、華麗にスルー。
話はいよいよ終末へ。
美雪はヤマト第一艦橋にて父と共に。父娘の絆が蘇って一安心。
最後の移民船団&ヤマト、地球を去る。号泣しながら地球に別れを告げる移民組。
残留組は真田さんや先生のみならず、チベット僧と思しき坊さんなどなど。
ブラックホール接近に伴い、更に荒れ狂う空。サバンナでは曇り空程度。
わくわく動物ランド開始。ライオンが某大帝よろしく崖で吼え、動物大図鑑なシーンが延々と続く。宗教アニメ的。
佐渡先生曰く「動物が危機を感じていないのだから地球は大丈夫なのだ」といった説明。レミングですか。
ミーくんが子猫、という台詞はこの説明の際に出てくる。
そこにメッツラーさんがいきなり超ノリノリで登場。第一艦橋のド真中を占拠。この時を待っていたらしくルンルン。
曰く
「私の世界には恒星や惑星が少ないから、あのブラックホール状のモノで資源採取させてもらってマース」
との事。ひとしきりカミングアウトして消える、敵に優しいメッツラーさん。お茶目。
古代、メッツラー消滅の次の瞬間にブラックホール攻略のヒントを思い立つ。「制御装置を破壊する」
一方、ブラックホール内では通常の波動砲だと弾道が曲げられる危険性があるとの指摘。
折原らクルーは6発斉射を思い立つが、理論上可能でもハイリスク過ぎるとの折原の試算。
ここでまさかの真田さんターン発動。折原が波動砲斉射を試算した事が起動キーになっていたらしく、
真田さんが密かに仕込んでいた「斉射モード」起動。クルー驚愕。残念ながら本人の名台詞は無し。
折原らが制御装置発見。ヤマト、ブラックホール突入。途中で第三艦橋大破。電算室クルー全滅。折原死亡。
第三艦橋はメチャメチャに壊れ、球形の電算室も壁が破れて宇宙空間に露出。
新人が波動砲を撃つ構えを見せるが、まさかの展開その2。「俺が撃つ」と古代が新人を押しのける。
波動砲発射。ブラックホール破壊。ヤマトは本編中初めてボロボロに。
ラスト、眠るように死んだ(?)折原の姿に地球の姿がオーバーラップ。ナレーションも無くエンディング突入。
一部で騒がれてるほどには、監督&スタッフ名の大写しには違和感なし。
最後まで聞いて余韻の演出の拙さを補えば「新しいヤマト見たー!」的達成感も増す印象。
先日ぁたしがデェトをすっぽかしてしまったぉ相手ゎ…
がぁたし好みな婚カツ男だったのデス。
もちろんカレが婚カツしてぃるゎけですから、ぁたしも婚カツ中デス。
っまり…
ぁまり面識のなぃ男との2度目のデェトをすっぽかしたとゅうことですー。
こぅ明かすと少しゎ罪が軽くなったでしょぅか?
ぃろぃろ考ぇさせられます。
例えば…
と、感じます。
その後の連絡をSTOPしてぃるさいちゅうデス。
ぁたしがSTOPしましたが、カレも連絡して来なぃ感ぢなので
さて…
こんな2重苦3重苦を乗り越ぇて、半年くらぃ2人だけのパヮーで付き合って、幸せな結婚にぃたるのでしょぅか?
これ、地方で嫁のもらぃてがなぃとか、よほど何か結婚に困難な境遇のヒト同士でなぃと、前向きに考ぇられなぃよぅな気がします。
恋ゎ盲目と言ぃますから。
大事なのゎ
何か気持ち悪ぃ違和感のぁる態度をぉ互ぃに取らなぃコト
(マィナス要素を消すこと)
でなく
一発の大砲
(ずば抜けて魅力的でぁること)
なのでしょぅか?
どぅも婚カツとゅう出会ぃかたが、リァルょり険しい道のりに感じてしまぃます。
つぃでに次回ゎ
米軍は日本が軍事的に敗北したから日本にいるのではない。安保条約によって「日本防衛のために」基地提供を受けているだけだ。
そもそも海兵隊とは、下記のとおりだ。
海兵隊発祥の地はイギリスです。イギリスは島国なので、外国を攻撃するには海からということになりますが、海軍は上陸作戦を実行する軍隊ではありません。戦艦どうしが大砲を撃ち合ったり、陸に向けて艦砲射撃をしたり、ミサイルを発射したりするのが海軍です。それにたいし、海兵隊は海から上陸する斬り込み専門の部隊です。
アメリカは、イギリスにならって軍を整備したので、斬り込み部隊の名前は「海兵隊」になりました。でも、アメリカの海兵隊は、かならずしも上陸作戦をこととする部隊ではありません。海からであるとないとに拘わらず、先陣を切って突撃するための地上軍隊として発達したのが、アメリカの海兵隊なのです。
イラク・アフガン戦争はアメリカの負けである。最後のシーンで米国が悪あがきしているだけである。文化的にだけでなく軍事的にもタリバンは、田舎のヤクザ程度のそうした存在である。そんなものになぜ米国の強大な軍事力が日本をはじめとした列強の支援を受けながら、敗北しなければならないのか。 その原因は戦争原因の思想的弱さと、植民地支配が差別意識に未知、現地人の支持をみずから遠ざけて行ったことにある。
昔の軍艦ってのは砲弾とその破片を受け止める前提で作ってあって、装甲が厚い。
するとフネは大きく重くなるが、大砲をぶっ放すときに反動を受け止めるためにもある程度図体の大きさと重さが必要なので、そういう事情もあって船体は大きく重く堅い造りだった。
でも今の軍艦にはそんなに分厚い装甲はないよ。ロシアのキーロフ級なんて特別な例はあるけれど、まぁあれは化け物だから。
艦上にレーダーやアンテナなどの脆弱なハイテク装備がこんもり載っていて、攻撃も防御もそれに頼っている現代では
・まずは敵に見つからないことを目指す
・撃たれたら科学の力で敵弾を逸らす
・それでも敵弾がこっちに向かってきたら撃ち落とす
という方法で身を守っている。装甲を厚くしたところで敵弾が命中すればハイテク装備は壊れるし、図体が重く大きくなると隠密性や回避能力の点でかえって不利になるからあまり丈夫なつくりはしてない。
ま、最近はテロリストの体当たり攻撃とかあるご時勢なので構造を強固にしなくちゃいけないのかもしれないけど、それでもなお側面は難しいだろうね。正面は衝角とかドリルとかつければ強化できると思うけど。
やけに攻撃的にくるなぁ。
どうした?発情期か?
君はhttp://anond.hatelabo.jp/20090607205343の増田なの?
それ前提に書くけど、10代で卒業云々のくだりは別に君に向けてのものじゃないから。まぁ書き方がわかりにくかったとは思ってるよ。
勿論、アニメ独自の演出が好きなんだよな?
君の言う「アニメ独自の演出」に当るかどうかは分からないが、長回しのカットなんかは好きだね。
大友克洋の「大砲の街」とか「気まぐれオレンジロード」のOP(第三期)とかね。最近は少ないけどな。
あと、レイアウトやBGMや台詞の間合いなんかはアニメ独自の演出ではないけど、アニメの演出としては重要な要素だろう。
作画厨や声優厨には瑣末なことかも知れんけど。
イメージを重ねて見ようが、声優本人に直接それを押しつけない限りは楽しみ方の一つとして全然アリだと思うが?
俺的にはナシだな。そういう見方するとイメージが大きく違う役やってる時に、どっちかに凄い違和感感じるんじゃない?それって損だと思うけど。
それにそういう「ファンの声」も役者に伝わっちゃうだろうし。
不細工だから叩くんだよ。審美眼の無い奴には違いが分からんのだろうが。
俺にとってキャラは記号だからな。見分けさえつけばとりあえず許しちゃう。そもそもキャラクターの造形上の美しさは作品の本質とは関係ないじゃん。
とはいえ、作画が安定しているに越したことはないし、微妙なときにはイジるけど。
しかし審美眼とは大きく出たな。
どうせ数学偏重するならまず線形代数だろう・・・という突っ込みは置いておいて。暇な理系大学生が書いたトバシ文章の臭いがするが(自分もそうだから分かる)、敢えてマジレスしてみようか。
理系な科目は数学が出来ればそれでいいって種類のものではないと思うけどな。物理なんかでも、数学的な扱いが出来ないのは困りものだけど数学とは直接関係ない物理固有の考え方ってあると思う。「数式を通さずに理解するということが、物理法則を真に分かるということだ」みたいなことをファインマンも言ってたはず。紙を広げたまま落とすのと丸めて落とすのでは落下の仕方に差が出るけど、その差があるということを理解するのに数学はいるのか?紙の形状と摩擦力等を定義すれば数学的な解析は出来るけど、いつだってそうやって数学を振り回す必要があるのか?数学的な解析は重火器みたいなところがあって、確かに確実に制圧出来るけどフットワークは悪い。大砲だけでなくサブマシンガンも用意するべきだろう。数学的に高度だと物理自体の理解にしばしば邪魔になる。エントリ主は ISBN 9784254130911 みたいな本についてどういう見解を持っているのか聞いてみたい。
化学が量子力学なしでは「分からない」というのはシステムとしてモノを見るという視点が欠けすぎている。例えばマクスウェルの方程式を知らなくても電気回路は「分かる」のだ。
Vistaが叩かれている。知識人や知ったかぶりのエセ知識人がVistaを嫌っている。
でも俺は好きだ。XPよりVistaが好きだし、MacなんかよりVistaのほうがエラいと思う。
優れているかどうかは知らないけど、エラいと思う。だから俺は応援している。
俺は三菱を応援している。重工とか自動車とか。なんなら鉛筆も含めても良い(それはダメか)。
大きくてトロい企業でも良い。おかげで欠陥商品作っちゃうような酷い企業でも。それでも好きだ。
巨大企業なのにダメ企業で、巨大企業なのにいつも立場が挑戦者で、芯は、心では戦う企業なのが好きだ。
実際はどうあれ。だから応援している。
俺はNIKONを応援している。カメラといえばNIKONと言われるだけの世界企業。
一眼レフデジカメではブランド企業だ。だけどコンパクトデジカメでの微妙にイマイチっぷりが好きだ。
オールマイティに勝ってしまう大砲企業より、どうも上手く立ち回れないところが好きだ。
悪いんじゃない、ただ空気を読みきれない、そんなとこが好きだ。だから応援している。
みんな頑張れ、すごい頑張れ。俺は応援している。
私の体験は兵役としてソ連と直接交戦し、何回かの死線を越えて今日に生きています。あの悲惨さは決して忘れることなく静かになった自分の時間がある時は、真新しく蘇ってきます。
昔の軍隊は国民を強引に戦争に引きずり込んでいったのは、かえすがえす残念な思いがすると同時に、これを許した一般国民にも罪は有ります。これは戦争が封建的色彩の強い時代であった。今は民主主義が育ってきた時であり、正確な判断が持てる時であり、戦争を阻止しなければならぬと思う。
私は昭和十九年三月、満州の原隊に直接入隊、此処の野戦重砲二十連隊に配属されました。先に入った兵隊は関西のものが多く、言葉の違いからかなりビンタを取られ、戦争が終わるまでには下が入ってきたが、楽をすることはなく、戦争に突入してしまったのです。
戦争に入って、私は命令を受けて部下を二人連れて敵情偵察に出掛け、双眼鏡で丘に登って見ていた処、敵に発見されてしまったのです。恐ろしい勢いで撃ってきました。雨あられという言葉の通りそのもの、早速部下に伏せさせて、鉄兜を前の土に突っ込んで、第一に手をやられると何も出来ないので両腕を股間に差し込んで最低の姿勢をとった。かぶとに当たる弾は金属の響きで脳神経が狂いそう。この時はもう完全に命は無いものと覚悟をした。
だいぶ時間が経って、一寸した弾の空間を感じた。その瞬間を逃さず一歩後方に下がることが出来た。そして次第に後方へ下がった。此処が命拾いをしたことになります。そして自分の仲間の処へ帰ってきたら野戦重砲二十門が並んで反撃していました。周囲は敵弾を受けた仲間が足の一方はやられ、又手を失っている者、腕の無い者、顔がやられてそれから鮮血が流れ、物凄い場面である。よく言う阿修羅さながらです。自分と一緒に斥候に出た者の姿は無い。あの時、もう死んでたのであろう。この二人は満州開拓として妻子を連れてきた者が召集されて入隊してきて、年齢も相当に多かった。夫を頼りに来た家族のことを思うと何とそれに答えたらよいだろうか。
私は今この凄い場面を見て、到底手当てをしても見込みの無い者、苦しがってその場で転げ回っている兵隊、二目と見られない爆弾の破片を受けて顔の肉がなくなっている姿、この兵隊も恐らく長くは生きられんだろう。
その時、中隊長は軍刀を抜いて「山上、今楽にしてやるぞ」と天を仰ぎ神に祈って首をはねた。この者の頚動脈から血が流れ、身体がぴくぴく動いていた。この中隊長の顔にも破片がささって血が流れていたが、部下の手当てを先にせよと自分はしなかった。中隊長の鬼神も泣く行為である。
私はこの交戦の中で、弾運びをしていた時、百雷落ちるがごとき大音響、暫くの間、何が起きたか判らなかった。只只その付近一帯は土煙というか、何が真っ暗くさせているのか、全然見分けがつかなかったのである。一体何事が起きたのだろう、物凄い風が身体に衝撃を受けた。あとは太陽が見えない。周囲は塵埃に覆われて、爆音か暫く止んだ状態が続いたあとの静けさ、あの音響は金属音であったのだ。我野戦重砲の姿も形も何も無い。敵の砲弾が野戦重砲の正面に当たったのが、一瞬の出来事である。俗に言う木っ端微塵、大砲のかけら、そこには十二人の兵隊がいたのだ。鉄の破片も、人間の肉のかけらも発見することが出来なかった。大砲の据えてあった場所は大きな凹みになっていた。
その後、主を失った兵隊がさまよい歩き、幾多の死体、爆風でやられ、目と鼻の穴だけののっぺりとした兵隊、子どもの死骸があちこち、物を背にしてふらふらさまよう一般の日本人に遭遇、それはそれは筆舌に尽くせぬ多くの出来事に遭い、終戦協定のビラで捕虜になるまで、何時どうなるか不安の時を昼夜過ごし、安心して眠ることも出来ず、そして空腹の何日も満州の広野を敵兵から逃れて過ごしたことか。「もうどうにでもなれ」という捨て鉢の気持ちも随分とあったが、やはり苦しい中を頑張ったことが、最後の勝利になるのです。皆さんも何事も諦めないで最後まで頑張りませんか。八月十六日。