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2013-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20130809115823

おそらく次にその溝を実感するのは、あなた結婚する時だ。

低学歴層との結婚あなたの両親が許さないし

高学歴層との結婚は相手の親が許さない。

2013-07-18

参議院議員選挙についての雑感――自民党ブラック企業

若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミ渡邊美樹候補を自民党擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業であるかどうかは問いません)。

ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法抜け道をつかい若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。

ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要コストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコスト人件費、つまり労働者賃金です。

そんなひどい低賃金長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないかもっといい会社転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。

しかし、現代就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者恫喝します。だから労働者労働環境改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまます

まり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者自分の自由を犠牲にしてでも、ブラック労働環境で働きつづけることを余儀なくされます

さて、一部からブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354

この演説のなかで彼はこう言っています

日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もありますしかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」

国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。

ワタミ渡邊美樹候補は、会社経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。

社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要費用です。すこし前に、生活保護不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年データ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。

このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。

からワタミ渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります

しかし、そのような立場は本当に正しいのでしょうか?

国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党精神と同じであるように私には思えます

いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業労働者解雇やすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張していますしかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。

そのほかにも、自民党憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています

しかし、それでもなお、自民党経済政策に期待する声があります

そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?

―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分利益にもつながるのだ」、と。

しかし、この考えは、「うちの会社ブラックだけど、自分サビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。

ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラック労働環境ネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。

社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。

無理やりの原発再稼働、ブラック企業正当化国防軍必要だという声。これらに共通するのは、恫喝ものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済ダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。

このように、危機に乗じて威圧的論理をつかい政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。

もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。

こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境正当化されるでしょうか。たとえ経済ダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。

その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。

少しうがった見方をすると、ワタミ渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。

まり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミ渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。

要するに、「ブラック企業」といわれるワタミ情報インターネットから得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。

しかし、そのような「自由」は本当の意味での自由でしょうか?

この参議院選挙のあと、自民党憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。

その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されていますしかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまます政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。

もちろん、批判する必要のないほど完璧政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。

それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?

こういう逸話があります

ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われますふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びますしかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。

経済政策武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。

実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。

http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113

世界歴史の至るところで、私たち私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史証明しています

すでに長くなってしまいました。

しかし、もう少し伝えたいことがあります

ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。

ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります中国韓国北朝鮮といった東アジア外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます

しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います

なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。

この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。

http://anond.hatelabo.jp/20130705113110

若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTV週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実情報」として受け取っていますしかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。

多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たち提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。

しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?

少し、個人的な話をさせてください。

私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います

2ch最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています

作家筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります

しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。

文学価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会おいて消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモア指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間人間倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄サイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。

(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)


初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思いますしかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別ブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています

こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?


最後に、映画監督想田和弘さんと、哲学者木田元さんが今回の参院選について語った言葉引用しておきます

マジでおかしいよ、自民党マジでブラック化している。 」

「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPP公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議検討したり生活保護切り崩したりワタミ会長公認したりとあまり最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」

時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前日本孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」

http://

2013-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20130415030735

本当にすばらしい関係だと思います社会的価値のあることではないでしょうか。





女性を欲求の捌け口としてだけ見るにおいて趣向が定まっている男性と、男性選択肢として近所でせがまれるからというだけの関係リレーションシップが築けるのは社会として価値のあることではないでしょうか。

禁忌とされる身近な関係など基本的な思考よりも欲求が勝る男性を許容できる方がいてくれることで、そういう関係を望まない人などに無駄ストレスをかける可能性が低減するものだと予想されます

おそらく次男性の欲求が向かう先まで予見できるということは少し常識からずれている可能性が危惧される何かを、すでに把握し管理できる状態にあるということではないでしょうか。


本当に幸せになってほしい。ご家族そろってどういう関係になるかはご家庭の事情です。しっかりとご家庭内でその幸せを確保していただきたいと思います

玄関から出さず、他者に干渉せず、ご家庭というもの範疇を他のご家庭に進出しないように、しっかりと家を守っていただきたいと思います

秘密にしていることがあるということは、それが外にもれたら崩れてしまうことであることは、ご自覚されていることだと思うので安心してはいます


私の視点からは、危険猛獣をつなぎとめてくれる勇気ある人がいてくれるということは、その猛獣に興味がなく離れてすごしたい人とのお互いの幸せに、とても貢献していると感じます

猛獣の方も猛獣使いの方も、それぞれの立場を全うできる舞台であるからこその立場でいられることをしっかり把握された上で、そうありたいと勇気ある宣言をされることにとても関心いたします。

2013-04-02

派遣面接ドタキャンされたので、交通費請求のためゴネた話

結果として、交通費は支払われることになったのだが、なにかすっきりしないので吐き出しておくことにした。

派遣会社面接(って言ったらだめなんだっけ。)の約束をしていたので、

時間通り現地の駅に到着するも、派遣先からの当日ドタキャンで、今日面接がなくなったと駆けつけた営業に聞かされる。

私は携帯を持っていなかったので、わざわざ待ち合わせ駅までおいでくださったというわけである

駆けつけた営業は挨拶もそこそこに、今出てきた駅へダッシュで消えていった。

片道一時間以上かかる道のりで、他には何も用がなかったのだが、

とんぼ返りするのもあんまりな気がしたので、周辺を歩き倒して帰った。

無職なので、食事以外の買い物は一切なし。

当たり前だ。

ドタキャンを知らされたと同時に、交通費のことが頭をかすめたが、面と向かって金の話はできなかった。

しかたないので、家から電話することにした。

2度ほど連絡したが、タイミングが悪くて繋がらず、折り返しの約束をして電話を切った。

しかし、かかってくる様子がないので自分からかけた。

お約束あいさつと名乗りをするも、営業の声が硬い。

私「先日キャンセルされた面接交通費って請求することできますか?」

営「」

ききとれなかったんだが、できません、とかそういうことだったんだと思う。

折り返し依頼時に用件を伝えていたので、警戒していたんだろう。

けんもほろろの勢いだったので、私はしばらく次言葉を失っていた。

しか電話だ。それではまずい。

私「は?あの、できないんですか?」

営「お支払いすることはできません」

あ、この人話すの下手な人なのかもしれないな。

てことは、イケるかもしれないな。

正直、私だって金の話でモメたくはない。

しかし、電話までしたからには、簡単には引き下がらない覚悟だ。

(自慢じゃないが、私は大変な面倒くさがりなので、ちょっと困る、くらいでは電話などしない)

私「こちらは面接約束があったので、現地まで時間通り伺ってるんです。

  もちろん、そちらの不手際面接がなくなったわけではないことは理解しています

  しかし、こちらも交通費全額負担ということでは、納得できません」

営「でも、みなさんにご納得いただいておりますので…」

私「いや、先方にお会いした上で断られたというのであれば、こちらとしても文句はありません。

  でも、面接が出来なかったのにかかった経費をこちらで全額負担というのは納得がいきません」

営「でもですね、こちらとしても当日ではありますが、キャンセルがわかった時点ですぐに連絡を差し上げておりまして、

  他の皆さんは携帯をお持ちでしたのでお話することができたんですが」

おっと、こっちが携帯持ってないのが悪いって話の流れ?

言っとくけど、折り返し待ちの間に相当シュミレーションしてたんだからな!

そもそもクレーム対応時に「あんたも悪かったでしょ」っていうのは悪手ですよ。

私「でも携帯持っていたとしても、移動中だった場合、必ずしも連絡に気づいたとは限りませんよね。

  それに、折り返しの約束をしていただいてましたけど、どうして連絡くださらなかったんですか?

  こういう内容の電話になるとわかっていたから、折り返しを渋っていたんではないかと、勘ぐってしまうんですけど?」

営「わかりました!それでは交通費の方はお支払いいたします!ただし、こういったことは今回限りですので」

私「あー、はいはい別に毎回請求しようとは思ってませんので、ご心配さらずに」

営「それでは失礼いたします!」

私「ちょっと待ってください!いつお支払いいただけますか?」

営「次の給料の振込みと一緒になります

私「わかりました、それではよろしくお願いします」

電話切った直後は、要求を通せた勝利感で浮かれていたのだが、なんだかだんだんモヤモヤしてきた。

そもそも具体的な金額の話をしてない。

最寄り駅から待ち合わせ駅までの交通費しかでないんだろな。

結局バス代損したことになる。

でもさすがにもう一度かけなおす気にはなれなかった。

しかも、折り返しくれなかったことについては、謝りの言葉がなかった。

ていうか、こういう場合交通費って本当に派遣社員側で全額負担なの?

おかしくね?

普段の面接交通費まで出せって言ってるわけじゃないんだよ?

しかも、当日連絡があった時点で私は家にいなかった。

携帯があれば現地までの無駄足は防げたかなとは思うけど、交通費が発生した可能性は十分にありえる。

まあ、金額が大きくなければわざわざモメようとは思わなかっただろうけど。

そんなに密に連絡とりたかったら、携帯所持者だけの登録受付にしてください。

現にそういうところあるし。

電話のやりとり自体は10分も話してなかったと思うので、ゴネたというほどでもないような気がする。

いや、むしろ「いつもは支払っていない」という割には簡単に承諾してくれたような気がする。

似たような内容でモメてることがまあまああるのだろうな。

そういえば、この人はこういうモメ事起こします、みたいな記録って残されるのかなー…

余談

ドタキャンの連絡は家電にあり、家族がとった。

携帯がない旨を伝えると、「どうにかして連絡をとる方法はないか」と聞かれたらしい。

携帯がないのに、どうやって連絡をとるのかとこちらが聞きたい。

※以下、「派遣面接違法」を禁止

2013-02-23

ぼくのかんがえたPS4分析 - SONY製造業としての業から解き放たれたPS4

http://anond.hatelabo.jp/20130223090512

に触発されて俺なりのPS4分析をしてみた。

ハードウエア製造業の夢より、ソフトウエアクリエイタの夢 - ハードからソフトへと言う現実

一言で言うと↑これがPS4だと思う。

三行でまとめると

PSのビジネスモデルを振り返ってみるのだが、この切り口から行くとPSはSONY半導体戦略、そしてSONY製造業と言う性質とと切っても切れない関係がある。

利用上の注意

なおすべて妄想となっておりますので、これを真に受けて被った損害などについては一切責任を取れません。皆様におかれましてはその旨ご了解のうえご覧いただけますよう、よろしくお願いいたします。ご協力頂けない場合につきましては、いい歳こいたアラフォーの髭ヅラ男が涙目になると言う非常にウザイ状況が発生することとなり、誰も得をしません。ご理解とご協力をお願いいたします。

PSの歴史SONY戦略について

初代PSとそれがもたらしたもの

SONYゲーム機を一緒につくろうと言って任天堂に近づいたものの交渉が決裂してできあがったのがPSであったわけだがこれが大ヒット。

さらにPSでは、内部で使われている半導体を自社設計・自社かそれに近いFabで作る事によって

など副次的な効果もあり、さらに「SONYの旗艦」といったイメージを作り上げることができた。この他に、CD-ROMを手がける部門や、SONYのCDプレス工場部門等々、PS景気により、直接的なPSによって生み出される効果以外に、PSという揺るぎない需要存在する事で、設備投資などに積極的になれたといった効果がうまれた。

PS2では完璧芸術品であったDreamcastを殺すほど大成功

初代は始めどこまで意図されいたかは不明だが2台目ではそれらの経験が生かされる事となりより強化された。まず一番は半導体工場で有り、旺盛なその需要と、それによって得られた利益投資に回し新プロセスを開発、シュリンクすることによって最終的な黒字を目指すことで赤字で販売をスタートすることとなる。

ゲームハード赤字でも、ソフトが売れれば黒字。こんなの当たり前だろ、と言う話であるが、総合情報機器メーカであるSONYでは少し事情が異なる。これは、ソフトウエアライセンス事業による利益によって、間接的に半導体生産設備投資を補填すると言う形を意味する。もちろんそれ以外にもSONYの製造部門にもPS2赤字でも販売すると言う行為によってもたらされる間接的な利益が流れた。

ご存じの通り、PSは我が愛する芸術品たる至高のゲーム機Dreamcastを完膚なきまで叩きのめし世界最高の企業セガプラットフォームから引きずり卸しパチンコ屋に買われる所まで追い込む等大成功をとげた。そしてゲーム機生産により、SONY製造業部門を引っ張っていくという当初の見込みは大成功した。

それをさらに強化したのがPS3、そしてCellであった。

PS3Cell BE が見た夢

PS3時代になると、パソコンの旺盛な需要の元、急速に進化した集積回路は、プロセッサの新規開発コストさら半導体プロセス開発に必要な資金が膨大に膨らむという現実に、様々な企業が立ち向かうよう時代が来ていた。世界の巨人たるIntelと、それ以外という構図が生まれ、世界中でFabの統廃合が進んでいた。

その中で目をつけられたのがゲーム機という存在であるパソコンに対抗できるほどの膨大な需要を生むゲーム機は、薄利という性質を持ちながらも数が出るため、生産設備を拡大しやすプロセス開発の資金を捻出する事に有利であった。さらSONYは、ゲームハードウエアが、当時のパソコンなどに比べて圧倒的に高い性能を持っていなければ存在価値が無い、と言う観念を持っていた。これはかつて任天堂がもっていた思想であった。

さらIBMなどの思惑とも一致、開発がされたのがCell B.E.であり、この存在PS3を生んだ。そう、ここまで来てSONYは、半導体のためにゲーム機デザインしたのである

もちろんこの説にはいろいろな異論はある。しかし俺は順序としては、ソニーグループ全体の長期的な戦略にPSが生む半導体工場の増設という戦略が大規模に組み込まれていたのは間違いないのでは無いかとみている。そこで完成したマシンは、化け物であった。現在まで続く潮流であるGPGPU的な動作もこなCell B.Eがもたらす高性能と、高い拡張性を備え、既にゲーム機では無いとまで言わしめるものができた。この性能は当時の最新鋭コンピュータを大幅に上回るものであった。

しかし……。GPGPU概念は早すぎた。性能を引き出すことが、当人であるSONYでも難しかったのである。そしてこれはミドルウエアや開発ツールの乏しさにも繋がる。そのためスタートアップに失敗した。この失敗は、PSがゲーム機として優れていなかった、あるいは、他者装置に負けた、と言う意味で失敗では無い。製造業としてのSONYが、自社の思惑通りに事を運べなかったと言う事での失敗である

ハードウエアの夢、ソフトウエアの夢

結果SONYは、PS3需要を当て込んだ生産設備リストラ・売却するなどの対処をを迫られる。さら韓国勢などの追い上げ、AV市場の急速な変化、SONY本体の体力の低下、パソコン高速化などにも影響を受けることになる。

PS3のものは、OSの改良、ミドルウエアや開発ツールの向上などにゆっくりではあるが立ち上がってきたが、製造業としてのSONYPS3に期待した効果は得られず、ハードウエア屋、製造業がみた夢はここに破れた。

さら時代は動き、集積回路は、Intelプロセスで1世代以上先を行き、それ以外はすべて後から追うという構図が完全に定着してしまった。SONYも、SONY半導体と言えば、集積回路ではなく画像素子、と言う時代が来て久しい。世界中半導体製造業者の統廃合は進み、国内半導体産業は衰退した。新プロセス開発の難易度や、集積回路の大規模化から来る開発コストの上昇はいかんともしがたくなっていた。

ゲーム必要とするスペックはもはや飽和している。少しでもリアルに、少しでも高性能にと言う方面はすでにマニアのものだけになってしまい、それら需要だけで、そのとき販売されているパソコンを上回る高性能チップを開発、載せるコストを満たすことはできなくなっていた。具体的に言えば、ウルトラハイスペックの、GeForece GTX SLIクラスにも勝ちうるGPUを、専用設計オーバーヘッドを極力少なくすることができるとはいえ新規設計することが難しくなっていたのであるさらにはゲーム機業界ではスペック競争を離れた任天堂Wii、あるいはDSを生み出し、ケータイ、そしてスマフォとと言う存在カジュアルゲーム市場をかっさらうようになった。特に日本では据え置きゲーム機リビングルームに置かれ、パーソナルな空間に置いてゲーム機携帯ゲーム機になったのである

そして決定的だったのが、ゲームエンジンの躍進と越境であろう。従来はゲームエンジン製作環境ゲーム会社門外不出のものであった。しかしそれらが会社を通じて流通し始め、さらには専門業者も現れるようになったのである

家庭用ゲーム機と言えば、ゲーム機の性能を引き出すためにソフトごとにアセンブラ最適化チューニングを施す。それを行っても常に動作が一定になることがメリットとして、パソコンに比べてゲームは常に一定の動作をすることが担保できるためにゲーム製作に専念することができた。しかし、パソコンは十分に高性能になった。家庭用ゲーム機も十分に高性能になった。その結果、チューニングを行わなくてもそこそこの画面が作れるようになってきたのである。そこで余った能力ゲームエンジンオーバーヘッドを許容するようになり、ゲームエンジンの躍進に繋がった。さらゲームエンジンプラットフォーム間の差異すら吸収し始めた。あるゲームエンジン採用すれば、あまり手間をかけること無く、パソコン版、PS版、XBOX版、Wii版と複数プラットフォームで出せるようになったのである。これは、ゲームエンジンが新たなるゲーミングプラットフォームとして君臨する可能性を示唆していた。

しかし、チューニングなどといった、ユーザとは直接関係の無い部分に手間をかける必要が無く、作ったゲームがどこでも動く。これはクリエイタとしては非常にありがたい事なのでは無いか

ビジネス書に出てくる例えがある。ユーザねじ回しが欲しいのでは無い。ねじを回したいのである。同じように、客はゲームがしたい、もっといえば楽しいことがしたいのであって、別にゲーム機が欲しいわけでは無いのであるクリエイタはゲームを作りたいのであって、ゲームハードウエアを使いたいわけでは無いのである。ここに合致したのがクロスプラットフォームゲームエンジンであり、そしてこれらはクリエイタに作りやす環境提供し始めた。さらゲームエンジンは新たに現れたライバルであるタブレット/スマートフォンにも対応している。

しかゲームエンジンの躍進は、プラットフォームビジネス崩壊意味したし、PS3は性能を引き出すには高いレベルの専門的チューニング必要であった。しかゲームエンジンはそこにコストを払う事を選択せず、PS3は高い性能を持ちながらも、それ以外のあまり高性能ではないプラットフォームとほぼ同等、せいぜい高解像度テクスチャーに入れ替えられた程度のゲームしか提供されない、と言った事が発生するようになっていた。

ソフトウエアの夢が花開くのがPS4,PSVita

そしてPS4が出た。

PS4は有り体に言って、x86-64アーキテクチャコンピュータに、OpenGL/CL対応GPUを搭載した、本質的にはそこらのパソコンと変わらない構成である

さらに言えば、最新のCorei7+GeForce GTX…と行かなくとも、そこらのパソコンに較べ、性能は高くない。しかし、根本的にゲーム専用機が持つ、汎用パソコンには無い特徴

を備えている。さらには、GPUを扱いにくくする要因の一つとして上げられる、GPUCPUメモリ転送をほぼ考えなくて良いと言う仕様を打ち出してきた。これはCellCPUプログラミングが分断され、非常に開発を困難にしていたPS3反省ダイレクトに生かしてきたと考えられる。これはAMDが出していたコンセプトだ、と話題に上がるが、あくまでもパソコンの話であって、ゲーム機の分野では少なくとも、PS2プログラミングが困難な部分を、高速なバスで繋ぐことで隠蔽するよな仕様であったように記憶している。

さらx86-64アーキテクチャにしたことで、ゲームエンジンがPC向けエンジンの次に、素早くPSにも対応できる素地を整えた。Power向けに施す必要のあるチューニング不要にしたのである。従来はパソコンで開発されたクロスプラットフォームゲームは、パソコン向けと、家庭用ゲーム機向けの2種類作られた。そして家庭用ゲーム機向けは往々にして、ターゲットとなるハードウエアの中で一番性能の低いところに合わせたデータで作られた。平たく言えばPS3の方がXBOX360よりもはるか映像表現は優れているのに(※ただし使いこなせれば) XBOX360との差異はテクスチャムービー解像度程度の違いだけになってしまう事を意味していた。しかx86-64にしたことで、家庭用ゲーム機向けに統一してダウングレードされたデータからPS版を生成させるのではなく、パソコン向けのデータから生成させた方が早いと言う状況を作り出し、他の家庭用ゲーム機にくらべてアドバンテージを得ようとしているのでは無いだろうか。これはPS VitaARM採用したことも同じ事である

さらに、SONYは、PSVitaから進めてきた戦略として、自社による強力にプラットフォーム感の差異を吸収するミドルウエア群…これはゲームエンジンと読んでも良いのかも知れないが…を提供してくるだろう。x86ならば従来の資産を生かすこともできるし、世の中に出ているコンピュータ向けのライブラリも利用できる。急速に開発しやす環境を立ち上げているのではないだろうか。これはゲームエンジンにより脅かされる、プラットフォームビジネスへの対抗措置でもあるだろう。

これにより「雑事に捕らわれること無く、ゲームの楽しさ・表現のものに専念する」と言うクリエイタの夢を叶えるハードウエア、それがPS4であろうと思う。

平たく行ってしまうと、自社の半導体商売が死んだことにより、その死絡みから解き放たれたPSは、クリエイタ主導でゲームを作ると言う根本に立ち返って作ったのがPS4だ、と言う話である

しかしこれだとハードウエア製造業の夢はどうなってしまうのだろうか?そしてユーザ別にクリエイタの夢などはどうでもいい。下手をすると高性能なハードウエアを所有していると言う欲を満たせなくなる分だけこちらの方がまずいかも知れない。それをどうカバーするのか?と言う話になる。

「夢」PS4

ハードウエア/製造業の夢はどうなるのか

SONYは、次世代戦略として明らかにソフトウエア重視に舵を切っている。SONYは今、収支から見ると製造業では無く金融業であるが、その次に利益を生み出しているのは音楽映像ソフト部門とゲーム部門である

まずはここを潰してしまっては会社として立ち行かなくなる。それはまずい。ではどうするかというと、従来の「製造業としてのSONYを強くするために、PSの需要を利用する」のではなく「コンテンツ・製造複合体としてのSONYの核にPSを据え、関連商品を生み出す形で恩恵を得る」と言う形に舵を切ってくることになる。PS3でも一部行われているが、たとえばPSのリモートプレイを可能にするパソコンタブレット、PSを再生装置としてコンテンツ供給できるメディアサーバといった具合である

しかしこれらに対応させるために大切なPS本体の魅力を失わせては困ると言う事は強く意識されなければならないし、意識されていくだろうと思う。

ユーザの夢はどうなるのか

ユーザの夢は、将来的には作りやすゲームプラットフォームが生み出す新しいコンテンツという形で満たされることになるだろうが、直近では、ソーシャルへの展開という形で示されていると思う。将来的にはいかにコンテンツを集められるかと言う事にかかっている。が、ぶっちゃけていうとユーザから見たら、これほど夢の無い話は無いと言わざるをえない。

今回発表されたタイトルデモなどは実際にはチャンピオンで有り、実際にプレイして得られるのはPS3とそれほど感覚的に、革新的に良くなったと感じる部分は薄いと思う。この点で、PS4は、PS3と実働コンテンツはそれほど変わらないと思っている。マイナーバージョンアップ程度。パソコンWindows XPで評価が固まったようなものである。これはおそらく次に発表される新型Xboxでも同じだ。任天堂は少し別格の応えを出したが苦戦している。

結論 またしてもセガは早すぎた

かつてセガが出した芸術品とも言える至高のゲーム機DreamcastOSWindows CEを搭載した。プロセッサこそ独自であったがそれは当時のWIndows CEではあたりまえであり、むしろそこにWindowsと言う汎用のソフトウエアを利用したことで非常にゲームが開発しやすく、PCゲーム移植やす環境を作り上げた。それらはアーケードのnaomiプラットフォームや、ワンチップで埋め込まれたパチンコなどで今でも生き続ける。

任天堂WiiUコントローラに画面をつけDreamcastに追いついたように、SONYは、PS4で作りやすゲーム機という点で追いついたと言える。

またしてもセガは早すぎた。時代セガに追いついていなかったのであるDreamcastはその名の通り「夢を投げる」存在であったのだ。

2010-12-13

知り合いがガラケーを買うことにしたしい

なぜ今更ガラケー?どうせ買うなら制約の少ないiPhoneAndroid系端末を買えばいいのに。

と思っていたが、疑問は何となく解決した

彼女は今まで携帯電話というものを使ったことが無くて、今使っているのが初ケータイだったのだ。

その携帯は誰もが認めるクソケータイで、価格.comレビューでも散々な評価だった。

そして、今まで携帯電話というものを使ったことのない彼女は、恐らく、ガラケーに関する不便さというもの全てがこの「パナソニック携帯電話であることに由来していると思っている。

今まで、Vodafon、auSoftbankキャリアを変わってきて、ケータイそのものに絶望を感じていた僕は、iPhoneに移ることに躊躇いもなにも感じなかった。失うものより得るものが大きいと思ったからだ。

しかし、彼女は違う。今使っているケータイの不便さのどれが「パナソニック製」であることに由来しているのか、「ガラケーであることに由来しているのか区別が付いていない。

多分彼女は今度の機種変で何かが劇的に変わると思っているのだろう。

だが、それは幻想だ。

らく次彼女が最高と思うガラケー機種変する事だろう。そして絶望する。

しかしそれで構わない。

ガラケー絶望することがなければ、切実にスマートフォンを渇望することもないだろうからだ。

2010-07-21

非コミュジョブホッパー人間海外で働けるのか

30間近。

転職回数も3回以上。

最近ようやくわかったこと。

非コミュなので仕事をうまく回せない。」

あと失敗すると立ち直れない。

そのまま会社辞めたくなるとかそういうやつ。

このまま会社を辞めるとおそらく次はもうない。

年齢的にも職歴としても厳しいだろう。

手に職ではないからなおさらだ。

そんな中、幸せ青い鳥的なものを探していると、

ワーキングホリデーという選択肢を見つけた。

うまく行けば語学が身につき、さらに海外就職も可能とか。

海外就職日本履歴書と異なるので、アピールできれば良いとか。

日本非コミュだった人間海外で働き口にありつけるのか、

というのが目下の課題

まあ実践してみてもいいんだけど、ダメだったら本当に人生おわる気もする。

もう日本で働き続ける自信もないので、海外で働きたい。

海外ニートさんリスペクト

2010-06-19

過剰なサービス提供消費者の増長を生む

過剰にサービスを手厚くすることは己の首を絞める危険な行為である。

つい最近、私は危なくそのような過ちを犯すところだった。

私がどのようにして判断を誤りそうになり、そしてどのようにして危ういところで軌道修正できたのかをここに書き残しておこうと思う。


数日前のことだが、保育園に連れて行く時間の5分前に、息子が

「何か食べたい」

と言い出した。

時間前に中途半端に食べて残しただろきちんと食べろということを幼児にわかりやすく教える時間がなかったので、

時間ないからおにぎり作ってあげよう。自転車の後ろで食べなさい」

というと

「いやだ」

などと抜かす。

叱っている暇もないので苦し紛れに、

「じゃあスペースシャトルおにぎりは?」

などと何の考えもなく息子の気に入りそうな単語おにぎりをくっつけて提案すると、息子は大喜びで飛びついた。

スペースシャトルおにぎりスペースシャトルおにぎりがいい!」

息子が大喜びで出かける準備をしだしたのはいいが、何の考えもなく言い出したことなので、どんなおにぎりスペースシャトルおにぎりなのか皆目検討もつかない。

一瞬頭に浮かんだのは、普通三角おにぎりの両端を薄くして主翼のようにして、残った端っこの近くに楕円に切った海苔を張りコクピットとし、裏側には耐熱タイルを模した、おにぎりの形にぴったり合うように切った海苔を張った立派なスペースシャトルおにぎりだった。

しかし、そんな精巧スペースシャトルおにぎりを作っていたのでは出発時間に間に合わない。

それに海苔がどこにあるのかわからない。妻に聞こうにも、妻は出勤時間が早いのでもういない。

仕方がないので、半ばやけくそでいつもの正三角形おにぎりを縦長につぶしたような鋭角の二等辺三角形を作り、その粗末な米の塊をスペースシャトル見立てて息子の目の前で飛ばす真似をした。

「ぶおおおおお、ずどどどどどど、ヒューストンヒューストン応答せよ!」

「うわあ、スペースシャトルだ、ちょうだいちょうだい!」

息子は狂喜乱舞してスペースシャトルを追いかけ、うまく誘導されて自転車の後部座席に搭乗した。

本当に危ないところだった。

もし、息子のわがまま時間のあるうちに発動していたら、私は海苔の切り貼りを駆使した精巧スペースシャトルおにぎりを作ってしまっていたかもしれない。そうしていたら、おそらく次からはどんなに時間がなくて切羽詰った状況でも、息子は精巧スペースシャトルおにぎりしか食べないと駄々をこねるようになっていたに違いない。

子供だまし

こういう言葉をよく聞くが、私が実際に作ったスペースシャトルおにぎりは、間違いなく子供だましだった。

しかし、息子にしてみれば、そういう子供だましでも十分にスペースシャトルに見えるのであり、大人の視点で無駄時間と労力を費やして精巧モデルを作る必要はなかったのだ。

以上のようなことを興奮気味に妻に話したところ、

「そんなの、わがままいってる子は何もあげません!って叱って自転車乗せちゃえばいいんだよ」

と言われた。

確かにそのとおりだと思った。

2010-01-11

その先を思うと

最近何となく思うんだけど、たぶん民主党政権は長くない。おそらく次か、遅くとも次の次の選挙くらいで参議院衆議院ともに過半数から転げ落ち、元通りの位置に戻るんじゃないだろうか。

 

ただ、問題はその先なんだけど。

 

民主党政権を引きずり下ろすため、自民陣営やその流れに属する人達はありとあらゆる言説を弄してしまった。

そしてその矛先は必ず次に自分たちに向かう。つまり、自民陣営は恐らく次か、遅くとも次の次には政権を取り戻すだろうけど、絶対に身内のオウンゴールマニフェスト破綻で相手から猛攻を浴び、必ず1ターンで政権をまた降ろされる。

そしてまた政権は移る。でもどうせ上手くいかないから相手から猛攻を浴びてすぐに降ろされる。そしてまた次に(略)

 

多分、これから先はしばらくそんな政治世界が来ると思うんだけど、どうなんだろうね。いや、実際にそうなるかどうかは知らないんだけど。

2009-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20091021165126

おそらく次の世代のアジア最強の座につくであろう中国日本大嫌いだけど…

彼らにとって、老人になって大したうま味も残ってない日本と仲良くやる動機ってあんのかねえ…

2009-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20090814091707

しかし民主党(おそらく次政権党)は「外国に配慮して」参拝しないと明言しちゃってるからね。

国内問題というのも、国外で騒いでる国に便乗している手合いが国内に居るという一面もあるし。

つまり「配慮が必要な外国」がどこかに存在し続ける限り、靖国だろうが「追悼施設」だろうがいつまで経っても閣僚は参拝できないって事にならないか?

この問題、まずは文句付けてきてる国に「別の追悼施設を造りますんで、文句はもうありませんよね?」と言質を取ってから始める事のように思う。

つか、その方が「追悼施設」造りたがってる奴らも錦の御旗を手に入れられて上手く運ぶような気がするんだけど、どうして誰も言い出さないんだろう?

2009-05-20

ほいほいと変わる政党支持に違和感

うちは地方兼業農家で、昔から自民党に票を入れるようにしてきた。

なので、選挙での政党選びはきわめて固定的でその家の宗教のように基本的に普遍のもののような認識

おそらく次自民党に入れる。

ということで、「代表が替わったから今度は民主党に入れよう」って世論には違和感を感じる。

まあ俺の方がマイノリティでしょうけども。

2009-05-13

シグルイ」のキャラクターの白目表現

シグルイ」の作品概要については省略。

やたらとマッパになったりモツがまき散らされたりする描写ばかりが印象的なこの作品ですが、特定の状況に陥ったキャラクターの目に瞳(黒目)が描き込まれない事こそが注視すべき演出のように感じられるわけです。

最初にはっきりと「白目表現」が登場するのは、第一巻第一話で伊良子清玄が「無明逆流れ」の構えを初めて読者に見せるシーンですが、これはページの片隅の小さなコマに過ぎません。その次は第三話で、巨大な木刀「かじき」で肩慣らしを終えた牛股権左右衛門が伊良子清玄と立ち会うシーン。これも、伊良子の白目よりは大きいものの、目の部分だけを描いた横長のコマです。なので、最初に登場するもっとも印象的な白目表現はおそらく次の第四話、岩本虎眼初登場シーンでしょう。ページの6割以上を割いた大ゴマ、顔のドアップ。殆どボケ老人に近い(口から舌がだらしなくはみ出ている)のに、伊良子の額にくっついた小豆を、伊良子の顔に傷一つ付けずに正確に十字に切り刻む。そのインパクトは絶大。

この白目表現こそ、その登場人物が「死狂(シグル)ってる」状態を示す演出なのではないかと俺は思うわけです。最新刊である12巻63話では、主人公である藤木源之助の瞳が描かれているコマは一つもありません。それどころか、目そのものが描かれていないシーンが大半で。白目表現ですらわずか2コマ。同伴する婚約者三重もほぼ同様で、瞳が描かれているのは最後の1コマだけ。次の第64話も、伊良子の愛人「いく」を目の前にして突如刀を抜いた藤木(当然目の部分は空白のまま)に対して、「よ よせっ」「たのむ・・・」と引き下がるよう呼びかける月岡雪之介(この時は瞳あり)が、それが無駄だと認識して「嗚呼・・・」と心のなかで叫び、刀を抜くシーン。この時の月岡も白目。

また作品中には、通常は描き込まれている瞳が丸いスクリーントーンのみという、白目状態の一歩手前のような演出も存在します。それが顕著なのが前述に続く第65話。

月岡の登場するコマと目の表現をなぞっていくと、

  1. 虎眼流の奥義「流れ」を構える藤木に対して正眼の構えで対する月岡→両方白目
  2. 正眼の構えのバストアップ→左目だけ白目。右目は通常
  3. 月岡過去が触れられているナレーションのコマ→左目だけ白目。右目はスクリーントーンのみ。
  4. 藤木と相対して「手強い・・・間に合うか“峰打ち不殺”」と藤木を殺さずに事を納めようと考えるシーン→両方白目

つまりここで白目状態になっている時点で、既に月岡は藤木を殺害する覚悟を決めていると読めるのではないでしょうか。それは、その後両者一瞬の攻防が展開され、月岡が刃を向けた状態で藤木に上段を打ち込もうとする事からも分かります。

そして藤木がそれを脇差しの「なかご」で食い止めるシーンでようやく月岡の瞳が復活。それから藤木が月岡の脇差しを抜き取って首に押しつけるまで、藤木は最初からずーっと白目のまま。こういった「瞳(目)の有無」という何気ない演出が、実は作者何らかの規則性を与えられているのかも知れないと思うと、この作品楽しみ方に深みが出てくるように感じられます。主人公藤木のライバル伊良子が盲目だったり、原作サブタイトルが「無明逆流れ」だったりする事から得られた着想でしょうか。

2009-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20090511161601

もっと好意的に考えよう。あんたはそれだけ「話しやすい人」「うち解けやすい人」だと。

おそらく次にあった時、その時の印象があって「うざいなー」的な態度でいるだろうが、それではいかんぞ。

2009-02-23

他者の好ましくない言動に対処するときのポイント4つ

なんとなく思ったこと。

例えば、突如あなたの周囲でスカトロが大流行したとしよう。みんな暇さえあればスカトロである。

しかも泊りがけで。そしてあなたはスカトロが大の苦手だとする。これは実に好ましくない事態だろう。

このままでは仲間はずれになってしまうかもしれないから、何かしらの対策を講じる必要があるとする。

その際、スカトロはやめるべきという論旨で主張をしたところで、おそらく事態は好転しないのではないだろうか。

やめるべきである理由こそいろいろと考えられるが、どれも単なる我侭か大きなお世話かただの詭弁である。

こういうことを言われると、大抵人はむしろ頑固になると思う。

スカトロは何の効果もないから、やるやつはアホだと思う」とか。

スカトロはクソくさいからやめるべき」とか。

スカトロが出来ない人への差別である」とか。

スカトロの効果など、やってる人が自由に感じればいいし、クソくさいこととやめるべきであることは、まったく論理の飛躍である。

そして大した根拠もなく差別という指摘をするのであれば、単なる中傷である。

とるべき対応としては、おそらく次のようなものに限られるのではないかと思う。

(1)スカトロが、例えば大規模な健康被害に繋がることを客観的に立証する。

(2)嫌々でもスカトロを練習して上手くなり、スカトロについて語る際の説得力を高める。

(3)スカトロオルタナティブ、例えばロリコン啓蒙する。

(4)「実はスカトロが嫌い」という人を探し出し、スカトロ嫌いで結束するコミュニティをつくる。

(1)は、対象物が公的な秩序に反することを利用し、対象物の価値を減じる手法だ。

公的な秩序は、コンセンサスが得られるなら道徳倫理でもいいだろう。

究極はその対象となる行為によってリアル逮捕されるような状況なのであって、成功すると非常に高い効果があることは言うまでもない。

ただ一方で、あまり教条的になると逆に主張の中立性が失われ、説得力に欠けることになるし、

他人が公秩序に反することをあまり大きな声で言うと、逆に名誉毀損の罪に問われることもあるという諸刃の剣である。

(2)も、対象物に対する他人の評価を減じる方法となり得る。

ある価値評価機軸に肯定的な論者の価値評価にもっとも影響を及ぼすのは、同評価機軸において相対的優位を有する、

いわゆるカリスマのような人物による指摘だろう。

相対的な劣位から同種の指摘があったとしても、お前に言われる筋合いはないという話にしかならなくても、

相手がカリスマであれば話は別である。ネットで有名な常套句、「ただしイケメンに限る」と一緒(か)。

(3)は、対象物に対する他人の価値評価に直接影響を与えることなく、代替品を持ち出すことによって、

相対的に対象物の評価を下げる手法であるといえる。重要なのは、代替品として対象と機能的に等価なものを探すことだ。

例えばその集団がスカトロに対して感じる魅力の根本リビドー)が脱糞や自分食糞なら、食糞でも飲尿でも大した違いはなく、

ふたつは機能的に等価であるといえる。一方、有名なプレイヤーSMする機会があるなどの動機がある場合、スカトロではなんの代わりも果たさない。

(4)はつまり、仲間はずれになり孤立するという最大のリスク対処する、既存コミュニティの代替としての新規コミュニティの構築である。

上記3が他者に対して代替品を提示するという話だとすると、これは自身に対する代替品の提示である。

ただひたすら文句を言っていたらなんとなく状況が改善した気がするというケースは、たぶんこのパターンだろう。

似たようなアンチが集ってもう寂しくなんかない、みたいな。

冒頭にあげた例では仲間はずれになるリスク対処すべき課題であることが前提なので新規コミュニティの構築が対処法となるが、

現実には好ましくないと感じる原因はさまざまある。それ(リビドー)を見極めることが重要になるだろう。

ちなみにこの記事は、ただの文句に対するオルタナティブとして書いたつもりだが、

考えてみればただの文句がただの文句とみせかけた上記3に書いたようになにか別の意図があるものだった場合は見事に空振りに終わる。

2008-10-20

二度目の結婚なんかではなく、二度目の離婚なのかもしれない

以下のエントリーを書かせてもらった者です。

もうすぐ、離婚をしないまま、二度目の結婚をしようとしている

これが増田の威力というものなのか。こんな俺のこんな内容に、たくさんの反応を頂いた。内容はさておき、本当に感謝したい。多くの人に読んでもらえただけで、救われた。本当に。ここに書くこと自体、誰かに読んでもらいたいと思っていたのは自明だから。

前回のエントリーの最後で、「何かを期待して」と書いた。書き終えた時点では、何かを期待しているつもりはまったくなかった。しかし、何かを期待せずしてわざわざ増田に吐露するわけがないだろうという自問の末、やはり何かを期待しているんだろうと思った。

では何を期待していたのかと言えば、おそらく次の2つだったんだろうと思う。一つは、既に多くの方から頂いた「お叱り」。もう一つは、似たような境遇にいた人からの「経験談」。たぶんこの2つだと思う。

一つ目に関しては、もう十分なくらい頂いた。一つ一つの批判や否定や罵倒が、心に刺さった。読むのが辛かった。しかし、そのような反応を頂くことは百も承知だった。だからこそ、全部目を通した。そう、俺はクズなんだと思う。不倫ボケのお花畑脳なんだと思う。自己陶酔しているんだと思う。間違っているんだと思う。想像力が足りないんだと思う。そう、すべて正しい。そんなこと分かりきっている。

しかし、倫理的にも、道義的にも、社会的にも、すべて受け入れられない事態であるにもかかわらず、こういった不倫経験がある人は少なくないのではないか。俺以外にも、同じような経験をした人は結構いるのではないだろうか。そういった「経験者」は、こんな俺に対して、どのような言葉を投げかけてくれるのだろうか。そんな漠然としたもう一つの期待もあったわけである。

しかしながら、この二つ目の期待は、満たされることはなかった。増田って、三十代既婚男性って結構いると思っていたけど、そうではなかったのかな。もしいたとしても、この状況の救われなさと罪深さをより深く知っているだけに、何も手をさしのべてくれないのだろうか。

前回のエントリーで、話の流れとして、重要だが敢えて書かなかったことがいくつかある。その一つが、いまの嫁と直面し、その後なんとか乗り切った「離婚の危機」のことである。こんなに反応を頂けるとは思っていなかったので、話を適当にしたのだが、ちょっと書いてみようと思う。

実はこの「離婚の危機」とは、嫁の浮気が発覚したことだった。

結婚して間もなくだった。これも敢えて詳しくは書かないが、ひょんなことで俺が嫁の浮気を明白に知ることになり、いろんな修羅場をくぐった後、俺は、最終的に彼女を赦すことにした。まだ子供は生まれていなかったので、離婚はそれほど難しいことではなかったと思う。だが、俺も、嫁も、お互いがお互いを必要としている少し厄介な状況にいて、極めて功利的な観点から、分かれるよりも、まだ一緒にいたほうが得だという判断をした。

しかしながら、この説明で明らかなように、俺は彼女を本当の意味で赦したわけではなかった。ことあることに彼女浮気のことが頭をかすめて、行き場のない憤りと情けなさを感じた。俺はこいつと付き合い始めてから一度も浮気をしなかったのに、こいつは・・・、と何度も思った。彼女も、俺がずっと心のどこかで不信感を持ち続けていることを明らかに気づいていた。お互い、そうした思いを早く打ち消したくて、救いを求めるように、子作りをした。

前回のエントリーに書いたように、その後俺は適当セフレを見つけ、風俗に行くのと同じような、純粋に体だけの関係を何人かと持った。この時点で、もう俺も男として失格なのかもしれないが、まあそこは大目に見て欲しい。そして、今回の職場彼女だ。体だけでなく、女性として、いや人間として、明らかに魅力を感じる女性に出会ってしまった。俺がこの浮気脳天気に陶酔している(ように見える)のも、俺が嫁の浮気を絶対的な免罪符のように思っているからだと思う。なんて浅薄な考え方なんだろうと自分でも思う。

増田の皆さんからの99%ネガティブな反応を頂いて、気がついたことがある。それは、今回の件は、二度目の結婚などではなく、二度目の離婚なのだということだ。

俺は、嫁の浮気を赦したと書いたが、やっぱり今でも赦していないと思う。やはり、事実上あの時点が一度目の離婚なのだと思う。そうした離婚という現実を目の当たりしたくない俺と嫁が、救いを求めたのが子供だったのだ。「子は鎹」とは良く言ったもので、まさに子供たちによって救われ、子供たちによって繋ぎ止められている二人なのだ。

そして今回、一度目の離婚で失われてしまった「かつて愛した嫁の姿」を職場彼女に見いだしてしまったのだと思う。そんなものに再び出会えるなど微塵も思っていなかった。が、出会ったしまったのである。そして、お互いに似た状況を見いだし、愛し合ってしまった。そこに対して、俺は明らかに高揚しているし、陶酔もしているんだと思う。

いま、そんな彼女に対して契ろうとしている約束は、俺にとっては二度目の結婚などではまったくなく、嫁に対して微かに残っていた愛情に対してすら別れを告げることを意味する二度目の離婚なのだという気がしてきた。

そうなると、やはり一番心を痛めるのが、二人の愛する子供である。コメントでも頂いたが、こんな父親の思いや行為など、子供の目からすれば、母親を裏切るという点において、絶望的且つ醜悪なものでしかない。子供の文脈からすれば、俺は百回死んでも赦してもらえないとんでもない父親なんだろう。

いま、やはりこの二度目の結婚ならぬ、二度目の離婚は、子供という「鎹」をも打ち砕く、決定的なものなのだろうか。いま、正直、一番気にかかるのは子供のことである。子供幸せのためには、法的には一度も離婚していないが、心理的な面では二度も離婚をしてしまった嫁との関係を、形式的にでも継続しながら、子供の成長を待ったほうが良いのだろうか。それとも、子供を明確かつ即座に「親の離婚」という不幸せな状況に陥れてでも、嫁とのこんな関係に終止符を打ったほうが、子供にとっては逆説的だが幸せなことなのだろうか。

結局、この問題になるのだろう。そんなことはなから分かっていたのに。

増田の皆さん、いろいろ頂いたお叱りのコメントありがとう。いろいろと考える機会を与えてもらいました。もう少しだけこの問題と正面から付き合ってみたいと思います。

2008-09-14

釣りだから何

釣り釣りだ、釣られないぞ、ってバカじゃないだろうか。

そんな必死に何を守ろうとしているのか。

ネットでは書いた人の属性関係ない、

書かれたものが全て、と豪語しながら

相手の意図を過剰に読んでおびえているのは一体誰なのか。

この下らない「釣り」という言葉流行ったことで、

ネットはその言説の生産性を失った。

そして、今となってはリアル世界までを

釣りとして捉える感性蔓延している。

おそらく次ナチスは「釣り」によって生まれるのだろう。

2008-09-11

ナイキは宮下公園で寝起きしてる元ホームレスさんたちをナイキ公園雇用すれば良いではないか、良いではないか。

渋谷公園をナイキ公園にするって話。

何週間か前からネット上のニュースでちらほら話題になってる。

今日はてブを読んでたらまた出てた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080911/lcl0809110850000-n1.htm

話を整理する。

渋谷の宮下公園がナイキ公園になることに関わる利害関係者の気持ちはおそらく次のようなもので、

どれもまあ、一理ある。

・そこに住んでいるホームレスが追い出されるのはかわいそうだという心情は理解できる。

市民無料で自由に使える公園がなくなるのは嫌だって気持ちも分かる。

・でもナイキが公園整備して管理してくれたら利用料はかかるかもしれないけど、

もっとクリーンで楽しげな公園になるんじゃん?とか、

公園を提供する自治体的にもナイキからお金が入ってくるから収入増でうれしいよねっていうのも理解できる。

・ナイキは公有の公園をナイキ公園にして儲けたい。渋谷に新しい遊技場ができるんだから市民ハッピーじゃね?

自治体財政収入が増えるからうれしくね?と言っている。まあそれも分かる。

こうしてみると、だいたいにおいてみんなハッピーになれそうだが、

ところどころで利害が対立してるやつらがいるのが分かる。

まず市民とナイキ。「無料で使えてた公園が無くなるとは何事か!」ごもっとも。

それからホームレスとナイキ。「住む場所なくなっちゃうじゃん!」ごもっとも。

それならさー、とわしゃ考えた。

それならナイキがホームレスさんたちをナイキ公園にて雇用すれば良いではないか

ならさー、渋谷公園ホームレスをナイキが雇って、

住むところ与えて、

教育してナイキ公園で働いてもらって社会復帰してもらったら良いと思う。

この提案では

・まず、ホームレス社会復帰できてハッピーだ。

・ナイキが元ホームレスを雇うことで街角からホームレスがいなくなるなら、市民もうれしいでしょ。

自治体財政収入を得られる点は変わらないから自治体ハッピー

それから市民が喜んでくれるなら自治体としてもなお喜ばしいことだろう。

・ナイキだけがちょっとうれしくないかもしれない。

ナイキがホームレスを雇うことでナイキ公園経営コスト増とリスク負担があるからだ。

だから、この提案にナイキはふざけんなというかもしれない。だけどね。

1.まずナイキは今のやり方だと市民に対してフェアじゃない。

ナイキは企業利益の為に公共のスペースを一個くださいよと自治体に言っているわけで、

無料で使えていた公共サービスが一個なくなる市民としては、

ナイキにはぜひその代わりに無償で公共サービスを提供してもらいたいでしょ。

そのためにナイキがホームレスをナイキ公園で雇いますってのは妥当なんじゃないかと思う。

ホームレスを雇うことでナイキは初めて市民に対してフェアな対応をしていることになる。

2.ホームレスを雇うことはナイキにとってもむしろメリットの方が大きいかもよ。

それからホームレスを雇うことはナイキにとって少なくとも損得ゼロか、利のほうが勝るかもしらん。

なぜなら、ナイキ公園が出来た後でナイキが延々と得る収益に比べたら、

ホームレスを雇うことで出るコスト増や、そのホームレスがすぐ辞めてしまったり

もしかしたら役に立たなかったり、お客さんと元ホームレスがけんかするかも…

なんてリスクは微々たるものじゃないかな?

さらにこんな風にも考えられる。ナイキが市民のためにスッゲー公園を作ったうえに、

そこで元ホームレスの人たちを警備員や店員として雇用して社会福祉貢献してますなんてことが

ニュースになったらナイキの社会的イメージうなぎのぼりだと思うんだけど。

というわけで、

ナイキは宮下公園で寝起きしてる元ホームレスさんたちをナイキ公園雇用すれば良いではないか、良いではないか。

2008-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20080713222854

「切られた」とは書いてないよー。

「嫌われた」けどおそらく次に会った時には何事もなかったように接してくれるだろうと思う。

仕事プロ意識を持って明るく前向きに、活発に活動されてる方だよー。

2008-05-29

善と偽善に関するマザー・テレサ言葉

興味深かったのでメモ

人は不合理、非論理利己的です

気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行なうと、

利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう

気にすることなく、善を行ないなさい

目的を達しようとするとき

邪魔てする人に出会うでしょう

気にすることなく、やり遂げなさい

善い行ないをしても、

おそらく次の日には忘れられるでしょう

気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう

気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう

気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう

気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい

けり返されるかもしれません

でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい

2008-01-16

人は不合理、非論理利己的です。

人は不合理、非論理利己的です。

気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。

気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。

気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。

気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。

気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。

気にすることなく、助け続けなさい。

マザー・テレサ「あなたの中の最良のものを」

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