はてなキーワード: 中学生とは
「ワクチンのことなんか本当はどうでもいい!僕のことかまって!賢そうだからバカっていったらいっぱいかまってくれるよね!」
そこまでヒマなら働けよ
さすが暇人しつこいなw
えらいえらいw ヒマをこじらせて丁寧な嫌がらせえらいwwwwww
文脈つながってないからなんのことやらわからんけどなwwwww
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↓以下大きなのっぽの古増田 答えるひつようなし
荒らし行為を増やしてらw
というか中学生レベルの反論になってないことを書くやつには中学生にもわかるようにののしりかえしてあげたのね
もうちょっと賢い人にはちゃんと論旨がねじれておりますよといいますよね
憎んではないけど、こういう匿名で犯罪者も複数輩出しているサイトに出入りしてたら
アホの子は本当にみんながいってることは正しいんだって思っちゃうから
よしんばやさしくしてあげたところで犯罪者になるまで「もっとやさしさをくれ!さっきはくれただろ!」ってあばれまわるだけなんだからね
都議選が近く駅前は選挙演説などで騒がしかったが、少し離れたところで反ワクチンの立候補者がチラシを配っていた。
駅前から少し離れたと行っても人通りも多くかなり目立つ場所だ。なんなら駅前から期日前投票しにいく途中の道だし。
政府や専門家が伝えていないワクチンの真実をネットで検索してみてください。このままでは子供たちが危険です。
概ねそういう内容。
驚いたのは、若い支援者が小学生高学年〜中学生くらいの男子グループに「明日学校で配ってね」とチラシの束を渡していたこと。「わかりましたwwwwまじでやるわwwww」って笑いながら答えてたけど、あの年齢のノリと勢いなら本当にやりそう。
きっついな。
自分語りしかしないから、自分の人生の時間無駄にしたくない奴もここでバイバイしてくれ。
あと自分自身何聞いても何も行動を変容させられないって理解してるから、そういう奴もいるんだな程度に聞いて欲しい。
俺は小学生のとき親に6年制大学に入れって言われて生きてきた。
親の期待に応えるために小学生の頃から週6塾行って、進研ゼ〇の通信講座も受けてるって感じの生活だった。
ここまででわかる通り、俺の父親は結構良い稼ぎで母親は専業主婦。
一般的に見れば、今時そんな家庭あるんだなってくらいのまあまあ裕福な家庭だと思う。俺の兄弟が流産で死んでるってこともあって俺への期待は相当なものだった。
めちゃくちゃ贅沢な話だけど、俺はそうやって進路を固定されてただ塾へ通う生活が嫌でたまらなくて、小6で自死を考えるようになった。
勉強が嫌いだったんだよな。周りの友達が楽しくデュエマやってる中、一人塾行くのにチャリンコ漕いでるのが惨めに思えた。毎日泣いてた。俺もデュエマやりたかったし、モンハン3rdみんなとやりたかった。
自殺できる奴ってすげーよな。ニュースになる度に尊敬してる。痛いの怖いし。親を殺したって話も、俺にはやりたくてもできなかったから本当に凄いことだなって思う。俺は死ぬ度胸もなくて、周りの大人や友達に助けられながら中学受験を乗り越えた。
そうしてまた凄惨な毎日が、なんてことはなく、そこから俺は幸せな毎日を過ごすことになる。中学生になってすぐ、口から出す言葉は「死にたい」しかなかった俺にも優しくしてくれる人はいっぱいいて、いつのまにか普通に生きれるくらいにメンタルが持ち直してた。
どうしていじめられなかったんだろうって今でも不思議だ。本当に優しい子ばっかりだったんだと思う。
でも、毎日楽しく生きているはずなのに、俺は心の底では死にたいって気持ちが消えなかったんだ。正確には、生きていなくて良いなって感じかな。特別うおおお!今から死ぬぜ!!!!っていう気持ちがあるわけじゃなくて、機会があったら死にたいですね、くらいの。軽い死にたい。
なんでなのかわかる人いる? というか、一回死にたいと思って心折れたら、一生この死にたいという気持ち(いつでも死ねる、死がそばにある感覚)って消えないもんなの? ちょっと詳しいこと分からないけど、俺はそのまま生きてる。
話を戻して、そこから粛々と勉強して受験して大学入った。そこそこ辛い受験勉強だったけど、小学生の時に比べたらそんなでもなくて、いや勿論強く死にたいと思うこともあった。あったけど、3日に1日死にたいと思うってくらいで自分からしたらそんな辛くなかった。
そんではっきり言ってマジで幸せな日々を過ごした。とんでもなく幸せな時間をずーーーーっと過ごしてる。今も現在進行形で。
ネットで同人活動をやってたんだけど、大学生になって本出して「好きです」って言ってもらえて、本当に嬉しくて。今は同人活動やりつつも隠居って感じで、毎日ネットの友達とヴァロかlolやってる。リアルもまあ充実してる。あー幸せだなって思う。
けど、今は「もう人生満足したから死にたい」って思ってるんだ。す〜〜〜〜ごい満足してる。もう過不足ないんだ。
リア友もネットの友達もいて、大学通ってて、俺は嫌だけど一般的に見たらイイ親がいて、家に金があって不自由ない生活を送ってて、本当に幸せな毎日を過ごしてる。
6年制大学って試験が辛いんだよ。今も辛いんだけど、その先に国家試験ってのがあるんだよな。きっとそれって小学生の時のあの受験以上に辛い世界になると思うんだよ。周りのみんなはそれなりの志があって、立派で、頑張ってて、親のためにって理由でここに入った俺からしたら眩しすぎるんだ。そんな人たちでさえ国試辛いって口を揃えていってる。俺はきっと耐えられない、今度こそ。
だから、人生に満足して、最高ハッピーな今死にたいんだ。めちゃくちゃ死にたい。安楽死制度できないかな(いやわかる。終末医療患者ならまだしも健康な人の安楽死なんて働き口死なすだけで政府に一切メリットないし、色々な問題が付随して起こるだけってことはよく理解してる。現実にできるとは思ってない。でも欲しいと思ってしまうんだよな)
「将来のことじゃん。その時になって悲観しろよ」
わかる。俺もそう思う。こうやってうだうだ将来の来るかもしれない苦難に頭を悩ませるって馬鹿だよな。明日南海トラフが来るかも!!って言いながら失禁してるのと同じレベルなんだよな、俺がやってることって。ウケるよね、笑っちゃうよな。
でもさ、一回阪神大震災とか3.11経験した人がそうなってたら笑えなくないか。もう一回経験してるんだ、その辛さを。そして地震みたいに来るかも、じゃなくて100%来ることなんだ。俺は怖い。
「そんなに悩むんだったら大学辞めれば?」
わかる。俺もそう思う。でも、俺は両親の期待を裏切るのが怖いんだ。臆病だから。今まで一回も親に反抗したことないんだよな。両親が少し人様よりヒステリックだったし、もう豆腐みたいなメンタルを小学生の頃から抱えてた俺は親と衝突する元気すらなかったんだ。布団の中で泣くしかできなかった。あとノートに両親への呪詛書くことくらい。本当に笑って欲しい。二十歳超えて親に怯えてるんだ。
今はちょっと思う。どこかで失敗していたら。もし自殺未遂をしてそれを親に見つかっていたら、塾をサボっていたら、中学受験に失敗していたら、中学の特待を取り落としていたら、高校で3年間オール5を取らなかったら、大学受験に失敗していたら、どこかで親を落胆させる経験をしていたら、俺はきっと今のように身動き取れなくなってなかったんじゃないかって。
まあ多分実際そうなってたら親に産まなきゃ良かったとか言われて、絶望して死んでたと思うけど。それもそれで衝動で死ねて楽だったんじゃないかって思うんだ。
「贅沢な悩みだな、死ねよ」
わかる。マジで俺もそう思う。金も友達も環境も全てがあって、あとは俺が勉強頑張るって思うだけで大団円なんだ。本当にクソだな、本当にクソ。
たださ、ブラジルの子どもが腐ったパイナップルを食べて言う美味しいと、金持ちのご子息がキャビア食って美味しいって言うの、差があるのかな。どちらの方がおいしいと感じてるのかな。
俺は多分どっちも変わらないじゃんって思ってる。ブラジルの子は一般の美味しいものを知らないから、腐ったパイナップルの美味しさをめちゃくちゃ美味しいハッピーって感じるだろう。もちろんキャビアも美味しい。そこに差はないって思ってる。
けど違うんだよな。ごめんな。(詳しく知りたい人は消費税/所得税あたりの話を検索するとコレ出てくると思う。関係はないけど)
俺はこの例えで言うキャビア側だ。もちろんクズっていうのは本当に俺もそう思う。
これから今までの話関係ないクソなこと言うから、鬱病の人本当にごめん。匿名サービスでこれ言うの卑怯だし人類のクズだし罵って欲しい。
鬱病って診断されたら、俺は報われるのになって最近ずっと考えてる。
鬱病だから誰かに優しくして欲しいって思ってるわけじゃなくて、鬱病というステを使いたいわけでもなくて、鬱だと診断されることで俺が今まで生きてきた努力が肯定される気がするんだ。俺はもう頑張ったなって思いたい。いや、全然頑張れてないんだよ。頑張れてないからこうやってうだうだしてんだけど。もうちょっと頑張れよ俺。なんで勉強嫌いだなんて思うんだよ。
鬱病の人、羨ましいとか思ってごめんな。本当にごめん。現実では絶対に口に出さないから。本当にごめん。
「ここまで読んできたけど、結局未来の辛いことが原因で死にたいだけであって、満足してるから死にたいわけではなくない?」
俺もそうかなって思ってたんだけど、俺幸せを感じるたびに死にたいって思うんだよね。幸せなのが怖くて。いつこの幸せがなくなるのかと思ってずっとビクビクしてるの。
じゃあこれから先絶対幸せなことしかありません!って未来は100ないじゃん。たとえばここで大学辞めて適当なとこに就職しましたってなって、そこでも絶対に辛いことはある。努力しなきゃ生きていけないじゃん。生きるって努力するってことじゃん。
俺は努力して生きてないよっていうやつも、絶対に疲れたとか怠いとかそういう気持ちを押し留めて生きてるんよ。みんな本当に偉い。俺はもうどんな些細な苦痛も耐えられない。メンタルが豆腐どころか空気。生きてること自体が苦痛。もう幸せだから、満足したから、死なせて欲しい。
たとえば神様にもう一回人生やる?って聞かれたら、俺はやらないって応える。たくさんの幸せがあったけど、辛いこともあった。
その比率はきっと人様々で、大きな苦痛ばかりの人生の中の小さな幸せを金塊と感じて、もう一度生きたいと思う人もいると思う。ただ俺はたくさんの幸せの中の小さな苦痛が水瓶に垂らされた毒に感じるんだ。
本当にそう思う。ここまで見てくれてありがとう。読んでくれた君の今日が幸せな日であることを祈ってる。
「全員強制参加の隠し芸大会はパワハラの一種であり、法律によって禁止されるべき文化だ」
日本が高度に経済で成長しているとまだ信じていた頃、私は小学校に通っていた。
そして私がいわゆる高学年の頃、教師はやや熱血漢で、今で言う陽キャであり、小学生は誰もが陽キャだと信じている人だった。
ある日彼は
「お楽しみ会をやろう。皆が1回ずつ芸をやるんだ」
と口にした。
『うぜ~~。クソデカ宿題をノータイムで投げつけてきたぞアイツ』
となっていた。
その雰囲気を肌で感じとるうちに私はこう思ったのだ。
『どうせ皆やってこないから何も用意せんでも皆で怒られればええやろ』
と。
そして本番が始まった。
・小芝居
・組体操
・一輪車
・クイズ
・モノマネ
などの芸を次々と披露していく。
『さすがにそろそろ誰も出てこなくなるだろ』
と信じながら、残り人数が減るにつれて冷や汗がたれてきた。
『なぜあの陰キャまで……つうかアイツらの一輪車って隠し芸でもなんでもないがありなのか?つうかバク転って……毎日やってるがいいのか?』
そうして最後に3人が残り、吊し上げが始まった。
「Aくんがまだ残ってるよね?」
「Bくんもいるよ順番を早く決めなよ」
「Cくんやった?」
何かを察した教師はその3人を中央に立たせ、淡々とこう告げた。
「緊張しちゃってるんだな。じゃあ次のクラス会のときにやってくれればいいから」
私のクラスは週1でクラス会と言う名の中規模なホームルームがあり、遠足の班を決めたり学級裁判をしていたのだ。
これが意味する所は、
『これから毎週お前達が芸をするかしないかを追求していくからな』
である。
「じゃあ、A・B・Cは芸をやってくれるかな?」
なるほどね。
それぞれが10:1の不利なメンチ戦を仕掛けられたじろぐ中で、Aが手を上げ、そっと前に出てくる。
教壇に向かって歩み出てて、お互い無言で教師と場所を入れ替わる。
見えない……。
とはいえなんだかんだ手品っぽいことが行われているので、彼の雰囲気をクラスが察し身振り手振りに合わせて声が上がる。
元々緊張しいのAは最後にはプルプルとなりながらも手品を終え、無言で自分の席に歩みだす。
そして、私達2人に向けて注がれる視線を、3分間下を向いて耐え続けると。
「じゃあ次のクラス会でやってくれよな。次の議題は」
一週間ごとの晒し上げタイムが定番となったまま冬休みへと突入していった。
もはやクラスの全員は我々2人をある種のレジタンスとして認定し、教師はその状況に対して淡々と追求をするだけとなっていた。
「じゃあ冬休み中に芸を考えてくれたよな。B。C。」
もちろん、何もない。
私とBは特に仲が良いわけでもなく、遊ぶグループも違うので口裏合わせのようなものは一切なく、ただただお互いが純粋にやるのが面倒くさいから何も用意してきていないだけだった。
『2人で組んでなんかやればいいじゃん?』
という話題が私に振られることもあったし、教師が私達に個別で言ってきたこともあった。
だが2人で組もうがなんだろうが、そもそもやりたい隠し芸がない。
今になって考えれば簡単に「犬と飼い主」や「二人羽織」等の定番コンビ芸を1時間ぐらい練習してさっさとやればいいだけだと思えたろうがとにかくその頃の私達は違ったのだ。
季節は巡っていき、やがて春が来て、私達は卒業していった。
卒業式が終わった後、クラスにそっと集められたとき私はなぜか。
『まさかここで、隠し芸の話はしないよな?』
と思いながら教師の話を聞いていた。
話が頭に入らない。
隠し芸の話をするなと祈ることと、そう祈っていることが察せられないようにするので精一杯で何を言っているのか聞こえなかった。
この話はここで終わる。
ただこんだけの話であるが、あの日3人揃って晒し上げられたときの空気は今でも忘れられない。
ちなみに中学生の頃、私は隠し芸を2つ身につけることになる。
それを使って大学時代はコンパをし、社会人になってからは飲み会でいきなり振られた時に披露したりもした。
なお、ものすごく評判が悪くてどちらも大失敗に終わっている。
隠し芸文化はクソだ。
以上だ。
オチはない。
他の場所より格段に「誰が言ってるかより何を言ってるか」がつよいから好き
あと基本が陰の者だし論理的だし倫理観とかリテラシーが他SNSより全然高い、全然マシ
国の税収コロナ前超えのニュースに、仁徳天皇の民のかまどの煙エピがブクマコメにつく教養とか好き
でも女性もいる、だいぶいる。いるけど性別どうでもいい部分とモテとか意識しちゃう中学生マインドが同居してる
マンガ好きだし時々漏らす
〇〇すると子は〇〇になる、ていう話がネットに色々転がってるけどさ。
過干渉な母親と無関心の父親に育てられたけどニートになってないし、
両親はテレビとゲームばっかで本なんか読まなかったけど俺は本の虫だし、
美術の宿題を毎回母親に「ホントあんたって絵心ないね」と罵倒されながら全部書き直されたけど絵を描くのは嫌いになってないし、
中学生の時に自分で作曲して弾いてたら「つまらない曲」「音楽やりたいなんて言い出すなよ、才能ないから」と言われたけど今でも音楽の才能あると思ってるし、
いい大学入っていい会社に就職して定年まで働き続けるのが一番だ、とずっと言われ続けてきたけど俺はそう思ったこと一度もないし、
物心ついた時からオタクだった。人生で一番最初の推しはバイキンマン。次がセーラーマーズ。小学生になったら犬夜叉の殺生丸様に恋をした。
寝る時はいつも推しの好きなシーンを脳内再生したり、推しとオリジナルキャラクターの絡みを考えたりしていた。
中学生になり夢女子から腐女子に進化してからは、推しキャラの絡みを考えて眠った。大学生までそんな感じで、大体朝までぐっすり寝ていた。
しかし社会人になりコンテンツにどっぷりはまる気力がなくなったの加え、数年はまったジャンルに冷めたりと色々重なり、初めて推し不在の状態になってしまった。
仕事が忙しいのでそこまで不便はないが、寝る時に考えることが何もない。
何も考えないでいると、頭に浮かぶのは過去の恥ずかしい失敗や将来への不安ばかりで、目が冴えてしまう。なかなか寝付けない上に、眠りが浅くなって深夜によく目を覚ますようになった。
推しにメンタルを支えられていると思っていたが、フィジカルも支えられていたのだと気づいた。
推しがいない人は一体何を考えて眠りについているのか教えてほしい。
【追記】
反応たくさんあってびっくりした。ありがとう!
オタクとか推しって言葉についてはあんまり深く考えてなかったけど、
オタク→二次元が好きな人(二次元以外にはまってる人はドルオタとかバンギャとか、別の名称があるイメージ)
推し→その人のことを考えると脳から快楽物質が出て世界が一気に華やかになる存在。
なんてことない日常風景でも、ここを推しが歩いてたら、推しカプが買い物してたらって考えると映画のワンシーンみたいに情緒溢れる景色に思えてくる。
そんな感じ。
あくまでも私の中の定義だから、一般的には違うと思う。ごめんね。
もらったコメントで気になったやつ。
試したことあるけど、どうしてもネガティブな方向に行っちゃうんだよね。
例えば猫が思い浮かんだら、「今この瞬間にも外にはお腹を空かせてる野良猫がいるんだろうな…」とか頭によぎって寝られなくなる。
一時期推し的なポジションにいたけど、もう家族とかパートナーになっちゃったかな。
ほぼ毎日在宅ワークだから、確かに運動不足。意識的に運動するようにしたい。
これが一番眠れそうな気がする!
今日から最高の推しカプが最高に映える世界観とストーリー考えて寝ます。
性的同意年齢の引き上げで、「子どもの自由意志を認めないのか!」って意見あるけどさあ
別に性的同意年齢が引き上げられたところで、中学生とやって逮捕されるのは大人だけだろ?
「子どもは無垢じゃない。子どもの中にだってHしたいと思う子はいる。」っていうけどさ、別に性的同意年齢が引き上げられたところで子ども側に損害はないわけじゃん。Hな女子中学生は好きなだけセックスできるし、その自由は全く制限されてない。ただ法的に「性的同意」が認められないだけ。それってなんか問題あるの?※1
自殺の自由だって法律上認められてはないけど、自殺を禁止する法はないから自殺の自由はあるだろ。同じじゃね?
Hな女子中学生は成人男性と真剣交際する自由がある。一方成人男性は大人として女子中学生と一線を超えない責任がある。それだけのことだろ。性的同意年齢の引き上げを未成年の自由の問題にする奴らいるけど、元は成人に課せられる責任の問題だろと。
その点を無視して子供のセックスの自由を主張することにとてつもない違和感がある。子どもの自由と大人の責任はセットだろ。
同意年齢引き上げに反対するにしたって、「(同意があるにしろないにしろ)大人との性行為で傷ついてしまう子ども」の存在は無視できないわけで、それを防ぐために俺ら大人としてどう責任持つかは考えて欲しいのよ。大人がきちんと責任を持ってこそ、子供の自由が拡大可能になるはずだ。
子役だって児童労働ではあるが、周囲の大人が児童の労働に関して責任を追ってるからこそ存在できるんだ。同じだろ。いくら子役が深夜まで働きたいといっても止める責任が大人にあるし、止められなきゃ逮捕されるのは大人なんだ。
子どもに関わると、恋人だろうがなんだろうが大人としての責任が生じるんだよ。責任を負え。
※1 「HしたいけどHすれば愛する人が逮捕されてしまう中学生」という問題は確かに考えうるが、「性被害を受ける中学生を1人でも減らすこと」のほうが優先すべき問題だと個人的には思う。
「中学生が愛する成人と安心してセックスできること」を重要視する人は、「性被害を受ける中学生を減らすこと」との両立の道を探る責任を持つべきだと思う。中学生の受け得る被害を無視し、中学生の自由のみを主張する人間は心底軽蔑する。
「理屈なんて意味ないと中学生の頃学ぶから」とすべきなんじゃない?
「中学校が義務教育であることは自明なんだから、中学校や中学生って単語と義務教育を並べる理由がないんじゃないか?
「義務教育の中の中学校での教育で習う」と強調したいのかもしれんが、文章がそもそもメチャクチャすぎて細かいニュアンスまでは読み取れんわ。
・・・つか、これ去年もやったというか年がら年中、国語先生がやってる
関連増田:> 馬鹿だこいつ 誤読してやがる これだから低学歴は(anond:20200706105835)
関連増田:リテイク(anond:20200906135911)
2020-07-06
> 日本語には主語が必須だとお前は幼稚園で教わらなかったの?
> がーいじっ
いや
小中学生を組体操と称して死傷させてうめき声を聞くのが日本人の全員の趣味だし
自分の子供が中学生になったら学校の授業でファイヤーダンスをしてほしいと思うのが普通の日本人の親の全員
格闘技の試合があったら「タップする根性なしは日本人じゃない。死ぬ気でやれ。」と声援を挙げて死亡事故を起こさせようと頑張るのが日本人客の全員