はてなキーワード: 言論の自由とは
http://www.twitlonger.com/show/7iusot
10月21日人民日報;「言論出版の自由を如何に認識するか」”法治国家は国家の安全と社会の安定を脅かす言論に対し法によって対処する。決して放縦させない。我が国も法に依って処理する」とのべた。
http://japanese.khamenei.ir/index.php?option=com_content&task=view&id=543&Itemid=2
「サルマンラシュディ(「悪魔の詩」の作者)の流れ、西側の反宗教的な映画、冒涜的な風刺画、そしてコーラン焼却は、イスラム教の敵たちの失敗した努力の例である。国内でも、彼らに追従する人々が、放縦さを広め、宗教で禁じられたものを合法とし、偽りの神秘主義、その他、同様の動きによって、人々、特に若者たちの宗教的な信条を揺るがそうとしている」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-10-11/2010101106_02_1.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/area/tokyo/news/20101204ddlk13010267000c.html
石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。
http://www.shukenkaifuku.com/ronbun/Ronbunshuu5.html
法治国家における言論の自由とは、「公共の利益」とその国の文化・慣習に立脚した「公序・良俗」という規制を前提とした理念であり、この規制がなければ言論の自由は、ただの放縦か国家秩序の崩壊を招く無法としかなり得ない。
というか表題のコマンドを実行するだけであまり説明することもないが。
wikileaks.org でアクセス出来なくなったのもあり、いつサイト自体が無くなってもおかしくない(まぁ当初からずっとそうだけど)ので興味ある命知らずは丸ごとダウンロードしておくことをおすすめする。
Wikileaks:Paypal停止と「言論の自由」問題 | WIRED VISION
http://wiredvision.jp/news/201012/2010120523.html
(追記 2010-12-06)今日 wget してみたところ、1,708 ファイルで 67.0MB だった。大体 1 時間位でダウンロード完了できた。
Windows で wget ないぜって人はこの辺から落としてこい。
wget(Windows版) - 俺の基地
http://yakinikunotare.boo.jp/orebase/index.php?wget%A1%CAWindows%C8%C7%A1%CB
Mac OS X は macports、Linux は apt-get やら yum やら使って適当にインストールしてください。
http://wikileaks.org (上述の記事の通り、DNS の登録から外されたらしい)
http://wikileaks.ch/(ミラー?コピーサイト?)
mkdir wikileaks
あと、wikileaks はミラーサイトになってくれるところを募集しているらしいので、更に命知らず(リアル命とセキュリティアタック的な意味で)な人はこの手順に従ってミラーサイトが公開できますよ。ちょいと wikileaks なんとかっていうドメインとサーバスペースを契約してミラー作ってあげたらいいんじゃないですかね。
Bash | #### tutorial about how to set up a wikileaks mirr - Wikileaks mirroring tutorial(英語)
http://pastebin.com/6q6E3Z0C
ちゃんと匿名ダイアリーで書いてるし(wikileaks.hatena.ne.jp まだかな!)、はてなの人も言論の自由を脅かすなんてことは、おっと誰か来たようだ
友人とテレビを見てたら某アイドルグループがあまりに歌もダンスも下手なので
「いつまでも上手く踊れないなこいつら」って言ったら
「じゃあオマエはこいつらみたいに上手にお宅共踊らせれるのかよ?」って言われた
「だってこいつらはプロじゃん?プロで金取ってるのに下手だなって意味だよ」って言い返したら
「テレビにも出れない奴が文句言ってんじゃねえよ」って言われた
「いや別に俺は芸能界興味ないし」って言ったら
「CDとか買ってないくせに文句言うなって意味だよ」ってわけわかんないこと言い出した
その後むかつきながらラーメン食べてたら
そいつが「このラーメン不味いよな」って言ってきたから
「そういう文句は行列のできるラーメン屋作ってから言えよ」って言ってやったら
「は?頭悪いの?お前はテレビに金払ってないけど、俺はラーメンに払った」
とか言われて、どう言い返そうか考えてたら
その後ニュースが始まってそいつが「やっぱ民主党はだめだな」って言ったから
人を殺すのは殺人罪だ。
「上野駅で人を殺そうと思う」とか「殺すぞテメェ!」とか発言するのは場合によっては脅迫罪や威力業務妨害罪になり得る。ただ、「殺すぞ」と発言した人は即逮捕、とかやるような国は言論の自由を侵害していると思う。
でも、「人を殺したい」と考えるだけなら思想・良心の自由だと思う。
幼い女の子を襲ってセックスするビデオやマンガを描くのは、ある程度は言論の自由で保護されるが、いくつかの制約があり、それを破ると児童ポルノ禁止法やわいせつ物頒布罪で逮捕される。
だが、「幼い女の子を襲ってセックスしたい」と考えるだけなら思想・良心の自由だと思う。
朝鮮人であることを理由に国・企業が理不尽な差別的な取り扱いをしたら問題になる。
「朝鮮人は劣等人種だ」と発言する人は、社会的には一段低く見られる。もちろん、そのような発言が許容される場所もある(2ちゃんねるとか)
だが、「朝鮮人は劣等人種だ」と考えるだけで、行動として表さなければそれは思想・良心の自由だ。
……と思う。
今日の朝日の「声」欄の一本目に、田丸安正「あの大戦の名称 統一できないか」という投書がある。内容はこうだ。
俳句の例会であの戦争をどう呼ぶか聞いてみた。結構の数出た「大東亜戦争」は敗戦後あまり使われない。「第二次大戦」では日本が関わっていない欧州の戦争も含んでしまう。「日中戦争」では対米英戦争が、「太平洋戦争」では対中戦争が含まれない。「15年戦争」も「昭和戦争」も感覚にあわない。そろそろ呼称の統一をすべきでは…
まったくもってどうしようもない意見だ。"「大東亜戦争」という答えが結構あった"のはそれが本来の統一呼称だったからであり、実態にも即しているからに決まっている。
もちろん「大東亜戦争」をあげた者たちも、あの戦争が大東亜をどうしようという「美しい」目的で行われ、かつそれが何を招いたか、を知った上であげているはずである。そして「あの戦争はすべきではなかった」と思っているはずだ。
「声」欄を引用する。
これまでは、あの戦争の体験者が多く、それぞれが何らかの強いこだわりを持つがために、国民の大多数が賛同できる呼称を求める余地がなかったのではないか。
違うだろう。統一呼称の「大東亜戦争」を否定する「強い拘り」のある者が、大多数を押さえつけてしまったのだ。
終戦後の一時期GHQ(実質、米軍)は原爆被害の報道も禁圧。「大東亜戦争」はその言論弾圧の一環として使用が禁止された。言論の自由を叫び、反米の姿勢の強い左翼・革新人士が米軍のこの言論弾圧の共犯者であることに彼らの不誠実と無知が表れている。
大東亜戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことは、その評価とは別だ。他でも書いたが、私は全共闘の学生だった頃、ベ平連の指導者小田実の著作で、大東亜戦争には欧米列強からのアジア解放戦争の一面があったことを教えられた。同時に、この戦争が理念とは裏腹に内外民衆に多大な惨禍をもたらしたとの認識も揺るがない。かかる矛盾した戦争の性格は「大東亜戦争」の名称であってこそ読み取れる。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081004/acd0810040331001-n1.htm
子供の頃、歩いて来た大人に目に煙草突っ込まれて失明寸前まで行った俺は禁止を訴えていいよな?
被害を受けようが、受けまいが、反対を訴えるのはいいよ。言論の自由。
ただ、感情的には納得できないと思うけど、その恐怖への怒りを向けるべき相手はその大人であると思うので、その一事を持って「路上喫煙禁止の法令化」への賛否を変えているなら(賛否を変えること自体は人間として当然の感情だろうから非難しないけど)自分は非論理的な行動をしているという自覚は持って欲しいと思う。
吸うのが迫害されてるんじゃ無くて
特定のTPOが取り締まられているんだよ?
「合法的に売られているのに」が抗弁の足場ならまた10秒で書き直そう
「車で歩道走る奴を叩く」までならまだいい。俺は納得しないけど、言論の自由の範疇だ。
マナーってのは、市民がお互いに議論し合って練り上げていくものなのに、それをお上頼みにしちゃうとか、つくづく日本は民主主義に向いてない国だと思うぜ。
民度とはある地域に住む人々の、生活水準や文化水準の程度だそうだ。
また生活水準とはある社会階層の平均所得から得られる財貨やサービスの多寡もしくは労働条件・雇用機会等の労働環境、社会保障や教育などの公共サービス、公害・治安などの生活環境によって測定される。
文化水準となると話がまたややこしくなる。文化の程度。特に、ある地域・社会の文化の総体的なレベル。この定義は、文化とは何たるかという問いから逃げて居るので何の意味もなしていない。
しかし総体的なレベルとあるから、人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体、のほうの文化のことだとわかる。
長くなったが話を戻す。民度が高いとは、ある地域にすむ人々が所得から得られる財貨やサービスが多く、労働環境が良く、公共サービスが充実して、安全な生活が送れ、かつその地域の社会の成員が共通してもつふるまいのレベルが高い、ということだ。
「民」という文字が入っているのでどうしても文化水準の方にばかり目が向いてしまうが、民度の問題には社会環境の問題が多分に含まれている。
文化的水準の高さは非常に大切だが、これは社会環境を侵害してはいけない。身の安全こそが最優先されるべきものであるからだ。身体の安全を保障されることこそ民主主義社会において一番大切なことである。これを冒してまで言論の自由を認めることはあってはならない。生活水準の低下は文化水準の低下に先立つからだ。
しかし、高度に洗練された文化芸術の類はどうであろうか。ギリシャでは遺跡が度々発掘され、これらを保護するため宅地開発が進まない。オーストリアは芸術文化に多大な額の国税を投入している。
これらの国民が文化芸術保護のため、社会保障をあきらめているのかは不勉強なのでわからなかった。だが、少なくともこれらの文化財を手放すか、国が関与をあきらめればその分、公共事業が充実することは間違いなく言える。
日本国政府はいわゆるオタクカルチャーを振興しようとするような動きを見せている。一方で規制が強まる言論も増えている。この動きは「世界に誇れるハイカルチャー」として世界に売り出せる文化芸術に相応しくなるための矯正なのだろうか。まぁそこはどっちでもいいんだが、問題は、これらの(高度な)文化は、生活水準を脅かす権利を持つのだろうか。生活水準に生活環境という要件が組み込まれている。現在、オタクカルチャーは支持を伸ばしているものの一般的に評価を得ているとは言い難い。オタクカルチャーに嫌悪を感じる人にとっては生活環境が悪化しているのだ。公共の福祉のためなら幸福追求権は侵害されうるが、もし日本政府が文化振興を政策として行ったら、彼らの幸福追求権は侵害されてしかるべきか。
高度な文化でなくとも問題はある。ある社会の成員の多くが「性犯罪は起こるものだから、自己の安全管理は徹底すべき」と思っているなら、その社会の民度は安全な生活が脅かされることを容認する程度に民度が低くないだろうか。ただ、「窃盗は起こるものだから、自宅の施錠は徹底すべき」は、民度の低い社会と言えるのだろうか。
とくに文化水準について民度の低い社会は何か問題があるのだろうか。
私はもともと高度な文化も一般文化も水準が上がるよう努力すべきだと思っていたが、経済が圧迫されてくるとこの考えは民度の高い社会でこそ通用するのではないかという疑問がわいてきた。
そして日本は民度の高い社会には相応しくなくなってきていると感じるようになった。どちらが正しいということはないのだろうか。
強制わいせつの被害の実態把握は難しいらしい。
女の子が被害にあっても、その後の調査や裁判で二重に苦痛を感じるからなかなか告発がされないそうだ。
でもこれって、児ポ規制や非実在青少年の話とそっくりじゃないか?
正直言って、問題はこのことだけじゃない。
人の羞恥心につけ込んだり、数に物を言わせたり、
声が大きいほうの意見が通ったり、権力者にしか発言権がなかったり、
この国の民主主義なんて嘘っぱちだ。
俺は心底そう思ってるんだ。
決して、エロのために言ってるんじゃない。
主張できない国日本なんて糞喰らえだ。
未必の故意を疑われない範囲でちょっとだけ反乱してみる。
これなら何を言っても恥ずかしくない。
例えば、税務署の窓口で「総理は脱税してたじゃん」とちょっとだけごねてみる。
外国人参政権に賛成している議員がいたら、ちょっとだけ選挙に行って、
ちょっとだけ知らない人に投票する。
テレビの街頭インタビューにであったら、ちょっとだけ話をそらしてみる。
女子高生が二人並んで歩いている。
「民主党支持が許されるのは、団塊の世代までだよね。キャハハハハハハ」
エコと称して、春先、街中に杉の苗木を植えてみる。
ちょっとだけテロリズム。
「鳩沢先生どうぞ一杯」
「そんなこと言わず、次も投票しますからw ささ、ぐいっと」
ちょっとだけ暗殺。
「疲れてるんでしょ、そっとしておこうぜ」
ちょっとだけ救急車を呼ぶのを遅らせてみる。
「0時23分、心肺停止」
「いや、脈あるんだけど」
ちょっとだけ早めに死亡確認。
ちょっとだけの精神で俺たちはフリーダムになるんだ。これこそ言論の自由だ!
感動した! ありがとう! 美しい国日本! 友愛ッ! 友愛ッ!
そんなとき、後ろから肩をたたかれた。
おまわりさんだった。
「これってちょっと未必の故意じゃないんじゃないか?」
「……」
「ちょっとだけ署までご同行願います」
『外国人への憎悪を煽る者たち』それはこのエントリに、デマやリテラシーなどとタグやコメントをつけてキリッとしている、はてサやリテラシ厨や民主信者、お前らの事だ!
あ?なに訳わからない寝事抜かしてんだってか?
特別に知能は低い癖にプライドだけは高いバカなお前らにも分かるように噛み砕いて説明してやるわ。
先ず、この590人という荒唐無稽な数字の"デマ"の拡がる背景を考察する。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100404/trd1004040702001-n1.htm
ここにあるように、既に税金対策のために戸籍を偽って扶養者を増やす手口は常套手段となっている。
ここでは節税と表現しているが、これは実態を捕捉出来ない点をついての脱税に他ならない。
悪質外国人が働きに来たところで日本の貨幣が外国に流れるだけで、日本の行政サービスはフリーライドされ税金は入ってこないのである。
このように税金を納めない外国人が、同じ手法でブローカーを通じたり組織だって子どもや養子縁組をしたならば、それをチェックする方法はない。
とってつけたように、
などと施行前日に通達を行っているが、そんな事実際にどうやって調査するんだ。現地国とネットワークをもって組織だって書類を仕上げてくるプロに対し、窓口の公務員がそれをチェックできるとかどんだけお花畑なんだよ。
こんな稚拙なザルなシステムを強行した事に民の怒りが蓄積されている事をまず理解しろ。
この590人登録事件は、その真偽が問題なのではなく、このような不正な請求が実際に組織的に可能である事そのものに起因して発生した現象である。
可能であるならば、やってくるに違いないという思い込みは、たとえそれがバイアスがかっていても消去する事は出来ない。
いいか?ここでそのバイアスを責める前に、システムに不備がある点が問題だという事実、それをその物覚え悪い頭に叩き入れておけよ。
で、そのような条件下で、蓄積した怒りの発散先として、この"デマ"が590人登録騒ぎという形を為し、市井の民の怒りのシンボルと化した。
そしてそのシンボル化がさらに、怒りの表明の焦点を一箇所に集中させる事が、薄ぼんやり暮らしているバカどもに有効に認知を拡めるツールとして機能する事に気づかせ、さらなるスパイラルを描いたのは至極当然である。
高津区役所が電話攻撃でサービス不能になる程度の事で、政府の愚策の問題点を浮き彫りにできるのならば実に合理的な抵抗であろう。
市井の民が、お上の決めた暴挙に対抗するならば、このような手段で対抗するのは当然でありレトリック的に言えば防衛本能の発露でしかない。
だから、これをデマだよキリッとか言ってるだけのうすらバカのみなさま方におかれましては、その指摘になんの意味もない程度の事は理解していただけませんかね?
この"デマ"に寄り添って声を上げる人間の事を、リテラシー強者(笑)なるデマの真偽の判断を否定ツイート一つ如きで判断しておきながら、『デマに乗せられる情弱』という構図で見下して、空っぽな脳を自尊心だけで満たしているだけの単なる思考弱者どもは、妖怪どっちもどっちどころではなく救いようがないうすらバカなんだよ!
まぁバカに言っても無駄かww
もっとも、はてサ脳に侵されてない人間の中でも、"デマ"を使ってこのような煽りを蔓延させる事に眉をひそめる良識的な立場のまっとな人もいるだろう。
だが、その認識は甘いと謂わざるを得ない。
この"デマ"騒ぎさえ、民主教に帰依したバカのやり口に比べるととてもまともな穏当な反対意思の表明にしか過ぎないんだよ。
たとえば、この頭を叩くと空っぽでぽむぽむするから名前が id:pompom20 のブコメ
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/2987779.html
id:pompom20 ネトウヨ 子ども手当で民主党叩きしている、この手のレイシストウヨは全員逮捕すべき。ネトウヨの存在は日本の民度を下げる害悪のガン細胞、よって切除手術が必要。
まぁ充分これでもすごいが、これを省略せずに説明すると、つまりはこのような思想である。
これほどまでにガチでやばい本物のキチガイ思想になんの留保の情も抱かないロボット達に今の政権政党が支えられている。
これを敷衍していけば、本当の言論弾圧・ニーメラーが待ち構えているのに、非実在青少年なんていう言論の自由(笑)ごっことかやってる場合じゃねーってのwww
さて、まとめておくか。この"デマ"に乗じて声を上げる者たちを、ネトウヨだの排外主義だの情弱だのと呼びあらわす者たちに告ぐ。
この現象を生み出した最大の責任は、票とりのために拙速な法案を施行した民主政権にある。
致命的な欠陥に対し、とりあえず緊急的な方法で指摘をしているだけに過ぎない者たちに、その手段の稚拙さを謗る事を良識などと考えているうすらバカどもが、いくらヘイトスピーチ、レイシストとレッテルを貼っても、それは外国人を差別する意志(意味もなく外国人にお金を渡すのを阻止するのは差別じゃないよw念のためww)もないのだから事実とは異なる誹謗中傷でしかない。
こうして普通の日本人を悪魔にでっち上げるのは、思考回路の作り方の失敗が産み出した幻影であり、それこそ日本人へのヘイトスピーチ以外の何物でもない。
そのような不当な中傷により、本当にレイシズムが発生する事態が起きる事があったら、お前達こそ本物のレイシスト生成装置であり、非難されるべきはお前らだ。
民主教徒の諸君。自民時代の児童福祉手当と同じとかレイシズムだとか言っても世の中何も解決しないんだよ。
根本的な原因に向き合い、民主政権を支持した自分がバカでしたごめんなさい。
まずそこからはじめるんだ。わかったかな。まぁわかんないだろうがなww
ただ、自らの罪の償いを他罰に求めてもなんの解決も得られないぞとだけ言っておくわ
#hijitsuzai
きちんとした議論をしている人たちがいる一方で、なんかヘンだぞ、という感覚も多かったのでそのことを書く
なんというか、自分の個人的不満とか嫌いな集団とかを規制派に重ねて叩いている、という印象が拭えない。
特にオタクの人たちに多い感じ、残念だが。
ツイッターではともかく、2ちゃんとかで不用意に「多少の規制は必要でやり方の問題だ」などといった人はけっこう感情的に叩かれるのだが、印象深いのはその時の叩き方。
左翼嫌いな人たちは「規制派はサヨ」というし、右翼嫌いは「石原はウヨだから規制派はウヨ」という
ツイッターで「今回の規制はアメリカの外圧だ」という話も何度もリツイートされたが、単に反米感情を煽っているだけのような気がしてならない。要するにアメリカが嫌いなだけでしょ。
外国の議員なり外交官なりが日本の関係者に何らかの要求をすることは、外交において普通にあることであろうし、それが発言者個人のレベルかどうかにも依る。ちょっと懸念を示しただけで「外圧」になるんだったらそもそも国交などできないでしょう。
仮に「外圧」があったとしても、その結果として行動を選ぶのは日本人なんだからこれは日本の問題なのであって、アメリカは悪くないのだ。
上記のような人たちは、単に「敵」を求めているのである。
彼らの持っている世界観は
というものだ、これはいわば「物語」である。彼らにとっては敵は大きければ大きいほど良い、その方が自分も相対的に偉くなったような気がするからだ。
だから「敵」にいろいろな実像を与えようと、右翼、左翼、コミケ、アメリカと追加していく。
彼らにとって自分に異論を吐く人間はすべて悪なので、「意見でない範囲での対案としてのゾーニング」なんて話をしても無駄。
客観性を失った彼らには、「規制派も対象は違うが全く同じ物語のもとで行動している」というメタな見方が欠けていて、自分たちを「一方的で完全な被害者」だと認識している。
彼らは「敵」を思考停止状態だと思っているが、自分たちも思考が停止している。
彼らの何人かは石原の「太陽の季節」の内容をあげつらって叩くが、その自己矛盾に気づいていない。
それをやると「言論の自由を標榜していながら表現狩りをする」という事になるし、「創作物と創作者を切り離して考えていない」ということになる、そうなれば風向きは自分たちに不利になるのに。
要するにとにかく相手を引きずり下ろしたい、という思考だ。
彼らはオタクのプロパーで語りすぎるゆえに、言葉は身内にしか届かないだろう。
彼らは広い世界に語ってるつもりになっているかも知れないが、身内で「だよねー、そうだよねー」とやってるに過ぎない。
この問題を本当に説明していかなければいけないのは、漫画やアニメに理解がなくネットも知らない人たちに対してであり、そういう人たちに彼らの言説は全く届かないだろう。
図書館の自由に関する宣言には、検閲への反対と自由を守るための団結が高らかに宣言されている。
東京都の「非実在青少年」条例に対して、彼らはなぜ行動を起こさないんだろう。
これは検閲ではないんだろうか?
http://www.jla.or.jp/ziyuu.htm
図書館の自由に関する宣言
1.検閲は、権力が国民の思想・言論の自由を抑圧する手段として常用してきたものであって、国民の知る自由を基盤とする民主主義とは相容れない。
検閲が、図書館における資料収集を事前に制約し、さらに、収集した資料の書架からの撤去、廃棄に及ぶことは、内外の苦渋にみちた歴史と経験により明らかである。
2.検閲と同様の結果をもたらすものとして、個人・組織・団体からの圧力や干渉がある。図書館は、これらの思想・言論の抑圧に対しても反対する。
3.それらの抑圧は、図書館における自己規制を生みやすい。しかし図書館は、そうした自己規制におちいることなく、国民の知る自由を守る。
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。
1.図書館の自由の状況は、一国の民主主義の進展をはかる重要な指標である。図書館の自由が侵されようとするとき、われわれ図書館にかかわるものは、その侵害を排除する行動を起こす。このためには、図書館の民主的な運営と図書館員の連帯の強化を欠かすことができない。
2.図書館の自由を守る行動は、自由と人権を守る国民のたたかいの一環である。われわれは、図書館の自由を守ることで共通の立場に立つ団体・機関・人びとと提携して、図書館の自由を守りぬく責任をもつ。
3.図書館の自由に対する国民の支持と協力は、国民が、図書館活動を通じて図書館の自由の尊さを体験している場合にのみ得られる。われわれは、図書館の自由を守る努力を不断に続けるものである。
4.図書館の自由を守る行動において、これにかかわった図書館員が不利益をうけることがあっては ならない。これを未然に防止し、万一そのような事態が生じた場合にその救済につとめることは、 日本図書館協会の重要な責務である
2004年、自己責任論争を巻き起こしたイラクでの高遠菜穂子さんらの人質事件。あれからおよそ6年、日本人の中からイラク問題が忘れられていく中で、高遠さんは、ひっそりと、しかし絶えることなくイラクへの支援を続けてきた。アメリカ軍も撤退に向けて動き出す中で、イラクの治安はいまだ回復していない。 ブッシュの戦争への支持を真っ先に打ち出した日本。事件後の自らへの報道を思い出すといまだにトラウマで激しい不安に襲われるという高遠さん。しかし今、「日本人と向き合いたい」と考え、初めてカメラの前で自らの心のうちを明かした。 イラクの隣国ヨルダンを拠点に続けている彼女たち民間レベルの支援の現場を取材、また高遠さんへのロングインタビューで、人質事件、その後の6年、そしてなぜいまなお支援を続けるのか、その思いを聞く。
(NO.2856)
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei.html
日本では最近、メディアやインターネットで「売国」という激しい言葉が頻繁に目にする。売国奴、売国的、売国○○といった表現が、書店に並ぶ雑誌の表紙にも大書されていたりする。異なる意見は、「サヨク」のレッテルと共に排斥し、侮蔑するような言い回しも、ネットの世界ではしばしば見る。そのたびに、「非国民」「アカ」という言葉が衣を替えて蘇っているような気がする。
イラクにおける邦人人質事件の時には、政府に逆らった(そのうえ理屈を並べる生意気な)者は、国家の庇護を受けることも許されないかのような「憎悪の嵐」が巻き起こった。そうした風潮に異論を唱えようとすれば、自分に憎悪が向くのを覚悟しなければならない。「おかしいな」「なんかイヤだな」「ちょっと行き過ぎ」などと思いつつ、その言葉を飲み込んだ人はずいぶんいたはずだ。
このような状況で、「愛国心」が強化されたら、どうなるのだろうか。
少なくとも、「愛国心」の涵養を言う前に、「国」を「愛する」ことと、時の政府やリーダーの政策を支持・追従することはまったく別であるという合意が、国民の間にしっかり定着させる必要がある。そして、国や同胞への思い方は人によって違うという多様性を認める空気が醸成され、異論を持つ人たちの言論の自由や発言の場がきちんと守られていなければ、なんだかとても危ないことになりそうな気がして、心配でならない。