はてなキーワード: 親心とは
「公共放送(NHK)が真っ昼間から神の教えに反する同性愛を肯定的に取り上げる番組を流すことは、我々の教義を公然と侮辱する信仰への迫害だ、少なくとも子供が悪魔の誘惑に晒されぬようにゾーニングせよ」
と文句を言いだしたら、どうするんだろうね?
「公共の場にオタク向け萌えエロセクシズムステロタイプ表現が露出することは、集団としての女性の権利侵害なので自粛せよ、少なくとも子供が見ないようにゾーニングせよ」
という主張と同じなので、フェミの主張でキズナアイ(あの衣装のまま女性のステロタイプを演じる)のNHK出演が自粛に追い込まれるなら、宗教原理主義者の主張にもNHKは屈するしかないと思うんだけど。
これは別に非現実的な思考実験じゃないんだよね。既に欧米ではあちこちで起きてる問題だし。学校教育で進化論を教えるべきではない創造論も教えるべきとかね。
日本でも徐々に外国人ムスリムの長期在住者が増えていて、インドネシアやマレーシアからの観光客もしばらくは増え続けるでしょう。
その中のほんの一部ではあっても、「日本では書店もテレビも公共の場に信仰へのあからさまな攻撃で溢れているので、マイノリティである我々はとても生き辛い」と言い出す日はそう遠く無いと思うんだ。
そういう敬虔な信徒の彼らにとっては切実な抗議にどう応答する? 心底嫌そうな顔でゲイを「気持ち悪い……」と指差す我が子の傷つきやすい幼い心を守りたい親心に日本社会はどう向き合うべきか?
「日本には表現の自由って物があるんだから、お前らカルトの定量化できない被害の主張(=お気持ち)に耳を傾ける義務はこちらには無いんだよ! このホモフォビアどもめ!」で書店やテレビ局は突っぱねるべき?
だったら「お前らフェミの定量化できない被害の主張(=お気持ち)に耳を傾ける義務はこちらには無いんだよ! この退廃芸術を禁止したナチの末裔のファシストどもめ!」と突っぱね続けないとね!
最大限気持ちの悪い言い方をすると「女はあるがままで資源である」ということの反映だよね
子供を産み育てる能力を高い確率で備えているというのは、ただそれだけで一定の価値があると考えられていた
そして資源は親が管理するものであり、勝手に足が生えて(変な知恵をつけて)どっか行ってしまっては困るというのが旧来の価値観だった
またそれはとりもなおさず、男はただ在るだけでは何の価値がないということの裏返しでもある
結局、女が経済的に男に依存する文化が少しでも残っていて、そして「女はいざとなれば男を頼ればいいけど、その逆はない」限り、親心としては男に学歴をつける方が優先されるのは致し方ない部分もある
元々この問題は、文部科学省の逮捕された佐野局長が便宜を図る見返りに、自分の息子を東京医大に合格させた問題の内部調査で副次的に明らかになったこと。
この二つは全く関係ないような事柄に思えるかもしれないが、「男性に対する期待と重圧」というテーマで考えてみると、表裏一体になっているのだと気が付いた。
逮捕された佐野局長の息子は、元々東京医科大の試験に落ちて留年している。そして2年目の試験時に加点してもらって、東京医大に入学することが出来た。
息子はおそらく学力がそんなに高い人間ではなかったので、加点という下駄を履かせてもらってようやく合格できた。
しかし、これが息子ではなく娘だったら、逮捕された佐野局長も東京医科大に便宜を図らなかったのではないだろうか。
息子だからこそ、世間に良い目で見られる東京医科大の学歴を持たせてやりたいという親心だから佐野局長はあのような不祥事を起こしたわけであり、これは男性には社会的強者としての期待や重圧が掛けられていることと同義である。
逆に女には、そのような期待や重圧は男ほどには掛けられていない。
だからこそ、女子受験者の点数を一律に減点することが横行していたわけである。
一昨年死んでしまったおじいちゃん。もちろん悲しい気持ちはあったけど、私は泣くことができなかった。
おじいちゃんは自分勝手で、すぐに怒るし、声が大きいし、大人になるまでは正直苦手だった。
思い返すと浮かんでくるのは、まだ私が4、5歳のころ、一緒に動物園に行った記憶。
昭和気質でぶすっとした表情のおじいちゃんの手を握る力が強くて、私は泣いてしまった。
すぐにお母さんとお父さんがやってきて、おじいちゃんから取り上げるように私を抱っこしたのを覚えている。
この間、息子と遊園地に行ったとき、手をつなぐのを嫌がられてしまった。
もし人混みではぐれてしまったらどうしよう…、なんて考えているうちに、つい手に力が入っていたみたいだ。
一昨年死んでしまったおじいちゃん。もちろん悲しい気持ちはあったけど、私は泣くことができなかった。
おじいちゃんは自分勝手で、すぐに怒るし、声が大きいし、大人になるまでは正直苦手だった。
思い返すと浮かんでくるのは、まだ私が4、5歳のころ、一緒に動物園に行った記憶。
昭和気質でぶすっとした表情のおじいちゃんの手を握る力が強くて、私は泣いてしまった。
すぐにお母さんとお父さんがやってきて、おじいちゃんから取り上げるように私を抱っこしたのを覚えている。
この間、息子と遊園地に行ったとき、手をつなぐのを嫌がられてしまった。
もし人混みではぐれてしまったらどうしよう…、なんて考えているうちに、つい手に力が入っていたみたいだ。
ワースブレイドシリーズ(1988)は異世界に魔法ロボの系譜を定着させた。
で、ライトノベルの世界だとワーズブレイド系列の聖刻シリーズが1996から2016年まで20年間連載されていて大なり小なり影響は与えているのかなと。
三雲岳斗先生とかそれっぽいけど、コールド・ゲヘナ(1999)はロストワールドで現代ロボでしたかね? 若干逸れます。
また時代と技術のギャップのある作品としてサクラ大戦(1996)やフルメタル・パニック!(1998)、ガンパレード・マーチ(2000)もありますので、やはり90年代には確立していた感はあります。
なぜなら二足歩行ロボットは現代兵器に弱すぎるのですから、可能な限り敵の少ない環境で活躍させたがるのが親心というものでしょう。
人はそれを親心と言うのではないだろうか
母はかなり太っていて、私は痩せている
たまに母に会うと、必ず「いかに私が痩せているか」、「足が細過ぎて気持ち悪い」、「痩せてるからオシャレができて羨ましい」などの体型に関しての言及をされる
私が普通に食べていても太らないことを母は知っているから、ちゃんと食べてないんじゃないか?という親心ではない
そこに脈絡などないし、目的もない(不安から意味のないことを口に出しているだけ)
なんだか疲れる
普段自分から人の体型に言及することなどない私からすれば、母や世の中の少なくない数の人間が太っている/痩せているの話題を好むことが不思議でならない
他人の体についてごちゃごちゃ言う人は精神的に未熟だとすら思う
はてブでもダイエット記事が人気なのかときどきホッテントリ入りしているが、そのブコメ欄で太っていることへのものすごい嫌悪をにじませたコメントを見ることもある
なんだか怖い
健康に問題があるほど痩せている/太っている人が健康を大切にしたいと思った時に、自分でどうにかしたいと思うのはわかる
肥満や痩せすぎが寿命を縮める、というのは価値観でなく事実のようだし
健康でいることがその人にとって重要でそのために体型を変える必要があるなら、それは各自頑張ってくれたらいい
でも人の体型なんてどうでもいいではないか
私が痩せていることで何か迷惑か?
母が太っていると何か悪いのか?
そんなことはないだろう
母が過剰に私と母の体型を比較するようになったのは、世間が「細い方がよい、太いのは悪(または許されないほどに醜い)」みたいな考え方を植えつけたからに思える
そんなものを植えつけられてしまう母の愚かさもどうかと思うが、母だけでなく人は世間の空気というものに影響されて生きている
(私の体型に言及してくる人は母だけではない)
例えば「肥満は悪で痩せていることは善」の別バージョンとして、「赤毛は醜い・金髪は馬鹿」や「筋肉があるほうが偉い」など色々あり、全部同じようにくだらないのだが、それらを自明なことかのように信じている人も少なくない
考えてみるに、世の中には人に劣等感を植えつけるためだけの言説がはびこっている
それらは主にお金を稼ぐために利用されるが、これほど醜いこともないと思う
醜いものを問題とするのであれば、太っていること、痩せていること、髪が少ないこと、肌が荒れていること、背が小さいこと、背が大きすぎること、などなどを醜いと嫌悪する感情こそが一番醜いのだが、それらはあまり(その醜悪さに見合うほど)非難されない
なぜだろう
「劣等感があるから頑張れた」みたいなことも聞くが、適切な自己肯定感はそれよりもはるかによい
だから、みなが住みよい社会のためには、人に劣等感を植えつけるための言説は淘汰されるのがよい
だからこれに関しても今後人々の意識が変わり改善されていくだろうと期待している
とりあえず私個人ができることとして、次回母が私の体型に言及してきたときになんて返せば母の体型へのこだわりを薄められるか、考えているところ
※勘違いしないでほしいが、例えば「顔に大きな痣がある人」を見たときにウワッと思って一瞬嫌悪する、そのようなことは仕方がないと思っている(「顔の痣」を何に置き換えてもらっても構わない)
しかし、そうした嫌悪感情をおおっぴらに表に出すことは問題がある
世の中には同じものを見てもなんとも思わない(嫌悪しない)人がいるのに、そうした嫌悪感情の開陳はそういう人間にも嫌悪をうながし、本来嫌悪しなくて済んでいたものを嫌悪させることにつながるからだ
個人の中で終わらせればいいことだ、といえのが私の考え
見苦しい部分が多くあると思います。
思い付きでダラダラと書いてるので、文章がおかしいところがあってもご了承ください。
担当はW、蒼井悠介と蒼井享介という双子のユニットでした。どっちも大好きだったけど、特に悠介のほう。
この二人は元サッカー選手で、プロデューサーのことを監督と呼びます。
私が監督になったのは、Mマスのモバゲーアプリが配信してすぐのこと、一番最初のイベント「アイドルデビューオーディション」からです。
かの有名な?「桜庭乱入!」のやつです。私も最初は桜庭薫目当てだった。
右も左もわからないままポチポチして、なるほどこういう脳死ゲーね、と思いながら進めて行く中で、蒼井兄弟と出会います。
よくわからないけどめちゃめちゃかわいい。デビュー衣装全然かわいくないし地下アイドルが着せられてる破廉恥衣装って感じだったけど、もうちょっと頑張ったらこの可愛い子がもらえるらしい。
という感じで、最後の最後にすごく頑張って、残り30秒みたいなところで何とか享介を入手して、頑張ったこともあってそのままずっぷり蒼井の沼に落ちました。
ちなみに、アイマスはほぼ知識がない。あんずちゃん可愛いよね~くらい。
蒼井兄弟は息ぴったりな双子で、すごくかわいくて、いつも監督監督!って側に駆け寄ってきてくれて、
二人の固い絆の中に引き入れてくれるような子達で、私はよく「嬉しいけど監督のことなんていいから!二人の間に入るなんて!それに監督よりまずはファンやお客さんでしょ!」って思ってた。
でも、ことあるごとに監督!って読んでくれて、二人して監督の取り合いみたいなことまでし始める。
あんな可愛い合法ショタがこんなクソみたいな私を引っ張ってくれるのがすごくかわいくて、
可愛いの方向性が、親心みたいなものになって、恋愛感情をすっ飛ばしてとにかく応援したい・トップアイドルにしてあげたいという、まさにプロデューサーみたいな気持ちになった。
蒼井兄弟はMマスの「理由あって」のなかでも、重いほうだと思います。
みんな多かれ少なかれ、暗い過去を持っていたりしますが、悠介の怪我は不慮の事故で、誰も悪くなくて、改善できるものでもない。
蒼井兄弟の設定は省略しますが、前職のことを考えるだけですごく頭を抱える子たちでした。しかもどう見ても共依存。
その設定からか、イベストもどこか後ろ向きな発言や、将来が心配になることが多く、それも相まってどんどん応援しなきゃ、幸せにしてあげたい、という気持ちが膨れ上がった。
でも、蒼井兄弟は最初のイベント以降、ガシャもイベントも全然出てこなかった。
他のアイドルもいるし仕方ないと思ったけど、途中からさすがにローテーションがおかしくない?と思い始めた。
私はソシャゲをほぼやったことがなく、やったとしてもすぐに飽きてしまうタイプ。
久しぶりに出てきた担当の初ガシャは絵柄が好みじゃなかったこともあって見送ってしまった。
その後も蒼井の出番は少ないほうで、久しぶりに出番が来るとやっと来た…!という気持ちで、できるだけ課金しない範囲でイベントやガシャを頑張った。
Pの人ならわかると思うけど、Mマスはガシャがすっごく渋い。全然でない。
万単位で課金したこともあるけど、その頃の私は本当にお金が全然捻出できなくて、目当てのものも出ないままただお布施をするだけになった。
イベント上位報酬もそうで、毎日コツコツアイテムを貯めるのが苦手な私には、バーもゼリーも足りなくて、勿論手元にいるアイドルも強いカードが全然いなくて、
担当のイベントのたびに5千円~1万円くらい課金して、中途半端な課金のせいで上位報酬もガシャも引けず、一向に手持ちが強くならないからイベント叩くのも大変という悪循環をしていた。
そんな感じで担当の出番の時だけ頑張るという遊び方で、全然ログインしない期間もあって、
離れた時間の分だけ、まだ私の担当は出ない…と落ち込んで、その分出番があるとすごく嬉しくなった。
ある日、アイドルたちに声が付くようになった。
ついに来たボイス実装で、ついについに!そんなに大きなコンテンツになったんだ!
干される時間もすごく多かったけど、最初のイベントから応援していた子達に声が付いた!
ってすごく嬉しくなった。
蒼井のデビューCDが発売されたとき、私は就活がうまく行っていなくて、多分ニートだかフリーターだった。
お金が全然なくて、ずっと応援していた担当アイドルの記念すべきデビューCDが買えなかった。
買えなかったというのもあるけど、買わなかったというのもある。
CDにはゲーム内でカードがもらえるシリアルが付いていて、1枚で1人もらえる。
私は悠介推しだったけど、Wは、蒼井兄弟は、二人そろってなきゃ絶対ダメって初期のころから思ってたし今でも思ってる。
片方しか手元にいないことがすごくつらくて、必然とCDを2枚買わなきゃいけないという選択肢しかなくて、金銭的にも理性が働いて、買わなかった。
すごくすごく悔しくて、情けない気持ちになった。
見かねてなのかわからないけど、友人二人が誕生日プレゼントにって1枚ずつCDを買ってくれた。
その節はありがとうございました。
でも今でも、自分のお金で買ってあげられなかったことがすごく後悔というか、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
そのあとも担当SRは全然入手できなくて、毎回のように双子の片方を入手する感じだった。
二人そろっていることが大事なのに、”揃えてあげられなくてごめんね”って思うことが以前よりも増えた。
自分が欲しいから入手する、というよりも、完全に二人のためにっていう意識。
二人ぼっちの世界に、ニコニコしながら監督を引っ張って両隣迎えいれてくれる担当アイドルたちに対して、
私は全然何もできてないと思うようになって、どんどん負の感情が増えていった。
その頃にはツイッターとかでSR持ってる人を見るのも嫌になった。
同担拒否とかじゃなくて、上位報酬やガシャ産を持っている人が無理になった。
他Pたちはみんなすごく優しくて、煽られたりとかそんなことは全くなかったけど、私のほうが加害者になってしまう気がした。
前述した通り、Wの出番はちょっと少なくて、それもあって何度か小休憩を挟む感じで距離を置いて、なんとか追い続けていた。
詳しくは省くが、シリアルのために複数買いなんてとてもじゃないができる余裕もなく、そもそも複数購入が嫌いで、まあ勿論チケットなんてものは最初からなかった。
結論から言うと、私は蒼井が歌いだした瞬間に自分も友達も驚くくらい号泣した。
ここまで長かったなぁ、ついにライブができるようにまでなったんだなぁって泣いて、
画面の向こうで監督!って呼んでくれることに、
「今はライブ中だよ!?監督じゃなくて、ファンのためのライブをしなきゃダメなのに、”3人で”って引っ張ってくれる…!そこまでいうなら、腹をくくって隣を歩けるように監督を頑張らなきゃ…!」
って思った。
本当に315のライブで、ファスライの後はずっと余韻も抜けなくて生き生きとしていた。
何よりも、蒼井のために頑張ろうという気持ちが強かった。
でも現実はなかなか難しくて、やっぱり”課金”という壁がすごく高かった。
ずっと金銭的に余裕がない人生を送ってきた私には、ソシャゲのデータにワンクリックで一度に何万も課金することがすごく苦しかった。
普通の金銭感覚なら、天井もない博打に一度に何万も課金しない。と思う。。。
この「ちゃんと」という感覚もそもそもおかしいんだけど、私はどんどん「課金すらできない監督失格だ」って思うようになった。
頭の中では自分のできる範囲の課金でいいし、そもそも課金しないでも好きな気持ちがあればそれでいい、
応援していることには変わりないし自分を責めるようなことではない、とわかっているのだけど、気持ちが自分を許せない。
応援しているはずなのに結果が伴わないと感じて、蒼井兄弟に大して申し訳ない気持ちしかなくなって、中途半端な自分がどうしても許せない。
イベントも走らなくなった。
セカライも、ライビュすら行くつもりなかったけど、友人が誘ってくれて、
もう半分以上知らない曲しかないけど、蒼井のために見に行った。
もしかしたらまた前向きに好きになれるかもしれないと思っていたが、
実際セカライ見たら、二人はこんな頑張ってるのに私は何も出来てなくてごめんね、という気持ちばかりだった。
もう、申し訳ない気持ちばかり先行してしまって、本当にもう限界だと思った。
万単位で課金して、時間削って、苦労もあったし楽しいこともあったから、データは残していたんだけど、
「ごめんね」という気持ちが強すぎて、よく考えたらこんな出番のない事務所にアイドルたちを置き去りにしていることすらあり得ない、アイドルたちがかわいそう。
って思うようになって、このままじゃもう駄目だ………と思い、
夏頃に手元にいたイベント・ガシャ産のアイドルたちをすべて譲渡に出した。
SR+だろうがRだろうが、譲渡不可以外のものは一人残らず無償で譲渡に出した。
譲渡取引しに来たPたちはみんなすごく親切で、ゼリー付けますよ、とか、復帰したくなったらお返ししますとか、
あまり気負わずに戻りたくなったらまた来てくださいねって、ほぼ全員が気遣ってくれた。
こんな優しいファンが沢山いてこれからもどんどん盛り上がるに違いない素晴らしい作品なのに、
自分を責めるのが止まらなくて、ずっと暗い気持ちでいる自分がまた更に申し訳ないという負の連鎖。
プロデューサーとして、最後の最後にちゃんとアイドルたちを見送ってあげたくて、
本当に一人残らず新しい事務所へ送り出した。
譲渡が完了した少し後に、オフショで悠介がきて、悠介のオフショがくるまでずっと貯めてたチケットを使い切ったら本当に引退、と決めていたので、
全部使ってオフショ悠介を2枚お呼びした。
誰もいない事務所に残してごめんね、って思うけど、オフショだし、いいかな、と思って、手元に残してある。
あと、アニカフェが決まった時も友人が誘ってくれて、一緒に行って、
ちょっとだけアクキーを買ったんだけど、蒼井が出なくて、二人そろえるために譲渡する気力もなく。。。
担当でもない子達を、いくら可愛いとはいえ、あまり綺麗に飾ってあげられるスペースもなく、
うちにいてもかわいそう…欲しがっているPたちのところにいてほしいな…と思って、
金銭的余裕がないなか自腹切って買ったものを、もったいないとわかっていながら他人にあげてしまったことに唖然としたというか、後悔したというか…
いや、欲しい人のところに渡ってほしいのは本心なんだけど、買ったそばから無償で手放してしまうなんて、
これを書いている2017年12月31日、Mマスのアニメが最終回を迎え、
自分の中でもう一度「戻れそうにない」と思ったので、こうして文に残してみました。
アニメも別の事務所だし、課金しなくていいし、いい距離感で楽しめるかもしれないと思って録画し続けていたけど、
結局今日に至るまでまだ申し訳ないという気持ちが強く、一度も見られることがなく、
TLで楽しそうにしているPたちをみて、アイドルもプロデューサーさんたちももう遠くの存在に感じる……
今でも心の奥底では応援したい、好きという気持ちが確かにあるのに、存在を見ることすらつらくて仕方ないです。
きっとこれからもMマスはずっと未来に向かって走り続けるし、愛され続ける作品になると思います。
私みたいに、課金する先がソシャゲしかないなんてこともなく、手軽に手に取れる値段で確実にモノが手元にあるグッズも沢山出ます。
だからきっと、これからは以前よりももっともっと快適で楽しい作品になるはずです。
ジャンル規模が大きくなると問題も増えるけど、個人レベルではきっと快適なはず。
私が言ってもどうしようもないことだけど、沢山お金を落とすこともそりゃ大事なんだけど、
継続することも重要だし、コンテンツを楽しむ側の自分のためにも、
これはMマスに限った話ではなく、あらゆる作品で思うことで、
他人がどれだけ課金してるとか、どれだけイベントに参加してるとか、楽しみ方を比べるようになったときは、一呼吸おいて見てほしいなと。
まあ………自分ももっと楽しみたいという気持ちがある以上、難しいかもしれませんが。
追記1:
重課金がダメとか、無課金がダメとかそんな話ではないです。重課金者からしたら、たかが数万で脱落するような底辺いなくていいよ倍率上がるだけだし、と思うかもしれませんが…
追記2:
勘違いしている方が割といたのですが、私はこれっぽちも全く「課金して後悔した・お金がかかるから辞めた」なんてことは思ってません。
私が辞めるに至るほど病んだことは、課金額への後悔でもなく、コンテンツへの不満でもなく、
のめり込み過ぎてアイドルやソシャゲの距離感を間違えたことと、自責の念を払拭できなかった、という点につきます。
他人と比べたり、思い詰めはじめたら地獄の始まりだったわ、という話です。
あと、義務に感じたら駄目という意見、私はそう思わないです。義務感を達成することを喜び・楽しみとする人種はいます。
でも、そういう人種は私みたいに、自分の思う義務や信念・目標を達成できなくなった時、崩壊しやすいです。
普段ソシャゲは初回無料ガチャ引いたら1週間でアンインストール・長くて3カ月しか持たないような人種です。コンシューマーRPG大好き。
そんな私が3年も向いていないことをしてまで、それほどまでに追いかけたいと思う存在でした。
今思うと、「初回10連SSR確定!」みたいなのが全然ないMマスをよくもまぁ続けられたなぁと思うくらい。。。
Mマス及び315プロのアイドルたちは、蒼井兄弟は、それくらい魅力的で応援したくなります。
ソシャゲ向いてない馬鹿は来るな辞めちまえ、という意見もよく見ますが、
好きと思えたものに対して向いていないからという理由で諦めるのは、私は違うと思う。
もし最後まで読んでくださった人がいたら、お時間を割いていただきありがとうございました。
この記事を読んで、気持ちが沈んでしまった方、申し訳ございません。
でも、気に病むことはないです。みんな無理せず適度にやればいいんだよ。
自分に言うのは難しくても他人になら言えるの不思議だよね本当に
労いの言葉や、暖かい言葉をかけてくださった方たちも、ありがとうございます。
Mマスについてはまだ思い出すとつらくて仕方ないですが、幸い今はいい距離感で楽しめているものがあります。
今更だけどそこは論点じゃないんだよ。
緊急時に躊躇も恐怖もなく自動で行動できるなら、危機から脱出できる確率が上がるとして、その他の諸々を考慮してその刃を鈍らせるべきなのか、と。
刃は切れてこそ、という話もあるし、技は習熟するに越したことはないと思うんだ。
ただ、善意の酔っ払いが絡んできたときにも技が発動してしまうのがどうなのかと。
もちろん、悪意を持った相手なら殺してでも退けろと思う。
いま、幼児から少年になり、青年になる中で判断はできるようになるだろう。
というか、危険な攻撃を使わずとも相手を制圧できるようになったり、そもそも危険に近づかないなんかも教えていける。
でも、今なんだよ。
それでまあ、技を仕込んだんだけど、中身は幼児ながら、体格が少年という微妙なアンビバレント。
危機に襲われたとき(知らない大人につかみかかられたときだけ、と言い含めてある)に幼児なりに攻撃していい相手か見定めろなんて言って、結局被害に会うのなら、とにかくつかみ掛かられたら逃げろとも思う。
まあ、正解はないのかね。