はてなキーワード: ヨハネスブルグとは
2月下旬、パリ。孤独な出張のおっさんに、冬の雨が冷たい。美術館巡りも飽きたので映画でも見るか、ということで言語がわかる「君の名は。」。調べるとミニシアター3箇所だけでしかやっていない。他に週1や月1の公開が何か所か。マジかよ、パリ都市圏1200万人に対して3か所かよ?いや、公開後2カ月経っているからこんなものか。まだやっているのが奇跡というべきか。海外XXXスクリーンで公開、というが実態は毎日やっている館数は一部なのではないか、という気もする。
どのミニシアターもかなりのマニアック臭がする。一番近いのは10区の北東。10区か。。。パリの治安はあまりよろしくない。正確に言うと、普通の場所と悪い場所があるのだが、北と東は悪い。10区は悪いほうである。行くだけ行ってみるかと、これも評判の良くないRERに乗って移動。RERはパリ近郊の中距離列車である。日本人観光客は、空港から市内までの移動でB線と、市内からベルサイユ宮殿までの移動でC線にお世話になるのだが、間接照明で社内は薄暗く、社内中にトイレの匂い漂っている。刃物で刻まれたガラスや壁への落書きが痛々しい。日本から来た新婚さんが、最初に夢から覚めるのがこのRERである。とはいえ最近は新型車両へ交換が進み、新型の社内はキレイで、快適に利用できた。
目的地の映画館は移民街の駅にある。地下鉄駅から上がってみると、何をしているのかよく分からない人たちが、歩道にわんさかいらっしゃる。手に何か持って売っていらっしゃる人、呼び込みをしていらっしゃる人、一番多いのは何もせず通り行く人を見ていらっしゃる人。東洋人はほぼいない。白人もかなり少ない。過去パリの激安ツアーではこういうところのホテルを使って安くあげていたらしいのだが、さすがにトラブルが多いので最近は減っているらしい。映画館自体は意外に普通で、ほかにもミニシアターをみかけたので映画館の街かもしれない。だが「三葉!」「瀧君!」とかそんなスイートな映画を見た後に、このハードボイルドワンダーランドを通って帰るのも、おっさんの寂寥感が増幅される気がして、3つのうちほかの映画館に行くことにした。
テロはあったものの、最近パリの体感治安はマシになってきている気がしており(おっさんは年に数回定期的に出張に来る)、日本大使館HPを見ると確かに日本人の被害件数は減っている(観光客が減っただけの可能性もある)。一方で、こんな警戒情報も出ている。空港から市内に向かう渋滞中のタクシーの窓を割って乗客の膝の上からバッグを奪う。そんな荒っぽい強盗が流行っている。日本人も1カ月の間に6件も被害に遭ったらしい。ここはリオデジャネイロか、ヨハネスブルグか、と頭がクラクラする事例である。
さて、移動して来たのが南にある6区のミニシアター。6区はリュクサンブール公園など、日本人のイメージするパリである。このミニシアターは面倒くさそうな意識高い系シアターの雰囲気。白人フランス人しかいない。日本映画を上映しない限り日本人が来ることもないだろう。
俺「君の名はのチケットくれ(英語)」店員「吹き替えでフランス語だけど大丈夫だよね?」俺「吹き替え?マジで?」店員「冗談、ごめん、字幕だよ」とのこと。フレンチジョークをかましてきやがる。100席程度の小スクリーンとはいえほぼ満席。両側に客がいる状況である。両方とも可愛い20代女子である。しまった、さっき一風堂で餃子とマー油(焦がしニンニク油)入りラーメン食ったばかりだ、などと緊張する。絵にかいたようなおっさんである。客層は俺以外全員が白人フランス人で若者老人からファミリーまで。片側の女子が後半ボロ泣き。隣の彼氏が慰めながら、俺の隣で濃厚なキスをかましてやがる。クソが(嫉妬の文化)。逆側の女子もすすり泣きだったので刺さりは良い模様。エンドロール誰も立たず。イギリスでは残る人がほとんどいなかったので、文化差なのか、満足度差なのか、たまたまなのかよく分からない。
さらに続いて南の14区、モンパルナス近くのミニシアターへ。完全に住宅地の中にポツンとあるライブハウス兼ミニシアターで、区民会館のような立地である。ところで、どんだけ暇なんだ俺。ここも100席程度で、レイトの割に入りは良く6割くらい。またもや俺以外全員白人フランス人。レイトショーなのに小学生くらいの子供がいる。ありなのか?夜更かしするこういう悪い子が、地下鉄で強盗するパリの青年ギャングになっていくのか(違う)。あっという間に上映終了。終了後の会話に熱があり(フランス語なので内容はまったくわからないけど)、こちらも観客の満足度は高そうであった。
Allocineというフランス語映画サイトがある。映画館もコレで探したのだが、観客レビューで「君の名は。」はなんと歴代4位。
http://www.allocine.fr/film/meilleurs/
レビュー数が少ないから高めに出てはいるのだろうが、上から順に、フォレストガンプ、ハクソー・リッジ、グリーンマイル、君の名は。、ジャンゴ、シンドラーのリストである。フランス語サイトなので、日本人やアジア人が投票としているとかではあるまい。興行収入はたいして上がっていないようだが、評価はかなり高いようである。サイト上このまま記録として残っていくのか、と調べてみると、100位以内におおかみこどもの雨と雪とか、かぐや姫が出てくる。このまま残っていくようである。若干大丈夫なのか、という気がしなくもない。
英語圏のIMDbでもレーティング8.7であり、IMDbは最低25000レビューないと歴代ランキングに乗らないらしいので対象外だが、8.7を歴代ランキングに照らすとこれも12位-18位相当である。同じ8.7はフォレストガンプ、ロードオブザリング、マトリックスなど。現在22000レビューなので今後歴代に入ってくる可能性はある(ただし歴代に乗るときはレビューの重みづけアルゴリズムが発動して、レーティングが変わるようである。)。
http://www.imdb.com/title/tt5311514/?ref_=fn_al_tt_1
アニメ好きを中心とした少数レビューゆえの点数ではあるのだろうが、それにしても高評価である。日本映画は、欧米展開時の配給が弱かったり、マーケティングがあまりなかったり、スクリーンもミニシアターや隔日ばかりだったりと、ポケモンやドラゴンボールなど確立されたキャラクターを除いては、欧米で興行収入を上げるにはまだまだ厳しい条件が多いのだろうが、このように高評価の作品が続いていけば、道は徐々に広がっていくのではないかと思う。
<hopelessness>
これは、どうにもならない。
</hopelessness>
少なくともある程度本を読む人間にとって、彼の代表作、評価、 その死後の受賞歴を長たらしく記す必要がない程度には。どうしようもなく。
それゆえに、ある種の人にはその逝去を悼まれる死者として、またある種の人には越え難い壁として、
そしてある種の人々には華々しい装飾品として扱われる。
更に法人からはSF業界に新しい息を吹き込む新鋭として、 また広告塔として。素材として。贄としてだ。
小松左京賞を逃した『虐殺器官』が早川書房へと持ち込まれ、ハヤカワJコレクションとして発刊される。
本作の評価、また出版のうえでの編集者との出会い等がなければ『ハーモニー』が生まれることはなかっただろう。
彼の死後、同社より、関連書籍の刊行が相次いだ。 『伊藤計劃記録』をはじめとして、ブログ及び個人ページに書きためていた映画評、
同人雑誌への寄稿が次々と出版され、多くの読者たちの手に渡った。
『記録』の主な素材は短編小説のほか、彼のブログに重ねられた書き捨ての文章である。その時既に彼の文章は死者の書物として上書きされていた。
だが、それらの文はインターネット上といえ、確かに人に見せるために彼自身の手により発信されたものだ。公開できるものとして。自らの分身として。
豚はその皮を食い破り、腸を捕まえる。裂け目から沸きだした臓物の汁の一滴まで啜り続ける。 その餌を与えたのもやはり同じ、早川書房である。
文庫化を機にベストセラーとなった『虐殺器官』には、解説という名の追悼文が録されている。
近しい知人のみに公開されたmixi日記に連ねられた彼のことばが、共有される感動の実話として金を集めていく。
豚たちにとってそれは飲み込まれるのを待つだけのコンテンツ、喪失という名の欲望を満たすために在るただの肉でしかない。
彼の最大の不幸もまた同社との出会いであった。
現在、ブックファースト新宿店では「伊藤計劃を超えろ!フェア」が実施中である。
新宿駅から西口方面に足を運んでみれば、きらびやかなポップ体の横断幕がきみを出迎えてくれる。
並んでいるものを見れば何ということはない、ただの新人博覧会だ。
ただの博覧会であるからこそ、彼の名を据える必要がどこにあるのだろうと考える。
それは書店を出て左手に曲がれば見える、マクドナルドの壁に張られた新作商品の広告、
プリンタの限界まで引き延ばされた少女たちの、血色の粘膜をめいっぱいに広げ、バーガーにかぶりつこうとする笑顔と何も変わりはしない。
意味など最初からない。それは羽虫たちを惹き寄せるだけのためのただの明かりだ。
...そんな「人間の意識」だけが死んで、自分のように振舞う要素だけが、
これこそまさに、煉獄というやつなのではないか。
伊藤計劃はこれからもコンテンツとして生き続ける。言及は絶えず続き、没後の節目を迎えるたびこのような商業作戦は行われ続けるだろう。
「彼の本が」ではない。「彼が」でもない。そこに掲げられるのはもはや彼ですらない、幻想としての"伊藤計劃"だ。
"それ"は新刊をさばくための道具だ。士気を煽るための墓標だ。いつでも痛みを味わえる、簡単で都合のいい薄っぺらい擦り傷だ。
またはただの便利な、ブログやツイートの空白を「かんがえさせられましたにっき」で埋めるための装置だ。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
彼らにとっての社会はそこで閉じている。「知っている」「考えている」ところを「他人に見せる」ことで完結している。
だから少しでも話が小難しくなればWikipediaさえも読み通せはしない。
ただ彼を善く語ることで自分を見せることしか考えていない読書人を殺せ。
売れる本を売れるときに金に換えるためだけに存在するキャンペーン型書店を焼き倒せ。
故人をコンテンツにフォロワーを増やし、友達にくだらない話をすることばかりしか頭にないソーシャルクソ野郎を排除しろ。
創作物に死の匂いを振りかけて、クソ野郎のための新しい餌の在処を振りまくクソ書房はおとなしく無個性ライトノベルでも出していればいい。
派手な色彩の建物はまかりならん、と誰が法律で定めたわけでもないというのに、そこに広がっているのはひたすらに薄味で、
何の個性もなく、それゆえに心乱すこともない街だった。
どこまでも、ひたすらに、河の両岸を果てしなく。
彼らの漬かった沼を満たす泥は金だ。あるいは承認の欲望だ。
社会的であらねばならないこと。そのポージングが直結する意識下、無意識下のスタンドプレイ。同調圧力の強要。
彼が稚拙ともいえる比喩で、『ハーモニー』の作中、あからさまに批難したのはこのやさしさの窒息ではなかったか。
取り合う手と手に首を締められるその苦しさではなかったか。
『虐殺器官』に描かれた偽りの平和主義の破壊に、お前は何も思うところは無いのか。
自分が何を読んだのか、何に心を動かされたのか、少しでも彼の書いたもののことを思うなら、WiFiの電波をオフにしてもう一度考えてほしい。
墓の上のワルツを今すぐにやめろ。
彼は神ではない。
彼は救世主ではない。
お前を輝かせるための装飾品ではない。
お前はお姫様ではない。
ただの惨めで愚かな豚だ。
歌って踊るだけのこの世の屑だ。
臭い口を閉じろ。
彼が評価されるべき理由は「死んだから」ではない。
ブックファースト新宿店様ではただいま「伊藤計劃を超えろ!」フェアを開催中です!
藤井太洋さんも含めた次世代SF作家の代表作がドバーッと網羅されています! 必見です! http://pic.twitter.com/soYpfhPPDn
恥じろ。 醜い。
昨夜25時の話。
久しぶりに私事で帰りが遅くなった私は、そういえば昼から何も食べてなかったな…と思いだして駅前のマックに立ち寄った。
「こちらでお召し上がりですか?」
特に何も考えずにそう答えて、ホットコーヒーとチキンナゲットをトレイに乗せて、テーブルのある方に向かった。
深夜は2階席へ向かう階段が閉鎖されていて、1階のわずかなエリアだけが使えるようになっているようだ。
たしかに2階の広い場所を開放していたらヤンキーやホームをレスした人達でいっぱいになるだろう。わからないでもない。
しかし。
1階のわずかな客席エリアも、すでにヤンキーとホームをレスした人達でいっぱいになっていた。
それどころか、すでに座る場所も足りてないから、そこら中でヤンキーの子たちがウンコ座りで地べたに置いたペーパーの上のポテトをむしゃむしゃ食べていた。
「あのー…テーブル、開いてないと思うんですけど、2階とか使えないんですよね?」
「そうなんです…。テーブルが開くまで、しばらくお待ち下さいとしか言えませんので…」
「いや、じゃあ、これ持ち帰りにしてもらえます?」
店員さんはすぐにトレイのものを持ち帰り用の袋に詰めなおして、何度も「本当に申し訳ありません…」と繰り返していた。
帰り道、なんとなくながら考えた。多分だけど、こんなところなんだろう。
・本社は24時間営業はさせたいけれど、深夜をヤンキーとホームレスの溜まり場にしたくはない
・だから、深夜は極力イートインのコーナーは狭めるように命令している
・そして、多分だけど本社からは指令として「深夜に一定時間以上に滞在している客は注意して追い出せ」とか文書で一方的に命令している
・でも、現実問題として、彼らは一旦居座ったら、バイトがいちいち注意したところでみすみす出て行ってくれるような連中じゃない
・結果、狭い店内でイスやテーブルからもあぶれてウンコ座りで食べだすヤンキーがあらわれてもどうしようもないし、もうどうする権限もないし、どうせ自分の会社じゃないし、バカな本社が悪いんだし、もうどうにでもなーれ☆
・そうしてこうなった
多分だけど、そんなとこなんだろうなあ。
なんだろうなあ。最近のマックがダメな理由、全部その辺に集約されてるんじゃないかなあ。と思った。あと冷たいナゲットは食えたもんじゃなかった。
(13.7.11追記) うわああああ気持ちわりーブクマいっぱいついてるううううー。
伊藤計劃の幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描く、というが読後に感じたのはバラード的なものを読んだというよりは、90年代に読んだいくつかのサイバーパンク小説に通徹していた一種の非情や無常をはらんだ物語たちのことであった。バラードのテクノロジー3部作や『ウォー・フィーバー』に近いものがあることも確かだがそれらと比較するのは野暮であろう。これは21世紀に生きる我々の問題を扱った「今」を生きる小説なのだから。
政情不安、内戦、グローバリズムの暗部、といった人類の憂鬱な現在と未来。そこで生きる人々の日常とともに、「未来ガジェット」をも魅力的に描き出す。現代日本SFにとって亡霊のような存在になってしまっている伊藤計劃が、代表作『虐殺器官』で実現したこのスタイルを、宮内悠介はこの『ヨハネスブルグの天使たち』で踏襲しています。
テロが頻発し、持つ者と持たざる者が極端に現れつつある現代社会の延長線上に待つものは何か?それを問うているのが本書である。(略)どのような宗教、民族、イデオロギーといった価値観は対立するものと表裏一体であることを、強く意識させられる。
「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。
SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、
「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として
ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
虐殺の文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。
しかしその死後気鋭の作家がポンポン表れるはずもなくて、ラノベ作家による駄作JA・Jコレの連発にガッカリしながらも
いかに救いようのないゴミを褒めちぎるかとか、イヤミスブームに乗っかったどうしようもない駄作でコミュニケーションを図ったりといったあたらしい遊びで時間を潰したり新時代を体現する新人作家を探していたのは読者も恐らく出版社も同じこと。
そこにようやく以後を書けそうな作家が現れた。それが「盤上の夜」で創元SF短編賞山田正紀賞を受賞した宮内悠介。
小説の腕それ自体は処女作がいきなり直木賞候補にノミネートされたことで折り紙つき。
そんな奴が地域紛争と911をテーマに連作短編集を出したもんだから既存の社会語りたいおじさんはもちろん、伊藤ウェーブに乗り遅れたぼくも社会を語りたいぼくがわたしが殺到して、結果こんなんになるよねーって感じ。
おまけにそのムーブメントを煽るような帯。”伊藤計劃が幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描いた”。
何が言いたいのかさっぱりわからないが社会語りたいマンにはこれが何かの免罪符に見えるんでしょうかね。
やるせない。そういう思いが読後、胸の中を占め尽くす。登場する高層建築物と言語、宗教の問題はバベルの塔を彷彿とさせて。間違いなく、9.11後、世界の在り様は変わってしまったのだろう。作中で言うところの分岐点だったのかもしれない。DX9はそのままLARsの運用問題を問うているように思える。DXに人格をコピーすることは果たしてその一つの解になり得るのか・・・考えさせられる良作だった
こういう輩は「意識させられました」「考えさせられました」をいくら繰り返したところでなんの意味もないことを社会科見学で学ばなかったんだろうか。
んなもん「あなたの恋人が突然死んでしまったら、どうしますか?」系クソ映画の感想にでも垂れ流しとけばいい。
お前は著者が丁寧に羅列してる参考文献の一冊にでも手を伸ばしたのか?
せめてタイトルで検索をかけるくらいのことはしてるんだろうな?
最後に賢そうなことを言おうとして一番アホっぽく見える、最大公約数な感想を引用して終わる。あーイラつく全員死ね。
まず舞台がねー、ヨハネスブルグ、ニューヨーク、ジャララバード(アフガニスタンの都市)、ハドラマウト(南アラビアの一地域)、それから西東京とバリエーションに飛んでいるがそのいずれもがアフリカやら中東あたりのなんかとっても危なそうな地域と絡んでいる(すげー知能の感じられない把握の仕方だが)まずこの舞台設定が珍しいよね。
これは凄い。『ヨハネスブルグの天使たち (Jコレクション) http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20130525/1369463211
追記。
補足で言いたいことはだいたいブクマで書いてもらってると思うんで、
ところで他人の感想をこき下ろした本人は”ヨハネスブルグの天使たち”を読んでるのかね?そしてなぜ自分の感想を書いて勝負しないの?作者である宮内先生にではなく、近親憎悪的に他の読者に当り散らすのはなぜ?つまり一番語りたがってるのは自分なのに、口に出すのが怖いの?やり返されるから?
青の零号 @BitingAngle https://twitter.com/BitingAngle/status/354620359674298368
A2.えっ…感想で勝負?wwwwしょwwwか、かか、かんそうで、しょ、しょうぶ?
感想ってあの?か、かんそうでww??しょうぶwwwwか、感想でしょwwww勝負www
ブハーッwwwwプッ…クハッ…ゲェェェェーッwwwww
褒めちぎり野郎が互いのレビューを舐め合うためのセルフプロデュース会場での相互オナニーの作法なんざ知るか。
小説はてめえの装身具でも承認欲を満たすためのツールでもねえんだよ。本から出てけ。
A3.俺が気持ち悪いと思っているのは作者でも作品でもなく読者だからです。
ブクマで「SF小説はそもそも社会を語るものだから~」とかいってるバカ共もそれくらい読み取ってください。
「お前は本当に気持ち悪い」という文章から「SFは昔からそうなんだ」とか「お前はどうなんだ」を導きだして「感想で勝負しろ!!!」とか抜かしちゃう人すごいなー。ボーグバトルじゃねえんだぞ。
あー気持ち悪い。
お前本当に頭悪いな。エロ小説家は性欲に関して営業サービスで誇張して語るだろうがよ。そういうバイアスがあるって話だよ。で、ポルノ屋が人権に関して語るときになにかそういう誇張の必要があるか?
つーか真に受けるもなにもhokusyuの書いてるの見ただけで「予防拘禁」って思う奴はいくらでもいるわ。
誰が男の代表だと言ったの?「男は獣だから女は自衛しろ」と言う人へ「獣なら檻に入れろ(でも獣じゃないんだから女に責任転嫁するな)」と言う話でそもそも男全体へのものじゃない。
で、それをはてなで書く意味は?はてなに書くと曾野綾子や渡辺淳一が読むのか?おめでたい奴だな。いずれにせよはてな民への誤爆は確定だな。
頭がおかしいとしか言いようがない。じゃあ「ナチスは人間じゃない」と言えばナチス擁護か。そういう思いつきの難癖を言うんじゃないよ。
このツリーで「自衛しろと言う人は曽野以外にいない」と自信満々に言ってた人がいたが、またこれで反例がひとつ増えたな。
はあ、日本人だけを対象として見たとして、一億分の一が一億分の二ぐらいになったね。で?
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。
だめだこいつは。とりあえずお前は「相手が言っていないことを勝手に読み取る」という病気を治してこい。全てはそれからだ。
要はだな、阿久根市長にしてもhokusyuにしても非現実的な状況を想定した上で「こうなったら安楽死しかない」だの「こうなったら予防拘禁しかない」だのという大見得を切ったわけだが、それぞれ「安楽死」だとか「予防拘禁」というおぞましい発想が出てくること自体が叩かれてるんだよ。
hokusyuの場合はまさにトリアージの時のブーメランに当たってるわけだ。「トリアージと全体最適のつながりを認めるとホロコーストに繋がる!」と偉そうなことを言って、「そんなのをつなげるバカがどこにいるんだ」とみんなにあきれられたわけだが、何のことはない、hokusyu自身がそういう粗雑な一足飛びをやる奴だったというだけのことだ。
言うまでもなく、非現実的な状況であろうと一定の歯止めはあるわけで、安楽死よりは貧乏の方がマシ、予防拘禁よりは外出自粛の方がマシ(ウソだと思うならヨハネスブルグなんかがどうなってるか考えてみろ)、ホロコーストよりは嫌いな民族との共存の方がマシだと普通は思うわけだよ。そういう歯止めはまともな人間なら誰でも持ってる。持ってないのはhokusyuみたいな奴らだ。
ただ優しさをアピールしてはだめと言うのはおかしいと思う。
誰もダメなんて言ってない。痛くてもいいならどうぞご自由にだ。お前が「嫉妬してる」みたいな斜め上の反応してくれるから笑っただけだ。
とりあえず論理学の初歩の初歩を勉強してこい。「逆」と「裏」と「対偶」の違いをぐぐって調べろ。中学生レベルからやり直しだな。
まさか中立を名乗りさえすれば、あらゆる批判はされるべきでなくなるなんてことは思ってないよね?
単純に、娘を守ってやらなきゃいけない立場の増田が全責任を放棄するかように「悪い奴らが悪いんです」と主張してるだけだから共感を得られないんだろうな。
悪い奴らが悪いのも、マリサポ(笑)がクズなのも皆知ってるんだよ。
西岡がマリサポ(笑)とモメた翌日のマリンスタジアムの外野席に、それもMVPの「目と鼻の先」に陣取って、煽るように西岡のレプリカユニなんて着て行ったクセに
とか、俺が嫁なら離婚だよ。
報道見れば頭の悪い連中が大声でおかしなこと口走ってライトスタンドに居座ってることくらい知ってるはずで、何度もライトスタンドに足を運んでるなら、あそこにどんな連中がたむろしてるかくらい認識してるはず。
そんなところに娘を連れ出しておいて、挙句1人で歩かせておいて「あいつらが悪いんです」とは本当におめでたい。
追記の追記でようやっと自らの至らなさについて言及したみたいだけれど、遅いし薄い。
増田の娘は正しいことをした。
しかし、増田は正しくなかった。
だから、叩かれるし「釣りだろ」って書かれるんだよ。
増田はマリサポ(笑)連中に対して悔しいとか腹が立つと書いてはいるけれど、娘に悲しいことを「させてしまった」ことに対しては後悔したか?娘には謝ったか?
どうせ自らの行いを反省するでもなく、来年あたりにヨハネスブルグに娘を連れて行って、殺されてまた増田に「南アフリカ人の暴挙について」とかエントリ立てるよ、増田は。
・軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の20人に襲われた
・ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた
・足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた
・車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する
・宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた
・タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。
・女性の1/3がレイプ経験者。しかも処女交配がHIVを治すという都市伝説から「赤子ほど危ない」
・「そんな危険なわけがない」といって出て行った旅行者が5分後血まみれで戻ってきた
・「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が靴と服を盗まれ下着で戻ってきた
世界が童貞キモヲタで溢れてたらいがみ合いなんか起こらないのにな。
本当にイケメンや女は公害だよ。彼等・彼女たちは一人一人がヒトラーなんだよな。衆愚煽りすぎ。
童貞キモヲタが連合軍ぐらい力持ってれば世界は平和になるのにな。
例えるならば童貞キモヲタは偶像崇拝をしてる信者で。イケメンや女はそれを良しとしない過激派だよな。
街中にモテるだの勝ち組だのビラばら撒いてさ、歩く広告塔までどんどん排出してさ、テレビまで流してさ、これは戦争だよ。
なんて酷い街なんだろう、東京は。
この街に国連が全く介入してこないなんて間違ってるよ。第3世界の恵まれた人たちは俺たちを助ける活動をすべき。
ここでは人権侵害なんて当たり前だよ。日常なんだ。チェチェンなんて比じゃないよ。
俺たちは独立しようってんじゃないんだ、ただ普通に生活したいだけなんだ。それなのにあいつら、俺たちを無いものとして扱いやがる。
どこが日本は平和だよ、全世界でもっとも過酷な世界だよここは。自宅から出れば、道を練り歩くストリートギャングたちが俺たちのアイデンティティを奪い丸裸にしていく。
これのどこが平和な街なんだよ。いかれてるよ。
ヨハネスブルグなんて目じゃないよ、渋谷や原宿、表参道に行ってごらん、俺の方が凄いだろ、いやいや私の方が勝ってるわ!なんてギャング同士の抗争が勃発してる。
武装もせずに街を歩いたら囲まれてタコ殴りだ。
警察や人権団体の眼は節穴なんだよ、この街じゃ本当に誰も助けちゃくれない。弱者だろうが、言い訳なんて許されない、外見で何もかも決まる。